幽霊書店

第九章 ふたたび物語の進行は遅れる

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ロジャーは店のなかで静かな晩を過ごしていた。頭の上に霧のようなたばこ の煙をうかべながら、机にむかって書籍業に関する偉大な著作の第十二章の執 筆にいそしんだ。この章は(残念なことに最初から最後まで夢想に過ぎなかっ たが)「一流大学名誉文学博士号授与記念講演」として発表されるべきもので あり、これを書いているとさまざまに魅惑的な可能性が頭に浮かんできて、ロ ジャーの心はいつも紙を離れて空想の世界に遊んでしまうのである。彼は書籍 業がついに学問的職業の一つとして正式に認められ、それを祝う晴れの式典の 快心の場面を事細かに思い描くのが大好きだった。大講堂は教養ある人々で いっぱいである。エマソンのような横顔の殿方、次第書をひらひらさせて口を 覆いながらささやき交わすご婦人方。大学儀官《ビードル》なのか学生監《プ ラクター》なのか学部長《ディーン》なのか(ロジャーにはなんだかよくわか らなかったが)、とにかくだれかがおごそかな紹介の言葉を述べている――

公共の福利のために絶えず個人的利益を度外視し、プロメテウスにも似た情 熱的犠牲の精神をもって、数え切れない多くの人に、優れた文学への愛を教え た人物。何事も泡沫のように消えていく世間に広く文学的趣味を浸透させたの は、主に彼とその同業者の功績と言っていい。彼を讃えることでわたしたちは、 彼によって代表される気高く、慎み深いなりわいを讃えようとするものである ――

謙虚な書店主は手に汗をかき、フードつきのアカデミックガウンをまとった まま途方に暮れ、そわそわと角帽をいじり回していたのだが、案内役に引っ張 られて赤くなりながら総長《チャンセラー》だか学寮長《プロボウスト》だか 学長《プレジデント》だか(なんだかわからない人)の前に出ると、その人か ら学位証書がわたされるのである。それから(ロジャーの空想のなかでは)花 輪をいただいた書店主は待ちわびている聴衆のほうを振りむき、舞台の上で垂 れ下がったガウンをご婦人方がするように器用に後ろ足で蹴り、ためらうこと も気後れすることもなく、品のよい冗談を適度にさしはさみながら彼がしばし ば夢見ていた書物の喜びについての、学識に満ちた、すこしもしゃちほこばっ たところのない講演をするのだ。そのあとは引きつづいて祝賀会。高名な碩学 たちが彼を取り囲む。マカロンの皿に、口をつけてないお茶のカップ。ご婦人 たちのさえずるようなおしゃべり。「お尋ねしたいことがありますのよ――将 軍、提督、牧師、政治家、科学者、芸術家、作家、こういう人たちの銅像はた くさんあるけど、どうして書店主の銅像はないのかしら?」 こんなはなやかな場面を想像するとロジャーはいつもめくるめくような夢の 世界に誘い込まれる。数年前に太った白馬に幌つき荷馬車をひかせ、田舎道で 本を売っていたときから、いつかパルナッソス巡回書店株式会社を立ち上げ、 十台の荷馬車隊を擁し、本屋を知らない田舎の間道へ行商に繰り出すという、 ひそかな夢を胸に抱いていたのである。彼は好んで大きなニューヨーク州の地 図を思い浮かべた。そこには旅回りに出ているパルナッソスの毎日の位置を示 す色つきのピンが刺さっている。彼は夢のなかで巨大な中央古本倉庫に陣取り、 軍司令官さながらに地図を眺め、荷馬車の在庫を補充するため文学的弾薬箱を 送りつけるのだ。外交員はおもに、報われない仕事にいや気がさし、機会さえ あれば旅に出たいと思っている大学教授、牧師、新聞記者で編成しようと思っ ていた。彼はミスタ・チャップマンがこの卓越した計画に興味を抱くことを期 待し、またパルナッソス巡回書店株式会社の株が大きな配当金を生み、真剣な 投資家たちを惹きつける日を夢見ていた。 そうこう考えていると義理の兄、田舎暮らしの喜びを描いた魅力的な本の作 者であるアンドリュー・マギルのことが頭に浮かんできた。彼は緑のコネチ カット渓谷が肘のように曲がったあたりのサビーニ農場に住んでいる。初代パ ルナッソスはロジャーが結婚前にそのなかで生活し、田舎を何千マイルも旅し て本を売った、風変わりな古くて青い荷馬車なのだが、今はアンドリューの納 屋に収まっている。でっぷりと太った白馬のペグもそこにいた。ロジャーはふ とアンドリューに手紙を書かなければならないことを思いだし、書店主の大学 講演草稿を脇に寄せて、こう書きはじめた。

