何處へ

Part 8

Chapter 8 16,752 words Public domain Markdown

彼《か》れは小學校《せうがくかう》も二|年《ねん》で止《や》めた。繪畫《くわいぐわ》の敎育《けういく》など更《さら》に受《う》けたことがない。しかし何時《いつ》の間《ま》にか獨《ひと》りで工夫《くふう》して書《か》き出《だ》した。少《ちいさ》い時《とき》から棒切《ぼうつき》れで地上《ちじやう》に描《か》いたり、消墨《けしずみ》で板《いた》に描《か》いたりした。草紙《さうし》へも碌《ろく》に手習《てなら》ひはせず、虎《とら》や人形《にんぎやう》を書《か》いてゐた。十三|歲《さい》の初夏《しよか》、大酒《おほざけ》呑《のみ》の父《ちゝ》が、麥刈《むぎかり》最中《さいちう》に發狂《はつきやう》してから、詮方《せんかた》なく自分《じぶん》も日雇稼《ひやうかせ》ぎをして、一|家《か》の活計《くらし》を助《たす》けたが、チビ松《まつ》と綽名《あだな》を付《つ》けられる位《くらゐ》、身體《からだ》が小《ちい》さくて弱《よわ》いため、人並《ひとなみ》の仕事《しごと》は出來《でき》ず、一|日《にち》鍬《くわ》を持《も》つと關節《ふし〴〵》が挫《くぢ》けるやうであつた。と云《い》つて一|日《にち》惰《なま》ければ、一|日《にち》食《く》はずにゐねばならぬ。狹《せま》い田舎《ゐなか》だから、力業《ちからわざ》をしなければ外《ほか》に糊口《くちすぎ》の道《みち》もない。泣《な》いても叫《さけ》んでも一|生《しやう》野良《のら》仕事《しごと》をして、鍬《くわ》と心中《しんぢう》する覺悟《かくご》を定《き》めねばならなかつた。所《ところ》が或《ある》正月《しやうぐわつ》豐年《ほうねん》祝《いは》ひとして、若《わか》い衆《しう》が勸進元《くわんじんもと》で村《むら》芝居《しばゐ》を催《もよほ》すことゝなり、寄《よ》つて集《たか》つて衣裳《いしやう》や小道具《こだうぐ》を借《か》り集《あつ》め、出《だ》し物《もの》も千本櫻《せんぼんざくら》に阿波鳴門《あはのなると》と定《きま》つたが、困《こま》るのは書割《かきわり》だ。無《な》くても濟《す》むが、凝《こ》り性《しやう》の連中《れんぢう》は、夫《そ》れ迄《まで》大趣向《だいしゆこう》を廻《めぐ》らし、どえらい[#「どえらい」に傍点]物《もの》を拵《こしら》へて播州《ばんしう》あたりの本職《ほんしよく》の役者《やくしや》をも驚《おどろ》かしてやらうと云《い》ひ出《だ》した。で、村中《むらぢう》で繪心《ゑごゝろ》のある者《もの》を捜《さが》して、間《ま》に合《あは》せに描《か》かすことゝなり、評定《ひやうでう》の結果《けつくわ》吉松《きちまつ》が命《めい》を受《う》けた。古老《こらう》の指圖《さしづ》で、木綿《もめん》の白布《しろぬの》や、數枚《すうまい》繼合《つぎあは》せた繪畫《くわいぐわ》用紙《ようし》に、鳥居《とりゐ》に玉垣《たまがき》、椎《しい》の木《き》などを描《か》いた。それが思《おも》ひの外《ほか》の出來《でき》榮《ばえ》なので、急《きふ》に彼《か》れの畫才《ぐわさい》が一|村《そん》の漁夫《れうふ》や百|姓《しやう》に認《みと》められ、次第《しだい》に隣村《りんそん》にも知《し》られるやうになつた。この界隈《かいわい》の五|月《ぐわつ》幟《のぼり》、漁夫《れうし》の崇《あが》める惠比壽《ゑびす》大黑《だいこく》の掛物《かけもの》は皆《みな》彼《か》れの筆《ふで》を煩《わづら》はすのである。 * * * * * * 彼《か》れは依賴者《いらいしや》にかの布繪《ぬのゑ》を渡《わた》して、五六十|錢《せん》のお禮《れい》を貰《もら》ひ、それから磯傳《いそづた》ひに二三|軒《げん》未納者《みなうしや》を訪《たづ》ねたが、何《いづ》れも氣持《きもち》よく拂《はら》つて吳《く》れる。 「吉《きち》ヤ汝《われ》や每歲《まいとし》繪《ゑ》が上手《じやうず》になるぜ」「今歲《ことし》の淸正《きよまさ》はどえらい[#「どえらい」に傍点]元氣《げんき》がえゝ、厄病神《やくびやうがみ》も逃《に》げてしまう」と、行《ゆ》く先々《さき〴〵》で褒《ほ》めて吳《く》れる。で、吉松《きちまつ》は袂《たもと》の中《なか》に錢《ぜに》の音《おと》をさせ、大得意《だいとくい》で心《こゝろ》は急《せ》いても、わざとゆつくり[#「ゆつくり」に傍点]步《ある》いて、お竹《たけ》を捜《さが》しに行《ゆ》きかけた。日《ひ》は山《やま》の端《は》近《ちか》くなり、潮《しほ》も退《ひ》きかけ、半《なか》ば海《うみ》へ突出《つきで》た駄菓子屋《だぐわしや》の支柱《つゝかいぼう》は、濡《ぬ》れたまゝ根本《ねもと》を露《あら》はしてゐる。店前《みせさき》には多數《たすう》の若《わか》漁夫《れうし》が陣取《ぢんど》り、粟《あわ》おこし[#「おこし」に傍点]やら大福餅《だいふくもち》やら、てんでに攫《つか》んでは食《く》ひ、大聲《おほごゑ》で笑《わら》つたり叫《さけ》んだりしてゐる。彼等《かれら》の話題《わだい》に上《のぼ》る者《もの》は、大抵《たいてい》は喧嘩《けんくわ》か女《をんな》、或《あるひ》は賭博《ばくち》、しかも四邊《あたり》かまはず露骨《ろこつ》な言葉《ことば》で持切《もちき》りだ。たま〳〵澁皮《しぶかは》の剝《む》けた若《わか》い女《をんな》でも通《とほ》れば、戯《ふざ》けた口《くち》を利《き》いて、大勢《おほぜい》でどつと囃《はや》し立《た》てるは愚《おろ》か、惡《わる》くすると道《みち》邪魔《じやま》をして罪《つみ》な諧戯《からかひ》を始《はじ》めることもある。又《また》中《なか》には諧戯《からかは》れたがつて、自分《じぶん》で押《おし》かけ、簪《かんざし》位《ぐらゐ》奢《おご》らせてやらうと云《い》ふ女《をんな》もある。漁夫《れうし》の休日《きうじつ》にはこの駄菓子屋《だぐわしや》が倶樂部《くらぶ》になつて、時《とき》には賭博宿《ばくちやど》も兼《か》ねるのだ。

