血笑記

Part 5

Chapter 5 16,935 words Public domain Markdown

…私《わたし》は湯槽《ゆぶね》に涵《つか》つてゐた。弟《おとうと》は起《た》つたり、居《ゐ》たり。タオルや石鹼《しやぼん》を取上《とりあ》げて、近々《ちか〴〵》と近視眼《ちかめ》の側《そば》へ持《も》つて行《い》つたり、又《また》舊《もと》へ戾《もど》したりして、狹《せま》い部屋《へや》の中《なか》でまご〳〵してゐたが、頓《やが》て壁《かべ》に對《むか》つて、指先《ゆびさき》で壁土《かべつち》を弄《せゝ》りながら、 「ま、考《かんが》へて御覽《ごらん》なさい。數《すう》十|年《ねん》數《すう》百|年《ねん》の間《あひだ》、慈悲《じひ》だの、分別《ぶんべつ》だの、論理《ろんり》だのといふ事《こと》を敎《をし》へ込《こ》んで、人《ひと》に意識《いしき》を與《あた》へた以上《いじやう》は、――何《なに》はさて措《お》いて、意識《いしき》を與《あた》へた以上《いじやう》はですな、其丈《それだけ》の應報《おうはう》が屹度《きつと》無《な》けりやならん。そりや殘忍《ざんにん》になれんではない。無感覺《むかんかく》になつて、血《ち》を見《み》ても、淚《なみだ》を見《み》ても、人《ひと》の苦《くる》しむのを見《み》ても、平氣《へいき》でゐるやうに、爲《な》らうとすればなれる。例《たと》えば、牛《うし》や豚《ぶた》の屠殺者《とさつしや》、或種《あるしゆ》の醫者《いしや》、或《あるひ》は軍人《ぐんじん》なぞが其《それ》でさ。が、しかし、一|旦《たん》眞理《しんり》を認識《にんしき》した者《もの》が眞理《しんり》を棄《す》てゝ了《しま》ふ事《こと》が出來《でき》るでせうか?

私《わたし》は出來《でき》んと思《おも》ふ。子供《こども》の時《とき》から動物《どうぶつ》を苦《くるし》めるな、情《なさけ》を知《し》れ、と敎《をし》へられてゐるのです。讀《よ》んだ書物《しよもつ》といふ書物《しよもつ》には皆《みな》然《さ》う書《か》いてあるのです。だから今度《こんど》の戰爭《せんさう》に惱《なや》まされる人《ひと》を見《み》ると、私《わたし》は氣《き》の毒《どく》で〳〵耐《たま》らない。私《わたし》は戰爭《せんさう》を呪咀《じゆそ》する。が、段々《だん〳〵》日數《ひかず》の經《た》つに隨《つ》れ、人《ひと》の死《し》ぬのや、苦《くる》しむだり血《ち》を流《なが》したりするのが珍《めづ》らしくなくなつて來《く》ると、不斷《ふだん》は感覺《かんかく》が鈍《にぶ》つたやうな、道義心《だうぎしん》が麻痺《まひ》したやうな鹽梅《あんばい》で、餘程《よほど》何《なに》か强《つよ》い刺戟《しげき》でも受《う》けなきや、胸《むね》に應《こた》へない。が、それでも、戰爭《せんさう》其物《そのもの》とは如何《どう》しても折合《をりあ》ふ事《こと》が出來《でき》ん。元來《ぐわんらい》が沒常識《ぼつじやうしき》の事《こと》を理解《りかい》する――そんな事《こと》は私《わたし》の頭《あたま》では出來《でき》ない。百|萬《まん》の人《ひと》が一所《ひとところ》に集《あつま》つて、一々|法《はふ》に依《よ》つて進退《しんたい》して命《いのち》を取合《とりあ》ふ、而《さう》して皆《みな》同《おな》じやうに苦《くる》しい思《おもひ》をして、同《おな》じやうに不幸《ふかう》な身《み》の上《うへ》になる、――それに何《なん》の意味《いみ》が有《あ》ります?

全《まる》で狂人《きちがひ》の所爲《しよゐ》ぢや有《あ》りませんか?」 と弟《おとうと》は此方《こちら》を振向《ふりむ》いて、近視《きんし》の、少《すこ》し愛度氣《あどけ》ない眼《め》で、返答《へんたふ》でも催促《さいそく》するやうに、凝《ぢツ》と私《わたし》の面《かほ》を視《み》た。 「赤《あか》い笑《わらひ》さ」、と私《わたし》は快活《くわいくわつ》に言《い》つて、ボシャリ〳〵とやつてゐた。 「實《じつ》はね」、と弟《おとうと》は親《した》しらしく冷《つめ》たい手《て》を私《わたし》の肩《かた》へ載《の》せると、素肌《すはだ》で濡《ぬ》れてゐたので、吃驚《びつくり》したやうに、手《て》を引込《ひつこ》めて、「實《じつ》はね、私《わたし》はどうも氣違《きちが》ひになりさうで、心配《しんぱい》でならんのです。私《わたし》には一|體《たい》如何《どう》した事《こと》だか、事由《わけ》が分《わか》らん。分《わか》らんで、怖《おそ》ろしい。誰《だれ》か事由《わけ》を言《い》つて聽《き》かせて吳《く》れると好《い》いのだが、誰《だれ》一人《ひとり》其《それ》の出來《でき》る者《もの》がない。兄《にい》さんは戰爭《せんさう》へ出《で》て實地《じつち》を目擊《もくげき》して來《き》なすつたんだ。事由《わけ》を話《はな》して下《くだ》さい。」 「そんな事《こと》己《おれ》は知《し》らん!」 と戯言《じやうだん》らしく言《い》つてボシャリ〳〵やつてゐると、弟《おとうと》は悲《かな》しさうに、 「矢張《やツぱり》分《わか》らん? ぢや、私《わたし》はもう誰《だれ》の力《ちから》も借《か》りられないのだ。酷《ひど》いなア!

私《わたし》にやもう仕《し》て好《い》い事《こと》と惡《わる》い事《こと》の見界《みさかひ》も附《つ》かない、――何《なに》が分別《ふんべつ》だやら、無分別《むふんべつ》だやら、私《わたし》が今《いま》甘《あま》へる風《ふう》で、徐《そツ》と兄《にい》さんの咽喉《のど》に手《て》を掛《か》けて、グツと締上《しめあ》げたら、如何《どう》だらう?」 「馬鹿《ばか》を言《い》つてる!

