Part 14
私《わたし》は學校《がくかう》の生徒《せいと》に人望《じんばう》のある方《はう》でもないが、敢《あえ》て不評判《ふひやうばん》でもない、職務《しよくむ》に精勤《せいきん》する方《はう》ではなく、病《やまひ》と稱《しやう》して缺席《けつせき》することも多《おほ》いが、免職《めんしよく》される程《ほど》怠《なま》けはせぬ。增給《ざうきう》も覺束《おぼつか》なけれど、これで當分《たうぶん》食《く》ひはづしもないから不平《ふへい》を云《い》ふ必要《ひつえう》もない。衣食《いしよく》の慾《よく》は少《すくな》く、外《ほか》に娯樂《ごらく》を求《もと》めるのでもない。そして豐島《とよしま》などの二三の友人《いうじん》がちよい〳〵訪《たづ》ねて來《く》るので、無聊《ぶれう》で苦《くるし》む時《とき》も少《すくな》い。此頃《このごろ》は豐島《とよしま》の外《ほか》に、加瀨《かせ》の宿《やど》で會《あ》つた小山《こやま》が屡々《しば〳〵》顏《かほ》を出《だ》すやうになつたが、この新奇《しんき》な友人《いうじん》は初對面《しよたいめん》の折《をり》からスツカリ私《わたし》の氣《き》に入《い》つた。此方《こつち》から碎《くだ》けて話《はな》しかけると、直《す》ぐ私《わたし》の懷《ふところ》に入《はい》つて來《く》る。その呑氣《のんき》らしい容貌《ようばう》と心《こゝろ》、微塵《みじん》も苦味《にがみ》辛味《からみ》のなく、ポカンとして無駄《むだ》口《ぐち》を利《き》く工合《ぐあひ》が面白《おもしろ》い。で、「君《きみ》は話《はな》せる、學校《がくかう》の先生《せんせい》連中《れんちう》は元《もと》よりだが、豐島《とよしま》だつて加瀨《かせ》だつて娑婆《しやば》臭《くさ》くつて鼻《はな》持《も》ちもならん、君《きみ》は流石《さすが》に江戶《えど》ツ兒《こ》だ、社會《しやくわい》を咀《のろ》つて革命《かくめい》を唱《とな》へるでもなし、加瀨《かせ》のやうに見得坊《みえばう》でもなし」と感服《かんぷく》すると、小山《こやま》も多少《たせう》得意《とくい》になつて、「加瀨《かせ》君《くん》のやうにしてちや、さぞ氣骨《きぼね》の折《を》れるこつでせう」と笑《わら》ふ。
或日《あるひ》の正午《ひる》過《す》ぎに上野《うへの》を散步《さんぽ》してゐると、小山《こやま》が縞《しま》の羽織《はおり》に袴《はかま》を着《つ》け、不似合《ふにあひ》な山高《やまたか》帽子《ぼうし》を被《かぶ》り、少《すこ》し仰向《あふむ》いて口《くち》を開《あ》け、左《ひだり》の手《て》で突《つき》袂《たもと》をして廣吿隊《くわうこくたい》の後《あと》から澄《す》まして步《ある》いて來《き》たが、その樣子《やうす》が甚《はなは》だ面白《おもしろ》かつた。私《わたし》は呼止《よびと》めて、一|緖《しよ》に夕方《ゆふがた》まで遊《あそ》び暮《くら》したが、彼《か》れは女《をんな》の步《ある》き振《ぶ》りから、その心理《しんり》上《じやう》生理《せいり》上《じやう》の批判《ひはん》を下《くだ》すと云《い》つて、左右《さいう》を顧《かへり》みては、毒《どく》のない毒語《どくご》を放《はな》ち、 「巧《うま》いもんでせう、加瀨《かせ》君《くん》にもよく敎《をし》へてやるんですよ、僕《ぼく》が多年《たねん》の經驗《けいけん》から歸納《きなう》した結果《けつくわ》ですから、一々《いち〳〵》的中《てきちう》します」 と自慢《じまん》した。會《あ》ふ度《たび》每《ごと》にお樂《らく》の身《み》の上《うへ》も加瀨《かせ》の秘密《ひみつ》も、面白《おもしろ》さうに話《はな》して、多少《たせう》のお景物《けいぶつ》まで添《そ》へる。「お樂《らく》の事《こと》は、もう加瀨《かせ》先生《せんせい》がちやんと[#「ちやんと」に傍点]一人《ひとり》で呑込《のみこ》んでる、おれが見込《みこ》んだらどんな女《をんな》でも厭《いや》とは云《い》はせんと、自分《じぶん》で確信《かくしん》してるんです」とか「貴下《あなた》のこともよく例《れい》に引《ひ》いて、あの男《をとこ》はとても女《をんな》に好《す》かれりやしないと云《い》つてる」とか、調子《てうし》に乗《の》つて喋舌《しやべ》る。 この男《をとこ》に連《つ》られて、私《わたし》はお樂《らく》の家《うち》へも行《い》つた。お樂《らく》は從姉《いとこ》と二人《ふたり》で徒士町《おかちまち》の或《ある》小役人《こやくにん》の二|階《かい》を借《か》りて自炊《じすゐ》をしてゐる。遞信省《ていしんしやう》の女《をんな》判任官《はんにんくわん》で十二三|圓《ゑん》の月收《げつしう》があるらしい。
私《わたし》の訪《たづ》ねた時《とき》は、お樂《らく》は役所《やくしよ》から歸《かへ》つて、袴《はかま》を疊《たゝ》んでゐた。部屋《へや》は廣《ひろ》くないのに、簞笥《たんす》や鏡臺《けうだい》や針刺《はりさし》や、諸道具《しよだうぐ》が一通《ひとゝほ》り揃《そろ》つてゐるのだから、非常《ひじやう》に窮屈《きうくつ》だ。小形《こがた》の低《ひく》い机《つくゑ》の上《うへ》には加瀨《かせ》編輯《へんしう》の婦人《ふじん》雜誌《ざつし》と貸本屋《かしほんや》の小說《せうせつ》が載《のつ》てある。
小山《こやま》は餘程《よほど》懇意《こんい》だと見《み》えて、いきなり[#「いきなり」に傍点]胡床《あぐら》を搔《か》いて、「おい、お樂《らく》さん、今日《けふ》は加瀨《かせ》の代《かは》りに須崎《すさき》先生《せんせい》を連《つ》れて來《き》たよ、御馳走《ごちさう》しないか」と云《い》つた調子《てうし》、お樂《らく》はあまり馴々《なれ〳〵》しくもなく愛嬌《あいけう》も賣《う》らず、初々《うい〳〵》しく私《わたし》に挨拶《あひさつ》をした。私《わたし》はろくに口《くち》も利《き》かず、只《たゞ》小山《こやま》の喋舌《おしやべり》とお樂《らく》の擧動《きよどう》を注目《ちうい》してゐた。この女《をんな》田舎《ゐなか》には兩親《りやうしん》があるのださうだが、何故《なぜ》歲頃《としごろ》になつて結婚《けつこん》もせず、こんな風《ふう》に暮《く》らしてゐるのだらう、加瀨《かせ》が愛《あい》してゐると云《い》つて、それがどの位《くらゐ》進行《しんかう》してゐるのだらう、小山《こやま》から聞《き》いたゞけでは腑《ふ》に落《お》ちぬことが多《おほ》い。
