Part 12
工場《こうぢやう》の奧《おく》に疊《たゝみ》を敷《し》いた一室《ひとま》がある。狹《せま》い一|方《ぽう》口《ぐち》で丁度《ちやうど》袋《ふくろ》のやうだ。滅多《めつた》に掃除《さうじ》もせねば隅々《すみ〴〵》には埃《ほこり》が積《つ》もり、壁《かべ》は一|體《たい》に黑《くろ》ずんでゐる。棚《たな》にある磨滅《まめつ》した活字《くわつじ》、開《ひら》いてる傘《からかさ》窄《すぼ》めてる傘《からかさ》、散《ちら》ばつてる衣服《きもの》や帶《おび》、この居室《ゐま》にある者《もの》に一《ひと》つとして汚《よご》れめのない者《もの》はない。それに空氣《くうき》の流通《りうつう》は惡《わる》い。時候《じこう》は梅雨《つゆ》で二三|日《にち》來《らい》鮮《あざや》かな日光《につくわう》が窓《まど》ガラスを通《とほ》つたことはない。異樣《ゐやう》の臭氣《しうき》が室内《しつない》に漲《みなぎ》る。 しかしこの廢物《はいぶつ》同樣《どうやう》の居室《ゐま》も、數多《あまた》の人《ひと》に利用《りよう》されてゐる。騷《さわ》がしい社會《しやくわい》の隱《かく》れ家《が》となつてゐる。仕事《しごと》に疲《つか》れた老《お》いたる社員《しやゐん》が、こつそり此處《こゝ》に忍《しの》んで、肱枕《ひぢまくら》で腰《こし》を叩《たゝ》いてゐることもある。丸髷《まるまげ》の女工《ぢよこう》が火鉢《ひばち》の前《まへ》に立膝《たてひざ》をして二三|服《ぷく》煙草《たばこ》を吸《す》うて行《ゆ》く。夜勤《やきん》の四五|人《にん》がジメ〳〵した座蒲團《ざぶとん》を取捲《とりま》いて、片肌《かたはだ》拔《ぬ》いで花札《はなふだ》を弄《もてあそ》ぶ。折々《をり〳〵》は艶《なま》めかしい言葉《ことば》さへ聞《き》かれるさうだ。 そして集金《しふきん》掛《がゝり》帆田《ほだ》常造《つねざう》は十|數年《すうねん》來《らい》此處《こゝ》に起臥《おきふし》してゐる。年齡《とし》は五十を越《こ》したばかりだが、顏《かほ》が萎《し》なびて頰《ほゝ》が凹《くぼ》み、櫛梳《くしけづ》らぬ髮《かみ》は野生《やせい》の雜草《ざつさう》の如《ごと》く、星明《ほしあか》りに黃《き》ばんだ痩腕《やせうで》を投《な》げ出《だ》して寢《ね》てゐる姿《すがた》はこの世《よ》の人《ひと》とも思《おも》はれぬ。朝《あさ》は職工《しよくこう》が威勢《いせい》よく入《はい》つて來《き》て、周圍《まはり》で騷《さわ》ぐのに目《め》を醒《さ》まされ、ヒヨロ〳〵と起上《おきあが》つて、足《あし》を引《ひき》ずり匐《は》ふやうにして階子段《はしごだん》を下《お》りる。顏《かほ》を洗《あら》ふと裏《うら》の屋臺店《やたいみせ》で鹽餡《しほあん》の大福餅《だいふくもち》を三つ買《か》つて來《き》て、應接所《おうせつじよ》か車夫《しやふ》溜《だま》りで、顏《かほ》中《ぢゆう》をモグ〳〵させて食《く》ふ。喰《く》うてしまふと水道《すゐだう》の水《みづ》を茶椀《ちやわん》に一|杯《ぱい》呑《の》んで、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ歸《かへ》る。それから外出《そとで》の身仕度《みじたく》をして草鞋《わらじ》を穿《は》き、風呂敷《ふろしき》を脊負《せお》ひ、細《ほそ》い竹《たけ》の杖《つゑ》をついて、トボ〳〵と集金《しふきん》に廻《まは》る。雨《あめ》が降《ふ》ると番傘《ばんがさ》を竹《たけ》の杖《つゑ》に代《か》へるのみで、一|日《にち》たりとも休《やす》んだことがない。吹《ふ》けば飛《と》ぶやうな身體《からだ》で重《おも》さうな傘《かさ》をかついで、風雨《ふうゝ》を衝《つ》いて步《ある》いてゐるのは、外目《よそめ》には悲慘《みじめ》に感《かん》ぜられるが、當人《たうにん》は苦《く》にもしない。命《めい》ぜられた通《とほ》りに賣捌店《うりさばきてん》を順《じゆん》ぐりに廻《めぐ》つて、夕暮《ゆふぐれ》には時刻《じこく》を違《たが》へずに歸《かへ》つて來《く》る。それから足《あし》を濯《すゝ》いで、晩餐《ばんめし》に取掛《とりかゝ》るのだが、晩餐《ばんめし》も朝《あさ》と同《おな》じく一《ひと》つ一|錢《せん》の大福《だいふく》か鐵砲卷《てつぱうまき》、只《たゞ》朝《あさ》は生水《なまみづ》で濟《す》ますのに、晚《ばん》には小使《こづかひ》部屋《べや》から暖《あたゝ》かい茶《ちや》を貰《もら》つて來《き》て飮《の》むだけ異《ちが》つてゐる。夜《よる》はこの居室《ゐま》には不似合《ふにあひ》な電燈《でんとう》の下《した》に腹這《はらば》ひになつて、珠盤《そろばん》を前《まへ》に帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べ、一|錢《せん》の相違《さうゐ》もないのを幾度《いくたび》も見屆《みとゞ》けて、初《はじ》めて安心《あんしん》してごろり[#「ごろり」に傍点]と橫《よこ》になる。尤《もつと》も時々《とき〴〵》は自分《じぶん》の財產《ざいさん》調《しら》べもするので、胴卷《どうまき》の金庫《きんこ》から幾重《いくへ》にも白紙《はくし》で包《つゝ》んだ紙幣《しへい》を取出《とりだ》し一|枚《まい》々々《〳〵》調《しら》べて押頂《おしいたゞ》き、又《また》元《もと》の通《とほ》りに收《をさ》めて胴卷《どうまき》を枕《まくら》の下《した》にかくして眠《ねむ》る。この財產《ざいさん》調《しら》べの折《をり》には、人目《ひとめ》を憚《はゞか》るのと悅《うれ》しいのとで元氣《げんき》のない目《め》も活々《いき〳〵》して來《く》る。貯蓄額《ちよちくがく》はせい〴〵二三百|圓《ゑん》であらうが、社員《しやゐん》の噂《うはさ》では千|圓《ゑん》には逹《たつ》したと定《き》められてゐる。費用《つひへ》を恐《おそ》れて妻《つま》を離緣《りえん》し子《こ》をも勘當《かんだう》して、獨《ひと》りぼつちで食《く》ふ者《もの》も食《く》はずに貯蓄《ちよちく》して何《なに》にするのであらうとは、若《わか》い社員等《しやゐんら》の疑問《ぎもん》で、屡々《しば〳〵》調戯《からかひ》半分《はんぶん》に聞《き》いて見《み》るが、彼《か》れは薄氣味《うすきみ》惡《わる》く笑《わら》ふのみで相手《あひて》にもしない。