何處へ

Part 13

Chapter 13 16,632 words Public domain Markdown

「加瀨《かせ》さんは本當《ほんと》にお柔《やさ》しいんで御座《ござ》いますね、それにお若《わか》い癖《くせ》によく何《なに》にでも氣《き》がお付《つ》きなさいますし」と、老婆《ばあさん》は指先《ゆびさき》で耳《みゝ》の後《うしろ》を撫《な》で〳〵、世間《せけん》話《ばなし》から加瀨《かせ》の噂《うはさ》に移《うつ》つた。 「暫《しば》らく會《あ》はん間《うち》に非常《ひじやう》にハイカラになつた」と、私《わたし》は獨言《ひとりごと》のやうに云《い》つて、「加瀨《かせ》は粧《めか》してばかりゐるんでせう」と、笑《わら》ひ〳〵聞《き》いた。 「え、そりや大變《たいへん》で御座《ござ》いますよ」と、老婆《ばあさん》は少《すこ》し乗出《のりだ》し、「油《あぶら》をつけたり、チツクで撫《な》でたり、每朝《まいあさ》お出掛《でか》けまで一《ひと》仕事《しごと》で御座《ござ》いますわ、それに何《なん》であんなに髮《かみ》をおのばしなさるんでせう、さぞお五月蠅《うるさい》でせうのに」と、女《をんな》に有勝《ありがち》な皮肉《ひにく》な口付《くちつき》で云《い》つた。 「ハイカラになるのも容易《ようい》ぢやありませんね、一|體《たい》加瀨《かせ》は誰《だ》れの紹介《しやうかい》でお宅《たく》へ來《き》たのです?自分《じぶん》で捜《さが》したんですか」 「何《なに》ね、私《わたし》の甥《をひ》があの方《かた》と同《おな》じ雜誌《ざつし》社《しや》へ勤《つと》めてゐますのでね、二三|度《ど》宅《たく》へも遊《あそ》びに被入《いらつし》つたのが御緣《ごえん》で、ついお越《こ》しなさるやうになつたので御座《ござ》います。無人《ぶにん》でとても人樣《ひとさま》のお世話《せわ》なんか出來《でき》ませんのですが、ついねえ……こんな窮屈《きうくつ》な所《ところ》で、さぞお困《こま》りだらうと思《おも》ひますのにね」 私《わたし》は老婆《ばあさん》の顏色《かほいろ》を讀《よ》んで、「いや却《かへつ》て貴女《あなた》の方《はう》で御迷惑《ごめいわく》でせう、この通人《つうじん》先生《せんせい》、そんなことにはお氣《き》のつかん方《はう》だし、それに不愛相《ぶあいそ》で氣《き》の置《お》ける男《をとこ》だから」 「いゝえ、どうしてお愛相《あいそ》がよくて、中々《なか〳〵》お話《はなし》がお好《す》きで被入《いらつ》しやる、十|時《じ》頃《ごろ》からお茶《ちや》を召上《めしあが》つて、每晚《まいばん》お話《はなし》がはずむんですよ」 「そりや不思議《ふしぎ》だ、何《なに》を話《はな》すんです」 「あの方《かた》は何《なん》でもよく御存知《ごぞんぢ》なんですね、頭《あたま》の物《もの》から足《あし》の裏《うら》まで、何《なに》にでもよく目《め》がおつきなさいます」 「あれがそんな話《はなし》をするんですか」と、私《わたし》は少《すこ》し驚《おどろ》いた風《ふう》をすると、老婆《ばあさん》は乗《の》り出《だ》して、 「えい〳〵、私《わたし》逹《たち》よりもよく御存《ごぞん》じで被入《いらつ》しやる、櫛《くし》は小形《こがた》が流行《はや》るの、羽織《はおり》は桔梗納戶《きゝやうなんど》が色合《いろあひ》がいゝのと、そりや驚《おどろ》いてしまうんですよ、一昨日《おとゝひ》の晩《ばん》も宅《たく》で歌留多《かるた》を取とりまして、娘《むすめ》さん方《がた》が四五|人《にん》被入《いらつ》しやると、あの人《ひと》には何《なに》が似合《にあ》う、この人《ひと》には何《なに》が似合《にあ》うと、一々お見立《みた》てをなさるんですよ」 「雜誌《ざつし》にでもあるんでせう」と、私《わたし》は笑《わら》つて、少《すこ》し碎《くだ》けた口振《くちぶ》りで「加瀨《かせ》に色女《いろをんな》があると云《い》ふぢやありませんか、」と問《と》うた。 「何《なん》だかそんなことを甥《をひ》が申《まを》して居《を》りますがね、」と、老婆《ばあさん》は窪くぼんだ目《め》に微笑《びせう》を湛《たゝ》えてゐる。 「誰《だ》れでせう、」 「御自分《ごじぶん》ではいろんな[#「いろんな」に傍点]事《こと》を有仰《おつしや》るんですから、見當《けんたう》が付《つ》き兼《か》ねますが、何《なん》でもお樂《らく》といふ女《をんな》に一|番《ばん》御執心《ごしふしん》のやうで御座《ござ》いますよ、下谷《したや》に居《ゐ》ました時分《じぶん》から娘《むすめ》のお友逹《ともだち》でちよい[#「ちよい」に傍点]〳〵宅《たく》へもまゐります、大變《たいへん》なハイカラで、讀《よ》み書《か》きも可成《かな》り上手《じやうず》ださうで御座《ござ》いますよ、先日《せんじつ》も加瀨《かせ》さんが僕《ぼく》はあゝ云《い》つた肌合《はだあひ》が好《す》きだと有仰《おつしや》るから、ぢやお貰《もら》ひなすつたらと申《まを》しますと、さうさ何《ど》うしやうかと考《かんが》へて被入《いらつしや》るのです」 「ぢや、まだ女《をんな》が出來《でき》たと云《い》ふ譯《わけ》ぢやないんですね」 「えい〳〵、まだこうと定《きま》つてるのぢや御座《ござ》いますまいよ、尤《もつと》もね、加瀨《かせ》さんの事《こと》ですから外《ほか》にどんなのが出來《でき》てゐるのか、ちつとも存《ぞん》じませんけれど」と、老婆《ばあさん》は息《いき》を吐《つ》き、「何《なに》しろあの方《かた》ですから」と、低《ひく》い聲《こゑ》で無意味《むいみ》な事《こと》を云《い》つて、兩手《りやうて》を膝《ひざ》の上《うへ》で揉《も》みながら、「何時《いつ》かも甥《をひ》とお酒《さけ》を召上《めしあが》つて、お話《はなし》がはずんだ時《とき》に、僕《ぼく》あ女《をんな》を惚《ほ》れさせて廻《まは》るのが面白《おもしろ》いと有仰《おつしや》るのです、何《なん》でも品川《しながは》にも銀座《ぎんざ》にもお目《め》に留《と》まる者《もの》があるそうでしてね、甥《をひ》はよく戯談《じやうだん》に、僕《ぼく》が一|緖《しよ》に行《い》かなくちや幕《まく》が開《あ》かんのだから厄介《やくかい》で仕方《しかた》がない、僕《ぼく》あ丸《まる》で若樣《わかさま》のお幇間《たいこ》のやうな者《もの》だ、無給金《むきうきん》で、加之《おまけに》時々《とき〴〵》は持出《もちだ》しまでして、こんな下《くだ》らないことはないと申《まを》すんで御座《ござ》いますよ」と、さも面白《おもしろ》さうに云《い》ふ。次《つぎ》の室《ま》では娘《むすめ》がクツ〳〵笑《わら》つて居《ゐ》る。 「さうですかねえ」と、私《わたし》は冷淡《れいたん》に云《い》つて、目《め》を轉《てん》じてテーブルの上《うへ》のバイブルを飜《ひるがへ》して、老婆《ばあさん》にはあまり耳《みゝ》を貸《か》さなかつた。 しかし老婆《ばあさん》は問《と》はず語《がた》りに加瀨《かせ》の噂《うはさ》――頓間《とんま》な江戶《えど》ツ子振《こぶ》り、辻褄《つじつま》の合《あ》はぬ裝飾方《しやれかた》、變梃《へんてこ》な田舎《ゐなか》言葉《ことば》の丸出《まるだ》しの柔《やさ》しい惡罵《あくば》――を止《や》めなかつたが、やがて臺所《だいどころ》で魚屋《さかなや》の聲《こゑ》のするのを機會《しほ》に立《た》つて行《い》つた。

