Category: Novels

何處へ

何處へ (四十一年一月―四月 早稻田文學)…………………一 玉突屋 (同 年一月 太 陽)………………………一三五 六號記事(同 年一月 文章世界)………………………一四三 彼の一日(同 年三月 趣 味)………………………一五九 五月幟 (同 年三月 中央公論)………………………一七三 村 塾 (同 年四月 中央公論)………………………二〇五 空想家 (四十年十 月 太 陽)………………………二二一 株 虹 (同 年十二月 新思潮)………………………二六九 凄い眼 (四十一年八月 太 陽)………………………二九一 世間並 (同 年七月 趣 味)……...

Summary

何處へ (四十一年一月―四月 早稻田文學)…………………一 玉突屋 (同 年一月 太 陽)………………………一三五 六號記事(同 年一月 文章世界)………………………一四三 彼の一日(同 年三月 趣 味)………………………一五九 五月幟 (同 年三月 中央公論)………………………一七三 村 塾 (同 年四月 中央公論)………………………二〇五 空想家 (四十年十 月 太 陽)………………………二二一 株 虹 (同 年十二月 新思潮)………………………二六九 凄い眼 (四十一年八月 太 陽)………………………二九一 世間並 (同 年七月 趣 味)………………………三一一

Chapters

8. Part 8

彼《か》れは小學校《せうがくかう》も二|年《ねん》で止《や》めた。繪畫《くわいぐわ》の敎育《けういく》など更《さら》に受《う》けたことがない。しかし何時《いつ》の間《ま》にか獨《ひと》りで工夫《くふう》して書《か》き出《だ》した。少《ちいさ》い時《とき》から棒切《ぼうつき》れで地上《ちじやう》に描《か》いたり、消墨《けしずみ》で板《いた》に描《か》いた...

4. Part 4

翌日《よくじつ》は日曜《にちえう》であれば、一|家《か》は遲《をそ》くまで眠《ねむ》り、九|時頃《じごろ》に茶《ちや》の間《ま》に揃《そろ》つて朝食《あさげ》の膳《ぜん》についた。近來《きんらい》健次《けんじ》が家族《かぞく》と一|緖《しよ》に食事《しよくじ》をするのは、殆《ほと》んど日曜《にちえう》の朝《あさ》のみである。年齡《とし》の割合《わりあひ...

13. Part 13

「加瀨《かせ》さんは本當《ほんと》にお柔《やさ》しいんで御座《ござ》いますね、それにお若《わか》い癖《くせ》によく何《なに》にでも氣《き》がお付《つ》きなさいますし」と、老婆《ばあさん》は指先《ゆびさき》で耳《みゝ》の後《うしろ》を撫《な》で〳〵、世間《せけん》話《ばなし》から加瀨《かせ》の噂《うはさ》に移《うつ》つた。 「暫《しば》らく會《あ》はん間...

5. Part 5

翌日《よくじつ》桂田《かつらだ》の家《いへ》で晚餐《ばんさん》をかねて小園遊會《せうゑんゆうくわい》が開《ひら》かれ、博士《はかせ》夫妻《ふさい》の親戚《みうち》の靑年《せいねん》男女《なんによ》、箕浦《みのうら》織田《おだ》等《とう》の家族《かぞく》、凡《すべ》て十|數名《すうめい》が招待《せうたい》された。健次《けんじ》もその一|人《にん》だが、生...

10. Part 10

或日《あるひ》同鄉《どうきやう》の友人《いうじん》葛原《くづはら》勇吉《ゆうきち》が訪《たづ》ねて來《き》て、盛《さか》んにこの宿《やど》を褒《ほ》め、「僕《ぼく》も少《すこ》し勉强《べんきやう》したいから、靜《しづ》かな家《うち》へ移《うつ》りたい、此家《こゝ》には置《お》いて吳《く》れんだらうか」と云《い》つたが、自分《じぶん》はこの男《をとこ》の...

14. Part 14

私《わたし》は學校《がくかう》の生徒《せいと》に人望《じんばう》のある方《はう》でもないが、敢《あえ》て不評判《ふひやうばん》でもない、職務《しよくむ》に精勤《せいきん》する方《はう》ではなく、病《やまひ》と稱《しやう》して缺席《けつせき》することも多《おほ》いが、免職《めんしよく》される程《ほど》怠《なま》けはせぬ。增給《ざうきう》も覺束《おぼつか》...

