血笑記

Part 4

Chapter 4 11,596 words Public domain Markdown

…それは味方《みかた》であつた。最後《さいご》の一ケ|月《げつ》は命令《めいれい》も計畫《けいくわく》も齟齬《くひちが》ひ、敵《てき》も味方《みかた》も行動《かうどう》が紛《もつ》れ〳〵て妙《めう》な工合《ぐあひ》であつたが、然《さ》ういふ中《なか》でも敵襲《てきしふ》のある事《こと》は豫期《よき》してゐた。敵《てき》といふのは即《すなは》ち第《だい》四|軍團《ぐんだん》である。で、味方《みかた》は既《すで》に攻擊《こうげき》準備《じゆんび》を終《をは》つた時《とき》、誰《たれ》だか雙眼鏡《さうがんきやう》で見《み》ると、味方《みかた》の制服《せいふく》を着《つ》けてゐるのが判然《はつきり》見《み》えると云《い》ひ出《だ》して、十|分後《ぷんご》には其《その》疑《うたが》ひが霽《は》れ、愈愈《いよ〳〵》味方《みかた》に違《ちが》ひないとなると、皆《みな》ホツとして嬉《うれ》しく思《おも》つた。先方《さき》もそれと心附《こゝろづ》いた體《てい》で、悠々《いう〳〵》と近《ちか》づいて來《く》る。その落着《おちつ》いた處《ところ》に、相手《あひて》も矢張《やツぱ》り思掛《おもひが》けぬ邂逅《であひ》を喜《よろこ》んで微笑《びせう》してゐる俤《おもかげ》が浮《う》いて見《み》える。 で、敵《てき》が發砲《はつぱう》した時《とき》には、何《なん》の事《こと》だか暫《しばら》くは合點《がてん》が行《ゆ》かずに、榴霰彈《りうさんだん》や銃丸《じうぐわん》が霰《あられ》の如《ごと》く降《ふ》り注《そゝ》ぎ瞬《またゝ》く間《ま》に死傷者《ししやうしや》の山《やま》を築《きづ》く中《なか》で、私逹《わたしたち》は矢張《やツぱり》莞爾莞爾《にこ〳〵》してゐた。誰《だれ》だか敵《てき》だと叫《さけ》ぶ。敵《てき》と聞《き》くと、――私《わたし》は能《よ》く覺《おぼ》えてゐるが、――成程《なるほど》相手《あひて》は敵《てき》で制服《せいふく》も敵《てき》の制服《せいふく》、味方《みかた》のとは違《ちが》ふと、皆《みな》氣《き》が附《つ》いた。で、直《す》ぐさま應戰《おうせん》する。この變《へん》な戰鬪《せんとう》が始《はじ》まつてから、十|分《ぷん》も經《た》つた頃《ころ》であらう、私《わたし》は兩足《りやうあし》を捥《もが》れて、氣《き》が附《つ》いた時《とき》には、もう病舎《びやうしや》に居《ゐ》て、手術《しゆじゆつ》も濟《す》むだ後《のち》であつた。

戰鬪《せんとう》の結果《けつくわ》を人《ひと》に聽《き》いて見《み》ると、皆《みな》取留《とりと》めぬ氣休《きやす》めばかり言《い》つてゐるが、察《さつ》する所《ところ》敗北《はいぼく》したに違《ちが》ひない。それにしても、斯《か》うなれば私《わたし》はもう後送《こうそう》される、兎《と》も角《かく》も命《いのち》を繫《つな》ぎ留《と》めた、壽命《じゆみやう》の有《あ》らむ限《かぎ》り長生《ながいき》が出來《でき》る、と思《おも》ふと、足《あし》無《な》しの身《み》にも嬉《うれ》しかつた。が、一|週後《しうご》に漸《やうや》く詳《くは》しい事《こと》が分《わか》ると、又《また》胡亂《うろん》になつて、曾《かつ》て覺《おぼ》えぬ奇異《きい》な恐怖《きようふ》を更《さら》に心《こゝろ》に懷《いだ》くやうになつた。