小山《こやま》は窓《まど》の閾《しきゐ》に腰《こし》を掛《か》け、膝《ひざ》を重《かさ》ねて貧乏搖《びんばふゆる》ぎをしながら、 「今夜《こんや》姉《ねえ》さんは何處《どこ》かへ行《い》つたのかい」 「えゝ、一寸《ちよつと》道寄《みちよ》りしたのよ、もう歸《かへ》るでせう」 「歸《かへ》つたら皆《み》んなで散步《さんぽ》しようか」 「私《わたし》散步《さんぽ》なんか嫌《いや》だわ」 「お樂《らく》さんは消極的《せうきよくてき》だからいかん、もつと活潑《くわつぱつ》にハキ〳〵しなくちや駄目《だめ》だよ」 「さうですかねえ」と、お樂《らく》は不愛相《ぶあいさう》に云《い》ふ。そしてお茶《ちや》を汲《く》んで、後《あと》は几帳面《きちやうめん》に座《すわ》つて身動《みうご》きもしない。 「今日《けふ》はお樂《らく》さんはどうかしてるね、加瀨《かせ》を連《つ》れて來《こ》んから不平《ふへい》なんぢやないか」と、小山《こやま》は冷《ひや》かすやうに云《い》つたが、お樂《らく》は何《なん》とも答《こた》へず、少《すこ》し俯首《うつむ》いて、膝《ひざ》の上《うへ》で指先《ゆびさき》をいぢつてゐる。 「過日《こなひだ》加瀨《かせ》と何處《どこ》かへ散步《さんぽ》したさうだね、あの時《とき》お樂《らく》さんがこんな事《こと》を云《い》つてたつて、皆《みんな》僕《ぼく》に話《はな》したよ、それでね加瀨《かせ》は近々《きん〳〵》家《うち》を持《も》つと云《い》つて頻《しき》りに準備《じゆんび》をしとる。お樂《らく》さんのためにも祝《しゆく》すべきことだね、二|階《かい》借《か》りをしてお役所《やくしよ》通《がよ》ひなんかしないでもいゝんだから」と、小山《こやま》は相手《あひて》の顏《かほ》色《いろ》には無頓着《むとんちやく》で云《い》ふと、お樂《らく》はツンとして、 「小山《こやま》さんは何時《いつ》も人《ひと》を馬鹿《ばか》にしとるのね」 「何故《なぜ》、僕《ぼく》はお樂《らく》さんには敬意《けいゝ》を拂《はら》つてるから、その幸福《かうふく》のために盡力《じんりよく》してるんぢやないか」 「もう澤山《たくさん》!」 「ぢやその話《はなし》は止《よ》そう」と、小山《こやま》は私《わたし》の方《はう》を向《む》き、「君《きみ》、近々《きん〳〵》大久保《おほくぼ》であの會《くわい》をやらうぢやありませんか、その時《とき》やお樂《らく》さんも是非《ぜひ》お出《い》でよ、この人《ひと》の家《うち》で演藝會《えんげいくわい》をやるんだから、僕《ぼく》が一|緖《しよ》に行《ゆ》きや姉《ねえ》さんも何《なん》とも云《い》やあしないだらう」 「私《わたし》もう何處《どこ》へも行《ゆ》かないわ」 「だつて須崎《すさき》君《くん》の家《うち》ならいゝぢやないか、この人《ひと》は僕《ぼく》にも加瀨《かせ》君《くん》にも親友《しんいう》だし、大變《たいへん》な學者《がくしや》だから。こんな恐《こは》い面《かほ》をしてるけれど、これで氣《き》の輕《かる》い面白《おもしろ》い人《ひと》だよ、時々《ときどき》遊《あそ》びに行《い》つて御覽《ごらん》、二人《ふたり》で長唄《ながうた》でも唄《うた》つて陽氣《やうき》にやるも、加瀨《かせ》君《くん》と差向《さしむか》ひでニヤリ〳〵笑《わら》つてるよりやいゝよ」 私《わたし》は退屈《たいくつ》して苦笑《くせう》して、「もう歸《かへ》らうぢやないか」と小山《こやま》を促《うなが》した。
小山《こやま》は容易《ようい》に歸《かへ》らうともせず、「姊《ねえ》さんはどうしたのだらう」と氣遣《きづか》つてゐたが、暫《しば》らくすると無斷《むだん》で階下《した》へ下《お》りた。誰《だれ》かと高聲《たかごゑ》で話《はな》してゐる。
私《わたし》は窓際《まどぎは》へすり寄《よ》つて、正面《まとも》にお樂《らく》を見《み》た。以前《いぜん》加瀨《かせ》の宿《やど》で見《み》た時《とき》よりは、少《すこ》し色《いろ》が惡《わる》く目《め》もあの時《とき》ほど冴《さ》えてゐない。 「小山《こやま》君《くん》はよく來《く》るんですか」 「えゝ、一|日《にち》隔《お》き位《ぐらゐ》に入《い》らつしやるんですわ」 「來《き》て何《なに》をするのです、あの人《ひと》は面白《おもしろ》いでせう」 「えゝ、お喋舌《しやべり》ばつかりして」と、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、さも不愉快《ゆくわい》さうだ。 「あれ程《ほど》毒氣《ゞくけ》のない秘密《ひみつ》のない男《をとこ》もない、だから皆《み》んなに好《す》かれるんです、加瀨《かせ》なんかもあの人《ひと》には何《なに》もかも打明《うちあ》けると見《み》えて、僕《ぼく》のやうな永《なが》い間《あひだ》の友人《いうじん》が知《し》らんことまで小山《こやま》君《くん》は知《し》つてゐます」 「ですけど小山《こやま》さんにだつて、秘密《ひみつ》はあるでせう、人間《にんげん》は誰《だ》れにだつて秘密《ひみつ》はあるんですもの」と滅入《めい》つた聲《こゑ》だ。 「さうですかねえ、しかし小山《こやま》や加瀨《かせ》の秘密《ひみつ》といつて、高《たか》がきつと情婦《いろをんな》を拵《こしら》えとく位《くらゐ》のことだらう」と冷《ひやゝ》かに笑《わら》つて、殊更《ことさら》に侮蔑《ぶべつ》するやうな目付《めつき》でジツと相手《あひて》を見《み》た。それがお樂《らく》には身震《みぶる》ひする程《ほど》の感《かん》じを與《あた》へたらしい。つツと立《た》つて階下《した》へ下《お》りた。私《わたし》は後《あと》を見送《みおく》つて姿《すがた》のいゝ女《をんな》だと思《おも》つた。少《すくな》くもお靜《しづ》よりは生々《いき〳〵》してゐる。そして小山《こやま》の云《い》ふやうにこの女《をんな》も加瀨《かせ》を戀《こひ》してゐると思《おも》ふと、何《なん》となく不愉快《ふゆくわい》な變《へん》な感《かん》じがする。