吉松《きちまつ》は何氣《なにげ》なくこの店先《みせさき》を通《とほ》りかゝり、ふと氣《き》が付《つ》いて見《み》ると、意地《いぢ》の惡《わる》い奴等《やつら》が揃《そろ》つてゐる。牙齒《きば》の龜《かめ》もゐる、備前《びぜん》德利《とくり》の米《よね》もゐる。ダニの虎《とら》、猪首《ゐくび》の鶴《つる》、村《むら》を騷《さわ》がす連中《れんぢう》が皆《みな》久振《ひさしぶ》りで歸《かへ》つてゐる。惡《わる》い所《ところ》へ來合《きあ》はせた。あれ等《ら》に掛《かゝ》り合《あ》つちや碌《ろく》な事《こと》はないと、知《し》らん顏《かほ》で行過《ゆきす》ぎやうとすると、鶴《つる》が素早《すばや》く見《み》つけて「吉公《きちこう》ぢやないか、まあ寄《よ》れいよ」と呼留《よびと》めた。吉松《きちまつ》は仕方《しかた》なしに振向《ふりむ》いて、「今日《けふ》用《よう》が殘《のこ》つとるから遊《あす》んぢや居《を》れん」と、一寸《ちよつと》お世辭《せじ》笑《わらひ》をして行《ゆ》かうとしたが、「まあそないに云はずに寄《よ》れと云《い》うたら寄《よ》れいよ」と云《い》ふと共《とも》に、龜《かめ》は駈《か》け出《で》て、兩手《りやうて》を開《ひら》いて道《みち》を防《ふさ》いだ。 「今日《けふ》は堪《こら》へて吳《く》れ」と吉松《きちまつ》は情《なさけ》ない聲《こゑ》で云《い》つて、くゞり拔《ぬ》けやうとしたが、龜《かめ》は肩《かた》を攫《つかま》へて離《はな》さない。 「さうら逃《に》げるなら逃《に》げて見《み》い、鳴門《なると》の海《うみ》を漕《こ》ぎ切《き》つた腕《うで》ぢや」 吉松《きちまつ》は鷹《たか》に攫《つか》まつた小雀《こすゞめ》、爭《あらそ》ふも無駄《むだ》だから、そのまゝ小《ちい》さくなつて店《みせ》へ引摺《ひきずり》込《こ》まれた。袂《たもと》の銀貨《ぎんくわ》がヂヤラ〳〵音《おと》を立《た》てる。 「汝《われ》も澤山《たんと》錢《ぜに》を持《も》つてけつかるな」と、龜《かめ》は吉松《きちまつ》の袂《たもと》を握《にぎ》つて重味《おもみ》を量《はか》り、牙齒《きば》を剝《む》き出《だ》して笑《わら》ふ。 「汝《われ》に聞《き》くことがあるから、まあ坐《すわ》れい」と、年長《としかさ》の虎《とら》は後退《あとずさ》りして席《せき》を空《あ》けて、吉松《きちまつ》を坐《すわ》らせ、「吉公《きちこう》は何時《いつ》見《み》ても白瓜《しろうり》のやうな顏《かほ》しとる、何處《どこ》か工合《ぐあひ》が惡《わる》いんか、大事《だいじ》にせえよ、汝《われ》が煩《わづ》らうと、家《うち》の者《もの》あ乞食《こじき》せねや饑《かつ》え死《じ》にぢや」と柔《やさ》しく云《い》つたが、吉松《きちまつ》は厭《いや》な氣《き》がした。自分《じぶん》が死《し》ねば母《はゝ》と妹《いもと》とは乞食《こぢき》をするのは分《わか》つてゐる。それに母《はゝ》は乞食《こぢき》を恥《はぢ》とするやうな人《ひと》ぢやない。で、彼《か》れは魔《ま》がさしたやうに自分《じぶん》の死後《しご》を思《おも》つて、鬱《ふさ》ぎ込《こ》んで默《だま》つてゐると、米《よね》は鼻《はな》に皺《しわ》を寄《よ》せてヒツ〳〵と笑《わら》《わら》つて、 「思案《しあん》投首《なげくび》で何《なに》をしとる、衒妻《げんさい》の事《こと》でも考《かんが》へとるか、汝《われ》やお竹《たけ》と夫婦《めをと》約束《やくそく》したちうぢやないか、」 「さうぢや〳〵、誰《た》れやらがそんな噂《うはさ》をしとつた」 「汝《われ》も中々《なか〳〵》惡《わる》さをするのう、私等《わしら》が一寸《ちよつと》漁《れう》に出《で》て村《むら》に居《を》らん間《ま》に、こつそり女子《をなご》を拵《こしら》へるたあ、汝《われ》もえらいぞ、祝《いは》ひに酒《さけ》でも奢《おご》らんか、その袂《たもと》の錢《ぜに》で」 と、皆《み》んなで面白《おもしろ》さうに色《いろ》んな事《こと》を云《い》つて、冷《ひや》かしては笑《わら》ひ、笑《わら》つては冷《ひや》かす、吉松《きちまつ》は我知《われし》らず袂《たもと》を握《にぎ》り締《し》め、 「虛言《うそ》ぢや〳〵、そがいな事《こと》があるもんか」と、狼狽《あは》てゝ云《い》つて、顏《かほ》を少《すこ》し赤《あか》くした。 「隱《かく》さんでもえゝわ、ぢやけど汝《われ》もお竹《たけ》だけは諦《あき》らめい、あの女子《をなご》はな、ちやんと主《ぬし》が定《きま》つとるんぢやぞ」と、虎《とら》は毛脛《けずね》を出《だ》して胡座《あぐら》を搔《か》き、澄《す》ました顏《かほ》で煙草《たばこ》を吸《す》つてゐる。

吉松《きちまつ》は一|座《ざ》を見廻《みまわ》して、最後《さいご》に目《め》を丸《まる》くして、虎《とら》の顏《かほ》を見詰《みつ》めた。 「お竹《たけ》にやちやんと主《ぬし》がある」と、虎《とら》は繰返《くりかへ》して、「汝《われ》やまだ知《し》るまいが、彼女《あれ》は源兄《げんあに》の者《もの》に定《きま》つとるんぢや、源兄《げんあに》が去年《きょねん》土佐《とさ》へ行《ゆ》く時《とき》、お竹《たけ》は己《おら》が嫁《よめ》にする、五|月《ぐわつ》の節句《せつく》に歸《かへ》るまで、彼女《あれ》に手《て》でも觸《さは》つて見《み》い、承知《しやうち》せんぞと、私等《わしら》に云《い》ひ付《つ》けたんぢや、汝《われ》も氣《き》を付《つ》けい、うつかり[#「うつかり」に傍点]してお竹《たけ》の惚氣《のろけ》でもぬかす[#「ぬかす」に傍点]と源兄《げんあに》に首《くび》つ玉《たま》あ捻《ね》ぢ切《き》られるぞ。」 その様子《やうす》が萬更《まんざら》戯言《じやうだん》でもなささうなので、吉松《きちまつ》は眞靑《まつさを》になつて震《ふる》えた。頭《あたま》を奇麗《きれい》に刈込《かりこ》んだ新客《しんきやく》が入《はい》つて來《き》て、漁《れう》の話《はなし》を仕掛《しか》け、虎《とら》の仲間《なかま》は最早《もはや》吉松《きちまつ》を相手《あひて》にしなくなつた。鶴《つる》は何時《いつ》の間《ま》にか大《だい》の字《じ》に寢《ね》て鼾《いびき》をかいてゐる。

吉松《きちまつ》はこそ〳〵と外《そと》へ出《で》た。もう二月《ふたつき》も手入《てい》れをせぬ髮《かみ》は小《ちい》さい耳朶《みゝたぼ》を蔽《おほ》ひ隱《かく》し、細《こま》かい棒縞《ぼうじま》の單衣《ひとへ》は華《はな》やかな夕陽《ゆふひ》に照《て》りつけられ、繪具《ゑのぐ》の名殘《なごり》が黑《くろ》く靑《あを》く光《ひか》つてゐる。虎《とら》の威嚇《おどし》文句《もんく》がまだ耳元《みゝもと》で鳴《な》つてるやうで、彼《か》れの魂《たましひ》はくら〳〵して身《み》に添《そ》はぬ。源《げん》と云《い》へば駐在所《ちうざいしよ》の巡査《じゆんさ》も恐《おそ》れて手出《てだ》しをせぬ程《ほど》の暴《あば》れ者《もの》。腕力《うでぢから》が强《つよ》くて三|人前《にんまへ》の仕事《しごと》もする代《かは》り、癇《かん》に觸《さは》ると、出刃《でば》庖丁《ぼうちやう》を振《ふ》り翳《かざ》すのが評判《ひやうばん》の癖《くせ》だ。十五六で魚賣《さかなう》りをしてる時分《じぶん》から、魚源《うをげん》命知《いのちし》らずと、饅頭笠《まんぢうがさ》に書《か》いて隣村《となりむら》へも名《な》の通《とほ》つてる男《をとこ》だ。虎《とら》でも龜《かめ》でも源《げん》にや道《みち》を避《よ》けて諂言《おべつか》の一《ひと》つも云《い》ふ。彼《か》れに見込《みこ》まれちや、厄病神《やくびやうがみ》に取付《とつゝ》かれたやうなもの。何《なん》だつて私《わ》しやお竹《たけ》なんか思《おも》つたことか。

彼《か》れは源《げん》が下駄《げた》で旅商人《たびあきんど》を滅多打《めつたう》ちにしたこと。大酒《おほざけ》飮《の》んで素裸《すつぱだか》で村長《そんちやう》の家《うち》へ怒鳴《どな》り込《こ》んだことなど思《おも》ひ出《だ》してぞつ[#「ぞつ」に傍点]とした。お竹《たけ》を呼出《よびだ》す計畵《もくろみ》なんか頭《あたま》の中《なか》から消《き》えてしまひ、只《たゞ》源《げん》の顏《かほ》ばかり目《め》に浮《うか》ぶ。何故《なぜ》源《げん》の船《ふね》が土佐沖《とさおき》で沈沒《ちんぼつ》しなかつたんだらう。何故《なぜ》鳴戶《なると》の渦《うづ》に捲《ま》き込《こ》まれなかつたのだらう。何故《なぜ》私《わし》を庇《かば》つて吳《く》れた人《ひと》のいゝ芝居《しばゐ》好《ず》きの作藏《さくざう》爺《ぢい》が早《はや》く死《し》んで、源《げん》のやうな奴《やつ》は虎烈剌《これら》にも罹《かゝ》らぬのだらう。

