あめりか物語

Part 4

Chapter 4 15,434 words Public domain Markdown

この年月の夢は今こそ誠となつた。私の決心は恐らく彼女の決心よりも迅速であつたらう。私は取るものも取りあへず其の夜示されたホテルに駈け付けると其の儘一年半ばかりの長い月日を女と二人で夢のやうに暮して了つた。

私等は生きて居る人間の身の歡樂《たのしみ》を味ひ得らるゝ限り味はうと云ふので、或時は凡ての飮食物が接吻の味を減《そ》ぎは爲まいかと氣遣ひ、飢を支へる水とパンとに口を動かす外は絕ず接吻して居た事もあり、又或時は若い血の暖みを遺憾なく感じて見たいつもりで、冬の夜通しを窓を明けたまゝ抱合うて居た事もあつた位。

然し此の人の世は如何に香しい夢とても、如何に深い醉とても、時來れば覺め消えるが常である。私は今日となつて考へて見るとあれほどまでに戀し合うて居たものを、どうして別れる氣になつたものか、殆ど不思議で、それをば說明する事は出來ないのです。敎育から得た理智の念が追々魔醉した心を呼覺した爲めと見てもよからう。或は男性固有の功名心が次第に戀の夢よりも强くなつて來た爲め、或はタンホイザーの物語を其儘に溫柔郷《をんじうきやう》の歡樂につかれて靑山流水の淸淡《せいたん》に接したくなつた爲め、或は暖室の重苦しい花の香に醉うた後再び外氣の冷淸に觸れたくなつた爲めと見てもよからう………兎に角私は止るマリヤンをば打捨てゝ再び社會の人となつたのです。 もう二度と若い時代の愚な夢には耽るまい。人間の職務は地上の生命と共に消えて了ふ歡樂に醉ふ事よりも、もつと高尚で且つ永久のものがある。先づ善良なる市民となる爲めに正當な家庭を作れ。幸ひにして私は米國の社會には名のある家に生れ父の遺產も少からずあつた爲め交際社會へ出ると、世は狹くて又廣いもので、誰一人私の昔を知つて居るものはなく、程なく私はジヨゼフインと云ふ判事某の令孃と結婚しました。 して今日、歐洲に新婚旅行の途すがら、此處に共々オペラを聽いて居る………私は舞臺で歌つて居る樂師タンホイザーの恨をば其の儘に我が胸の底深く、懷舊の淚を呑込んで居たが、それをば知る由もない妻ジヨゼフインは上流社會の女性の常として唯だ主義なく技巧的に修練された藝術鑑賞の態度で傾聽して居るのに過なかつたらしい。

然しあなたも已に感じて居られる通りワグナーの音樂には(と博士は鳥渡私の顏を見遣つて、)他の凡の音樂とは類を異にし聽く者の心の底に何か知ら强い感化を與へねば止まぬ神祕の力が籠つて居る。 されば一幕目は濟み二幕目の廣い宮殿の場、三幕目巡禮の歸り………とオペラ三幕を聽き了つた時には、私の妻は何やら物思はしい樣子になり、搔亂された空想の中から、何か纏つた感念を探りたいと悶えるらしく見えたです。

私の方は又私自身の物思ひに知ず〳〵語少く、二人は劇場を出ると其の儘、直ぐ馬車に乗つて旅館に歸つて來た。

二人とも疲れて煖爐の前の椅子に身を落すと、間もなく妻は片手に頰を支へながら、「一體、あのオペラの理想は如何云ふんでせう。」と私の顏を見上げました。

大きな古い旅館の一室、片隅の小机の上に、綠色の笠を冠つた燈火が點いて居るばかり、窓の外には何の物音も聞えぬ。吾々米國人には、この寂とした舊世界の都の夜半には、何處からともなく、幾世紀間の樣々な人間の聲も聞き得らるゝやうに思はれ、驚いて見廻せば凡てを暗色に飾つてある壁と天井に調和して、窓や戶口に掛けてある重く濃い天鵞絨の帷帳《とばり》の粛然と絹の敷物の上に垂れて居る樣子、私は古い寺院の壁から迫るやうな冷氣を感じた。

椅子から立上つて天井から釣してある電燈を點じやうとすると、妻は手振でそれをば制した。しんみりと話でもするには餘り明くない方がよいと思つたのであらう。元の椅子に坐ると妻は沈んだ聲で問ひ掛けます。 「あなた。私にはどうも合點が行かないのです、タンホイザーが女神に別れて故郷に歸つて來る心持はさも然うであらうと思ふんですが、さて歸つて來た後、自分を慕つて居る領主の姫君ヱリザベツトの目前で一度後悔した女神の事を思ひ出すと云ふのは何う云ふ譯でせう。私にはあの心持が分らないのです。」 私の耳には忽如として、 戀の女神よ………ヰナスのみこそ御身に愛を語るなれ (Die Göttin der Liebe) と激しいタンホイザーの歌が聞え出す、同時に心の底にはマリヤンの面影。私は燈火《あかり》の逹かぬ暗い天井の一隅に眼を注いだ儘、夢に獨語するやうな調子で答へた。 「それが卽ち人生とも云ふべきものだ。忘れやうとするけれども忘れられない。愚と知りながら陷り悶える。何に限らず理と情との煩悶、一步進めれば肉體と精靈の格闘、現實と理想の衝突矛盾。此の不條理が無ければ人生は如何に幸福であらう………然し其れは及ばぬ夢で私にはこの肉心《にくしん》の煩悶が人生の免れない悲慘な運命であるやうに思はれる………。」 話す中に私は弱い我身の上のみならず地上に住む凡ての人の運命が果敢く思はれて來て、子供のやうに譯もなく大聲を上げて泣いて見たいやうな氣がして來た。 「それですから、私逹は神に………宗敎に依賴するのではありませんか。」 此う云ふ妻の聲は、生きて居る女の口からではなく、何處か遠くから響いて來るやう。私は聲を顫はし、 「然し、宗敎も信仰も、時としては何の慰藉《なぐさめ》も與へぬ事がある………例へば彼のタンホイザー、彼は神のやうな乙女ヱリザベツトに勸められ羅馬へ跣足《はだし》詣《まゐり》に行つたが、法王から謝罪の願が許されない。其故再び邪敎の神ヰナスの山に還らうと云ふ………あの一節は宗敎が一度闇に迷つた人間に何の光も與へなかつた事を諷したのでは無からうか。然し最後には如何に魔界の愛に迷つたタンホイザーも淸い乙女ヱリザベツトの亡骸を見て悶絕する。其の刹那に救の歌は遠く響く………タンホイザーの魂を奈落から救つたのはヱリザベツトの愛である淸い乙女の愛である。」 云ひ切つて凝と妻の顏を見た。妻は白い兩肩と廣い胸とを出した卵白色の夜會服を着けて居たので、靜止《ぢツ》として居る其の姿が薄い綠色の燈火を受け、暗い室の中に浮んで居る樣、彼女の身の廻りからは氣高い女德の光榮が輝き發するかと思はれた。

