入れかわった男

第二十六章

Chapter 26 7,286 words Public domain Markdown

当時の日々はすべてのロンドン子に生々しい印象と、強烈な記憶を残した。そののちも、まるで日常から切り離された、異次元に属する日々ででもあるかのように、奇怪な非現実感を伴って心によみがえった。ドミニーもその日の夜のことを長く記憶していた。すなわち、バークレイ・スクエアにある町屋敷の、趣味の良い家具を備えた、くすんだ色の食堂で食事を取った夜のことを。ドミニー邸の壮麗な晩餐室ほど大きくはないが、それでもジョージ王朝風の家具が並んだ立派な一室だった。壁には高名な絵が掛かり、天井も暖炉も見事な造りだった。ドミニーとロザモンドは二人きりで食事をした。テーブルは最小の大きさにまで縮められていたが、それでも二人のあいだには広い空間が広がっていた。パーキンスがおごそかにポートワインを置くと、ロザモンドは立ちあがり、部屋を出て行く代わりに、召使いに向かって、ドミニーのそばに彼女の椅子を移動させるよう命じた。 「あなたの男友達のまねをするわ、エヴェラード。女性たちが出て行くと、みんなあなたのそばに寄るわね。それからどうするの?お話?わたし、とっても聞き上手なのよ」 「まずこのポートワインを半分飲むんだ」そう言って彼は彼女のグラスを満たした。「それから桃をむいてくれないか。半分こしよう。そのあとは耳を澄ましてベルが鳴るのを待つ。今晩、お客さんが来るんだ」 「お客さん?」 「社交的な訪問じゃないよ。仕事の関係さ。残念だけど、そのせいで今夜は君の相手ができない。客が来るまでせいぜい楽しもう」 彼女は桃をむきはじめ、やや真面目くさった口調で終始話しつづけた。優雅でひどく魅力的な女性の、絵のように愛らしい姿がそこにあった。華奢な身体つきと芸術的な繊細さがくすんだ背景のせいでいっそうくっきりと浮かびあがった。 「知ってるかしら、エヴェラード。わたし、ロンドンであなたとこうして一緒にいるのがとても幸せなの。いつも力が湧いてきて、元気になった気分。以前は活字の迷路に見えた本も、今は読んで理解できる。絵の鑑賞もできるし、音楽の感動も分かるわ。前は、どういうわけか、脈絡がなくて耳障りでしかなかったんだけれど。わたしの言うこと、分かる?」 「もちろんさ」彼は真剣に答えた。 「ハリソン先生が患者としてわたしのことを誇りに思うのも当然だわ。でも心に鈍い痛みを感じることがよくあるの。だって、誰が何と言ったって、わたしはまだ完全に直っていないんですもの」 「そんなことはないよ、ロザモンド」と彼は反論した。 「あら、でも最後まで言わせて」彼女は彼の桃を皿に載せた。「あなたという問題が常にあるのに、わたしが直るわけがないわ。相変わらず解決策は見つからないし。あなたのこと、結婚したエヴェラードと比べることがよくあるの」 「わたしはそんなに彼より出来が悪いかな」 「ぜんぜん逆」彼女は涙をためた目で相手を見つめた。「そりゃあ彼のほうがもっとずっと優しかった」彼女は短い沈黙ののちにこうつづけた。「あの人のキスはあなたのキスとは違っていた。それに一緒の時間をもっと大切にしていたわ。でもその反面、いてほしいと思うときにいないことがよくあった。気がふれたみたいに、めちゃくちゃなことをして、わたしなんかすっかり忘れてしまったみたいだった。それがとても怖かったわ。そのせいで精神状態が不安定になったの。血まみれで、ふらふらになって帰ってきた、あの身の毛もよだつような瞬間だって、神経がぼろぼろになっていなければ耐えられたと思う。ほら、あの晩、ロジャー・アンサンクを殺したのよ。だから、あの人、戻ってこられないの」 「今夜に限ってどうしてそんな話をするんだい、ロザモンド」 「話さずにいられないの」彼女は自分の指を彼の手に載せ、不思議そうに見つめた。「話さずにいられないのよ。