吉松《きちまつ》は神社《じんじや》の方《はう》へ向《むか》つて石《いし》ころ道《みち》を辿《たど》つた。道《みち》の左右《さいう》には貝殻《かいがら》の塚《つか》が所々《ところ〴〵》に築《きづ》かれ、真紅《しんく》の石榴《ざくろ》の花《はな》が白壁《しらかべ》の側《そば》に咲《さ》いてる。彼《か》れは夢心地《ゆめごゝち》でそれを見《み》てゐたが、太皷《たいこ》の音《おと》や鈴《すゞ》の音《おと》がます〳〵賑《にぎ》やかに聞《きこ》える。子供《こども》等《ら》は祭《まつり》ででもあるやうに、群《むれ》をなして玉垣《たまがき》の前《まへ》を飛《と》んだり跳《は》ねたりしてゐる。 「兄《ああ》よ」と、突如《だしぬけ》に聲《こゑ》がした。

驚《おどろ》いて見《み》ると、初野《はつの》は眞向《まむか》ひに立《た》つてキヨロ〳〵してゐる。鹽《しほ》たれた單衣《ひとへ》を赤《あか》い扱帶《しごき》で締《し》め、埃《ほこり》に染《そ》める白茶《しらちや》けた髮《かみ》を藁《わら》で茶筅《ちやせん》のやうに結《むす》び、顏《かほ》から首《くび》へかけて垢《あか》で塗《ぬ》られてゐる。 「兄《ああ》よ、お前《まへ》時《とき》さんに會《あ》はなんだか」と、尙《なほ》前後《ぜんご》を見廻《みまは》す。 「會《あ》ふもんか、汝《われ》ももう家《うち》へ戾《もど》れ、お母《かあ》が柏餅《かしはもち》を拵《こし》らへて待《ま》つとるから」と、吉松《きちまつ》が手《て》を執《と》ると、 「柏餅《かしはもち》か」と云《い》つて笑《わら》つたが、又《また》身《み》を藻搔《もが》いて手《て》を振放《ふりはな》し、 「そいでも、時《とき》さんが私《わし》を捜《さが》しとると、皆《みん》なが云《い》ふから、あの人《ひと》に會《あ》はにやならんもの」と呟《つぶや》いて、鳥居《とりゐ》の前《まへ》をウロ〳〵してゐる。以前《さつき》から玉垣《たまがき》に寄《よ》りかゝり初野《はつの》を調戯《からか》つて喜《よろこ》んでた連中《れんぢう》は、此方《こちら》を見《み》て「初野《はつの》さん〳〵、時《とき》さんはお地藏様《ぢざうさま》へ行《い》つた」と囃《はや》し立《た》てゝ、どつ[#「どつ」に傍点]と笑《わら》つた。 「本當《ほんたう》にお地藏樣《ぢざうさま》へ行《い》つたのかな」と勢《いきほひ》のない聲《こゑ》で云《い》つて、初野《はつの》は西《にし》の方《はう》へフラフラ步《ある》いて行《ゆ》く。

吉松《きちまつ》は情《なさけ》なくなつて淚《なみだ》を浮《うか》べた。この瞬間《しゆんかん》恐《おそ》ろしい源《げん》の事《こと》を忘《わす》れ、只《たゞ》白痴《ばか》の妹《いもと》が年中《ねんぢう》村《むら》の子供《こども》の玩具《おもちや》になるのを恥《はづか》しく思《おも》つた。そして悄然《しよんぼり》家《うち》へ歸《かへ》ると、母《はゝ》は膳《ぜん》を出《だ》したまゝ、板《いた》の間《ま》へ眠《ねむ》つてゐて、頭《あたま》の側《そば》には一《ひと》つ二《ふた》つの蚊《か》が幽《かす》かな音《おと》を立《た》てゝ飛《と》んでゐる。

(三)

吉松《きちまつ》は酒《さけ》も飮《の》まぬ。唄《うた》も唄《うた》へぬ。漁師《れうし》仲間《なかま》とは性《しやう》が合《あ》はぬから、平生《ふだん》仲《なか》のよい友逹《ともだち》は少《すくな》い。今夜《こんや》の集合《よりあひ》にも誘《さそ》ひに來《く》る者《もの》もなく、又《また》とても行《ゆ》く氣《き》にもなれぬ。で、早《はや》く晚食《ばんしよく》を濟《す》ませ、神棚《かみだな》の燈明皿《とうみやうざら》に燈火《あかり》をつけ、上《あが》り框《かまち》に腰《こし》を掛《か》けて沈《しづ》んでゐた。昨夜《ゆうべ》は幟《のぼり》に忙《いそが》しくて何《なん》となく悅《うれ》しかつたが、今夜《こんや》からは繪《ゑ》の仕事《しごと》もなくなつた。平生《ふだん》なら夜業《よなべ》に草鞋《わらじ》を造《つく》るのだが、今夜《こんや》は肩《かた》が怠《だる》くて氣分《きぶん》が欝《ふさ》いで槌《つち》を持《も》てさうでもない。婆《ばあ》さんは行燈《あんどん》も點火《とぼ》さず、燈明《とうみやう》の光《ひかり》で絲《いと》を紡《つむ》いでゐる。數町《すうちやう》を隔《へだ》てた宮《みや》では太皷《たいこ》の音《おと》がます〳〵賑《にぎ》やかに聞《き》こえる。 「吉《きち》よ、汝《われ》や錢《ぜに》を何處《どこ》へ置《お》いたか」と、母《はゝ》に問《と》はれて、吉松《きちまつ》は振返《ふりかへ》り。 「其處《そこ》の戶棚《とだな》に入《はい》つとらあ」と云《い》つて、薄光《うすあか》りに緖卷《をまき》の絲《いと》のブル〳〵震《ふる》ふのを見《み》てゐる。 「何《なん》ぼ溜《たま》つたか」 「今月《けふ》は三|圓《ゑん》ばかし貰《もら》うて來《き》た。まだ三|軒《げん》殘《のこ》つとらあ」 「そがい[#「そがい」に傍点]に吳《く》れたかい、そいぢやえゝお節句《せつく》が出來《でき》るなあ、お母《かあ》も明日《あした》はお高姊《たかねえ》の宅《うち》へお祈禱《はらひ》に賴《たの》まれとるから、又《また》錢《ぜに》になるし、麥《むぎ》の二|俵《ひやう》や三|俵《びやう》は庭《には》へ積《つ》めるわい、汝《われ》も嫁《よめ》を娶《と》るなら今《いま》が丁度《ちやうど》えゝ機會《しほ》ぢや、誰《だ》れでも好《す》きな女子《をなご》がありや連《つ》れて來《こ》い」 「私《わし》や嫁《よめ》を娶《と》らんでもえゝ、一|生《しやう》獨《ひと》りで暮《くら》すんぢや」 「そいでも、今朝《けさ》は嫁《よめ》を娶《と》りたいと云《い》ふたぢやないか、芳《よし》でも鶴《つる》でも梅《うめ》でも皆《み》んな嫁《よめ》があるんじやもの、汝《われ》も欲《ほ》しからうがな」 婆《ばあ》さんの聲《こゑ》は欠伸《あくび》まぜりで、次第《しだい》に絲車《いとぐるま》も間斷勝《とだえが》ちになる。吉松《きちまつ》は時折《ときをり》話《はな》しかけられても碌《ろく》に答《こた》へぬ。で、暫《しば》らく母子《おやこ》脊合《せなかあ》はせで默《だま》つてゐると、何時《いつ》の間《ま》にか初野《はつの》が勝手口《かつてぐち》からノロ〳〵入《はい》つて來《き》た。白痴《ばか》の中《うち》でも陽氣《やうき》に騷《さは》ぐ方《はう》ではなし、口數《くちかず》は少《すくな》く戶外《そと》へ出《で》るにも歸《かへ》るにも、大抵《たいてい》は忍《しの》び足《あし》で、家《うち》の者《もの》にも氣《き》づかぬ位《くらゐ》だ。兩方《りやうはう》の袖口《そでくち》を持《も》つて、しよんぼり[#「しよんぼり」に傍点]庭《には》に突立《つゝた》つたまゝ左右《さいう》を見廻《みまわ》し、 「お母《かあ》、家《うち》は暗《くら》いなあ、兄《ああ》よ、お宮《みや》は賑《にぎ》やかぢやぞ」と、低《ひく》い聲《こゑ》で云《い》つて、草履《ざうり》を引摺《ひきず》つて又《また》戶外《そと》へ出《で》かけた。 「初《はつ》は朝《あさ》から御飯《ごはん》も食《た》べいで、何《なに》をしとるんなら、もう何處《どこ》へも行《い》かいで、早《はや》うお夕飯《ゆふはん》を食《た》べなよ」 と、婆《ばあ》さんは猫撫聲《ねこなでごゑ》で云《い》つたが、初野《はつの》は「そいでも家《うち》は淋《さび》しいもの」と、何處《どこ》へか行《い》つてしまつた。 「また皆《み》んなに嬲《なぶ》られたいんか」と、婆《ばあ》さんは獨言《ひとりごと》のやうに云《い》つたが、最早《もはや》娘《むすめ》を氣《き》にも掛《か》けず、絲車《いとぐるま》を離《はな》れもせぬ。