矢張《やツぱ》り味方《みかた》であつたらしい。味方《みかた》が味方《みかた》の砲《はう》で擊出《うちだ》した味方《みかた》の破裂彈《はれつだん》で私《わたし》は足《あし》を捥《もが》れたのだ。如何《どう》して此樣《こん》な間違《まちがひ》をしたのか、誰《だれ》にも分《わか》らぬ。何《なん》だか妙《めう》な事《こと》になつて如何《どう》してか目《め》が眩《くら》むで、同《おな》じ軍《ぐん》に屬《ぞく》する二|個《こ》の聯隊《れんたい》が一ウエルストを隔《へだ》てゝ相對《あひたい》して、相手《あひて》は敵《てき》と十|分《ぶん》に思込《おもひこ》みながら、丸《まる》一|時間《じかん》も同志打《どしうち》してゐたのだ。皆《みな》成《な》るたけ其《その》噂《うはさ》をするのを避《さ》けて、すれば曖昧《あいまい》の事《こと》ばかり言《い》ふ。何《なに》よりも不思議《ふしぎ》なのは、その噂《うはさ》をしても、大抵《たいてい》は今《いま》だに同志打《どしうち》とは思《おも》つてゐない。いや、寧《むし》ろ同志打《どしうち》は認《みと》める、唯《たゞ》最初《さいしよ》から同志打《どしうち》したのでない、最初《さいしよ》は實際《じつさい》敵《てき》を相手《あひて》にしてゐたのだが、全戰線《ぜんせん〳〵》の紛糾《こぐらか》つた紛《まぎ》れに、其《その》敵《てき》は何處《どこ》へか消《き》えて、我々《われ〳〵》は遂《つひ》に味方《みかた》の彈丸《たま》を被《かぶ》つたのだ、と思《おも》つてゐる。中《なか》には隱《かく》さず然《さ》うと明言《めいげん》して、事實《じゞつ》だと思《おも》ひ、事實《じゞつ》らしいと思《おも》ふ程《ほど》の事《こと》を列《なら》べて、具《つぶ》さに其《その》次第《しだい》を語《かた》る者《もの》もある。私《わたし》も如何《どう》して此樣《こん》な間違《まちがひ》が起《おこ》つたのか、今《いま》になつてもまだ確乎《しか》とした事《こと》が言《い》へぬ。最初《さいしよ》見《み》た時《とき》には我軍《わがぐん》の赤線《あかすぢ》入《い》りの軍服《ぐんぷく》に紛《まぎ》れなかつたのが、其後《そのゝち》見《み》たら確《たしか》に黃筋《きすぢ》の敵《てき》の軍服《ぐんぷく》になつてゐたのだ。唯《たゞ》如何《どう》してか間《ま》もなく皆《みな》此《この》間違《まちがひ》を忘《わす》れて、眞《しん》に敵《てき》と鬪《たゝか》つたやうに思込《おもひこ》んで了《しま》つたから、僞《いつは》る氣《き》もなく其《その》通《とほ》りを通信《つうしん》に書《か》いて送《おく》った者《もの》が多《おほ》い。それは歸國後《きこくご》に私《わたし》も讀《よ》んで知《し》つてゐる。で、最初《さいしよ》は此《この》時《とき》負傷《ふしやう》した我々《われ〳〵》に向《むか》ふと、世間《せけん》の人《ひと》の樣子《やうす》が少《すこ》し妙《めう》で、何《なん》となく他《た》の負傷者《ふしやうしや》程《ほど》に同情《どうじやう》を寄《よ》せて吳《く》れぬらしかつたが、其《その》區別《わけへだて》も直《ぢ》き消《き》えて了《しま》つた。唯《たゞ》之《これ》に類《るゐ》した事《こと》が其後《そのご》も有《あ》つたし、又《また》實際《じつさい》敵方《てきがた》にも某隊《ぼうたい》と某隊《ぼうたい》とが夜中《やちう》同志打《どしうち》をして殆《ほとん》ど全滅《ぜんめつ》したといふ事實《じゞつ》も有《あ》つて見《み》れば、我々《われ〳〵》も矢張《やツぱり》間違《まちが》つて同志打《どしうち》したといふに不思議《ふしぎ》はないと思《おも》ふ。

私《わたし》の手術《しゆじゆつ》を受《う》けたドクトルはヨードホルムや烟草《たばこ》の烟《けむり》や石炭酸《せきたんさん》の香《にほひ》のする、いつ見《み》ても黃味《きみ》を帶《お》びた白《しろ》い斑髭《まだらひげ》の中《なか》で莞爾莞爾《にこ〳〵》してゐる、乾枯《ひから》びたやうな骨張《ほねば》つた老人《らうじん》であつたが、眼《め》を細《ほそ》くして云《い》ふには、 「貴方《あなた》は其中《そのうち》後送《こうそう》されやうが、仕合《しあは》せな事《こと》だ。どうも何《なん》だか變《へん》な鹽梅《あんばい》ですからな。」 「如何《どう》してゞす?」 「如何《どう》してといふ事《こと》もないが、どうも變《へん》な鹽梅《あんばい》ですわい。私逹《わたしたち》の行《や》つた時分《じぶん》には此樣《こんな》に拗《こじ》れた事《こと》はなかつた。」 二十|餘年《よねん》前《ぜん》最後《さいご》の歐洲《おうしう》戰役《せんえき》に從軍《じうぐん》した人《ひと》で、能《よ》く其頃《そのころ》の噂《うはさ》をしては得意《とくい》になる。が、今度《こんど》の戰爭《せんさう》は理由《わけ》が分《わか》らぬとか云《い》つて、始終《しじゆう》懸念《けねん》さうな樣子《やうす》でゐるのだ。 「どうも變《へん》ですわい、」と溜息《ためいき》をして、顏《かほ》を顰《しか》めて烟草《たばこ》の烟《けむり》の中《なか》に雲隱《くもがく》れをしたが、「成《な》らう事《こと》なら、私《わたし》も歸《かへ》りたい。」 と、人《ひと》の面《かほ》を覗《のぞ》き込《こ》むやうにして、黃《きい》ろい烟脂《やに》だらけの髭越《ひげご》しに、 「ま、見《み》てゐて御覽《ごらん》、今《いま》に大變《たいへん》な事《こと》になつて、一人《ひとり》だつて生《い》きちや環《かへ》れなくなるから。私《わたし》始《はじ》め皆《みな》討《やら》れる。」 と老眼《らうがん》を私《わたし》の面《かほ》近《ちか》くに据《す》ゑて、此人《このひと》も矢張《やツぱ》りキョトンとする。之《これ》を觀《み》ると、百千の建物《たてもの》が一|時《じ》に崩《くづ》れ懸《かゝ》つた程《ほど》、私《わたし》は堪《たま》らなく恐《おそ》ろしくなつて、慄然《ぞツ》として、小聲《こゞゑ》で、 「赤《あか》い笑《わらひ》だ。」 此《この》意味《いみ》の分《わか》つたのは此人《このひと》が始《はじ》めてゞあつた。急《きふ》に首肯《うなづ》いて、 「全《まつた》くだ。赤《あか》い笑《わらひ》だ。」 で、直《ひた》と私《わたし》に寄添《よりそ》つて、きよろ〳〵しながら年寄《としより》の癖《くせ》として諒々《くど〴〵》と囁《さゝや》くのだが、囁《さゝや》く度《たび》に先窄《さきすぼ》まりの半白《ごましほ》の頰髯《ほゝひげ》が搖《うご》く。 「貴方《あなた》は直《ぢ》き後送《こうそう》されるのだから、お話《はなし》するが、何《なん》ですか、貴方《あなた》は瘋癲《ふうてん》病院《びやうゐん》で狂人《きちがひ》が喧嘩《けんくわ》をするのを見《み》た事《こと》が有《あ》りますか?

