Part 9
彼《か》れの宿《やど》の前《まへ》は欝蒼《うつさう》たる山《やま》、木樵《きこり》の斧《おの》の音《おと》も手《て》に取《と》るやうに聞《きこ》える。彼《か》れは開《あ》け放《はな》した部屋《へや》で飯《めし》を食《く》ひ、母《はゝ》への手紙《てがみ》を認《したゝめ》てゐると、「御勉强《ごべんきやう》ですか」と、靑脹《あをぶ》くれの背《せ》の高《たか》い男《をとこ》が日《ひ》を遮《さへぎ》つて前《まへ》に立《た》つた。壯太《さうた》と云《い》つて、喜助《きすけ》と同《おな》じく、寄宿舎《きしゆくしや》の賄方《まかなひかた》だが、中々《なか〳〵》大志《たいし》を抱《いだ》いてゐて、暇《ひま》があれば學課《がくゝわ》を傍聽《ばうちやう》してゐる。前《まへ》からこの家《うち》へは遊《あそ》びに來《き》てゐたが、今澤《いまざわ》とは同國《どうこく》だといふので、遂《つひ》に懇意《こんゐ》になり、古雜誌《ふるざつし》などを借《か》りて行《ゆ》く。 「君《きみ》は今日《けふ》講義《こうぎ》を聽《き》きに出《で》ましたか」と、今澤《いまざわ》は手紙《てがみ》を卷《ま》いて仰向《あふむ》いた。 「いや行《ゆ》きません、今日《けふ》はごた〳〵してゐましたから」 「君《きみ》、今日《けふ》の靖獻《せいけん》遺言《ゐげん》は大層《たいそう》面白《おもしろ》かつた、中野《なかの》先生《せんせい》は甘《うま》いなあ」といつたが、壯太《さうた》は何時《いつ》ものやうに乗出《のりだ》して來《こ》ない。 「さうですか、僕《ぼく》はもう暇《ひま》を貰《もら》つて國《くに》へ歸《かへ》らうかと思《おも》ひます」と、何《なん》となく萎《しほ》れた色《いろ》が見《み》える。 「何故《なぜ》歸《かへ》るんです、え、君《きみ》」と、今澤《いまざわ》は少《すこ》し驚《おどろ》いて問《と》ひ詰《つ》めた。 「何《なん》でもありません、只《たゞ》國《くに》が戀《こひ》しくなりましたから」 「だつて、君《きみ》は此校《こゝ》でうん[#「うん」に傍点]と勉强《べんきやう》するつもりで來《き》たんでせう」 「しかしもう[#「もう」に傍点]厭《いや》になりました、學問《がくもん》も厭《いや》だし、この村《むら》の者《もの》も厭《いや》だし」 今澤《いまざわ》は腹《はら》の中《なか》で「變《へん》だな」と思《おも》ひ、相手《あひて》の顏《かほ》をジロ〴〵見《み》て、「君《きみ》、寄宿舎《きしゆくしや》の者《もの》あ、賄《まかなひ》に不平《ふへい》を云《い》つてるさうだな、何《なに》かあるんですか」 「さあ、何《なん》だか知《し》らんが、今《いま》に騷動《さうどう》があるでせう」 「賄《まかなひ》の中《うち》では喜公《きいこう》が惡《にく》まれとるさうだが、どうしたんでせう、あれもいゝ人《ひと》だがなあ………昨夕《ゆふべ》も遲《おそ》くこの家《うち》へ來《き》てゐた」 「さうですか、どんな話《はなし》をしてゐました」と、壯太《さうた》は厭《いや》に聲《こゑ》を低《ひく》くして、目《め》を据《す》ゑた。 「どんな話《はなし》だか僕《ぼく》あ寢《ね》つちまつたから知《し》りません」 「ふゝん」と云《い》つて、壯太《さうた》は考《かんが》へてゐたが、暫《しばら》くして「ぢや貴下《あなた》はよく勉强《べんきやう》なさい、當分《たうぶん》お目《め》に掛《かゝ》れんかも知《し》れません」と云《い》つて、お辭義《じぎ》をして机《つくゑ》の前《まへ》を離《はな》れた。
娘《むすめ》は門《かど》で鎌《かま》を磨《と》いでゐる。壯太《さうた》は屈《かゞ》んで娘《むすめ》と何《なに》か話《はなし》をしてゐたが、やがて娘《むすめ》を小突《こづ》いて、怒《おこ》つた顏《かほ》をしてスタ〳〵と行《い》つてしまつた。今澤《いまざわ》は驚《おどろ》き呆《あき》れた。そして書《か》きさしの手紙《てがみ》に向《むか》ひ、村《むら》の靜《しづ》かで景色《けいしよく》も佳《よ》いこと、住民《じうみん》の善良《ぜんりやう》なること、學課《がくゝわ》の面白《おもしろ》いことなどを美文調《びぶんてう》で書《か》いて、それを封《ふう》じながら、壯太《さうた》の事《こと》を考《かんが》へた。 この家《うち》には夜《よる》になつて、よく村《むら》の百|姓《しやう》や寄宿舎《きしゆくしや》の賄方《まかなひかた》の連中《れんぢう》が遊《あそ》びに來《く》る。しかし世間《せけん》話《ばなし》ばかりで、別《べつ》に變《かは》つたこともない。壯太《さうた》も宿《やど》の老爺《ぢいさん》の好《す》きな狐鮨《きつねずし》を買《か》つて來《き》て、父娘《おやこ》二人《ふたり》に自分《じぶん》の行末《ゆくすゑ》の大望《たいまう》を話《はな》しなどして歸《かへ》るばかりだ。壯太《さうた》はよく「私《わたし》だけは他國《よそ》の者《もの》だから、どうも仲間《なかま》と折合《をりあひ》が惡《わる》い」と零《こぼ》してゐたが、逹公《たつこう》は度々《たび〴〵》宿《やど》の娘《むすめ》に向《むか》つて、「今澤《いまざわ》さんなんか、遠方《ゑんぱう》から來《き》てゐなさるんだから、不自由《ふじいう》なことが多《おほ》からう、氣《き》をつけてお上《あ》げよ、他國《よそ》の人《ひと》は大事《だいじ》にせねばならん」と注意《ちうい》する程《ほど》だから、他鄉《よそ》の者《もの》を虐待《ぎやくたい》する譯《わけ》はない。 で、彼《か》れは暫《しばら》く疑《うたが》つて見《み》たが、別《べつ》に壯太《さうた》と深《ふか》い關係《かんけい》があるのでもないから、間《ま》もなく忘《わす》れてしまひ、聲《こゑ》を出《だ》して靖獻《せいけん》遺言《ゐげん》の復習《ふくしふ》をした。折々《おり〳〵》木《き》の倒《たふ》れる音《おと》、木樵《きこり》の唄《うた》が聞《きこ》える。