吉松《きちまつ》も今宵《こよひ》は住《す》み馴《な》れた家《いへ》を、際立《きはだ》つて暗《くら》く感《かん》じた。室《うへ》に這《は》ひ上《あが》つて行燈《あんどん》をつけ、燈心《とうしん》をかき立《た》てたが、隅々《すみ〴〵》は尙《なほ》暗《くら》い。天氣《てんき》が變《かは》つたのか東風《こち》が吹《ふ》き出《だ》し、ソヨ〳〵と裏口《うらぐち》から入《はい》つて來《く》る。枇杷《びわ》の木《き》も騷《さわ》ぎ出《だ》した。宮《みや》の太鼓《たいこ》の音《おと》は止《や》んだが、ワイワイ叫《さけ》ぶ聲《こゑ》は一|層《そう》盛《さか》んに聞《きこ》える。彼《か》れは耳《みゝ》を傾《かたむ》けてゐたが、やがて不意《ふい》に起上《おきあが》つて、聲《こゑ》する方《はう》へ向《むか》つた。三日月《みかづき》は既《すで》に沈《しづ》んで、天《てん》遠《とほ》く星《ほし》が力《ちから》弱《よわ》く光《ひか》つてゐる。

彼《か》れは小暗《こぐら》き道《みち》を通《とほ》つて、玉垣《たまがき》の側《そば》に彳《たゝず》んだ。鳥居《とりゐ》の根本《ねもと》は出入《でいり》の提灯《ちやうちん》の光《ひかり》に照《て》らされ、松葉《まつば》に蔽《おほ》はれた敷石《しきいし》が明《あか》るくなり暗《くら》くなつてゐる。醉漢《よひどれ》の聲《こゑ》が遠《とほ》くなり近《ちか》くなる。神社《やしろ》の扉《とびら》は廣《ひろ》く開《ひら》いて、神前《しんぜん》には大《おほ》きな蠟燭《らうそく》の光《ひかり》が燿《かゞや》き、左右《さいう》には數《すう》十の漁夫《れうし》が居並《ゐなら》び、中《なか》には片肌《かたはだ》を脫《ぬ》いでる者《もの》、胸毛《むなげ》を露《あら》はしてる者《もの》。怒鳴《どな》つては呑《の》み、呑《の》んでは怒鳴《どな》り、言葉《ことば》の綾《あや》も分《わか》らず、只《たゞ》騷《さわ》がしい蠻音《ばんおん》が一《ひと》つになつて、酒《さけ》の香《にほ》ひと共《とも》に神《かみ》の境内《けいだい》に漲《みなぎ》つてゐる。神社《やしろ》の周圍《まわり》には小兒《こども》が群《むら》がり戯《たはむ》れてゐる。常《つね》の夜《よ》は漣《さゞなみ》の音《おと》と松風《まつかぜ》ばかり。丑《うし》三《み》つには呪咀《のろい》の女《をんな》が白裝束《しろしやうぞく》で蠟燭《らうそく》を頭《かしら》に戴《いたゞ》き、呪文《じゆもん》を誦《じゆ》して松《まつ》の幹《みき》に、胸《むね》の恨《うら》みを籠《こ》めた五|寸《すん》釘《くぎ》を打《う》つと、母《はゝ》から聞《き》いてゐるが、その淋《さび》しい淨地《じやうち》は、一|村《そん》の勸樂《くわんらく》の巷《ちまた》となつてゐる。

吉松《きちまつ》はその聲《こゑ》を聞《き》きその香《か》を嗅《か》ぎ、熊《くま》の如《ごと》き腕《かいな》をまくつた人々《ひと〴〵》の勇《いさ》ましい姿《すがた》を垣間見《かいまみ》てゐた。しかし團樂《まどゐ》に飛込《とびこ》みもしない。 「兄《あゝ》よ」と後《うしろ》から突如《だしぬけ》に聲《こゑ》がした。顧《かへり》みると初野《はつの》は依然《いぜん》兩方《りやうはう》の袖口《そでくち》を持《も》つて、無心《むしん》に身體《からだ》を搖《ゆす》ぶつてゐる。 「兄《あゝ》はお宮《みや》の中《なか》へ行《ゆ》かんのか」と、兄《あに》の顏《かほ》を不思議《ふしぎ》さうに見《み》た。 「汝《われ》やまだ此處《こゝ》に居《を》るんか、皆《み》んなに嬲《なぶ》られん間《ま》に、早《はや》う家《うち》へ戾《もど》れ、お母《かあ》が待《ま》つとる」と、吉松《きちまつ》は常《つね》になく柔《やさ》しく云《い》つて、妹《いもと》の袖《そで》を捕《とら》へやうとすると、初野《はつの》は身《み》を翻《ひるが》へして松《まつ》の蔭《かげ》に逃《に》げた。

濃《こ》い雲《くも》が東《ひがし》の山《やま》から吐《は》き出《だ》されて、空《そら》へ廣《ひろ》がつてゐる。 「明日《あした》は雨《あめ》か」と、チヨン髷《まげ》の老漁夫《らうぎよふ》がいぢかり[#「いぢかり」に傍点]股《また》で石段《いしだん》を下《お》りた。

飮《の》み盡《つ》くした空德利《からどくり》を提《さ》げた千鳥足《ちどりあし》が鳥居《とりゐ》の左右《さいう》へ散《ち》つてゐる。先立《さきだ》つたのと遲《おく》れたのと互《たが》ひに呼《よ》んでは答《こた》へ、「畜生《ちくしやう》め」「馬鹿《ばか》野郞《やらう》」の聲《こゑ》が姦《かしま》しく闇《やみ》から闇《やみ》に傳《つた》はる。吉松《きちまつ》は彼等《かれら》が今宵《こよひ》至《いた》る所《ところ》に賭博《とばく》に耽《ふけ》り、女《をんな》に弄《たは》むれる樣《さま》を想像《さう〴〵》して、羨《うらや》ましく嫉《ねたま》しく感《かん》じた。

大勢《おほぜい》の後《あと》から、手拭《てぬぐひ》を首《くび》に結《むす》んだ一群《ひとむれ》が、社内《しやない》を出《で》て、お百|度《ど》石《いし》を取圍《とりかこ》み、何《なに》か小聲《こごゑ》で話《はな》し合《あ》つてゐる。虎《とら》もゐる。龜《かめ》もゐる。頻《しき》りに首肯《うなづ》いてゐるのは源《げん》らしい。と思《おも》ふと、吉松《きちまつ》は空想《くうさう》の消《き》えて急《きふ》に恐氣《おぢけ》がつき、玉垣《たまがき》の蔭《かげ》に小《ちい》さくなつた。そして彼等《かれら》が鳥居《とりゐ》を潜《くゞ》るのを待《ま》ち、靜《しづ》かに歸《かへ》りかけた。