あなたを苦しめると分かっていても。あなたがこんなに気を遣ってくれるなんて素晴らしいわ、エヴェラード。本当よ。だから大好きなの」 「気を遣っている?」彼は唸った。「気を遣っているか!」 「あなたは彼とよく似ているけど、すごくちがうところもあるわ」彼女は思いに沈みこむように言った。「ワインはぜんぜんといっていいくらい飲まないし、いつも冷静で真面目な顔をしている。あなたはほかの人が知らない人生を隠し持っているみたいに生きている。わたしが覚えているエヴェラードは行政官や議員なんかにちっとも興味を持っていなかった。競馬やヨット、狩りや射撃、気の向くままに時間をつぶしていた。でも――」 「でも、なんだい」ドミニーの声はかすれていた。 「彼はあなたよりわたしを愛してくれたわ」彼女はひどく悲しそうだった。 「どうして?」 「分からない」彼女は自分の皿に目をやりながら答えた。「でもそんな気がするの」 ドミニーは急に窓のところへ行き、外に身を乗り出した。額に汗が浮かび、新鮮な空気が無性に吸いたかった。戻ってきたときも、彼女は依然下を向いたまま、同じところに座っていた。 「ハリソン先生にそのことを話したのよ」と彼女はつづけたが、その声はほとんど聞き取れなかった。「あなたは見かけ以上にわたしを愛しているのかもしれないっておっしゃったわ。本物のエヴェラードがいつ帰ってくるかも分からないから、抑えているのだろうって」 「その通りだよ」彼は優しく彼女に思い出させた。「すぐにも戻ってくるかもしれない」 彼女は彼の手をつかんだ。声が強い気持ちに震えていた。彼のほうに寄りかかり、もう一方の腕を相手の首に回した。 「でも戻ってきてほしくない!」彼女は叫んだ。「あなたにいてほしいの!」 ドミニーはしばらく身じろぎもせず、石像のように座っていた。大きく開け放ち、ブラインドをおろした窓から、夏の暮れ方の静けさを破る、新聞売りの少年たちのどら声が聞こえてきた。そのとき、静けさを破るもう一つの鋭い音が聞こえた――外にタクシーの停まる音、正面玄関のベルを断固として執拗に鳴らす音。ドミニーは約束を思い出し、身体に力が戻ってきた。彼の中に燃えあがった火はとたんに鎮められた。波のように押し寄せる彼女の情熱に、彼は限りない思いやりをこめて応じた。 「ロザモンド、正面玄関のベルは重要な会見への呼び出しなんだ。もうしばらくぼくを信じてくれ。嘘は言わない。ぼくは決して冷たくしているのでも、無関心なのでもない。いつか君に言わなければならないことがある――はじめは思いもよらなかったが、今では夜も昼も心に重くのしかかりだしたことだ。ぼくを信じてくれ、ロザモンド、そして待ってくれ!」 愛らしくも痛ましい微笑みを小さく浮かべ、彼女は椅子に沈みこんだ。 「いつも待ってくれって言うのね」と彼女は不平をもらした。「わたし、じっと待つわ。でもこれだけは約束して。あなたはとても親切にしてくれる。わたしの人生を左右する人よ。だからもうちょっとだけわたしを大切にしてほしいの。お願いできる?」 彼は立ちあがろうとしていた。慈しむように彼女の手にキスをした。声にはすっかりいつもの調子が戻っていた。 「この世の誰よりも大切にするよ、ロザモンド!」 明るい灰色のスーツ、パナマ帽、白い花柄のネクタイという格好であらわれたシーマンは、数ヶ月前の落ち着いた都会人らしさを幾分失っていた。旅の疲れでくたくただったのだ。顔のしわが増え、目に奇妙な不安が宿り、目尻に小じわができはじめていた。彼はドミニーの歓迎に熱狂的といっていいような興奮を示した。それから顔つきが変わっていないかと思っていたかのように、まじまじと相手を見つめると、ようやく軽い安堵の仕草とともに安楽椅子に沈んだ。持っていた小さな茶色のアタッシュケースをカーペットの上に置いた。 「何か知らせがあるのかい」とドミニーが訊いた。 「うむ」重々しい返事だった。