Category: Novels

血笑記

始《はじめ》て之《これ》を感《かん》じたのは某街道《なにがしかいどう》を引上《ひきあ》げる時《とき》であつた。もう十|時間《じかん》も歩《ある》き續《つゞ》けて、休憇《きうけい》もせず、歩調《ほてう》も緩《ゆる》めず、倒《たふ》れる者《もの》は棄《す》てゝ行《ゆ》く。敵《てき》は密集團《みつしふだん》となつて追擊《つゐげき》して來《く》るのだ。今《いま》附《つ》けた足跡《あしあと》も三四|時間《じかん》の後《のち》には敵《てき》の足跡《あしあと》に踏消《ふみけ》されて了《しま》はう。暑《あつ》かつた。何度《なんど》であつたか、四十|度《ど》、五十|...

Summary

始《はじめ》て之《これ》を感《かん》じたのは某街道《なにがしかいどう》を引上《ひきあ》げる時《とき》であつた。もう十|時間《じかん》も歩《ある》き續《つゞ》けて、休憇《きうけい》もせず、歩調《ほてう》も緩《ゆる》めず、倒《たふ》れる者《もの》は棄《す》てゝ行《ゆ》く。敵《てき》は密集團《みつしふだん》となつて追擊《つゐげき》して來《く》るのだ。今《いま》附《つ》けた足跡《あしあと》も三四|時間《じかん》の後《のち》には敵《てき》の足跡《あしあと》に踏消《ふみけ》されて了《しま》はう。暑《あつ》かつた。何度《なんど》であつたか、四十|度《ど》、五十|度《ど》、或《あるひ》は其以上《それいじやう》であつたかも知《し》れんが、唯《ただ》もう不斷《のべつ》に蕩々《だら〳〵》と底《そこ》も知《し》れぬ暑《あつ》さで、いつ涼《すゞ》しくなる目的《あて》もない。太陽《たいやう》は大《おほ》きく、火《ひ》の燃《も》ゆるやうに、怕《おそ》ろしげで、或《あるひ》は大地《だいち》に近寄《ちかよ》つて、用捨《ようしや》のない火氣《くわき》に引包《ひツつゝ》み、燒盡《やきつく》さむとするのかと危《あや》ぶまれた。眼《め》を開《あ》いてゐられゝばこそ。小さく、窄《すぼ》んだ、罌粟《けし》粒程《つぶほど》の瞳孔《ひとみ》が閉《と》ぢた眼瞼《まぶた》の下《した》に蔭《かげ》を求《もと》めても、蔭《かげ》はなく、日《ひ》は薄皮《うすかは》を透《とほ》して、血紅色《けつこうしよく》の光線《くわうせん》を疲《つか》れ切《き》つた腦中《なうちう》へ送《おく》る。けれども、流石《さすが》に目《め》を閉《と》ぢてゐ...

Chapters

5. Part 5

…私《わたし》は湯槽《ゆぶね》に涵《つか》つてゐた。弟《おとうと》は起《た》つたり、居《ゐ》たり。タオルや石鹼《しやぼん》を取上《とりあ》げて、近々《ちか〴〵》と近視眼《ちかめ》の側《そば》へ持《も》つて行《い》つたり、又《また》舊《もと》へ戾《もど》したりして、狹《せま》い部屋《へや》の中《なか》でまご〳〵してゐたが、頓《やが》て壁《かべ》に對《むか...

6. Part 6

…土間《どま》の十一に居《ゐ》た。右左《みぎひだり》から誰《だれ》の腕《うで》だかに直《ひた》と身《み》を挾《はさ》まれながら、周圍《まはり》を見廻《みまは》はすと、ズツと向《むか》ふまで一|面《めん》に凝《ぢツ》と据《す》ゑた人《ひと》の首《くび》が薄暗《うすぐら》い中《なか》に列《なら》んでゐるのが、舞臺《ぶたい》の火影《ほかげ》を受《う》けて微《...

4. Part 4

…それは味方《みかた》であつた。最後《さいご》の一ケ|月《げつ》は命令《めいれい》も計畫《けいくわく》も齟齬《くひちが》ひ、敵《てき》も味方《みかた》も行動《かうどう》が紛《もつ》れ〳〵て妙《めう》な工合《ぐあひ》であつたが、然《さ》ういふ中《なか》でも敵襲《てきしふ》のある事《こと》は豫期《よき》してゐた。敵《てき》といふのは即《すなは》ち第《だい》...

3. Part 3

…もう眠《ねむ》つてゐたら、ドクトルが窃《そツ》と突《つゝ》いて覺《おこ》すから、私《わたし》は目《め》を覺《さま》すが否《いな》、呀《あツ》といつて跳起《はねお》きた。誰《だれ》でも覺《おこ》されると、斯《か》う聲《こゑ》を立《た》てたものだつた。で、天幕《テント》の外《そと》へ駈出《かけだ》さうとする私《わたし》の手《て》を、ドクトルは確《しか》と...

1. Part 1

始《はじめ》て之《これ》を感《かん》じたのは某街道《なにがしかいどう》を引上《ひきあ》げる時《とき》であつた。もう十|時間《じかん》も歩《ある》き續《つゞ》けて、休憇《きうけい》もせず、歩調《ほてう》も緩《ゆる》めず、倒《たふ》れる者《もの》は棄《す》てゝ行《ゆ》く。敵《てき》は密集團《みつしふだん》となつて追擊《つゐげき》して來《く》るのだ。今《いま...

7. Part 7

「…生存上《せいぞんじやう》新生面《しんせいめん》を開《ひら》くのは諸君《しよくん》の任務《にんむ》であります、」と辯士《べんし》は叫《さけ》むだ。此人《このひと》は「戰爭《せんさう》を戢《や》めよ」と書《か》いた文字《もじ》が皺《しわ》でよれ〳〵になつた旗《はた》を揮《ふ》りながら、手《て》で釣合《つりあひ》を取《と》つて、辛《から》うじて小《ちひ》...

2. Part 2

…蛇《へび》のやうに絡《から》み付《つ》く。現《げん》に其《その》友人《いうじん》が見《み》て來《き》ての話《はなし》に、鐵條網《てつでうもう》の一|端《たん》がプツリと切《き》れて、ピンと跳返《はねかへ》つて、クル〳〵と兵《へい》三|人《にん》に絡《から》み付《つ》いた。齒《は》が軍服《ぐんぷく》を突拔《つきぬ》いて肉《にく》に喰込《くひこ》むから、...