無《な》い?

私《わたし》は有《あ》る。喧嘩《けんくわ》をする所《ところ》は矢張《やツぱり》無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。ね、無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。」 と幾度《いくたび》か理由《わけ》ありさうに此《この》文句《もんく》を反覆《くりかへ》す。 「で、如何《どう》したといふのです?」 と私《わたし》も矢張《やつぱり》恟々《きよと〳〵》しながら聲《こゑ》を竊《ひそ》めて聞《き》くと、 「如何《どう》したといふのでもないが、矢張《やつぱり》無病《むびやう》の人《ひと》のやうだ。」 「赤《あか》い笑《わらひ》だ。」 「水《みづ》を打掛《ぶつか》けて引分《ひきわけ》るのです。」 雨《あめ》に度肝《どぎも》を拔《ぬ》かれた事《こと》を憶出《おもひだ》して、私《わたし》は癪《しやく》に觸《さは》つたから、 「貴方《あなた》は氣《き》が狂《くる》つたンだ!」 「が、貴方《あなた》以上《いじやう》ぢやない。要《えう》するに、以上《いじやう》ぢやない。」 と、尖《とが》つた老《おい》の膝《ひざ》を抱《だ》いて、ヒゝと笑《わら》つた。この厭《いや》な意外《いぐわい》な笑聲《わらひごゑ》の名殘《なごり》を、ばさ〳〵に乾《かは》いた唇《くちびる》にまだ留《とゞ》めたまゝ、肩越《かたごし》に人《ひと》の面《かほ》を尻眼《しりめ》に掛《か》けて、幾度《いくたび》か擽《くす》ぐつたい目交《めまぜ》をする。何《なに》か恐《おそ》ろしく可笑《をか》しな事《こと》があるが、それを知《し》つてゐる者《もの》は二人《ふたり》切《ぎり》で外《ほか》には誰《たれ》も知《し》り手《て》が無《な》いと云《い》つた調子《てうし》だ。それから魔術師《まじゆつし》が手品《てじな》を使《つか》ふやうに、大業《おほげふ》に高々《たか〴〵》と手《て》を擧《あ》げて、スウと輕《かろ》く其《それ》を卸《おろ》して、窃《そツ》と二|本《ほん》指《ゆび》で夜着《よぎ》の、切斷《せつだん》しなかつたら私《わたし》の足《あし》の在《あ》るべき所《ところ》を抑《おさ》へて、 「この意味《いみ》が分《わか》りますか?」 とひそ〳〵と聞《き》く。更《さら》に又《また》大業《おほげふ》に理由《わけ》有《あ》りさうに負傷者《ふしやうしや》が幾側《いくかは》かに分《わか》れて寢臺《ねだい》に臥《ね》てゐるのを指《さ》して、また、 「この意味《いみ》が說明《せつめい》出來《でき》ますか?」 「負傷者《ふしやうしや》でさ。」 「負傷者《ふしやうしや》」、と反響《はんきやう》のやうに反覆《くりかへ》して、「足《あし》もない、腕《うで》もない、腹《はら》には風穴《かざあな》を明《あ》けられて、胸《むね》を微塵《みじん》に碎《くだ》かれて、眼球《がんきう》を抉《ゑぐ》り取《と》られてゐる――この意味《いみ》が分《わか》つてゐるのですな?

宜《よろ》しい。ぢや、この意味《いみ》も分《わか》るでせう?」 と手《て》を突《つ》いて、年齡《とし》に似合《にあ》はず飜然《ひらり》と身輕《みがる》に逆立《さかだち》をして、足《あし》で釣合《つりあひ》を取《と》つてゐる。白《しろ》の治療服《ちれうふく》は捲《まく》れて、面《かほ》は眞紅《まつか》に充血《じうけつ》したが、逆《さか》になつた變《へん》な目色《めつき》で、喰入《くひい》るやうに凝《ぢつ》と私《わたし》の面《かほ》を視《み》ながら、辛《やつ》と、途切《とぎ》れ〳〵に、 「この意味《いみ》も…矢張《やつぱ》り…分《わか》りますか?」 「もう好加減《いゝかげん》になさい。止《よ》さんと、僕《ぼく》は聲《こゑ》を立《た》てるから。」 と私《わたし》は怯《おび》えた小聲《こゞゑ》で云《い》つた。 ドクトルは飜然《ひらり》と足《あし》を卸《おろ》して、自然《しぜん》の位置《ゐち》に復《ふく》し、更《さら》に私《わたし》の寢臺《ねだい》の側《そば》に坐《すわ》つて、フウと息《いき》をしながら、我《われ》一人《ひとり》心得顏《こゝろえがほ》に、 「誰《だれ》にも此《この》意味《いみ》が分《わか》らない。」 「昨日《きのふ》又《また》砲戰《はうせん》が有《あ》つたさうですな?」 「有《あ》りました。一昨日《をとゝひ》も有《あ》つた、」とドクトルは其通《そのとほ》りといふ意《こゝろ》を頷《うなづ》いて示《み》せる。