幽霊書店 ブルックリン、ギッシング通り163 一九一八年十一月三十日

親愛なるアンドリュー もっと早くにお礼を申し上げるべきでした。今年もリンゴジュースの樽を 送っていただきありがとうございます。夫婦ですこぶるおいしくいただいてい ます。今年の秋はひどくいろいろなことを考えさせられ、手紙がまったく書け ませんでした。ほかの人とおなじように、わたしも常に僥倖のように訪れたこ の新しい平和のことを考えています。この機会を人類の福利に転じることがで きる政治家が将来きっとあらわれることでしょう。わたしは書店主の世界的平 和会議があったらいいのにと思っています。というのは(お笑いになるでしょ うが)世界の未来の幸福はすくなからず彼らと図書館員の肩にかかっていると 信じるからです。ドイツの書店主はいったいどんな人間なのでしょう?

今「ヘンリー・アダムズの教育」を読んでいるのですが、彼が長生きをして、 戦争をどう思うか、意見を聞かせてほしかったと思います。きっとあっけにと られるでしょうね。こんなものは「感受性の鋭い、おずおずとした人間が身震 いすることなく見守ることができる」世界ではないと思ったことでしょう。彼 はわたしたちが目撃した四年にわたるいとわしい流血に関してなんと言うで しょうか?

覚えていらっしゃるでしょうが、わたしの愛唱する詩――ジョージ・ハー バートの「教会のポーチ」の一編――にこうあります。

ぜひとも ときどき独りになる習慣をつけなさい 自分に向かって挨拶し 自分の魂の装いを確かめるのです 恐れることなく胸の内をのぞきなさい それはあなたのものなのだから そしてそこに見つけたものを いろいろひっくり返してごらんなさい

というわけで、わたしは自分の考えを大いにひっくり返してみているわけです。

憂鬱というやつは知識階級にかけられた呪いであると思いますが、しかしわた しの魂はこのごろ恐ろしく落ち着きを失っているのです。人間世界で突然起き た驚くべき変化は歴史上類を見ない劇的なものなのに、もうすでに当然のこと のように受け止められているようです。わたしが大いに恐れているのは、人類 がむごたらしい戦争の惨禍を忘れてしまうことです。それはまだ語られてもい ない。フィリップ・ギブズのような人たちが、現実に目の当たりにしたことを、 わたしたちに伝えてくれることを期待し祈っています。 あなたはわたしがいおうとしていることに賛成はしないでしょうね。頑固な 共和党員でいらっしゃるから。しかしわたしはウィルソンが講和会議に出席す ることを運命の神に感謝します。わたしは愛読書のひとつ「クロムウェル伝」 ――それを横に置きながらこの手紙を書いているのですが――についてずっと 考えてきました。これはカーライルによって編集され、カーライルが「注解」 と称する妙なものがつけ加えられています。(カーライルの注解はどれもよく わかりません!)わたしはどこかでこれがウィルソンの愛読書の一つであると 聞きました。たしかに彼にはクロムウェル的なところが多々あります。刀剣を その手に握らざるを得なくなったとき、なんという断固たる誓約者の意気込み でその武器をつかんだでしょう!

彼が講和会議でいうこともオリバーが一六 五七年と一六五八年に議会でよく発言していたこと――「虫の食っていない平 和が手に入れば、正義と公正の土台を作ることができる」――と非常によく似 ているのではないかと思っています。ウィルソンが思慮のない人々にとってじ れったく感じられるのは、彼が情熱ではなく、あくまで理性にもとづいて行動 するからです。キプリングの有名な詩、あれはたいていの人間にあてはまるの ですが、彼はその正反対です――