暫《しば》らくして私《わたし》も階下《した》へ下《お》りた。小山《こやま》は緣側《えんがは》で肥《ふと》つた女《をんな》と竊《ひそ》かに何《なに》か語《かた》り合《あ》ひ、お樂《らく》は長火鉢《ながひばち》の前《まへ》で夕刊《ゆふかん》の新聞《しんぶん》を讀《よ》みながら、橫目《よこめ》でその方《はう》を偸見《ぬすみゝ》してゐた。 「あれは誰《だ》れだ」と、歸《かへ》り途《みち》に小山《こやま》に聞《き》くと、 「お樂《らく》の姊《あね》さ」と、簡單《かんたん》に答《こた》へて、何時《いつ》ものお喋舌《しやべり》を續《つゞ》けない。 「お樂《らく》も妙《めう》な女《をんな》だね、」 「あれも馬鹿《ばか》に浮《う》いてる時《とき》と、妙《めう》にひねくれ[#「ひねくれ」に傍点]る時《とき》とある」 この日《ひ》からお樂《らく》は私《わたし》の頭《あたま》に一《ひと》つの蟠《わだか》まりとなつて殘《のこ》つた。懷《なつ》かしくも床《ゆか》しくも思《おも》ふのではないが、只《たゞ》一二|年前《ねんぜん》お靜《しづ》に別《わか》れて以来《いらい》私《わたし》に例《れい》のない一|種《しゆ》のインテレストを惹起《ひきおこ》したのだ。何故《なぜ》だらう、私《わたし》はお樂《らく》と加瀨《かせ》の戀《こひ》に疑問《ぎもん》を抱《いだ》いてゐるので、その經過《けいくわ》を見《み》たいと思《おも》ふ好奇心《かうきしん》から、知《し》らず〴〵お樂《らく》が私《わたし》の心《こゝろ》を去《さ》らなくなつたのだらうと思《おも》つた。で、お樂《らく》ともつと[#「もつと」に傍点]打解《うちと》けて話《はな》して、あの淺薄《せんぱく》な加瀨《かせ》がどんな風《ふう》に女《をんな》の心《こゝろ》に映《うつ》つてゐるか、眞相《しんさう》を捜《さぐ》つて見《み》たいが、容易《ようい》に懇意《こんい》にはなれぬ。 この後《ご》暫《しば》らく私《わたし》は土州橋《としうばし》を渡《わた》ることが繁《しげ》くなつた。それにつれて財政《ざいせい》の平調《へいてう》も破《やぶ》れた。
(八)
大久保《おほくぼ》は躑躅《つゝぢ》が咲《さ》いて人《ひと》の出入《でいり》が多《おほ》くなつた。私《わたし》の家《うち》へも來客《らいきやく》が多《おほ》い。私《わたし》は財囊《ざいのう》の缺乏《けつばふ》を感《かん》じて、内職《ないしよく》に原稿《げんかう》稼《かせぎ》でもしようかと思《おも》つてゐたが、手近《てぢか》い所《ところ》に捌《さば》け口《ぐち》がない。加瀨《かせ》に賴《たの》むのは厭《いや》だ。駈廻《かけまは》つて面識《めんしき》の淺《あさ》い人《ひと》に嘆願《たんぐわん》するのも淺《あさ》ましい氣《き》がする。まだ二十七|歲《さい》の若《わか》い身空《みそら》で、仰《あふ》ぎ見《み》る幻影《まぼろし》もなく、只《たゞ》刻々《こく〳〵》の肉慾《にくよく》を充《み》たさんがために、僅《わづ》かの金《かね》を求《もと》めてゐる自身《じゝん》が可笑《おか》しく感《かん》ぜられた。
或日《あるひ》加瀨《かせ》と小山《こやま》とが躑躅《つゝぢ》見《み》の歸《かへ》りに立寄《たちよ》つた。加瀨《かせ》の唇《くちびる》は臙脂《べに》をさしたやうに赤《あか》い。白《しろ》い細《ほそ》長《なが》い指《ゆび》に黃《きい》ろい指環《ゆびわ》を嵌《は》めてゐる。 「此頃《このごろ》も徒士町《おかちまち》へよく行《ゆ》くかね」と、私《わたし》は加瀨《かせ》を見《み》ると直《す》ぐに問《と》うた。 「僕《ぼく》よりや小山《こやま》君《くん》の方《はう》がよく行《ゆ》く」と、加瀨《かせ》はニヤリ〳〵笑《わら》ふ。 「君《きみ》もよく行《ゆ》くぢやないか、しかしね須崎君《すさきくん》、君《きみ》は徒士町《おかちまち》であまり評判《ひやうばん》がよくないよ、何《なん》だか意地《いぢ》の惡《わる》さうな人《ひと》だと云《い》つてる、僕《ぼく》は頻《しき》りに辯護《べんご》するんだけど」 「さうかねえ、困《こま》つたものだねえ」 「君《きみ》はわざつ[#「わざつ」に傍点]と女《をんな》を侮蔑《ぶべつ》するやうな態度《たいど》を執《と》るからさ、柔《やさ》しくさへすれば女《をんな》は喜《よろこ》んで來《く》る、君《きみ》は下《くだ》らないと云《い》ふだらうが、それで女《をんな》を弄《もてあそ》んでりや、面白《おもしろ》いぢやないか」と加瀨《かせ》は珍《めづ》らしく氣焔《きえん》を吐《は》く。 「君《きみ》も小山《こやま》君《くん》の口《くち》眞似《まね》をするやうになつたね、僕《ぼく》は君《きみ》の戀《こひ》は眞面目《まじめ》なんかと思《おも》つてたのに、ぢや浮氣《うはき》なんだね」 「浮氣《うはき》でもない、それが戀《こひ》の本體《ほんたい》さ。せつぱ詰《つま》つたやうな戀《こひ》は駄目《だめ》だからね、餘裕《よゆう》のある戀《こひ》でなくちや僕《ぼく》等《ら》はいやだ。面白味《おもしろみ》は其處《そこ》にある」 「君《きみ》も進步《しんぽ》したもんだね」と、私《わたし》は加瀨《かせ》がこの家《うち》に同居《どうきよ》してゐた時分《じぶん》を追想《つゐさう》した。今《いま》の彼《あ》れの目《め》は、邪推《じやすゐ》か知《し》らぬが私《わたし》を憐《あは》れむやうに見《み》える。 「何《なに》しろ加瀨《かせ》君《くん》は金《かね》があるから敵《かな》はない。外《ほか》の點《てん》では敢《あえ》て一|步《ぽ》も讓《ゆづ》らんがね」と、小山《こやま》は歎息《たんそく》した。
加瀨《かせ》は勝利者《しやうりしや》の如《ごと》く笑《わら》つて、「この人《ひと》も今《いま》戀《こひ》の苦《くる》しみをしてるんだよ」 私《わたし》は重《かさ》ねて聞《き》かうともしなかつた。加瀨《かせ》は拍子《ひやうし》拔《ぬ》けがして、橫《よこ》を向《む》いて小山《こやま》と小聲《こゞゑ》で話《はな》し出《だ》した。 「徒士町《おかちまち》の姉《あね》の方《はう》は夜遊《よあそ》びをするさうだ、あの家《うち》の妻君《さいくん》が皮肉《ひにく》を云《い》つてたが氣《き》に掛《かゝ》るよ、以前《いぜん》に隨分《ずゐぶん》謂《い》はくのあつた女《をんな》らしいからね」 「早《はや》く結婚《けつこん》して了《しま》へばいゝぢやないか」 「所《ところ》が甘《うま》くさういかんよ、いざとなると逃《に》げてしまうし」 「妹《いもうと》とは違《ちが》うね」 「妹《いもうと》だつて分《わか》るものか」 「ハツ〳〵、君《きみ》は女《をんな》を見《み》る目《め》がない、妹《いもうと》は純潔《じゆんけつ》なものだ、役所《やくしよ》の方《はう》でも評判《ひやうばん》がいゝし、あんなに怠《なま》けないで働《はたら》いてるんだもの、育《そだ》ちが卑《いや》しいのに似合《にあ》はず、あれだけに仕上《しあ》げたんだからね、」 「君《きみ》は成功者《せいこうしや》だが」と、小山《こやま》は溜息《ためいき》を吐《つ》いた。 「小山《こやま》君《くん》の婦人學《ふじんがく》も理論《りろん》のみだね」と、私《わたし》が橫《よこ》から冷《ひや》かすと、小山《こやま》は「さうでもないさ」と云《い》つて、グツタリ首《くび》を垂《た》れた。その樣子《やうす》が可笑《おか》しくてならぬ。 しかし小山《こやま》の沈《しづ》んだ調子《てうし》は間《ま》もなく消《き》えて、賑《にぎ》やかな世間《せけん》話《ばなし》となつた。