私《わたし》は欝々《くさ〳〵》して、 「あゝ、歸《かへ》りたい! ね、ドクトル、私《わたし》はもう歸《かへ》りたい。到底《とて》も此樣《こん》な處《とこ》にや居《ゐ》られん。もう私《わたし》にや樂《たの》しい家庭《かてい》が有《あ》るとも思《おも》へなくなりさうだ。」 ドクトルは何《なに》か考《かんが》へて居《ゐ》て返答《へんたふ》をしなかつた。で、私《わたし》は泣出《なきだ》した。 「あゝ、私《わたし》には足《あし》が無《な》い。彼樣《あんな》に自轉車《じてんしや》に乗《の》つたり、步《ある》いたり、駈《か》けたりするのが好《す》きだつたが、もう足《あし》が無《な》い。右《みぎ》の膝《ひざ》へ坊《ばう》を載《の》つけて搖《ゆす》ぶると、坊《ばう》は能《よ》く笑《わら》つたツけが、もう此樣《こん》なに成《な》つちや…あゝ實《じつ》に酷《ひど》い奴等《やつら》だ! これぢや歸《かへ》つたつて、仕方《しかた》がない。まだ僅《たつ》た三十だのに… 實《じつ》に酷《ひど》い奴等《やつら》だ!」 と懷《なつ》かしい足《あし》、早《はや》い逹者《たつしや》な足《あし》を偲《しの》んで、私《わたし》は直泣《ひたな》きに泣《な》いた。誰《だれ》が人《ひと》の足《あし》を持《も》つて行《い》つた、如何《いか》なる權利《けんり》が有《あ》つて持《も》つて行《い》つた!ドクトルは餘所《よそ》を見《み》ながら、 「斯《か》ういふ事《こと》がある。昨日《きのふ》見《み》てゐたら、氣違《きちが》ひの兵《へい》が此方《こつち》の陣地《ぢんち》へ紛《まぎ》れ込《こ》んで來《き》た。敵《てき》の兵《へい》なんです。殆《ほとん》ど丸裸《まるはだか》で、散々《さん〴〵》打《ぶち》のめされて來《き》た樣子《やうす》で、引搔傷《ひツかききず》だらけだ。宿無《やどな》し犬《いぬ》か何《なん》ぞのやうにガツ〳〵してゐる。頭髮《かみ》や髯《ひげ》が蓬々《ぼう〳〵》と生《は》えて、尤《もつと》もこれはお互《たがひ》の事《こと》だが、野蠻人《やばんじん》か、此世《このよ》開《ひら》けたての人間《にんげん》か、乃至《ないし》猿《さる》かといつたやうな奴《やつ》だ。手《て》を揮《ふ》るやら、身《み》を揉《も》むやら、歌《うた》を唱《うた》つたり、大聲《おほごゑ》に喚《わめ》いたりして、兎角《とかく》喧嘩《けんくわ》を賣《う》りたがる。で、物《もの》を喰《く》はしてから、元《もと》の野原《のはら》へ逐返《おひかへ》して了《しま》つたが、こんな連中《れんちう》は然《さ》うでもする外《ほか》仕方《しかた》がないですからな。あゝいふ連中《れんちう》だ、每日《まいにち》每晚《まいばん》ぼろ〳〵した薄氣味《うすきみ》の惡《わる》い幽靈《いうれい》のやうな風《ふう》をして、山《やま》の中《なか》を彷徨《うろつ》き廻《まは》るのは。雨風《あめかぜ》に曝《さら》され放題《はうだい》曝《さら》されて、道《みち》も無《な》い處《ところ》を宛《あて》もなく往《い》つたり來《き》たりして、手《て》を揮《ふ》る、笑《わら》ふ、喚《わめ》く、歌《うた》う。こんなのが二人《ふたり》出遭《であ》へば喧嘩《けんくわ》をする――それとも出遭《であ》つても氣《き》が附《つ》かずに行違《いきちが》つて了《しま》ふかも知《し》れんが。一|體《たい》何《なに》を喰《く》つて生《い》きてるのか分《わか》らん。恐《おそ》らく何《なに》も喰《く》はずに居《ゐ》るのぢやないかと思《おも》はれるが、若《も》し何《なに》か喰《く》つてゐるなら、死骸《しがい》だ、――每晚《まいばん》夜《よ》ツぴて山《やま》で咬合《かみあ》つて唁々《きやん〳〵》吠立《ほえた》てる、あの喰《くら》ひ太《ふと》つた野良犬《のらいぬ》と一|緖《しょ》になつて、死骸《しがい》を喰《く》つてるのだ。每晚《まいばん》、嵐《あらし》に目《め》を覺《さま》した鳥《とり》か、醜《みつとも》ない恰好《かつかう》をした蛾《が》のやうに、火《ひ》に集《たか》つて來《く》る。寒《さむ》さ凌《しの》ぎに篝《かゞり》でも焚《た》けば、三十|分《ぷん》と經《た》たぬ中《うち》に、ぼろ〳〵した風《ふう》の、凄《すご》い、凍《かじ》け猿《ざる》のやうな奴《やつ》がガヤ〳〵と寄《よ》つて來《く》る。敵《てき》かと思《おも》つて其《それ》に發砲《はつぱう》することもあるが、時《とき》としては其奴等《そいつら》が譯《わけ》も分《わか》らん事《こと》をワイ〳〵いふその聲《こゑ》に脅《おびや》かされるので、肝癪《かんしやく》を起《おこ》して故意《わざ》と遣付《やつつ》ける事《こと》もある…」 「あゝ、歸《かへ》りたい!」と私《わたし》は大聲《おほごゑ》に言《い》つて耳《みゝ》を塞《ふさ》いだが、凄《すご》い話《はなし》が綿《わた》を隔《へだ》てゝ聞《き》くやうに、物《もの》に籠《こも》つて隱々《いん〳〵》と、散々《さん〴〵》惱《なや》まされた惱髓《なうずゐ》に更《さら》に響《ひゞ》いて來《く》る。 「かういふ連中《れんちう》は大分《だいぶ》居《ゐ》る。或《あるひ》は谷底《たにぞこ》に落《お》ちたり、或《あるひ》は正氣《しやうき》の健全《けんぜん》な人《ひと》の爲《ため》に設《まう》けた狼穽《らうせい》に陷《おちい》つたり、或《あるひ》は戰塲《せんぢやう》に取殘《とりのこ》された鐵條網《てつでうまう》の齒《は》や杭《くひ》の先《さき》に引掛《ひつかゝ》つたりして、一|度《ど》に何百《なんびやく》となく死《し》ぬ。進退《しんたい》に方《はう》のある正氣《しやうき》の戰鬪《せんとう》に紛《まぎ》れ込《こ》むで、いつも先頭《せんとう》に立《た》つて奮鬪《ふんとう》する所《ところ》は、如何《いか》にも勇士《ゆうし》のやうだが、其代《そのかは》り味方《みかた》に刄向《はむか》ふことも珍《めづ》らしくない。私《わたし》は此《この》連中《れんちう》が氣《い》に入《い》つた。私《わたし》も今《いま》は唯《たゞ》氣《き》が違《ちが》ひかゝつてゐるばかりだから、斯《か》うして坐《すわ》つて貴方《あなた》と話《はなし》をしてゐるのだが、これで全然《すつかり》狂《くる》つたとなると、私《わたし》は野《の》へ出《で》ますな。野《の》へ出《で》て大《おほい》に叫《さけ》ぶ。大《おほい》に叫《さけ》んで其《この》勇敢《ゆうかん》な可怕《おそろ》しいといふことを知《し》らぬ武士逹《ぶしたち》を集《あつ》めて、而《さう》して全世界《ぜんせかい》に向《むか》つて宣戰《せん〳〵》する。樂隊《がくたい》を先《さき》に立《た》てて、軍歌《ぐんか》を唱《うた》つて、欣〻《きん〳〵》として町《まち》や村《むら》へ乗込《のりこ》む。我々《われ〳〵》の足跡《そくせき》到《いた》る處《ところ》盡《こと〴〵》く眞紅《まつか》になる、總《すべ》ての物《もの》が火輪《くわりん》の如《ごと》く輪《わ》を舞《ま》つて踊《をどり》ををどる。生殘《いきのこ》つた者《もの》が馳加《はせくはゝ》つて、我《わが》精銳《せいえい》は雪崩《なだれ》のやうに進《すゝ》めば進《すゝ》む程《ほど》人數《にんずう》が增《ま》して、而《さう》して遂《つひ》に此《この》世界《せかい》を一|掃《さう》するのだ。何《なん》だと?

