Part 11
太平洋岸《たいへいやうがん》の激浪《げきらう》怒濤《どとう》、東北《とうほく》地方《ちはう》の荒凉《かうれう》たる光景《くわうけい》は見馴《みな》れてゐるが、これ等《ら》はどうも予《よ》の性《しやう》に合《あ》はぬ。それでこの秋《あき》は局面《きよくめん》を變《か》へて、瀨戶内海《せとないかい》の沿岸《えんがん》に寫生《しやせい》旅行《りよかう》をした。氣《き》に入《い》つた土地《とち》には五日《いつか》でも六日《むいか》でも滯在《たいざい》し、厭《いや》になれば夜中《よなか》にでも出立《しゆつたつ》する。贅澤《ぜいたく》を盡《つく》す旅《たび》でもなく、名所《めいしよ》舊蹟《きうせき》を遍歷《へんれき》するのでもなく、只《たゞ》海岸《かいがん》を巡《めぐ》つて柔《やはら》かい波《なみ》の音《おと》を聞《き》き、よく食《くら》ひよく眠《ねむ》るを喜《よろこ》んで一月《ひとつき》ばかりを過《すご》した。その中《うち》旅費《りよひ》も乏《とぼ》しくなり、歸京《きゝやう》の期《き》も迫《せま》り、申譯《まをしわけ》ばかりのスケツチも、大分《だいぶん》量張《かさば》つた頃《ころ》、或《ある》無名《むめい》の海岸《かいがん》に最後《さいご》の旅裝《りよさう》を解《と》いて數日《すうじつ》を送《おく》ることゝした。
夜《よる》遲《おそ》く着《つ》いて撰擇《せんたく》の暇《ひま》もなく、酒樓《しゆらう》兼帶《けんたい》の小《ちい》さい薄汚《うすぎたな》い旅人宿《はたごや》に宿《とま》つたが、案外《あんぐわい》によく眠《ねむ》れたので、翌日《よくじつ》は早朝《さうてう》から畫板《ぐわばん》を提《ひつさ》げて海邊《かいへん》へ出《で》た。藻草《もくさ》の臭《にほ》ひや魚《さかな》の臭《にほひ》はするが、既《すで》に鼻《はな》に馳《な》れて、それが何《なん》となくいゝ氣持《きもち》がする。呟《つぶや》く如《ごと》く足下《あしもと》へ寄《よ》る波《なみ》の音《おと》を聞《き》くと、潮《うしほ》の中《なか》へ全身《ぜんしん》を浸《ひた》して、骨髓《こつずゐ》まで海氣《かいき》に染《そ》みたくなる。山間《やまが》には秋《あき》の哀《あは》れさ淋《さび》しさが露骨《むきだし》にあらはれてゐやうが、少《すくな》くも瀨戶内海《せとないかい》の潮風《しほかぜ》には、しんみり[#「しんみり」に傍点]した穩《おだや》かな香《にほひ》が漂《たゞよ》うてゐても、萬物《ばんぶつ》を凋落《てうらく》せしむる氣《き》を含《ふく》んで居《ゐ》ない。
予《よ》は二三十|分間《ぷんかん》徐《おもむ》ろに滿《み》ち來《く》る潮《うしほ》に對《たい》し、陸《りく》から十|丁《ちやう》乃至《ないし》一|里《り》の海中《かいちゆう》に浮《うか》んでる二三の小《ちい》さい島《しま》の間《あひだ》から、一つ二つ夜漁《やれふ》の舟《ふね》の歸《かへ》りかけてるのを見《み》て後《のち》、スケツチに取《とり》かゝつてると、知《し》らぬ間《ま》に後《うしろ》から誰《たれ》やら覗《のぞ》いてゐて、「うまい物《もの》だな」と無遠慮《ぶえんりよ》に聲《こゑ》を掛《か》けた。旅行中《りよかうちゆう》寫生《しやせい》の度《たび》每《ごと》に田舎物《ゐなかもの》に取卷《とりま》かれて、高《たか》い聲《こゑ》で奇妙《きめう》な批評《ひゝやう》を聞《き》かされるのに馴《な》れてゐるから、別《べつ》に氣《き》にも留《と》めなかつたが、この男《をとこ》は予《よ》の前《まへ》に立《た》つて、如何《いか》にも馴《な》れ〳〵しく、 「貴下《あなた》は何處《どこ》からお出《いで》なすつた、岡山《をかやま》ですか、上方《かみがた》ですか」と問《と》ひ掛《か》ける。
予《よ》は變《へん》に思《おも》つて見上《みあ》げると、丈《たけ》の短《みじ》かい筒袖《つゝそで》を着《き》、鼻下《びか》に髯《ひげ》を蓄《たくは》へた男《をとこ》で、釣竿《つりざほ》を肩《かた》にかけ、手《て》に魚籠《びく》を提《さ》げてゐる。言葉《ことば》つきから態度《たいど》まで、只《たゞ》の漁夫《れうし》とは思《おも》へない。肥《ふと》つた柔和《にうわ》な顏《かほ》には微笑《ゑみ》を含《ふく》んでゐる。 「東京《とうきやう》です」と、予《よ》が簡單《かんたん》に答《こた》へると、 「はゝは東京《とうきやう》ですか、私《わたし》も十|年《ねん》も前《まへ》に彼地《あちら》に參《まゐ》つたことがあります」と、多少《たせう》自慢《じまん》の色《いろ》を見《み》せて、「そして、今《いま》は何處《どこ》に宿《やど》をお取《と》りですか」と、さも懇意《こんい》さうに話《はな》しかける。 