「知らせがある」 ドミニーは呼び鈴を鳴らした。玄関の化粧鞄とコートを見て、訪問者が駅からまっすぐここへ来たことはとうに推察していた。 「何を食べる?」 「ホック・アンド・セルツァーに、できたら氷を入れてくれないか。それからコールド・ミートも。ここに持ってきてくれ。そのあとは君のいちばん大きい葉巻。大変な知らせを持ってきたぞ。気がかりな知らせも、素晴らしい知らせも、驚くべき知らせも」 呼び出された召使いにドミニーが指示を出した。しばらく二人は他愛のない旅の話をした。注文したものがすべてそろい、ドアが閉められたとき、シーマンはもう待っていられなかった。食欲、渇き、弁舌、なにもかもが促されるように素早く活動をはじめた。 「われわれは性格的に似たもの同士だ。分かってるよ。だから、まずひどく気がかりな知らせから、いや、いささか恐ろしい知らせから伝えよう。ヨハン・ヴォルフの謎が解けた」 「南アフリカのシュミットから伝言を伝えに来た男か。忘れかけていたよ」 「わたしもだ。あの晩、われわれを訪ねてきた本当の理由は今もって不明だ。なぜわたしに対してよそよそしい態度をとったのか、その理由も分からない。実質上、同じ部局の上官だというのに。出だしからして奇怪な事件だが、しかしその結末と比べればなにほどのものでもない。ヴォルフはあの晩、この屋敷を出たあとイギリスの要塞のなかに消えたのだよ」 「信じがたいな」ドミニーはぼそっと言った。 「だが事実だ。わが諜報機関のメンバーは、その存在や所在を司令部に一ヶ月以上報告しないでいることを禁じられている。ヴォルフからは一月のあの晩以来、何の連絡もない。一方、彼はこちらで監禁されているという間接的な情報が入ってきた」 「しかしそれは違法行為だ。前代未聞だ。どんな国家もはっきりした罪状を示すことなく、また裁判にかけることもなく、他国の市民を牢に閉じこめることはできない」 シーマンは薄気味悪く笑った。 「一般人の場合は全くその通り。しかしヴォルフはもう何年もマークされていた。ドイツ外務省は、それがなにかの役に立つなら、すぐにも大騒ぎをするだろう。しかし無駄に終わるだけだ。ドイツの監獄には現在、イギリス人が一名か二名拘禁されているが、イギリス外務省は安否を問う価値すらないと考えている。わたしにとってヴォルフの失踪よりもっと気になるのは、彼が君を訪ねてきて、ほとんどその場で逮捕されているという事実だよ」 「きっとあそこまで跡をつけられていたんだ」 「そうだ。しかし連中が君の執事の部屋を火箸でこじ開け、ヨハン・ヴォルフを引きずり出し、ノリッジ城だかどこだかの監獄に連れて行ったとは考えられん。ヴォルフの一件でいちばん不安なのは、われわれの把握していないなにかが起きているという点だ。しかしそれをのぞけば気がかりはない。こっちにはヴォルフと同じくらい、いや、もっと優秀な諜報部員が大勢いる。おまけに彼らの力を必要とする時期はとっくに過ぎたのだ。今や君こそがわれわれの期待の星なのだよ、ドミニー」 「すると、ついに?」 シーマンはホック・アンド・セルツァーをゆっくりと嬉しそうに飲んだ。 「決行する」彼はおごそかに言った。「こうなることは分かっていた。ロシアが明日、動員を解除しようと、セルビアの政治家が全員首根っこにロープを巻かれ、よつんばいになってベニスに引き連れていかれようと、結果に変わりはないだろう。命令は発せられたのだ。ドイツ全土が一大軍営と化している。わが上層部が決めた日取りより、ちょうど十二ヶ月早いが、これは絶好の機会、躊躇して逃してしまうにはもったいない機会だ。八月の終わりまでに、ドイツはパリを占拠しているだろう」 「なるほど大変な知らせだ」とドミニーは呟きながら、しばらく開いた窓のそばに立っていた。 「わたしはやんごとなき人々のあいだに好意的に迎え入れられたよ。君もわたしも報奨を受ける個人リストの上のほうに名前が載っている。