彼等《かれら》は一《ひと》しきり騷《さわ》いで、ランプをつける頃《ころ》に歸《かへ》つた。徒士町《おかちまち》へ行《ゆ》かうと二人《ふたり》は約束《やくそく》して、私《わたし》をも誘《さそ》うたが、私《わたし》はそれに應《おう》じなかつた。
夕餐《ゆふめし》を終《をは》ると戶外《そと》へ出《で》た。無意味《むいみ》に散步《さんぽ》して、散步《さんぽ》しながら加瀨《かせ》と小山《こやま》とが徒士町《おかちまち》の二|階《かい》で戯《たはむ》れて現拔《うつゝぬ》かしてゐる樣《さま》を思《おも》ひ浮《うか》べた。二人《ふたり》とも年中《ねんぢう》飽《あ》きもせずに遊《あそ》んでゐる。加瀨《かせ》の奴《やつ》仕事《しごと》も愉快《ゆくわい》だと云《い》ふ。やがて雜誌《ざつし》の主任《しゆにん》に昇進《しやうしん》するさうだ。案山子《かゝし》にフロツクコートを着《き》せたやうな男《をとこ》が通用《つうよう》する世《よ》の中《なか》だと思《おも》ふと可笑《をか》しいと、私《わたし》は强《し》いて嘲《あざけ》つて冷笑《れいせう》してやつた。
花《はな》は散《ち》つて靑葉《あをば》が柔《やはらか》い風《かぜ》に戰《そよ》いでゐる。軒《のき》ランプもない薄暗《うすぐら》い私《わたし》の家《いへ》の前《まへ》には、子供《こども》が大勢《おほぜい》騷《さわ》いでゐるのが聞《きこ》える。
私《わたし》は小徑《こみち》を五六|丁《ちやう》行戾《ゆきもど》りして、家《いへ》の側《そば》まで來《く》ると座敷《ざしき》の障子《しやうじ》に燈火《あかり》が映《うつ》つてゐる。消《け》して出《で》た筈《はず》だが、誰《だ》れか客《きやく》でも來《き》たのかと、多少《たせう》悅《ゝれ》しかつた。
座敷《ざしき》へ上《あが》つて見《み》ると、お靜《しづ》が片隅《かたすみ》に兩袖《りやうそで》を搔合《かきあは》せて座《すわ》つてゐる。矢張《やはり》顏《かほ》が靑《あを》く唇《くちびる》の色《いろ》も褪《あ》せてゐれど、この前《まへ》ほど厭《いや》に感《かん》ぜられなかつた。 「又《また》日本橋《にほんばし》へ行《い》つたと聞《き》いてたが、まだ居《ゐ》るんだね」 「まだ身體《からだ》がよくなりませんから、……どうせ駄目《だめ》なのですから」と、聲《こゑ》も冴《さ》え冴《ざ》えせず厭《いや》な音《おん》だ。 けれど私《わたし》はあまり憎《にく》まれ口《ぐち》を利《き》かなかつた。冷《ひや》やかしもしなかつた。嘗《かつ》て私《わたし》を棄《す》てゝ他所《よそ》へ行《い》つたこの女《をんな》と火鉢《ひばち》を隔《へだ》てゝ差向《さしむか》ひで、夜更《よふ》ける迄《まで》も物語《ものがた》つた。下手《へた》な虛《うそ》を云《い》つてるなと折々《をり〳〵》心《こゝろ》で嘲《あざ》けりながら、女《をんな》の苦勞《くらう》話《ばなし》を聞《き》いてやつた。
(九)
その翌日《よくじつ》、朝《あさ》早《はや》く出勤《しゆつきん》前《まへ》に豐島《とよしま》からのハガキが着《つ》いた。「午後《ごゞ》學校《がくかう》へ尋《たづ》ねて行《ゆ》くから待《まつ》てゐて吳《く》れ」と鉛筆《えんぴつ》で書《か》いてある。どうせ碌《ろく》な用事《ようじ》でもあるまいと思《おも》つたが、別《べつ》に歸宅《きたく》を急《いそ》ぎもせぬから、私《わたし》は同僚《どうれう》が皆《みな》引擧《ひきあ》げた後《あと》に居殘《ゐのこ》つて、この日《ひ》の宿直《しゆくちよく》の長沼《ながぬま》と土臭《つちくさ》い番茶《ばんちや》を啜《すゝ》りながら話《はなし》をしてゐた。長沼《ながぬま》は私《わたし》よりも七《なゝ》ツ八《や》ツ年上《としうへ》で、子供《こども》が二人《ふたり》もあるのに、月給《げつきう》は却《かへつ》て私《わたし》よりも少《すくな》く、生計《くらし》には隨分《ずゐぶん》苦勞《くらう》してゐるのだが、人間《にんげん》が一|風《ぷう》異《かは》つてゐて、敎場《けうぢやう》で鷄《とり》の泣《な》く眞似《まね》をしたり、妙《めう》な身振《みぶり》をして生徒《せいと》を喜《よろこ》ばせてゐる。同僚《どうれう》の中《うち》では一|番《ばん》私《わたし》と話《はなし》が合《あ》ふ方《はう》だ。 「今日《けふ》も僕《ぼく》あさんざ失敗《しくじり》ましたよ、晚酌《ばんしやく》をやり過《すご》して下讀《したよみ》を懶《なま》けたもんだから、下《くだ》らんことで間違《まちが》ひを仕出《しで》かして、生徒《せいと》の奴《やつ》にうん[#「うん」に傍点]と油《あぶら》を取《と》られました。その上《うへ》校長《かうちやう》先生《せんせい》から手嚴《てきび》しい忠吿《ちうこく》を喰《く》ひましてな、敎場《けうぢやう》で飄輕《ひやうきん》な眞似《まね》をしちやならん、敎場《けうぢやう》は神聖《しんせい》な所《ところ》だから飽《あ》くまでも眞面目《まじめ》でなくちやならんと懇々《こん〳〵》と說諭《せつゆ》されて、イヤハヤ面目《めんぼく》もない次第《しだい》ですよ、しかし飄輕《ひやうきん》だからまだ、私《わたし》に脈《みやく》があるんですが、これで御說諭《ごせつゆ》通《どほ》り辛蟲《にがむし》嚙《かみ》つぶした間違《まちがひ》をやつてた日《ひ》にや、生徒《せいと》の方《はう》で承知《しやうち》しません、校長《かうちやう》先生《せんせい》も殘酷《ざんこく》なことを申《まを》されるもんです、」と長沼《ながぬま》は安値《やす》い刻《きざみ》煙草《たばこ》を吸《す》ひながら眞面目《まじめ》で云《い》ふ。 