私は一時の感激に襲はれる儘、突然身を其の足許に投伏し、力一杯に其の手を握り締め、「永劫の罪から吾々を救ふものは淸い乙女の愛である。ジヨゼフイン、お前は私のヱリザベツトである。」と叫んで熱い淚を其の膝の上に濺いだ。 「それぢや、あなたは何かタンホイザーのやうな………。」と妻も今は稍|訝《いぶか》し氣に、打仰ぐ私の顏を見下す。私は加特敎徒が懺悔臺の前に膝付いたと同樣、唯だもう懺悔したいと云ふ切ない必要に迫られるばかり、前後の考へもなく過ぎた身の一伍《いちぶ》一什《しじふ》を殘らず打明けて了つた。

結果は如何であつたか。妻はヱリザベツトのやうな氣高い愛をもつて居たか。否々。私の話を聞くと共に妻の眼は激しい嫉妬の焰と、銳い非難の光に、雷光《いなづま》の如く………あゝ、其の恐しい一瞥。

私は忽ち我に立返ると同時に一時の感激からよしない祕密を語つた輕率を悔い、打詫びるやら、云慰めるやらいろ〳〵に心を盡したが、もうそれは誠實の意氣を缺いて居た。云はゞ技巧的に自分の非を蔽ひ隱さうとするのであつたから事はます〳〵惡い方に進むばかり。 「よくも私を今日まで欺しておいでなすつた………。」と此の一語を最後に妻は縋る私の手を振拂つて次の室へと行つて了つた。

人生第一の幸福なる私等の新婚旅行は其の後如何に悲慘なるものとなつたであらう。翌日に維納《ウヰンナ》を立ち行先は獨逸に出で直にハンブルグの港から歸航の途についたが、其の途すがらも妻は食事のテーブル汽車の窓船の上、私には一語も云ひ掛けない。

然し私は何時か一度はわが眞心の通ずる時妻の怒の打解ける折が來やう、と有る限りの勇氣と忍耐に漸く一縷の望みを繫いで居た。が、一度閉ぢた女の胸は永遠に開くものではない。彼の女の頰は日一日に肉落ち、その眼は恐しい程に銳く輝いて來て、幾日の後、紐育へ歸つて來た時には出發當時のジヨゼフインとは宛ら別人のやうに思はれて了つた。 で、私は妻の申出づる儘に止むを得ず一時夫婦別居する事になつたが、程なく正當な離婚の請求を受け續いて四年の後には他へ再婚したとの報知に接したです。あゝ、わがジヨゼフイン。此して私は此に二十年あまり孤獨の生活を續けて居る………

B――博士は語了ると共に椅子から立ち二三度室の中をば手を振つて步き廻つたが、やがて室の片隅に据ゑてある大きなグランド、ピアノの方に躓《よろめ》く如く走り寄るかと見ると、忽ち顫へる手先にタンホイザー中の巡禮の一曲を奏出した。 ピアノの上に置いた花瓶《はないけ》から白い薔薇の花が湧起る低音《ベース》の響につれて、一片二片と散り掛ける。 (明治四十年正月)

寢覺め

洋行と云ふ虛榮の聲に醉ひ、滯在手當金幾弗との慾に動され、名と利との二道をかけて、日頃社内を運動して居た結果、澤崎三郞氏は丸圓會社紐育支店の營業部長とやらに榮轉し、妻子を殘して、一人喜び勇んで米國に旅立つたのである。

然し何事も見ると聞くとの相違で、澤崎は紐育に到着して一ケ月二ケ月位は、何が何やら夢中で暮して了つたが、稍支店内の事情も分り市中の往來も地圖なくして步ける程になると、追々に堪へがたい無聊を覺え出した。

朝九時から午後の五時まで事務所に働いて居る中はよいが、さて事務所がひけると紐育は廣いけれど澤崎は何處へも行所《ゆくところ》がない。學校を出立ての若い書記《クラーク》供ならば一夜の馬鹿話に鬱《うさ》晴しも出來やうが、營業部長といふ稍地位もある身になつては外面の體裁が氣にかかり、さう相手選ばすに冗談も云へぬ。西洋人が夜を探して遊ぶクラブやホテルへ行つて交際すれば外國の事情を知る上からも有益であるとは知つて居るが、此方面は經濟上から門口へも寄り付けぬ譯。さらば靜かに讀書でもしやうか、と云つて旣に學校を出た後、幾年浮世の風に吹きさらされた身は新思潮新知識に對する好奇の念漸く失せて、一時は一寸珍らしく感じた外國の事情さへ其程までにして硏究する勇氣はない。 で、日一日三月半年と經てば經つほど、日常生活の不便と境遇の寂寥とを感ずるばかり。時々は堪へられぬ程朝風呂に這入つて見たい氣がしたり、鰻の蒲燒に一杯熱いのを引掛けて見たくなつたり、兎角故郷の事ばかりが思出される。故郷には何でもはい〳〵と云つて用をする妻もある。一時は内所で圍者を置いた事もある。其樣事を思起すと今年四十になる好い年をして、何一ツ不自由のない日本を出て來た事が、何とも云へぬ程愚らしく感ぜられ、忙しい會社の事務を取つて居る最中にも、或は疲れて眠る夜中にも折々影の如く烟の如く何やら譯の分らぬ事が胸の底に浮び出て、ハツと心付いてわれに返ると、急に全身の力が拔けて了つたやうな物淋しい心地になるのであつた。