星《ほし》は殘《のこ》りなく隱《かく》れた。沖《おき》には常《つね》に見《み》る漁火《いさりび》の一《ひと》つもなく、舟唄《ふなうた》も聞《きこ》えず、暗《くら》い波《なみ》は黑《くろ》い雲《くも》と接《せつ》して、只《たゞ》風《かぜ》にもまれた滿汐《みちしほ》の音《おと》が高《たか》い。 「兄《あゝ》よ、沖《おき》にや海坊主《うみばうず》が居《を》るんぢやなあ」と初野《はつの》は闇《やみ》の中《なか》から聲《こゑ》を掛《か》けた。吉松《きちまつ》は默《だま》つて妹《いもと》の手《て》を執《と》つて家《うち》へ歸《かへ》つた。母《はゝ》の影《かげ》は障子《しやうじ》に薄《うす》く映《うつ》つてゐる。絲車《いとぐるま》の音《おと》も聞《きこ》える。

(四)

翌日《よくじつ》は雨《あめ》。風《かぜ》も少《すこ》し加《くは》はつた。婆《ばあ》さんは鈴《すゞ》を持《も》つて、お高《たか》姊《あねえ》の家《うち》へ生靈《いきりやう》退治《たいぢ》に出《で》かけた。初野《はつの》は柏餅《かしはもち》を腹《はら》一|杯《ぱい》詰込《つめこ》み、津蟹《づがに》の鋏《はさみ》を絲《いと》で縛《しば》つて弄《もてあそ》んでゐたが、やがて厭《あ》いたのか、傘《からかさ》も差《さ》さずに、雨《あめ》を犯《おか》して當度《あてど》なく出《で》て行《い》つた。吉松《きちまつ》は只《たゞ》腹匐《はらば》ひになつて戶外《そと》を眺《なが》める。 びしよ[#「びしよ」に傍点]濡《ぬ》れの水汲《みづくみ》女《をんな》が昨日《きのふ》と同《おな》じく、跡切《とぎ》れ〴〵に通《かよ》つてゐる。醉《よ》つて銅鑼《どら》聲《ごゑ》で唄《うた》つて通《とほ》る者《もの》も多《おほ》い。竹《たけ》の皮鼻緒《かははなを》の足駄《あしだ》を引《ひき》ずり德利《とくり》を提《さ》げた子供《こども》が俯首《うつむ》いて錢《ぜに》を讀《よ》み〳〵通《とほ》つた。番傘《ばんがさ》を擔《かつ》いで萌黃《もえぎ》の重箱《ぢうばこ》包《づゝみ》を柄《え》の先《さき》にぶら[#「ぶら」に傍点]下《さ》げた小娘《こむすめ》が粽《ちまき》を嚙《かぢ》りながら通《とほ》つた。どれもどれも見馴《みな》れた顏《かほ》だ。

彼《か》れは目《め》では戶外《そと》を見《み》ながら、心《こゝろ》では昨日《きのふ》の出來《でき》事《ごと》を思《おも》ひ浮《うか》べた。他鄉《たきやう》を知《し》らず書《しよ》も讀《よ》まぬ彼《か》れには、夢《ゆめ》にも現《うつゝ》にも一|村《そん》の事件《じけん》が凡《すべ》ての智識《ちしき》であり想像《さうぞう》であるのだ。で、今日《けふ》も彼《か》れの貧《あは》れな智識《ちしき》の卷《まき》を繰廣《くりひろ》げて見《み》たが、その全世界《ぜんせかい》には源《げん》もゐる、龜《かめ》もゐる。彼等《かれら》は繪本《ゑほん》で見《み》た綱《つな》や金時《きんとき》のやうな腕《うで》を持《も》つて、一|村《そん》に跋扈《ばつこ》してゐる。彼等《かれら》が生《い》ける限《かぎ》りこの村《むら》は泰平《たいへい》ではない。私《わし》のやうな痩腕《やせうで》で叶《かな》うものか。

彼《か》れは又《また》お竹《たけ》のことを思《おも》ひ出《だ》した。その機織《はたおり》姿《すがた》や田植《たうえ》姿《すがた》が印象《いんしやう》の强《つよ》い頭《あたま》にあり〳〵と浮《うか》び、兼《か》ねてのひそ〳〵[#「ひそ〳〵」に傍点]話《ばなし》も、今《いま》聞《き》く如《ごと》く感《かん》ぜられたが、ふと源《げん》の事《こと》に思《おも》ひ及《およ》ぶと、樂《たの》しい夢《ゆめ》は一|時《じ》に消《き》えてしまひ、果《はた》してお竹《たけ》が源《げん》を思《おも》つてるのか、虎《とら》の吿口《つげぐち》が眞《まこと》であるか戯言《じやうだん》であるか、靜《しづ》かに考《かんが》へる暇《いとま》がない。只《たゞ》彼《か》れを打《う》たんとして源《げん》が拳《こぶし》を握《にぎ》つてる姿《すがた》が見《み》えて、自然《しぜん》に目《め》を瞑《つむ》つた。

雨《あめ》は急《きふ》に强《つよ》くなり、戶外《そと》は一|層《そう》暗《くら》くなつた。板《いた》の間《ま》には藁屋根《わらやね》から雫《しづく》が垂《た》れる。隣《とな》りの牛《うし》が大儀《たいぎ》さうに吼《ほ》える。知《し》らぬ間《ま》にお竹《たけ》が綛《かすり》の前垂《まへだ》れを頭《かしら》に戴《いたゞ》いて軒下《のきした》に立《た》つてゐた。 「吉《きち》さん、傘《かさ》を貸《か》してお吳《く》れんか」 吉松《きちまつ》は幻影《まぼろし》でも現《あら》はれたやうにギヨツ[#「ギヨツ」に傍点]として、目《め》を丸《まる》くした。 「私《わし》んとこに傘《かさ》があるもんか」と、態《わざ》と橫《よこ》を向《む》いた。 「家《うち》にや誰《だ》れも居《を》らんかな」 「むん」 と、微《かす》かに云《い》つたのみで、吉松《きちまつ》は薄緣《うすべり》に顏《かほ》をすり付《つ》けてゐる。 「吉《きち》さん、先日《こないだ》の話《はなし》はどないするんかな、考《かんが》へちや居《を》らんのかな」と、お竹《たけ》は小聲《こごゑ》で云《い》ふ。吉松《きちまつ》は默《だま》つてゐる。 「ちつとは小降《こぶり》になつた」と、お竹《たけ》は空《そら》を仰《あふ》いで、「なあ吉《きち》さん、お節句《せつく》が濟《す》んだら船《ふね》が出《で》るから來《き》てお吳《く》れな」と甘《あま》えて云《い》つて、前垂《まへだれ》を被《かぶ》つたまゝ尻端折《しりはしお》つて駈《か》け出《だ》した。