一|日《にち》の仕事《しごと》――食事《しよくじ》もこの人《ひと》には樂《たのし》みではなくて仕事《しごと》の一《ひと》つだ――を終《をは》ると、居室《ゐま》の片隅《かたすみ》に他人《ひと》の邪魔《じやま》にならぬやうに煎餅蒲團《せんべいぶとん》を額《ひたひ》まで被《かぶ》つて寢《ね》る。寢《ね》てからは只《たゞ》翌日《あす》を待《ま》つばかりで、側《そば》で誰《だ》れが何《なに》をしてゐようと、少《すこ》しも心《こゝろ》に留《と》めぬ。輪轉機《りんてんき》の音《おと》、植字歌《しよくじうた》、雨《あめ》の音《おと》、嵐《あらし》の響《ひゞき》、職工《しよくこう》の喧嘩《けんくわ》も口論《こうろん》も、皆《みな》老人《らうじん》の耳《みゝ》を煩《わづら》はさずに消《き》えて行《ゆ》く、睡《ねむ》りを妨《さまた》ぐる者《もの》もない。
所《ところ》がこの二三|日《にち》、帆田《ほだ》老人《らうじん》は腰《こし》のあたりにビリ〳〵微《かす》かな疼痛《いたみ》を感《かん》じて、容易《ようい》に眠《ね》つかれぬ。かねて醫藥《いやく》の料《れう》にと物干臺《ものほしだい》で乾《かは》かした蕺草《どくだみ》枇杷《びは》の葉《は》などの藥草《やくさう》を煎《せん》じて呑《の》んでも利目《きゝめ》がない。で、今日《けふ》――六|月《ぐわつ》二十三|日《にち》――も蒲團《ふとん》へ橫《よこ》になると自分《じぶん》で腰《こし》を撫《な》でゝ小聲《こごゑ》で呻吟《うめい》てゐたが、不圖《ふと》枕許《まくらもと》で自分《じぶん》を呼《よ》ぶ聲《こゑ》がする。 「君《きみ》一《ひと》つお賴《たの》みがあるんだがね」と、夜勤《やきん》の宇野《うの》が靴《くつ》のまゝ疊《たゝみ》の上《うへ》に立《た》つて、「今《いま》香川《かがは》から電話《でんわ》が掛《かゝ》つたんだが、赤坂《あかさか》で飮《の》んで金《かね》が足《た》らぬので歸《かへ》れんそうだから、君《きみ》迎《むか》へに行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ」と云《い》ふ。
帆田《ほだ》は白布《しらぬの》の夜具《やぐ》から乗《の》り出《だ》し、顏《かほ》を顰《しか》めて宇野《うの》を見《み》たが、暫《しば》らく返事《へんじ》をしない。 「ねえ君《きみ》行《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ、金《かね》は今《いま》會計《くわいけい》から借《か》りて持《も》つて來《き》てるんだ。使賃《つかひちん》は出《だ》すよ」 「行《い》つてもえゝが、今夜《けふ》は氣分《きぶん》が惡《わる》いでなあ」と、皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で云《い》つた。 「二十|錢《せん》出《だ》すよ、一|時間《じかん》で行《い》つて來《こ》られるんだから、先日《こなひだ》よりや割《わり》がいゝよ」 帆田《ほだ》は尙《なほ》躊躇《ちうちよ》してゐたが、やがて、 「ぢや行《い》かうかい」と、蒲團《ふとん》から匐《は》ひ出《だ》した。寢衣《ねまき》は着《き》ず菱形《ひしがた》の腹當《はらあて》のみを着《つ》け、脊骨《せぼね》は高《たか》く現《あら》はれてゐる。破扉《やれドア》二《ふた》つを繼《つ》ぎ併《あは》せた衣桁《いかう》から衣服《きもの》を卸《おろ》して、ゆる〳〵身體《からだ》に卷《ま》きつけ、胴卷《どうまき》をぐつと締《し》め、尻端折《しりはしを》つて出《で》て行《い》つた。糠《ぬか》のやうな五月雨《さみだれ》の降《ふ》つてゐる中《なか》を傘《かさ》もさゝず、電車《でんしや》にも乗《の》らぬ。小石《こいし》に躓《つま》づいても倒《たふ》れさうな足《あし》を踏占《ふみし》め〳〵、竹《たけ》の杖《つゑ》を手賴《たよ》りに赤坂《あかさか》まで往復《わうふく》した。
二十|錢《せん》銀貨《ぎんくわ》を財布《さいふ》に入《い》れ、腰《こし》の疼《いた》みを我慢《がまん》して步《ある》いたが、次第《しだい》に疲《つか》れて、社《しや》近《ちか》くなると途《みち》にへたばり[#「へたばり」に傍点]そうになる。喉《のど》は渇《かは》いて來《く》る。そしてふつと[#「ふつと」に傍点]酒《さけ》が飮《の》みたくなつた。酒《さけ》と云《い》ふもの月《つき》に一|度《ど》飮《の》むことも稀《まれ》だが、今夜《こんや》はよく〳〵堪《た》へがたくなつて、使賃《つかひちん》の半分《はんぶん》を捨《す》てるつもりで、ギヨロ〳〵見《み》まはした。酒屋《さかや》もビアーホールも左右《さいう》にあれど、電燈《でんとう》に輝《かゞや》いて美《うつく》しく、氣臆《きおく》れがしてとても入《はい》れそうにない。で、わざ〳〵社《しや》の前《まへ》を行過《ゆきす》ぎ迂道《まはりみち》して、大根《だいこん》河岸《がし》向《むか》うの繩暖簾《なはのれん》を潜《くゞ》つた。ランプは薄暗《うすぐら》く、土間《どま》は連日《れんじつ》の雨《あめ》に濕《しめ》り、腐《くさ》つた臭《にほ》ひが漂《たゞよ》うてゐて、外《ほか》に客《きやく》は一人《ひとり》もゐない。彼《か》れはべた〳〵汚《よご》れた腰掛《こしかけ》にぐつたり身體《からだ》を曲《ま》げて座《すわ》り、燒酎《せうちう》を啜《すゝ》つた。一|杯《ぱい》が五|錢《せん》だ。
手《て》についた滴《しづく》を頰《ほゝ》になすくり、十五|錢《せん》の釣錢《つり》を財布《さいふ》に入《い》れて戶外《そと》へ出《で》たが、頭《あたま》も足《あし》も一|緖《しよ》にふら〳〵[#「ふら〳〵」に傍点]する。手拭《てぬぐひ》で鉢卷《はちまき》をして細《ほそ》い雨《あめ》の中《なか》を踊《をど》るやうな手《て》つきで通《とほ》つて 「ア、コラ〳〵」と皺枯《しやが》れ聲《ごゑ》で拍子《ひやうし》を取《と》つて社《しや》へ入《はい》つた。 「大變《たいへん》景氣《けいき》がいゝね、君《きみ》が酒《さけ》を飮《の》んだのは初《はじ》めて見《み》た」 と、宇野《うの》は微笑《にこ》々々《〳〵》して云《い》つた。