彼は自ら其の弱點を愧《は》ぢ又憤り、時にはウヰスキーを引掛けたり時には冷靜に事務の事に心を轉じて見たりするが、然し此の寂寞無聊の念は更に去らず、何處か心の一部に大な空洞《うつろ》が出來て其處へ冷い風が吹込んで來るやうな心持がするのである。

然し澤崎は此の心持をば如何なる理由とも知らず、又知らうとも思はなかつた。もと〳〵其の妻は世俗の習慣に從つて娶つた下女代り、其の家は世間へ見せる爲めの玄關、其の子は生れたるによつて敎育してある………と云ふのに過ぎぬので、其の妻、其の家の爲に思惱むなぞは如何にも女々しく意氣地なく感ぜられてならない。殊に煩悶だの、沈思だのと、内心の方面に氣を向ける事は男子の耻と信じた過渡期の敎育を受けた身は猶更の事、彼は遂に自ら大笑一番して、いや此樣妙な心持になるのも、つまる處女に不自由してゐるからだと我と我身を賤しく解釋して僅に其の意志の强さに滿足しやうとした。

成程、女に不自由して居るのは事實である。紐育に來て以來時には日本人同士の宴會の歸りなぞ、こつそり遊びに行く事はあつても、いつもジヤツプと見くびられて現金引換通一遍の待遇《もてなし》に長くは居堪らず、每夜睡る我が寢床は要するに我が身一人より外に暖めて吳れるものは無い身の上。紐育中今は何處に行つても目につくものは來た當座驚いた二十階の高い建物ではなくて、コーセツトで胸を締め上げた胴の細い臀の大きい女の姿ばかり。其の步き振から物云ふ風まで憎いほど思はせ振りに見えてならぬ。

彼は每日|事務所《オツフイース》に行く爲め地下電車に乗つて、下町《ダウンタウン》と稱する商業區域と住宅ばかりある靜な上町《アツプタウン》との間を往來して居るのであるが、朝の九時頃と午後の五時頃と云へば、殆ど紐育中の若い男や女が何れも此の時刻に往來すると云つても可い位なので、車中の混雜は一通の事ではない。

停車場のプラツトホーム每に、人の山をなした男女は列車の停るか停らぬ中に、潮の如く車中に突入り、我先にと席を爭つて、僅に腰を下し得たものは、一分の猶豫もせず直樣手にした新聞を讀みかける。席を取り損ねたものは或は釣革にぶら下り或は押しつ押されつ人の肩に凭掛つて男女の禮儀作法を問ふ暇もなく無理にも割入つて腰を掛けやうと、互に其の隙を覗つて居る。

澤崎は米人の多忙を模して、何時も新聞は手にしながらも車の混雜に若い賣娘やオツフイース娘なぞが遠慮なく自分の右と左にぴつたり押坐り、車の發着する度々の動搖に柔い身體を觸合す。其れのみか次第々々に身の暖氣《あたゝかさ》を傳へて來ると、もう細い新聞の活字なぞは見えなくなつて、彼は突然足の指先に輕い痙攣を覺え頭髮《かみのけ》の根元に痒《かゆ》さを感じ、やがて身中全體を通じて一種の苦悶を覺える。空氣は地の下の事とて車中の熱鬧《ねつたう》に肉食人種特有の腋臭《わきが》の臭氣を加へて一層重苦しく、不良の酒のやうに絕えざる車體の微動につれて人を醉はす。澤崎は熱に病むが如く恍惚となつて、若し此の上、十五分間と車中に坐つて居たなら我知らず隣席《となり》に坐つて居る女の手でも握りはせぬかと、危く自制の力を失ひかける其の刹那、車は幸ひにも、いつも彼が下車すべき停車場に着く。彼は狼狽て車を飛出し冷い外の空氣にハツと吐息を漏すのである。

彼は今更らしく幾度ともなく何とか方法を付けねばならぬと云つて居るが、差當り何うする道もない。室借をして居る家には年頃の娘もあり、鳥渡|小綺麗《こいき》な下婢も居るが、要するに事が面倒である。若い會社の書記ども同然にさう屡遊びに行くのも餘りに馬鹿々々しい。つい其れなりになつて、もう彼此れ一年半、渡米以來二度目の春が廻つて來て公園の森に駒鳥の集ふ五月となつた。

彼はいまゝで此れ程に春の力を感じた事は無い。輕い微風は肺に浸渡つて身を擽《くすぐ》るやうに思はれ、柔い日光は皮膚に突入つて血を燃す。晴渡つた靑空の下を步いて居る街の女は何れも此れも皆自分を惱す爲めに厚い冬衣を捨てゝ、薄い夏衣の下に見事な肉付を忍ばせ、後手に引上げた輕い裾からはわざと自分を冷笑する爲めに絹の靴足袋を見せるのかと思はれた。

其の朝彼は殊更に地下鐵道内の混雜を恐れ、わざ〳〵遠廻りまでして、餘り混まない高架鐵道線によつて會社へ出勤し、自分の机の置いてある支配室へ這入つたが、すると片隅の椅子に見馴れぬ若い西洋婦人が自分の出勤を待つものゝ如く坐つて居るのに胸を躍らせた。

