雲形紋章

第十九章

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結婚式はひっそりと行われた。当時カランにはそうしたニュースを伝える新聞がなかったため、町の人は「ホレイシオ・セバスチャン・ファインズすなわちブランダマー卿とカラン・ウオーフの故マーチン・ジョウリフの一人娘アナスタシアはセント・アガサズ・アット・ボウ教会にて挙式」という素っ気ない発表で好奇心を満足させるしかなかった。ミセス・ブルティールは自分の立ち会いがなければブランダマー卿の結婚は認められないと言ったらしい。参事会員パーキンとミセス・パーキンも職権上、式に呼ばれるべきだと感じたし、教会事務員のジャナウエイはさかんに間投詞を差しはさみながら「お二人がめあわされるところを何としても見にゃならねえ」と断じた。ロンドンにはもう二十年も行ったことがなかったし、路銀に金貨一枚かかるとしたって、へっ、行かなきゃ男がすたりまさあ。それにブランダマー卿の結婚なんて生きているうちに二度と見るこたあないでしょうからなあ。けれども式には誰も出席しなかった。場所と日時が公表されなかったからである。 ただ一人出席したミス・ジョウリフはカランに戻るとさっそくベルヴュー・ロッジで何度かお披露目の会を開いた。その席では結婚式とそれに付随する出来事ばかりが話題にされた。彼女はその場に合わせて新しいコーヒー色の絹のドレスを着、ミスタ・シャーノールの部屋では湯沸かしがしゅーしゅー音を立て、マフィンやトーストや砂糖たっぷりのケーキが並び、家のなかは大混雑、三十年前に神の手から最後の大型四輪馬車が走り去って以来の賑やかさとなった。集まった人々は非常に礼儀正しく、好意的ですらあり、その場の雰囲気に浮き立ったミス・ジョウリフはほんの数週間前、ドルカス会の集まりでのけ者にされたり、冷たい目で見られ、悲しい思いをしたことなどすっかり忘れた。 この集まりで多くの重要な点がつまびらかにされた。結婚式は花嫁から特に希望があって、早朝に行われることになった。出席したのはハワード先生とミス・ユーフィミアだけだった。アンスティスは教会から駅へ直行できるように濃い緑色の旅行服を着ていた。「それでね、皆さん」と彼女は全員を包みこむような慈愛のまなざしをむけていった。「あの子ったら、すっかり若い貴婦人みたいでしたわ」 思いやりに溢れた理解ある聴衆は、過去六週間のあいだ、アナスタシアに青天の霹靂の事件が起きて、その勝利の奪い去られることを期待していたのだが、結婚式がついに挙行されたと知って愕然とし、冷笑を浮かべることすらできなかった。嘘つきで争いの種をばらまくミセス・フリントだけが鼻を鳴らすだけの勇気を持っていて、偽装結婚ってこともあるからね、などと隣の人に囁いた。