加瀨《かせ》は容易《ようい》に歸《かへ》つて來《こ》ぬ。私《わたし》は日曜《にちえう》一|日《じつ》待《まち》甲斐《がひ》のない人《ひと》を待《ま》つて過《す》ごすのが惜《おし》くてならぬ。歸《かへ》らうかと立上《たちあが》つたが、又《また》思《おも》ひ返《かへ》して疊《たゝみ》の上《うへ》に橫《よこ》になつた。雨垂《あまだ》れが落《お》ちては又《また》落《お》ちてゐる。新《あら》たにいゝ香《にほ》ひが庭《には》から吹《ふ》きつける。後《うしろ》では車井戶《くるまゐど》の音《おと》がギイ〴〵と聞《きこ》える。私《わたし》は眠《ねむ》くなつた。氣《き》が緩《ゆる》んだ。すると、ふとお靜《しづ》も憎《にく》くないなと思《おも》はれた。私《わたし》が寢卷《ねまき》のまゝ顏《かほ》を洗《あら》つてゐると、派手《はで》な絣《かすり》の道行《みちゆき》を着《き》て、勝手口《かつてぐち》から傘《かさ》をすぼめて入《はい》つて來《き》た彼《あ》の女《をんな》の可憐《かれん》な姿《すがた》、身體《からだ》が華奢《きやしや》で髮《かみ》が濃《こ》くて、島田《しまだ》の重《おも》みに堪《た》へぬと云《い》つた風《ふう》に、首垂《うなだ》れ勝《がち》のその顔付《かほつき》。こんなことが此頃《このごろ》の私《わたし》には珍《めづ》らしく目《め》に浮《うか》んだ。しかし直《す》ぐに自分《じぶん》で自分《じぶん》を嘲《あざけ》つて見《み》て、間《ま》もなく常《つね》の心《こゝろ》になつた。 やがてよい氣持《きもち》で眠入《ねい》つた。

暫《しばら》くして自分《じぶん》の家《いへ》にゐる氣《き》で、細《ほそ》く目《め》を開《あ》けて伸《の》び上《あが》ると、加瀨《かせ》は緣側《えんがは》に膝《ひざ》を抱《だ》いてニコ〳〵してゐる。 「よく眠《ね》てるね、どうしたんだ、昨夕《ゆふべ》夜更《よふか》しでもしたんぢやないか」 「もう何時《いつ》かね」と、私《わたし》は目《め》をこすり〳〵臺所《だいどころ》へ顏《かほ》を洗《あら》ひに行《い》つた。老婆《ばあさん》と娘《むすめ》とが膳立《ぜんだ》てをしてゐる。娘《むすめ》の顏立《かほだち》は老婆《ばあさん》に似《に》て、左程《さほど》美《うつく》しくもないが、年頃《としごろ》だから皮膚《ひふ》が艶々《つや〳〵》しい。私《わたし》は娘《むすめ》の手《て》から西洋《せいやう》手拭《てぬぐひ》を借《か》りて顏《かほ》を拭《ぬぐ》ひながら、偸《ぬす》むやうにして相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》た。娘《むすめ》は不快《ふくわい》な顏《かほ》をして橫《よこ》へ向《む》いた。子供《こども》の時《とき》から私《わたし》の目付《めつき》は人《ひと》を馬鹿《ばか》にしてゐると云《い》はれてゐたが、殊《こと》にこの頃《ごろ》は毒氣《どくき》が加《くは》はつて來《き》たのか、何氣《なにげ》なしに見《み》てさへ相手《あひて》によつて、薄氣味《うすきみ》惡《わる》く感《かん》ずるさうだ。ましてこの頃《ごろ》の私《わたし》は穩《おだ》やかに柔《おとな》しく人《ひと》に接《せつ》することが出來《でき》ぬ。冷笑《れいせう》するやうな、蔑視《べつし》するやうな、腹《はら》の底《そこ》まで見拔《みぬ》いてやるぞと云《い》つたやうな氣持《きもち》になつて喜《よろこ》んでゐる。

私《わたし》は緣側《えんがは》へ戾《もど》つて、「この家《いへ》は一|體《たい》何《なに》をしてるんだ」と小聲《こゞゑ》で聞《き》いた。加瀨《かせ》は袂《たもと》から淸心丹《せいしんたん》を出《だ》して舌《した》に載《の》せ絹手巾《きぬはんけち》で赤《あか》い唇《くちびる》のあたりを拭《ふ》き〳〵、 「これでも昔《むかし》はちよつといゝ旗本《はたもと》だつたさうだが、今《いま》ぢや親爺《おやぢ》は元町《もとまち》の女學校《ぢよがくかう》の會計《くわいけい》をしとる、月給《げつきう》は極《ご》く僅《わづ》かだが、多少《たせう》家《ゝち》に財產《ざいさん》があるから、氣樂《きらく》に暮《くら》しとるやうだ」 「家内《かない》は三|人《にん》限《き》りかい」 「うん、娘《むすめ》が跡取《あとゝ》りで養子《やうし》でもするんだらう」 「そんな大事《だいじ》な一人《ひとり》娘《むすめ》の側《そば》に、君《きみ》のやうな美男子《びだんし》がゐちや危險《きけん》だね」 「馬鹿《ばか》な」と、加瀨《かせ》は幽《かす》かな聲《こゑ》で云《い》つて、ニヤ〳〵笑《わら》ひを續《つゞ》ける。 「しかしこんな家《うち》にゐちや窮窟《きうくつ》ぢやないか」 「別《べつ》にそんな感《かん》じはしない、却《かへ》つて家庭的《かていてき》で居心地《ゐごゝち》がいゝ」 「だが、越前堀《えちぜんぼり》の江戶《えど》趣味《しゆみ》から退化《たいくわ》したぢやないか、僕《ぼく》は君《きみ》は早晩《さうばん》藝者屋《げいしやゝ》の長火鉢《ながひばち》の前《まへ》に坐《すわ》る男《をとこ》だと思《おも》つてゐたんだが、矢張《やはり》山《やま》の手《て》の野暮《やぼ》臭《くさ》い家《うち》が君《きみ》の柄《がら》に相當《さうたう》してるんかね」 「下町《したまち》は衞生《ゑいせい》に惡《わる》いから」 「うまく言譯《いひわけ》するね、しかし君《きみ》のことだから何《なに》か竊《ひそ》かに理由《りいう》があるんだらう」と、私《わたし》は卷莨入《まきたばこいれ》をテーブルから下《おろ》して、加瀨《かせ》の側《そば》に橫《よこ》になつて煙草《たばこ》を吸《す》ひながら、「君《きみ》も東京《とうきやう》へ來《き》てから大分《だいぶ》嗅《か》いで步《ある》いてるが、今《いま》に鼻《はな》も足《あし》も疲《つか》れてしまうぜ、君《きみ》の鼻《はな》は銳敏《えいびん》な方《はう》ぢやないがね、それでも君《きみ》の親爺《おやぢ》のとは異《ちが》つてるから、」 「何《なん》だ、謎《なぞ》のやうなことを云《い》つて」と、加瀨《かせ》は淸心丹《せいしんたん》の香《にほ》ひを吐《は》いて、相變《あひかは》らず氣樂《きらく》な顏《かほ》で微笑《びせう》してゐる。 「今《いま》に謎《なぞ》の解《と》ける時《とき》が來《く》る」と云《い》つたきり、私《わたし》は口《くち》を噤《つぐ》んだ。加瀨《かせ》も默《もく》して只《たゞ》庭《には》を眺《なが》めてゐたが、やがて何《なに》を思《おも》つたか尺《しやく》八を取《と》つて吹《ふ》き出《だ》した。顏《かほ》は少《すこ》し紅味《あかみ》を帶《お》び、長《なが》い前髮《まへがみ》を震《ふる》はせ、白《しろ》い指先《ゆびさき》を輕《かろ》く鮮《あざや》かに動《うご》かし、私《わたし》をば相手《あひて》にせぬやうな風《ふう》で勝手《かつて》に吹《ふ》いてゐる。これはこの男《をとこ》の癖《くせ》で、心《こゝろ》では私《わたし》の訪問《はうもん》したのを喜《よろこ》んでゐるのだが、さて話《はな》すこともなく、打解《うちと》ける手段《てだて》もない。で、私《わたし》の方《はう》からそれ相應《さうおう》の話題《わだい》でも持出《もちだ》さぬ限《かぎ》りは、詮方《せんかた》なしに、主人《しゆじん》は主人《しゆじん》、お客《きやく》はお客《きやく》の態度《たいど》を執《と》るのだ。しかし彼《か》れの心《こゝろ》づくしは何時《いつ》ものやうに食卓《しよくたく》に現《あら》はれてゐる。