彼は全く失念して居たのだ。實は昨日限り長らく此の事務所で電話の取次などして居た五十近い老婦人が都合あつて辭職した處から、其の後任として新聞の廣吿によつて此の若い女を雇入れたので、今日から事務を引繼ぐ爲めにと彼の命令と說明を待つて居たのである。

電話の應接と其の暇々に英文書狀の整理を手傳ふだけの事であるが、彼は一ツ〳〵云聞す中にも此れからは每日此の若い女を我が傍に置いて我が事務を手傳はすのかと思ふと、妙に嬉しいやうな氣がして、かの皺だらけの半白な眼鏡をかけた以前の老婦人が居た時に比べると、事務室全體が明くなつたやう。

彼は事務を取つて居る最中にも五分と其の橫顏から目を放す事が出來ない。年は二十六七にもならう。小肥《こぶとり》の身丈《せい》は高からず容色も十人並ではあるが、黑い頭髮《かみ》を眞中から割つて鳥打帽でも冠つたやうに頭の周圍へ卷返し、上から下まで出來合の勸工場もので小綺麗に粧つた姿は品格の無い處が、乃ち重なる魔力となつて、往來なぞで一寸摺違つた男の目にも長く記憶されると云ふ其の模型《タイプ》の一例である。澤崎は何かにつけて話をしかけ、早く懇意に打解けて見やうと勤めたが、女は日本人の會社には初めての奉公、萬事に氣の置ける爲めか、一日|金米糖《キヤンデー》を口に頰張り相手構はずに笑つて暮す例のオツフイースガールには似も寄らず、至つて無口で、僅に其の名をミセス、デニングと云ひ、一年ほど前に寡婦になつて今は一人下宿住ひをして居るとばかり。折々は何か物思はしく頰杖をして居る事さへある。 やがて一週間ばかりも經つたが、女は一向物馴れた樣子も見せず、朝は往々出勤時間に後れて來る事もあり、遂に先週の末頃からは病氣とやらで缺勤し初めた。澤崎は何となく殘念な氣がして成らぬ。病氣とばかりで未だ止めるとは云つて來ぬが、矢張見知らぬ日本人の中で働くのが厭なのであらう………その中に何とか云つて來るであらうと、澤崎は次の週の月曜日一日待つて其の次の火曜日をも空しく過した。

其の日の夕暮、彼は晚餐後に何かの用事でアムステルダム通と云つて長屋續きの見付の惡い小賣店ばかりに、路幅は廣いが如何にも場末の貧乏街らしく見える大道を行き掛けた時である。風の無い蒸暑い五月末の黃昏、街燈に火は點きながら、四邊は紫色にぽつと霞み渡つた儘まだ明い。其の邊の開け放した窓や戶口からは、無性らしく頭髮を亂した女房や、服裝の汚い割りに美しく化粧した娘の顏が見え、八百屋だの果物屋だのが露店を出して居る往來端では子供や小娘がワイ〳〵云つて遊んで居る。

澤崎は譯もなく柳町か赤城下の街あたりのさまを思ひ浮べて、佇立むともなく唯ある露店の前に佇立んだ途端に、其の傍の戶口から出て來た一人の女―――見れば思掛けないかのデニングである。

澤崎は餘りの意外に、遠慮なく其の名を呼び掛けて進み寄つた。

女も一方ならず驚いたが、まさかに逃げ隱れも出來ないので、止むなく其の場に立竦んだものの、顏を外向けて何とも云出し兼ねて居る。 「御病氣は………もう能御座んすか。」 「はい、御庇樣で………」 「此の邊にお住ひなんですか。」 「はい、此の三階に部屋を借りて居ります。」 「明日はもう何うです。會社へは………。」 「定めしお急しい處を、濟みませんでした。」 「病氣の時はお互に止を得んです………どうです、散步にでもお出掛の處ぢや無かつたんですか、御迷惑でないなら御一緖に其の邊までお伴しませう。」 恁う切出されてはいやとも云へず、女は其の儘澤崎と連れ立つて、何處と云ふ目的もなく並木の植つた廣いブロードウヱーの方へ步いて行つた。ブロードウヱーも大分北へ寄つた此の邊になると兩側とも靜なアツパートメントハウスばかりで、人通も激しからず建物の間々からはハドソン河畔の樹木と河水が見える。 「どうです、河端まで行つて見ませう、あの眞靑な木の葉の色はもうすつかり夏ですな。」 一町ほど步いて樹の下のベンチに腰を下した。少時は無言で黃昏から夜にと移行く河面の景色を眺めて居たが、澤崎は忽ち思出したやうに、 「明日あたりは會社へお出になりますか。」 女は聞えぬ風で默つて居たが稍決心したらしく、 「私、實はもうお斷りしやうかと思つて居りました。」 「どうしてゞす。何か御不滿足な………。」 「どうしまして。」と强く打消して、「矢張病氣の所爲ですか、どうも氣が引立ちませんから。」 「どう云ふ御病氣です………。」 女は答に窮したらしく默つて俯向いた。澤崎は更に、 「オツフイースなぞへ働きにお出でなさるのは此度が始めてゞすか?」 「いえ、初めてと云ふ譯でも御在ません。結婚します前は長らく方々の商店や會社に通つて居りました。」 「其れぢや事務には隨分馴れておいでなさる譯ですな。」 「いえ、不可せんです。結婚しましてから丁度三年ばかりは、とんと外へも出ず、家にばかり居たものですから、つまり怠け癖が付いて了つたんですね。夫が死亡ましてからは復た元の樣に働きに出なければならない譯になつたのですけれど………もう何ですか、根氣が失りましてね。」と淋しく笑ふ。 「然し私の事務所なぞは仕事と云つても大して面倒な事はなし、西洋人の女もあなた一人で、別に交際もいらず………何にか御辛抱が出來さうなものですがね。」 「全くで御在ますよ。あなたの事務所位結構な處は、紐育中どこにもありやしません。ですから私も是非御世話になりたいと思つて居たんですが、每朝つい………。」と云つて女は覺えず口を噤み其の頰を赧めた。