誰《だれ》が其樣《そん》な眞似《まね》をする奴《やつ》が有《あ》るもんか!」 弟《おとうと》は冷《つめ》たい手《て》を揉《も》むで、微《かす》かに笑《わら》つて、 「兄《にい》さんが彼地《あツち》に居《ゐ》る頃《ころ》、私《わたし》は夜《よる》寢《ね》ない事《こと》が能《よ》く有《あ》つた、――眼《め》が合《あ》はないで。すると、變《へん》な氣《き》になつて、斧《おの》でもつて阿母《おつか》さんも、妹《いもうと》も、下女《げぢよ》も、犬《いぬ》も、皆《みな》叩殺《たゝきころ》して了《しま》はうかと思《おも》ふ。無論《むろん》然《さ》う思《おも》ふばかりで、其樣《そん》な事《こと》は行《や》る氣遣《きづか》ひはないが…」 「行《や》られちや耐《たま》らん」、と私《わたし》は莞爾《につこり》して、ボシャリボシャリとやつてゐると、 「それから又《また》ナイフだ。總《すべ》て銳利《えいり》な晃々《ぴか〳〵》する物《もの》があると、危險《けんのん》でならん。若《も》し私《わたし》がナイフを持《も》つたら、屹度《きつと》人《ひと》を斬《き》りさうな氣《き》がする。だつて、若《も》し銳利《えいり》なナイフだつたら、斬《き》りたくなるに不思議《ふしぎ》はないでせう?」 「尤《もつとも》な次第《しだい》だ。お前《まへ》も餘程《よほど》變物《へんぶつ》だな。もう少《すこ》し湯《ゆ》を注《さ》して吳《く》れ。」 弟《おとうと》は龍頭《りうづ》を捻《ひね》つて、湯《ゆ》を注《さ》してから、また、 「それから又《また》群衆《ぐんじゆ》だ。人《ひと》が大勢《おほぜい》集《あつま》つてると、私《わたし》は心配《しんぱい》でならん。晚《ばん》に外《そと》で大《おほ》きな聲《こゑ》でもして騷々《さう〴〵》しいと、私は愕然《ぎよツ》として、始《はじ》まつたのぢやないかと思《おも》ふ、斬合《きりあひ》が。人《ひと》が二三|人《にん》立話《たちばなし》をしてゐる。話《はなし》の筋《すぢ》が分《わか》らないと、今《いま》にも其《その》人逹《ひとたち》が大聲《おほごゑ》立《た》てゝ飛蒐《とびかゝ》つて斬合《きりあひ》が始《はじ》まりさうに思《おも》はれてならん。それに貴兄《あなた》も御存《ごぞん》じだらうが」、と仔細《しさい》ありげに私《わたし》の耳《みゝ》の側《そば》へ顏《かほ》を持《も》つて來《き》て、「新聞《しんぶん》を見《み》ると、人殺《ひとごろ》しの記事《きじ》だらけでせう? それが皆《みな》變《へん》な人殺《ひとごろ》しばかりだ。十|人《にん》十種《といろ》といふけれど、虛《うそ》です。人《ひと》の良智《りやうち》といふものは一《ひと》つで、その良智《りやうち》が段々《だん〴〵》曇《くも》り出《だ》したのです。まあ、私《わたし》の頭《あたま》を觸《さは》つて御覽《ごらん》、非常《ひじやう》に熱《あつ》いから。全《まる》で火《ひ》のやうだ。けれども此奴《こいつ》が時《とき》とすると冷《つめ》たくなつて、頭《あたま》の中《なか》が總《すべ》て凍《こほ》つたやうな、かじけたやうな、怖《おそ》ろしい、コチ〳〵の、氷《こほり》のやうな物《もの》になつて了《しま》ふ事《こと》も有《あ》るのです。私《わたし》は如何《どう》しても氣違《きちが》ひになりさうだ。笑《わら》ひ事《ごと》ぢやない、本當《ほんたう》に氣違《きちが》ひになりさうだ。もう十五|分《ふん》になりますよ。好加減《いゝかげん》にお出《で》なさらんと…」 「もう少《すこ》し。もう一|分《ぷん》ばかり。」 昔《むかし》のやうに湯槽《ゆぶね》に涵《つか》つて、弟《おとうと》の言《い》ふ事《こと》には心《こゝろ》を留《と》めずに、耳《みゝ》に慣《な》れた其聲《そのこゑ》を聽《き》きながら、少《すこ》し綠靑《ろくしやう》を吹《ふ》いた銅《どう》の龍頭《りうづ》だの、見慣《みな》れた壁《かべ》の模樣《もやう》だの、棚《たな》に順《じゆん》好《よ》く列《なら》べた寫眞《しやしん》機械《きかい》だのと、古《ふる》い馴染《なじみ》のある、有觸《ありふ》れた、平凡《へいぼん》の物《もの》ばかりだけれど、之《これ》を見《み》てゐると、何《なん》とも言《い》へず心持《こゝろもち》が好《い》い。又《また》寫眞《しやしん》硏究《けんきう》を始《はじ》めて、平凡《へいぼん》な隱《おだや》かな景《けい》を寫《うつ》したり、坊《ばう》の步《ある》く所《ところ》や笑《わら》ふ所《ところ》や、惡戯《いたづら》する所《ところ》を撮《と》つたりする。足無《あしな》しでも是《これ》なら出來《でき》る。文壇《ぶんだん》の名著《めいちよ》や、思想界《しさうかい》の新《あたら》しい功程《こうてい》や、美《び》や、平和《へいわ》を題目《だいもく》にして文《ぶん》を作《つく》るのだ。 「ほツ、ほツ、ほ!」といつて、私《わたし》はボシャリボシャリと行《や》つた。 「如何《どう》したんです?」 と弟《おとうと》が吃驚《びつくり》して顏色《かほいろ》を變《か》へたから、 「なに、たゞ… 家《うち》に斯《か》うしてゐるのが愉快《ゆくわい》だもんだからね。」 弟《おとうと》は微笑《びせう》した。その樣子《やうす》が如何《いか》にも私《わたし》を赤兒《あかご》か年下《としゝた》の者《もの》のやうに思《おも》つてゐるらしかつたが、其癖《そのくせ》私《わたし》より三《みツ》つ下《した》なのだ。而《さう》して自分《じぶん》は大人《おとな》ぶつて凝《ぢツ》と考込《かんがへこ》んだ所《ところ》は、何《なに》か年來《ねんらい》思惱《おもひなや》む一|大事《だいじ》でも有《あ》りさうな樣子《やうす》だつた。 やがて首《くび》を竦《すく》めて、 「迯《に》げやうにも、迯路《にげみち》がない。每日《まいにち》殆《ほとん》ど同《おなじ》時刻《じこく》に新聞《しんぶん》が人《ひと》の血《ち》の通《かよ》ひを止《と》めて、人間《にんげん》が皆《みな》愕然《ぎよツ》とする。其時《そのとき》皆《みな》一|度《ど》に種々《いろ〳〵》な氣持《きもち》になつて、考《かんが》へたり、泣《な》いたり、苦《くる》しむだり、怖《おそ》れたりするから、私《わたし》は縋《すが》り處《どころ》がない。全《まる》で浪《なみ》に揉《も》まれる木片《こツぱ》か、旋風《つむぢかぜ》に捲《ま》かれた塵《ごみ》といふ身《み》の上《うへ》になる。尋常《じんじやう》一|樣《やう》の凡境《ぼんけう》を離《はな》れたくはないが、無理《むり》に引離《ひきはな》されて、每朝《まいあさ》一|度《ど》は屹度《きつと》宙《ちう》に振下《ぶらさが》つて足《あし》の下《した》に眞暗《まつくら》な怖《おそ》ろしい狂氣《きやうき》の淵《ふち》が洞開《ほげ》る時《とき》がある。私《わたし》は其中《そのうち》に此淵《このふち》の中《なか》へ落《おち》る、落《お》ちなきやならん理由《わけ》がある。兄《にい》さんはまだ能《よ》く事情《じゞやう》を知《し》んなさらないのだ。新聞《しんぶん》は讀《よ》みなさらんし、種々《いろ〳〵》匿《かく》して置《お》く事《こと》もあるし、――兄《にい》さんはまだ能《よ》く事情《じゞやう》を知《し》んなさらないのだ。」 弟《おとうと》の言《い》つた事《こと》は私《わたし》は戯言《じやうだん》にして了《しま》つた。戯言《じやうだん》にしても、可厭《いや》な戯言《じやうだん》だが、誰《だれ》でも氣《き》が狂《ちが》ふと、戰爭《せんさう》のやうな氣違沙汰《きちがひざた》と緣《えん》を引《ひ》く所《ところ》が出來《でき》て來《き》て、能《よ》く此樣《こん》な不吉《ふきつ》な事《こと》を言《い》ひたがるものだから、私《わたし》は戯言《じやうだん》にして了《しま》つた。湯《ゆ》に涵《つか》つてボシャリ〳〵行《や》つてゐる此時《このとき》には、戰塲《せんぢやう》で目擊《もくげき》した事《こと》は總《すべ》て忘《わす》れたやうになつてゐたのだ。 「いや、匿《かく》すなら、匿《かく》して置《お》くが好《い》いが、――しかしもう出《で》やう」、と何心《なにごゝろ》なく私《わたし》が言《い》つたので、弟《おとうと》は微笑《びせう》して、下男《げなん》を召《よ》んで、二人《ふたり》して私《わたし》を湯《ゆ》から出《だ》して着物《きもの》を被《き》せて吳《く》れた。で、香氣《かをり》の高《たか》い茶《ちや》を私《わたし》のと極《き》めて線入《すぢい》りのコツプで飮《の》むで、なんの、足《あし》がなくても、生《い》きてゐられる、と思《おも》つた。茶《ちや》が濟《す》むでから、書齋《しよさい》へ連《つ》れて行《い》つて貰《もら》つて、机《つくゑ》に向《むか》つて、仕事《しごと》に掛《かゝ》る用意《ようい》をした。