老婆《ばあさん》と娘《むすめ》とは甲斐《かひ》々々《〴〵》しくチヤブ臺《だい》を運《はこ》び込《こ》んだ。いろ〳〵の御馳走《ごちさう》が一|杯《ぱい》に並《なら》べられた。ビールさへ添《そ》うてゐる。

加瀨《かせ》は尺《しやく》八を下《した》へ置《お》き、「サア」とコツプを私《わたし》の前《まへ》へ出《だ》して、置《おき》つぎをした。私《わたし》はそれを尻目《しりめ》に見《み》て、 「君《きみ》は尺《しやく》八が甘《うま》くなつたね、續《つゞ》いて稽古《けいこ》をしてるんか」 「いや別《べつ》に稽古《けいこ》もせん、退屈《たいくつ》すると出鱈目《でたらめ》に吹《ふ》くだけだ。」 「君《きみ》の尺《しやく》八を聞《き》くと思《おも》ひ出《だ》す、君《きみ》は上京《じやうきやう》の時《とき》に手紙《てがみ》を寄《よこ》して、⦅一|管《くわん》の笛《ふゑ》を携《たづさ》えて都《みやこ》の花《はな》を尋《たづ》ね申《まを》すべし⦆と云《い》つてゐたぢやないか、此頃《このごろ》はどんな花《はな》を尋《たづ》ねてる、君《きみ》は田舎《ゐなか》にゐた時分《じぶん》から風流《ふうりう》の嗜《たしな》みがあつたさうだし、僕《ぼく》等《ら》とは異《ちが》つて五|官《くわん》が發逹《はつたつ》しとるんだから、東京《とうきやう》の味《あぢ》も少《すこ》しや味《あぢ》はつたらう」 「それよりや魚《さかな》でも食《た》べ玉《たま》へな」と、加瀨《かせ》は不味《まづ》さうに二三|口《くち》ビールを啜《すゝ》つて、兩膝《りやうひざ》を抱《だ》いて、私《わたし》を見《み》てゐたが、「君《きみ》は矢張《やはり》學校《がくかう》へ出《で》てるのか」と、分《わか》り切《き》つたことを聞《き》く。 「厭《いや》でも仕方《しかた》がないからね、月給《げつきう》三十五|圓《ゑん》の先生《せんせい》で、朝寢《あさね》は一|週《しう》に一|度《ど》しきや出來《でき》ん、憫《あは》れむべき生涯《しやうがい》だらう」 「厭《いや》なら止《よ》して何《なに》か面白《おもしろ》い仕事《しごと》を求《もと》めりやいゝぢやないか、世間《せけん》は廣《ひろ》いのに」と、加瀨《かせ》は不愛相《ぶあいさう》に云《い》ふ。聲《こゑ》も態度《たいど》も大人《おとな》振《ぶ》つてゐる。私《わたし》は暫《しば》らく無言《むごん》で二三の皿《さら》を平《たひら》げて後《のち》、低《ひく》い聲《こゑ》で何氣《なにげ》なく、 「君《きみ》もハイカラのお樂《らく》とか云《い》ふ女《をんな》を知《し》つてると云《い》ふぢやないか」 「それがどうかしたのか」と、加瀨《かせ》は少《すこ》し頰《ほゝ》を赤《あか》くした。 「何《なに》、どうもしないが、君《きみ》があの女《をんな》に惚《ほ》れとると云《い》ふから」 「馬鹿《ばか》あ云《い》つてる」と、加瀨《かせ》は澄《すま》してゐる。 「いや僕《ぼく》は眞面目《まじめ》だ、僕《ぼく》には戀《こひ》の經驗《けいけん》がないが、君《きみ》は年少《ねんせう》にしてその道《みち》の硏究者《けんきうしや》だから、よく色《いろ》んなことを知《し》つてるだらう、少《すこ》し聞《き》かせて吳《く》れ玉《たま》へな」 「硏究《けんきう》も何《なに》もないぢやないか、戀《こひ》は戀《こひ》だから」と云《い》つたきり、加瀨《かせ》はあまり話《はなし》に身《み》を入《い》れぬ。既《すで》に醉《よ》つてゐれど、私《わたし》に向《むか》つては妙《めう》に腹帶《はらおび》を締《し》めて、他所行《よそゆき》の言葉《ことば》ばかり使《つか》つて本音《ほんね》を吐《は》かぬ。そして私《わたし》の不思議《ふしぎ》な好奇心《かうきしん》は、ます〳〵募《つの》る。この男《をとこ》を攻《せ》め落《おと》して、見得《みえ》も自惚《うぬぼれ》も搔《か》き消《け》し、表面《うはべ》でも腹《はら》の中《なか》でも、眞《しん》に萎《しほ》れ返《かへ》らせて見《み》たい。一|度《ど》でも身《み》の腑甲斐《ふがひ》なさ、世《よ》の味《あぢ》の苦《にが》さを感《かん》じさせて見《み》たい。

私《わたし》はこんなことを思《おも》ひながら、口《くち》では途切《とぎ》れ〴〵に何《なん》の興《きよう》もない短《みじ》かい會話《くわいわ》を取《と》りやりして、午餐《ひるめし》を終《をは》つた。跡片付《あとかたづけ》が濟《す》んで又《また》緣側《えんがは》へ出《で》て、暫《しば》らく前《まへ》のやうな平凡《へいぼん》な對話《たいわ》をしたり、雨《あめ》の音《おと》に心《こゝろ》を澄《す》ませてゐると、 「やー、お客樣《きやくさま》か」と、小柄《こがら》な男《をとこ》が帽子《ぼうし》を被《かぶ》つたなり、ニコ〳〵入《はい》つて來《き》た。 「小山《こやま》君《くん》、昨夕《ゆふべ》はどうだつた」と、加瀨《かせ》は私《わたし》に對《たい》する時《とき》とは打《う》つて變《かは》つて、快活《くわいくわつ》な口調《くてう》で云《い》ふ。 「えゝ、又《また》やられたよ、運命《うんめい》の神《かみ》に見放《みはな》されたのだね」と、薄唇《うすくちびる》の大《おほ》きな口《くち》を捻《ね》ぢてハツ〳〵と笑《わら》ひ、「どうだい、歌留多《かるた》は、今夜《こんや》二三|人《にん》美人《びじん》を招待《せうたい》しといたよ」と云《い》つて後《うしろ》を顧《かへり》み、「楠《くす》ちやんお茶《ちや》をお吳《く》んな」と叫《さけ》ぶ。この男《をとこ》眉《まゆ》が短《みじか》く首《くび》が長《なが》く、一寸《ちよつと》しやくつ[#「しやくつ」に傍点]た顏《かほ》は見《み》るから罪《つみ》がなさゝうだ。加瀨《かせ》の紹介《しやうかい》を待《ま》たずとも、老婆《ばあさん》の甥《をひ》と云《い》ふことは分《わか》つてゐる。私《わたし》とも直《す》ぐに懇意《こんい》になつた。 「貴下《あなた》も晚《ばん》まで遊《あそ》んでゝ歌留多《かるた》をやつちやどうです」 「僕《ぼく》は歌留多《かるた》を知《し》らんから駄目《だめ》です」 「いゝぢやありませんか、加瀨《かせ》君《くん》だつて極《きは》めて下手《へた》なんですもの、隨分《ずゐぶん》美人《びじん》が來《く》るから見《み》てゐらつしやい。加瀨《かせ》君《くん》の御馳走《ごちさう》で美人《びじん》見物《けんぶつ》をするだけでも得《とく》ですからね、これで此頃《このごろ》は每晚《まいばん》のやうに歌留多《かるた》をやるんですが、實《じつ》は歌留多《かるた》を餌《ゑば》に女《をんな》を釣《つ》るんです」と、無遠慮《ぶゑんりよ》な聲《こゑ》で喋舌《しやべ》り立《た》てた。 「馬鹿《ばか》云《い》つちやいかんぜ」と、加瀨《かせ》は障子《しやうじ》に頭《あたま》を持《もた》たせ苦笑《くせう》した。