四邊はもう夜である。明いやうで暗く暗いやうで明い夏の夜である。二人の坐つて居るベンチの後から大きな菩提樹の若葉が、星の光と街燈の火影を遮つて、二人の上に濃い影を投げて居るのに、女は稍安心したらしく竊《そつ》と男の樣子を覗つた。

澤崎は詩も歌も知らない身ながら、美しい若葉の夜の何となく風情深く、人なき腰掛に手こそ取らね、女と居並んで話をして居る事、それだけが非常な幸福の如く感ぜられて、話の材料なぞは一向選ぶ處ではない。 「あなたのお連合は何をなすつていらしつたんです。」 「保險會社へ出て居りましたんです。」 「お淋しいでせうね、何かに付けて。」 「えゝ。もう………一時はどうしやうかと途法に暮れてしまひました。」 川風が靜に鬢の毛を撫る度々四邊には若葉が囁く。近くの家で弾く洋琴《ピアノ》の音も聞える。女は何時となく氣が打解けて來ると、何と云ふ譯もなく、日中は親しい友逹にも云兼る樣な身の上の話が相手選ばずにして見たくて堪らなくなつた。優しい夏の夜の星に身の上を嘆《かこ》つとでも云はうか………。腰掛の背に片肱をつき獨語のやうに、 「良人《たく》の居ます時分はほんとに面白う御ざいました。」 澤崎も已に一年以上此國に居る身とて何時となく西洋人が露出《むきだし》な癡話《のろけ》には馴れて居た。 「さうでしたらうね。」と如何にも眞顏に相槌を打ち、「どうして御結婚なすつたんです。」 「それは私も彼人も下町の會社へ行く時、每朝同じ電車に乗合はせたのがもとで土曜日や日曜日每に遊びに出る………ぢきに話がついて一緖になつたのです。良人《やど》は少し貯金が出來るまでは從前通り夫婦共稼ぎをした方がと申したんですけれど、私はもう朝早くから起きて夕方までキチンと椅子に坐つて居るのがいやで〳〵………實は其れが爲め一日も早く深切な人を見付けて賴りにしたいと思つて居た位なんですから、到頭我儘を通して了ひました。私には全く朝眠いのを無理に起る程辛い事はありません。まして寒い時分なんか、暖い蒲團の中から起出して顏を洗つたり衣服《きもの》を着たりするのは、眞個《ほんとう》に罪です。仕方がないもんですから、良人は每朝、私を寢床の中に置去りにして出て行きましたが、私は其の代り土曜の夜になつたからつて、紐育の女のやうに、是非芝居へ行か無ければならないと人樣に散財は掛けません。每朝晚く起きて一日家にばかり居ますと、さア芝居へ行くのだと云つて、わざ〳〵衣服を着かへたり、何かするのがおつくう[#「おつくう」に傍点]になりましてね、却て長椅子へでも凭掛つて小說を讀んで居る方が幾何《いくら》ましだか知れやしません。ですから良人《うちのひと》も仕舞には結句お金がいらなくていゝと云うて居りました。」 澤崎は餘り奧底なく話されて少しは辟易しながらも、猶話を絕すまいと相槌を打つ。此方は唯さへ饒舌《おしやべり》な西洋婦人いよ〳〵圖に乗つて、 「其ればかりぢやない、良人は恁う云ひますの………お前は髮を綺麗に梳上たり、衣服をキチンと着たりするよりも寢起のまゝの姿が一番美人に見えますツて………ほゝゝゝほ。私は人を馬鹿にするつて怒りましたら、良人は眞面目らしく、お前は亞米利加の女見たやうに働く爲めに出來たのぢや無い。土耳古か波斯《ペルシヤ》の美人のやうに薄い霞のやうな衣服を着て大きな家の中で泉水へ落る水の音に晝の中もうつとり[#「うつとり」に傍点]と夢を見て居る女だつて、さう申すんでした。」 猶もつまらぬ事をあれやこれやと話し續けて居たが、軈て思出したやうに、「もう、何時でせう。」と時間を訊きそれを機會《しほ》に立上つた。澤崎も今は引止め兼て、 「其ぢや明日は………まあ兎に角事務所へ出ていらつしやい。待つて居ますから。」 其の儘別れたが、いざ翌日になると、待つかひもなく、女は病氣を云立てゝ是非にも辭職する旨をば電報で云越した。

何と云ふ我儘………日本人と見て馬鹿にする、と在米日本人の常として、直樣妙な愛國的|僻《ひがみ》根性《こんじやう》を出し澤崎は大に腹を立てたが、喧嘩にもならず間もなく後任として、今度は十五六の小僧を雇入れたが、さて五日、十日と經つて見ると、去る夏の夜ハドソン河畔の腰掛に話しをした一條は自分の身にはあるまじき小說のやうな心地がし出す。殊に女の口づから良人に別れて淋しい身の上を嘆ち、遂には其の寢起の姿までが如何のかうのと、女の身にしては祕密と云つても可いやうな事を包まずに打明けてくれた。それやこれやと思合すと女は謎を掛けて自分を誘《いざな》つたのであるとしか思はれぬ。折角の機會をば氣の付かぬばかりに取逃してしまつたのかと思へば、遺憾の念は一層深く忽ち何處やら身内の肉を毟《むし》られるやうに氣が焦立つて來て、澤崎は或晚一人こつそりと、かのアムステルダム通りに赴き見覺えて居た建物の三階に上つて、それらしい戶口を叩いた。