事実を真っ向からとらえ とことん論理的に押し詰めて その結論を確固たる行為に結実させることなど めったにありはしない

今回は理性が勝利すると思います。世界全体がその方向にむかっていると感じ られるのです。 ウッドロウはいはばクロムウェルとワーズワースの掛け合わせのような男で、 そんな人間が砲弾痕の残る場所で外交のためにひと肌脱ごうなどというのは考 えてみればおかしなことです。わたしが待っているのは彼が公職を退き、彼の 私生活について本を書くときです。こういってよければ、それこそ身も心も ぐったり疲れ果てて当然の人間にうってつけの仕事です。その本が出版された ら、わたしはそれを売って余生を過ごします。それ以上のものは要りません! ワーズワースといえば、わたしはよくウッドロウが日記のどこかにこっそり 詩を書いているのではないかと思います。ひそかな詩作にふけっている姿をい つも想像するのです。ところで、わたしがジョージ・ハーバートに入れ込んで いることをおからかいになる必要はありませんよ。自分でも判っていますから ね。英語でもっともなじみ深い二つの引用が彼のペンから生まれていることを 知っていますか? つまり

ケーキを口にして しかもそれを持っていたいと願うのか

これと

おそれずに真実を語れ どんな場合も嘘はいらない 過ちが切実に嘘を必要とするとき 罪は二倍に膨れあがる

です。 このつまらない説教をお許しください! わたしの心はこの秋あまりにも混 乱し、憂鬱と高揚が入りまじった奇妙な状態にあるのです。わたしがどれほど 本に埋もれ、本のために生きているか、ご存じでしょう。じつは、この人類の 希望と苦悩が逆巻くなかから偉大な書物があらわれるような不思議な気分、予 感みたいなものを感じるのです。それは嵐に揺すられた人間の魂が、今までに なかったような率直な語り方をする本です。聖書にはご存知のとおり、いささ か失望しました。人間にたいしてなすべきことをなさなかったのですから。ど うしてなんでしょうね? ウォルト・ホイットマンはこれから大活躍するで しょうが、わたしがいおうとしているものとはちょっとちがう。なにかがやっ てきつつある――ただわたしにはそれがなんであるのか、はっきりとはわから ないのです!

自分が単なる商品のセールスマンではなく、人間の夢や美や好 奇心を取引する書店主であることを神に感謝したいと思います。しかしわたし たちは自分のなかで起きていることを語ろうとするとき、なんと無力でしょう か!

先日、ラフカディオ・ハーンの手紙のなかにこんな一節を見つけました ――あなたに見せようと思って印をつけておいたものです――

ボードレールはアホウドリについて感動的な詩を書いていて、これはあなた も気に入ると思う――詩人の魂はその自由な青空においてこそ優美だが――俗 な大地を歩む姿は無力で、屈辱的で、醜く、不器用――いや、そこは大地では なく、実際には刻みたばこのパイプで水夫にいじめられる甲板なのだが、云々。

日の暮れるのが早くなり、ここでわたしが棚に囲まれ、どんな夜を過ごして いるか想像がつくでしょう! もちろん十時に店を閉めるまで、絶えず邪魔が はいります――この手紙を書いている最中も同様です。一度は「叔父さん征 伐」を売り、一度は「レディング獄舎の唄」を売るといった具合で、わたしの お客さんの趣味が多種多様だということがわかりますね! しかしこのあと夫 婦で夜のココアを飲み、ヘレンが寝てしまうと、わたしは店をうろつき、あっ ちの本やらこっちの本をのぞき込み、思索の美酒に酔いしれるのです。夜更け になると精神は、どれほど澄んだ輝く流れとなってあふれだすことか!

昼間 の沈殿物や浮遊するごみがすっかり消えています。ときにはこれこそまさに美 か真実の岸辺ではないかと思えるところを進み、そのきらきらした砂浜に砕け る波の音が聞こえるような気がします。ところがつぎの瞬間には沖合から倦怠 と偏見の風が吹き、ふたたびわたしを運び去ってしまう。アンドレーエフの 「偉大な日々のあいだに語られた卑小なる男の告白」を読んだことがあります か?

先の戦争から生まれた誠実な本のひとつです。卑小なる男は告白をこん なふうに締めくくっています――

わたしのなかから怒りが去って、悲しみがもどり、また涙が流れる。わたし はだれを呪うことができるだろう、だれを裁くことができるだろう、わたした ちすべてがおなじように不幸だというのに。苦痛はあらゆるところにある。お 互いに手を伸ばし合い、その手が触れあうとき――大いなる解決が訪れるだろ う。わたしの心は燃え立つように輝き、わたしは手を差し伸べ、こう叫ぶ。 「さあ、手をつなぎ合おう! わたしはあなたたちを愛しているのだ、愛して いるのだ!」

そしてもちろんそんな気持ちになった途端、他のだれかにポケットの金をすら れてしまうわけですが――まあ、すられたって平気な顔をしていられるくらい の気位を教育すべきでしょうね!