人《ひと》を殺《ころ》してはならん?

民家《みんか》を焚《や》くな?掠奪《りやくだつ》するな?

誰《だれ》が其樣《そん》な事《こと》をいふ?」 と狂《くる》つたドクトルはもう絕叫《ぜつきう》するのであつた。胸部《けうぶ》腹部《ふくぶ》を擊碎《うちくだ》かれた者《もの》、眼球《がんきう》を抉《ゑぐ》り出《だ》された者《もの》、乃至《ないし》足《あし》を切斷《せつだん》された者《もの》の、今迄《いまゝで》眠《ねむ》つてゐたやうな創《きず》の傷《いた》みが、此《この》絕叫《ぜつきう》の聲《こゑ》に呼覺《よびさま》されて疼《うづ》き出《だ》す。幅《はゞ》のある、鍋底《なべぞこ》でも搔《か》くやうな、泣《な》くやうな唸聲《うなりごゑ》が病舎内《びやうしやない》に充《み》ち渡《わた》つて、靑《あを》い、黃《きい》ろい、疲《つか》れ切《き》つた、或《あるひ》は眼《め》の無《な》い、或《あるひ》は地獄《ぢごく》戾《もど》りかと思《おも》はれる程《ほど》痛《したゝ》か形《かたち》を損《そん》じた人《ひと》の面《かほ》が八|方《ぱう》から此方《こちら》を向《む》く。此等《これら》が呻《うめ》きつゝ耳《みゝ》を傾《かたむ》ける外《ほか》には、開放《あけツぱな》しの戶口《とぐち》から漠々《ばく〳〵》と此世《このよ》を掩《おほ》ふ眞黑《まつくろ》な暗黑《やみ》が窃《そつ》と内《うち》を覗《のぞ》き込《こ》む。氣《き》の狂《くる》つた老人《らうじん》は兩手《りやうて》を伸《の》べて更《さら》に絕叫《ぜつきう》した、 「誰《だれ》が其樣《そん》な事《こと》を言《い》ふ?

何《なん》の、我々《われ〳〵》は敢《あへ》て殺《ころ》す、敢《あへ》て焚《や》く、掠奪《りやくだつ》する。我々《われ〳〵》は屈托《くつたく》の無《な》い愉快《ゆくわい》な勇士《ゆうし》の群《むれ》だ。敵《てき》の建物《たてもの》でも、大學《だいがく》でも、博物館《はくつぶくわん》でも、手當《てあた》り次第《しだい》に破壞《はくわい》する。而《さう》して其《その》破壞《はくわい》の跡《あと》で、火《ひ》の笑《わらひ》に充《み》ちた浮《う》かれ軍士《ぐんし》の我々《われ〳〵》が踊《をどり》ををどるのだ。瘋癲《ふうてん》病院《びやうゐん》を我々《われ〳〵》の本國《ほんごく》と稱《しよう》してからに、まだ氣《き》の狂《くる》はぬ奴等《やつら》を我敵《わがてき》と認《みと》め、あべこべに之《これ》を狂人《きやうじん》と呼《よ》ぶのだ。而《さう》して百|戰《せん》百|勝《しよう》の、いつも悅喜滿面《えつきまんめん》の英雄《えいゆう》の此方《このはう》が一|天《てん》萬乗《ばんじよう》の君《きみ》として此《この》世界《せかい》に臨《のぞ》む時《とき》、如何《いか》にも心《こゝろ》ゆくばかりの笑聲《わらひごゑ》が天地《てんち》の間《あひだ》に轟《とゞろ》き渡《わた》るのだ!」 「それが赤《あか》い笑《わらひ》だ!」と私《わたし》は大聲《おほごゑ》出《だ》してドクトルの話《はなし》を奪《と》つて、「助《たす》けて吳《く》れェ! また赤《あか》い笑聲《わらひごゑ》が聞《きこ》える!」 「諸君《しよくん》!」とドクトルは不具《かたは》の幽靈《いうれい》が呻聲《うなりごゑ》を揚《あ》げてゐるやうな人逹《ひとたち》に向《むか》つて、「諸君《しよくん》!