新婚旅行はずいぶん長引いた。ブランダマー夫妻はまずイタリアの湖水地方へ行き、そこからミュンヘン、ニュルンベルグ、ライン川を旅して帰国の途につくはずだったが、休みながらゆっくり進んだために、パリに着いたときにはもう秋が訪れていた。そこで冬を過ごし、春にはブランダマー家の全財産を受け継ぐ跡取り息子が生まれた。この知らせは地元の人々を大いに喜ばせ、家族がカランに帰ってくるという一報が伝わると、聖セパルカ大聖堂の塔からピールを鳴らしてお祝いをしようということになった。これは参事会員パーキンの発案だった。 「修復費用をほぼ全額寄付していただいている貴人にふさわしい敬意のあらわし方だと思うがね。どれだけ塔が補強されたか見せてさしあげなければならん。どうだい、ミスタ・ウエストレイ。カリスベリの鐘突き男を呼んでカランの人に鳴らし方を教えてもらおうじゃないか。塔が倒れるまでサー・ジョージへの支払いが延びるとしたら、今の様子じゃこれまで以上に料金の受け取りをお待ちいただくことになるだろう。ええ、どうかね」 「まあ、わたし、古い習慣が大好き」と妻が同意した。「にぎやかなピールって、心がうきうきするわ。古きよき習慣はいつまでもつづけていかなくちゃね」もてなしにかかる費用の安さがとりわけ彼女の気に入った。「でも、あなた」と彼女はためらいながら問題点を指摘した。「カリスベリから鐘突き男を呼ぶ必要はあるかしら。あの人たちは始末に負えない酒飲みよ。こんな機会ですもの、喜んで鐘を鳴らそうっていう若者はカランにも大勢いると思うわ」 しかしウエストレイは大反対だった。確かに引っ張り鉄を取りつけたから、その分だけ塔の強度は増したが、南東の大基柱をちゃんと補強するまで鐘を鳴らすことには賛成できない、と彼は言った。 この抗議はあまり歓迎されなかった。ブランダマー卿は不愉快に思うだろう。もちろん、ブランダマー夫人がどう思おうと関係はない。実際、下宿の女主人の姪のために聖堂の鐘を鳴らすなど、考えただけでも馬鹿げている。しかしブランダマー卿はきっと気を悪くするだろう。 「あの現場監督、若いくせにうぬぼれていて鼻持ちならないわ」とミセス・パーキンは夫に言った。「あんな気取り屋に我慢してちゃだめ。二度とつけいらせてはいけません。人がよすぎて甘やかすから、『みんな』つけこんでくるのよ」 こんな具合にはっぱをかけられた彼は、とうとう、自分は人の指図を受けるような男ではない、鐘は鳴らさせるし、サー・ジョージに自分の意見を裏付けてもらうと、やけに豪胆なところを見せて彼女を納得させた。陽気な短い手紙を書くことで知られるサー・ジョージは平凡な洒落と古典風の比喩を適度に織り交ぜて、次のように書いてよこした。「感謝」が神殿の階《きざはし》を上がり、「婚姻」の祭壇に捧げものをしようとするとき、「思慮」は階の下で静かに彼女が降りてくるのを待たなければならない。 サー・ジョージは医者になるべきだったと、友人たちは言った。いつも愛想がよくて安心感を与えるからである。彼はこのようにうまい文句をひねり出すと、緊急を要する大仕事に追われていたので、聖セパルカ大聖堂の塔のことなど頭から追い払い、主任司祭と鐘突き男たちには好きなようにさせることにした。 こうしてある秋の日の午後、住人の中にも聞いた者がほとんどいないという鐘の音がカランに響き渡った。小さな町の人々は仕事の手を休め、イングランド西部でいちばん美しいピールに聞き入った。銀を鳴らすような甘美な高音鐘ベアータ・マリアから、三百年前|仕立て屋《テイラー》同業組合が寄進した低音鐘テイラー・ジョンまで、大小の鐘が一斉に揺れ、鳴り、歌い、無数の小鳥がさえずるような美しい音が空中に満ちた。人々は窓を開け放ち、あるいは店の入り口に立って耳を澄ませた。メロディーは塩沢地の上を越え、ロブスターの罠籠を引き上げていた漁師たちは聞き慣れぬ音楽にただもう呆気にとられて動きを止めた。

鐘自身も長い休息から解放されて喜んでいるようだった。彼らは夜明けの星のように共に歌い、神の子のように共に歓喜に叫んだ。彼らは往事のことを思い出した。ハーピンドン修道院長に枢機卿の赤帽子が授与されたときに鳴らされ、ヘンリー国王が修道院を解体して信仰を守ったときにも鳴らされ、メアリ女王がミサを復活して信仰を守ったときにも鳴らされ、エリザベス女王がフォーディングにむかう途中、市場を通り、刺繍の入った手袋を贈られたときも鳴らされた。足もとに広がる赤い屋根屋根の下で長きにわたって生と死がせめぎ合ったことを思い出し、数え切れないほどの誕生と結婚と葬式があったことを思い出した。彼らは夜明けの星のように共に歌い、神の子のように共に歓喜に叫び、喜びの声をあげた。

結局カリスベリから鐘突き男たちがやってきたのだが、ミセス・パーキンは彼らが来ることに前ほど懸念を抱いていなかった。ブランダマー卿が自分のためにどんな礼がつくされたのかを聞き知れば、以前カランの貧民収容施設や老人や学校の子供たちに金を寄付したように、すぐさま鐘突き男たちにも手当をたっぷりはずむだろうと思ったからである。鐘綱も鐘枠も、軸も輪も念入りに点検された。そして当日、鐘突き男たちは男らしく仕事に励み、二時間五十九分をかけてグランドサイア・トリプルズのフル・ピールを鳴らし終えたのだった。