顏を出したのは胴衣《ちよつき》一枚の職人らしい、五十ばかりの大男で、食事をして居た最中と見えて、髭の端に麭《パン》の粉をつけた儘口をもぐもぐさせて居る。 「ミツセス、デニングと云ふのは此方ですか。」 訊くと大男は忽ち廊下の方を振向き大聲でその女房らしい女の名を呼び、「おい、又誰れか、彼の尼ツちよを訪ねて來た、お前、何とか云つて見てくんねえ。」 今度は目のしよぼ[#「しよぼ」に傍点]〳〵した顎の突出た婆が現出て、胡散らしく澤崎の樣子を打目戍つて居たが漸くに、 「お氣の毒さまですが、あの女はもう家には居りませんですよ。昨日の朝、店立《たなだて》を喰はしてしまつたんで。お前さんは矢張何か彼女《あれ》のお身寄りですかい。」 譯は分らぬが如何にも憎々しい物云振り。澤崎は當惑しながらも、僅に沈着《おちつき》を見せて、「私は彼の女を雇つて居た會社の支配人ぢや………。」 「へゝえ。」 「病氣とばかりで一向出勤せんから、鳥渡樣子を見に來たんぢやが………店立を喰したとは又何う云ふ譯だね。」 「旦那、其れぢや貴君も一杯喰された方なんですね。」と婆は俄に調子を變へて問ひもせぬのに長々と話し出す。 「旦那、あんな根性の太い奴はありやしません。以前御亭主を持つてる中は、二人で此のつい上の五階目に暮して居たんですがね、一日|女郞《ぢよろ》の腐つたやうな亂次《だらし》もない風をして、近邊の若い女房さん逹は其れ〴〵商店へ出るとか、又は家で手内職をするとか、皆精一杯に稼いで居るのにあの女ばかりは手前の家一ツ掃除もしないで野良野良暮して居たんでさ。其の中につい一昨年の暮、急病で御亭主が死んだとなつてからはもう何うする事も出來ない。五階目の室は家賃も高し、一人では廣過るツて云ふので、丁度私の宅に明間があつたのを幸ひ、其れなり此處へ引越して來たんで。最初半年ばかりは何程か貯金もあつたと見えて、几帳面に室代だけは拂つてくれましたがね、其れからは段々と狡猾《ずる》くなつて此の次〳〵と延し初めた。其ればかりぢや無い。隨分といゝ働き口があつても二週間か三週間で、すぐ飽きてしまつて、此方から止めてしまふと云ふ始末ですもの。此の分で行つたら到底家賃の貸は取れない、と實は心配しながらも、まさか御亭主の居る時分から知つて居る中ぢや、さう因業にも出られないんで困り切つて居たんでさ。」 「ところが到頭|一昨日《をとゝひ》の夜の事つた。」と今度は傍に立つて居た職人らしい亭主が話を引繼いだ。 「一昨日の夜到頭金に困つて來たと見えて、何處からか男を喰へ込んで、己の家を體のいゝ地獄宿にしやがつた。其の前からもちよいちよい怪しい風は見えたんだが、證據が無えから默つて居たんで、一昨日の夜は一時二時と云ふ眞夜中、並大抵の友逹の來る譯が無え、己の處は恁う見えても、腕一ツで稼ぐ職人の家だ、地獄の宿は眞平だ、家賃の貸も何にも要らねえから………と目ぼしい衣服と道具を質に取つて其の朝早々追出してしまつた………。」 「何處へ行つたか知らないかね。」と澤崎は覺えず嘆息した。 「知るもんですか。大方夜になつたら其の邊の酒屋でも彷徨いて居ませうよ。」 澤崎はすご〳〵階段を下りて外へ出たが、女の墮落した一條を聞知るにつけて一層の遺憾を覺え、何故あの時さうと氣付かず、見す見す機會を逸したのであらうと靴で敷石を踏鳴し齒を嚙締めた。

何にもよらず逸した機會を思返すほど、無念で寢覺の惡いものはない。彼は時を經折に觸れて彼の女の事を思起して居たが、遂に再會する機會なくやがて在留三年となつて、歸朝の時節も早や二週間ほどに迫つて來た。 で、多分送別の意か何かであつたらう、彼は能く花骨牌《はながるた》を引き馴れた二三の日本人と倶樂部の一室で正宗《まさむね》を飮んだ時、或る日本雜貨店の支配人で、故郷には娘もあり孫もありながら頻と美人寫眞の蒐集《コレクシヨン》に熱心して居る紳士が、醉つた末の雜談に此れは近頃さる處で手に入れた天下の逸品だと自慢で示す二三枚の寫眞。

澤崎は何氣なく眺めると何れも厭らしい身の投げ態に樣子を變へて居るが、顏は見忘れぬ彼のデニングと云ふ女である。 あゝ、さては彼の女、樂して儲ける家業の選みなく折々は寫眞師のモデルにも成ると見える。彼は再び例の遺憾千萬に身を顫したが遂に運拙くして再會の機なく其の儘歸國して了つた。

以後澤崎三郞氏は人から米國に關する其の意見を訊かれる時は何によらず、必ず次の如き論斷を以て話を結ぶのであつた。 「つまり米國ほど道德の腐敗した社會はない。生活の困難な處から貞操なぞ守る女は一人もないと云つて可い位だ。到底士君子の長く住むに堪へる所では無いです。」 (明治四十年四月)

一月一日

一月一日の夜東洋銀行米國支店の頭取某氏の社宅では、例年の通り初春を祝ふ雜煮餅の宴會が開かれた。在留中は何れも獨身の下宿住ひ、正月が來ても屠蘇《とそ》一杯飮めぬ不自由に、銀行以外の紳士も多く來會して二十人近くの大人數である。 キチーと云つて、此の社宅には頭取の三代も變つて、最う十年近く働いて居る獨逸種の下女と、頭取の細君の遠い親類だとか云ふ書生と、時には細君御自身までが手傳つて、目の廻る程に忙しく給仕をして居る。 「米國まで來て此樣御馳走になれやうとは、實に意外ですな。」と髯を捻つて嚴めしく禮を云ふもあれば、 「奧樣、此れでやツとホームシツクが直りました。」とにや〳〵笑ふもあり、又は、「何しろ二年振こんなお正月をした事がないんですから。」と愚癡《ぐち》らしく申譯するもある。