頓《やが》て我々《われ〳〵》の世《よ》となれば、月《つき》も赤《あか》くなる、日《ひ》も赤《あか》くなる、毛物《けもの》の毛《け》も赤《あか》い愉快《ゆくわい》な毛《け》となる。餘《あま》り白《しろ》いと、餘《あま》り白《しろ》いとな、それ、その皮《かは》を引剝《ひンむ》いでやらうといふものだ… 諸君《しよくん》は血《ち》を飮《の》むだことが有《あ》るか?

血《ち》は少《すこ》し黏々《ねば〳〵》する物《もの》だ、少《すこ》し生溫《なまあたゝ》かな物《もの》だ、其代《そのかは》り眞紅《まつか》な物《もの》だ。而《さう》して血《ち》が笑《わら》ふと、眞紅《まつか》な愉快《ゆくわい》な笑聲《わらひごゑ》が聞《きこえ》る!…

(斷篇第七)

ひどい!

亂暴《らんばう》な事《こと》をする。赤十字《せきじふじ》は神聖《しんせい》で、世界《せかい》何《いづ》れの國民《こくみん》も之《これ》に對《むか》つて敬意《けいい》を拂《はら》はん者《もの》はない。何《なに》も兵《へい》を載《の》せては居《ゐ》まいし、何《なん》の手出《てだ》しも出來《でき》ぬ負傷者《ふしやうしや》の乗《の》つた列車《れつしや》という事《こと》は敵《てき》も承知《しようち》なら、地雷《ぢらい》を伏《ふ》せてある事《こと》は警告《けいこく》すべき筈《はず》でないか?

可哀《かわい》さうに旣《も》う皆《みな》故鄉《こきやう》の夢《ゆめ》を見《み》てゐたらうに…

(斷篇第八)

…中央《ちうあう》に湯沸《ゆわか》し、正銘《しやうめい》紛《まぎ》れのない湯沸《ゆわか》し、それが湯氣《ゆげ》を噴《ふ》く所《ところ》は機關車《きくわんしや》のやうだ。ひどい湯氣《ゆげ》でランプのホヤまで少《すこ》し曇《くも》つた位《くらゐ》で、茶碗《ちやわん》も矢張《やはり》昔《むか》しながらの、外《そと》は藍色《あゐいろ》の、中《なか》は白《しろ》い、中々《なか〳〵》見事《みごと》な茶碗《ちやわん》で、結婚《けつこん》の時《とき》の貰《もら》ひ物《もの》だ。贈《おく》り主《ぬし》は妻《さい》の姉妹《きやうだい》だが、氣立《きだて》の好《い》い立派《りつぱ》な婦人《ふじん》だ。 「皆《みな》まだ滿足《まんぞく》でゐるかい?」と奇麗《きれい》な銀製《ぎんせい》の匙《さぢ》で茶碗《ちやわん》の砂糖《さとう》を搔廻《かきまは》しながら、私《わたし》が心元《こゝろもと》なさゝうに聞《き》くと、 「あの、一《ひと》つ壞《こは》れましたの」、と妻《さい》は何氣《なにげ》なく答《こた》へた。妻《さい》は此時《このとき》湯沸《ゆわかし》の龍頭《りうづ》を捻《ねぢ》つてゐたが、湯《ゆ》が見事《みごと》にスウと迸《ほとばし》る。

私《わたし》は高笑《たかわらひ》をした。

弟《をとうと》が、 「何《なに》が可笑《をか》しいのです?」 「なに、何《なん》でもない。それよりか、最《も》う一|度《ど》書齋《しよさい》へ連《つ》れてツて吳《く》れ。何《なに》も勇士《ゆうし》の爲《ため》だ、面倒《めんだう》見《み》て吳《く》れ!

留守中《るすちう》樂《らく》をしてゐたらうが、もう駄目《だめ》だぞ。これからは己《おれ》がウンと使《つか》つてやる。」で、無論《むろん》常談《じやうだん》に、友《とも》よ、急《いそ》がむ、戰《たゝかひ》に、勇《いさ》みて敵《てき》に急《いそ》がむ…と歌《うた》ひ出《だ》した。

皆《みな》私《わたし》の意《こゝろ》を悟《さと》つて微笑《びせう》したが、妻《さい》だけは俯向《うつむ》いて繍《ぬひとり》の有《あ》る奇麗《きれい》な布巾《ふきん》で茶碗《ちやわん》を拭《ふ》いてゐた。書齋《しよさい》へ行《ゆ》くと、水色《みづいろ》の壁紙《かべがみ》や、靑《あを》い笠《かさ》を被《かぶ》つたランプや、水差《みづさし》の乗《の》つた小《ちひ》さなテーブルが又《また》目《め》に付《つ》く。水差《みづさし》は少《すこ》し塵《ちり》に汚《よご》れてゐた。

私《わたし》は浮立《うきた》つて、 「あの水差《みづさし》の水《みづ》を少《すこ》し…」 「今《いま》飮《の》むだばかりぢや有《あ》りませんか。」 「まあ、好《い》い、注《つ》いで吳《く》れ。それから、お前《まへ》な」、と妻《さい》に向《むか》つて、「坊《ばう》を連《つ》れて少《すこ》し次《つぎ》の間《ま》へ行《い》つてゝ吳《く》れんか。賴《たの》む。」 で、私《わたし》はグビリ〳〵と、樂《たの》しみながら、水《みづ》を飮《の》むだ。次《つぎ》の間《ま》には妻《さい》と坊《ばう》が居《ゐ》るのだが、姿《すがた》は見《み》えない。 「もう宜《よろ》しい。さあ、此方《こツち》へお出《い》で。だが、もう晚《おそ》いのに何故《なぜ》坊《ばう》は寢《ね》ないのだ?」 「お歸《かへ》ンなすつたのが嬉《うれ》しいのですよ。坊《ばう》や、お父《とう》さんの側《そば》へお出《い》で。」 しかし坊《ばう》は泣出《なきだ》して母《はゝ》の裾《すそ》に隱《かく》れた。 「何故《なぜ》坊《ばう》は泣《な》くのだらう?」と私《わたし》はうろ〳〵と視廻《みまは》して、「一體《いつたい》お前逹《まへたち》は何故《なぜ》其樣《そん》な蒼《あを》い面《かほ》をして默《だま》つてるのだ?