戰爭前《せんさうまへ》迄《まで》は或《ある》雜誌《ざつし》で外國文學《ぐわいこくぶんがく》の評論《ひやうろん》を受持《うけも》つてゐたから、今《いま》も手近《てぢか》に黃《き》、靑《あを》、鳶色《とびいろ》、種々《いろ〳〵》の表紙《へうし》の附《つ》いた、懷《なつ》かしい、淸潔《きれい》な書物《しよもつ》が山《やま》と積《つ》むである。嬉《うれ》しさも嬉《うれ》しい、何《なん》とも言《い》へず樂《たの》しみで、直《す》ぐに讀《よ》む氣《き》になれなかつたから、書物《しよもつ》を繙《ひろ》げては、徐《そツ》と撫《な》でゝゐた。其時《そのとき》私《わたし》の面《かほ》には微笑《びせう》が漾《たゞよ》つた。屹度《きつと》馬鹿氣《ばかげ》た微笑《びせう》だつたらうが、引込《ひツこ》める事《こと》が出來《でき》ないで、活字《くわつじ》や、唐草《からくさ》や、簡素《あツさり》した、少《すこ》しも俗氣《ぞくき》のない、見事《みごと》な挿繪《さしゑ》なぞを眺《なが》めてゐた。皆《みな》非常《ひじやう》に工夫《くふう》を凝《こら》したもので趣味《しゆみ》がある。例《たと》へば、この文字《もじ》など、簡單《かんたん》で、恰好《かつかう》が好《よ》くて、巧《たく》みに出來《でき》てゐる。線《せん》と線《せん》とが絡《から》み合《あ》つた處《ところ》に調和《てうわ》があつて、看《み》る者《もの》の心《こゝろ》に語《かた》る所《ところ》が多《おほ》い。之《これ》を案《あん》じ出《だ》すには、幾干《いくら》の人《ひと》が刻苦《こくゝ》して、硏究《けんきう》して、何程《どれほど》才能《さいのう》、趣味《しゆみ》を籠《こ》めてあるか、分《わか》らん。 「さあ、仕事《しごと》しなきや」、と私《わたし》は眞面目《まじめ》になつて言《い》つた。我《わが》仕事《しごと》ながら疎《おろそ》かには思《おも》へぬ。 で、ペンを取上《とりあ》げて題《だい》を書《か》かうとすると、手《て》が糸《いと》で括《くゝ》つた蛙《かへる》のやうに、紙《かみ》の上《うへ》を跳《は》ね廻《まは》る。ペンが紙《かみ》に突掛《つツかゝ》つて、バリ〳〵といつて、跳反《はねかへ》つて、止度《とめど》なく橫《よこ》へ逸《そ》れて、毟散《むしりちら》したやうな、曲《まが》りくねつた、えたいの分《わか》らぬ、醜《まづ》い線《せん》が出來《でき》て了《しま》ふ。私《わたし》は聲《こゑ》も立《た》てず、動《うご》きもせず、一|大事《だいじ》の直《ひた》と身《み》に逼《せま》るを覺《おぼ》えて、冷《ひや》りとして息《いき》を塞《つ》めてゐると、手《て》は晃々《きら〳〵》と明《あか》るい紙《かみ》の上《うへ》を躍《をど》つて、指《ゆび》が一|本《ぽん》々々《〳〵》わなわなと顫《ふる》へる。その顫《ふる》へる處《ところ》に、便《たよ》りない、物狂《ものぐる》ほしい恐怖心《きようふしん》が活《い》きて躍《をど》つてゐる。どうやら指《ゆび》だけがまだ戰塲《せんぢやう》に居殘《ゐのこ》つて、空《そら》に映《うつ》る火影《ほかげ》や血糊《のり》を見《み》て、言語《ごんご》に絕《た》えた疼《いた》みを呻《うめ》き叫《さけ》ぶその聲《こゑ》を聽《き》いてゐるやうだ。指《ゆび》は私《わたし》の體《からだ》を離《はな》れて、魂《たましひ》が籠《こも》り、耳《みゝ》となり、眼《め》となつたのだ。聲《こゑ》をも揚《あ》げ得《え》ず、動《うご》くこともせず、私《わたし》は冷《つめ》たくなつて、晃々《きら〳〵》と潔《きよ》い白紙《はくし》の上《うへ》を指《ゆび》が躍廻《をどりまは》るのを眺《なが》めてゐた。

寂然《しん》としてゐる。家内《かない》の者《もの》は私《わたし》が仕事《しごと》をしてゐると思《おも》ふから、物音《ものをと》させては邪魔《じやま》にならうと、戶《と》は皆《みな》閉切《しめき》つてある。動《うご》くことも叶《かな》はぬ私《わたし》は獨《ひと》り室内《しつない》に居《ゐ》て、大人《おとな》しく手《て》の顫《ふる》へるのを眺《なが》めてゐた。 「なに、何《なん》でもない」、私《わたし》は大聲《おほごゑ》に言《い》つた。書齋《しよさい》の掛離《かけはな》れて寂然《しん》とした中《なか》で、聲《こゑ》は皺嗄《しやが》れて厭《いや》に響渡《ひゞきわた》る。狂人《きちがひ》の聲《こゑ》のやうだ。「なに、何《なん》でもない。文句《もんく》を口授《くじゆ》すりや好《い》い。ミルトンも復樂園《パラダイス、リゲーンド》を書《か》いた時《とき》にや、盲人《めくら》だつたと云《い》ふ。己《おれ》はまだ物《もの》を考《かんが》へる事《こと》は出來《でき》る。これが何《なに》よりだ。これさへ叶《かな》へば、文句《もんく》はない。」 で、盲目《まうもく》のミルトンの事《こと》を意味《いみ》の深《ふか》い長《なが》い文句《もんく》に仕立《した》てゝ見《み》やうとしたが、言葉《ことば》が紛糾《こぐらか》つて、締《し》めの利《き》かぬ活字《くわつじ》のやうに、ほろ〳〵と零《こぼ》れ落《お》ちて、漸《やうや》く文句《もんく》の末《すゑ》になつたと思《おも》ふ頃《ころ》には、もう始《はじめ》の方《はう》を忘《わす》れてゐる。其時《そのとき》如何《どう》して此樣《こん》な事《こと》になつたのか、何故《なぜ》ミルトンとかいふ人《ひと》の事《こと》を變《へん》な無意味《むいみ》な文句《もんく》に仕立《した》てやうとしてゐるのか、懷出《おもひだ》さうとして見《み》たが、憶出《おもひだ》せなかつた。 「復樂園々々々《パラダイス、リゲーンド〳〵》」、と反覆《くりかへ》して見《み》たが、何《なん》の事《こと》だか、分《わか》らない。 そこで考《かんが》へて見《み》ると、私《わたし》は一|體《たい》能《よ》く物忘《ものわす》れをするやうになつた。妙《めう》に放心《はうしん》してゐて、見識《みし》つた人《ひと》の面《かほ》をも見違《みちが》へる。尋常《じんじやう》の話《はなし》をしてゐてさへ言葉《ことば》が見付《みつ》からんで、時《とき》とすると言葉《ことば》は覺《おぼ》えてゐても、どうしても意味《いみ》の分《わか》らん事《こと》もある。頓《やが》て今日《けふ》一|日《にち》の事《こと》が瞭然《はつきり》胸《むね》に浮《うか》んで來《き》たが、何《なん》だか妙《めう》な、短《みじ》かい、ぶつりと切《き》れた、私《わたし》の足《あし》のやうな一|日《にち》で、加之《しか》も處々《ところ〴〵》ポカンと穴《あな》の開《あ》いた變《へん》な處《ところ》がある。これは長《なが》いこと意識《いしき》の消《き》えてゐた、或《あるひ》は無感覺《むかんかく》であつた間《あひだ》だから、其時《そのとき》の事《こと》を憶出《おもひだ》さうとしても、何一《なにひと》つ憶出《おもひだ》せない。