何れも西洋人相手の晚餐會《デンナー》とはちがひスープの音の氣兼もない處から、閉切つた廣い食堂には、此の多人數がニチヤ〳〵嚙む餅の音、汁を啜る音、さては、ごまめ、かずのこを嚙み碎く響、燒海苔の舌打なぞ、恐しく鳴り渡るにつれて、「どうだ。君|一杯《ひとつ》。」の叫聲、手も逹かぬテーブルの彼方此方を酒杯の取り遣り。雜談蛙の声の如く湧返つて居た。

其の時突然、 「金田は又來ないな。あゝハイカラになつちや駄目だ。」とテーブルの片隅から喧嘩の相手でも欲しさうな醉つた聲が聞えた。 「金田か、妙な男さね、日本料理の宴會だと云へば顏を出した事がない。日本酒と米の飯ほど嫌ひなものは無いんだツて云ふから………。」 「米の飯が嫌ひ……其ア不思議だ。矢張り諸君の………銀行に居られる人か。」と誰れかゞ質問した。 「さうです。」と答へたのは主人の頭取で、「もう六七年米國に居るんだが………此の後も一生外國に居たいと云つてゐます。」 騷然たる一座の雜談は忽ち此の奇妙な人物の噂に集注した。頭取は流石老人だけに當らず觸らず、 「鳥渡人好きはよくないかも知らんが極く無口な柔順しい男です。長く居るだけ米國の事情に通じて居るから、事務上には必要の人才です。」と隱な批評を加へて、酒杯に舌を潤はした。 「然し、餘り交際を知らん男ぢや無いですか。何程、酒が嫌ひでも、飯が嫌ひでも、日本人の好誼《よしみ》として、殊に今夜の如きは一月一日、元旦のお正月だ。」と最初の醉つた聲が不平らしく非難したが、すると此に應じて片隅から、今までは口を出さなかつた新しい聲が、 「然しまアさう攻擊せずと許して置き給へ。人には意外な事情があるもんだ。僕もつい此間まで知らなかつたのだが、先生の日本酒嫌ひ、日本飯嫌ひには深い理由があるんだ。」 「はア、さうか。」 「僕はそれ以來大に同情を表して居る。」 「一體、どう云ふ譯だ。」 「正月の話には、ちと適當しないやうだが………。」と其男は前置して、「つい此間、クリスマスの二三日前の晚の事さ。西洋人に贈る進物の見立をして貰ふには、長く居る金田君に限ると思つてね、彼方此方とブロードウヱーの商店を案内して貰つた歸り、夜も晚くなるし、腹も空いたから、僕は何の氣なしに、近所の支那料理屋にでも行かうかと勸めると、先生は支那料理はいゝが、米の飯を見るのが厭だから………と云ふので、其のまゝ先生の案内で、何とか云ふ佛蘭西の料理屋に這入つたのさ。葡萄酒が好きだね………先生は。忽ちコツプに二三杯干して了ふと、少し醉つたと見えて、ぢツと目を据ゑて、半分ほど飮殘した眞赤な葡萄酒へ電氣燈の光の反射する色を見詰めて居たが、突然、 「君は兩親とも御健在ですか。」と訊く。妙な男だと思ひながらも、「えゝ、丈夫ですよ。」と答へると、俯向いて、 「私は………父はまだ逹者ですが、母は私が學校を卒業する少し前に死亡《なくな》りました。」 僕は返事に困つて、飮みたくもない水を飮みながら其の場を紛らした。 「君の父親《フアーザー》は、酒を飮まれるですか。」少時して又訊出す。 「いや、時々麥酒位は遣るやうです。大した事はありません。」 「それぢや、君の家庭は平和でせうね。實際、酒は不可んです。僕も酒は何によらず一滴も飮るまいと思つて居るんですが、矢張り多少は遺傳ですね。然し、私は日本酒だけは、どうしても口にする氣がしないです………匂ひを嗅いだゝけでも慄然《ぞつ》とします。」 「何故です。」 「死んだ母の事を思ひ出すからです。酒ばかりぢやない、飯から、味噌汁から、何に限らず日本の料理を見ると、私は直ぐ死んだ母の事を思ひ出すのです。

聞いて下さいますか――― 私の父は或人は知つて居ませう、今では休職して了ひましたが、元は大審院の判事でした。維新以前の敎育を受けた漢學者漢詩人其れに京都風の風流を學んだ茶人です。書畫骨董を初め刀劍盆栽盆石の鑑賞家で、家中はまるで植木屋と古道具屋を一緖にしたやうでした。每日のやうに、何れも眼鏡を掛けた禿頭の古道具屋と、最う今日では鳥渡見られぬかと思ふ位な、妙な幇間《ほうかん》肌《はだ》の屬官や裁判所の書記どもが詰め掛けて來て父の話相手酒の相手をして十二時過ぎで無ければ歸らない。其の給仕や酒の燗番をするのは誰あらう、母一人です。無論下女は仲働に御飯焚と二人まで居たのですが、父は茶人の癖として非常に食物の喧《やかま》しい人だもので到底奉公人任せにしては置けない。母は三度々々自ら父の膳を作り酒の燗をつけ、時には飯までも焚かれた事がありました。其程にしてもまだ其の嗜好には適しなかつたものと見えて、父は三度々々必ず食物の小言を云はずに箸を取つた事がない。朝の味噌汁を啜る時からして三州味噌の香氣《にほひ》がどうだ、鹽加減がどうだ、此の澤庵漬《たくあん》の切方は見られぬ、此の鹽からを此樣皿に入れる頓馬はない、此間買つた淸水燒《きよみづやき》はどうした又破したのぢやないか、氣を付けてくれんと困るぞ………丁度落語家が眞似をする通り傍で聞いて居ても頭痛がする程小言を云はれる。