老婆《ばあさん》と娘《むすめ》も菓子皿《くわしざら》や茶盆《ちやぼん》を持《も》つて來《き》て、それを機會《しほ》に團樂《まどゐ》の中《なか》に入《はい》つた。皆《み》んな笑顏《ゑがほ》をしてゐる。小山《こやま》は頻《しき》りに歌留多《かるた》仲間《なかま》の品評《ひんぴやう》を始《はじ》め、一|座《ざ》はこれに相槌《あひづち》打《う》つて、暫《しば》らく陽氣《やうき》に賑《にぎ》はつた。加瀨《かせ》もこれ迄《まで》東京《とうきやう》に孤獨《こどく》の月日《つきひ》を送《おく》つてゐたのだから、この一|家《か》の温《あたゝ》かい空氣《くうき》に浴《よく》して、さも悅《うれ》しさうだ。

空《そら》はます〳〵暗《くら》くなつて、雨《あめ》は止《や》みさうでない。外出《ぐわいしゆつ》も面倒《めんだう》であり、訪《たづ》ぬべき人《ひと》もなく爲《な》すべき用事《ようじ》もなければ、私《わたし》は引留《ひきと》められるまゝ、遂《つひ》に晩餐《ばんさん》の御馳走《ごちさう》にもなつた。無駄《むだ》話《ばなし》も聞厭《きゝあ》いた。加瀨《かせ》の尺《しやく》八|小山《こやま》の都々一《どゞいつ》も聞厭《きゝあ》いた。私《わたし》を煙《けむ》たさうにしてゐる娘《むすめ》の顏《かほ》も見厭《みあ》いた。やがて一人《ひとり》二人《ふたり》若《わか》い女《をんな》や男《をとこ》が集《あつ》まつて來《き》たが、加瀨《かせ》は新顏《しんがほ》を見《み》る每《ごと》に嬉《うれ》しさうな風《ふう》をする。そして二《ふた》つの明《あか》るいランプは、大勢《おほぜい》の騷《さわ》ぎの中心《ちうしん》となつた。

(三)

私《わたし》は歌留多《かるた》の群《むれ》に入《い》らず、只《たゞ》傍觀《ばうくわん》してゐた。白《しろ》い手《て》と黑《くろ》い手《て》の忙《いそがは》しく入亂《いりみだ》れるのを超然《てうぜん》として見《み》てゐた。一|座《ざ》の中《うち》最《もつと》も熱心《ねつしん》の乏《とぼ》しいのがお樂《らく》で、老婆《ばあさん》の豫報《よほう》した通《とほ》り、派手《はで》な縞《しま》の銘仙《めいせん》に八|丈《ぢやう》の羽織《はおり》を着《き》てゐる。廂髮《ひさしがみ》だがハイカラ風《ふう》でもなく、他《ほか》の女《をんな》共《ども》に比《くら》べると顏付《かほつき》が何《なん》となく意氣《いき》に見《み》える。お納戶《なんど》の襦袢《じゆばん》の襟《ゑり》が白《しろ》く首筋《くびすぢ》に喰《く》ひ入《い》つた加減《かげん》が馬鹿《ばか》に色氣《いろけ》がある。負《ま》けても左程《さほど》口惜《くや》しがる風《ふう》はない。そして加瀨《かせ》と敵《てき》味方《みかた》で向《むか》ひ合《あ》つて、加瀨《かせ》の方《はう》から奪掠《だつりやく》しかけても、敢《あえ》て爭《あらそ》はんともせず、仲間《なかま》から小言《こごと》を云《い》はれると、「だつて加瀨《かせ》さんがズルイんだもの」と甘《あま》えた口《くち》を利《き》く。加瀨《かせ》は口元《くちもと》で微笑《びせう》しながら一|生《しやう》懸命《けんめい》。

二三|番《ばん》の勝負《しやうぶ》あつて、中休《なかやす》みとなり、皆《み》んなが息《いき》を吐《つ》いた。私《わたし》は一人《ひとり》隅《すみ》の方《はう》で欠伸《あくび》をした。そして加瀨《かせ》とお樂《らく》とは交《かは》る〳〵見《み》てゐたが、只《たゞ》加瀨《かせ》がお樂《らく》の方《はう》を見《み》る時《とき》は上目《うはめ》を使《つか》ふ氣味《きみ》があるだけで、別《べつ》に戀《こひ》中《なか》と云《い》つた風《ふう》の素振《そぶり》もない。