帆田《ほだ》は「へゝゝ」と笑《わら》つて奧《おく》へ行《ゆ》きかけたが、又《また》後戾《あともど》りして、懷《ふところ》から鉛筆《えんぴつ》の受取書《うけとりがき》を宇野《うの》に渡《わた》した。 「受取《うけとり》なんか入《い》らないのに」 「でも間違《まちが》ひがあつちやならん」 と云《い》つて、帆田《ほだ》は又《また》「ア、コラ〳〵」を續《つゞ》けて、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ入《はい》ると、電燈《でんとう》の側《そば》で職工《しよくこう》が四人《よにん》花札《はなふだ》を並《なら》べ、銅貨《どうくわ》の音《おと》をさせてゐた。
物珍《ものめづ》らしそうに上《うへ》から覘《のぞ》くと、その中《うち》の一人《ひとり》が、 「帆田《ほだ》さん明日《あす》まで五十|錢《せん》ばかり借《か》して吳《く》れませんか」 と、顏《かほ》を上《あ》げた。
帆田《ほだ》はへゝゝと云《い》つたきり、隅《すみ》の寢床《ねどこ》へ轉《ころ》げ込《こ》んだ。濡《ぬ》れた衣服《きもの》のまゝ鉢卷《まちまき》をも取《と》らずグツスリ睡《ね》てしまつた。 それから一|時間《じかん》、香川《かがは》が赤《あか》い顏《かほ》をして、ビシヨ濡《ぬ》れで歸《かへ》つて來《き》た。上衣《うはぎ》を脫《ぬ》いで黑《くろ》ずんだ肉色《にくいろ》のシヤツ一|枚《まい》になり、宇野《うの》と賑《にぎ》やかに話《はな》してゐたが、夜《よ》は更《ふ》けて、周圍《あたり》も靜《しづ》かに、繁吹《しぶ》きに曇《くも》つた玻璃窓《ガラスまど》から、柳葉《りうえう》の風《かぜ》に亂《みだ》れてゐるのが見《み》える。 「さあ歸《かへ》らうか、電車《でんしや》のある中《うち》に」と、宇野《うの》は椅子《いす》を離《はな》れた。 「僕《ぼく》も寢《ね》ようか」と、香川《かゞは》は眠《ねむ》そうな目《め》で時計《とけい》を見《み》て欠伸《あくび》をした。 「可愛《かあい》そうだね、そんな大《おほ》きな身體《からだ》をして宿《やど》るに家《いへ》なしぢや、」 「うゝん」 宇野《うの》の靴《くつ》の音《おと》が消《き》えると、香川《かゞは》は椅子《いす》を二|脚《きやく》づゝ兩手《れうて》で提《さ》げて、隣《とな》りの豫備《よび》應接室《おうせつしつ》へ行《はい》つた。此處《こゝ》には新聞《しんぶん》の綴込《とぢこ》みが保存《ほぞん》され、テーブルと椅子《いす》が据《す》ゑつけられてゐる。光《ひかり》は廊下《らうか》の電燈《でんとう》が隅《すみ》の方《はう》から薄《うす》く照《て》らすばかり。香川《かゞは》はテーブルを片寄《かたよ》せ、椅子《いす》を四|脚《きやく》づゝ二|列《れつ》にくつゝけて並《なら》べ、その上《うへ》に毛布《けつと》を敷《し》き、厚《あつ》い冬夜具《ふゆやぐ》をかけ、素裸《すつぱだか》になつて藻《も》ぐり込《こ》んだ。書物《しよもつ》を枕《まくら》に首《くび》だけ出《だ》して寢《ね》てゐたが、蒸暑《むしあつ》くて身體《からだ》が汗《あせ》ばんで來《く》るので、我知《われし》らず夜具《やぐ》を腰《こし》から下《した》へ押《おし》のけ、胸毛《むなげ》のある赤《あか》らんだ胴《どう》を曝《さ》らし、一《ひと》つ二《ふた》つ蚊《か》の襲《おそ》ふのも知《し》らずに眠入《ねい》つた。
夜《よ》は更《ふ》けて電車《でんしや》も絕《た》え、街上《がいじやう》は靜《しづ》かに、雨《あめ》は或《あるひ》は急《きふ》に或《あるひ》は緩《ゆる》く降《ふ》りつゞけてゐる。香川《かゞは》は酒《さけ》の醉《よ》ひに若《わか》い血汐《ちしほ》の心《こゝろ》よくめぐつて、夢《ゆめ》も見《み》ず、片足《かたあし》を投《な》げ出《だ》して、太《ふと》い緩《ゆる》い息《いき》をして眠《ねむ》つてゐる。帆田《ほだ》は一|時《じ》忘《わす》れてゐた疼痛《いたみ》の又《また》も起《おこ》つては、屡々《しば〳〵》夢《ゆめ》を破《やぶ》られて呻吟《うめい》てゐる。
工場《こうぢやう》の奧《おく》の電燈《でんとう》も消《け》された。暗《くら》い中《なか》に老人《らうじん》の低《ひく》い呻吟《うめき》と香川《かゞは》の高《たか》い鼾鼻《いびき》とが漂《たゞよ》うてゐた。その間《あひだ》に階下《した》では輪轉機《りんてんき》の音《おと》、新聞《しんぶん》を積出《つみだ》す音《おと》がしてゐる。
空《むな》しき編輯局《へんしうきよく》には時計《とけい》が一|時《じ》を打《う》ち、二|時《じ》を打《う》つ。三|時《じ》を打《う》たんとした頃《ころ》、香川《かゞは》は口《くち》をもが〳〵させ唾《つばき》を呑《の》んでゐたが、やがて鼻《はな》を鳴《な》らして深《ふか》く息《いき》を吸《す》ひ、目《め》を細《ほそ》くして寢返《ねが》へりをした。喉《のど》が乾《かは》く。 で、椅子《いす》を脫《ぬ》け出《で》て、柱《はしら》の釘《くぎ》に釣《つる》した洋服《やうふく》の上衣《うはぎ》を裸身《はだかみ》に纏《まと》ひ、階下《した》へ驅《か》け下《お》りて水道《すゐだう》の水《みづ》をガブ呑《の》みして歸《かへ》つた。
此頃《このごろ》は癖《くせ》になつて今《いま》時分《じぶん》に目《め》が醒《さ》める。今夜《こんや》は酒《さけ》の勢《いきほ》ひで睡過《ねす》ごしたが、それでもまだ短《みじ》かい夜《よる》の明《あ》けんともせぬ。空氣《くうき》は寢《ね》た間《ま》に冷《ひ》えて來《き》て、身體《からだ》がゾク〳〵する。彼《か》れは嚔《くさめ》をした。椅子《いす》の足《あし》にからまつてる夜具《やぐ》を引上《ひきあ》げて首《くび》まで被《かぶ》つた。
天井《てんじやう》の黃《きい》ろい紙《かみ》が垂《た》れ、連日《れんじつ》の雨《あめ》に黴臭《かびくさ》い香《にほ》ひが、締切《しめき》つた居室《ゐま》の中《うち》に何處《どこ》からともなく湧《わ》き出《で》て來《く》る。