影法師《かげぼふし》のやうに、始終《しゞう》人《ひと》の跟《あと》にばかり隨《つ》いて來《く》る…」 弟《おとうと》は高笑《たかわらひ》をして、 「默《だま》つてやしません。」 妹《いもうと》も合槌《あひづち》を打《う》つて、 「お饒舌《しやべり》の仕通《しどほ》しよ。」 「どれ、私《わたし》はお夜食《やしよく》の仕度《したく》に掛《かゝ》らう」、と母《はゝ》は倉皇《そゝくさ》と出《で》て行《い》つた。 「いや、默《だま》つてゐる」、と私《わたし》はふツと其《それ》に相違《さうゐ》ないと思込《おもひこ》むで、「朝《あさ》から一言《ひとこと》だつてお前逹《まへたち》の物《もの》を言《い》ふのを聞《き》いた事《こと》がない。己《おれ》ばかり饒舌《しやべ》つたり、笑《わら》つたりして喜《よろこ》んでるのだ。己《おれ》が歸《かへ》つて來《き》ても喜《よろこ》んで吳《く》れんのか?

何故《なぜ》皆《みな》成《な》る丈《たけ》己《おれ》の顏《かほ》を見《み》ぬやうにするのだ?

己《おれ》は其樣《そんな》に變《かは》つたか? そりや變《かは》りもしたらうが…鏡《かゞみ》が一《ひと》つも見《み》えんぢやないか?

皆《みな》片付《かたづ》けて了《しま》つたのか?

鏡《かゞみ》を持《も》つて來《き》て吳《く》れ。」 「は、今《いま》直《す》ぐ持《も》つて參《まゐ》りますよ」、と妻《さい》はいつて、出《で》て行《い》つたぎり中々《なか〳〵》戾《もど》らんで、鏡《かゞみ》は小間使《こまづかひ》が持《も》つて來《き》た。面《かほ》を映《うつ》して見《み》ると、汽車《きしや》に乗《の》つてゐた時《とき》停車塲《ていしやぢやう》に居《ゐ》た時《とき》の矢張《やは》りあの面《かほ》で、少《すこ》し老《ふ》けたやうだが、格別《かくべつ》變《かは》つた事《こと》もない。 「些《ちつ》とも變《かは》つてやせんぢやないか?」 と澄《すま》していふと、傍《そば》の者《もの》は大層《たいそう》喜《よろこ》んだ。何故《なぜ》だか皆《みな》私《わたし》が大聲《おほごゑ》を立《た》てゝ氣絕《きぜつ》でもしさうに思《おも》つてゐたらしい。

妹《いもうと》の笑聲《わらひごゑ》は段々《だん〳〵》高《たか》くなつて、狼狽《あわ》てゝ出《で》て行《い》つて了《しま》つたが、弟《おとうと》は狼狽《らうばい》した樣子《やうす》もなく、落着拂《おちつきはら》つて、 「さう、そんなに變《かは》つちやゐません。たゞ少《すこ》し禿《は》げたばかりで。」 「首《くび》が滿足《まんぞく》に附《つ》いてるのが見付《みつ》け物《もの》だと思《おも》はなきやならん」、と私《わたし》は平氣《へいき》で答《こた》へて、「それはさうと、皆《みな》何處《どこ》へ行《い》つたのだらう――一人《ひとり》起《た》ち二人《ふたり》起《た》ちして。お前《まへ》もう少《すこ》し家《うち》の中《うち》を引張《ひツぱ》り廻《まは》して吳《く》れんか。實《じつ》に此《この》椅子《ゐす》は便利《べんり》だ。全《まる》で音《おと》がせん。幾《いく》ら出《だ》した?己《おれ》も旣《も》う斯《か》うなりや仕方《しかた》がない、金《かね》に糸目《いとめ》を附《つ》けんで此樣《こん》な義足《ぎそく》を買《か》はう、もツと好《い》いのを…や、自轉車《じてんしや》が!…」 壁《かべ》に掛《かゝ》つてゐる。空氣《くうき》が拔《ぬ》いてあるから、護謨輪《ごむわ》は萎《しな》びてゐたが、まだ眞新《まツたら》しだ。後輪《あとわ》の護謨《ごむ》に少《すこ》し泥《どろ》が干乾《ひから》びて附《つ》いてるのは一番《いちばん》最後《しまひ》に乗《の》つた時《とき》の泥《どろ》だ。弟《おとうと》は默《だま》つて椅子《ゐす》を推《お》すのを止《や》めてゐた。私《わたし》には其《その》默《だま》つてゐる意《こゝろ》も立止《たちどま》つてゐる意《こゝろ》も讀《よ》めたから、不機嫌《ふきげん》な面《かほ》をして、 「己《おれ》の方《はう》の聯隊《れんたい》で生殘《いきのこ》つた將校《しやうかう》は四人《よにん》外《ほか》ない。己《おれ》は非常《ひじやう》に幸運《かううん》だ…自轉車《じてんしや》はお前《まへ》に與《や》らう。明日《あす》になつたら、お前《まへ》の部屋《へや》へ持《も》つてつとくが好《い》い。」 「さうですか。ぢや、貰《もら》つときませう」、と弟《おとうと》は素直《すなほ》に言《い》ふ事《こと》を聽《き》いて、「さうですとも、兄《にい》さんは幸運《かううん》だ。市内《しない》でも人口《じんこう》の半分《はんぶん》は忌中《きちう》の人《ひと》だそうですからな。そりや足《あし》は何《なん》だけれど…」 「さうとも。己《おれ》は郵便配逹《いうびんはいたつ》ぢやなしな。」 弟《おとうと》はふと立止《たちど》まつて、 「如何《どう》したんです?