小山《こやま》はお喋舌《しやべ》りの間々《あひだ〳〵》に加瀨《かせ》を冷《ひや》かしてゐたが、不意《ふい》に藝競《げいくら》べを主張《しゆちやう》して、 「お樂《らく》さんの長唄《ながうた》も暫《しば》らく聞《き》かんから今夜《こんや》は是非《ぜひ》拜聽《はいちやう》したい、」 といふと、加瀨《かせ》も盛《さか》んに賛成《さんせい》する。否《いや》だと云《い》ふ者《もの》は、小山《こやま》が下駄《げた》を隱《かく》して歸《かへ》さんと强迫《きやうはく》して、一|座《ざ》五六|人《にん》殘《のこ》らず特意《とくい》の藝《げい》を出《だ》した。宿《やど》の娘《むすめ》お楠《くす》の常磐津《ときはづ》、米屋《こめや》の娘《むすめ》の義太夫《ぎだいふ》など、何《いづ》れも大喝采《だいかつさい》。遞信省《ていしんしやう》の女《をんな》判任官《はんにんくわん》のお杉《すぎ》女史《ぢよし》は獨《ひと》りで浮《うか》れて、小山《こやま》の催促《さいそく》も待《ま》たず、肩《かた》を聳《そびや》かし下唇《したくちびる》を突出《つきだ》して、「死《し》んだと思《おも》つたお富《とみ》さん」と誰《た》れかの假聲《こはいろ》を使《つか》つたが、皆《み》んなに笑《わら》はれて極《きま》りが惡《わる》そうに口《くち》を噤《つぐ》んだ。 それから小山《こやま》の卷舌《まきじた》の端唄《はうた》、お樂《らく》の長唄《ながうた》「宵《よひ》は待《ま》ち」があつた。お樂《らく》のは本物《ほんもの》だ。一|座《ざ》鳴《な》りを靜《しづ》め視線《しせん》を唄《うた》ひ手《て》の顏《かほ》に集《あつ》めて聞《き》いてゐた。加瀨《かせ》は首《くび》を傾《かし》げて恍惚《うつとり》としてしまう。白粉《おしろい》臭《くさ》い生若《なまわか》い女《をんな》の香《にほ》ひが漲《みなぎ》る狹《せま》い部屋《へや》に、艶《つや》つぽい聲《こゑ》が柔《やはら》かに耳《みゝ》を掠《かす》めて通《とほ》る。見《み》るから加瀨《かせ》は極樂《ごくらく》淨土《じやうど》にゐるようだ。小山《こやま》は駄洒落《だじやれ》の連發《れんぱつ》で女《をんな》連《づ》れを笑《わら》はせ、餅菓子《もちぐわし》と蜜柑《みかん》とで、主客《しゆかく》は陶然《とうぜん》と醉心地《ゑひごゝち》になつて來《く》る。 「何時《いつ》もこんな馬鹿《ばか》な眞似《まね》をして遊《あそ》んでるんか」と、私《わたし》は突如《だしぬけ》に加瀨《かせ》に問《と》うた。浮《う》かれてゐる連中《れんぢう》は一|時《じ》に私《わたし》の顏《かほ》を見《み》た。 「面白《おもしろ》いぢやないか、君《きみ》の家《うち》でも時々《とき〴〵》やり玉《たま》へな、僕《ぼく》等《ら》が大勢《おほぜい》引連《ひきつ》れて行《ゆ》かう」と、加瀨《かせ》は一|座《ざ》の棟梁《とうれう》氣取《きどり》だ。 「須崎《すさき》(私《わたし》の名《な》)さんだけは、まだ何《なに》も藝《げい》をお出《だ》しになりませんね、お突合《つきあ》ひに一《ひと》つお聞《き》かせなすつちや如何《いかゞ》です」と、老婆《ばあさん》は私《わたし》を顧《かへり》みた。小山《こやま》も加瀨《かせ》も左右《さいう》から手《て》を執《と》るやうにして勸《すゝ》める。 「そんなふざけた[#「ふざけた」に傍点]眞似《まね》が出來《でき》るか、しかし是非《ぜひ》僕《ぼく》のが聞《き》きたけや、加瀨《かせ》君《くん》の親爺《おやぢ》がよくやる權兵衞《ごんべゑ》が種蒔《たねま》きの踊《をどり》でもやらうか、醉《ゑ》ふと素裸《すつぱだ》かになつて腰《こし》を振《ふ》つてやつてたのを、僕《ぼく》も覺えとる。君《きみ》も幼い時分《じぶん》によく親爺の眞似《まね》をしとつた。ねえ、さうだらう」と、私《わたし》が云《い》ふと、加瀨《かせ》は默《だま》つてしまつた。 「だが僕《ぼく》だつて長唄《ながうた》ぐらゐは出來《でき》る。お樂《らく》さんでも三味線《さみせん》を彈《ひ》いて吳《く》れゝば」と、私《わたし》は厭《いや》な思《おも》ひをして云《い》つて、前《まへ》へ乗《の》り出《だ》した。もう二三|年《ねん》にならうか、私《わたし》はお靜《しづ》から戯言《ぢやうだん》半分《はんぶん》に「越後《えちご》獅子《じゝ》」を習《なら》つたことがある。あの時分《じぶん》でも音曲《おんぎよく》は好《す》きな方《はう》ではなかつたが、お靜《しづ》の口《くち》眞似《まね》をしたり、笑《わら》つたり笑《わら》はれたりするのが嬉《うれ》しかつた。今《いま》ではそれを思《おも》ひ出《だ》しても不快《ふくわい》だが、小山《こやま》の周旋《しうせん》で、三味線《さみせん》がお樂《らく》に押付《おしつ》けられたので、詮方《せんかた》なくお樂《らく》と並《なら》んで、うろ覺《おぼ》えの一《ひと》くさりを唄《うた》つた。調子《てうし》もしどろもどろ[#「しどろもどろ」に傍点]である。加瀨《かせ》は少《すこ》し驚《おどろ》いた風《ふう》で、 「君《きみ》は何時《いつ》習《なら》つた」 「不思議《ふしぎ》だらう、まだ十八番《おはこ》があるんだ。そりやこの次つぎにしやう、何《なん》なら近々《きん〳〵》僕《ぼく》の家《うち》で演藝會《えんげいくわい》をやるから皆《み》んなで來玉《きたま》へ、お樂《らく》さんも三味線《さみせん》を持《も》つて」 「そりや面白《おもしろ》い、是非《ぜひ》おやんなさい、私《わたし》が周旋役《しうせんやく》になるから」と、小山《こやま》は頻《しき》りに勸《すゝ》めた。

(四)

再《ふたゝ》び歌留多《かるた》が初《はじ》まつたので、私《わたし》は退屈《たいくつ》し切《き》つて、一人《ひとり》暇《いとま》を吿《つ》げて薄暗《うすくら》がりの冷《つめ》たい戶外《そと》へ出《で》た。そして電車《でんしや》に飛乗《とびの》つたが、直《す》ぐに大久保《おほくぼ》へは歸《かへ》らなかつた。

數《すう》十|分《ぷん》の後《のち》には傘《かさ》を擔《かつ》いで、土州橋《としうばし》の上《うへ》を步《ある》いてゐた。中洲《なかす》の方《はう》は小雨《こさめ》に煙《けむ》つて、提灯《ちやうちん》の光《ひかり》が空《そら》を飛《と》んでゐる。足下《あしもと》の荷船《にぶね》は晝《ひる》の汚《きたな》い姿《すがた》をかくして、夢《ゆめ》のやうに淡《あは》く水面《すゐめん》に浮《うか》び、濕《しめ》つた光《ひかり》がチラ〳〵して、寢呆聲《ねぼけごゑ》が洩《も》れて來《く》る。橋《はし》を渡《わた》ると早足《はやあし》に右《みぎ》へ曲《まが》つて、玄關《げんくわん》の暗《くら》く二|階《かい》の燈火《ともしび》の花《はな》やかな家《うち》へ上《あが》つた。私《わたし》は一|年《ねん》近《ぢか》くこの家《うち》へ通《かよ》つてゐるのである。

安逹《あだち》が原《はら》の鬼婆《おにばゞあ》から毒氣《どくき》を拔《ぬ》いたやうな老婆《ばあさん》は私《わたし》の顏《かほ》を見《み》ると、齒《は》を剝《む》き出《だ》して、「貴下《あなた》新奇《しんき》なのが出《で》ましたよ」といふ。これがお定《きま》りだ。老婆《ばゞあ》は私《わたし》に對《たい》する骨《こつ》を知《し》つてゐる。只《たゞ》「新奇《しんき》だ」といふ。どんなのだらう。昨年《さくねん》一|年《ねん》、今年《ことし》の今《いま》迄《ゝで》私《わたし》の注意《ちうい》を惹《ひ》き、心《こゝろ》に柔《やさ》しさ温《あたゝ》かさを覺《おぼ》えるのはこればかりである。階子段《はしごだん》を踏《ふ》む足音《あしおと》廊下《らうか》傳《づた》ひの衣摺《きぬず》れの音《おと》、障子《しやうじ》の開《あ》く音《おと》、私《わたし》はそれを聞《き》いてゐる時《とき》にのみ世《よ》に生甲斐《いきがひ》を感《かん》ずるのである。美《うつ》くしい眉《まゆ》滑《なめら》かな肌《はだ》に魂《たましひ》が盪《とろ》けるのではない。優《やさ》しい言葉《ことば》色《いろ》つぽい素振《そぶ》りに胸《むね》が湧立《わきた》つのではない。只《たゞ》「珍《めづ》らしいの」「新奇《しんき》なの」を待設《まちまを》けては、乾《かは》き行《ゆ》く心《こゝろ》を濕《うる》ほさうとするに過《す》ぎぬ。

私《わたし》は上京《じやうきやう》後《ご》七|年間《ねんかん》、豐《ゆた》かならぬ學資《がくし》で學問《がくもん》をした。卒業後《そつげふご》は敎師《けうし》をしてゐる。交友《かういう》も多《おほ》くはなく、自分《じぶん》の出入《しゆつにふ》し目睹《もくと》してゐる社會《しやくわい》は廣《ひろ》くはない。しかし最早《もはや》努力《どりよく》して榮逹《えいたつ》を計《はか》る氣《き》は微塵《みぢん》もない。高名《かうめい》な人《ひと》と伍《ご》して世《よ》に名《な》を唄《うた》はれようと希《ねが》ふ心《こゝろ》も更《さら》にない。心《こゝろ》を許《ゆる》す人《ひと》もなければ、他人《たにん》に心《こゝろ》許《ゆる》されようとも思《おも》はない。知友《ちいう》の中《うち》には私《わたし》を「落付《おちつ》いた確《しつ》かりした男《をとこ》だ」と評《ひやう》する者《もの》がある。又《また》「冷酷《れいこく》無情《むじやう》な男《をとこ》だ」と評《ひやう》する者《もの》もある。有望《いうばう》な靑年《せいねん》か愚昧《ぐまい》な男子《だんし》か、他人《たにん》のお世話《せわ》を待《ま》たずして、自分《じぶん》で自分《じぶん》を知《し》り切《き》つてゐるのだ。圖拔《づぬ》けた天分《てんぶん》もないが、努力《どりよく》すれば並《なみ》の人《ひと》には負《ま》けぬと確信《かくしん》してゐる。處生《しよせい》の法《はふ》ぐらゐ心得《こゝろえ》てゐる。只《たゞ》その煩《わづら》はしさが厭《いや》だから見合《みあ》せてゐるのだ。

