苦悶の欄

第八章

Chapter 8 3,627 words Public domain Markdown

このようにしてテキサスの娘にとってだけでなく、ロンドンじゅうの人々に とっても落ち着かない一日がはじまった。彼女の父親は、顧問の靴磨きから先 ほどさずけられた、新たな外交上の秘密の話ではちきれそうになっていた。後 に彼はワシントンで、海外の事情通として注目を浴びる運命にあった。靴磨き が背後で彼を支えていたとは、誰も予想しなかったが、テキサスから来た男は、 あの有能な外交官のことを幾度も思いだし、今もご意見番として足元にいてく れたらと思うことになるのである。 「真夜中までに戦争になるだろう、間違いない!」彼はこの運命の火曜日の 朝、そう宣言した。「いいか、マリアン、サロニア号の切符が手に入って、わ しらは幸運だ。今日となっては五千ドルでも切符は売れん。あさって定期船に 乗りこめば、わしは万々歳だ」 あさって!

娘は考えた。とにかく手紙は届くだろう。彼女の若い友人が自 分の卑劣な行いを説明するために書いた弁護とやらを含む手紙が。彼女は最後 の手紙を首を長くして待った。 その日はのろのろと過ぎ、次の日に変わろうとする深夜になってイギリス参 戦の報がもたらされた。カールトン・ホテルの靴磨きは、あるテキサス人の心 の中で、尊敬されるべき預言者となった。次の日の朝、手紙が到着し、震える 指がその封をちぎった。手紙には次のようにあった。

親愛なる女性裁判官さま これは、あなたが私から受け取ったどの手紙よりも、はるかに書くのが難し い手紙です。私は二十四時間、悩みつづけました。昨晩、私はエンバンクメン トの通りを散歩しました。辻馬車がゆっくり走り、市街電車の明かりが、カン サスの我が家の裏庭を飛び交った蛍のように、ウェストミンスター橋の上を踊 っていました。私は歩きながら悩みました。今日も部屋に閉じこもって悩みま した。今、こうして手紙にとりかかろうとしているときも、私はまだ考えがま とまりません。どこからはじめればよいのか、なにを言えばいいのか、まった く分からないまま私は書き出しました。 この前の手紙の最後で、私はあなたにフレイザー=フリーア大尉を殺したの は私だと打ち明けました。それは真実です。どんなに婉曲に表現しようと、突 き詰めればおなじことです。なんと苦い真実でしょう! まだあれから一週間も経っていない先週の木曜日の夜七時、私は暗い階段を 上り、あの無防備な紳士の心臓にナイフを突き刺しました。もしも彼がなんら かの形で私を怒らせたと言えるなら、もしも彼の死がブレイ警部にとってとお なじように私にとっても必要であったと証明できるなら、いつかあなたの許し が得られる希望があるかもしれません。しかし、なんということでしょうか、 あの紳士は私にとてもよくしてくれたのです。私の手紙からはご想像もいただ けないくらいに親切だったのです。彼を亡き者にする必要など、実際はなかっ たのです。私はどこに自己弁護を求めることができるでしょうか。

今、私に思いつくただ一つの弁護はこれだけ……大尉は、私が彼を殺したこ とを知っている! ということです。 これを書いている今も、最初の手紙を書きながらここに座っていたときとお なじように、大尉の足音が頭上から聞こえます。彼は夕食に出かけるために、 身なりをととのえているのです。私たちは一緒にロマノズのレストランで食事 をすることになっています。 さあ、お嬢さん、あなたを悩ました……と私が期待する……謎の答えがつい にお分かりでしょう。私は二番目の手紙で親友の大尉を殺しました。その後の 奇妙な展開はそっくり、書斎の緑色の笠が付いたランプのそばで、小説の広告 にあるように、あなたの注意を最後までつかんで離さない手紙を七通もどうや って書いたらよいのだろうと考えをめぐらす私の想像力の中の出来事だったの です。ああ、私は罪を犯しました……それは否定できません。聖書のアダムの 真似をして、美しい女性に誘惑された、などとほのめかすことはしたくないの ですが、真実を厳密に尊重する立場からは、あなたにも罪があるのだといわざ るを得ません。どうしてでしょう? あなたがデーリー・メールに載せたメッ セージを思い返してください。「グレープフルーツの女性は……謎とロマンス が大好き……」 もちろんあなたは知らなかったでしょうが、この言葉であなたは、私に対し て、応じずにはいられないような挑戦状をつきつけたのです。というのは物語 を作るのは、私の生涯をかけた仕事、いや人生の活力だからです。私はたくさ んの物語を作ってきました。ことによるとあなたも、そのいくつかをブロード ウエーでご覧になったかもしれません、。また、ロンドンで私の劇が公開予定 と言う知らせを見たことがあるかもしれません。パレスシアターの演目表には 私の劇のことが書かれていました。私がイギリスにいるのも、その仕事のため です。企画がオクラになったため、今はいつでも帰国できるのですが。 このようにあなたが七通の手紙という特典を与えたのは私の思うつぼでした。 つまり、と私は考えました、この女性は謎とロマンスを求めている。それなら、 ようし、それをさしあげようじゃないか! そして上から聞こえてきたフレイザー=フリーア大尉の重い編上靴の音がヒ ントになったのです。立派な、固い信念を持った、誠意あふれる人物ですよ、 大尉は。彼の従兄弟、アーチボルド・エンライトの紹介状を差し出してからと いうもの、とても親切にしてくれるのです。かわいそうなアーチー! おとな しくて品行方正なのに、私が彼をスパイで、ライムハウスの常連に仕立てあげ たことを知ったら、ショックのあまり言葉も出なくなるでしょう!