妻《さい》を呼《よ》ばうと思《おも》へば、名《な》を忘《わす》れてゐる。それを又《また》不思議《ふしぎ》とも何《なん》とも思《おも》はない。窃《そつ》と小聲《こごゑ》で言《い》つて見《み》た、 「細君《さいくん》!」 落着《おちつき》の惡《わる》い、此樣《こん》な塲合《ばあひ》に用《もち》ひた事《こと》のない此《この》言葉《ことば》が低《ひく》く響《ひゞ》いて、返答《へんたふ》をも待《ま》たんで、消《き》えて了《しま》ふ。寂然《しん》としてゐる。家内《かない》の者《もの》は心《こゝろ》なく物音《ものおと》をさせて私《わたし》の仕事《しごと》の邪魔《じやま》をすまいとしてゐるのだ。寂然《しん》としてゐる。如何《いか》にも學者《がくしや》の書齋《しよさい》らしい。靜《しづ》かで、居心《ゐごゝろ》が好《よ》くて、觀念《くわんねん》をも誘《いざな》へば、作意《さくい》を催《もよほ》す便《たよ》りともなる。あゝ、皆《みな》己《おれ》の事《こと》を思《おも》つてゝ吳《く》れると、私《わたし》は染々《しみ〴〵》嬉《うれ》しく思《おも》つた。 …で、感興《かんきよう》、神來《しんらい》の感興《かんきよう》が湧《わ》いて來《き》た。頭《あたま》の中《なか》で燦《ぱツ》と日《ひ》が照出《てりだ》して、創造《さうざう》の力《ちから》を載《の》せた熱《あつ》い光《ひかり》を世界《せかい》の上《うへ》に落《おと》す時《とき》、花《はな》が散《ち》り、歌《うた》が散《ち》る。花《はな》に歌《うた》だ。私《わたし》は徹夜《よツぴて》ペンを措《お》かなかつたが、疲《つか》れを覺《おぼ》えなかつた。雄大《ゆうだい》な神來《しんらい》の感興《かんきよう》の翮《つばさ》を皷《こ》して、縱橫《じゆうわう》無碍《むげ》に翔廻《かけめぐ》つて、文《ぶん》を作《つく》つた。天地間《てんちかん》の一|大《だい》文章《ぶんしやう》だ、千|歲《ざい》不磨《ふま》の文章《ぶんしやう》だ。花《はな》が散《ち》り、歌《うた》が散《ち》る。花《はな》に歌《うた》だ…。

(後篇、斷篇第十)

…兄《あに》は幸《さいは》ひ前週《ぜんしう》金曜日《きんえうび》に世《よ》を去《さ》つた。反覆《くりかへ》していふが、これは兄《あに》の爲《ため》には大《おほい》なる幸福《かうふく》である。總身《そうみ》のわな〳〵と震《ふる》へる、亂心《らんしん》した、足無《あしな》しの不具者《かたはもの》が製作《せいさく》の熱《なつ》に浮《うか》されてゐる處《ところ》は無氣味《ぶきみ》も無氣味《ぶきみ》だつたが、慘澹《みじめ》でもあつた。其夜《そのよ》から丸《まる》二《ふ》タ月《つき》、絕食《ぜつしよく》で椅子《ゐす》に掛《か》けたまゝ書通《かきとほ》してゐた。少《すこ》しでも机《つくゑ》から引離《ひきはな》せば、泣《な》いて罵《のゝ》しる。乾《かは》いたペンで紙《かみ》の上《うへ》を搔廻《かきまは》しては、一|枚《まい》々々《〳〵》撥退《はねの》けるその迅《はや》さは眼《め》を驚《おどろ》かすばかりで、書《か》いて〳〵書《か》き捲《ま》くる。一|睡《すゐ》もしない。催眠劑《さいみんざい》を多量《たりやう》に服《の》ませて、やつと二|度《ど》幾時間《いくじかん》か床《とこ》に就《つ》かせた事《こと》があるばかりで、それからはもう藥《くすり》もその製作《せいさく》の狂熱《きやうねつ》を抑《おさ》へる力《ちから》を失《うしな》つた。當人《たうにん》の望《のぞみ》に任《まか》せて、終日《しうじつ》窓《まど》の帷《カーテン》を引《ひ》いたまゝ、ランプは點《とぼ》しばなしで、夜《よ》らしく見《み》せかけた中《なか》で、兄《あに》はシガレットを燻《くゆ》らしくゆらし、書《か》いてゐた。傍《はた》から見《み》ては、頗《すこぶ》る自得《じとく》の體《てい》であつた。健康《けんかう》の人《ひと》にも此程《これほど》の興《きよう》の乗《の》つた面《かほ》を私《わたし》はまだ見《み》た事《こと》がない。豫言者《よげんしや》か大詩人《だいしじん》といふ面相《かほつき》であつた。甚《ひど》く窶《やつ》れて、死人《しにん》か行者《ぎようじや》のやうに、蠟色《らふいろ》の透徹《すきとほ》つた肌《はだ》になり、頭《かみ》も全《まつた》く白《しろ》くなつて、この物狂《ものぐる》ほしい仕事《しごと》を始《はじ》めた時《とき》は、まだ〳〵若《わか》かつたが、之《これ》を終《をは》る頃《ころ》には、既《すで》に老翁《らうをう》になつてゐた。時《とき》としては例《いつ》になく急《いそ》いで書《か》く時《とき》がある。すると、ペンが紙《かみ》に突掛《つツかゝ》つて折《を》れるけれど、氣《き》が附《つ》かない。かういふ時《とき》には、手《て》も着《つ》けられんので、若《も》し誤《あやま》つて一寸《ちよつと》でも觸《さは》れば、發作《ほつさ》が起《おこ》つて、泣《な》くやら、笑《わら》ふやらする。滅多《めつた》にはないが、時《とき》には暫《しば》らく心《こゝろ》に掛《かゝ》る雲《くも》もないやうに、快《こゝろよ》げに打寛《うつくつろ》ろいで、機嫌《きげん》よく私《わたし》と話《はなし》をする事《こと》もある。いつも其時《そのとき》は屹度《きつと》、お前《まへ》は誰《だれ》だ、名《な》を何《なん》といふ、文學《ぶんがく》を始《はじ》めてからもう餘程《よほど》になるか、と聞《き》く。 それが濟《す》むと、今度《こんど》は、自分《じぶん》は記憶力《きおくりよく》を失《うしな》つて、もう仕事《しごと》が出來《でき》ぬかと思《おも》つて、滑稽《こつけい》にも吃驚《びツくり》したが、さう思《おも》ふ下《した》から直《す》ぐに花《はな》や歌《うた》を題《だい》に、千古《せんこ》の大作《たいさく》に掛《かゝ》つて、この馬鹿《ばか》らしい取越苦勞《とりこしくらう》を立派《りツぱ》に根底《こんてい》から覆《くつが》へしたといふ話《はなし》になつて、いつも極《きま》り切《き》つた文句《もんく》で、體《たい》を下《くだ》して其事《そのこと》を話《はな》して聞《き》かせる。 「無論《むろん》私《わたし》は今《いま》の人《ひと》に認《みと》められやうとは思《おも》はん」、と何《なに》も書《か》いてない白紙《はくし》の山《やま》に震《ふる》へる手《て》を載《の》せて昂然《かうぜん》とはするが、さりとて敢《あへ》て激《げき》した樣子《やうす》はなく、「が、未來《みらい》だ、――未來《みらい》では私《わたし》の理想《りさう》が認《みと》められる時《とき》もあらう。」 戰爭《せんさう》の事《こと》は一|度《ど》も言出《いひだ》した事《こと》がない。妻《つま》や子供《こども》の事《こと》も其通《そのとほ》り。果《はて》しのない、幻《まぼろし》のやうな仕事《しごと》に全《まつた》く魂《たましひ》を打込《うちこ》んで了《しま》つて、此《これ》より外《ほか》には眼中《がんちう》に何《なに》もないやうに思《おも》はれた。側《そば》で步《ある》いても、話《はなし》をしても、一|向《かう》氣《き》が附《つ》かぬらしく、いつも感興《かんきよう》に乗《の》つて一|心《しん》不亂《ふらん》になつた面《かほ》をして、些《ちつ》との間《ま》も其《その》面相《かほつき》を改《あらた》めない。皆《みな》眠入《ねい》つてゐる夜《よる》の寂然《しん》とした中《なか》で、兄《あに》一人《ひとり》果《はて》しのない狂亂《きやうらん》の糸《いと》を撚《よ》つて倦《う》むことを知《し》らぬその樣子《やうす》は慄然《ぞつ》とする程《ほど》で、私《わたし》と母《はゝ》との外《ほか》には、側《そば》へ行《ゆ》き得《え》る者《もの》もなかつた。或時《あるとき》私《わたし》は偶然《ひよツと》本當《ほんたう》に何《なに》か書《か》くかと思《おも》つて、乾《かは》いたペンの代《ぺん》りに鉛筆《えんぴつ》を宛《あて》がつて見《み》た事《こと》があつたが、紙《かみ》に殘《のこ》つた筆《ふで》の跡《あと》を見れば、矢張《やはり》只《たゞ》のむしつたやうな、曲《まが》りくねつた、えたいの分《わか》らぬ、醜《みにく》い線《せん》であつた。