凡《すべ》てが煩《わづら》はしい。そして友人《いうじん》の落魄《らくはく》も榮華《えいぐわ》も憐《あは》れとも感《かん》ぜぬ羨《うらやま》しくも思《おも》はぬ。昨年《さくねん》から引續《ひきつゞ》いて兄《あに》が死《し》に叔父《をぢ》が死《し》んだが、それすら私《わたし》には木《こ》の葉《は》の散《ち》つた位《くらゐ》の感《かん》じをしか與《あた》へなかつた。

明日《あす》の私《わたし》はどうなるか、今《いま》の私《わたし》はこんな風《ふう》で死運《しうん》の來《く》るまで生《い》きてゐる。

(五)

「あれは如何《いかゞ》でした」 「さうだね、唇《くちびる》の皮《かは》が硬《こわ》い」 「隨分《ずゐぶん》此頃《このごろ》出《で》ましたから、せい〴〵目《め》をつけときまして」 私《わたし》は老婆《ばゞあ》に見送《みおく》られて外《そと》へ出《で》た。糠雨《ぬかあめ》が身體《からだ》に降《ふ》りかゝれど、所々《ところ〴〵》雲《くも》の剝《は》げて、澄《す》んだ靑空《あをぞら》が現《あら》はれてゐる。私《わたし》は再《ふたゝ》び土州橋《としうばし》を渡《わた》つたが、「明日《あす》は天氣《てんき》だ」と思《おも》ふのみで、外《ほか》に何《なに》をも頭《あたま》に浮《うか》べなかつた。そして電車《でんしや》に乗《の》ると手《て》を拱《こまぬ》き目《め》を瞑《ねむ》り頭《あたま》を窓《まど》にもたせ、半醒《はんせい》半眠《はんみん》で終點《しうてん》に逹《たつ》し、月《つき》を踏《ふ》んで、人氣《ひとけ》の絕《た》えた大久保《おほくぼ》の宿《やど》へ歸《かへ》つた。明日《あす》の勤《つと》めを思《おも》うて、直《す》ぐに寢仕度《ねじたく》をし、二三の郵書《いうしよ》を見《み》たが、その中《うち》に故鄕《こきやう》からの手紙《てがみ》もあつた。父《ちゝ》は老《を》い母《はゝ》は目《め》を病《や》み、弟《おとうと》は小賣商《こうりしやう》をして一|家《か》僅《わづ》かに口《くち》を糊《こ》してゐるので、救助《きうじよ》の願書《ぐわんしよ》の絕《た》えた月《つき》はない。今月《こんげつ》のは殊《こと》に長《なが》い。私《わたし》は卷紙《まきがみ》の半《なか》ばを讀《よ》まぬ中《うち》に、眠氣《ねむけ》さして堪《た》へられぬので、それを机《つくゑ》に廣《ひろ》げたまゝ床《とこ》の中《うち》へ入《はい》つた。

翌朝《よくてう》下女《げぢよ》が雨戶《あまど》を開《あ》ける音《おと》を幽《かす》かに聞《き》きながら、起《お》きもやらず寢返《ねがへ》りして、尙《なほ》ウト〳〵してゐたが、その間《あひだ》に珍《めづ》らしく故鄕《こきやう》の夢《ゆめ》を見《み》た。――兄弟《きやうだい》三|人《にん》裏《うら》の畑《はたけ》に出《で》てゐる。樹木《じゆもく》の少《すくな》い丘《をか》から斜《なゝめ》に麓《ふもと》まで畑《はた》になつてゐて靑々《あを〳〵》と麥《むぎ》は波《なみ》を打《う》ち、畦《あぜ》には蓮華草《れんげさう》が赤《あか》く緣取《ふちど》つてゐる。日《ひ》は眩《まぶ》しい位《くらゐ》照《て》つて居《ゐ》る。兄《あに》は被頰《ほゝかぶり》して汗《あせ》ばんだ手《て》で畑《はた》を耕《たがや》し、私《わたし》は弟《おとうと》と紙鳶《たこ》を飛《と》ばした。風箏《うなり》が靜《しづ》かな空《そら》に氣持《きもち》よく鳴《な》つて、赤《あか》い繪具《ゑのぐ》で塗《ぬ》つた紙鳶《たこ》の影《かげ》は小《ちい》さくなる。私《わたし》は興《きよう》に乗《の》つて畑《はた》を踏《ふ》み丘《をか》へ上《のぼ》り四|方《はう》へ驅《か》り廻《まは》ると、弟《おとうと》は後《あと》から喘《あえ》ぎ〴〵追《お》うて來《く》る。やがて私《わたし》は手《て》に纏《まと》うた糸《いと》を有《あ》る限《かぎ》り手繰《たぐ》り出《だ》したが、運惡《うんわる》く糸《いと》は木《き》の枝《えだ》に引掛《ひつかゝ》つて如何《いか》にするも離《はな》れない。その間《あひだ》に紙鳶《たこ》は糸《いと》を切《き》つてフワ〳〵空《そら》を飛《と》んで行《ゆ》く。私《わたし》も弟《おとうと》も兄《あに》も仰向《あふむ》いてその行衞《ゆくゑ》を眺《なが》めた。――目醒《めざま》し時計《どけい》の鳴《な》る音《おと》に驚《おどろ》いて夢《ゆめ》は消《き》えた。歸國《きこく》每《ごと》に亡兄《ばうけい》は私《わたし》に向《むか》つて、「今《いま》の田地《でんぢ》さへ荒《あら》さなければ、家《うち》のものは生活《くらし》に困《こま》りやしない、お前《まへ》は學才《がくさい》があるんだから、家《うち》の事《こと》は心配《しんぱい》せんで勉强《べんきやう》して早《はや》く出世《しゆつせ》して吳《く》れ」と云《い》つて、自身《じゝん》は死際《しにぎは》まで鍬《くわ》を離《はな》さなかつた。この手紙《てがみ》によると弟《おとうと》は此頃《このごろ》反物《たんもの》を脊負《しよ》つて近村《きんそん》を廻《まわ》つてゐるらしい。そして一|家《か》揃《そろ》うて私《わたし》の噂《うは》さをしてゐるとある。私《わたし》も亦《また》絕《た》えず故鄕《こきやう》の家族《かぞく》を思《おも》つてゐることと向定《むかうぎ》めに定《き》めてゐる。私《わたし》は手紙《てがみ》を座右《ざいう》の反古籠《ほごかご》に入《い》れて、心《こゝろ》淋《さび》しく肌寒《はださむ》く感《かん》じた。

(六)

この日《ひ》は宿雨《しゆくう》晴《は》れて、敎員室《けうゐんしつ》は花見《はなみ》の噂《うはさ》が盛《さか》んであつた。日課《につくわ》を終《をは》つて家《うち》へ歸《かへ》り、和服《わふく》に着替《きか》へてゐると、豐島《とよしま》と云《い》ふ私《わたし》の所謂《いはゆる》情熱家《じやうねつか》が訪《たづ》ねて來《き》た。同鄕《どうきやう》で同《おな》じ中學《ちうがく》にゐた男《をとこ》で、加瀨《かせ》がこの家《うち》に同宿《どうしゆく》してゐた頃《ころ》、職《しよく》を失《うしな》つて轉《ころ》がり來《こ》んだこともある。醉《よ》はぬ時《とき》は顏色《かほいろ》靑《あを》く、言葉《ことば》も少《すくな》く、目《め》は潤《う》るんでゐるが、少《すこ》しでも醉《ゑ》ひが廻《まは》ると、悲憤《ひふん》慷慨《こうがい》滿心《まんしん》の血《ち》が湧《わ》き立《た》つて、自身《じゝん》一人《ひとり》で世界《せかい》と角力《すまふ》でも取《と》る勢《いきほひ》だ。彼《か》れの所謂《いはゆる》「お利口連《りこうれん》」を罵《のゝし》つて淚《なみだ》を浮《うか》べることもある。加瀨《かせ》などは頭《あたま》から「馬鹿野郞《ばかやらう》」「靑《あを》二|才《さい》」「僞善者《ぎぜんしや》」の百萬|遍《べん》を浴《あび》せかけられる。