世界はじつは本によって支配されている、などと考えたことがありますか? たとえばこの国が戦争に突入した道筋はウィルソンがものを考えはじめたと きから読んだ本によって大筋決められていたのです!

戦争がはじまってから 彼が読んだおもな本のリストが手に入ったら、これは面白いでしょう。 ここにお客さんに考えてもらおうと思って掲示板用に今写している詩があり ます。一九一五年にフランスで戦死した若いイギリス人、チャールズ・ソー リーの書いたものです。彼はまだ二十歳でした――

ドイツへ きみはぼくらのように目が見えない きみは意図して人を傷つけたのではな かった そしてだれもきみの国土を征服しようとしたのではなかった しかしいずれも狭隘な思想という戦場を手探りし ぼくらはつまずき 互いを理解しない きみが見ていたのは きみの大いなる未来だけ ぼくらが見たのは 先に行くほど細くなるぼくらの心の道だった ぼくらは互いに相手の大切な道に立ちふさがり 非難し 憎み合う そして盲人が盲人にうちかかる

平和がきたときに ぼくらはもう一度 新たな目でお互いの本当の姿を見直し 不思議に思うかも知れない もっと慈愛と思いやりを学んだとき ぼくらはしっかり手を握り合い 過去の苦しみを笑い飛ばす 平和がきたときに しかし平和がくるまでは嵐 暗闇 いかずち 雨

気高い響きがあるでしょう? わたしがへどもどしながらいおうとしているこ とがわかりますか――戦争は人類を浄化したのだと(後生の人に)思えるよう な、そんな戦争のとらえ方です。悪臭を放つ灰や、苦しむ肉体、原型を失うま で弾丸を撃ち込まれ、血と汚水の泥沼のなかに横たわる人間といった単なる暗 黒のイメージではなくて。そんな口にすることもはばかられるような荒廃から、 人間は、隣人としての国家という新しい概念にかならずや目覚めなければなり ません。ドイツをいくら罰してもその罪は充分にあがなえないといった不安の 声がたくさん聞こえてきます。しかしあのような広範囲の悲しみにたいしてど んな罰を考え出し、押しつけられるというのでしょう。ドイツはすでに自分を 手ひどく罰しているし、これからもそれはつづくと考えます。わたしたちの経 験が生命の――人間だけでなく動物も含むすべての生命の――威厳にたいする なにか新しい自覚を世界にもたらすことになれば、と祈っています。動物園に 行くと生命力のとてつもない奇怪な多様性に驚き、謙虚な気持ちになりません か? どんな生命の形のなかにも見いだせるものはなんでしょう? ある種の欲望 ――ほんのちっぽけな虫をすらその奇態な旅へと駆り立てる説明しがたい原動 力のようなものです。あなたもきっと垣根の横木をせわしなく動きまわってい る、ものすごく小さな赤い蜘蛛を見たことがあると思います――いったいなぜ そんなことをするのでしょうか、そしてどこへ行こうとしているのでしょうか? だれにもわかりません。人間ともなれば、どれほど混沌とした欲望と衝動が、 彼らをそのおかしな仕事の繰り返しにおもむかせていることやら! それにど の人間の心にもなんらかの悲しみ、挫折、苦しみがひそんでいます。わたしは よくラフカディオ・ハーンが書いている日本人の料理人の話を思い出します。 ハーンは感情を顔に出さない日本人の習性について語っていました。彼が雇っ ていた料理人は、いつもにこにこしている、機嫌のいい、健康な、人当たりの よさそうな若者でした。ところがハーンはある日、偶然にも、壁の穴からひと りぼっちの料理人を見たのです。彼の顔はいつもの顔ではありませんでした。

痩せて引きつって、過去の苦労や辛酸によってできた奇怪なしわを浮かべてい ました。ハーンは「死人のような表情だ」と思いました。彼は台所に入ってい きました。すると途端に料理人はふたたび若々しく、しあわせそうな顔に様変 わりしたのです。それから二度とハーンは悩みを抱えた顔を見ることはありま せんでした。しかし彼は男がひとりのときはそんな顔をしていることを知って いました。 これは人類全体にあてはまる寓話のようなものだと思いませんか? だれか に出会って、その人が世間からどんな輝かしい悲しみを隠しているのだろう、 とか、どんな理想と現実の差に苦しめられているのだろう、とか、思わずにい られたことがありますか?