息《いき》の絕《た》えたのは夜《よる》で、矢張《やはり》執筆中《しつぴつちう》であつた。私《わたし》は兄《あに》の心持《こゝろもち》を能《よ》く知《し》つてゐたから、氣《き》が狂《ふ》れたのに格別《かくべつ》驚《おどろ》きもしなかつた。甚《ひど》く文筆《ぶんぴつ》を戀《こひ》しがつてゐたのは、まだ戰地《せんち》からの手紙《てがみ》にも微見《ほのみ》えてゐた事《こと》で、歸《かへ》つてからも其《それ》が即《すなは》ち命《いのち》であつたが、この願《ねがひ》と、苦《くるし》み拔《ぬ》いた、疲《つか》れ果《は》てた、甲斐《かひ》ない腦《なう》と撞着《どうちやく》しては、破滅《はめつ》を來《きた》すべき運命《うんめい》であつた。私《わたし》は兄《あに》が此晚《このばん》に運盡《うんつ》きて死《し》ぬまでの心持《こゝろもち》を次第《しだい》を逐《お》うて可《か》なり精確《せいかく》に記《しる》し得《え》たと思《おも》ふ。兎《と》も角《かく》も爰《こゝ》に私《わたし》が戰爭《せんさう》について記《しる》した所《ところ》は、死《し》んだ兄《あに》の話《はなし》に材《ざい》を取《と》つたので、話《はなし》は大抵《たいてい》辻褄《つぢつま》が合《あ》はないで紛《まぎ》らはしかつたけれど、唯《たゞ》或時《あるとき》或折《あるをり》の光景《くわうけい》は深《ふか》く腦《なう》に染《し》みて消《き》えなかつたと見《み》えて、殆《ほとん》ど話《はなし》の儘《まゝ》を書取《かきと》れば、それで事足《ことた》つた。

私《わたし》は兄《あに》を愛《あい》してゐた。兄《あに》の死《し》は石《いし》の如《ごと》く私《わたし》の心頭《しんたう》に橫《よこた》はつて、その死《し》の無意味《むいみ》な事《こと》が腦《なう》を壓《あつ》して苦《くる》しい。かねて蜘蛛《くも》の巢《す》のやうに頭《あたま》を包《つゝ》む不思議《ふしぎ》な物《もの》のある上《うへ》に、更《さら》に輪《わ》を掛《か》けて締付《しめつ》けられるやうだ。家族《かぞく》は皆《みな》田舎《ゐなか》の親戚《しんせき》の處《ところ》へ行《い》つて了《しま》つて私《わたし》一人《ひとり》家《いへ》に殘《のこ》つてゐたが、此家《このいへ》は小《ちひ》さな一|軒建《けんだて》で、大層《たいそう》兄《あに》の氣《き》に入《い》つてゐた。召使共《めしつかひども》には皆《みな》暇《ひま》を遣《や》つて了《しま》つたから、每朝《まいあさ》隣家《となり》の門番《もんばん》が煖爐《だんろ》を焚付《たきつ》けに來《く》るばかりで、跡《あと》は私《わたし》一人《ひとり》きりだ。宛然《まるで》二|重窓《ぢうまど》の隙間《すきま》へ締込《しめこ》められた蠅《はひ》のやうに、狂廻《くるひまは》つては隔《へだ》ての變《へん》な物《もの》で鼻《はな》を衝《つ》く。透徹《すきとほ》つて見《み》えるけれど、これが中々《なか〳〵》破《やぶ》れない。如何《どう》しても此家《このいへ》を迯出《にげだ》されぬやうな氣《き》がする、然《さ》う思《おも》はれる。かう一人《ひとり》になつてみると、戰爭《せんさう》の事《こと》が氣《き》になつて、片時《へんじ》も忘《わす》れられん。解《と》けぬ謎《なぞ》か、肉《にく》で包《つゝ》めぬ靈《れい》というやうに、それが目前《もくぜん》に控《ひか》へてゐる。これに種々《しゆ〴〵》の形《かたち》を賦《つ》けて見《み》る。或《あるひ》は馬《うま》に跨《またが》つた目《め》の無《な》い骸骨《がいこつ》と見《み》、或《あるひ》は雨雲《あまぐも》の中《なか》から湧《わ》いて出《で》て、窃《そつ》と大地《だいぢ》を包《つゝ》むおぼろげな影《かげ》と見《み》るが、どう見《み》ても私《わたし》の掛《か》けた問《とひ》の答《こたへ》にはならないで、絕《た》えず胸《むね》を鎖《とざ》す冷《つめ》たい鈍《のろ》い恐怖《きようふ》の念《ねん》は汲《く》むでも〳〵汲《く》み盡《つく》されぬ。

私《わたし》は戰爭《せんさう》といふものゝ意味《いみ》がわからぬ。これでは矢張《やはり》兄《あに》のやうに、乃至《ないし》戰地《せんち》から後送《こうさう》せられて來《く》る多《おほ》くの人《ひと》のやうに、氣違《きちがひ》にならねばなるまいが、それはさう怖《おそ》ろしいとも思《おも》はぬ。私《わたし》が本心《ほんしん》を失《うしな》ふのは、番兵《ばんぺい》が勤務《きんむ》に殪《たふ》れるやうなもので、名譽《めいよ》の事《こと》だと思《おも》ふ。たゞ、しかし、じり〳〵と弛《たる》みなく狂氣《きやうき》になつて行《ゆ》くのが辛《つら》い。何《なに》か大《おほ》きな物《もの》が深《ふか》い淵《ふち》に陷《おちい》るやうな刹那《せつな》の氣持《きもち》が辛《つら》い、膓《はらはた》を毟《むし》る想念《おもひ》の耐《た》へぬ痛《いた》みを抱《いだ》くのが辛《つ》らい…私《わたし》の心《こゝろ》は默《もく》して了《しま》つた、絕入《たえい》つて、もう新《あたら》しい生命《いのち》を得《え》る事《こと》も出來《でき》ぬ。しかし想念《おもひ》はまだ生《い》きてゐる、まだ※[#立+宛]《もが》いてゐる、曾《かつ》てはサムソンの如《ごと》く强《つよ》かつたのが、今《いま》は小兒《せうに》のやうに繊弱《かよわ》くて便《たよ》りない。私《わたし》は私《わたし》の哀《あは》れな想念《おもひ》が傷《いた》ましい。時々《とき〴〵》鐵輪《てつわ》の腦《なう》を締付《しめつ》ける苦痛《くつう》に堪《た》えぬ時《とき》には、町《まち》の、廣小路《ひろこうぢ》の、人通《ひとどほ》りの多《おほ》い處《ところ》へ驀然《まつしぐら》に駈出《かけだ》して行《い》つて、大聲《おほごゑ》に呼《よば》はつてみたくなる、 「只《たツ》た今《いま》戰爭《せんさう》を止《や》めろ!

止《や》めんと…」 止《や》めんと、如何《どう》する?

世《よ》に人間《にんげん》の惑《まどひ》を解《と》くべき言葉《ことば》が有《あ》るか? かういへば、あゝと、同《おな》じ樣《やう》に壯語《さうご》して、癖言《くせごと》も言《い》へば言《い》へる。或《あるひ》は人間《にんげん》の前《まへ》に跪《ひざまつ》いて泣《な》いたら?

數《すう》十|萬《まん》の人《ひと》の泣聲《なきごゑ》が世《よ》を撼《ゆす》つても、何《なん》の効《かひ》もないでないか?