今日《けふ》は七|分《ぶ》の醉《ゑひ》だ。格子戶《かうしど》をガラリと激《はげ》しく開《あ》けると、「大將《たいしやう》居《ゐ》るか」と怒鳴《どな》つて、帽子《ぼうし》を投《な》げて、座敷《ざしき》の眞中《まんなか》に胡床《あぐら》を搔《か》いた。 「大分《だいぶ》元氣《げんき》がいゝね、ちつとは儲《まう》かつたんだらう、おれに金《かね》でも吳《く》れに來《き》たのぢやないか」と、私《わたし》は帶《おび》を締《し》めながら相手《あひて》を見下《みおろ》して云《い》つた。 「馬鹿《ばか》云《い》へ、金《かね》なんかあるもんか」 「宿《やど》は矢張《やはり》下谷《したや》の天井裏《てんじやうゝら》か」 「馬鹿《ばか》云《い》へ、とつくに轉居《てんきよ》して今《いま》は四谷《よつや》の庭《には》の廣《ひろ》い家《うち》にゐる、近《ちか》いから學校《がくかう》の歸《かへ》りにでも寄《よ》れ、アブサンを呑《の》ましてやらあ」 「さうか、モー天井裏《てんじやうゝら》にゐないんか、ぢや少《すこ》し堕落《だらく》した方《はう》だね、僕《ぼく》は君《きみ》があの二|階《かい》にゐるのを悲《かな》しむよりも寧《むし》ろ祝《しゆく》してゐたのだがなあ、鼠《ねづみ》の糞《ふん》や蜘蛛《くも》の巢《す》の中《なか》で、蠟燭《らうそく》を點火《とぼ》して文章《ぶんしやう》を書《か》いてるのを見《み》ると、僕《ぼく》あ拜《おが》みたいやうな氣《き》がした。昔《むかし》の天才《てんさい》や義人《ぎじん》によくある例《れい》だからね。」 「うんにや僕《ぼく》はもう方針《はうしん》を變《か》へた、どんな卑屈《ひくつ》な眞似《まね》をしても金《かね》を儲《まう》けるつもりだ、世《よ》の中《なか》は俗物《ぞくぶつ》ばかりだから、これまでのやうにしちや馬鹿《ばか》を見《み》るからな、もう主義《しゆぎ》變更《へんかう》だ。」 「しかし君《きみ》はどうして金《かね》を儲《まう》ける、何處《どこ》から見《み》たつて素質《そしつ》はないぢやないか、君《きみ》が俗物《ぞくぶつ》になるのは加瀨《かせ》の頭《あたま》が五|分刈《ぶがり》になる時代《じだい》だらう」 「加瀨《かせ》なんかゞ」と、豐島《とよしま》は投《な》げつけるやうに云《い》つて、「あんな男《をとこ》で八|方《ぱう》に色女《いろをんな》が出來《でき》るんだらうか、馬鹿野郞《ばかやらう》に」と叫《さけ》んで、唾《つばき》を迸《ほとば》しらす。 「そうだねえ、僕《ぼく》や君《きみ》にや待《ま》てども〳〵雌猫《めねこ》一|匹《ぴき》寄《よ》つて來《こ》ないんだからね」 「つまり何《なん》だよ、君《きみ》や僕《ぼく》は自分《じぶん》を屈《くつ》して優《やさ》しくなれんから駄目《だめ》なんだよ、お互《たが》ひに金《かね》も出來《でき》にや女《をんな》も出來《でき》ん、けれど僕《ぼく》あこれからやる、戀《こひ》もするし金《かね》も取《と》る、君《きみ》もさうしろ、その方《はう》が得《とく》だもの、どうせ利口《りこう》な奴等《やつら》にや僕《ぼく》等《ら》の心《こゝろ》は分《わか》りやせんのだから、」と豐島《とよしま》は毛《け》の濃《こ》い腕《うで》をまくつて、赤《あか》く肥《ふと》つた頰《ほゝ》をこすり上《あ》げつゝ、充血《じうけつ》した目《め》を瞬《しばだ》たく。 「僕《ぼく》もせい〴〵心掛《こゝろが》けやうよ、しかし君《きみ》は今《いま》何《なに》をしとる、夜學校《やがくかう》の方《はう》は革命論《かくめいろん》か何《なに》かやつて止《や》めたそうだが」 「講義錄《こうぎろく》に關係《かんけい》しとる、大著述《だいちよじゆつ》にも着手《ちやくしゆ》しとる、も少《すこ》し餘裕《よゆう》が出來《でき》たら、新運動《しんうんどう》も初《はじ》める、まだはつきり[#「はつきり」に傍点]言《い》ふ譯《わけ》に行《い》かんが、筆《ふで》を劍《けん》にして口《くち》から焰《ほのほ》を吐《は》いて、惰眠《だみん》を貪《むさぼ》つてる今《いま》の社會《しやくわい》を震動《しんどう》さすんだ、君《きみ》も我黨《わがとう》の士《し》だから、その時《とき》や片端《かたはし》擔《にな》つて吳《く》れ」 「少《すこ》し矛盾《むじゆん》だね、さつきにや金儲《かねまう》けの計畵《けいくわく》をしたぢやないか」 「馬鹿《ばか》云《い》ふな、僕《ぼく》等《ら》はこんな薄《うす》のろい世《よ》に我慢《がまん》出來《でき》んのだ」 「同感《どうかん》々々《〳〵》、早《はや》くその活劇《くわつげき》を見《み》せて吳《く》れ、僕《ぼく》は君《きみ》の「馬鹿野郞《ばかやらう》」の聲《こゑ》が日本國《にほんこく》に地響《ぢひゞき》することを望《のぞ》むんだ」 「屹度《きつと》やる〳〵」と、豐島《とよしま》は頰杖《ほゝづゑ》ついて、何《なに》をか考《かんが》へてゐたが、やがてぶつ[#「ぶつ」に傍点]倒《たふ》れて鼾《いびき》をかき出《だ》した。裾《すそ》の摺《す》り切《き》れた袷《あはせ》から毛脛《けずね》を出《だ》し足袋《たび》を穿《は》かぬ足《あし》は塵《ちり》にまみれてゐる。私《わたし》はぢつと見《み》てゐたが、やがて毛布《もうふ》を出《だ》してそつと肩《かた》にかけてやつた。で、彼《か》れが前後《ぜんご》を忘《わす》れて何《なに》かいゝ夢《ゆめ》を見《み》てゐる間《あひだ》に、私《わたし》は學課《がくゝわ》の下調《したしら》べをしてゐた。 「お客樣《きやくさま》はもうお歸《かへ》り」と、緣側《えんがは》の障子《しやうじ》の破《やぶ》れ目《め》からのぞいた女《をんな》が、「あれ寢《ね》てゐらしつて」と呟《つぶや》いた。