「けれど君《きみ》は間違《まちが》ひを氣《き》に掛《か》けるだけ眞面目《まじめ》なんです、それだけ正直《しやうじき》なんだ、高《たか》が丁年《ていねん》未滿《みまん》の子供《こども》ぢやありませんか、口先《くちさ》きで甘《うま》く云《ひ》ひまるめりやいゝんですよ」と、私《わたし》が事《こと》もなげに云《い》ふと、 「まあそんな者《もの》ですがね」と、長沼《ながぬま》はヒツ〳〵と味《あぢ》のない笑《わら》ひ方《かた》をして、「私《わたし》はどうも敎育《けういく》だけは外《ほか》の事《こと》とは違《ちが》つてる、尊《たつと》い者《もの》だと思《おも》うのでしてな、生徒《せいと》の顏《かほ》を見《み》ると、忠實《ちうじつ》によく敎《をし》へてやりたい少《すこ》しでも早《はや》く學業《がくぎやう》の進《すゝ》むやうに導《みちび》いてやりたいと思《おも》うんですが、其處《そこ》がそれ、私《わたし》に學識《がくしき》が足《た》らんもんですからな、どうも不行屆《ふゆきとゞき》で汗顏《かん〴〵》の至《いた》りに堪《た》へん譯《わけ》です、と云《い》つて辭職《じゝよく》すれば外《ほか》に糊口《くちすぎ》の道《みち》があるぢやなし」 「それだけ眞面目《まじめ》なら貴下《あなた》は立派《りつぱ》な敎師《けうし》です、少《すこ》し位《ぐらゐ》誤謬《ごびやう》を傳《つた》へようと、飄輕《ひやうきん》な眞似《まね》をしようと差支《さしつか》えないさ、僕《ぼく》なんか少年《せうねん》を愛《あい》する氣《き》もないから、初《はじ》めから敎授《けうじゆ》に身《み》の入《はい》つたことはないのです」 「そりや君《きみ》に子供《こども》がないからですよ、自分《じぶん》に子《こ》があつて見《み》りや、他人《たにん》の子《こ》も矢張《やはり》可愛《かあい》い、よく敎育《けういく》してやりたくなりますよ、何《なに》も經驗《けいけん》だ、まあ子《こ》を持《も》つて御覽《ごらん》なさい、世《よ》の中《なか》ががらり[#「がらり」に傍点]と異《かは》つて來《き》ますからね」 「子《こ》を持《も》つと敎場《けうぢやう》で飄輕《ひやうきん》な眞似《まね》をして、生徒《せいと》の御機嫌《ごきげん》と執《と》るやうになるんですね」と笑《わら》ふと、長沼《ながぬま》も苦笑《くせう》して、 「まあ、そんな者《もの》さねえ」と云《い》つて、風呂敷《ふろしき》の中《なか》から講談《かうだん》の「佐倉《さくら》義民傳《ぎみんでん》」を取出《とりだ》し、「今夜《こんや》はこれをお伽《と》ぎで宿直《しゆくちよく》するのだ」と、机《つくゑ》の上《うへ》に廣《ひろ》げて小聲《こゞゑ》で讀《よ》み出《だ》した。言分《いひぶん》が氣《き》に入《い》らぬのか、もう私《わたし》を相手《あひて》にしない。暫《しば》らくして豐島《とよしま》が下駄《げた》のまゝ敎員室《けうゐんしつ》へ入《はい》つて來《き》た。私《わたし》はほん[#「ほん」に傍点]の型式的《けいしきてき》に長沼《ながぬま》を紹介《しやうかい》した。豐島《とよしま》は「今日《けふ》は馬鹿《ばか》に蒸暑《むしあつ》いぢやないか」と、袷《あはせ》の袖《そで》で額《ひたひ》の汗《あせ》を拭《ぬぐ》ふて目《め》をパチクリさせ、それから一|輪《りん》の花《はな》も一|幅《ぷく》の繪《ゑ》もない薄汚《うすぎたな》い敎員室《けうゐんしつ》を見渡《みわた》した。 「何《なに》か急用《きふよう》か」と、私《わたし》の方《はう》から問《と》ふた。この男《をとこ》何《なん》でもない事《こと》に、さも急用《きふよう》のあるらしく、惶《あわた》だしさうに出《で》たり入《はい》つたりする男《をとこ》だが、今日《けふ》もその顏《かほ》付《つき》が大事《だいじ》を扣《ひか》へた人《ひと》とも見《み》えぬ。 「僕《ぼく》は辭職《じゝよく》した」と、豐島《とよしま》は大聲《おほごゑ》で簡短《かんたん》明瞭《めいれう》に云《い》つた。 「さうか」と云《い》つたきり、私《わたし》は折返《をりかへ》して理由《りゆう》を聞《き》きもしなかつたが、長沼《ながぬま》は片手《かたて》で書物《しよもつ》を壓《おさ》へ、ヂロ〳〵豐島《とよしま》の顏《かほ》を見《み》て、聞耳《きゝみゝ》立《た》てた。 「俗《ぞく》な事《こと》を書《か》かにや氣《き》に入《い》らんのだから、癪《しやく》に觸《さは》つて、僕《ぼく》の方《はう》から出《で》てしまつた。もう向《むか》うから賴《たの》んだつて、あんな仕事《しごと》をやりやしない」と獨《ひと》りで力《りき》んだ。 「それもいゝさ、君《きみ》にはあんな俗務《ぞくむ》は不適當《ふてきたう》だからな、これから君《きみ》の本音《ほんね》を出《だ》して活動《くわつどう》するさ」 「むん、………それから君《きみ》にお願《ねが》ひだが、當分《たうぶん》君《きみ》の家《うち》に置《お》いて吳《く》れんか、迷惑《めいわく》だらうが」と少《すこ》し言淀《いひよど》んだ。 「僕《ぼく》の家《うち》にか」と、私《わたし》は躊躇《ちうちよ》したが、「ぢや來玉《きたま》へ、今夜《こんや》からでも」 「有難《ありがた》う、二三|日《ち》内《うち》に荷物《にもつ》を持《も》つて行《ゆ》く、そうすりや僕《ぼく》も安心《あんしん》して活動《くわつどう》が出來《でき》る」と云《い》つて、豐島《とよしま》は再《ふたゝ》び室内《しつない》を見渡《みわた》した。夕日《ゆふひ》はガラス窓《まど》を通《とほ》して、埃《ほこり》の舞《ま》ふのが見《み》える。
長沼《ながぬま》は自《みづ》から立《た》つて澁茶《しぶちや》を吸《く》んで、豐島《とよしま》の前《まへ》に置《お》いた。豐島《とよしま》は一息《ひといき》に呑《の》み干《ほ》して、 「此處《こゝ》も汚《きたな》い學校《がくかう》だね、しかし君《きみ》のやうな熱烈《ねつれつ》な人間《にんげん》を容《い》れてるんだから、校長《かうちやう》もえらい」
(十)
前夜《ぜんや》私《わたし》が物好《ものず》きに柔《やさ》しい素振《そぶり》を見《み》せたので、お靜《しづ》はもう以前《いぜん》の燒木杭《やけぼつくひ》が再《ふたゝ》び燃《もえ》上《あが》つた氣《き》になつて、せつせと近《ちか》づいて來《き》たが、私《わたし》は最早《もう》腐《くさ》つた菓實《くだもの》を嗅《か》ぐやうで、思《おも》はず顏《かほ》を背《そむ》けたい程《ほど》になる。そして「調《しら》べ物《もの》がある」とか、「金儲《かねもう》けをしてるんだから當分《たうぶん》來《き》て吳《く》れるな、その代《かは》り一二|年《ねん》待《ま》つてりや、お前《まへ》の好《す》きなことをさしてやる」とか云《い》つて、追退《をひの》けるやうにした。間《ま》もなく豐島《とよしま》が、越《こ》して來《き》てからは、お靜《しづ》を遠《とほざ》けるに都合《つがふ》がよくなつた。