「日野屋《ひのや》といふ家《うち》です」 「うん、彼家《あすこ》ですか」と、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、「ぢや八釜《やかま》しくてお困《こま》りでせう。あれは下等《かとう》な家《うち》でさあ、とても東京《とうきやう》の方《かた》がお宿《とま》りなさる所《ところ》ぢやありません。と云《い》つて、外《ほか》にいゝ宿《やど》もないんですが」と、賴《たの》みもせぬに、首《くび》を傾《かし》げて考《かんが》へてゐたが、やがて、「ぢや、どうです、私《わたし》の家《うち》へお出《い》でなすつちや、丁度《ちやうど》離座敷《はなれ》が空《あ》いてゐますから、お貸《か》し申《まを》しても差支《さしつか》へありません」 「はあ、都合《つがふ》でお願《ねが》ひに參《まゐ》りませう」と予《よ》は卒氣《そつけ》ない返事《へんじ》をして、あまり取合《とりあ》はなかつたが、彼《か》れは「是非《ぜひ》お出《い》でなさい」と繰返《くりかへ》し、「あの宮《みや》の後《うしろ》です、鶴崎《つるざき》といやあ直《す》ぐ分《わか》ります」と、顋《あご》で敎《をし》へて、丁寧《ていねい》に予《よ》に一|禮《れい》し、杭《くひ》に繋《つな》いである小舟《こぶね》に飛乗《とびの》つた。予《よ》はその漕《こ》ぎ行《ゆ》く姿《すがた》を見送《みおく》り、田舎物《ゐなかもの》の呑氣《のんき》で隔《へだ》てなきを羨《うらや》ましく感《かん》じた。それからぞろ〳〵[#「ぞろ〳〵」に傍点]集《あつま》つて來《く》る鼻垂《はなた》れ小憎《こぞう》子守《こもり》などを相手《あひて》に寫生《しやせい》したり、無邪氣《むじやき》な話《はなし》をして一|日《にち》を暮《くら》した。で、宿《やど》へ歸《かへ》ると、据風呂《すゑふろ》に入《はい》つて後《のち》、相宿《あひやど》の旅商人《たびしやうにん》と世間《せけん》話《ばなし》をしながら、夕食《ゆふめし》を食《く》つてゐたが、ふと彼《か》の男《をとこ》を思《おも》ひ出《だ》し、お給仕《きうじ》の女主人《かみさん》に向《むか》ひ、 「女主人《おかみさん》、鶴崎《つるざき》といふ家《うち》があるだらう、何《なに》をする家《うち》かね」 と聞《き》くと、女主人《かみさん》は頓狂聲《とんきやうごゑ》を出《だ》して、 「何《なに》もしちやゐなさらん、お金持《かねもち》だもの」 「髯《ひげ》のある人《ひと》は、あれが鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》かい」 「ありや若旦那《わかだんな》だあ」 「ぢやあの人《ひと》は釣《つり》ばかりして、遊《あそ》んで暮《く》らしてるんかい」 「えゝ、釣《つり》にも行《ゆ》きなさるし、獵《れう》にも行《ゆ》きなさる。結構《けつかう》な身分《みぶん》で御座《ござ》いまさあ」 「ぢや釣《つり》も獵《れう》も上手《じやうず》だらうな」 「なあに、去年《きよねん》も鐵砲《てつぱう》の狙《ねら》ひを間違《まちが》へて、柴草《しばくさ》あ刈《か》つてる女《をんな》の足《あし》に傷《きづ》をつけたんで御座《ござ》いまさあ、それからちうものは、若旦那樣《わかだんなさま》が鐵砲打《てつぱうゝ》ちに出《で》なさると、芝刈《しばかり》は逃《に》げ出《だ》す位《くらゐ》だ」と女主人《かみさん》は鐵漿《おはぐろ》の齒莖《はぐき》を出《だ》してにつたり[#「につたり」に傍点]笑《わら》つた。 「鶴崎《つるざき》といやあ、この界隈《かいわい》で一|番《ばん》の家柄《いへがら》でさあ、隨分《ずゐぶん》村《むら》の事《こと》にや肩《かた》を入《い》れたもので、この海端《うみばた》の道普請《みちぶしん》なんか一人《ひとり》でやつたものでね、村《むら》の者《もの》がお禮《れい》に石碑《せきひ》を立《た》てた程《ほど》だ。村《むら》にや大《たい》した恩人《おんじん》で、鶴崎《つるざき》の屋敷《やしき》にや落書《らくがき》一《ひと》つする者《もの》がないていふ評判《ひやうばん》だつたが、今《いま》は世《よ》が違《ちが》つて來《き》た」と、旅商人《たびあきんど》の素麺屋《そうめんや》は、薄黑《うすぐろ》い飯《めし》を鵜呑《うの》みにして、赧《あか》い顏《かほ》に歎息《たんそく》の樣子《やうす》を見《み》せた。「ねえ、お神《かみ》さん、今《いま》の鶴崎《つるざき》の大將《たいしやう》も惡《わる》いぢやないか、丸《まる》八の嚊《かゝ》を引掛《ひつか》けてるちうぢやないかい」 「そんな噂《うはさ》だがな、困《こま》つた若旦那《わかだんな》だ。去年《きよねん》も吉《きち》どんが鮪《まぐろ》取《と》りに土佐《とさ》へ行《い》つた留守《るす》にも、何《なん》だかあつたやうだしな」と、女主人《かみさん》は小聲《こごゑ》で云《い》つた。 