話の出だしをどうもっていくかは、まだぼんやりとしていましたが、私は最 初の手紙を書き出し、アーチーの紹介状が普通とはちょっと違うことをほのめ かしておきました。二番目の手紙を書くとき、フレイザー=フリーアの死がど うしても必要であると思いました。彼の机の上にあったインド製のナイフを思 いだし、その瞬間に彼の運命は決まったのです。そのときは、謎の解決方法を まったく考えていませんでした。しかしデーリー・メールのあの四つの奇怪な メッセージをいぶかりながら読み、これはぜひとも話の中に取り入れなければ ならないと思ったのです。

四番目の手紙はなかなか思うように書けないでいたのですが、それもその晩、 夕食からの帰りに、静かなアパートの前に止まっていたタクシーを見るまでの ことでした。あれからライラックの香水をつけた女の訪問を思いついたのです。 ドイツの外務省もあそこまで愚かしく自分を目立たせる女スパイには用はない と思うんですけどね。五番目の手紙を書くときが来ました。私は自分が逮捕さ れるときが来たように感じました。あなたが、かわいそうだと思ってくれるん じゃないかと、淡い期待を抱いて。ああ、嫌な奴ですね、私は。自分でもわか っています! このゲームをはじめた頃、私は大尉にむかって、あなたを残酷にも殺してし まったと話しました。彼はとても面白がっていましたが、最後の手紙を書くま でに必ず汚名を晴らしてくれと言いました。私もそれに同感しました。彼は掛 け値なしにいい人ですから。さらに、彼がふと語ったことから、謎の解決を思 いつきました。彼が確かな筋から聞いたところによれば、潜入スパイを捕まえ るロシア皇帝の機関の長官自身がスパイだったそうです。それなら……スコッ トランドヤードにスパイがいてもいいではありませんか。 この手紙を書きながら、私はとても後悔しています。覚えていらっしゃるで しょうが、この話を書きはじめたときは、戦争が起こるなどとは思ってもいま せんでした。しかし今は全ヨーロッパが炎に包まれています。激しい戦闘と、 怖ろしい苦しみがやがて訪れることを思うと、私と私のささやかな物語はなん だか不謹慎な……いや、私の言いたいことは、あなたにはお分かりでしょう。

許してください。どう言えばいいのかまったく分からないのですが、あなた の興味を手紙にひきつけ、私があなたの関心に値する面白い人間であると感じ させることがとても重要であるように思えたのです。あなたがカールトン・ホ テルの朝食室にあらわれたあの朝は、私の人生でほんとうに最高の日でした。 あなたがドアを通って入ってきたとき、まるで私の胸に……。いや、私にそれ を言う権利はありません。なにも言う権利はないのです。ただ、すべてをあな たにゆだねます、と言うこと以外は。もしも私があなたの気持ちを傷つけたな ら、二度と連絡をいただこうとは思いません。

大尉がすぐここに来ます。もうすぐ約束の時間で、彼は決して遅れませんか ら。彼はインドに戻る予定はなく、大陸への派遣軍に選抜されるだろうと思っ ています。ドイツ軍が彼に対して私よりも親切であればよいのですが!

私の名前はジェフリー・ウエスト。アデルフィ・テラスの十九番地に住んで います。部屋からはロンドンでいちばんみごとな庭が見下ろせます。少なくと もそれは嘘じゃありません。今晩はとても静かで、都会だけでなく、戦争と恐 怖に対する絶え間ないざわめきも、百万マイルのかなたにあるかのようです。 お目にかかることができますか。お答えはまったくあなたしだいです。しか し、私は一日千秋の思いで返事を待っています。もしも説明の機会を、つまり 直接あなたにむかって自分を非難する機会を与えてくれるなら、そのとき幸運 な男はこの庭と、薄暗い埃っぽい部屋に別れを告げ、地の果て、そう、テキサ スまでもあなたについて行くでしょう! フレイザー=フリーア大佐が降りてきます。お嬢さん、これが永遠のお別れ になるのですか。心からそうでないことを望みます。

悔い改めたイチゴ男