鐘楼の床の吹き抜け穴から魔術師の腕が取り出したみたいに、ブルティールの店の輝く十ペンス小樽があらわれた。教会事務員ジャナウエイは酒をやらないにもかかわらず、自分も飲みたそうにしながら、泡立つビールの大コップを仕事を終えた男たちに配った。 「今度はピールが中断されんかったなあ。この古鐘もこれ以上いい突き手が下にいたことはなかったろうし、賭けてもいいが、これ以上いい鐘があんたらの頭の上にあったこともあるまいよ。ええ、どうだい、おまえさんたち。カリスベリの塔で鐘が鳴るのを何度も聞いたし、女王様が即位なさったときも聞いたが、ここの古鐘ほど深くてまろやかな音はせんかった。しばらく休んだおかげでいちだんと音色がまろやかになったのかも知れん。ブランダマー・アームズの地下室にあるポートワインみたいになあ。けれどもエニファー先生の話じゃ、中にはシェリーみたいになっちまって見分けがつかなくなったのもあるらしいよ」 ウエストレイは主任の裁定に対して忠実な部下らしくひれ伏した。鐘を鳴らしても安全であるというサー・ジョージの決定は若者の肩から責任の重みを取り去ったが、心の中から不安を消すことはなかった。ピールが鳴らされているあいだ、彼は聖堂を離れなかった。最初は釣り鐘室に入って鐘枠の梁にしがみつき、大きな口を開けた鐘が天をむいたり、勢いよく回転して下の暗闇のほうをむくのを見ていた。轟音に耳をつんざかれ、彼は鐘楼まで階段を下り、窓枠に腰かけて鐘突き男たちが上下動する様を見ていた。金属のかたまりが往復運動し、その負荷が塔にかかって落ち着きなく揺れるのは感じたが、その動きには何ら異常はなかった。漆喰がはげ落ちることも、特に注意をひくような何事も起こらなかった。そのあと聖堂まで降りて、再びオルガンのある張り出しへと階段を登った。そこからは後期ノルマン様式のアーチが巨大な曲線を描いて南袖廊の上に架かっているのが見えた。 アーチの上からランタンまで、彼を大いに不安にさせたあの古い割れ目が、不吉な稲妻のようにジグザグ状に走っていた。その日は曇っていて、空一面に漂う重い雲のかたまりが聖堂内を暗くしていた。中でもいちばん暗い影が落ちていたのは、ランタンの内側を巡る石の通路の下側で、そこに最近塔の補強に使われた重い引っ張り鉄の一つを見て取ることができた。引っ張り鉄がそこにあるのだと思うとウエストレイは嬉しくなった。鳴鐘が塔にかける負担をそれらがことごとく吸収してくれればいいと願った。サー・ジョージの判断が正しく、彼、ウエストレイが間違っていればいいと願った。それでも彼は割れ目に一枚の紙を貼り付け、危険な動きが見られた場合は裂けて警告を発するよう事前に細工をしておいたのだった。

張り出しの仕切りに寄りかかりながら、アーチが動いているしるしをはじめて見た午後のこと、オルガン奏者が「シャーノール変ニ長調」を弾いてくれた、あの午後のことを思い出した。あれからどれほど多くのことが起きただろう!彼はまさしくこの張り出しで起きた事件、シャーノールの死、悲しい人生に終止符を打った嵐の夜の奇怪な事故のことを考えた。あれはまったくおかしな事故だった。ハンマーを持った男につけられているなどと、気が触れたような想像に取り憑かれ、まさにこの張り出しで足鍵盤に致命傷を負わされたところを発見されたのだ!何ていろいろなことが起きたのだろう――アナスタシアへの求婚と拒絶、そして今そのために鐘が鳴らされている出来事!人生は何と変転きわまりないことか!何世代も時代を超えて、我慢強く、変わることなく立ちつづけてきた、頑として動かぬこの壁に比べれば、自分は、いや、人間というものはなんと短命な生き物だろう。しかし石でできた永遠の現実が、実はことごとくはかない人間によって造られたものであり、またはかない人間である彼が、石でできた永遠の現実を、粉々に崩れ落ちないように、今も忙しく支えようとしているのだと思うとふと笑みがこぼれてきた。

聖堂の中では鐘の音がやや弱く遠ざかって聞こえた。重い石の屋根を通して届くため、荒々しさが和らげられ、いっそう耳に心地よかった。穹窿天井という弱音器がピールの音を抑えているのだ。低音を響かせるテイラー・ジョンがトレブル・ボブ・トリプルズの複雑な打順に従って奏鳴する仲間たちのあいだを移動していくのが聞こえたが、ウエストレイの耳には低音を響かせる低音鐘のうなり声よりはっきり聞こえる別の声があった。それは塔のアーチの叫び声、カランに来てからというもの耳について離れない小さな静かな声だった。「アーチは決して眠らない」とその声はいった。「アーチは決して眠らない。彼らはわれわれの上に背負いきれないほどの重荷を載せた。われわれはその重量を分散する。アーチは決して眠らない」 突き手たちはピールの終わりに近づいていた。ほぼ三時間をかけて五千四十の転調鳴鐘を打ち終わろうとしていた。ウエストレイが張り出しから下におり、聖堂の中を歩いているとき、最後の転調鳴鐘が打ち鳴らされた。鐘の音の余韻がまだ残り、真赤な顔をした突き手たちが鐘楼でジョッキのビールをがぶ飲みしているあいだに、建築家は足場へむかい、ジグザグ状の割れ目の前に立った。医者が傷を調べるように、彼はそこを注意深く観察し、トマスのように暗い割れ目に手を突っこんだ(註 使徒行伝から)。変わったところは何もない。紙切れは破れておらず、引っ張り鉄は見事にその責務を果たした。やはりサー・ジョージの判断が正しかったのだ。