復習《ふくしふ》が終《をは》つた頃《ころ》、その唄《うた》も止《や》み山《やま》は靜《しづか》になり、春《はる》の日《ひ》も山《やま》へ入《はい》つた。狹《せま》い谷間《たにま》だから、日《ひ》の隱《かく》れるのが早《はや》いが、容易《ようい》に暗《くら》くはならぬ。淡《あは》い長閑《のどか》な夕暮《ゆふぐれ》が長《なが》く續《つゞ》く。今澤《いまざわ》は閾《しきゐ》に腰掛《こしか》けて、朧《おぼ》ろに霞《かす》んだ逹公《たつこう》の藁屋《わらや》を眺《なが》めてゐると、宿《やど》の娘《むすめ》が 「向《むか》ひに風呂《ふろ》が湧《わ》いたからお入《はい》りなさい」と知《し》らせて來《き》たので、何氣《なにげ》なく、 「壯太《さうた》さんは播州《ばんしう》へ歸《かへ》るさうですね、どうしたのか知《し》らん」 と聞《き》くと、「私《わたし》、存《ぞん》じません」と、卒氣《そつけ》ない返事《へんじ》をして、何時《いつ》もの愛嬌《あいけう》を見《み》せて吳《く》れなかつた。しかし今澤《いまざわ》は不思議《ふしぎ》にも感《かん》じない。そして丸裸《まるはだか》になつて、小《ちい》さい野菜《やさい》畝《ばた》を橫切《よこぎ》り、野天《のてん》の据風呂《すゑふろ》へ飛込《とびこ》んだ。半月《はんげつ》が次第《しだい》に明《あか》るくなるのを眺《なが》めて、柔《やはら》かい湯《ゆ》に漬《つか》つてゐると、裏口《うらぐち》から逹公《たつこう》が來《き》て太《ふと》い柴《しば》を無雜作《むざうさ》にへし折《を》つては燒《く》べる。 「よく湧《わ》いてるから、もうよろしい」と云《い》つても、 「大事《だいじ》な子《こ》に風《かぜ》でも引《ひ》かせちやならん」と承知《しやうち》しない。今澤《いまざわ》は燃《も》え上《あが》る火《ひ》の、逹公《たつこう》の頑丈《がんじやう》な赤《あか》い顏《かほ》を照《て》らすのを見《み》てゐたが、 「叔父《をぢ》さんは力《ちから》が强《つよ》いだらうな」 「强《つよ》いとも、十|人力《にんりき》だ、貴下《あんた》位《ぐらゐ》は手《て》の表《ひら》でさし上《あ》げらあ、村《むら》の若《わか》い者《もの》でも私《わし》にや降參《こうさん》するからな」と大《おほ》きな聲《こゑ》で云《い》つて、ハツ〳〵と笑《わら》ひ、「學問《がくもん》する人《ひと》は、何《なん》で皆《みな》弱《よわ》いんだらう」 「そりや色《いろ》んなことを考《かんが》へるから、百|姓《しやう》してるやうにボンヤリしちや居《を》れんもの」 と、今澤《いまざわ》がマセた口《くち》を利《き》くと、逹公《たつこう》はへゝんと嘲笑《あざわら》つて、 「百|姓《しやう》でもボンヤリしちや居《を》りませんぜ、貴下《あんた》なんかこそ今《いま》の間《うち》は本《ほん》を讀《よ》んで逹《たつ》の魚《さかな》でも食《た》べとりや、外《ほか》に云分《いひぶん》はないんだから結構《けつこう》だ、しかし貴下《あんた》だつて今《いま》に心配事《しんぱいごと》が出來《でき》て來《く》る、屹度《きつと》出來《でき》る、今歲《ことし》十四におなりなさるんだから、卒業《そつげふ》迄《まで》まだ後《あと》四|年《ねん》だ、この村《むら》にゐる間《うち》に、もうそろ〳〵[#「そろ〳〵」に傍点]慮見方《れうけんかた》が違《ちが》つて來《き》まさあ」 「そんな事《こと》あ本《ほん》を讀《よ》んで知《し》つてらあ」 「さうでないて、壯太《さうた》なんかゞな、エラさうな口《くち》を利《き》くと、私《わし》が云《い》つて聞《き》かせます。私《わし》の目《め》にやお前《まへ》逹《たち》の腹《はら》は見《み》え透《す》いてるつてね、逹公《たつこう》は明盲《あきめくら》でも頭《あたま》にちやん[#「ちやん」に傍点]と四|書《しよ》五|經《きやう》が備《そなは》つとるんですぜ、だから忰《せがれ》にもちつとばかりの學問《がくもん》をせんでも、親爺《おやぢ》の敎《をし》へをよく聞《き》け、それで澤山《たくさん》だと云《い》ふんです、忰《せがれ》もあれで親爺《おやぢ》の子《こ》だ、ヘマな眞似《まね》をして耻《はぢ》を搔《か》くやうなことはしません」と、息子《むすこ》の自慢《じまん》をして、獨《ひと》りで笑《わら》つた。今澤《いまざわ》はゆで[#「ゆで」に傍点]鮹《だこ》のやうになつて聞《き》いてゐた。
その夜《よ》今澤《いまざわ》が散步《さんぽ》から歸《かへ》ると、直《す》ぐ寢床《ねどこ》へ入《はい》り、朝《あさ》まで夢《ゆめ》一《ひと》つ見《み》ずに熟睡《じゆくすゐ》した。起《お》きると例《れい》の如《ごと》く畦《あぜ》傳《づた》ひに學校《がくかう》へ向《むか》つた。通學生《つうがくせい》の溜《たま》りへ入《はい》ると、既《すで》に四五|人《にん》集《あつま》つて賑《にぎ》やかに喋《しや》べつてゐたが、その一|人《にん》が今澤《いまざわ》を見《み》ると、 「ぢや今澤君《いまざわくん》に聞《き》いて見《み》玉《たま》へ」といふ。 「何《なん》だい」と、今澤《いまざわ》は駈《か》けてその群《むれ》へ入《はい》つて目《め》をきよろ〳〵させた。 「君《きみ》はまだ知《し》らんのか、昨夕《ゆふべ》の賄方《まかなひかた》の喧嘩《けんくわ》を、喜公《きいこう》が打《ぶ》たれたさうだぜ」 「え、喜公《きいこう》が誰《だ》れに」 「壯太《さうた》といふ奴《やつ》に」 「本當《ほんたう》か、何故《なぜ》だらう」 「だから君《きみ》に聞《き》くんさ、君《きみ》は二人《ふたり》ともよく知《し》つてるから」 今澤《いまざわ》は驚《おどろ》いてよく聞《き》くと、壯太《さうた》は刃物《はもの》を持《も》つてゐたので、他《ほか》の者《もの》は恐《おそ》れて近《ちか》づかず、喜公《きいこう》は思《おも》ふさま打《ぶ》たれた。そして壯太《さうた》は昨夕《ゆふべ》から寄宿舎《きしゆくしや》にゐないさうだ。 この噂《うはさ》は放課《はうくわ》時間《じかん》每《ごと》に話題《わだい》に上《のぼ》り、逹公《たつこう》が賄《まかなひ》部屋《べや》で怒鳴《どな》つてる樣《さま》を報吿《ほうこく》する者《もの》もあれば、その原因《げんいん》を硏究《けんきう》する者《もの》もある。學校《がくかう》は一|日《にち》これで賑《にぎ》はつた。