皇帝はアイダーシュトルム王女との結婚を許可したが、君がそれを利用しなかったことを褒めていたよ。『フォン・ラガシュタインは賢明な判断を下した』とおっしゃっていた。『今は結婚式を挙げるときでも、結婚生活に溺れているときでもない。世界がかつて経験したことのない重要なとき、大陸が形をなし、星々がこの世界を見おろすようになって以来、最強の帝国が生まれるときなのだ』皇帝はそうおっしゃった。皇帝のお考えでは、人間にとって最も大切な資質は、一途に目的を達成しようとする意志だ。わたしやターニロフの忠告にもかかわらず、君は自分の目的を追い求めた。君の評価はこれからぐんとあがるぞ」 やがてシーマンは食事を終え、盆は片づけられた。すぐにまた彼らは二人きりになった。シーマンは葉巻をくわえ、煙をもうもうと吐き出し、自分の言葉に彩りを添えるために、ときどき葉巻を持った手を振り回した。いつもの感嘆すべき注意深さがどこかへ行ってしまっているようだった。彼は初めて相手を本名で呼んだ。 「フォン・ラガシュタイン。われわれの祖国は偉大な国家だ。これから建設されるのは素晴らしい帝国だよ。今晩わたしは感激のあまり熱に浮かされたような気分だ。指令やいろいろな詳細を伝えなければならないが、それは後回しにしよう。われわれの未来、世界を支配する権利を勝ち取った最強の国家、ドイツの偉大な輝かしい運命について語ろう。ドイツは興奮に湧いていると思うかもしれないが、実はそんなことは少しもない。各人には仕事が割り当てられ、何をすべきか明確に伝えられている。巨大で堅牢な機械のように、われわれは戦争に向かっていく。どの連隊もその駐屯地をこころえ、どの砲兵隊司令官もその砲兵陣地をこころえ、どの将軍も戦闘隊列を正確にこころえている。配給、被服、病院、考えられるありとあらゆる集団が最後の微細な点に至るまで計算し尽くされた行動計画を与えられているのだ」 「最終的な結果も?」ドミニーが訊いた。「それも確定済みなのか」 シーマンは震える手で脇に置いてあった小型のアタッシュケースを開け、用心しながら亜麻で裏打ちされた羊皮紙を取り出した。 「君はこれを見る最初の人間の一人だよ。これは皇帝の夢を示している。未来の帝国の大枠がこれで分かるだろう」 彼はテーブルの上に地図を置いた。二人の男はその上に身を屈めた。それはヨーロッパの地図で、イギリスと縮小したフランス、スペイン、ポルトガル、イタリアが濃い青色に塗られていた。さらにハンブルグとアテナを結ぶ線、そしてフィンランドと黒海を結ぶ線、この二本の線にはさまれた地域は濃い赤に塗られ、そのあちらこちらにやや色の薄い部分があった。シーマンは地図の上に手を載せた。 「われらが未来の帝国版図だ」彼はおごそかに、重々しく言った。 「説明してくれ」 「大ざっぱに言うと、この二本の線にはさまれた地域は全て新ドイツ帝国の所領になる。ポーランド、クールラント、ルチアニア、ウクライナはある程度の自治権を持つが、実質的にそれは無に等しい。アジアはわれわれの足下にある。大英帝国はもはや世界の供給を独占することはない。ありとあらゆる原材料がわれわれのものとなるだろう。革、獣脂、小麦、石油、脂肪、木材――これらはみな、われわれの取り放題だ。財貨はといえば――インドと中国がある!これ以上何が望めるかね、君」 「息を呑むね。しかしオーストリアはどうなる」 シーマンはほとんどせせら笑うようににやりとした。 「オーストリアは忍び寄る運命の足音にとっくに気づいているだろう。中央ヨーロッパに二つの帝国が居並ぶ余裕はない。ハプスブルク家はホーエンツォレルン家の前に没落しなければならない。オーストリアは身も心もドイツ帝国の一部にならざるを得ないのだ。ほら、さらに南を見たまえ。ルーマニアは属国となるか、征服されるかのどちらかだ。ブルガリアはすでにわれわれのものだ。トルコはコンスタンチノープルを含めて忠誠を誓った。