彼《か》れの目《め》は冴《さ》えて再《ふたゝ》び睡《ね》つかれぬ。筋肉《きんにく》の逞《たく》ましい腕《うで》に力《ちから》を籠《こ》め、脊延《せの》びをして、 「おれも何時《いつ》になつたら滿足《まんぞく》に疊《たゝみ》の上《うへ》に寢《ね》られることか」と思《おも》つた。グツと夜明《よあけ》まで睡《ね》れゝばよいが、暗《くら》い中《うち》に目《め》が開《あ》くと、屹度《きつと》この惡念《あくねん》に取《とり》つかれる。殊《こと》に醉《よ》つて騷《さわ》いだ晚《ばん》はひどい。 しかし醉《よ》つた間《あひだ》に何《なに》を唄《うた》つたか、何《なに》を喋舌《しやべ》つたか、何《ど》んなにして女《をんな》と戯《たはむ》れたか、彼《か》れの頭《あたま》にはハツキリ殘《のこ》つてゐない。只《たゞ》ボンヤリ「面白《おもしろ》かつた」と云《い》ふ感《かん》じが浮《うか》んで來《く》る。それにつれて、「明日《あす》の辨當代《べんたうだい》もなくて、こんな事《こと》をしてゐたつて」と云《い》ふ感《かん》じが激《はげ》しく胸《むね》に響《ひゞ》ゐて來《く》る。
彼《か》れは又《また》强《つよ》い嚔《くさめ》をした。それが淋《さび》しい居間《ゐま》に鳴《な》り渡《わた》る。 「まだ夜《よ》の明《あ》けるに間《ま》があらう」と、頭《あたま》を持上《もた》げて玻璃《ガラス》越《ご》しに廊下《らうか》を見《み》ると、工場《こうば》の入口《いりくち》からコソ〳〵と草履《ざうり》の足音《あしおと》が聞《きこ》える。外《そと》は雨《あめ》で暗《くら》い、足音《あしおと》は次第《しだい》に近《ちか》づいて寢室《しんしつ》の側《そば》まで來《き》た、「今《いま》時分《じぶん》誰《だ》れだらう」と疑《うたが》つて、薄氣味《うすきみ》惡《わる》く思《おも》つて見《み》てゐると、薄光《うすびかり》に幽靈《ゆうれい》のやうな帆田《ほだ》の半身《はんしん》が現《あら》はれた。幽《かす》かに呻吟《うめ》きながら階子段《はしごだん》の手摺《てすり》に凭《もた》れた。
香川《かゞは》はこの痩《や》せさらぼへる老人《らうじん》が、自分《じぶん》と同《おな》じように一人《ひとり》ぼつちで、奧《おく》で寢《ね》てゐることを思《おも》ひ出《だ》した。で、ドアを開《あ》けて首《くび》を出《だ》し、 「お爺《ぢい》さん、何《なに》をしてる」と、陽氣《やうき》な聲《こゑ》で問《と》うた。 「腹《はら》が痛《いた》くつて」と、帆田《ほだ》は牡蠣《かき》のやうな目《め》を向《む》けて、虫《むし》の音《ね》で云《い》ふ。 「そうか困《こま》つたね、醫者《いしや》でも呼《よ》んで來《こ》ようか」 「なあにそれにや及《およ》ばん」 帆田《ほだ》は匐《は》ふやうにして階下《した》へ下《お》りた。厠《かはや》へでも行《い》つたのだらう。
香川《かゞは》は階子段《はしごだん》の隅《すみ》の玻璃《ガラス》窓《まど》を開《あ》けて冷《つめ》たい空氣《くうき》を吸《す》うた。暗澹《あんたん》たる雲《くも》は低《ひく》い屋根《やね》から屋根《やね》へ垂《た》れて、曙光《しよくわう》はまだ堰《せ》き止《と》められてゐる。
彼《か》れは再《ふたゝ》び寢床《ねどこ》へ歸《かへ》つたが、帆田《ほだ》老人《らうじん》の事《こと》が氣《き》になる。あれで金《かね》ばかり溜《た》めてゝ何《なに》をするんだらう。家《いへ》もなく、病氣《びやうき》の看護《かんご》もされず、紙幣《さつ》を抱《だ》いて死《し》んでしまう。それつきりだ。それ以上《いじやう》になすべきこともないのだ。しかし自分《じぶん》は歲《とし》も若《わか》い、身體《からだ》も强《つよ》い、爲《な》すべきことが多《おほ》い。爲《な》すべき時《とき》に何《なに》もせず、徒《いたづ》らに帆田《ほだ》のやうな骸骨《がいこつ》になるのは無念《むねん》だ。「あゝ金《かね》が欲《ほ》しい」帆田《ほだ》には無用《むよう》の金《かね》だが、自分《じぶん》には生《い》きて役《やく》に立《た》つ。隣《となり》同士《どうし》で寢《ね》てゐて、老人《らうじん》は何時《いつ》死《し》ぬかも分《わか》らぬ。財產《ざいさん》の相續人《さうぞくにん》もなく、財產《ざいさん》の高《たか》も知《し》つた人《ひと》はない。 で、香川《かゞは》は夜具《やぐ》で顏《かほ》を蔽《おほ》うて、それからそれと雜念《ざつねん》に襲《おそ》はれてゐたが、周圍《まはり》の騷々《さう〴〵》しくなるに氣付《きづ》いて、首《くび》を出《だ》すと、何時《いつ》の間《ま》にか夜《よ》は明《あ》けて、小使《こづかひ》が掃除《さうじ》をしてゐる。
香川《かゞは》の雜念《ざつねん》は搔《か》き消《け》す如《ごと》く消《き》えてしまう。で、元氣《げんき》よく起《お》きて、洋服《やうふく》を着《つ》け、顏《かほ》を洗《あら》つて後《のち》、髯《ひげ》を捻《ひね》りながら、無心《むしん》に社内《しやない》をぶら[#「ぶら」に傍点]ついてゐると、應接室《おうせつしつ》に帆田《ほだ》の後姿《うしろすがた》が見《み》える。朝餐《あさめし》を食《く》ひながら、前《まへ》に算盤《そろばん》を置《お》いて帳簿《ちやうぼ》を調《しら》べてゐる。
香川《かゞは》が後《うしろ》から近《ちか》づくと、老人《らうじん》は驚《おどろ》いたやうに胸《むね》に手《て》を當《あ》てゝ振向《むりむ》いた。 「もう病氣《びやうき》はよくなつたのかね」 「もう大丈夫《だいじやうぶ》だ」 「でも大事《だいじ》にせんといかんよ、一|日《にち》位《くらゐ》休《やす》んでもいゝだらう」 「はゝゝ、休《やす》む譯《わけ》にも行《い》かんでな」 「僕《ぼく》が代理《だいり》で廻《まは》らうか、僕《ぼく》は君《きみ》に肖《あや》かつて金持《かねもち》になりたいから」 帆田《ほだ》は鹽餡《しほあん》の大福《だいふく》を豆粒《まめつぶ》程《ほど》に千切《ちぎ》つては口《くち》に入《い》れて、相手《あひて》に耳《みゝ》を貸《か》さず、震《ふる》へる指先《ゆびさき》で算盤《そろばん》を彈《はじ》いてゐた。 「君《きみ》は僕《ぼく》を養子《やうし》にして吳《く》れんかね、二人《ふたり》で家《うち》を持《も》つて稼《かせ》いだ方《はう》がいゝぢやないか、僕《ぼく》は親爺《おやぢ》がないんだから、君《きみ》を實《じつ》の親《おや》のやうにして孝行《かう〳〵》するよ、ねえ、その方《はう》がいいぢやないか」と、香川《かゞは》は笑《わら》ひながら五月蠅《うるさ》く云《い》ふので、帆田《ほだ》は物《もの》をも云《い》はず、帳簿《ちやうぼ》を抱《いだ》いて應接所《おうせつしよ》を出《で》て行《い》つた。