學課《がくゝわ》が終《をは》ると、今澤《いまざわ》は例《れい》の木蔭《こかげ》で休《やす》んで、書物《しよもつ》を讀《よ》み草《くさ》の香《にほ》ひに浸《した》つて、最早《もはや》喧嘩《けんくわ》の原因《げんいん》などを念頭《ねんとう》に置《おか》なかつた。
その晚《ばん》、彼《か》れは近頃《ちかごろ》覺《おぼ》えた詩吟《しぎん》をしながら、谷川《たにがは》に沿《そ》うて散步《さんぽ》した。宿《やど》の娘《むすめ》は鍬《くわ》を洗《あら》つてゐる。側《そば》には二三の百|姓《しやう》が脚胖《きやはん》と草鞋《わらじ》を投《な》げ出《だ》して足《あし》を洗《あら》つてゐる。茲《こゝ》でも高《たか》い聲《こゑ》で喧嘩《けんくわ》の噂《うはさ》だ。 「喜公《きいこう》も意氣地《いくぢ》のない奴《やつ》だのう」「播州者《ばんしうもの》なんかに毆《なぐ》られるなんて村《むら》の名折《なを》れだ」「彼奴《あいつ》がまだ村《むら》にゐようなら袋叩《ふくろたゝ》きにしてやるになあ」と、口々《くち〴〵》に憤慨《ふんがい》してゐる。 「何《なん》でも壯太《さうた》の野郞《やらう》が惡《わる》いに違《ちが》いない、ちつとばかりの學問《がくもん》を鼻《はな》にかけて、漢語《かんご》なんか使《つか》やがつて、平生《ふだん》から小憎《こにく》らしい奴《やつ》だつた」 「全體《ぜんたい》彼奴《あいつ》生意氣《なまいき》だ、新田《しんでん》の辰《たつ》の娘《むすめ》に艶書《ふみ》をつけたといふぜ、女《をんな》を口說《くど》くに小六《こむつ》ケ|敷《しい》艶書《ふみ》にも及《およ》ぶまい」 「他國《たこく》の奴《やつ》に女《をんな》を荒《あ》らされて溜《たま》るもんか」と皆《み》んなで笑《わら》つた。宿《やど》の娘《むすめ》は鍬《くわ》を擔《かつ》いで急《いそ》いで歸《かへ》つた。入違《いりちが》つて逹公《たつこう》が佛頂面《ぶつてうづら》をして來《き》たが、今澤《いまざわ》が蹲《しやが》んで道《みち》を防《ふさ》いでるので、 「そうら、退《ど》いた〳〵」と邪慳《ぢやけん》に云《い》つて、彼《か》れを突飛《つきと》ばすやうにして、馬《うま》をザブリと水《みづ》へ入《い》れた。水《みづ》は四邊《あたり》に飛《と》びかゝる。 「逹《たつ》さん、壯太《さうた》は行方知《ゆくへし》れずか」 「何《なん》であんな無茶《むちや》な事《こと》をしたんだらう」と、左右《さいう》より問《と》ひかけた。 「播州《ばんしう》の奴《やつ》あ畜生《ちくしやう》だ、穩順《おとなし》さうな面《つら》してやがつて」と、逹公《たつこう》は凄《すご》い顏《かほ》をして、手綱《たづな》で馬《うま》を打《う》つた。
今澤《いまざわ》は目《め》を丸《まる》くして恐々《こは〴〵》見《み》てゐたが、やがて逃《に》げるやうに川下《かはしも》へ下《くだ》つた。水《みづ》は月光《げつくわう》を乗《の》せて耳語《さゝや》くやうに足下《あしもと》を流《なが》れてゐる。彼《か》れは生《うま》れて初《はじ》めて他鄉《たきやう》孤獨《こどく》の感《かん》を覺《おぼ》えた。
空想家
(一)
單調《たんてう》な自分《じぶん》の生涯《しやうがい》でも、三十五|年《さい》の今《いま》から過去《かこ》を振返《ふりかへ》つて見《み》ると、知《し》らぬ間《ま》に幾多《いくた》の波瀾《はらん》を經過《けいくわ》してゐる。何故《なぜ》あんな事《こと》を考《かんが》へてゐたのだらうと、昔《むかし》の幼稚《えうち》な自分《じぶん》を冷笑《れいせう》したくなるが、それと共《とも》に五|年前《ねんまへ》十|年前《ねんまへ》が懷《なつ》かしく、あゝ今《いま》一|度《ど》あんな氣《き》になりたいなどと思《おも》はぬでもない。
自分《じぶん》は學校《がくかう》を卒業《そつげふ》する十|年前《ねんまへ》、雜多《ざつた》の空想《くうさう》や希望《きばう》が取留《とりとめ》もなく湧《わ》き上《あが》り、一人《ひとり》で悅《うれ》しかつたり氣遣《きづ》かはしかつたりした時《とき》、山吹町《やまぶきちやう》の素人宿《しらうとやど》に下宿《げしゆく》することゝなつた。普通《ふつう》の下宿《げしゆく》屋《や》は騷々《さう〴〵》しいから、靜《しづ》かな家《うち》へ移《うつ》つて、うん[#「うん」に傍点]と勉强《べんきやう》して卒業《そつげふ》後《ご》社會《しやくわい》へ出《で》る準備《じゆんび》をしやうぢやないかと、最《もつと》も親《した》しい細野《ほその》徹《とほる》と相談《さうだん》して、漸《やうや》く捜《さが》し當《あ》てたのが五十ばかりの寡婦《くわふ》と十四五の男《をとこ》の子《こ》と二人《ふたり》切《き》りの或《ある》家《うち》。別《べつ》に生活《くらし》に困《こま》るのではないが、小人數《こにんず》で淋《さび》しくはあり、家《うち》に不用《ふよう》の室《ま》があるのだから、温和《おとなし》い人《ひと》になら貸《か》してもいゝといふのを、或所《あるところ》から聞込《きゝこ》み、早速《さつそく》談判《だんぱん》して承諾《しやうだく》を得《え》たのである。長《なが》い間《あひだ》手《て》を入《い》れぬと見《み》え、家《いへ》は隨分《ずゐぶん》古《ふる》びてゐるが、狹《せま》いながらも、庭《には》もあり、殊《こと》に自分《じぶん》共《ども》の借《か》りた二|階《かい》からは早稻田《わせだ》の森《もり》まで一|面《めん》に見渡《みわた》される。 で、二人《ふたり》は引越《ひきこ》した時《とき》、籖引《くじびき》で席《せき》を定《さだ》め、細野《ほその》は西《にし》自分《ゞぶん》は東《ひがし》に机《つくゑ》を据《す》え、勉强《べんきやう》時間《じかん》も定《き》めて、その間《あひだ》决《けつ》して無駄《むだ》話《ばなし》をしないことにした。