微笑みを見せるどの仮面の背後にも、苦痛にゆが む謎めいた顔がないでしょうか? ヘンリー・アダムスが簡潔にそれを表現し ています。人間の心は未知の、想像もできない虚空から突然、不可解な形であ らわれると。人間の心はその生の半分を眠りという精神的混乱のなかで過ごし ます。目覚めているときさえ、それは適応能力の欠如、病気、加齢、外からの 暗示、生理的欲望の犠牲者です。己の感覚を疑い、道具ばかりを頼り、平均値 しか信用しない。ますます大きな驚きを味わいながら六十年ほどしてふと気が つくと、心はなにもない死の空間を呆然とのぞき込んでいる。そして、アダム スがいうように、そんな人生に満足だと公言することが、最高の教育に望みう るすべてなのです。精神が満足するといっても、それは自分が白痴のような存 在であることを証明するだけです! このことに関してあなたがどんなふうに思っていらっしゃるか、お手紙をい ただければうれしく思います。わたしは今まさにすばらしいことが起きようと しているような感じがしています。ずっと以前、本はただ一つ変わることのな い心の慰めだと思っていました。本は人類が生み出した、文句のつけようのな い完璧な作品です。何千冊もの本を未読のまま死んでいかなければならないこ とを考えると悲しくなります。それらは崇高な、満ち足りた喜びを与えたはず なのですから。一つ秘密をお話ししましょう。わたしは「リア王」を読んだこ とがありません。わざと読まないようにしているのです。もしも重い病気にか かったら、わたしは自分にこういえばいいのです。「まだ死ぬわけにはいかな いぞ。『リア』を読んでいないのだからな」そう思えばわたしは病気から回復 するでしょう。きっと回復しますとも。

本はわたしたちが困惑したときの答えです! ヘンリー・アダムズは宇宙が 理解できないと歯ぎしりします。彼にできるのはせいぜい「加速の法則」を提 案するくらいです。それはどうやら自然がますます勢いをつけて人間をせき立 て、その結果人間は問題をことごとく解決するか、その努力の最中に熱病にか かって死ぬか、いずれかになるだろうということらしい。しかしアダムスが遠 慮なくあからさまに描き出していますが、精神が絶望的なまでに謎に取り組む 様子は狂喜乱舞するようなおもしろさで、その描写の的確さに、奮闘の虚しさ など忘れてしまうぐらいです。人間は自分の無力すら気晴らしの種にしてしま うのですから、まったくいい根性をしています。どうやら人間の信条は、「神 がわたしを殺すとしても、わたしは神を笑ってやろう!」というものらしい。 ええ、本は人間の最高の勝利です。本はそれ以外のすべての勝利をかき集め、 後生に伝えるのですから。ウオルター・デ・ラ・メアが書いているように「天 使が、小説に夢中のあわれな人間を見たらどれほど不可解な思いでほほえむこ とだろう。どっかと椅子に腰をおろして身じろぎもせず、鼻の頭にめがねをの せ、二本の足を人魚の尻尾みたいにぴったりくっつけ、珍妙な目だけが年を刻 んだ顔のなかで動いている」 さてさて、わたしは駄文を弄して近況報告をなにもしていませんでした。ヘ レンはボストンでおおいに羽を伸ばし、先日もどってきました。今晩彼女は、 わたしたちの若い門弟、ミス・ティタニア・チャップマンと映画に出かけてい ます。ミス・チャップマンは本屋の見習いとしてうちが受け入れた魅力的な娘 さんです。うちのような店に若い娘さんが見習いに来るなんて、なんとも妙な 話ですが、これは彼女の父親、どこにでも広告が出ているチャップマン・デイ ンティビッツの経営者から、頼まれてしていることなのです。彼は大の本好き で、その情熱を娘にも受け継がせようと、とても熱心なのです。本についてこ んこんと説くことができる新しい帰依者を迎え、わたしがどれくらい喜んでい るか想像ができるでしょう! また、彼女のおかげでわたしは今までよりもい くぶんか店を離れて活動することができます。今日の午後、フィラデルフィア から電話があり、蔵書を売りに出すので、来週の月曜日、こっちにきて見積も りを出してくれないかと頼まれました。どうしてわたしの名前を知ったのか知 りませんが、ちょっとくすぐったい気がしました。

長々と、脈絡もないことを書きつづってしまい申し訳ありません。「エレホ ン」はいかがでしたか? もうすぐ閉店の時間です。本日の儲けに感謝の祈り を唱えなければなりません。

頓首再拝 ロジャー・ミフリン