一|時間《じかん》後《ご》には帆田《ほだ》は草鞋《わらじ》脚絆《きやはん》の身裝《みづくり》をして、集金《しふきん》に出《で》かけた。二|時間《じかん》後《ご》に香川《かゞは》は車《くるま》に乗《の》つて政黨《せいとう》本部《ほんぶ》や官省《くわんしやう》を廻《まは》つた。
この日《ひ》帆田《ほだ》は一手柄《ひとてがら》をしたつもりで新聞《しんぶん》の材料《たね》を持《も》つて來《き》た。云《い》ふ事《こと》がボンヤリしてよく要點《えうてん》を得《え》ないが、何《なん》でも本鄉《ほんがう》の弓町《ゆみちやう》邊《へん》で人殺《ひとごろ》しがあつたのださうだ。被害者《ひがいしや》は高利貸《かうりかし》、殺害《さつがい》の原因《げんいん》は借金《しやくきん》を催促《さいそく》したからだと云《い》ふ。 「老爺《おぢい》さん、又《また》夢《ゆめ》でも見《み》たのだらう」 「先月《せんげつ》も公園《こうえん》で首《くび》くゝりがあつたつて知《し》らせて來《き》たが、あれでも社員《しやゐん》と云《い》ふ意識《いしき》があるからだらう。態々《わざ〳〵》知《し》らせに來《く》るだけ感心《かんしん》だ」 「首《くび》くゝりか人殺《ひとごろ》しか、何時《いつ》かも下《くだ》らない小泥棒《こどろぼう》の噂《うはさ》を持《も》つて來《き》た。老爺《おぢい》碌《ろく》な事《こと》を見《み》ないんだね」 と、三|面《めん》の連中《れんちう》はあまり取合《とりあ》はず、探訪《たんぼう》をも特派《とくは》しなかつた。
帆田《ほだ》は顏《かほ》と足《あし》とを水道《すゐだう》で洗《あら》つて、自分《じぶん》の居間《ゐま》へ上《あが》つた。擦《す》れちがひに歸《かへ》つて行《ゆ》く職工《しよくこう》、入《はい》つて來《く》る職工《しよくこう》、階子段《はしごだん》は傘《かさ》の雫《しづく》でズブ濡《ぬ》れになつてゐる。日《ひ》は早《はや》く暮《く》れて、電燈《でんとう》はジメ〳〵した疊《たゝみ》を照《て》らしてゐる。老人《らうじん》は例《れい》によつて帳簿《ちやうぼ》調《しら》べをしようと思《おも》つたが、疲勞《ひらう》と腹《はら》の痛《いた》みに弱《よわ》つて、晩餐《ばんめし》も食《く》はずに寢床《ねどこ》へ入《はい》つた。何《なん》となく寢苦《ねぐる》しい。それに晝《ひる》の人殺《ひとごろ》し騷《さわ》ぎが折々《をり〳〵》思《おも》ひ出《だ》したように胸《むね》に浮《うか》ぶ。 で、長《なが》い間《あひだ》眠《ね》つ醒《さ》めつした揚句《あげく》、眞夜中《まよなか》頃《ごろ》人氣《ひとけ》のないのを見《み》て、藥湯《やくとう》を飮《の》み、唯一《ゆゐいつ》の樂《たのし》みの財產《ざいさん》調《しら》べを初《はじ》めた。 「老爺《おやぢ》さん、淋《さび》しいだらう」と、香川《かゞは》は突如《だしぬけ》に入《はい》つて來《き》た。酒《さけ》の息《いき》を吐《は》いてゐる。帆田《ほだ》はモグ〳〵口《くち》の中《なか》で云《い》つたが、それは香川《かゞは》には聞《きこ》えない。 「いよ〳〵工場《こうば》も建增《たてま》しをすることに决《きま》つたそうだから、この部屋《へや》も壞《こは》されるのだらう。そしたら老爺《おぢい》さんも何處《どこ》かへ立退《たちの》かなくちやなるまい、どうするつもりかね」 と、詰責《きつせき》するような調子《てうし》で問《と》うたが、老人《らうじん》は何《なん》とも答《こた》へない。心《こゝろ》では只《たゞ》自分《じぶん》の樂《たのし》みの妨害者《ぼうがいしや》を怒《いか》つてゐた。工場《こうぢやう》建增《たてま》しの噂《うはさ》は時々《とき〴〵》老人《らうじん》の耳《みゝ》にも入《はい》つて來《く》るが、それが別段《べつだん》刺激《しげき》をも與《あた》へない。過去《くわこ》と將來《しやうらい》はこの老人《らうじん》の衰《おとろ》へた頭《あたま》を惱《なや》ますに足《た》らぬのである。 で、香川《かゞは》の去《さ》つた後《のち》は、何《なに》か不安《ふあん》らしく、有合《ありあは》せの板片《いたぎれ》で入口《いりくち》を蔽《おほ》うて眠《ねむり》に就《つ》いた。翌朝《よくてう》も雨《あめ》で、顏《かほ》を見《み》ると人々《ひと〴〵》は皆《みな》いやな天氣《てんき》を歎《たん》じてゐたが、帆田《ほだ》は獨《ひと》り默《だま》つて仕事《しごと》に出《で》た。衰弱《すゐじやく》せる上《うへ》に氣候《きこう》の不順《ふじゆん》に害《そこな》はれて、顏《かほ》は死人《しにん》のようであるが、誰《た》れも怪《あや》しむ者《もの》はなく、氣遣《きづか》つてやる者《もの》もない。
香川《かゞは》は尙《なほ》夜中《よなか》に目《め》の醒《さ》める癖《くせ》が止《や》まぬ。醒《さ》めると雜念《ざつねん》が起《おこ》る。雜念《ざつねん》の中《うち》には帆田《ほだ》老人《らうじん》が織《お》り込《こ》まれる。かの無用《むよう》の財產《ざいさん》は自分《じぶん》の手《て》にあらば幸福《こうふく》に使《つか》へるのだとの思《おも》ひは夜々《よゝ》に嵩《かさ》まつて來《く》る。男《をとこ》一|匹《ぴき》世《よ》の中《なか》に活躍《くわつやく》するの地步《ちほ》もつくれるとも思《おも》はれる。そして香川《かゞは》は老人《らうじん》の牡蠣《かき》のやうな凄《すご》い眼《め》を暗中《あんちう》にも思《おも》ひ浮《うか》べるようになつた。二人《ふたり》は何《なん》となく關係《くわんけい》があるやうな氣《き》がする。宿世《しゆくせ》の緣《ゑん》が成立《なりた》つてゐるやうな氣《き》がするのであつた。