互《たがひ》に負《ま》けぬやうに讀《よ》んでは考《かんが》へ、考《かんが》へては讀《よ》み、時々《とき〴〵》小聲《こごゑ》で話《はなし》をする外《ほか》、常《つね》に靜《しづ》かに机《つくゑ》に向《むか》つてゐるので女主人《かみさん》は非常《ひじやう》に感心《かんしん》し、自分《じぶん》共《ども》に向《むか》つて「貴下方《あなたがた》は屹度《きつと》御出世《ごしゆつせ》なさる」と褒《ほ》めそやし、暇《ひま》に任《ま》かせて、五月蠅《うるさ》い位《くらゐ》何《なに》かの世話《せわ》を燒《や》いて吳《く》れる。その上《うへ》來《く》る人《ひと》來《く》る人《ひと》に、自分《じぶん》等《ら》の噂《うはさ》を持出《もちだ》す。それも婆《ばあ》さんの癖《くせ》として、つまらぬことまで仰山《ぎやうさん》に吹聽《ふゐちやう》するので、二|階《かい》で聞《き》いてゐても可笑《をか》しくなる。「ほんとに今時《いまどき》珍《めづ》らしい書生《しよせい》さんですよ、お酒《さけ》を召上《めしあが》るぢやなし、寄席《よせ》を聞《き》きに一|度《ど》入《い》らつしやるぢやなし、」と褒《ほ》められるのは當前《あたりまへ》だが、時《とき》とすると「御飯《ごはん》だつてちよんびり[#「ちよんびり」に傍点]しか召上《めしあが》らない」と、さも感心《かんしん》したらしく褒《ほ》めることがある。
或日《あるひ》細野《ほその》がまだ學校《がくかう》から歸《かへ》らず、自分《じぶん》一人《ひとり》東《ひがし》の窓《まど》を開《あ》けて初秋《はつあき》の澄《す》んだ空《そら》を仰《あふ》ぎ、ぼんやりしてゐると、階下《した》で女主人《かみさん》が來客《らいきやく》に向《むか》つて、べちや〳〵お喋舌《しやべり》をしては笑《わら》つてるのが聞《きこ》える。相變《あひかは》らず自分《じぶん》共《ども》の自慢《じまん》をもしてゐるらしい。暫《しばら》くしてその話《はなし》聲《ごゑ》の消《き》えると、窓《まど》の下《した》の垣根《かきね》に若《わか》い女《をんな》が現《あら》はれ、自分《じぶん》を見上《みあ》げたが、急《きふ》に驚《おどろ》いて俯首《うつむ》いて、すた〳〵と通《とほ》り過《す》ぎた。色《いろ》の白《しろ》い細《ほつ》そりした女《をんな》で、髮《かみ》は束髮《そくはつ》、葡萄色《ぶだういろ》の羽織《はおり》を着《き》てゐた。自分《じぶん》は目《め》に映《うつ》つて直《す》ぐ消《き》えたこの姿《すがた》を思《おも》ひ浮《うか》べ、懷《なつか》しくて溜《たま》らない氣《き》がする。今《いま》女主人《かみさん》と話《はな》してた女《をんな》に違《ちが》ひないが、何處《どこ》の者《もの》だらうと、得意《とくい》の空想《くうさう》を逞《たくまし》うして、甞《かつ》て或《ある》處《ところ》で出會《であ》ひ、互《たが》ひに戀《こひ》を打明《うちあ》けやうとする間《うち》に何《なに》かに遮《さへぎ》られ、別《わか》れ別《わか》れになつた女《をんな》ではないかなどと、考《かんが》へてゐた。すると向《むか》ひの家《うち》の庭《には》から椽側《えんがは》へ上《あが》り、障子《しやうじ》を開《あ》けて内《うち》へ入《はい》る女《をんな》が見《み》える。後姿《うしろすがた》だけだが、束髮《そくはつ》で葡萄色《ぶだういろ》の羽織《はおり》、首筋《くびすじ》が滑《なめ》らかで白《しろ》い。自分《じぶん》は意外《いぐわい》に驚《おどろ》いたが、譯《わけ》なく悅《うれ》しかつた。「隣家《となり》には宮内省《くないしやう》の役人《やくにん》が住《す》んでゐて、別嬪《べつぴん》の娘《むすめ》さんがゐる」と、女主人《かみさん》が問《と》はず語《がた》りをしたことがあつて、自分《じぶん》は別《べつ》に氣《き》にも留《と》めなかつたが、あの女《をんな》を云《い》つたのだ。側《そば》にゐながら自分《じぶん》は一|度《ど》も見《み》たことがなかつたが、細野《ほその》はこの窓側《まどぎわ》に居《ゐ》るんだから、屹度《きつと》見《み》てゐたに違《ちが》ひない。 で、窓《まど》を離《はな》れずに、それからそれと考《かんが》へてゐる間《うち》、細野《ほその》が例《れい》の如《ごと》く、長《なが》い髮《かみ》をふは〳〵させ、沈《しづ》んだ顏《かほ》をして、白木綿《しろもめん》の風呂敷《ふろしき》包《づゝみ》を抱《いだ》いて歸《かへ》つて來《き》た。 「郊外《そと》がよくなつたね、僕《ぼく》は『經濟《けいざい》』を休《やす》んで、一|時間《じかん》落合《おちあひ》の方《はう》を散步《さんぽ》した」 と、細野《ほその》は包《つゝみ》を開《あ》けて、書物《しよもつ》や筆記帳《ひつきちやう》を取出《とりだ》し、キチンと机《つくゑ》の上《うへ》に重《かさ》ねた。 「さうか、これから又《また》戶山《とやま》の原《はら》で讀書《とくしよ》が出來《でき》るね」といつて、態《わざ》と平氣《へいき》で、「君《きみ》は向《むか》ひの娘《むすめ》を見《み》たか」と問《と》ふた。 「むん、何《なん》だか知《し》らんが、若《わか》い女《をんな》を一二|度《ど》見《み》たよ」と云《い》つて細野《ほその》は微笑《びせう》した。頰《ほゝ》も少《すこ》し紅味《あかみ》を帶《お》びる。 「美人《びじん》だね」 「品《ひん》のある女《をんな》だ」 これだけの話《はなし》で、自分《じぶん》は元《もと》の机《つくゑ》へ戾《もど》り、近世史《きんせいし》を讀《よ》みかけたが、頻《しき》りに心《こゝろ》が動搖《どうえう》して頁《ページ》が墓取《はかと》らない。 そも〳〵自分《じぶん》が細野《ほその》と親《した》しくなつたのはこの時《とき》から一|年前《ねんまへ》の秋《あき》である。