「大將《たいしやう》、金《かね》はあるし懷手《ふところで》で遊《あそ》んでるから、そんなことでもせねや日《ひ》が立《た》つまい。それに丸《まる》八も鶴崎《つるざき》の家《うち》にや親爺《おやぢ》の代《だい》から借金《しやくきん》があるし、世話《せわ》になつてるんだから、目《め》をつぶつて我慢《がまん》してるんだらう。嚊《かゝあ》のお伽《とぎ》は借金《しやくきん》の利息《りそく》のやうなものだ、ハツヽヽヽ」 予《よ》はこんな話《はなし》を聞《き》いて、好奇心《かうきしん》が湧《わ》き上《あが》り、急《きふ》に鶴崎《つるざき》を訪《たづ》ねて見《み》たくなり、飯《めし》が濟《す》むと、女主人《かみさん》に案内《あんない》させ、提灯《ちやうちん》ぶら提《さ》げて、その家《うち》へ行《い》つた。潜戶《くゞり》を入《はい》ると、庭前《にはさき》で盲目《めくら》の男《をとこ》が唐臼《からうす》を搗《つ》き、かの若主人《わかしゆじん》は臼《うす》の側《そば》に立《た》つて、何《なに》やら小言《こごと》を云《い》つてゐたが、予《よ》を見《み》ると、ぺこ〳〵二三|度《ど》も頭《あたま》を下《さ》げて、「よくお出《い》で下《くだ》すつた」と、手《て》を取《と》らぬばかりにして、座敷《ざしき》へ通《とほ》した。
予《よ》が旅行中《りよかうちう》の見聞談《けんぶんだん》を緖《いとぐち》とし、主人《しゆじん》は釣《つり》の話《はなし》獵《れう》の話《はなし》をぺら〳〵と絕間《たえま》なく述《の》べ立《た》て、終《しまひ》には倉《くら》から書畵《しよぐわ》を一|抱《かゝ》へも持出《もちだ》して、一々|所由《いはれ》の說明《せつめい》を始《はじ》める。舊家《きうか》ほどあつて、山陽《さんやう》や文晁《ぶんてう》や竹田等《ちくでんとう》の眞筆《しんぴつ》もあるが、中《なか》にはひどい贋作《がんさく》も交《まじ》つてゐる。 「御覽《ごらん》の通《とほ》りの貧乏村《びんばふむら》で、外《ほか》に書畵《しよぐわ》なんか持《も》つてる家《うち》は一|軒《けん》もありませんがね、私《わたし》の家《うち》は祖父《ぢゞ》の代《だい》から、多少《たせう》風流氣《ふうりうぎ》がありましてな、矢鱈《やたら》にこんな者《もの》を集《あつ》めたのです。この竹田《ちくでん》のなぞは祖父《ぢゞ》が九|州《しう》へ參《まゐ》つた時《とき》、わざ〳〵賴《たの》みましたので、丹山翁《たんざんおう》の需《もと》めに應《おう》ずとある丹山《たんざん》は、祖父《ぢい》の雅號《ががう》ですよ」 「しかし隨分《ずゐぶん》お集《あつ》めになつたものですな、これ丈《だけ》あれば東京《とうきやう》へ持《も》つてゝも大《たい》したものですよ」 と、褒《ほ》め立《た》てれば、主人《しゆじん》は「へゝゝゝ」と笑《わら》つて、「なあにこれ許《ばか》りぢや、まだ自慢《じまん》になりません、私《わたし》も一《ひと》つ奮發《ふんぱつ》して名作《めいさく》を蒐《あつ》めたいと思《おも》つてゐます。で、どうでせう、折角《せつかく》お近付《ちかづき》になつたんですから、貴下《あなた》にも一《ひと》つ書《か》いて頂《いたゞ》く譯《わけ》に行《い》きませんか、大切《たいせつ》にして子孫《しそん》に傳《つた》へます」 「どうして私《わたし》共《ども》の者《もの》が」 「いえ是非《ぜひ》お願《ねが》ひ申《まを》したい。こんな好機會《かうきくわい》はないんですから」 と、東京《とうきやう》では埃屑《ごみくづ》の如《ごと》き予《よ》を、天下《てんか》の大美術家《だいびじゆつか》でゝもあるやうに、頻《しき》りに嘆願《たんぐわん》し、 「こんな田舎《ゐなか》でもね、昔《むかし》から年《ねん》に二|度《ど》や三|度《ど》は、書家《しよか》だの歌人《うたよみ》だのが、私《わたし》の家《うち》を訪《たづ》ねて、幾日《いくか》も逗留《とうりう》して行《い》きますよ、貴下《あなた》も御遠慮《ごゑんりよ》なく私《わたし》の家《うち》へお越《こ》しになつて、五|日《か》でも六|日《か》でも御逗留《ごとうりう》なすつて、ゆつくりお書《か》き下《くだ》さい、明日《あす》あたり釣《つり》にでも御案内《ごあんない》しませう」 予《よ》はこれ程《ほど》尊敬《そんけい》され優待《ゆうたい》されたことは、甞《かつ》て例《れい》がないのだから、多少《たせう》得意《とくい》になり、二三|度《ど》形式的《けいしきてき》に辭退《じたい》した後《のち》、翌日《よくじつ》から此家《こゝ》の離座敷《はなれ》に移《うつ》ることを約《やく》した。