12. Part 12

工場《こうぢやう》の奧《おく》に疊《たゝみ》を敷《し》いた一室《ひとま》がある。狹《せま》い一|方《ぽう》口《ぐち》で丁度《ちやうど》袋《ふくろ》のやうだ。滅多《めつた》に掃除《さうじ》もせねば隅々《すみ〴〵》には埃《ほこり》が積《つ》もり、壁《かべ》は一|體《たい》に黑《くろ》ずんでゐる。棚《たな》にある磨滅《まめつ》した活字《くわつじ》、開《ひら》...

3. Part 3

健次《けんじ》は妻君《さいくん》に添《そ》うて博士《はかせ》を玄關《げんかん》に見送《みおく》り、その車《くるま》の後《あと》から自分《じぶん》も歸《かへ》らうとしたが、强《し》いて引留《ひきと》められて元《もと》の書齋《しよさい》へ舞戾《まひもど》り、母《はゝ》の傳言《でんごん》を慇懃《いんぎん》に述《の》べた。

9. Part 9

彼《か》れの宿《やど》の前《まへ》は欝蒼《うつさう》たる山《やま》、木樵《きこり》の斧《おの》の音《おと》も手《て》に取《と》るやうに聞《きこ》える。彼《か》れは開《あ》け放《はな》した部屋《へや》で飯《めし》を食《く》ひ、母《はゝ》への手紙《てがみ》を認《したゝめ》てゐると、「御勉强《ごべんきやう》ですか」と、靑脹《あをぶ》くれの背《せ》の高《たか》...

7. Part 7

彼《か》れ――黑塚《くろづか》白雨《はくう》――は九|時《じ》に目《め》を醒《さ》ました。下女《げぢよ》の紙箒《はたき》の音《おと》が部屋《へや》の兩隣《りやうどなり》で騷々《さう〴〵》しく聞《きこ》える。電車《でんしや》の音《おと》がギイ〳〵耳《みゝ》に響《ひゞ》く。彼《か》れは今《いま》までうつら〳〵[#「うつら〳〵」に傍点]淺《あさ》い夢《ゆめ》...

1. Part 1

何處へ (四十一年一月―四月 早稻田文學)…………………一 玉突屋 (同 年一月 太 陽)………………………一三五 六號記事(同 年一月 文章世界)………………………一四三 彼の一日(同 年三月 趣 味)………………………一五九 五月幟 (同 年三月 中央公論)………………………一七三 村 塾 (同 年四月 中央公論)………………………二〇五 空想家...

6. Part 6

「二|本《ほん》歸《がへ》り三つ!」と、ボーイは蟲《むし》の喰《く》つた出《で》つ齒《ぱ》を出《だ》して大聲《おほごゑ》で叫《さけ》んだ。彼《か》れは薄《うす》い座蒲團《ざぶとん》の上《うへ》に几帳面《きてうめん》に坐《すわ》つて、兩方《りやうはう》の袖《そで》を搔《か》き合《あは》せてゐる。年齡《とし》は十五六で、顏《かほ》は靑《あを》くて脹《は》れ...

2. Part 2

大抵《たいてい》の家《いへ》は戶《と》を鎖《とざ》し、暗闇《くらやみ》の森閑《しんかん》とした道《みち》を、健次《けんじ》は雜念《ざつねん》に煩《わづら》はされ、俯首《うつむ》いてコツ〳〵辿《たど》つてゐる。彼《か》れは七歲で先祖《せんぞ》以來《いらい》のこの都《みやこ》へ歸《かへ》つてより二十七|歲《さい》の今《いま》まで殆《ほと》んど一|日《にち》...

11. Part 11

太平洋岸《たいへいやうがん》の激浪《げきらう》怒濤《どとう》、東北《とうほく》地方《ちはう》の荒凉《かうれう》たる光景《くわうけい》は見馴《みな》れてゐるが、これ等《ら》はどうも予《よ》の性《しやう》に合《あ》はぬ。それでこの秋《あき》は局面《きよくめん》を變《か》へて、瀨戶内海《せとないかい》の沿岸《えんがん》に寫生《しやせい》旅行《りよかう》をした...

15. Part 15

當《あ》てにもしないが、萬一《まんいち》お樂《らく》が私《わたし》を尋《たづ》ねて來《く》るかも知《し》れんと心待《こゝろま》ちにすることもあつた。小山《こやま》は十日《とをか》も顏《かほ》を見《み》せぬ。 その中《うち》五|月《ぐわつ》は暮《く》れる。私《わたし》は豐島《とよしま》同居《どうきよ》が影響《えいきやう》して、月末《げつまつ》の拂《はら》...