それ迄《まで》は陰氣《いんき》な因循《いんじゆん》な、何《なん》となく齒切《はぎ》れの惡《わる》い男《をとこ》とのみ思《おも》ひ、打解《うちと》けて話《はなし》をすることもなかつた。所《ところ》が或《あ》る溫《あたゝ》かき小春日《こはるび》に自分《じぶん》が落合《おちあひ》の方《はう》へ散步《さんぽ》に行《ゆ》くと、土手《どて》の木蔭《こかげ》に背《せな》を靜《しづ》かな秋《あき》の日《ひ》に曝《さ》らして一|心《しん》に讀書《とくしよ》してる男《をとこ》がある。よく見《み》ると細野《ほその》だ。好奇心《こうきしん》から近《ちかづ》いて會釋《ゑしやく》し、 「何《なに》を讀《よ》んでるんです」 と、小形《こがた》の書物《しよもつ》をのぞくと、カツセル版《ばん》の「ウエルテルの悲哀《ひあい》」である。 「小說《せうせつ》ですか」と再《ふたゝ》び問《と》ふた。 「まあそんな者《もの》です」と、細野《ほその》は書物《しよもつ》を閉《と》ぢて懷《ふところ》に入《い》れたが目《め》が潤《うる》むでゐる。自分《じぶん》は不思議《ふしぎ》に感《かん》じて、 「それは哀《あは》れな小說《せうせつ》ですか」と聞《き》くと、 「え、主人公《しゆじんこう》が失戀《しつれん》で苦悶《くもん》して自殺《じさつ》するんです」 「君《きみ》はそんな者《もの》に同感《どうかん》しますか」 細野《ほその》は躊躇《ちうちよ》して、「君《きみ》はどうです」と問返《とひかへ》した。 「僕《ぼく》は無論《むろん》同感《どうかん》します、君《きみ》は」 「僕《ぼく》も同《おな》じ事《こと》です」 「そうですか、僕《ぼく》は君《きみ》が戀《こひ》に泣《な》く人《ひと》とは知《し》らなかつた。」と、自分《じぶん》はステツキで櫻《さくら》の枝《えだ》を叩《たゝ》きながら、「どうです一|緒《しよ》に其《そ》の邊《へん》を散步《さんぽ》しませんか」と促《うなが》すと、細野《ほその》は立上《たちあが》つて衣服《きもの》の埃《ほこり》を拂《はら》ひ、土手《どて》を駈《か》け下《お》りた。 で、二人《ふたり》は寄《よ》りつ離《はな》れつ、鐵道《てつだう》線路《せんろ》を橫切《よこぎ》つて田圃《たんぼ》道《みち》を步《あゆ》み、小說《せうせつ》の話《はなし》から戀《こひ》の議論《ぎろん》をした。その間《あひだ》にも細野《ほその》は目《め》を留《と》め耳《みゝ》を澄《す》まして、しんみりした周圍《しうゐ》の景色《けしき》を味《あぢは》つてゐるやうである。既《すで》に初雪《はつゆき》の降《ふ》つたといふ富士山《ふじさん》は白《しろ》く正面《しやうめん》に聳《そび》え、天《てん》は深《ふか》く澄《す》んで、雲《くも》もなく風《かぜ》もなく、只《たゞ》兵士《へいし》の射的《しやてき》のみが、物凄《ものすご》く空氣《くうき》を騷《さは》がせてゐる。 「僕《ぼく》は每日《まいにち》この界隈《かいわい》を散步《さんぽ》します」と、細野《ほその》は上目《うはめ》で空《そら》を仰《あふ》ぎ、「僕《ぼく》は靑《あを》い空《そら》を見《み》たり、白《しろ》い雲《くも》の漂《たゞよ》うてるのを見《み》ると、身體《からだ》が地《ち》の上《うへ》からふら〳〵飛《と》んで行《ゆ》くやうな氣《き》がするんです、自然《しぜん》という者《もの》は實《じつ》に神々《かう〴〵》しい美《うつく》しい者《もの》だ、それに何故《なぜ》人間《にんげん》ばかりは汚《きたな》いことや殘酷《ざんこく》なことをして下品《げひん》な生活《せいくわつ》を送《おく》つてるんでせう、昨日《きのふ》もね風《かぜ》が吹《ふ》いて寒《さむ》かつたけれど、此處《こゝ》を散步《さんぽ》して、木《こ》の葉《は》がさら〳〵と雨《あめ》の降《ふ》るやうに落《お》ちて、小鳥《ことり》が哀《あは》れさうに鳴《な》いてるのを聞《き》いてると、魂《たましひ》がとろける[#「とろける」に傍点]やうになりました。君《きみ》はどうです、自然《しぜん》を見《み》てそんな感《かん》じはしませんか。」 自分《じぶん》は左程《さほど》深《ふか》くは感《かん》じないのだが、細野《ほその》の言葉《ことば》に感心《かんしん》した所《ところ》だから、强《し》いて同意《どうい》して、 「僕《ぼく》も君《きみ》と同感《どうかん》です、つまり人間《にんげん》の慾望《よくばう》の中《うち》で最《もつと》も神聖《しんせい》な者《もの》は、自然《しぜん》を愛《あい》する心《こゝろ》と戀愛《れんあい》とでせう」 「自然《しぜん》に醉《ゑ》ひ戀《こひ》に醉《ゑ》ひか」と、細野《ほその》は銀《ぎん》の鈴《すゞ》でも鳴《な》らすやうな聲《こゑ》で、朗吟《らうぎん》して深《ふか》く自《みづ》から感《かん》じてゐる。自分《じぶん》は初《はじ》めて彼《か》れを面白《おもしろ》い男《をとこ》だと思《おも》つた。 で、これ迄《まで》の經歷《けいれき》を聞《き》くと、彼《か》れは作州《さくしう》津山《つやま》の生《うま》れ、縣《けん》の中學《ちうがく》を卒業《そつげふ》すると直《たゞ》ちに上京《じやうきやう》したが、學資《がくし》の支給《しきう》が充分《じふゞん》でないので、二三|年《ねん》で身《み》に藝《げい》をつけ、自活《じくわつ》した上《うへ》兩親《りやうしん》の世話《せわ》までせねばならぬ。その爲《ため》に止《や》むなく私立《しりつ》學校《がくかう》の政治科《せいぢくわ》へ入學《にふがく》したものゝ、元來《ぐわんらい》政治《せいぢ》や法律《はふりつ》は好《この》ましくない。だから學科《がくゝわ》を勉强《べんきやう》する傍《かたはら》、詩《し》や小說《せうせつ》を讀《よ》んで慰《なぐさ》めてゐるので、時々《とき〴〵》は自身《じゝん》でも新體詩《しんたいし》などを作《つく》るとのこと。 