一|村《そん》の半《なかば》は疊《たゝみ》のない家《いへ》で、障子《しやうじ》の代《かは》りに蓆《むしろ》を垂《た》れてる程《ほど》だが、その間《あひだ》に在《あ》つて鶴崎《つるざき》の家《うち》は一|箇《こ》の小城廓《せうじやうくわく》の趣《おもむ》きがある、四|方《はう》を練塀《ねりべい》で圍《かこ》み、屋敷内《やしきうち》に數畝《すうほ》の菜園《さいえん》もあり、土藏《どざう》が二《ふた》つ、母屋《おもや》は百|餘年《よねん》を經《へ》たもので、柱《はしら》に蝕《むし》ばんだ跡《あと》もあるが、如何《いか》にも手丈夫《てじやうぶ》で宏壯《こうさう》に出來《でき》てゐる。
若主人《わかしゆじん》は丁度《ちやうど》三十|歲《さい》、小學校《せうがくかう》卒業後《そつげふご》、近村《きんそん》の漢學塾《かんがくじゆく》に學《まな》んだのみで、左程《さほど》學問《がくもん》をしたらしくはない。今《いま》は一|家《か》の主權者《しゆけんしや》だが、何《なん》と定《きま》つた仕事《しごと》もなく、一|村《そん》の問題《もんだい》にも少《すこ》しも關係《くわんけい》せぬさうだ。 「しかし貴下《あなた》が村《むら》を指導《しだう》なさらなくちや、外《ほか》に適任者《てきにんしや》はないでせう」と、予《よ》が問《と》うと、彼《か》れは髯《ひげ》を捻《ひね》つて鹿爪《しかつめ》らしく、 「いやこの村《むら》の奴《やつ》は皆《みな》野獸《やじう》のやうでしてね、目上《めうへ》の者《もの》を敬《うやま》うことを知《し》らず、行儀《ぎやうぎ》作法《さはふ》も辨《わきま》へんのですから、指導《しだう》も何《なに》もありませんよ、だから私《わたし》は村《むら》の者《もの》等《ら》が何《なに》をしやうと、一|切《さい》關《かま》はないで、自分《じぶん》は自分《じぶん》で好《す》きな事《こと》をして氣樂《きらく》に暮《くら》してゐます。しかし四五|年前《ねんまへ》から私《わたし》が先《さ》きに立《た》つて碁《ご》の會《くわい》や淨瑠璃《じやうるり》の稽古《けいこ》を始《はじ》めました。そのために多少《たせう》は上品《じやうひん》な氣風《きふう》が出來《でき》て來《き》たやうです、明日《あす》も朝《あさ》から碁《ご》の師匠《しゝやう》が來《く》る筈《はず》ですが、貴下《あなた》も會《くわい》にお加《くはゝ》りなすちや如何《いかゞ》です」 「えゝ有難《ありがた》う、しかし田舎《ゐなか》にゐると長命《ながいき》をする譯《わけ》ですね、私《わたし》もどうかして、こんな風景《ふうけい》のいゝ田舎《ゐなか》の遊民《いうみん》になりたいものだ」 と、染々《しみ〴〵》彼《か》れの境遇《けうぐう》を羨《うらや》んだが、彼《か》れはそれを當然《たうぜん》の如《ごと》く思《おも》つて、「ぢやどうです、此地《こゝ》に永住《えいじう》なすつちや、向《むか》ひの島《しま》は私《わたし》の家《うち》で有《も》つてるんですが、お望《のぞ》みならば、あれを全部《ぜんぶ》お貸《か》し申《まを》してもいゝ。今《いま》は近所《きんじよ》の者《もの》に貸《か》してるんですが、何《なに》、何時《いつ》だつて取上《とりあ》げりやいゝんでさあ」 と、事《こと》もなげに云《い》つて、大口《おほぐち》開《あ》けて笑《わら》ふ。 「はあ、私《わたし》もうんと稼《かせ》いで財產《ざいさん》を造《つく》つたら、島《しま》を拜借《はいしやく》して、別莊《べつさう》でも建《た》てるんですね、しかし島《しま》一《ひと》つ御自身《ごじしん》の者《もの》だと、貴下《あなた》は丸《まる》で王樣《わうさま》のやうですね」 と、予《よ》も相手《あひて》を見《み》て煽動《おだて》ると、 「いや、この小《ちい》さい村《むら》ですが、畠《はたけ》の三|分《ぶん》の一ばかりは私《わたし》の所有《しよいう》です、全體《ぜんたい》この村《むら》の草分《くさわけ》は私《わたし》の先祖《せんぞ》で、代々《だい〴〵》村《むら》のためには盡《つく》したものです。だから明治《めいぢ》の初《はじ》めに頌德碑《しやうとくひ》を立《た》てゝ、お祭《まつり》をした位《くらゐ》ですが、どうも世《よ》の中《なか》の風儀《ふうぎ》は惡《わる》くなりましたね、今《いま》じや石碑《せきひ》も滅茶《めちや》々々《〳〵》に瑕《きづ》がついてゐます。一《ひと》つは今《いま》の學校《がくかう》敎育《けういく》が惡《わる》いんですな、貴賤《きせん》の區別《くべつ》も敎《をし》へるぢやなし」 と、大《おほい》に憤慨《ふんがい》した。それから下女《げぢよ》がわざ〳〵隣村《りんそん》から取《と》つて來《き》た酒《さけ》の御馳走《ごちそう》があり、予《よ》は十|時《じ》過《す》ぎに宿《やど》へ歸《かへ》り、旅商人《たびしやうにん》と一|緖《しよ》に、襖《ふすま》もない居室《へや》に眠《ねむ》つた。 