豐島《とよしま》は柳行李《やなぎかうり》と机《つくゑ》との總財產《さうざいさん》を持込《もちこ》んだ。何《なに》か著述《ちよじゆつ》をしてゐるようであるが、大抵《たいてい》は外出《ぐわいしゆつ》して夕方《ゆふがた》に醉《ゑ》うて歸《かへ》ることが多《おほ》い。歸《かへ》つての土產《みやげ》話《ばなし》には俗物《ぞくぶつ》と同情《どうじやう》すべき人《ひと》との消息《せうそく》を傳《つた》へる。彼《か》れの世界《せかい》はハツキリこの二|種《しゆ》の人間《にんげん》に分類《ぶんるゐ》されてゐるので、かの長沼《ながぬま》の如《ごと》きは直《す》ぐにその同情《どうじやう》される人《ひと》となつた。「君《きみ》、あの男《をとこ》は保護《ほご》してやり玉《たま》へ」と、度々《たび〳〵》心《こゝろ》の底《そこ》から私《わたし》に賴《たの》むことがある。又《また》彼《か》れの崇拜者《すうはいしや》もあつて、折々《をり〳〵》訪《たづ》ねて來《き》て、夜更《よふ》ける迄《まで》熱烈《ねつれつ》な議論《ぎろん》が戰《たゝか》はされる。 「社會《しやくわい》に反抗《はんこう》するのもいゝが、その前《まへ》に生活《くらし》の法《はふ》ぐらゐ考《かんが》へとかうぢやないか」と、私《わたし》が注意《ちうい》すると、 「なあに僕《ぼく》あ一人《ひとり》身《み》だ、生活《せいくわつ》なんか考《かんが》へる必要《ひつえう》はない、僕《ぼく》あ食《く》へなけや放浪《はうらう》する、水《みづ》ばかり呑《の》んでゝも、爲《な》すだけのことはして見《み》せる」と取合《とりあ》はぬ。 「ぢや何時《いつ》かの俗化《ぞくゝわ》主義《しゆぎ》はお止《や》めだね」 「止《や》めざるを得《え》ないんだ、君《きみ》もどうせ世《よ》に容《い》れられんのだから、放浪《はうらう》生活《せいくわつ》をしろ、僕《ぼく》と一|緖《しよ》にやらう」 「先《ま》づ君《きみ》から經驗《けいけん》して見玉《みたま》へ、面白《おもしろ》けりや僕《ぼく》もやるよ」 そして彼《か》れは繩暖簾《なはのれん》をくゞつて、泥醉《でいすゐ》の後《のち》突如《とつぢよ》として汗臭《あせくさ》い勞働者《らうどうしや》の腕《うで》を握《にぎ》り、その硬張《こわば》つた手《て》の掌《ひら》に熱淚《ねつるゐ》を濺《そゝ》ぎ、「僕《ぼく》は君《きみ》の兄弟《きやうだい》だ」と叫《さけ》んで、周圍《まはり》の客《きやく》を驚《おどろ》かすこともあるが、彼《かれ》自身《じゝん》は敢《あえ》てその好《す》きな放浪《はうらう》無宿《むしゆく》の人《ひと》ともならぬ。手《て》に鶴嘴《つるはし》を持《も》たうともせぬ。私《わたし》の家《いへ》によく寢《ね》て、よく飮《の》みよく食《く》つてゐる。
日《ひ》が立《た》つにつれて、收入《しうにふ》の一|定《てい》した私《わたし》の財政《ざいせい》は次第《しだい》に窮境《きうけう》に陷《おちい》る。豐島《とよしま》のためにも亂《みだ》されたのだ。しかし彼《か》れは私《わたし》を信《しん》じ切《き》つてゐる。私《わたし》の迷惑《めいわく》などは微塵《みぢん》も念頭《ねんとう》に置《お》いてゐない。「困《こま》つたら二人《ふたり》で放浪《はうらう》するさ」と、放浪《はうらう》の夢《ゆめ》を描《ゑが》いて見《み》せるが、私《わたし》にはそれが何《なん》の興味《きようみ》もない。彼《か》れは放浪《はうらう》流離《りうり》薄命《はくめい》の文字《もじ》を見《み》てすら胸《むね》を躍《おど》らすであらうが、私《わたし》には艶《つや》も香《にほ》ひもない空《くう》な文字《もじ》たるに過《す》ぎぬ。それで彼《か》れが無職《むしよく》の徒《と》や貧民《ひんみん》と無理强《むりぢ》いに交際《かうさい》を結《むす》び、彼等《かれら》に解《かい》し難《がた》い氣燄《きえん》を吐《は》いて樂《たのし》みとしてゐる間《あひだ》に、私《わたし》は小山《こやま》に會《あ》ひ、加瀨《かせ》一|輩《ぱい》の噂《うはさ》を聞《き》いて、眠《ねむ》つた心《こゝろ》を醒《さま》してゐた。
(十一)
豐島《とよしま》同居《どうきよ》以來《いらい》小山《こやま》は前程《まへほど》繁々《しげ〳〵》と訪《たづ》ねて來《こ》ぬ。豐島《とよしま》を嫌《きら》つてか、戀事《いろごと》に忙《せわ》しいためかであらう。私《わたし》はこの人《ひと》ばかりは會《あ》ひたくなるので、或日《あるひ》學校《がくかう》の歸《かへ》りに立寄《たちよ》つたが、朝《あさ》から歸《かへ》らぬさうだ。
私《わたし》は失望《しつばう》した。暫《しばら》く上野《うへの》の電車道《でんしやみち》に立《た》つて、何處《どこ》へ行《ゆ》かうかと考《かんが》えた。そして目《め》を尖《とが》らせて停留場《ていりうぢやう》に集《あつ》まつてゐる數多《あまた》の男女《だんぢよ》を見《み》てゐたが、細《ほそ》長《なが》い顏《かほ》丸《まる》い顏《かほ》、皆《みな》夕日《ゆうひ》を浴《あ》びて、汗《あせ》と埃《ほこり》に鈍染《にじ》み、疲《つか》れた色《いろ》をしてゐる。久《ひさ》しく雨《あめ》を見《み》ぬ空《そら》は冴《さ》えぬ色《いろ》をして、その一|方《ぱう》は黃《きい》ろく濁《にご》つてゐる。目《め》の逹《とゞ》く限《かぎ》り生氣《せいき》は見《み》えぬ。若々《わか〳〵》しい色《いろ》も香《か》もない。
私《わたし》は屈託《くつたく》した。 その揚句《あげく》ふとお樂《らく》を訪《たづ》ねる氣《き》になり、徒士町《おかちまち》へ足《あし》を向《む》けた。お樂《らく》には小山《こやま》のお供《とも》で二三|度《ど》會《あ》つたきりで親《した》しくないのみか、私《わたし》はあの女《をんな》に憚《はゞか》られてゐるのだ。しかしその憚《はゞか》られてゐる所《ところ》へ推《おし》かけて行《ゆ》くと云《い》ふことが、私《わたし》の倦《う》んだ心《こゝろ》を刺激《しげき》して多少《たせう》の活氣《くわつき》も湧《わ》いて來《く》る。