母の仕事は恁く永久に賞美されない料理人の外に、一寸觸つても破れさうな書畫骨董の注意と盆栽の手入で、其れも時には禮の一ツも云はれゝばこそ、何時も料理と同じやうに行屆かぬ手拔りを見付出されては叱られて居た。ですから私が生れて第一に耳にしたものは、乃ち皺枯《しわが》れた父の口小言、第一に目にしたものは何時も襷を外した事のない母の姿で、無邪氣な幼心に父と云ふものは恐いもの、母と云ふものは痛しいものだと云ふ考へが、何より先に浸渡りました。

私は殆ど父の膝に抱かれた事がない。時々は優しい聲を作つて私の名を呼ばれた事もあつたですが、猫のやうにいぢけて了つた私は恐くて近き得ないのです。殊に父の食事は前申す通り到底子供の口になぞ入れられる種類のものではないので、一度も膳を並べて箸を取つた事もなく、幼年から少年と時の經つに從つて、私は自然と父に對する親愛の情が疎くなるのみか、其の反對に父なるものは暴惡《ばうあく》無道《ぶだう》な鬼のやうに思はれ、其れにつれて母上は無論私の感ずる程では無かつたかも知れないが、兎に角父が憎さの私の眼だけには世の中に何一つ慰みもなく樂みもなく暮らして居られるやうに見えた。

此う云ふ境遇から此う云ふ先入の感想を得て、私は軈て中學校に進み、圓滿な家庭のさまや無邪氣な子供の生活を寫した英語の讀本、其れから當時の雜誌や何やらを讀んで行くと愛《ラヴ》だとか家庭《ホーム》だとか云ふ文字の多く見られる西洋の思想が實に激しく私の心を突いたです。同時に、父の口にせられる孔子の敎だの武士道だのと云ふものは人生幸福の敵である、と云ふやうな極端な反抗の精神が何時とは無しに堅く胸中に基礎を築き上げて了つた。で、年と共に鳥渡した日常の談話にも父とは意見が合はなくなりましたから、中學を出て高等の專門學校に入學すると共に、私は親許を去つて寄宿舎に這入り折々は母を訪問して歸る道すがら、自分は三年の後卒業したなら、父と別れて自分一個の新家庭を作り、母を請《しやう》じて愉快に食事をして見やう………とよく其樣事を考へて居ましたが、人生は夢の如しで、私の卒業する年の冬母上は黃泉《あのよ》に行かれた。

何でも夜半近くから急に大雪が降出した晚の事で、父は近頃買入れた松の盆栽をば庭の飛石に出して置いたので、この雪の一夜を其の儘にして置いたなら雪の重さで枝振りが惡くなるからと、下女か誰かを呼び起して家の中へ入れさせやうと云はれた。處が母上は折惡しく下女が二三日風邪の氣味で弱つて居た事を知つて居られたので、可哀さうですからと自ら寢衣《ねまき》のまゝで雨戶を繰つて庭に出て、雪の中をば重い松の盆栽を運ばれた………母は其夜から俄に感冒《かぜ》を引かれ忽ち急性肺炎を起した。

私は實に大打擊を蒙りました。其の後と云ふものは友人と一緖に牛肉屋だの料理屋なぞへ行つても、酒の燗が不可ないとか飯の焚き方がまづいとか云ふ小言を聞くと、私は直ぐ悲慘な母の一生を思出して胸が一杯になり、緣日や何かで人が植木を買つて居るのを見れば私は非常な慘事を目擊したやうに身を顫はさずには居られなかつた。

處が幸にも一度日本を去り此の國に來て見ると、萬事の生活が全く一變して了つて、何一ツ悲慘な連想を起させるものがないので、私は云はれぬ精神の安息を得ました。私は殆どホームシツクの如何なるかを知りません。或る日本人は盛に米國の家庭や婦人の缺點を見出しては非難しますが、私には縱へ表面の形式僞善であつても何でもよい、良人が食卓で妻の爲めに肉を切つて皿に取つて遣れば、妻は其の返しとして良人の爲めに茶をつぎ菓子を切る。其の有樣を見るだけでも私は非常な愉快を感じ、强ひて其の裏面を覗つて、折角の美しい感想を破るに忍びない。

私は春の野邊へ散策《ピクニツク》に出て大きなサンドウイツチや林檎を皮ごと橫かじりして居る娘を見ても、或はオペラや芝居の歸り夜深《よふけ》の料理屋でシヤンパンを呑み、良人や男連には眼もくれず饒舌つて居る人の妻を見ても、よしや最少し極端な例に接しても、私は寧ろ喜びます。少くとも彼等は樂んで居る、遊んで居る、幸福である。されば妻なるもの母なるものゝ幸福な樣を見た事のない私の目には此れさへ非常な慰藉《なぐさめ》ぢやありませんか。 お分りになりましたらう。私の日本料理日本酒嫌ひの理由はさう云ふ次第からです。私の過去とは何の關係もない國で出來る西洋酒と母を泣かした物とは全く其の形と實質の違つて居る西洋料理、此れでこそ私は初めて愉快に食事を味ふ事が出來るのです。」 *** 「恁う云つてね、金田君は身の上話を聞いてくれたお禮だからと、僕が止めるのも聞かずに到頭|三鞭酒《シヤンパンしゆ》を二本ばかり拔いた。流石西洋通だけあつて葡萄酒だの、三鞭酒なぞの鑑別《みわけ》は委しいもんだ。」 辯者は語り了つて再び雜煮の箸を取上げた。一座暫くは無言の中に、女心の何につけても感じ易いと見えて頭取夫人の吐く溜息のみが、際立つて聞えた。 (明治四十年五月)