その翌朝《よくてう》から予《よ》は鶴崎《つるざき》の賓客《ひんかく》となり、三|度《ど》々々|取立《とりた》ての魚《さかな》を饗《きやう》せられ、絹夜具《きぬやぐ》に寢《ね》かされ、「先生《せんせい》」と呼《よ》ばれて、二三|日《にち》を送《おく》つた。で、主人《しゆじん》の日常《にちじやう》生活《せいくわつ》を見《み》てると、彼《か》れは朝《あさ》早《はや》く起《お》きて、褞袍《どてら》を着《き》たまゝ胡座《あぐら》をかき、煙草《たばこ》を吸《す》ひながら、作男《さくをとこ》を指圖《さしづ》し、自身《じゝん》も時々《とき〴〵》はぶらり〳〵畠廻《はたけまは》りに行《ゆ》くらしい、家《うち》にゐる間《あひだ》は一|時間《じかん》に一|度《ど》位《ぐらゐ》、下女《げぢよ》か下男《げなん》か妻君《さいくん》か誰《だ》れかに向《む》かつて、何《なに》か云《い》つては怒鳴《どな》つてゐる。屡々《しば〳〵》屋敷《やしき》の周圍《まはり》を懷手《ふところて》でぶらつき、偶々《たま〳〵》落書《らくがき》でも見《み》やうなら、凄《すさま》じい聲《こゑ》で下男《げなん》を呼《よ》んで削《けづ》らせ、惡戯者《いたづらもの》でも見《み》つけたらば、子供《こども》であらうと女《をんな》であらうと引捕《ひつとら》へて縛《しば》り上《あげ》る。しかし予《よ》に對《たい》しては穩《おだや》かで親切《しんせつ》で、全《まつ》たく人《ひと》が異《ちが》うやうだ。妻君《さいくん》は痩《や》せて靑《あを》く、大抵《たいてい》は奧《おく》へ引込《ひつこ》んでゝ、家《いへ》の事《こと》にはあまり關《かま》つてゐないやうだが、一人《ひとり》變《へん》な男《をとこ》が始終《しよつちう》出入《でいり》して、下男《げなん》下女《げぢよ》以上《いじやう》の特權《とくけん》を持《もつ》てゐるやうだ。婢僕《ひぼく》はこの男《をとこ》を馬鹿市《ばかいち》々々々と蔭《かげ》で呼《よ》んで居るが、主人《しゆじん》には餘程《よほど》のお氣《き》に入《い》りと見《み》え、何《なに》をしても小言《こゞと》を喰《く》つたことがない。丈《たけ》が短《ひく》くて顏《かほ》が圖拔《づぬけ》て大《おほ》きく、智慧《ちゑ》の足《た》らんやうな所《ところ》もあるが、又《また》極《きは》めて敏捷《びんしやう》で、樹登《きのぼ》りや屋根傳《やねづた》ひをさすと、飛鳥《ひてう》の如《ごと》く身《み》を運《はこ》ぶ。それに不仁身《ふじみ》であつて、打《ぶ》たれても毆《なぐ》られても痛《いた》くはないといふ。
或晚《あるばん》主人《しゆじん》は、予《よ》の前《まへ》にこの馬鹿市《ばかいち》を呼《よ》び、鞭《むち》を持《も》つてぴしやり〳〵脊中《せなか》を打《う》ち、「不思議《ふしぎ》ぢやありませんか、これで何《なん》とも感《かん》じないんですから、さあ貴下《あなた》も一《ひと》つ打《ぶ》つて御覽《ごらん》なさい、實際《じつさい》當人《たうにん》に苦痛《くつう》はないんです」と、鞭《むち》を前《まへ》に置《お》いて勸《すゝ》めたが、予《よ》は如何《いか》にも殘酷《ざんこく》な氣《き》がして、座興《ざきよう》にもそんな眞似《まね》は出來《でき》ず、その代《かは》りに杯《さかづき》を差《さ》してやると、市公《いちこう》は續《つゞ》け樣《ざま》に五六|杯《はい》を煽《あほ》つて、その悟《さと》れる如《ごと》く愚《ぐ》なるが如《ごと》き顏《かほ》を赤《あか》くして、船頭唄《せんどうゝた》を唄《うた》つた。聲《こゑ》もいゝし唄《うた》も面白《おもしろ》いが、予《よ》には何《なん》となく哀《あは》れに感《かん》ぜられる。 で、主人《しゆじん》に向《むか》つて、「一|體《たい》この男《をとこ》は何物《なにもの》です」と聞《き》くと、 「孤兒《こじ》ですよ、親爺《おやぢ》は鳴門《なると》で難船《なんせん》して死《し》ぬる、阿母《おふくろ》は旅商人《たびあきんど》と駈落《かけおち》する、後《あと》に一人《ひとり》殘《のこ》されてたのを、可愛《かあい》さうだから、私《わたし》共《ども》が育《そだ》て上《あ》げてやつたんです、今《いま》は舟乗《ふなのり》になつて、糊口《くちすぎ》だけは出來《でき》るんですが、氣《き》まぐれ物《もの》で、何處《どこ》へ行《い》つても永《なが》くは勤《つとま》らんのです」 「しかし孤兒《こじ》ぢや可愛《かあい》さうですね」と、市公《いちこう》を見《み》て、同情《どうじやう》を表《ひやう》したが、彼《か》れは平氣《へいき》な顏《かほ》をして、予《よ》と主人《しゆじん》とを見比《みくら》べてゐる。