彼が調べているとき、ごくかすかな音が聞こえた――囁くような、呟くような声。あまりにも弱々しくて聞き逃してしまいそうな音だった。しかし建築家の耳には雷鳴のように鳴り響いた。彼は正確にその正体を、その出所を知っていた。割れ目を見ると大きな紙切れが半分に裂けていた。それは些細な出来事だった。紙切れは完全に二つに裂けたのではなく、中程まで破れたに過ぎない。ウエストレイはそれから半時間あまり目を離さずにいたが、それ以上は何の変化も起きなかった。鐘突き男たちは塔を出て、小さな町はいつもの活動に戻った。教会事務員ジャナウエイが聖堂の反対側からやって来て、建築家が南袖廊のアーチの下、足場の高いところの横棒から身を乗り出しているのを見つけた。 「鍵をかけて廻っているんですがね」と彼は大声で話しかけた。「ご自分の鍵はお持ちでしょうな、旦那」 ウエストレイはほとんど分からぬくらい小さく頷いた。 「今度は塔が倒れませんでしたなあ」教会事務員は話しつづけた。しかしウエストレイは返事をせず、じっと半分だけ裂けた紙片を見ていた。他のことは何も考えられなかった。一分後、老人も足場にあがって彼のそばに立った。梯子を登って息を切らしていた。「今度はピールが中断されませんでしたなあ。とうとう雲形紋章をやっつけましたよ。ブランダマー卿はお戻りになる。跡継ぎが生まれて一族は御安泰。雲形紋章からちょいと毒気がぬけちまったような気がしませんかい」しかしウエストレイは不機嫌で何も言わなかった。「おや、どうなすったんです。お加減が悪いんじゃないでしょうね」 「ほっといてくれませんか」建築家は突っ慳貪に言った。「ピールは中断されればよかったんだ。鐘なんか鳴らさなければよかったんだ。見てください」――彼は紙切れを指さした。

教会事務員は割れ目に近づき、物言わぬ証人をまじまじと見つめた。「へっ!これがなんだっていうんですかい」と彼は言った。「鐘が揺れてこうなっただけでさあ。たかが紙切れですぜ、上でテイラー・ジョンが揺れているってときに、金床みたいにびくともしねえってわけにはいかねえでしょう」 「いいですか」ウエストレイは言った。「あなたは今朝聖堂にいましたよね。日課で読まれた話を覚えていますか。予言者が召使いを丘の上に送り出し、海の様子を調べさせたというやつですよ。召使いは何度も何度も丘に上がるけれど何も見えない。彼が最後に見たのは海から湧き上がる人の手の形をした小さな雲でした。ところがそのあと天は暗くなり、嵐が吹き荒れたのです。この破れた紙がこの塔にとって人の手でないとは言い切れませんよ」 「気にするこたあ、ありませんや」と教会事務員が答えた。「人の手は雨が来ることを知らせただけで、しかも雨こそまさしく人々が待ち望んでいたものなんですぜ。どうして一般人は聖書をひねくり回して人の手を悪いものに変えちまうんでしょうなあ。ありゃ、いいしるしなんです。だから安心しておうちに帰り、食事でもなさることです。いくらにらんだって、その紙は元に戻りませんて」 ウエストレイは彼の言うことを無視し、老人は少々むっとしながらお休みと別れの挨拶をした。「それじゃ」梯子を下りながら彼は言った。「失礼しますよ。暗くなる前に庭に行かないとならないんでね。来週のネギの品評会に備えて、今晩葉っぱを包むんでさあ。去年は孫に一等をとられて、おじいちゃんのわたしは十一位に甘んじましたが、しかし今年はカランで採れたどんなネギにも負けねえやつが六本ほどできましてね」 次の日の朝までに紙片は完全に破れてしまった。ウエストレイはサー・ジョージに手紙を送ったが、歴史はただ繰り返しただけだった。主任はこの一件を軽く見て、モグラの穴を山と勘違いしてはおらんかね、やけに神経質になっているが、きみは与えられた指示を実行しさえすればいいのだよ、とかなりいらだたしげに言ってよこした。割れ目の上にもう一枚紙を貼ったのだが、これは無傷のままだった。塔は再び動きを止めたようだった。しかし今度ばかりはウエストレイの不安は容易に静まらず、彼は大急ぎで南東の基柱の補強工事を進めることにした。