或《あるひ》は人間《にんげん》の前《まへ》で自殺《じさつ》して見《み》せたら?

自殺《じさつ》。每日《まいにち》數《すう》千といふ人《ひと》が命《いのち》を殞《おと》しても、何《なん》の効《かひ》もないでないか? かうして自分《じぶん》の力《ちから》では奈何《いかん》ともすることが出來《でき》ぬと思《おも》ふと、私《わたし》は氣《き》が坐《そゞ》ろになる、――呪《のろ》ふ所《ところ》の戰爭《せんさう》に感《かぶ》れて、其《その》狂味《きやうみ》を帶《お》びて來《く》る。兄《あに》の話《はなし》のドクトルのやうに、妻子《さいし》珍寶《ちんぱう》諸共《もろとも》に人間《にんげん》の栖家《すみか》を焚《や》きたくなる、その飮《の》む所《ところ》の水《みづ》に毒《どく》を投《とう》じたくなる、所有《あらゆる》死人《しにん》を棺《くわん》から引出《ひきだ》して亡骸《なきがら》を汚《けが》れた人《ひと》の寢臺《ねだい》の上《うへ》に抛付《なげつ》けたくなる。汝等《なんぢら》人間《にんげん》、妻《つま》を抱《いだ》き情婦《じやうふ》を抱《いだ》いて眠《ねむ》る如《ごと》くに、死骸《しがい》を抱《いだ》いて睡《ねむ》り去《さ》れ! あゝ惡魔《あくま》になりたい!

地獄《ぢごく》の慘《さん》たる有樣《ありさま》を此世《このよ》に寫《うつ》して、人間《にんげん》に見《み》せ付《つ》けて遣《や》りたい。人間《にんげん》の夢《ゆめ》を司《つかさど》つて、人《ひと》の親《おや》が笑顏《ゑがほ》をして眠《ねむ》らむとしては、其子《そのこ》に十|字《じ》を切掛《きりか》ける時《とき》、眞黑《まつくろ》な姿《すがた》をして其《その》面前《めんぜん》にヌツクと立《た》つてやりたい… 私《わたし》はどうしても氣《き》が狂《くる》ふ。たゞ、狂《くる》ふなら、早《はや》く狂《くる》へ、――一|刻《こく》も早《はや》く狂《くる》へ…

(斷篇第十一)

…俘虜《ふりよ》で、恟々《おど〳〵》した、震《ふる》へてゐる一|團《だん》の人《ひと》だ。之《これ》を車室《しやしつ》から引出《ひきだ》した時《とき》、見物《けんぶつ》は唸《うな》つた、――短《みじ》かい脆弱《やにこ》い鎖《くさり》で繫《つな》いだ、大《おほ》きな、意地《いぢ》の惡《わる》い犬《いぬ》の如《ごと》く唸《うな》つた。唸《うな》つてから、默《だま》つて肩《かた》で息《いき》をしてゐると、俘虜逹《ふりよたち》は手《て》を衣囊《かくし》へ入《い》れ、白《しろ》い齒《は》を見《み》せて媚《こ》びるやうに微笑《びせう》しながら、犇《ひし》と目白押《めじろおし》に押塊《おしかた》まつて行《ゆ》く。それを見《み》ると、今《いま》にも背後《うしろ》から長《なが》い棒《ぼう》で臑《すね》の處《ところ》をビシヤリと打《や》られるといふ人《ひと》の足取《あしどり》だ。が、中《なか》で一人《ひとり》落着《おちつ》いて、微笑《にツこり》ともせず、險相《けんさう》な面《かほ》をして行《ゆ》く者《もの》がある。私《わたし》と目《め》を視合《みあは》せた時《とき》、其《その》黑《くろ》い目《め》の中《うち》に公然《あからさま》の衣着《きぬき》せぬ媢嫉《にくしみ》が讀《よ》めた。此男《このをとこ》は私《わたし》を卑《いや》しんでゐて、此奴《こいつ》何《なに》を爲《す》るか知《し》れたものでない、と思《おも》つてゐたに違《ちが》ひない。若《も》し私《わたし》が獲物《えもの》も持《も》たぬ此《この》男《をとこ》を斬《き》らうとしたら、必《かなら》ず聲《こゑ》をも立《た》てず、手向《てむか》ひも辯解《いひわけ》もしなかつたらう。私《わたし》は何《なに》をするか知《し》れた物《もの》でない、と思《おも》つてゐたに違《ちが》ひない。 も一|度《ど》此男《このをとこ》と眼《め》を視合《みあは》せたくなつて、見物《けんぶつ》と共《とも》に駈出《かけだ》して行《い》つた。俘虜逹《ふりよたち》が收容所《しうようじよ》へ入《はい》る時《とき》、願《ねがひ》が叶《かな》つて、其男《そのをとこ》が先《ま》あ身《み》を開《ひら》いて戰友《せんいう》を皆《みな》通《とほ》してから、自分《じぶん》も内《うち》へ入《はい》らうとして、と又《また》私《わたし》の面《かほ》を視《み》た。黑《くろ》い、大《おほ》きな、瞳《ひとみ》の散《ち》つた眼《め》に、無限《むげん》の恐怖《きようふ》と狂氣《きやうき》とを浮《うか》べて、如何《いか》にも苦《くる》しさうで、之《これ》を見《み》ては世《よ》に是程《これほど》の不幸《あじき》ない心持《こゝろもち》になつてゐる人《ひと》は有《あ》るまいと思《おも》はれた。 「あれは何者《なにもの》です、あの變《へん》な眼付《めつき》をしてゐる男《をとこ》は?」 と護送《ごさう》の兵士《へいし》に尋《たづ》ねて見《み》ると、 「士官《しくわん》です。狂人《きちがひ》なんで。あゝいふのは澤山《たくさん》有《あ》ります。」 「名前《なまへ》は?」 「默《だま》つてゝ名前《なまへ》を言《い》はんのです。外《ほか》の俘虜《ふりよ》も知《し》らんといふから、大方《おほかた》餘所《よそ》のが紛《まぎ》れ込《こ》んで來《き》たんでせう。もう一|度《ど》首《くび》を縊《くゝ》らうとしたのを助《たす》けた事《こと》があるんで、や、どうも手《て》が附《つ》けられない!…」 と兵士《へいし》はその手《て》の附《つ》けられないといふ事《こと》を手眞似《てまね》でして見《み》せて、戶《と》の内《うち》へ隱《かく》れて了《しま》つた。 で、かう晚《ばん》になつてから、此《この》俘虜《ふりよ》の事《こと》を考《かんが》へてみると、あゝして獨《ひと》り敵中《てきちう》に居《ゐ》る。如何《どん》な目《め》に遭《あは》はされるかも知《し》れない、と思《おも》つてゐる。味方《みかた》は居《ゐ》ても、知《し》つた面《かほ》は一人《ひとり》もない。默《だま》つて、浮世《うきよ》の隙《ひま》の明《あ》くのを辛抱强《しんばうづよ》く待《ま》つてゐるのだが、それにしても如何《どう》も狂人《きちがひ》とは思《おも》へぬ。臆病《おくびやう》でもなさゝうだ。皆《みな》魂《たましひ》が身《み》に添《そ》はずぶる〳〵物《もの》でゐる中《なか》で、獨《ひと》り昂然《かうぜん》としてゐる。恐《おそ》らく其《その》仲間《なかま》をも仲間《なかま》と思《おも》つてゐまい。如何《どん》な心持《こゝろもち》でゐるだらう?

死《し》に臨《のぞ》むで名《な》を言ふまいといふ、その絕望《ぜつばう》の深《ふか》さは測《はか》り知《し》られぬ。名《な》を言《い》つたとて何《なん》の益《えき》がある?