予《よ》は出立《しゆつたつ》の前日《ぜんじつ》、スケツチ帖《てう》の一《ひと》つを材料《ざいれう》とし、主人《しゆじん》に約束《やくそく》の小《ちい》さい風景畵《ふうけいぐわ》を申譯《まをしわけ》だけに書《か》き上《あ》げ、獨《ひと》り屋後《おくご》の丘《をか》や畠《はたけ》の畦《あぜ》を散步《さんぽ》し、感興《かんきよう》に耽《ふけ》つた。中秋《ちうしう》の空《そら》は底深《そこふか》く澄《す》み、目《め》の下《した》には靜《しづ》かな海《うみ》が廣《ひろ》がり、一|村《そん》は柔《やはら》かな光《ひかり》を浴《あ》びて眠《ねむ》れるが如《ごと》く、寂《せき》として人語《じんご》なく、只《たゞ》漁船《れうせん》から物打《ものう》つ音《おと》がコト〳〵と幽《かす》かに響《ひゞ》くのみ。小徑《こみち》の左右《さいう》には大木《たいぼく》はなく、山間《さんかん》のやうに落葉《おちば》を踏《ふ》むの興《きよう》はなけれど、灌木《くわんぼく》が繁《しげ》つて、その間《あひだ》に女郞花《をみなへし》濱萩《はまはぎ》が交《まじ》つてゐる。予《よ》は此等《これら》の花《はな》を雜草《ざつさう》の間《うち》から、一|本《ぽん》づつ撰《え》り出《だ》しては折《を》り、花束《はなたば》を作《つく》りながら、無意識《むいしき》に菜畠《なばたけ》を橫《よこ》ぎつてると、後《うしろ》から怒鳴《どな》る聲《こゑ》がする。顧《かへり》みると一|丁《ちやう》程《ほど》隔《へだ》てゝ頰被《ほゝかむ》りをした大男《おほをとこ》が鍬《くわ》をついて立《た》つてゐる。予《よ》は別《べつ》に氣《き》にも止《と》めず、ずん〳〵步《ある》いてると、彼《か》の男《をとこ》は物《もの》をも云《い》はず、いきなり、後《うしろ》から予《よ》の後腦《こうのう》を打《う》つた。力《ちから》が籠《こも》つてるのでもないが、痩身《やせみ》には酷《ひど》く應《こた》へて、前《まへ》へのめつたのを、漸《やうや》く踏《ふ》み止《と》まつて、「何《なに》をするんだ」と、身構《みがま》へすると、 「馬鹿《ばか》、何《なに》をするもあつたものか、おれの大事《だいじ》な畠《はたけ》を何故《なぜ》踏《ふ》みやがつた、今《いま》鍬《くわ》を入《い》れたばかりぢやないか」 と、恐《おそ》ろしい劍幕《けんまく》に、予《よ》は吃愕《びつくり》して、一口《ひとくち》の返答《へんたふ》も出來《でき》ず、ぼんやり相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》てると、突如《だしぬけ》に目《め》の前《まへ》に市公《いちこう》が現《あら》はれて、 「この人《ひと》は若旦那《わかだんな》の大事《だいじ》なお客樣《きゃくさま》だぞ」 と相手《あひて》を叱《しか》り、予《よ》の手《て》を執《と》つて、さも保護者《ほごしや》でゝもあるやうな態度《たいど》をして、大股《おほまた》に步《あゆ》み出《だ》した。予《よ》は胸《むね》を鎮《しづ》めて、 「彼奴《あいつ》は誰《だ》れだ」と問《と》ふと、 「丸《まる》八といふ奴《やつ》さ」と云《い》ふ。 「うん、あれか」と獨《ひと》りで首肯《うなづ》いて「市《いち》さん、お前《まへ》は鶴崎《つるざき》の旦那《だんな》のことを知《し》つてるだらう」 「そりや知《し》つてるとも、何《なん》でも知《し》つてらあ、あの旦那《だんな》はえらい人《ひと》だ、誰《だ》れでも意地《いぢ》める者《もの》があつたら、旦那《だんな》にさへ云《い》ひつけやうなら、直《す》ぐ敵《かたき》を取《と》つて吳《く》れらあ、何《なに》しろ我等《おいら》あ、旦那《だんな》のお氣《き》に入《い》りだもの」と、大得意《だいとくゐ》の風《ふう》をして、「それで我等《おいら》あ、村《むら》の者《もの》が、旦那《だんな》の惡口《わるくち》を云《い》つてると、直《す》ぐ吿口《つげぐち》をしてやらあ、旦那《だんな》は喜《よろこ》ぶせ」と首《くび》をすくめて予《よ》の顏《かほ》をのぞき〳〵、その吿口《つげぐち》の例《れい》を話《はな》す。
予《よ》は市公《いちこう》に連《つ》れられて、宿《やど》へ歸《かへ》つたが、百|姓《しやう》に毆《なぐ》られたことは一言《ひとこと》も語《かた》らず、獨《ひと》り離座敷《はなれ》に引籠《ひきこも》り、鞄《かばん》を整頓《せいとん》し、翌朝《よくてう》出立《しゆつたつ》の用意《ようい》をなし東京《とうきやう》の友人《いうじん》宛《あ》てに、二三の端書《はがき》を認《したゝ》めて居ると、母屋《おもや》の方《はう》で、主人《しゆじん》の怒鳴《どな》り聲《ごゑ》がして、靜《しづ》かな空《そら》に尖《するど》く異樣《ゐやう》に響《ひゞ》く。又《また》始《はじ》めたなと、障子《しやうじ》の隙間《すきま》から窺《のぞ》くと、主人《しゆじん》は小高《こだか》い緣側《えんがは》に座《すわ》り、その下《した》の石段《いしだん》に、かの見覺《みおぼ》えある百|姓《しやう》が蹲《しやが》んでゐる。少《すこ》し隔《へだ》つてる爲《ため》、言葉《ことば》の綾《あや》はよく分《わか》らぬが、見《み》た所《ところ》、白洲《しらす》のお捌《さば》きといつた風《ふう》だ。