威勢《ゐせい》よく格子戶《かうしど》を開《あ》けて、宿《やど》の妻君《さいくん》に「小山《こやま》さんは來《き》てゐませんか」と聞《き》くと、「今《いま》入《い》らしつて直《す》ぐお歸《かへ》りになりました」といふ。 「ぢやお樂《らく》さんは」 「ゐらつしやいますよ」 私《わたし》はそれ丈《だけ》聞《き》いて、無遠慮《ぶえんりよ》につか〳〵二|階《かい》へ上《あが》つた。お樂《らく》は俯首《うつぶし》になつて手紙《てがみ》を讀《よ》んでゐたが、慌《あは》てゝ居住《ゐずま》ひを直《なほ》して、私《わたし》を見上《みあげ》げた。ニコリともせず澁々《しぶ〳〵》座蒲團《ざぶとん》を出《だ》した。 「小山《こやま》君《くん》が來《き》てるかと思《おも》つて」と、私《わたし》は言譯《いひわけ》をして、わざと柔《やさ》しく馴々《なれ〳〵》しい風《ふう》をして、「どうです、僕《ぼく》の家《うち》へも遊《あそ》びに來《き》ませんか」 「はあ」と、女《をんな》は手紙《てがみ》を卷《ま》いて封筒《ふうとう》に入《い》れた。小山《こやま》の噂《うはさ》加瀨《かせ》の話《はなし》と、勉《つと》めて相手《あひて》を誘《さそ》つても、向《むか》うから乗《の》つて來《こ》ない。埃《ほこり》を吹寄《ふきよ》せる風《かぜ》を厭《いと》うて障子《しやうじ》を締切《しめき》つてあれば、冬《ふゆ》洋服《やうふく》着用《ちやくよう》の私《わたし》には暑苦《あつくる》しくて窮屈《きうくつ》だ。で、物好《ものず》きにこんな所《ところ》にゐるにも當《あた》らぬと思《おも》つたが、今日《けふ》は不思議《ふしぎ》に腰《こし》が据《すわ》つて動《うご》かない。
私《わたし》は加瀨《かせ》が結婚《けつこん》する前《まへ》に、不意《ふい》にこの女《をんな》を奪《うば》つて、加瀨《かせ》に鼻《はな》を空《あ》かせたら面白《おもしろ》からうと思《おも》つた。小山《こやま》やその叔母《をば》や從妹《いとこ》の前《まへ》に並《なら》んで、加瀨《かせ》の鈍《にぶ》い神經《しんけい》を驚《おどろ》かしてやりたい。私《わたし》は嫉妬《しつと》からかう思《おも》ふのではない。只《たゞ》私《わたし》の目《め》には今《いま》でもポンチ繪《ゑ》に見《み》える加瀨《かせ》に、自分《じぶん》自身《じしん》をそのやうに感《かん》じさせて見《み》たい。 そして女《をんな》を口說《くど》くに何《なん》の苦心《くしん》が入《い》らう、失敗《しつぱい》を耻《は》づる私《わたし》ではない。他人《たにん》の後指《うしろゆび》を氣《き》にする私《わたし》ではない。かねて電車《でんしや》を飛下《とびお》りる位《くらゐ》の冒險《ばうけん》さへすれば、是非《ぜひ》を云《い》はせず、女《をんな》は我《わ》が者《もの》と信《しん》じてゐるのではないか、甞《かつ》てお靜《しづ》は手《て》を握《にぎ》るだけで充分《じふゞん》であつた。かう思《おも》つたが、思《おも》ふほど尙更《なほさら》口《くち》も手《て》も活動《くわつどう》しなかつた。 お樂《らく》は女學《ぢよがく》雜誌《ざつし》を讀《よ》み出《だ》した。讀《よ》むよりも屛風《びやうぶ》代《がは》りにして私《わたし》の視線《しせん》を避《さ》けるのかも知《し》れぬ。私《わたし》は「何《なに》か面白《おもしろ》いことが書《か》いてありますか」と、雜誌《ざつし》を引《ひつ》たくるやうに取《と》つて、飜《ひるがへ》して見《み》た。表紙《ひやうし》裏《うら》に「△△女史《ぢよし》に呈《てい》す」と書《か》いて、下《した》に加瀨《かせ》の雅號《ががう》がある。お樂《らく》は恨《うら》めしい顏《かほ》付《つき》をした。 「△△つて貴女《あなた》ですか」と、私《わたし》は冷《ひや》かすやうに云《い》つて、ジツとその文字《もじ》を見詰《みつ》めてゐたが、フイとお樂《らく》に目《め》を移《うつ》すと、お樂《らく》は目《め》に淚《なみだ》を湛《たゝ》えてゐる。 「何《なに》か御用《ごよう》があつて被入《いらし》つたんですか」と切口上《きりこうじやう》で云《い》ふ。 「えツ、別《べつ》に用事《ようじ》もないんです」と、私《わたし》は驚《おどろ》いて云《い》つた。 「では何《なに》しに被入《いらしつ》たのです」と、私《わたし》の手《て》から雜誌《ざつし》を奪返《うばひかへ》し、表紙《ひやうし》を引裂《ひきさ》き手《て》に力《ちから》を入《い》れて丸《まる》めながら、「貴下《あなた》だつて加瀨《かせ》さんだつて、私《わたし》を調戯《からか》いに被入《いらつ》しやるんだわ、」 「何故《なぜ》! そんな譯《わけ》はないぢやありませんか、小山《こやま》君《くん》は兎《と》に角《かく》僕《ぼく》や加瀨《かせ》にそんな惡意《あくい》はないさ、殊《こと》に加瀨《かせ》は貴女《あなた》に敬意《けいゝ》を表《ひやう》してるんですもの」 「加瀨《かせ》さんとかゞ何《ど》うなすつたつて、私《わたし》少《ちつ》とも係合《かゝりあ》ひはありませんわ」と、お樂《らく》は淚《なみだ》を拭《ぬぐ》つて、「何《なに》が面白《おもしろ》くつて、皆《みな》さんは五月蠅《うるさ》く私《わたし》の家《うち》へ被入《いらつし》やるんでせう、私《わたし》姉《ねえ》さんのやうに惡戯《ふざ》けたお相手《あひて》は出來《でき》ませんから、私《わたし》一人《ひとり》の時《とき》には、もう何方《どなた》もお出《い》で下《くだ》さらぬやうにお願《ねが》ひ申《まを》します」と、屹《きつ》とした口調《くてう》で云《い》つた。
私《わたし》も多少《たせう》極《きま》りが惡《わる》くないでもなかつたが、それよりもこの女《をんな》を不思議《ふしぎ》に感《かん》じて、尙《なほ》座《ざ》を立《た》たうとはせぬ。 「そんなに我々《われ〳〵》を嫌《きら》はなくつてもいゝでせう、何《なに》か事情《じゞやう》があるんですか」と、私《わたし》は微笑《びせう》しながら靜《しづ》かに云《い》つた。 お樂《らく》は暫《しば》らく默《だま》つてゐたが、先《さ》きのむごい[#「むごい」に傍点]言葉《ことば》を氣《き》の毒《どく》に感《かん》じたのか、急《きふ》に柔《やさ》しい聲音《こはね》で、「此頃《このごろ》は身體《からだ》の加減《かげん》ですか、人樣《ひとさま》と賑《にぎ》やかなお話《はなし》しますのが、何《なん》だかつらいんですから、寧《いつ》そ初《はじ》めからお目《め》にかゝらん方《はう》がいゝと思《おも》ひますわ」 「さうですか、東片町《ひがしかたまち》へもあまり行《ゆ》かんのですか」 「えゝ。