今《いま》は是迄《これまで》の命《いのち》と覺悟《かくご》して、人間《にんげん》の眞價《しんか》を覺《さと》つた身《み》には、周圍《まはり》で如何《どん》なに騷《さわ》いだとて、喚《わめ》いたとて、又《また》威嚇《ゐかく》したとて、眼中《がんちう》にもう人間《にんげん》はない、敵《てき》もなければ、味方《みかた》もない、――といつた氣《き》になつてゐるのだらう。此男《このをとこ》の身《み》の上《うへ》を聞糺《きゝたゞ》してみたら、一|度《ど》に數萬《すまん》の戰死者《せんししや》を出《だ》した此頃《このごろ》の怖《おそ》ろしい戰鬪《せんとう》の時《とき》、捕虜《ほりよ》になつたので、捕虜《ほりよ》になる時《とき》、抵抗《ていかう》しなかつたと云《い》ふ。何故《なぜ》か武器《ぶき》を持《も》つてゐなかつたのを、それとは氣《き》が附《つ》かずに一|兵卒《ぺいそつ》が劍《けん》を揮《ふる》つて斬付《きりつ》けると、起上《おきあが》りもせず、手《て》を戟《ほこ》にして攔《さへぎ》りもしなかつたが、創《きず》は淺《あさ》かつた。創《きず》の淺《あさ》かつたのは、此男《このをとこ》の身《み》にしたら生憎《あいにく》な事《こと》だつた。 しかし全《まつた》く狂人《きちがひ》でないとも云《い》へぬ。護送《ごさう》の兵士《へいし》もさういつたが、かういふのは澤山《たくさん》有《あ》るさうな…

(斷篇第十二)

…そろ〳〵始《はじ》まつた。昨夜《さくや》兄《あに》の書齋《しよさい》へ入《はい》ると、兄《あに》が安樂椅子《あんらくゐす》に恁《もた》れて、書物《しよもつ》に埋《うづま》つた机《つくゑ》に對《むか》つてゐる。手燭《てしよく》に火《ひ》を點《つ》けると、幻《まぼろし》は直《す》ぐ消《き》えて了《しま》つたが、久《しば》らくは其《その》安樂椅子《あんらくゐす》には凭《かゝ》る氣《き》になれなかつた。初《はじめ》の中《うち》は恐《おそ》ろしかつた、――ガランとした室内《しつない》に、何《なに》か絕《た》えずさら〳〵といふ音《おと》や、ぱち〳〵と物《もの》の爆《はね》る音《おと》がして薄氣味《うすきみ》惡《わる》かつたが、而《しか》し兄《あに》なら他人《たにん》には勝《まし》だと思《おも》ふと、寧《むし》ろ居心《ゐごゝろ》が好《よ》くなつた。が、それでも此晚《このばん》は徹宵《よツぴて》椅子《ゐす》を離《はな》れなかつた。離《はな》れたら、直《す》ぐ兄《あに》が掛《か》けさうに思《おも》はれて。室《へや》を出《で》る時《とき》は、背後《うしろ》を向《む》かずに、急《いそ》いで出《で》た。家中《うちゞう》に燈火《あかり》を點《つ》けたものか――いや、それにも及《およ》ぶまいか?

燈火《あかり》で何《なに》かゞ見《み》えたら、尙《な》ほ無氣味《ぶきみ》だらう。此儘《このまゝ》だと、まだ多少《たせう》の疑《うたがひ》を存《そん》して置《お》く事《こと》も出來《でき》る。

今日《けふ》手燭《てしよく》を持《も》つて部屋《へや》へ入《はい》つたら、椅子《ゐす》には誰《だれ》も掛《か》けて居《ゐ》なかつた。してみると、昨夜《ゆうべ》は唯《たゞ》影《かげ》がちらりとしたばかりで有《あ》つたのだ。又《また》停車塲《ていしやば》へ行《い》つてみると、――もう此頃《このごろ》では每朝《まいあさ》行《ゆ》く事《こと》にしてゐるのだが、行《い》つてみると、味方《みかた》の瘋癲《ふうてん》患者《くわんじや》ばかりを載《の》せた車輛《しやりやう》がある。戶《と》も開《あ》けずに別《べつ》の線路《せんろ》へ移《うつ》して了《しま》つたが、それでも窓《まど》から幾人《いくにん》かの面《かほ》が見《み》えた。皆《みな》怖《おそ》ろしい面《かほ》であつた。殊《こと》に一人《ひとり》の患者《くわんじや》の面《かほ》は法外《はふぐわい》に間《ま》が延《の》びて、レモンのやうに黃《きい》ろく、明放《あけツぱな》しの眞黑《まつくろ》な口《くち》に据《すわ》つた眼《め》と、どう見《み》ても「無殘《むざん》」を面《おもて》に刻《きざ》むだやうな面《かほ》で、私《わたし》は之《これ》に眼《め》を奪《うば》はれて了《しま》つた程《ほど》だつたが、直《ひた》と私《わたし》と眞向《まむか》ひに向《む》き合《あ》つて、凝《ぢつ》と首《くび》を据《す》ゑて、其儘《そのまゝ》眉《まゆ》一《ひと》つ動《うご》かさず、目《ま》じろぎもせずに、動《うご》き出《だ》す汽車《きしや》と共《とも》に行過《ゆきす》ぎて了《しま》つた。これが停車塲《ていしやば》で仕合《しあはせ》、若《も》し家《うち》のあの暗《くら》い戶口《とぐち》で此面《このかほ》が見《み》えたら、私《わたし》は到底《とて》も堪《た》へ切《き》れなかつたらうと思《おも》ふ。聞《き》いて見《み》たら、後送《こうさう》された瘋癲《ふうてん》患者《くわんじや》は廿二|名《めい》だつたと云《い》ふ。愈々《いよ〳〵》流行《りうかう》するものと見《み》える。新聞《しんぶん》では一|向噂《かうゝはさ》もせぬが、市内《しない》でも徐々《そろ〳〵》其萠《そのきざし》が見《み》えるやうだ。礑《はた》と戶《と》を締切《しめき》つた眞黑《まツくろ》な馬車《ばしや》を折々《をり〳〵》見《み》かける。今日《けふ》一|日《にち》に彼方此方《あちこち》で六|臺《だい》も見掛《みか》けたが、大方《おほかた》私《わたし》も今《いま》に彼《あれ》に乗《の》る事《こと》であらう。

新聞紙《しんぶんし》は每日《まいにち》軍隊《ぐんたい》輸送《ゆさう》の必要《ひつえう》を說《と》く。更《さら》に血《ち》を流《なが》す必要《ひつえう》があると云《い》ふ。如何《どう》いふ譯《わけ》だか、私《わたし》は愈愈《いよいよ》分《わか》らない。昨日《きのふ》奇怪《きくわい》千|萬《ばん》な論文《ろんぶん》を讀《よ》むだ。その說《せつ》に、國民中《こくみんちう》にも軍事探偵《ぐんじたんてい》、賣國奴《ばいこくど》、謀叛人《むほんにん》が澤山《たくさん》有《あ》るから、銘々《めい〳〵》戒心《かいしん》して十|分《ぶん》に注意《ちうい》しなければならんが、國民《こくみん》の公憤《こうふん》に照《てら》されては、此《この》極惡人等《ごくあくにんら》も遂《つひ》に其跡《そのあと》を晦《くら》ますことは出來《でき》まいとあつた。此《この》極惡人等《ごくあくにんら》とは如何《どん》な人逹《ひとたち》の事《こと》で、如何《どん》な惡事《あくじ》を働《はたら》いたのだらう?

停車塲《ていしやば》を出《で》て電車《でんしや》に乗《の》つたら、車中《しやちう》で變《へん》な話《はなし》を聞《き》いた。大方《おほかた》其《その》極惡人逹《ごくあくにんたち》の噂《うはさ》をしてゐたのだらう。 「さういふ奴等《やつら》は裁判《さいばん》も何《なに》も有《あ》つたものぢやない、卒然《いきなり》絞罪《かうざい》に處《しよ》しツ了《ちま》ふが好《い》いのです、」と一人《ひとり》が言《い》つて、胡亂《うろん》さうに皆《みな》を視廻《みまは》した序《つひで》に、私《わたし》の面《かほ》をも瞥《ちら》りと視《み》て、「謀叛人《むほんにん》は絞殺《やツつけ》るに限《かぎ》る。」 「用捨《ようしや》なくな」、と今《いま》一人《ひとり》が合槌《あひづち》を打《う》つて、「もう散散《さんざん》用捨《ようしや》して遣《や》つてますからな。」 私《わたし》は電車《でんしや》を飛降《とびお》りて了《しま》つた。皆《みな》戰爭《せんさう》には泣《な》かされてゐる、彼《あの》人逹《ひとたち》も矢張《やはり》然《さ》うだらうに、――これは又《また》如何《どう》した事《こと》だ?