「先日《こないだ》も天使《エンゼル》の詩《し》を作《つく》つたんです、靑年《せいねん》男女《だんぢよ》の純潔《じゆんけつ》な戀《こひ》物語《ものがたり》を天《てん》の使《つかひ》が白雲《しらくも》の上《うへ》で聞《き》いてゐて、永久《えいきう》に戀《こひ》が醒《さ》めぬやうに神泉《しんせん》の水《みづ》を注《そゝ》ぎかけてやる所《ところ》を歌《うた》つたのです、近日《きんじつ》君《きみ》に見《み》せませう、批評《ひゝやう》して下《くだ》さい」 「そりや面白《おもしろ》い、是非《ぜひ》見《み》せて吳《く》れ玉《たま》へ、二三|日間《にちゝう》に訪問《はうもん》しますから」 自分《じぶん》は同級《どうきふ》の友人《いうじん》の多《おほ》くが、寄《よ》ると觸《さは》ると徒《いたづ》らに悲歌《ひか》慷慨《かうがい》して天下《てんか》國家《こくか》を談《だん》じ、或《あるひ》は淫猥《いんわい》な話《はなし》に耽《ふけ》るのを快《こゝろよ》く思《おも》はず、殊《こと》に酒《さけ》を呑《の》んで下女《げぢよ》に戯《たはむ》れたり、遊廓《いうくわく》に出入《しゆつにふ》するのを苦々《にが〳〵》しく感《かん》じ、卑俗《ひぞく》下劣《げれつ》の徒《と》と卑《いや》しみ、自分《じぶん》と趣味《しゆみ》の同《おな》じい學友《がくいう》のないのを遺憾《いかん》に思《おも》つてゐた所《ところ》だから、細野《ほその》に會《あ》つたのを無上《むじやう》に喜《よろこ》び、翌日《よくじつ》學校《がくかう》の歸《かへ》りに、彼《か》れの下宿《げしゆく》へ立寄《たちよ》つた。四|疊半《でふはん》で床《とこ》もない部屋《へや》だが、小《こ》さつぱりと取片付《とりかたづ》けてある。 「よく來《き》ましたね」と、情愛《じやうあい》のある聲《こゑ》で迎《むか》へられると、もう懷《なつ》かしくて悅《うれ》しくて溜《たま》らなかつた。それから奇麗《きれい》な文字《もじ》に滿《み》ちた天使《エンゼル》の詩《し》の朗吟《らうぎん》を聞《き》き、自分《じぶん》は批評《ひゝやう》どころではなく、一|字《じ》一|句《く》悉《こと〳〵》く感動《かんどう》させられ、自分《じぶん》もこんな詩《し》を作《つく》つて見《み》たいと、心底《しんそこ》から細野《ほその》の才《さい》が羨《うらや》ましくなつた。情死《じやうし》の是非《ぜひ》、自殺論《じさつろん》、精神《せいしん》の自由說《じいうせつ》、社會《しやくわい》の俗趣味《ぞくしゆみ》の攻擊《こうげき》、それからそれと話《はなし》の絕《た》ゆる暇《ひま》なく、遂《つひ》に晚飯《ばんめし》を共《とも》にして、夜《よ》の十|時《じ》頃《ごろ》迄《まで》腰《こし》を据《す》えた。 かくて二人《ふたり》は無《む》二の親友《しんいう》となつたのである。
(二)
「お神《かみ》さん、今《いま》來《き》てた女《をんな》は向《むか》ひの娘《むすめ》ですか」と、晚餐《ばんめし》の膳《ぜん》に向《むか》つて聞《き》くと、女主人《かみさん》は指《ゆび》の先《さ》きで長火鉢《ながひばち》の緣《ふち》をこすりこすり、微笑《びせう》して、 「貴下《あなた》御覽《ごらん》なすつて」 「え、一寸《ちよつと》見《み》ました」 「いゝ女《をんな》でせう、先《ま》づこの近所《きんじよ》では天神町《てんじんちやう》の煙草屋《たばこや》の娘《むすめ》か、隣《となり》の娘《こ》かが評判《ひやうばん》の女《をんな》ですけれど、どうして角力《すまふ》になる者《もの》ですか、第《だい》一|品《ひん》が違《ちが》ひまさあね、それに堤《つゝみ》のお多津《たつ》さんは、學問《がくもん》が大變《たいへん》お出來《でき》なさるし、生花《いけばな》であれ裁縫《ぬいもの》であれ、何《なに》一《ひと》つ女《をんな》の藝《げい》に缺《か》けたものはないので御座《ござ》いますよ、もう十九ですから彼方《あちら》からも此方《こちら》からも、お嫁《よめ》に吳《く》れろつて、やい〳〵云《い》つて來《く》るさうですがね、中々《なか〳〵》親御《おやご》が確《しつ》かり者《もの》だから、おいそれとは行《ゆ》かないんで御座《ござ》いますよ、それにもつと藝《げい》を仕込《しこ》んで、何處《どこ》へ出《だ》しても耻《はづ》かしくないものにしたいつてね」と、女主人《かみさん》は一息《ひといき》に喋舌《しやべ》つて、湯沸《ゆわか》しをチヤブ臺《だい》に置《お》き、「貴下方《あなたがた》も堤《つゝみ》さんへ御遊《おあそ》びに被入《いらつしや》いましな、今《いま》は旦那《だんな》が御用《ごよう》で西京《さいきやう》の方《はう》へ行《い》らしつて、無人《ぶにん》で淋《さび》しがつてゐられるんだから、お話《はなし》相手《あひて》でも出來《でき》ると、屹度《きつと》お喜《よろこ》びなさいますよ、些《ちつ》とも氣《き》の置《お》けぬ氣持《きもち》のいゝ家《うち》でね、私《わたし》共《ども》もよく伺《うかゞ》つては長話《ながばなし》をするんで御座《ござ》いますよ、昨日《きのふ》も奧《おく》さんに貴下方《あなたがた》のお話《はなし》を致《いた》しますと、大變《たいへん》褒《ほ》めて入《いら》つしやつたんですわ」 自分《じぶん》は平生《ふだん》女主人《かみさん》が物事《ものごと》を仰山《ぎやうさん》に云《い》ふのを苦々《にが〳〵》しく思《おも》つてゐたが、隣家《となり》の話《はなし》については少《すこ》しも疑《うたがひ》を挿《さしはさ》まなかつた。それに自分《じぶん》等《ら》の事《こと》をも隣《とな》りの家族《かぞく》に向《むか》つて大袈裟《おほげさ》に吹聽《ふゐちやう》したことゝ察《さつ》せられるが、それが少《すこ》しも厭《いや》な氣《き》がせぬのみか、却《かへつ》て悅《うれ》しい氣《き》がした。 しかし、自分《じぶん》はよく知《し》らぬ家《うち》へ推《おし》かけて行《ゆ》く勇氣《ゆうき》のあらう筈《はず》なく、只《たゞ》時々《とき〴〵》窓《まど》から隣《とな》りの庭《には》や緣側《えんがは》を見下《みくだ》し、その姿《すがた》が現《あら》はれるかと空賴《そらだの》みするのみであつた。