吉松《きちまつ》は頭《かしら》を持上《もちあ》げて、夢《ゆめ》見《み》たやうにその後《うしろ》を見送《みおく》り、姿《すがた》が見《み》えなくなると又《また》寢《ね》そべつた。何故《なぜ》もつと話《はな》さなかつたらう、問《と》はなかつたらうと後悔《こうくわい》した。「舟《ふね》が出《で》たら會《あ》はう」、節句《せつく》が濟《す》めばお竹《たけ》の父《ちゝ》も沖《おき》へ出《で》て、彼女《あれ》の身《み》も暇《ひま》になる。源《げん》も龜《かめ》も海《うみ》へ行《ゆ》く。さうなればお竹《たけ》の心《こゝろ》も確《たしか》められる。と思《おも》ふと一|縷《る》の希望《きぼう》が浮《うか》ばぬでもない。明日《あす》明後日《あさつて》明後々日《しあさつて》と、彼《か》れは指《ゆび》を折《を》つて、「八日《やうか》には腕《うで》の强《つよ》い血《ち》を恐《おそ》れん奴《やつ》は、島《しま》の向《むか》う浪《なみ》の荒《あら》い沖《おき》へ出《で》てしまう」と、にやりと[#「にやり」に傍点]笑《わら》つた。 しかし子供《こども》の時分《じぶん》から胸《むね》に刻《きざ》み込《こ》んだ不安心《ふあんしん》は、今《いま》も消《き》え失《う》せず、ちよろ〳〵舌《した》を出《だ》す。彼《か》れには村《むら》が恐《こわ》いのだ。盂蘭盆《うらぼん》とか氏神祭《うじがみまつり》とか、四|季《き》折々《をり〳〵》の賑《にぎは》ひには、屹度《きつと》下駄《げた》が飛《と》び鉈《なた》が飛《と》び、血塗《ちまみ》れ騷《さわ》ぎの起《おこ》るに定《きま》つたこの殺伐《さつばつ》な村《むら》が恐《こわ》い。何《なん》だつて皆《み》んなが仲《なか》よく面白《おもしろ》く暮《くら》さんのだらう。せめて命知《いのちい》らずの源《げん》が死《し》んだなら、此《この》村《むら》も少《すこ》しは穩《おだや》かになるかも知《し》れぬ。喧嘩《けんくわ》の數《かず》も少《すくな》くならう。龜《かめ》や米《よね》も源《げん》に唆《そゝの》かされて付元氣《つけゞんき》で暴《あば》れ廻《まわ》るんだから、親分《おやぶん》の源《げん》がゐなければ、あんなに無理《むり》非道《ひだう》な人困《ひとこま》らせをせんに極《きま》つてゐる。 「村《むら》の爲《ため》自身《じゝん》の爲《ため》、源《げん》が死《し》んだら〳〵」と、二十|分《ぷん》も三十|分《ぷん》もそればかり考《かんが》へた。驟雨《ゆうだち》模樣《もやう》のドシヤ降《ぶ》りが通《とほ》ると、密雲《みつうん》が薄《うす》らいで戶外《そと》は稍々《やゝ》明《あか》るくなつた。初野《はつの》の弄《もてあそ》んでゐた津蟹《づがに》は泡《あわ》を吹《ふ》きながら、吉松《きちまつ》の頭《あたま》の側《そば》へ這《は》つて來《き》た。彼《か》れはふと思《おも》ひ立《た》つて、絲《いと》を手繰《たぐ》つて、蟹《かに》を柱《はしら》に縛《しばり》りつけ、塵紙《ちりがみ》に寫生《しやせい》を始《はじ》めた。蟹《かに》は飛《と》び出《で》た目《め》に怒《いかり》を含《ふく》んで藻搔《もが》き出《だ》す、紙《かみ》にもその藻搔《もが》いてる樣《さま》が生々《いき〳〵》と現《あら》はれた。興《きよう》が湧《わ》いて五|枚《まい》六|枚《まい》書《か》き續《つゞ》けたが、やがて惜氣《おしげ》もなく鼻《はな》をかんで、丸《まる》めて外《そと》へ投《な》げた。軒下《のきした》に羽搔《はがい》を縮《ちゞ》めてコロ〳〵と鳴《な》いてた鷄《とり》は、餌《ゑば》と思《おも》つたか、反古紙《ほごかみ》をつゝき出《だ》した。低《ひく》い石《いし》ころ道《みち》を番傘《ばんがさ》さして、白裝束《しろしやうぞく》の母《はゝ》と赤《あか》い顏《かほ》した妹《いもと》とが歸《かへ》つて來《く》る。 「本當《ほんま》に〳〵、源《げん》の死《しに》ぞこない奴《め》覺《おぼ》えてやがれ」と、母《はゝ》は怒鳴《どな》つて、初野《はつの》を家《うち》へ引上《ひきあ》げた。初野《はつの》はぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]立《た》つてゐたが、蟹《かに》が目《め》につくと、柱《はしら》から離《はな》して居間中《ゐまぢう》を引《ひき》まはす。 「おのれ糞《くそ》、源《げん》の獄道《ごくだう》」「罰當《ばちあた》り奴《め》」と、喧《かしま》しい聲《こゑ》が響《ひゞ》き渡《わた》る。吉松《きちまつ》は呆氣《あつけ》に取《と》られて、母《はゝ》の顏《かほ》を見上《みあ》げ、 「お母《かあ》、どうしたんなら」 「どうしたも何《なに》もあるもんか、汝《われ》まあ聞《き》いて吳《く》れい、お高《たか》姉《ねえ》のとこから戾《もど》りに、米公《よねこう》の前《まへ》を通《とほ》ると、初野《はつの》が眞赤《まつか》な顏《かほ》をして裸《はだか》になつとるぢやないか、何《なに》をしとるんかと思《おも》うて入《はい》つて見《み》ると、汝《われ》、源《げん》や龜《かめ》が大胡床《おほあぐら》かいて酒《さけ》を食《くら》うとりやがつてなあ、初野《はつの》に無理《むり》無體《むたい》に酒《さけ》を呑《の》ませて踊《をど》らせとるんぢやでな、そりを見《み》て、私《わし》や腹《はら》が立《た》つて〳〵、飛《とび》込《こ》んで叱《しか》りつけてやると、汝《われ》、尙《なほ》の事《こと》皆《み》んなが惡戯氣《ふざけ》出《だ》しやがる、終《しまひ》にや私《わし》の持《も》つとる鈴《すゞ》を出《だ》して、囃《はや》しちや馬鹿踊《ばかをど》りを初《はじ》めやがる、大事《だいじ》な鈴《すゞ》が汚《よご》れちや、私《わし》の命《いのち》を取《と》られたも同《おな》じでないか、今《いま》に見《み》て居《を》れ、祈《いの》り殺《ころ》してやるぞ」 と口惜《くやし》淚《なみだ》を濺《そゝ》いだ。吉松《きちまつ》は心《こゝろ》では怖氣《おぢけ》がついたが、それでも母《はゝ》を慰《なぐさ》めるつもりで、 「そがい[#「そがい」に傍点]に怒《おこ》らいでも、私《わし》が仇《かたき》を取《と》つて上《あ》げらあ」と云《い》つたが、母《はゝ》は氣《き》がむしやくしや[#「むしやくしや」に傍点]して、常《つね》になく邪慳《ぢやけん》に、 「汝《われ》や口《くち》ばつかりで、源《げん》の腕《うで》に叶《かな》ふもんか、汝《われ》が弱虫《よわむし》じやから、初野《はつの》まで皆《み》んなに意地《いぢ》められるんぢやがな」 「さう云《い》ひなさんな、私《わし》も男《をとこ》ぢやもの」と、吉松《きちまつ》は不快《ふくわい》な顏《かほ》をした。母《はゝ》は鈴《すゞ》を眺《なが》めて血相《きつさう》を變《か》へてゐる。

(五)

晩餐《ばんさん》が終《をは》ると、母《はゝ》は絲車《いとぐるま》へ手《て》を掛《か》けたが、もう氣《き》が落付《おちつ》いたらしく、慳貪《けんどん》な口《くち》も利《き》かなくなり、顏色《かほいろ》も平生《ふだん》の通《とほ》りに眠《ね》むさうだ。雨《あめ》がまだ止《や》まぬので早《はや》く戶締《とじまり》をして、初野《はつの》は宵《よひ》の口《くち》から寢間《ねま》へ入《はい》つた。遠方《ゑんぱう》から幽《かす》かな聲《こゑ》が風《かぜ》につれて吹《ふ》き込《こ》むのみで、今夜《こんや》は昨夕《ゆふべ》と異《ちが》つて靜《しづ》かだ。 「吉《きち》、もう寢《ね》えよ、お母《かあ》も寢《ね》るから」 「私《わし》やまだ眠《ね》むたうない」 吉松《きちまつ》は村長《そんちやう》の宅《たく》へ繪本《ゑほん》でも見《み》せて貰《もら》ひに行《ゆ》かうかと思《おも》ひ、門口《かどぐち》まで出《で》た。見《み》る限《かぎ》り果《は》てのない暗黑《あんこく》世界《せかい》、後《うしろ》の山《やま》も宮《みや》の松《まつ》も闇《やみ》に沒《ぼつ》して、天《てん》にも地《ち》にも豆粒《まめつぶ》ほどの光《ひかり》もない。で、急《きふ》に恐《おそ》ろしくなつて家《いへ》の中《なか》へ駈《か》け込《こ》んだ。煤《くす》ぶつた金比羅《こんぴら》神社《じんじや》のお札《ふだ》の前《まへ》に、燈火《ともしび》は丁子《ちやうじ》を結《むす》んでゐる。彼《か》れは燈明《とうみやう》を搔《か》き立《た》て、油《あぶら》を注《つ》ぎ、その前《まへ》に端坐《たんざ》して、一|家《か》安穩《あんおん》四|海《かい》泰平《たいへい》の願《ねがひ》を籠《こ》めた。初野《はつの》は夢《ゆめ》に泣聲《なきごゑ》を立《た》てゝ、「兄《あゝ》よ、來《き》て吳《く》れ、恐《こわ》いがな〳〵」と叫《さけ》んで、口《くち》から涎《よだれ》を垂《た》れてゐる。