降《ふ》るか曇《くも》るかの鬱陶《うつとう》しい梅雨期《ばいうき》がつゞく。その中《うち》に老人《らうじん》は衰弱《すゐじやく》を重《かさ》ねて、步《あゆ》むにも堪《た》へかね、或《ある》晚《ばん》階子段《はしごだん》で倒《たふ》れたなり、遂《つひ》に床《とこ》に就《つ》いて起《お》き得《え》なくなつた。
小使《こづかひ》に粥《かゆ》を煑《に》て貰《もら》ふばかりで、誰《だ》れにも顧《かへり》みられず看護《かんご》されず、殆《ほど》んど存在《そんざい》をも認《みと》められずに、幽《かす》かな呻吟《うめき》と昏睡《こんすゐ》とを續《つゞ》けてゐた。
只《たゞ》香川《かゞは》のみは半《なか》ば好奇心《かうきしん》から、時々《とき〴〵》見舞《みま》つてやるが、老人《らうじん》は不快《ふくわい》な目《め》を向《む》けて、少《すこ》しも喜《よろこ》ぶ風《ふう》はない。恨《うら》めしいやうな恐《おそ》ろしいやうな顏《かほ》をして、側《そば》へ寄《よ》られるのを厭《いや》がり、痩腕《やせうで》で防禦《ばうぎよ》するやうな身構《みがま》へをすることもある。或《ある》晚《ばん》は夢心地《ゆめごゝち》で、「この野郞《やらう》まだおれを意地《いぢ》めに來《く》るか、もう親《おや》でないぞ、子《こ》とは思《おも》はんぞ」と叫《さけ》んで、尙《なほ》不明瞭《ふめいれう》な聲《こゑ》で獨言《ひとりごと》を云《い》つた。香川《かゞは》は理由《わけ》は分《わか》らないが、何《なん》となく恐《おそ》ろしくなつて逃《に》げて歸《かへ》つた。そして老人《らうじん》は職工《しよくこう》などが幾《いく》ら周圍《まはり》で立騷《たちさわ》がうと、自分《じぶん》を冷《ひや》かしてゐやうと、無感《むかん》無覺《むかく》でゐるが、香川《かゞは》を見《み》ると面相《めんさう》が變《かは》つて來《く》る。 「何故《なぜ》だらう」と、香川《かゞは》は怪《あや》しんで宇野《うの》に話《はな》した。 「何《なに》か惡《わる》いことをしたんぢやないか、金《かね》でも借《か》りたんぢやないか」 「あの老爺《ぢいさん》が何《なん》で人《ひと》に金《かね》を貸《か》すものか、それに僕《ぼく》だけが多少《たせう》同情《どうじやう》してるんだから、感謝《かんしや》すべき筈《はず》だ」 「君《きみ》の顏《かほ》が老爺《ぢいさん》の息子《むすこ》にでも似《に》てるんぢやないか」 「なあに彼奴《あいつ》の子《こ》は身體《からだ》が痩《や》せてゝ、親爺《おやぢ》のやうな恐《こわ》い目《め》をしてるそうだ」 「兎《と》に角《かく》君《きみ》も酷《ひど》い奴《やつ》に見込《みこ》まれたものだね」 「氣味《きみ》の惡《わる》い老耄《おいぼれ》だよ」 香川《かゞは》はその夜《よ》から目《め》が醒《さ》めると、暗中《あんちゆう》にかの凄《すご》い目《め》を見《み》て震《ふる》えることがある。で、二三|日《にち》すると遂《つひ》に堪《た》へかねて、詮方《せんかた》なく外《ほか》へ轉居《てんきよ》した。
暫《しば》らく老人《らうじん》の事《こと》を忘《わす》れて、金《かね》の苦面《くめん》に惱《なや》んでゐたが、或《ある》日《ひ》不圖《ふと》社《しや》の前《まへ》で彼《か》れに出會《であ》つた。病氣《びやうき》は治《なほ》つたのか治《なほ》らぬのか、尋《たづ》ねても、齒《は》の拔《ぬ》けた口《くち》をもぐ〳〵させた許《ばか》りで分《わか》らなかつたが、風呂敷《ふろしき》包《づゝみ》を脊負《せお》うて、フラつく足《あし》で出《で》て行《い》つた。
香川《かゞは》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めて顏《かほ》を脊《そむ》けた。
世間並
(一)
私《わたし》は小《こ》半時間《はんじかん》東片町《ひがしかたまち》の加瀨《かせ》の宿《やど》を捜《さが》した。彼《か》れとは今年《ことし》になつて、一|度《ど》も相會《あひあ》ふの機會《きくわい》がなかつた。又《また》强《し》いて會《あ》ひたくもなかつた。所《ところ》が昨夜《ゆふべ》情熱家《じやうねつか》の豐島《とよしま》が私《わたし》の家《うち》へ來《き》て、加瀨《かせ》の戀《こひ》を語《かた》つて憤慨《ふんがい》した。彼《か》れの戀《こひ》は熱烈《ねつれつ》でない沈痛《ちんつう》でない、浮薄《ふはく》だ、キザだ、見得坊《みえばう》だ、柔弱《じうじやく》だと罵倒《ばたふ》を續《つゞ》け、終《しまひ》にお定《きま》りのバイロン、ハイネを叫《さけ》んで歸《かへ》つた。加瀨《かせ》の戀《こひ》々々々々、私《わたし》の耳《みゝ》には多少《たせう》面白《おもしろ》く響《ひゞ》く。それで急《きふ》に訪《たづ》ねて見《み》たくなり、雨《あめ》をも厭《いと》はず大久保《おほくぼ》から遙々《はる〴〵》來《く》るには來《き》たが、さて容易《ようい》に家《うち》が見《み》つからぬ。先頃《さきごろ》久振《ひさしぶ》りで、引越《ひつこし》の通知《つうち》を兼《か》ねて手紙《てがみ》を吳《く》れたけれど、彼《か》れに用事《ようじ》はないと、そのまゝ反古《ほご》にして仕舞《しま》つたので、番地《ばんち》は分《わか》らぬ。○○方《かた》と云《い》ふ○○もはつきり[#「はつきり」に傍点]記憶《きおく》に留《とゞ》まつてゐない。只《たゞ》小山《こやま》とか戶山《とやま》とか山《やま》の字《じ》のあつたことは覺《おぼ》えて居《ゐ》る。それから 「僕《ぼく》の宿《やど》を尋《たづ》ねんとならば、垣根《かきね》に沿《そ》える椿《つばき》の花《はな》を目印《めじるし》となさるべく候《そろ》」と、あの男《をとこ》相應《さうおう》の文句《もんく》を書《か》き添《そ》へてあつたことは覺《おぼ》えてゐる。