隣《とな》りは平屋建《ひらやだ》てゞ左程《さほど》大《おほ》きくはないが、古色《こしよく》を帶《お》びて由緒《よし》ありげに見《み》え、庭《には》が可成《かな》りに廣《ひろ》く秋草《あきくさ》が垣根《かきね》に茂《しげ》り片隅《かたすみ》には小《ちい》さな畠《はたけ》がある。自分《じぶん》はその家庭《かてい》をも連想《れんさう》し、氣品《きひん》のある母《はゝ》と、古風《こふう》の父《ちゝ》と、かの素直《すなほ》な娘《むすめ》とが穩《おだや》かな生活《くらし》をしてゐる樣《さま》を思《おも》ひ浮《うか》べ、源氏《げんじ》物語《ものがたり》などにある床《ゆか》しい住居《すまゐ》を目《め》に見《み》てゐるやうに感《かん》じた。夜《よる》になり、冴《さ》えた月《つき》がその草《くさ》の生《は》へた屋根《やね》を照《て》らし、庭《には》の草叢《くさむら》では蟲《むし》が頻《しき》りに鳴《な》き出《だ》すと、向《むか》ひの家《いへ》が夢《ゆめ》の世界《せかい》になる。自分《じぶん》は憧憬《あこがれ》の目《め》を以《もつ》てそれを眺《なが》め、果《は》てのない空想《くうさう》の浮《うか》び、悅《うれ》しい悲《かなし》みが胸《むね》に滿《み》ちる。 こんな風《ふう》で二三|日《にち》を送《おく》つたが、あの女《をんな》が自分《じぶん》の念頭《ねんとう》を去《さ》らぬことは、少《すこ》しも細野《ほその》に語《かた》らない。細野《ほその》は又《また》卒業後《そつげふご》の責任《せきにん》を感《かん》じながら、絕《た》えず新體詩《しんたいし》に心《こゝろ》を取《と》られ、今《いま》も『知《し》られぬ戀《こひ》』などを作《つく》つてゐる。それで晚食《ばんめし》後《ご》散步《さんぽ》しながら、學問上《がくもんじやう》の議論《ぎろん》や卒業後《そつげふご》の生活《せいくわつ》方法《はうはふ》について互《たが》ひに語《かた》り合《あ》ふ時《とき》も、何時《いつ》の間《ま》にか肝心《かんじん》の話《はなし》が外《そ》れて、人生《じんせい》の問題《もんだい》や戀《こひ》の如何《いかん》が話題《わだい》に上《のぼ》り、熱心《ねつしん》に感想《かんさう》を述《の》べ意見《いけん》を闘《たゝか》はす。細野《ほその》は屡々《しば〳〵》ダンテの悲慘《ひさん》なる失戀《しつれん》に同情《どうじやう》を寄《よ》せて說《と》き、「人生《じんせい》は要《えう》するに悲慘《ひさん》だ」とお定《きま》りの結論《けつろん》をする。ロメオの悲戀《ひれん》、ハムレツトの煩悶《はんもん》、細野《ほその》はそれ等《ら》の物語《ものがたり》を凉《すゞ》しい聲《こゑ》で詩的《してき》の調子《てうし》を以《もつ》て話《はな》し、自分《じぶん》は眞面目《まじめ》に聞《き》いて、間接《かんせつ》に其等《それら》の主人公《しゆじんこう》に同感《どうかん》し、自分《じぶん》も彼等《かれら》と同《おな》じく、浮世《ゆきよ》の哀《あは》れを身《み》にひし〳〵と覺《おぼ》えてゐる一人《ひとり》だと信《しん》じてゐた。それと共《とも》にその哀《あは》れを解《かい》しない我々《われ〳〵》の仲間《なかま》は俗物《ぞくぶつ》だとの自負《じぶ》心《しん》も多少《たせう》ないでもなかつた。
(三)
舊曆《きうれき》八|月《ぐわつ》の十五|夜《や》、これから散步《さんぽ》に出《で》やうとしてる所《ところ》へ女主人《かみさん》が二|階《かい》の入口《いりぐち》へ首《くび》を出《だ》して、 「ね槇田《まきた》さん、今《いま》お隣《とな》りからお使《つか》ひが來《き》ましてね、今夜《こんや》お月見《つきみ》をするから、太郞《たらう》(女主人《かみさん》の子《こ》)と、それから貴下方《あなたがた》にも是非《ぜひ》入《い》らしつて下《くだ》さいと云《い》ふのですよ、行《い》つて御覽《ごらん》なさい、私《わたし》一人《ひとり》でお留守番《るすばん》しますから」と勸《すゝ》めた。
自分《じぶん》は飛立《とびた》つやうであつたが、態《わざ》と躊躇《ちうちよ》の體《てい》で、 「さうですね、細野君《ほそのくん》は行《ゆ》くかい」 「でも知《し》らん家《うち》へ行《い》くのは變《へん》だね」 「だつて太郞《たらう》もまゐるんですから、いゝぢやありませんか」 と、女主人《かみさん》は頻《しき》りに促《うな》がす。 「ぢや行《い》つて見《み》るかな、君《きみ》は」と聞《き》くと細野《ほその》も同意《どうい》した。 で、二人《ふたり》は太郞《たらう》について、裏木戶《うらきど》から庭《には》を橫切《よこぎ》つた。太郞《たらう》は緣側《えんがは》に立《た》つて、 「叔母《をば》さん來《き》ましたよ、皆《み》んなを連《つ》れて」と大聲《おほごゑ》で呼《よ》んだ。すると四十|位《ぐらゐ》の小柄《こがら》な女《をんな》と太郞《たらう》と同《おな》じ年輩《ねんぱい》の顏《かほ》の靑《あを》い男《をとこ》の子《こ》が奧《おく》から出《で》て來《き》て、 「よく入《い》らしつた、さあお上《あが》んなさい」と、頻《しき》りに後退《しりごみ》する自分《じぶん》等《ら》を、引張《ひつぱり》上《あ》げるやうにして座敷《ざしき》へ通《とほ》した。