首《くび》が大層《たいそう》震《ふる》へるぢや有《あ》りませんか?」 「なに、何《なん》でもない。直《ぢ》き癒《なほ》つ了《ちま》ふ、醫者《いしや》も然《さ》う言《い》つてゐた。」 「手《て》も震《ふる》へますな?」 「う、手《て》も震《ふる》へる。なに、直《ぢ》き癒《なほ》つ了《ちま》ふ。まあ、推《お》して吳《く》れ。一《ひと》ツ處《ところ》に居《を》ると饜《あ》きて不好《いかん》。」 家内《かない》の者《もの》が皆《みな》佛頂面《ぶつちやうづら》をしてゐるので、私《わたし》も不愉快《ふゆくわい》でならなかつたが、でも床《とこ》を敷《と》る段《だん》になると、又《また》嬉《うれ》しくなつて來《き》た。結構《けつこう》な寢臺《ねだい》だ。四年前《よねんぜん》結婚《けつこん》間際《まぎは》に買《か》つた寢臺《ねだい》の上《うへ》に本式《ほんしき》の床《とこ》を敷《と》つて吳《く》れる。淸《きよ》いシーツを敷《し》いて、それから枕《まくら》を据《す》ゑて、夜着《よぎ》を被《か》ける――その事々《こと〴〵》しい爲體《ていたらく》を見《み》てゐると、可笑《をか》しくて泪《なみだ》が零《こぼ》れる。

妻《さい》に對《むか》つて、 「さ、着物《きもの》を脫《ぬ》がせて吳《く》れ。それから臥《ね》かすのだ。あゝ、好《い》い心持《こゝろもち》だ!」 「は、只今《たゞいま》。」 「早《はや》く!」 「は、只今《たゞいま》。」 「如何《どう》したンだ?」 「は、只今《たゞいま》。」 妻《さい》は私《わたし》の背後《うしろ》の化粧臺《けしやうだい》の側《そば》に立《た》つてゐた。其方《そのはう》を振向《ふりむ》いて見《み》やうとしたけれど、叶《かな》はない。と、不意《ふい》に妻《さい》が大《おほ》きな聲《こゑ》で叫《さけ》んだ。此樣《こんな》な聲《こゑ》は戰塲《せんぢやう》でなければ出《で》ないといふ程《ほど》の大《おほ》きな聲《こゑ》で叫《さけ》んだ、 「情《なさ》けないぢや有《あ》りませんか!」 而《さう》して私《わたし》に飛付《とびつ》いたまゝ、其處《そこ》へ倒《たふ》れて、有《あり》もせぬ私《わたし》の膝《ひざ》へ面《かほ》を埋《うづ》めやうとして、慄然《ぞツ》としたやうに身《み》を引《ひ》いて、又《また》縋《すが》り付《つ》いて、少《すこ》しばかり殘《のこ》つた腿《もゝ》に接吻《せつぷん》しながら、泣《な》きながら、 「あんな滿足《まんぞく》な身體《からだ》だつたのに!…まだ三十ぢや有《あ》りませんか。若《わか》い立派《りツぱ》な方《かた》だつたのに、此樣《こん》なになつて了《しま》つて、情《なさ》けないぢや有《あ》りませんか!

本當《ほんたう》に殘酷《ざんこく》な人逹《ひとたち》だ。貴方《あなた》を此樣《こん》なにすれば、何處《どこ》が好《い》いのでせう?

何《なん》の必要《ひつえう》が有《あ》つたのでせう?

優《やさ》しい貴郞《あなた》を此樣《こん》な姿《すがた》にして了《しま》つて…私《わたし》ももうもう情《なさ》けなくツて…」 此《この》泣聲《なきごゑ》を聞付《きゝつ》けて皆《みな》駈《か》けて來《き》た。母《はゝ》も、妹《いもうと》も、乳母《うば》も皆《みな》駈付《かけつ》けて來《き》て、皆《みな》泣《な》いた、何《なん》だか言《い》つて、私《わたし》の足《あし》の處《ところ》に轉《ころ》がつて、皆《みな》大泣《おほな》きに泣《な》いた。弟《おとうと》は部屋《へや》の入口《いりぐち》に蒼白《あをじろ》い面《かほ》をして立《た》つてゐたが、是《これ》も頤《あご》をわな〳〵顫《ふる》はせて、金切《かなき》り聲《ごゑ》を振絞《ふりしぼ》つて、 「其樣《そん》なに泣《な》かれると、私《わたし》も氣違《きちが》ひになりさうだ――氣違《きちが》ひに!」 母《はゝ》は母《はゝ》で私《わたし》の椅子《ゐす》の側《そば》にひれ伏《ふ》してゐたが、もう大《おほ》きな聲《こゑ》も出《で》ないと見《み》えて、纔《わづ》かに皺嗄《しやが》れ聲《ごゑ》を立《た》てゝ、頭《あたま》を車輪《しやりん》に打當《うちあ》て〳〵泣《な》いてゐた。で、其處《そこ》に枕《まくら》を据《す》ゑて夜着《よぎ》を掛《か》けた淸潔《きれい》な寢臺《ねだい》が見《み》える。四年前《よねんぜん》結婚《けつこん》間際《まぎは》に買《か》つた寢臺《ねだい》だ…

(斷篇第九)