吉松《きちまつ》は自分《じぶん》が妹《いもと》一人《ひとり》庇《かば》うことも出來《でき》ぬ腑甲斐《ふがひ》なさを思《おも》つた。親子《おやこ》三|人《にん》が雨風《あめかぜ》に曝《さら》され、乞食《こぢき》になつて流浪《るらう》する樣《さま》が思《おも》はれた。 でも、考《かんが》へてる中《うち》に何時《いつ》となく妹《いもと》の傍《そば》へもぐり[#「もぐり」に傍点]込《こ》み、木枕《きまくら》をして眠入《ねい》つた。斷《た》え斷《だ》えに苦《くる》しい夢《ゆめ》に襲《おそ》はれたが、ふと芥溜《ごみため》で拾《ひろ》つた錆《さ》びた瓦釘《かはらくぎ》を持《もつ》て、宮《みや》の松《まつ》の樹《き》に源《げん》を呪《のろ》つては打《う》ち〳〵してゐると、愕然《がくぜん》と目《め》が醒《さ》めた。妹《いもと》が彼《か》れの肚腹《ひばら》を蹴《け》つてゐる。燈明《とうみやう》は消《き》えかゝつてゐる。

丑三《うしみ》つは今《いま》時分《じぶん》だらう、宮《みや》へ詣《まゐ》つて源《げん》を咀《のろ》ひ殺《ころ》したい。彼《か》れが死《し》ぬりや一|村《そん》の災《わざわひ》が除《の》けると思《おも》ひ込《こ》んだ揚句《あげく》、自分《じぶん》が自分《じぶん》で恐《おそ》ろしくなつて、蒲團《ふとん》の中《なか》へ首《くび》を引込《ひつこ》めた。

* * * * * *

翌日《よくじつ》は五|月《ぐわつ》五日《いつか》。雨《あめ》は名殘《なごり》なく晴《は》れ、冴《さ》えた光《ひかり》は一|村《そん》を包《つゝ》んでゐる。吉松《きちまつ》は晝餐《ひる》の御馳走《ごちさう》にと魚買《さかなか》ひに出《で》た。道《みち》の左右《さいう》の葺屋《わらや》瓦屋《かはらや》、家々《いへ〳〵》の門《かど》には五|月《ぐわつ》幟《のぼり》が勇《いさ》ましく飜《ひるがへ》つてゐる。小兒等《せうにら》は諸方《しよはう》の幟《のぼり》見物《けんぶつ》に廻《まわ》つてゐる。吉松《きちまつ》は何《なん》となく得意《とくい》になつて空《そら》を見上《みあ》げてゐると、源《げん》が籠《かご》を提《さ》げて近《ちか》づき、 「吉公《きちこう》、汝《われ》も壯健《たつしや》か、久振《ひさしぶ》りじやのう」と笑顏《ゑがほ》をして、「沙魚《はぜ》をたんと[#「たんと」に傍点]貰《もら》うたから、汝《われ》にも分《わ》けてやらう、さあその鍋《なべ》を此方《こちら》へ出《だ》せ」吉松《きちまつ》は返事《へんじ》もせず棒立《ぼうだち》ちになつてゐる。凉《すゞ》しい鹽風《しほかぜ》が顏《かほ》を掠《かす》める。

村塾

寄宿舎《きしゆくしや》のはづれ、松《まつ》の樹《き》に蔽《おほ》はれた櫓風《やぐらふう》の高《たか》い古堂《ふるだう》から、ドン〳〵と太鼓《たいこ》が鳴《な》つて、擂鉢《すりばち》の底《そこ》のやうな平地《へいち》を越《こ》して、向《むか》うの山《やま》へ響《ひゞ》き渡《わた》る。その最後《さいご》の音《おと》の消《き》えぬ間《ま》に、袴《はかま》を着《つ》けた二十歲《はたち》前《まへ》の少年《せうねん》が、正門《せいもん》や通用門《つうようもん》から打《うち》つゞいて、幾人《いくにん》となく現《あら》はれて來《く》る。校舎《かうしや》の石壁《いしべい》を背《せ》にして丁字《てうじ》形《がた》の細《ほそ》い道路《だうろ》に溢《あふ》れて、麥《むぎ》の中《なか》、菜種《なたね》の中《なか》にも散《ち》らばつた。

今澤《いまざわ》定吉《ていきち》もその一|人《にん》だ。文章《ぶんしやう》軌範《きはん》と靖獻《せいけん》遺言《ゐげん》とを、布呂敷《ふろしき》にも包《つゝ》まず左《ひだり》の脇《わき》に抱《かゝ》へ、右《みぎ》の手《て》は木綿《もめん》の兵子帶《へこおび》に挿《はさ》み、同《おな》じ年頃《としごろ》の通學生《つうがくせい》A君《くん》と無邪氣《むぢやき》な話《はな》しをしながら、草履《ざうり》穿《ば》きで畦道《あぜみち》を傳《つた》つた。この學生《がくせい》とは四五|日前《にちぜん》に、東京《とうきやう》の雜誌《ざつし》の交換《かうくわん》を約《やく》してから、急《きふ》に懇意《こんい》になつたので、每晚《まいばん》往來《わうらい》して、文章《ぶんしやう》の議論《ぎろん》などをして居る。 「君《きみ》は何故《なぜ》寄宿舎《きしゆくしや》に入《はい》らんのだ」 「僕《ぼく》あ入《はい》りたいんだけれど、親爺《おやぢ》が寄宿舎《きしゆくしや》を嫌《きら》つてるから」 「そうかい、昨夕《ゆふべ》は谷村《たにむら》が蒲團蒸《ふとんむ》しにされたさうだな、寄宿舎《きしゆくしや》の奴《やつ》は亂暴《らんぼう》だ」 「何《なん》だか賄《まかなひ》征伐《せいばつ》をやると力《りき》んでる奴《やつ》がある、喜公《きいこう》も生意氣《なまいき》だから擲《なぐ》ると云《い》つてるよ」 「寄宿舎《きしゆくしや》の者《もの》あ、碌《ろく》に勉强《べんきやう》もせんで、そんなことばかり考《かんが》へとる、僕《ぼく》等《ら》は矢張《やはり》通學《つうがく》して、餘暇《よか》には文章《ぶんしやう》でも書《か》いた方《はう》がいゝねえ、君《きみ》」と、A君《くん》はさも深《ふか》く感《かん》じたように云《い》ふ。 やがてA君《くん》は支道《えだみち》へ分《わか》れた。 「ぢや失敬《しつけい》」 「今夜《こんや》は僕《ぼく》の家《うち》へ來給《きたま》へ、紅葉亭《こうえふてい》の方《はう》へ散步《さんぽ》しよう」 今澤《いまざわ》は「あの男《をとこ》も面白《おもしろ》いいゝ人間《にんげん》だ」と思《おも》つた。此頃《このごろ》は凡《すべ》ての人《ひと》が懷《なつか》しい。新《あたら》しい知合《しりあひ》になつた村《むら》の人《ひと》も學友《がくいう》も、凡《すべ》て懷《なつか》しい。

二三|步《ぽ》すると、麥《むぎ》と麥《むぎ》との間《あひだ》に女《をんな》の背《せな》が見《み》える。よく見《み》ると宿《やど》の娘《むすめ》だ。十七だと云《い》ふが、色《いろ》が白《しろ》く靨《えくぼ》があつて可愛《かあい》らしく、そして親切《しんせつ》だ。これも懷《なつ》かしい一|人《にん》。

娘《むすめ》は藁畚《ふご》から腐《くさ》つた木《こ》の葉《は》を攫《つか》み出《だ》して、畆《はたけ》の中《なか》へ散《ち》らしてゐたが、彼《か》れが近《ちか》づくと莞爾《につこり》として、汚《よご》れた手《て》で頭《あたま》の手拭《てぬぐひ》を取《と》り、恭《うや〳〵》しく挨拶《あいさつ》して、 「もうお歸《かへ》んなさるかな」 「いゝや、今日《けふ》は午後《ひる》からお休《やす》みだから、少《ちつ》との間《ま》、何處《どこ》かで遊《あそ》んで歸《かへ》ります、晝《ひる》の御飯《ごはん》もゆつくり[#「ゆつくり」に傍点]でよろしい」 「左樣《さう》かな、最少《もすこ》しすると、向《むか》ひの叔父《おぢ》さんも魚市《いち》から戾《もど》つて來《き》ませうから、何《なに》かお魚《さかな》を持《も》つて來《き》て吳《く》れませう」 「ぢや、それ迄《まで》僕《ぼく》は腹《はら》を減《へら》して來《く》る。」 今澤《いまざわ》は肥料《こやし》の香《にほ》ひが、畝《はたけ》の中《なか》から湧《わ》き上《あが》るのに眉《まゆ》を顰《ひそ》め、急《いそ》いで通《とほ》り拔《ぬ》けた。小溝《こみぞ》の丸木橋《まるきばし》を渡《わた》り、道側《みちばた》から馬《うま》の背《せ》ほど高《たか》くなつてる空地《あきち》へ匍《は》ひ上《あが》つた。柔《やはら》かい草《くさ》が一|面《めん》に生《は》へてゐて、寢《ね》ころぶと肱《ひじ》や首筋《くびすじ》にひやり[#「ひやり」に傍点]と觸《ふ》れる。それが何《なん》となくいゝ氣持《きもち》だ。雌摑《めくぬぎ》の歪《ゆが》んだ葉《は》が疎《まだ》らに空《そら》を遮《さへぎ》つて、眞晝《まひる》の光《ひかり》も眩《まぶ》しくはない。雲雀《ひばり》の聲《こゑ》が獨《ひと》り忙《せは》しく、近《ちか》く遠《とほ》く聞《きこ》える。