自分《じぶん》は窮屈《きうくつ》に畏《かしこ》まつて只《たゞ》「はい〳〵」と受答《うけこた》へをしてゐたが、妻君《さいくん》は愛想《あいそ》よく、快活《くわいくわつ》な調子《てうし》で、絕間《たえま》なくいろんな世間《せけん》話《ばなし》を持出《もちだ》すので、自分《じぶん》も何時《いつ》の間《ま》にか釣込《つりこ》まれて、例《れい》の娘《むすめ》が枝豆《えだまめ》や白玉《しらたま》を盆《ぼん》に載《の》せて運《はこ》んで來《き》た時《とき》は、最早《もはや》膝《ひざ》も崩《くづ》れてゐた。 「私《わたし》は面倒《めんだう》臭《くさ》い世態話《しよたいばなし》は大嫌《だいきら》ひな性分《しやうぶん》で御座《ござ》いましてね、若《わか》い方《かた》と一|緖《しよ》になつて、罪《つみ》のないお話《はな》しをするのが一|番《ばん》面白《おもしろ》いんで御座《ござ》いますよ、ですからどうか度々《たび〳〵》入《い》らつして下《くだ》さいましな、此頃《このごろ》は主人《あるじ》が留守《るす》だし、小人數《こにんず》で本當《ほんたう》に淋《さび》しくてね、退屈《たいくつ》で〳〵困《こま》つてるので御座《ござ》いますよ」と白玉《しらたま》をコツプに盛《も》つて、砂糖《さとう》をぶつかけて吳《く》れた。妻君《さいくん》は痩《や》せて目《め》の下《した》に小皺《こじは》があるが、顏立《かほだち》は娘《むすめ》によく似《に》てゐる。娘《むすめ》は岐阜《ぎふ》提灯《ぢやうちん》を點火《とも》して軒《のき》に釣《つ》るし、母《はゝ》の側《そば》に座《すわ》つた。太郞《たらう》は緣側《えんがは》で白玉《しらたま》を頰張《ほゝば》りながら、靑白《あをじろ》い子息《こども》と、蟲籠《むしかご》を弄《もてあそ》んでゐる。 「今夜《こんや》はいゝお月樣《つきさま》だ」と、妻君《さいくん》は仰視《あふむ》いて空《そら》を見上《みあ》げた。 「私《わたし》はこんな晚《ばん》には哀《あは》れな音樂《おんがく》が聞《き》きたくなります」と細野《ほその》が云《い》つた。 「音樂《おんがく》がお好《す》きなの、では此女《これ》がもつと上手《じやうず》だとお聞《き》かせ申《まを》すんですけれど」 「琴《こと》がお上手《じやうず》だつて云《い》ふぢやありませんか、聞《きか》せて頂《いたゞ》くといゝんだが」 「だつて暫《しば》らくお稽古《けいこ》を止《や》めてますから」と娘《むすめ》は低《ひく》い聲《こゑ》で云《い》つて、澄《すま》してゐる。細野《ほその》も自分《じぶん》も强《し》いて求《もと》むる勇氣《ゆうき》はない。 「細野《ほその》君《くん》は新體詩《しんたいし》の朗讀《らうどく》が上手《じやうず》です、全《まつた》く音樂《おんがく》的《てき》です」と自分《じぶん》は座興《ざきよう》を增《ま》すやうにと差出口《さしでぐち》を聞《き》いた。 「おやさう、是非《ぜひ》聞《きか》せて下《くだ》さいましな」と、妻君《さいくん》が促《うなが》すので、細野《ほその》は初《はじ》め一寸《ちよつと》辭退《じたい》したが、遂《つひ》に中音《ちうおん》で「天使《エンゼル》の歌《うた》」を吟《ぎん》じた。こんな場合《ばあひ》、細野《ほその》の性質《せいしつ》として別《べつ》に氣取《きど》りもせず羞耻《はにかみ》もせぬから、如何《いか》にも聲《こゑ》が自然《しぜん》で歌《うた》ひ振《ぶり》が面白《おもしろ》かつた。妻君《さいくん》は口《くち》を極《きは》めて褒《ほ》め、娘《むすめ》は莞爾《につこり》して「いゝ聲《こゑ》だわねえ」と母《はゝ》を見《み》て云《い》つた。 「槇田《まきだ》さんも何《なに》か隱《かく》し藝《げい》がおありなさるでせう」と、妻君《さいくん》が自分《じぶん》の方《はう》を見《み》る。 「いえ僕《ぼく》は駄目《だめ》です、詩吟《しぎん》位《ぐらゐ》だから」と自分《じぶん》は氣乗《きの》りもしなかつたが、あまりに攻《せ》められるので、詮方《せんかた》なく簡短《かんたん》に漢詩《かんし》を怒鳴《どな》つたが、あまり感心《かんしん》はされなかつたらしい。それから太郞《たらう》の軍歌《ぐんか》があつて、互《たが》ひに打解《うちと》けて來《く》ると、妻君《さいくん》はトランプでもと云《い》ひ出《だ》したが、自分《じぶん》等《ら》は後日《ごじつ》を期《き》して宿《やど》へ歸《かへ》つた。 これから堤《つゝみ》の家族《かぞく》と懇意《こんい》になり、二三|度《ど》訪《たづ》ねても行《い》き、その度《たび》每《ごと》に妻君《さいくん》は機嫌《きげん》よく迎《むか》へて吳《く》れるが、娘《むすめ》は何時《いつ》も口數《くちかず》が少《すくな》く、ツンとした態度《たいど》を執《と》つてゐる。自分《じぶん》は東京《とうきやう》の若《わか》い女《をんな》に全《まつた》く知邊《しるべ》のないためか、これに對《たい》しては一|種《しゆ》の畏《おそ》れを感《かん》じて居《を》り、殊《こと》に堤《つゝみ》の娘《むすめ》は神々《かう〴〵》しいやうで、あまり馴《な》れ〳〵しく言葉《ことば》を掛《か》けると、無禮《ぶれい》を咎《とが》められはせぬかと思《おも》つた。で、たまたま「欝陶《うつとう》しいお天氣《てんき》ですこと」とか、「どちらへ御散步《ごさんぽ》に行《いら》つしやつたの」とか、何《なん》でもない挨拶《あいさつ》をされた丈《だけ》で、非常《ひじやう》に愉快《ゆくわい》に感《かん》じてゐた。 「何故《なぜ》あの女《をんな》はあゝ冷《コールド》なんだらう」と細野《ほその》に問《と》ふと、細野《ほその》は、 「肉感《にくかん》が乏《とぼ》しいからだらう、純潔《じゆんけつ》な女《をんな》は冷《ひやゝ》かに見《み》えるんだ、しかしあれで戀《こひ》を感《かん》じやうなら、顏《かほ》に生命《いのち》が現《あら》はれて溫味《あたゝかみ》を帶《お》びて來《く》るよ」と鹿爪《しかつめ》らしく說《と》く。 「さうかも知《し》れん、しかしあの女《をんな》はまだ戀《こひ》を感《かん》じたことがないんだらうか。」 「無《な》いとも、戀《こひ》した目《め》と戀《こひ》しない目《め》とは、ちやんと區別《くべつ》がある。」 「さうかね」と、自分《じぶん》は一も二もなく同意《どうい》して、只《たゞ》その戀《こひ》する目《め》を見《み》たいと思《おも》つた。しかし自分《じぶん》がこの二|階《かい》で、軟《やはら》かい空想《くうさう》に包《つゝ》まれながら、矢鱈《やたら》に勉强《べんきやう》する平和《へいわ》の時代《じだい》は長《なが》くは續《つゞ》かなかつたのである。
(四)