私《わたし》は障子《しやうじ》をそつと開《あ》けた。お靜《しづ》が立《た》つてゐる。少《すこ》し靑《あを》ざめた顏《かほ》に長《なが》い眉《まゆ》と黑《くろ》い眼《め》、肉付《にくつき》の不足《ふそく》の頰《ほゝ》に、鼻《はな》のみが高《たか》く鮮《あざや》かに刻《きざ》まれた、左程《さほど》美《うつく》しくない女《をんな》だ。しかしその哀《あは》れつぽい樣子《やうす》が一二|年前《ねんぜん》の私《わたし》には悅《うれ》しかつた。 「お花見《はなみ》にはゐらつしやらないの」と、お靜《しづ》の癖《くせ》として一寸《ちよつと》口《くち》を歪《ゆが》めて笑《わら》つた。私《わたし》はそれには答《こた》へず、半《なか》ば書物《しよもつ》を見《み》ながら穩《おだや》かに、 「まだ日本橋《にほんばし》へ行《ゆ》かないんかね」 「もう歸《かへ》らなくちやならんのですけど、身體《からだ》がよくなつたら明日《あす》にも來《き》て吳《く》れなくちや困《こま》るつて、今《いま》も手紙《てがみ》が來《き》たのですけど、私《わたし》もうあんな騷々《さう〴〵》しい所《ところ》は厭《あ》き〳〵しましたから」と萎《しほ》れた聲《こゑ》で云《い》つた。顏《かほ》にも萎《しほ》れた色《いろ》が動《うご》いたのであらうが、私《わたし》はよく見《み》なかつた。 「だつて仕方《しかた》がないぢやないか、行《ゆ》かなくちやお母《つか》さんが承知《しやうち》しないんだらう」 「だつて私《わたし》厭《いや》で〳〵、とてもこの上《うへ》半歲《はんとし》も辛抱《しんばう》しちやゐられませんもの」 「さうかねえ、しかし世《よ》の中《なか》はどうしたつて氣樂《きらく》で通《とほ》れりやしないんだから、まあ若《わか》い中《うち》に我慢《がまん》して苦勞《くらう》するさ、お靜《しづ》さんなんか女《をんな》はよし氣立《きだて》もいゝんだから」と、私《わたし》は辭書《じゝよ》を引《ひ》き〳〵、ちらと顏《かほ》を見《み》た。女《をんな》の目《め》は早《は》や濡《うる》んでゐる。 「そんな酷《ひど》いことを云《い》つて」と、聲《こゑ》は四邊《あたり》を憚《はゞか》つて、顏《かほ》付《つき》で不平《ふへい》を訴《うつた》へる。 「何故《なぜ》、お靜《しづ》さんなんかこそ、出世《しゆつせ》する運《うん》を持《も》つてるぢやないか、去年《きよねん》からお母《つか》さんが來《く》る度《たび》に自慢《じまん》してゐたよ、大商人《おほあきんど》の家《うち》へ奉公《ほうこう》して、大變《たいへん》お氣《き》に入《い》つてるんだつて、今《いま》でも家《うち》の娘《むすめ》が〳〵と五月蠅《うるさい》程《ほど》云《い》つてるよ。」 近所《きんじよ》ではお靜《しづ》をさる穩居《いんきよ》の妾《めかけ》であるとか、怪《あや》しい商賣《しやうばい》をしてゐるとか蔭口《かげぐち》を利《き》いてゐるが、私《わたし》はそれを確《たし》かには信《しん》じてゐない。二三|年前《ねんまへ》にこそ一|時《じ》心《こゝろ》の浮立《うきた》つて、忍《しの》び〳〵に弄《もてあそ》むでは、世《よ》の中《なか》へ出初《でぞ》めの淋《さび》しさ苦《くるし》さを忘《わす》れたこともあつたが、今《いま》では初戀《はつこひ》の思《おも》ひ出《で》も只《たゞ》人事《ひとごと》のやうな氣《き》がしてゐる。お靜《しづ》はさうは思《おも》つてゐない。私《わたし》にも昔《むかし》の心持《こゝろもち》が繰返《くりかへ》すものと思《おも》つてゐるのであらう。 「お母《つか》さんは私《わたし》が目《め》を廻《まは》して死《し》んだつて、何《なん》とも思《おも》つてやしないんですもの、人中《ひとなか》へ出《だ》して氣骨《きぼね》を折《を》らせてお母《つか》さんは私《わたし》をどうしやうと思《おも》つてるんでせう、先日《こないだ》もお話《はな》したあのことでね」と、お靜《しづ》は首俯《うつむ》いて、淚《なみだ》ぐんだ聲《こゑ》をする。 「おい〳〵先日《こなひだ》の話《はなし》はもう願《ねが》ひ下《さ》げだよ、耳《みゝ》にたこ[#「たこ」に傍点]の出來《でき》る程《ほど》聞《き》かされたんだからな、そんなことを云《い》つてクヨ〳〵しとるから病氣《びやうき》に取付《とりつ》かれて、靑《あを》くなつてなくちやならん、下《くだ》らないぢやないか、それよりや早《はや》く手賴《たよ》りになる男《をとこ》でも捜《さが》し出《だ》して、面白《おもしろ》い日《ひ》を送《おく》る方《はう》がいゝぜ、一昨年《おとゝし》だつたか、日本橋《にほんばし》へ行《ゆ》く前《まへ》にや大變《たいへん》元氣《げんき》のいゝ事《こと》を云《い》つてたぢやないか」と、あの時《とき》お靜《しづ》が私《わたし》との關係《かんけい》はけろり[#「けろり」に傍点]と忘《わす》れたやうにして、寶《たから》の山《やま》へでも入《はい》る氣《き》で、日本橋《にほんばし》とかへ旅立《たびだ》つ時分《じぶん》の得意《とくい》の樣《さま》を思《おも》つた。 お靜《しづ》はシク〳〵泣《な》き出《だ》した。で、今《いま》にも一昨日《おとゝひ》のやうに、怨《うら》んだ言葉《ことば》自棄《やけ》になりさうな文句《もんく》で、私《わたし》の心《こゝろ》を動《うご》かさうとするだらうと待設《まちまう》けながら、書物《しよもつ》の頁《ページ》を飛《と》ばせてゐると、ザーツと手水鉢《てうづばち》に水《みづ》を入《い》れる音《おと》がした。頭《あたま》を上《あ》げると下女《げぢよ》がバケツを持《も》つて、不思議《ふしぎ》さうにお靜《しづ》を見《み》てゐる。

樹木《じゆもく》も草花《くさばな》もない狹《せま》い庭《には》は蔭《かげ》つて、隣《とな》りの二|階《かい》の壁《かべ》にのみ冴《さ》えた光《ひかり》が止《とゞ》まつてゐる。下女《げぢよ》は勝手《かつて》へ廻《まは》りながら、まだ振返《ふりかへ》り〳〵見《み》てゐる。

豐島《とよしま》も目《め》を覺《さ》ました。片頰《かたほゝ》に赤《あか》く疊《たゝみ》の形《かた》を殘《のこ》して、拳《こぶし》で目《め》をこすつてゐる。 「お靜《しづ》さんぢやあ明日《あす》の晩《ばん》にでもゐらつしやい」と、私《わたし》は外方《そと》へ向《むか》つて笑顏《ゑがほ》で柔《やさ》しく云《い》つて障子《しやうじ》を締《し》め、 「もう醒《さ》めたかい、茫然《ぼんやり》してるね」 「うん」と起上《おきあが》つて、帶《おび》をキチンと締直《しめなほ》し、一《ひと》つ欠伸《あくび》をして、「さあ歸《かへ》らう」 「まあいゝぢやないか、何《なに》か僕《ぼく》に用事《ようじ》はないんか」 「うん、用事《ようじ》もあるんだが、又《また》二三|日中《にちうち》に來《こ》よう、これから本鄉《ほんがう》へ行《ゆ》くから、加瀨《かせ》の家《うち》へも寄《よ》るかも知《し》れん」 「あまり彼奴《あいつ》を意地《いぢ》めるなよ」 豐島《とよしま》は外《ほか》に急用《きふよう》でも控《ひか》へてゐるやうに、急《いそ》いで門《もん》を出《で》た。後《あと》に「敷島《しきしま》」の袋《ふくろ》を置忘《おきわす》れてゐた。袋《ふくろ》の中《なか》には煙草《たばこ》が二|本《ほん》と白銅《はくどう》が二《ふた》つ入《はい》つてゐる。

私《わたし》はこの夜《よ》故鄕《こきやう》の弟《おとうと》への手紙《てがみ》を書《か》いた。中《なか》には「出來《でき》るだけの事《こと》をして、それでも食《く》へなければ仕方《しかた》がない、一|家《か》擧《こぞ》つて乞食《こじき》になつて諸國《しよこく》を流浪《るらう》しやうぢやないか、おれもその仲間《なかま》になつてもよい、何《なに》をしても一|生《しやう》だ」と、筆《ふで》の拍子《ひやうし》でこんなこと迄《まで》書《か》き添《そ》えた。

(七)