主人《しゆじん》は疎《まば》らな髯《ひげ》を捻《ひね》つて尊大《そんだい》に構《かま》へ、眉《まゆ》を怒《いか》らせて相手《あひて》を睨《にら》みつけてゐたが、百|姓《しやう》は俯《うつむ》いて、口《くち》を噤《つぐ》み、暫《しば》らくして挨拶《あひさつ》もせずに歸《かへ》つてしまつた。
予《よ》は主人《しゆじん》に對《たい》して、不快《ふくわい》な氣《き》が萠《きざ》し、優遇《いうぐう》も有難味《ありがたみ》がなくなり、この平靜《へいせい》の漁村《ぎよそん》も多少《たせう》厭《い》やになり出《だ》した。 すると主人《しゆじん》は微笑《にこ》〳〵して入《はい》つて來《き》て、 「散步《さんぽ》して入《いら》しつたんですか、今《いま》ね、市公《いちこう》に聞《きゝ》ますと、馬鹿奴《ばかめ》が貴下《あなた》に大變《たいへん》御無禮《ごぶれい》な事《こと》を致《いた》したさうで、どうも無敎育《むけういく》の者《もの》は仕方《しかた》がありませんよ、それについて私《わたし》も申譯《まをしわけ》がないと思《おも》ひましてな、早速《さつそく》彼奴《あいつ》を呼《よ》びつけて小言《こゞと》を云《い》つときました。なあに不都合《ふつがふ》な奴《やつ》には、田地《でんぢ》を取上《とりあ》げてやりますよ、あの田地《でんぢ》だつて皆《みな》私《わたし》の者《もの》ですからな」 と、自身《じゝん》の威光《いくわう》を見《み》よと云《い》はぬばかりの風《ふう》をする。 「だつて、それ位《くらゐ》の事《こと》で、あんな貧乏者《びんばふもの》の田地《でんぢ》を取上《とりあ》げるのは可愛想《かあいさう》ぢやありませんか、どうせ私《わたし》が惡《わる》いんだし」 「いや〳〵、あんな蟲《むし》けら同然《どうぜん》の者《もの》には口《くち》で敎《をし》へたつて駄目《だめ》です、食《く》ふにも困《こま》るやうになつたら、少《すこ》しは性根《しやうね》が入《い》るでせう」 と、彼《か》れは百|姓共《しやうども》の卑《いや》しい汚《きたな》い生活《くらし》の樣《さま》を說明《せつめい》して、頻《しき》りに「蟲《むし》けら同然《どうぜん》です」を繰返《くりかへ》した後《のち》、「どうです、釣《つり》にお出《い》でなすつちや、私《わたし》が御案内《ごあんない》致《ゝた》しませう」と勸《すゝ》める。予《よ》は今日《けふ》に限《かぎ》り釣魚《つり》に心《こゝろ》も向《む》かなかつたが、この一|日《にち》が瀨戶内海《せとないかい》の見收《みおさ》めであれば、强《し》いて心《こゝろ》を引立《ひきた》てゝ承諾《しやうだく》した。 で、市公《いちこう》に釣道具《つりだうぐ》を擔《かつ》がせて、一足《ひとあし》先《さき》へやり、予《よ》と主人《しゆじん》とは後《あと》から磯《いそ》へ出《で》たが、何時《いつ》もの通《とほ》り肥桶《こへたご》を擔《かつ》いだ老農夫《らうのうふ》も網《あみ》を抱《だ》いてるチヨン髷《まげ》の漁夫《れうし》も、皆《みな》擦《す》れ違《ちが》ひ樣《ざま》に鉢卷《はちまき》を取《と》つて恭《うや〳〵》しく挨拶《あひさつ》し、主人《しゆじん》は目《め》か顎《あご》で會釋《ゑしやく》して村王《そんわう》の威《ゐ》を示《しめ》す。中《なか》には予《よ》に對《たい》しても腰《こし》を屈《かゞ》める者《もの》もあつたが、ふと埠頭場《はとば》に集《あつ》まつて艫綱《ともづな》を造《つく》つてる二三の若《わか》い漁夫《れうし》が、互《たが》ひに予《よ》を見《み》ては嘲《あざ》けつてるやうなのが目《め》についた。ほんの耳語《さゝや》いてるのであらうが、田舎者《ゐなかもの》なれば、自然《しぜん》に聲《こゑ》が大《おほ》きくて、予《よ》の過敏《くわびん》な耳《みゝ》には響《ひゞ》いて來《く》る。 「あの人間《にんげん》をぶん毆《なぐ》つたら、田地《でんぢ》を捲上《まきあ》げられるんぢやちうぜ」 「彼奴《あいつ》は馬鹿市《ばかいち》の相棒《あひぼう》だらう、馬鹿《ばか》旦那《だんな》の御機嫌取《ごきげんと》りに遠方《ゑんぱう》から來《き》たんさ」 「おれ逹《たち》や腕《うで》さへありや、五|兩《りやう》や十|兩《りやう》は何時《いつ》でも稼《かせ》げらあ、船板《ふないた》三|尺《しやく》下《した》あ地獄《ぢごく》と决《きま》つてるんだから、誰《だ》れだつて恐《こわ》かあないさ、」 「さうとも、あの大將《たいしやう》、又《また》漁場《れふば》へ邪魔《じやま》をしに行《い》きやがらあ、鰒《ふぐ》でも釣《つ》るんかい」 と、彼等《かれら》の一人《ひとり》は予《よ》に向《むか》つて握拳《にぎりこぶし》を突出《つきだ》して見《み》せ、くつ〳〵笑《わら》つてゐる。予《よ》は不快《ふくわい》で溜《たま》らなくなつた。主人《しゆじん》には聞《きこ》えぬのか聞《きこ》えたのか知《し》らぬが、高聲《たかごゑ》で釣《つり》の講釋《こうしやく》をしながら、舟《ふね》に乗《の》り、市公《いちこう》には閼伽《あか》をすくはせ、自分《じぶん》では櫓《ろ》を操《あやつ》る。予《よ》は舳《へさき》に彳《たゝづ》んで煙草《たばこ》を吹《ふ》かせてゐたが、不快《ふくわい》の念《ねん》は容易《ようい》に去《さ》らぬ。