如何《どう》やら絳《あか》い霧《きり》が大地《だいぢ》を包《つゝ》むで人《ひと》の目《め》を遮《さへぎ》り、實《まこと》に世界《せかい》の破滅《はめつ》が近《ちか》づいたやうに段々《だん〴〵》思《おも》はれて來《く》る。兄《あに》が見《み》たといふ赤《あか》い笑《わらひ》が是《こ》れだ。かなたの血《ち》みどろの赤黑《あかぐろ》くなつた野《の》から、狂亂《きやうらん》の風《かぜ》が吹《ふ》いて來《き》て、大氣《たいき》の中《なか》にその冷《つめ》たい氣息《いぶき》の傳《つた》はるを覺《おぼ》える。私《わたし》は屈强《くつきやう》な男《をとこ》だ、病《やまひ》で身體《からだ》を壞《こは》した爲《ため》に腦髓《なうずゐ》が溶《とろ》けて來《き》たのではないが、病毒《びやうどく》が傳染《でんせん》して私《わたし》の心《こゝろ》の半《なかば》はもう私《わたし》の自由《じいう》にならぬ。これはペストより惡《わる》い、ペストより怖《おそ》ろしい。ペストなら、まだ何處《どこ》へか躱《かく》れる法《はふ》もある、何《なに》かしら豫防法《よばうはふ》を施《ほどこ》す事《こと》も出來《でき》るが、遠近《えんきん》もなく、障隔《へだて》もなく、何處《どこ》へでも徹《とほ》る思想《しさう》には躱《かく》れる道《みち》がないではないか?

晝《ひる》はまだ凌《しの》げるが、夜《よる》になると、私《わたし》も人並《ひとなみ》に夢《ゆめ》の奴《やつこ》になつて了《しま》ふ、――その夢《ゆめ》が又《また》怖《おそ》ろしい狂氣染《きちがひぢ》みた夢《ゆめ》で…

(斷篇第十三)

到《いた》る處《ところ》私鬪《しとう》が行《おこな》はれて、無意味《むいみ》に夥《おびたゞ》しく血《ち》を流《なが》す。聊《いさゝ》かの衝動《しようどう》にも直《す》ぐ無法《むはふ》な腕力《わんりよく》沙汰《ざた》になつて、ナイフや石塊《いしころ》や棍棒《こんぼう》が閃《ひらめ》き、相手《あひて》構《かま》はず手當《てあた》り次第《しだい》に打殺《ぶちころ》す。鮮血《せんけつ》が兎角《とかく》迸《ほとばし》りたがつて、何《なん》の苦《く》もなく滾々《こん〳〵》と流《なが》れる。 その百姓《ひやくしやう》は六|人《にん》で、丸込《たまご》めした銃《ぢう》を擔《かた》げた兵《へい》が三|人《にん》で護送《ごさう》して行《ゆ》く。皆《みな》如何《いか》にも百姓《ひやくしやう》じみた、粗末《そまつ》な、野蠻人《やばんじん》に髣髴《はうふつ》たる、原始的《げんしてき》の服裝《ふくさう》で、宛然《まるで》粘土《ねばつち》で捏《でツ》ちたやうな別種《べつしゆ》の面《かほ》をして、髮《かみ》の毛《け》も髯《ひげ》もくしや〳〵と塊《かた》まつて寧《むし》ろ毛物《けもの》の毛《け》のやうで、それが富《と》み榮《さか》ゆる市街《しがい》を、紀律《きりつ》の正《たゞ》しい兵士《へいし》に護送《ごさう》せられて行《ゆ》く所《ところ》は、古《むかし》の奴隸《どれい》を面《まのあた》りに見《み》るやうだ。皆《みな》戰地《せんち》へ召集《せうしふ》せられて行《ゆ》くので、銃劍《ぢうけん》には敵《てき》し得《え》ず、屠所《としよ》へ引《ひ》かれる牛《うし》のやうに、罪《つみ》の無《な》い面《かほ》をしてキョトンとして行《ゆ》く。最先《まつさき》に行《ゆ》くのは頰髭《ほゝひげ》も生《は》えぬ、脊《せ》の高《たか》い若者《わかもの》で、鵞鳥《がてう》のやうなひよろ長《なが》い頸《くび》へ、小《ちひ》さな頭《あたま》を据《す》ゑてゐる。枯枝《かれえだ》のやうな身體《からだ》を前屈《まへこゞ》みにして、凝然《ぢつ》と足元《あしもと》を睇視《みつ》めた目色《めつき》は地中《ちちう》へ喰入《くひい》りさうだ。殿《しんがり》に行《ゆ》くのは脊《せ》の低《ひく》い、髯《ひげ》だらけの、年配《ねんぱい》の男《をとこ》だつたが、もう反抗《はんかう》する氣力《きりよく》もないらしく、思慮《しりよ》のない目色《めつき》をして、地《ち》が足《あし》に汲付《すひつ》くのか、喰付《くひつ》くのか、兎角《とかく》離《はな》れかねて、烈風《れつぷう》に向《むか》つたやうに、身《み》を反《そら》して行《ゆ》く。一|步《ぽ》を移《うつ》すにも、兵士《へいし》に背後《うしろ》から銃《ぢう》の臺尻《だいじり》で小突《こづ》かれて、辛《やツ》と片足《かたあし》を引離《ひきはな》し、わな〳〵しながら踏出《ふみだ》すけれど、片足《かたあし》は地《ち》に附着《くツつ》いてゐて中々《なか〳〵》離《はな》れない。兵士《へいし》も厭《いや》な面《かほ》をして不機嫌《ふきげん》さうだ。もう長《なが》いこと斯《か》うして行《ゆ》くらしく、銃《ぢう》を擔《かた》げた振《ふり》にも、田舎漢《ゐなかもの》らしく内輪《うちわ》に思《おも》ひ〳〵に步《ある》く足取《あしど》りにも、困憊《がツかり》して萬事《ばんじ》を抛遣《なげや》りにしてゐる處《ところ》がある。意味《いみ》もなく、思切《おもき》り惡《わる》く、默《だま》つて百姓等《ひやくしやうら》が反抗《はんかう》するので、紀律《きりつ》で固《かた》まつた頭《あたま》も濛《ぼツ》となり、何處《どこ》へ何《なん》の爲《ため》に行《ゆ》くのか、もう分《わか》らなくなつたといふ樣子《やうす》だ。 「何處《どこ》へ連《つ》れて行《ゆ》くのです?」と私《わたし》が一|番《ばん》端《はづれ》の兵《へい》に聞《き》くと、その兵《へい》は愕然《びくツ》として私《わたし》の面《かほ》を見《み》た。ギロリとした銳《するど》い目色《めつき》で視《み》られた時《とき》には、正《まさ》しく銃劍《ぢうけん》を突付《つきつ》けられて、その切先《きツさき》が胸《むね》へグサと刺《さ》さつたやうな氣持《きもち》がした。 「側《そば》へ寄《よ》つちや不好《いかん》!

退《ど》け!

退《ど》かんと…」 例《れい》の年配《ねんぱい》の男《をとこ》が此《この》瞬間《しゆんかん》の隙《ひま》に乗《じよう》じて迯出《にげだ》した。チョコ〳〵と小走《こばし》りに走《はし》つて、路端《みちばた》の柵《さく》の根方《ねかた》へ、隱《かく》れる積《つもり》なのか、蹲《つぐな》んだ。眞《しん》の動物《どうぶつ》でも此樣《こん》な呆《とぼ》けた狂人染《きちがひじ》みた事《こと》はすまい。兵《へい》は大《おほい》に怒《いか》つた。つか〳〵と側《そば》へ行《い》つて屈《こゞ》むと、銃《ぢう》を左手《ゆんで》に持易《もちか》へるや、右手《めて》で何《なに》か柔《やはら》かい平《ひら》たい物《もの》を打《う》つ音《おと》がピシャリとした。又《また》ピシャリといふ。人《ひと》が環集《たか》つて來《く》る。笑《わら》ふ聲《こゑ》や喚《わめ》く聲《こゑ》がする…

(斷篇第十四)