私《わたし》は幾《いく》つも路次《ろじ》を通《とほ》つた。傘《かさ》の必要《ひつえう》もない程《ほど》の春雨《はるさめ》が降《ふ》つてゐる。下駄直《げたなほ》しの皷《つゞみ》の音《おと》、煑豆屋《にまめや》の鈴《すゞ》の音《おと》が、ゆるやかな空《そら》に響《ひゞ》いてゐる。私《わたし》は無理《むり》に焦《あせ》つて尋《たづ》ねる氣《き》もなく、「會《あ》つたつて格別《かくべつ》話《はな》しもないんだもの」と、通《とほ》りへ突拔《つきぬ》けやうとすると、往來《わうらい》安全《あんぜん》の瓦斯燈《ぐわすとう》の向《むか》うに眞紅《しんく》の椿《つばき》の花《はな》が鮮《あざや》かに目《め》に映《うつ》つた。果《はた》して小山《こやま》といふ門札《もんさつ》が見《み》える。狭《せま》い門《もん》が開《あ》いて、塗《ぬ》りの新《あたら》しい車《くるま》が道《みち》を塞《ふさ》いで、玄關《げんくわん》先《さき》に橫《よこたは》つてゐる。
案内《あんない》を乞《こ》ふ迄《まで》もなく、開《あ》け放《はな》した座敷《ざしき》に加瀨《かせ》の立姿《たちすがた》が見《み》えた。光《ひか》るやうなフロツクコートを着《き》て、長《なが》い髮《かみ》を奇麗《きれい》に分《わ》け、頻《しき》りに衣紋《いもん》を正《たゞ》してゐる。私《わたし》は彼《か》れを見違《みちが》へる程《ほど》であつた。 「さあ上《あが》り玉《たま》へ」と、彼《か》れは靜《しづか》に云《い》つて、色《いろ》の白《しろ》くて目鼻《めはな》の尋常《じんじやう》な、しかし皮膚《ひふ》の硬《こわば》つた顏《かほ》に幽《かす》かに微笑《びせう》を浮《うか》べた。 「出掛《か》けるのか」と、私《わたし》は座敷《ざしき》へ通《とほ》つて、中折《なかを》れを被《かぶ》つたまゝ、椅子《ゐす》に腰《こし》を掛《か》けた。 「ウン」と加瀨《かせ》は輕《かろ》く首肯《うなづ》く、小《ちい》さい丸髷《まるまげ》を結《ゆ》つた、背《せ》の低《ひく》い痩身《やせぎす》の、もう老婆《ばあさん》と云《い》つてもよささうな女《をんな》が、緣側《えんがは》で山高《やまたか》帽子《ぼうし》の塵《ちり》を拂《はら》つてゐたが、私《わたし》を見《み》ると、「オヤ被入《いらつ》しやいまし」と、もう二三|度《ど》も會《あ》つた人《ひと》のやうに馴々《なれ〳〵》しい顏《かほ》をした。私《わたし》はぢろり[#「ぢろり」に傍点]と老婆《ばあさん》を見《み》たばかりで、あまり構《かま》ひつけず、「何處《どこ》へ行《ゆ》くんだい」と、再《ふたゝ》び加瀨《かせ》に聞《き》いた。 「菊坂《きくざか》まで、直《す》ぐに歸《かへ》つて來《く》るから、待《ま》つてゐ玉《たま》へ、折角《せつかく》來《き》て吳《く》れたのに失敬《しつけい》だが、約束《やくそく》してあつて是非《ぜひ》行《ゆ》かなくちやならんのだ」 「さうか、ぢや行《い》つて來《き》玉《たま》へ、僕《ぼく》は此處《こゝ》で晝寢《ひるね》でもしやう」 加瀨《かせ》は老婆《ばあさん》の手《て》から帽子《ぼうし》を執《と》つて、「失敬《しつけい》」とゆるく[#「ゆるく」に傍点]云《い》つたきり、姿勢《しせい》正《たゞ》しく澄《すま》した足《あし》取《ど》りで玄關《げんくわん》へ下《お》りた。老婆《ばあさん》は見送《みおく》つてゐる。
私《わたし》は腰掛《こしか》けたまゝ動《うご》かなかつた。居室《ゐま》はフロツクコートの住人《じうにん》には不似合《ふにあひ》で、天井《てんじやう》は低《ひく》く疊《たゝみ》は茶色《ちやいろ》になり、床《とこ》の間《ま》は漸《やうや》く花瓶《くわびん》を載《の》せるだけの深《ふか》さしかない。しかし庭《には》は割合《わりあひ》に廣《ひろ》く、數種《すうしゆ》の椿《つばき》の外《ほか》、几帳面《きちやうめん》に沈丁花《ぢんちやうくわ》が植《う》はつてゐて、濃《こ》い香《にほひ》を送《おく》つて來《く》る。春日楓《かすがもみぢ》の鉢植《はちうゑ》も五ツ六ツ並《なら》んでゐる。家《いへ》といひ庭《には》といひ、先《ま》づ大久保《おほくぼ》の私《わたし》の家《うち》と大差《たいさ》がないが、加瀨《かせ》の財產《ざいさん》は以前《いぜん》よりも遙《はる》かに殖《ふ》ゑて、舊態《きうたい》依然《ゝぜん》たる私《わたし》とは比較《ひかく》にならぬ。衣紋竿《ゑもんざを》には糸織《いとおり》であらうか、いやに光《ひか》つた着物《きもの》が掛《か》けてある。鼠色《ねづみいろ》の縮緬《ちりめん》の襦袢《じゆばん》の袖口《そでくち》も見《み》える。ふつくり[#「ふつくり」に傍点]した座蒲團《ざぶとん》も四五|枚《まい》重《かさ》ねてある。讀《よ》めぬ筈《はず》の英書《えいしよ》が二《ふた》つ、本箱《ほんばこ》にギツシリ詰《つ》め込《こ》まれ、テーブルの上《うへ》には金蒔繪《きんまきゑ》の卷煙草《まきたばこ》入《いれ》、毛糸《けいと》のランプ敷《しき》、鋏《はさみ》や耳搔《みゝかき》の小道具《こだうぐ》まで、ちやんと揃《そろ》つてゐる。
老婆《ばあさん》は茶《ちや》を汲《く》んでテーブルに置《お》き、散《ち》らかつた白縮緬《しろちりめん》の兵子帶《へこおび》、キヤラコの紺足袋《こんたび》などを片付《かたづ》けながら、「每日《まいにち》いけないお天氣《てんき》で御座《ござ》います」とか、「上野《うへの》はもう咲《さ》いたで御座《ござ》いませう」とか、頻《しき》りに話《はなし》をしかける。
五月蠅《うるさ》いと思《おも》つたが、返事《へんじ》をせぬ譯《わけ》にも行《ゆ》かず、よい加減《かげん》にあしら[#「あしら」に傍点]つてゐると、老婆《ばあさん》はビスケツトを持《も》つて來《き》て、椅子《ゐす》の前《まへ》に坐《すわ》り込《こ》んだ。私《わたし》は餘儀《よぎ》なく相槌《あひづち》を打《う》ちながら、加瀨《かせ》の變遷《へんせん》を思《おも》つた。老婆《ばあさん》の話《はなし》と自分《じぶん》の追想《つゐさう》とがごつちやになつて、加瀨《かせ》の面影《おもかげ》が頭《あたま》の中《なか》に動搖《どうえう》する。