ちつとも、何時《いつ》か歌留多《かるた》會《くわい》があつて、貴下《あなた》も被入《いらし》つた時《とき》、參《まゐ》りましたきり、あの後《ご》は一|度《ど》も窺《うかゞ》ひませんの、」 「だがあの連中《れんぢう》はよく此家《こゝ》へ來《く》るんでせう」 「はあ、………あの方逹《かたゝち》は何故《なぜ》あんなお話《はなし》ばかりなさるんでせう、雜誌《ざつし》にお書《か》きになつてることゝは丸《まる》で違《ちが》つてますのね」お樂《らく》は顏《かほ》も心《こゝろ》も落付《おちつ》いたやうだ。で、身體《からだ》を品《しな》やかに曲《ま》げて、雜誌《ざつし》を默讀《もくどく》してゐたが、又《また》起直《おきなほ》つて雜誌《ざつし》を指先《ゆびさ》きでいぢくり[#「いぢくり」に傍点]ながら、「貴下《あなた》は學校《がくかう》の先生《せんせい》をして居《ゐ》らつしやるんですつてね」 「さうです、小《ちい》さい私立《しりつ》學校《がくかう》の敎師《けうし》だから、月給《げつきう》は安《やす》いし、加瀨《かせ》のやうに贅澤《ぜいたく》は出來《でき》ません、これで十|年《ねん》近《ぢか》くも苦學《くがく》して、こんな境遇《けうぐう》ですからね………だが、貴女《あなた》は何故《なぜ》二人《ふたり》つきりで部屋《へや》借《が》りをして、役所《やくしよ》通《がよ》ひなんかしてるのです、尤《もつと》も小山《こやま》君《くん》からは貴女《あなた》の事《こと》をよく聞《き》いてるけれど」 「小山《こやま》さんが何《なに》を云《い》つたつて當《あ》てになるものですか、あんな淺薄《せんぱく》な人《ひと》」と卑下《さげすむ》やうに云《い》つて、「私《わたし》どうかして一|日《じつ》も早《はや》く姉《あね》と別《わか》れて、一人《ひとり》で暮《くら》したいと思《おも》ひます、」 「心《こゝろ》細《ぼそ》いことを云《い》ひますね、何《なに》か考《かんが》へがあるんですか」 「女《をんな》でも學問《がくもん》しなくちやなりませんわね、私《わたし》なんか小學校《せうがくかう》を卒業《そつげふ》したばかりですから………」 「それで澤山《たくさん》さ、橫文字《よこもじ》を習《なら》ふよりや三味線《さみせん》でも習《なら》つた方《はう》が女《をんな》らしくていゝ」 「ですけど、私《わたし》少《ちいさ》い時《とき》から三味線《さみせん》なんか習《なら》つたのを後悔《こうくわい》しますわ、何《なん》だか早《はや》く忘《わす》れてしまひたいやうな氣《き》がしますのよ」と、邪氣《あどけ》ない風《ふう》が見《み》える。 そして私《わたし》が學校《がくかう》の敎師《けうし》であるためか、私《わたし》に向《むか》つて女子《ぢよし》の學問《がくもん》の方法《はうはふ》西洋《せいやう》音樂《おんがく》硏究《けんきう》の順序《じゆんじよ》を質問《しつもん》した。明治《めいぢ》の女子《ぢよし》の心掛《こゝろが》け、新《あたら》しい家庭《かてい》の道德《だうとく》など、女學《ぢよがく》雜誌《ざつし》から得《え》たと思《おも》はれる問題《もんだい》を提出《ていしゆつ》して、漢語《かんご》交《まじ》りで私《わたし》に解答《かいたふ》を促《うなが》した。こんな問題《もんだい》ならさぞ[#「さぞ」に傍点]加瀨《かせ》には興味《きようみ》があるであらうが、私《わたし》の耳《みゝ》にはノンセンスだ、で、いゝ加減《かげん》に返事《へんじ》をして、「休日《きうじつ》に私《わたし》の家《うち》へお出《い》でなさい」と云《い》つて、戶外《そと》へ出《で》た。
家《うち》へ歸《かへ》ると、豐島《とよしま》が垢染《あかじ》みた單衣《ひとへ》を着《き》て肱枕《ひぢまくら》で寢《ね》ころんでゐたが、私《わたし》を見《み》ると、靑《あを》い顏《かほ》を持上《もちあ》げて、「今日《けふ》はいやな天氣《てんき》だから頭《あたま》が重《おも》い」と、口《くち》をもが〳〵させた。 「酒《さけ》を呑《の》まんからだらう」 「うん、金《かね》がないから」 「意氣地《いくぢ》がないね」 「少《すこ》し持《も》つてたのを、今《いま》乞食《こじき》にやつちまつた、………今日《けふ》又《また》あの女《をんな》が來《き》たよ、靑《あを》い顏《かほ》の女《をんな》が、妙《めう》な奴《やつ》だね、何《なに》をしに來《く》るんだらう、君《きみ》はどうして知《し》つてるんだ」 「以前《いぜん》この隣《となり》に住《す》んでたのだ、あれのお母《ふくろ》に飯《めし》を炊《た》いて貰《もら》つたこともある、何《なに》か云《い》つてたか」 「いや、直《す》ぐ歸《かへ》つちやつたが、憐《あは》れつぽい女《をんな》だね、僕《ぼく》は同情《どうじやう》する」 この夜《よ》彼《か》れは豪語《がうご》も吐《は》かず、古行李《ふるかうり》を開《あ》けて黴《かび》の生《は》へた浴衣《ゆかた》、袖《そで》の千切《ちぎ》れた綿入《わたいれ》、古雜誌《ふるざつし》古書物《ふるしよもつ》を引出《ひきだ》して整理《せいり》してゐた。私《わたし》は散步《さんぽ》がてらお靜《しづ》の家《うち》の周圍《まはり》を迂路《うろ》ついて、家《うち》の者《もの》の目《め》を忍《ぬす》んでお靜《しづ》を引出《ひきだ》した。鈍色《にぶいろ》の雲《くも》に星《ほし》も隱《かく》れ、女《をんな》の顏《かほ》ははつきり[#「はつきり」に傍点]見《み》えなかつたが、私《わたし》は顏《かほ》を見《み》ようともせぬ、聲《こゑ》を聞《き》きたくもない。そして晝《ひる》に見《み》たお樂《らく》の柔《やわら》かい肌《はだえ》を黑闇《くらやみ》の中《うち》に思《おも》ひ浮《うか》べながら、お靜《しづ》の袖《そで》に觸《ふ》れ、お靜《しづ》の息《いき》に觸《ふ》れてゐた。 その後《ご》も二三|度《ど》お靜《しづ》に會《あ》つた。會《あ》つた後《のち》は何時《いつ》も不快《ふくわい》な感《かん》に堪《た》へぬので、豐島《とよしま》に向《むか》つて、「彼女《あれ》が又《また》來《き》たら追拂《おつぱら》つて吳《く》れ、性質《たち》の惡《わる》い女《をんな》だから」と賴《たの》んで置《お》く。しかし豐島《とよしま》は「同情《どうじやう》すべき女《をんな》」と定《き》めてしまつて、私《わたし》の留守《るす》にも座敷《ざしき》へ通《とほ》して睦《むつま》じく話《はなし》をするやうになつた。
(十二)