舟《ふね》は油《あぶら》を流《なが》したやうな水面《すゐめん》を辷《すべ》つて、島蔭《しまかげ》へ來《き》た。主人《しゆじん》は櫓《ろ》を棄《す》てゝ水棹《みさほ》を取《と》り、 「魚《うを》にも巢《す》があります、だから釣《つり》もその巢《す》を見《み》つけてからでなくちや、幾《いく》ら上手《じやうず》でも釣《つ》れるもんぢやありません」と、舟《ふね》をその魚《うを》の巢《す》の側《そば》へ留《と》め、市公《いちこう》に碇《いかり》を卸《おろ》させた。蒼《あを》く澄《す》んだ水《みづ》の底《そこ》に藻屑《もくづ》が生《お》ひ茂《しげ》り、小《ちい》さい魚《うを》が水面《すゐめん》に飛《と》び上《あが》るのを見《み》ると、予《よ》は心躍《こゝろおど》り、先《さき》の不快《ふくわい》も忘《わす》れてしまう。此處《こゝ》には既《すで》に二三|艘《さう》の漁船《れうせん》がゐて、一|心《しん》に釣《つり》をしてゐたが、我等《われら》の舟《ふね》を見《み》ると、漁夫《れうし》は變《へん》な顏《かほ》をして、相《あひ》ついで他方《たはう》へ逃《に》げて行《ゆ》く。 「そら疫病神《やくびやうがみ》が」と云《い》つてるやうに見《み》える。 「私《わたし》等《ら》が釣《つ》ると、外《ほか》の漁夫《れうし》の妨害《ばうがい》になるんぢやありませんか」 と、予《よ》が氣兼《きがね》をすると、 「いや、此處《こゝ》は私《わたし》が見《み》つけたので、先《ま》づ私《わたし》の領分《れうぶん》のやうなものです、何卒《どうぞ》御遠慮《ごゑんりよ》なくお釣《つ》りなさい」 と、主人《しゆじん》は小蝦《こゑび》の肉《にく》を餌《えさ》にして、釣針《つりばり》を垂《た》れると、見《み》る間《ま》に大《おほ》きな沙魚《はぜ》が釣《つ》れた。予《よ》は市公《いちこう》に敎《をそ》はつては釣《つり》を垂《た》れ、不馴《ふな》れな手《て》ですら二三|時間《じかん》に、沙魚《はぜ》や海鯽《ちぬ》や或《あるひ》は鰒《ふぐ》が數《すう》十|尾《び》も釣《つ》れた。
釣《つ》りの面白《おもしろ》さに、我等《われら》は多《おほ》く話《はな》しもせず夕方《ゆふがた》までこの島蔭《しまかげ》に漂《たゞよ》ひ、釣《つ》つては魚《うを》を舟《ふね》の底《そこ》に投《な》げ入《い》れ〳〵してゐた。 「どうです一|服《ぷく》やりますか」と、主人《しゆじん》は釣竿《つりさを》を置《お》いてマツチを擦《す》つた。 「成程《なるほど》よく釣《つ》れますね、これだと商賣《しやうばい》になるでせう、僕《ぼく》も繪《ゑ》を止《や》めて漁夫《れうし》になるかな」と、予《よ》は舟底《ふなぞこ》に重《かさ》なり合《あ》つてる魚《うを》が、ばしや〳〵音《おと》をさせるを聞《き》き、漁村《ぎよそん》の秋氣《しうき》の膓《はらわた》まで染《し》み込《こ》むを覺《おぼ》えた。風《かぜ》はます〳〵凪《な》ぎ、ちぎれ〴〵の夕雲《ゆふぐも》も空《そら》に固定《こてい》してるやうだ。
主人《しゆじん》は兩膝《りやうひざ》を抱《いだ》いて銜《くは》へ煙管《ぎせる》で、「どうだ、市公《いちこう》、水練《すゐれん》を御覽《ごらん》に入《い》れちや」と、予《よ》に向《むか》ひ、「此男《これ》は水潜《みづくゞり》の名人《めいじん》です」と云《い》つたが、市公《いちこう》はその言葉《ことば》の耳《みゝ》に入《い》らぬ程《ほど》、一|心《しん》に空《そら》を見《み》つめ、 「や、株虹《かぶにじ》が出《で》た、大風《おほかぜ》だ〳〵」と叫《さけ》んだ。
主人《しゆじん》もその方《はう》を見上《みあ》げて、「御覽《ごらん》なさい、あの虹《にじ》を、あれが出《で》ると、屹度《きつと》空模樣《そらもやう》が變《かは》るんです」 山《やま》の端《は》には、太《ふと》い短《みじか》い虹《にじ》が物凄《ものすご》くかゝつてゐた。この内海《ないかい》の大嵐《おほあらし》はどんなであらう。予《よ》が歸京後《きゝやうご》に描《ゑが》いた大作《たいさく》は、三|人《にん》が舟中《しうちう》でこの虹《にじ》を見《み》て居《ゐ》る所《ところ》である。
凄い眼