彼《か》れは今年《ことし》の三|月《ぐわつ》――明治《めいぢ》二十五|年《ねん》――初《はじ》めて兩親《りやうしん》の膝下《しつか》を離《はな》れ、この山間《さんかん》の百|姓家《しやうや》に、自分《じぶん》で寢床《ねどこ》をのべ、獨《ひと》り淋《さび》しく眠《ね》るやうになつてから、天氣《てんき》さへよければ、殆《ほと》んど每日《まいにち》この空地《あきち》へ來《く》る。時《とき》には國民《こくみん》新聞《しんぶん》や少年園《せうねんゑん》を漢書《かんしよ》の間《あひだ》に挾《はさ》み、放課《はうくわ》時間《じかん》に讀《よ》みに來《く》ることがある。或《ある》大家《たいか》の「熱海《あたみ》だより」に「上《かみ》に幽禽《ゆうきん》の囀《さへ》ずるを聞《き》き、下《しも》に淸瀨《せいらい》の咽《むせ》ぶを聞《き》き、ヲルヅヲルスの詩《し》を誦《じゆ》し候《さふらふ》」とあるを讀《よ》んで、小《ちい》さい胸《むね》を轟《とゞろ》かせ、自分《じぶん》もその境涯《けうがい》に身《み》を置《お》いて、ヲルヅヲルスの代《かは》りに、靖獻《せいけん》遺言《ゐげん》の屈原傳《くつげんでん》を朗讀《らうどく》したこともあつた。時《とき》には母《はゝ》の手紙《てがみ》を持《も》つて來《き》て、繰返《くりかへ》し〳〵暗記《あんき》する程《ほど》讀《よ》んで、逸《はる》かに故鄕《こきやう》の春《はる》を思《おも》つたこともある。或《あるひ》は袂《たもと》に駄菓子《だぐわし》の袋《ふくろ》を入《い》れて、この木蔭《こかげ》で腹《はら》一|杯《ぱい》に貪《むさぼ》つては、喉《のど》が乾《かは》くと、篠笹《しのざゝ》に縋《すが》つて後《うしろ》の渓流《けいりう》へ下《くだ》り、淸水《しみづ》に口《くち》を浸《ひた》すこともある。 しかし今日《けふ》は讀《よむ》べき雜誌《ざつし》も新聞《しんぶん》も持《も》つてゐない。食《く》ふべき菓子《くわし》も持《も》つてゐない。只《たゞ》寢《ね》ころんで春《はる》の空氣《くうき》に浴《よく》してゐるばかり。やがて兩手《りやうて》で頰杖《ほゝづゑ》ついて、目前《めさき》にちらちらする糸遊《いとゆう》を眺《なが》め、ピイツク〳〵と雲雀《ひばり》の口《くち》眞似《まね》をした。それも厭《あ》くと、何《なん》だか眠《ねむ》くなつて、暫《しばら》くウト〳〵してゐた。

車力《しやりき》の音《おと》に夢《ゆめ》が融《と》けて、寢《ね》たなり目《め》を開《ひら》くと、數町《すうちやう》先《さき》の彼《か》れの宿《やど》のあたり[#「あたり」に傍点]から、淡《あは》い煙《けぶり》が舞《ま》い上《あが》つてゐる。

悠長《いうちやう》な鼻《はな》唄《うた》と共《とも》に、道《みち》の曲角《まがりかど》から竹籠《ざる》を擔《かつ》いだ逹公《たつこう》――宿《やど》の娘《むすめ》の所謂《いはゆる》叔父《をぢ》さん――が現《あら》はれた。 「貴下《あなた》は何《なに》をしてゐなさる」 「何《なん》でもない、お前《まへ》の歸《かへ》るのを待《ま》つとるんだ。甘《おいし》い魚《さかな》があるかな」 「あるとも、まあ下《お》りて見《み》なされ」と、竹籠《ざる》を下《した》へ置《お》いて、鉢卷《はちまき》を取《と》つて、それを廻《まわ》して風《かぜ》を呼《よ》ぶ。

今澤《いまざわ》は投《な》げ出《だ》されてる書物《しよもつ》を拾《ひろ》つて、懷中《ふところ》にねぢ込《こ》んで驅《か》け下《お》りた。逹公《たつこう》は竹籠《ざる》の柴《しば》を搔《か》き分《わ》けて、 「そうれ、黑鯛《ちぬ》もあらあ、針魚《さより》もあらあ」と指示《さしゝめ》した。 「甘《うま》さうだな」と、今澤《いまざわ》はさも欲《ほ》しさうに云《い》つて、針魚《さより》の長《なが》い嘴《くちばし》を抓《つま》んで見《み》る。靑《あを》い縞《しま》が日《ひ》を受《う》けて燦《かゞや》く。逹公《たつこう》は自分《じぶん》の子供《こども》でも綾《あや》すやうに、 「さあ一|緖《しよ》に歸《かへ》りませう、歸《かへ》つて料理《れうり》して上《あ》げます」と、竹籠《ざる》に葢《ふた》をして擔《にな》つた。

野道《のみち》には通學生《つうがくせい》は消《き》えて、寄宿生《きしゆくせい》はまだ散步《さんぽ》に出《で》て來《こ》ない。逹公《たつこう》は黑《くろ》い脚《あし》に太《ふと》い筋《すぢ》を浮《う》かせて、先《さ》きに立《た》つて行《ゆ》く。今澤《いまざわ》は肩上《かたあ》げのある粗《あら》い絣《かすり》の袷《あはせ》を着《き》て、減《す》き腹《ばら》に强《つよ》い食慾《しよくよく》を感《かん》じて、後《あと》からついて行《ゆ》く。

逹公《たつこう》は本職《ほんしよく》の畠《はたけ》仕事《しごと》の傍《かたはら》、魚賣《さかなう》りをして、三日《みつか》に一|度《ど》位《ぐらゐ》は三|里《り》あまりもある海邊《うみべ》へ出掛《でか》ける。總領《そうりやう》の喜助《きすけ》は寄宿舎《きしゆくしや》の賄方《まかなひかた》に入《はい》つてゐる。そして今澤《いまざわ》は宿《やど》が逹公《たつこう》の家《いへ》と向《むか》かひ合《あ》つてゐるので、風呂《ふろ》にも入《はい》りに行《ゆ》く。怠屈《たいくつ》な時《とき》は話《はなし》をしに行《ゆ》く。初《はじめ》は逹公《たつこう》の顏《かほ》が恐《こわ》かつたが、腹《はら》の中《なか》は柔《やさ》しい親切《しんせつ》な人《ひと》らしく、二三|度《ど》會《あ》うとこれも懷《なつ》かしい一|人《にん》となつた。家族《かぞく》の者《もの》が皆《み》んなして可愛《かあい》がつて吳《く》れる。入學《にふがく》當時《たうじ》旅窓《りよそう》の淋《さび》しさ怠屈《たいくつ》さをこの家族《かぞく》によつてどれ程《ほど》慰《なぐさ》められたであらう。「貴下《あんた》はこんな山《やま》の中《なか》へ來《き》て、お甘《いし》い者《もの》が食《た》べられんからお困《こま》りぢやらう、不味《まづ》い者《もの》食《た》べて瘠《や》せちや、國《くに》のお母《かあ》さんが泣《な》きなさる。」とは、逹公《たつこう》の女房《かみさん》の口癖《くちぐせ》で、團子《だんご》やお萩《はぎ》が出來《でき》ると必《かなら》ず持《も》つて來《き》て吳《く》れる。魚市《いち》へ行《ゆ》くと屹度《きつと》魚《さかな》を屆《とゞ》けて吳《く》れる。そして今澤《いまざわ》は母《はゝ》から送《おく》つて來《く》る小使錢《こづかひぜに》の半《なか》ばは、この魚代《さかなだい》に拂《はら》つてしまう。