彼《か》れが上京《じやうきやう》したのは一昨年《おとゝし》の春《はる》。同鄉《どうきやう》の緣《えん》で暫《しばら》く私《わたし》の家《いへ》に同居《どうきよ》してゐた。普通《ふつう》の學資《がくし》位《ぐらゐ》出《だ》せぬ身分《みぶん》でもないから、何處《どこ》かへ入學《にふがく》するのだらうと思《おも》つたら、少《すこ》しもそんな希望《きばう》はない。そして私《わたし》の知《し》らぬ間《ま》に先輩《せんぱい》を歷訪《れきはう》して、その紹介《しやうかい》で或《ある》女學《ぢよがく》雜誌《ざつし》の記者《きしや》となつた。訪問《はうもん》には洋服《やうふく》でなくては不便《ふべん》だと云《い》つて、直《す》ぐに有合《ありあは》せの三|圓《ゑん》足《た》らずの金《かね》で、白《しろ》い小倉《こくら》の夏服《なつふく》を造《つく》つた。私《わたし》はさんざ[#「さんざ」に傍点]冷《ひや》かしてやつた。しかし彼《か》れはにやり[#「にやり」に傍点]〳〵笑《わら》ふばかりで、何《なん》とも思《おも》はぬ。職業《しよくげふ》を得《え》ると同時《どうじ》に、最早《もはや》一|人前《にんまへ》になつたつもりか、私《わたし》の家《うち》を出《で》て植木屋《うゑきや》の離座敷《はなれ》を借《か》りた。持物《もちもの》は月々《つき〳〵》に殖《ふ》ゑて行《ゆ》く。國訛《くになま》りの目醒《めざ》ましく消《き》えると共《とも》に、身體《からだ》の泥《どろ》も次第《しだい》に拔《ぬ》けて行《ゆ》くやうだ。夏《なつ》の末《すゑ》には絽《ろ》の襦袢《じゆばん》を着《き》て柾目《まさ》の下駄《げた》を穿《は》く。私《わたし》は彼《か》れよりも五歲《いつゝ》の年長者《ねんぢやうじや》で、十|年《ねん》も東京《とうきやう》に住《す》まつてゐるが、身裝《みなり》は彼《か》れが半歲《はんとし》の進步《しんぽ》にも劣《おと》つてゐる。で、會《あ》ふと目顏《めかほ》や口先《くちさき》で揶揄《からか》つてやる。「いくら鍍金《めつき》したつて肥桶《こえたご》は肥桶《こえたご》だぜ」と云《い》ふと、「僕《ぼく》は虛榮《みえ》を張《は》るんぢやない、自分《じぶん》に氣持《きもち》がいゝからだ」と落付《おちつ》いて答《こた》へる。雜誌《ざつし》社《しや》の者《もの》に聞《き》くと、この男《をとこ》は社中《しやちう》第《だい》一の勉强《べんきやう》家《か》で、器用《きよう》でもあり主任《しゆにん》の信用《しんよう》も厚《あつ》いさうだ。月給《げつきう》もずん〳〵昇《のぼ》つて行《ゆ》くらしい。彼《か》れにはコツ〳〵六《むつ》ケ敷《しい》敎科書《けうくわしよ》いぢりをするよりは、雜誌《ざつし》記者《きしや》で飛廻《とびまは》る方《はう》が面白《おもしろ》いのだ。成程《なるほど》生活《せいくわつ》のためにいや〳〵[#「いや〳〵」に傍点]勤《つと》めるのとは異《ちが》つて、足《た》らねば國《くに》から送《おく》らされる身分《みぶん》の、二十二三の靑年《せいねん》の雜誌《ざつし》道樂《だうらく》なら面白《おもしろ》からう。そして社《しや》の者《もの》は「加瀨《かせ》さんは大變《たいへん》大人《おとな》振《ぶ》つた人《ひと》ですね、行《おこなひ》も謹直《きんちよく》だし、非常《ひじやう》にしつかりしてる」と褒《ほ》めるが、私《わたし》の目《め》には矢張《やはり》歲《とし》相當《さうたう》のお坊《ぼ》つちやんだ。無口《むくち》でマセてはゐるが、私《わたし》には小憎《こぞ》ツ子《こ》と見《み》える。甘《あま》い奴《やつ》と見《み》える。實際《じつさい》はさうでなくても、私《わたし》自身《ゞしん》に無理《むり》にさう思《おも》つて見《み》る。向《むか》うから親《した》しんで來《き》ても、此方《こつち》からは何《ど》うしても打解《うちと》ける氣《き》になれぬ。これが二三|年來《ねんらい》の私《わたし》の性分《しやうぶん》で、又《また》一|種《しゆ》憐《あは》れなプライドとなつてゐるのだ。 その後《ご》彼《か》れは越前堀《えちぜんぼり》へ移《うつ》つた。江戶《えど》趣味《しゆみ》硏究《けんきう》のためか、綠雨《りよくう》の文集《ぶんしふ》を買集《かひあつ》めて熟讀《じゆくどく》しては氣《き》に入《い》つた文句《もんく》に線《せん》を引《ひ》き圈點《けんてん》を付《ふ》し、餘白《よはく》には頻《しき》りに感歎《かんたん》の辭《じ》を書《か》き散《ち》らしてゐたのもこの時《とき》。女學《ぢよがく》雜誌《ざつし》の隅《すみ》の方《はう》に三四|行《ぎやう》づゝの皮肉《ひにく》の書《か》き出《だ》したのもこの時《とき》。私《わたし》に當《あ》てこすつたつもりか、或《ある》號《がう》には「我《われ》を貴族《きぞく》主義《しゆぎ》なりと云《い》ふものあり、我《われ》を平民《へいみん》主義《しゆぎ》なりと云《い》ふものあり、或《ある》時《とき》は埃及《えじぷと》煙草《たばこ》を吸《す》ひ、或《ある》時《とき》は朝日《あさひ》を吸《す》ふを哂《わら》ふものあり、彼等《かれら》は變通《へんつう》の道《みち》を知《し》らぬ徒輩《しれもの》なり、晴天《せいてん》にも足駄《あしだ》を穿《は》いて步《あゆ》む人《ひと》なり、我《われ》は月《つき》の初《はじ》めには辨當《べんたう》に鰻《うなぎ》や牛肉《ぎうにく》を食《く》ひ、月《つき》の終《をは》りには饂飩《うどん》か麺麭《パン》にて濟《す》ます、この趣《おもむき》拘泥派《こうでいは》の知《し》る所《ところ》にあらず」と書《か》いたが、これなどが彼《か》れの警句中《けいくちう》の壓卷《あつくわん》であつて、隨分《ずゐぶん》一人《ひとり》合點《がてん》の無意味《むいみ》の者《もの》が多《おほ》かつた。 しかし越前堀《えちぜんぼり》移轉《ゐてん》以後《いご》はあまり往來《わうらい》しない。學校《がくかう》生活《せいくわつ》をせぬ彼《か》れは、眞味《しんみ》の友人《いうじん》の少《すくな》いので、時々《とき〴〵》は私《わたし》に向《むか》つて人懷《ひとなつ》かしい手紙《てがみ》を送《おく》つて來《く》るが、私《わたし》はあまり構《かま》ひつけぬ。で、暫《しば》らく彼《か》れの發展《はつてん》を知《し》らなかつた。
(二)