ギリシアはわれわれの側につかなければ、消し去られるだろう。セルビアは地図からなくなる。おそらくモンテネグロも。薄い赤で塗ってある国々、トルコ、ブルガリア、ギリシアは属国になり、機会があり次第、一つ一つ吸収されていく」 ドミニーの指が北のほうにそれた。 「ベルギーが消えているね」 「ベルギーは占領してドイツに隷属させる」とシーマンは答えた。「フランスへの侵攻はここを通って進められる。イギリス制圧にはフランスの港が必要だ。オランダとスカンジナビア諸国は薄い赤に塗られているだろう?ことによるとオランダ、デンマークとは一戦を交えることになるかもしれない。そうなれば併合だよ。まず恐れをなして中立を保とうとするだろうが、それでも最後の銃声が鳴りやんだとき、彼らはわれわれの属国になっている」 「ノルウェーとスエーデンは?」 シーマンは地図を見おろし笑った。 「見たまえ。彼らはわれわれのなすがままだ。ノルウェーは西に海岸があるから、イギリスからの援軍が常に問題になる。しかしスエーデンは完全にわれわれのものだ。数ある属国のなかでも、特にスエーデンを徹底的に従属させるというのが皇帝の計画なのだ。あの国のたくましい男たち、世界最強の兵士たちが、のちのち、戦争が起きた場合に必要なのだ。あの国にはわれわれが求める木材と鉱物資源もある。まあ、説明はこんなところだ。フォン・ラガシュタイン、この国でこの未来図を目にしたのは君が最初だよ」 「すばらしい計画だ」とドミニーは呟いた。「しかし何百万もの人間がいるロシアはどうするんだい。膨大な数の人間がいるというのに、どうやってあの国のいちばん豊かな土地を奪い、あの帝国の心臓部に突き進もうというのだ?」 「そこで天才的な策略を使うのだ。ロシアはこれまで十五年間、いつ革命が起きてもおかしくない状態だった。現在、わが国は各都市、田舎、軍隊の内部にスパイを送りこんでいる。われわれはロシアに自由な国家になることを教えてやるのだ」 ドミニーは嫌悪感に思わず軽く身震いした。シーマンの顔に浮かぶ、サチュロスにも似たにやにや笑いを見て、またもや虫ずが走ったのだ。 「で、わたしの仕事は?」 シーマンは自分で酒を注いだ。いつもは控え目なのだが、あわただしい食事のあと、グラスを満たすのはこれが三度目だった。 「脳みそが疲れているんだ」額に手をやりながら彼は答えた。「疲労困憊だよ。考えがまとまらない。この一週間はえらく興奮させられた。ほとんど君の一日一日の生活に至るまで、すべての計画が練られた。一両日中に説明しよう。ただこのことだけは覚えておいてくれ。イギリスに参戦させないこと、これがわれわれの大きな目標だ」 「結局ターニロフが正しかったのか!」とドミニーは叫んだ。 シーマンは軽蔑するように笑った。 「イギリスに参戦してほしくないといっても、それは友情を求めているからではない。カレー、ブローニュ、ル・アーブルを手中に収めてからのほうが、たたきつぶすのが楽だからだ。その準備は三ヶ月で完了する。そのとき、イギリスに対するわれわれの態度はちょいと変化するだろうがね。さて、帰るか」 ドミニーは渋々地図をたたんだ。相手はそんなことは無用とばかりに頭を振った。その日、彼も初めて主人役をいつもと違う名で呼んだというのは奇妙なことだった。 「フォン・ラガシュタイン男爵、この地図は六枚ある。これは君の分だよ。鍵を掛けて、この世の最高の宝物のように保管しておき給え。そして一人のときに取り出して研究するがいい。君に霊感を与え、憂いをはらし、危険に際しては勇気を与えてくれるだろう。君の心を誇りと賛嘆の念で満たしてくれる。持っていたまえ」 ドミニーはそれを注意深くたたむと、部屋の反対側の小さな金庫にしまった。 「君のいう通り、最高の宝物として保管するよ」彼は立ち去ろうとする客にそう誓った。それは自分でも驚くくらい熱のこもった言い方だった。