第十六章
偉観を誇るドミニー邸の食事室といえども、さすがにその晩は、マホガニー製の大テーブルをぎりぎりいっぱいまで広げなければならなかった。最近閣僚に指名されたジェラルド・ワトソン判事を含む泊まりがけの客のほかに、近隣から州統監や名士たちを数名招待していたのだ。キャロラインは州統監とターニロフに挟まれ、女主人の役をそつなくこなしていたが、身を入れてそうしていたわけではない。彼女の目がテーブルの反対側から長くそらされることはあまりなかった。そこにはステファニーがドミニーの左手に座っていたのである。金髪を美しく結いあげ、豪華な宝石を身につけ、ものうく優雅に振る舞うさまは、ドゥ・ラ・ペ通りの宝飾品を身にまとった近代ハンガリーの王女というより、昔のベニスの宮廷の麗人のように見えた。会話は主に地元の話題をめぐり、当日の狩りのこととか、それに類した事柄が中心になった。公爵が得意の話題をまくし立てることができたのは、ようやく食事も終わりに近づいた頃だった。 「エヴェラード」彼は主人に向かって少しだけ声を張りあげた。「君はここの借地人に国民兵役の理念を教えこんでいるんだろうね」 ドミニーはやや曖昧に返事をした。 「このあたりではあまり快く受け入れられないでしょうね。農村の人々はなかなか頑固なものだから」 「連中の考え方を変えてやるのは地主としての責務だよ」彼は鼻眼鏡越しに好戦的な視線をシーマンに向けた。彼はテーブルの反対側に座っていた。「いいかね、遠からずドイツと戦争になり、自分たちが何も準備していないことに気づいてあっと驚くのは間違いないんだ」 彼の隣に座っていた州統監の妻、マデレー夫人はいささか驚いたようだった。恐らく彼女は、その場でただ一人、公爵の奇癖を知らない人間だったのだろう。 「本気でそう考えていらっしゃるの?ドイツ人はとても文明的ですわ。平和を愛し、家庭とかを大切にしていると思いますけど」 公爵はうめいた。彼はテーブルの向こうに目を走らせ、ターニロフ王子には聞こえてないことを確認した。 「マデレー夫人、ドイツはイギリスのように統治されていないのです。戦争になったらそんなものは、あの国の人間にとってどうでもいいんですよ。そりゃ、あなたみたいにびっくりする人も大勢いるでしょう。でも戦争を仕掛けてくるのに変わりはない」 それまで必死に自分を押さえ、黙っていたシーマンが公爵の挑戦を受けて立った。
彼はテーブルの向こうから一礼した。「失礼ながら、奥様、公爵が危惧なさるドイツとの戦争は決して起こらないと断言できます。根拠のないことを言っているのではありません。わたしはイギリスに帰化しましたが、生まれはドイツだからです。ロンドンにもベルリンにも同じくらい親友がいます。最近、アフリカに行っていて、そこでこちらのご主人と知り合いになったのですが、それ以外の時はほとんど二つの首都のあいだを行ったり来たりしていました。また独英両市民の友好を促進する会の幹事もやっております」 「くだらん!ドイツ人は友好など望んではおらん。望んでいるとわれわれに信じこませようとしているだけだ」 シーマンはちょっと困った顔をした。しかし彼は一歩も譲らなかった。 「公爵とわたしはこの件に関して昔から敵同士なんですよ」 「その通り。君は正直な男かもしれないが、シーマン、この件に関しては無知蒙昧の輩だ」 「たぶん二人ともそれぞれに正しいんでしょうね」とドミニーが口を挟んだ。いかにも育ちのいい主人が、大きく意見の食い違う二人を調停するため、いつものように割って入ったという感じだった。「ドイツに参戦派と非参戦派がいることは論を待たないでしょう。経済成長を第一に考える政治家もいれば、ひたすら征服をめざして軍事的野望に燃える連中もいますよ。わが国ではその両者のバランスを取るのがとても難しい」 シーマンは感謝の笑みを主人に送った。
彼はもったいぶるように言った。「ドイツの高官のなかにも友人がいますが、彼らはイギリスでやっているわたしの活動をいつも応援してくれます。皇帝ご自身も、イギリスに友好の機運を高めるわたしの努力を祝福してくださいました。失礼ですが、公爵、あなたがわたしの国に対していつもまき散らしている無分別で根も葉もないご主張、それこそがいっそうの相互理解を妨げているものなのです」 「わたしにはわたしの見解がある。それはもう確信となっている。これからもずっと弁舌の限りを尽くしてそのことを話すつもりだ」公爵は噛みつくように言った。 この会話の一部は大使にも聞こえていた。彼は座ったまま身体を少し前に乗り出した。 「まず個人的見解を申しあげましょう。われわれ両国が戦争をするのはまさしく民族的自殺行為です。筆舌に尽くしがたい、おぞましい犯罪である、これがわたしが熟慮の末にたどり着いた意見です。次にこちらでわたしが代表している国家の立場から、大使の資格において、こうつけ加えましょう。わたしがここに来たのは、平和を築くという、偽りのない、純粋な使命を果すためです。ここでのわたしの仕事は、平和を守り、平和を確かなものにすることです」 キャロラインは夫に警告するようなまなざしを向けた。 「腹蔵なくおっしゃっていただいてありがとうございます、王子。公爵は趣味が嵩じて、私的な晩餐の席が演壇とは違うことをときどき忘れてしまうんですよ。もっと本当に面白いことについて議論しましょうよ」 「これより重要な問題なんかありはせんぞ」公爵はそう断言したが、あきらめて黙ってしまった。
大使が提案した。「ご主人のキジ撃ちの腕前について話しましょうよ」 シーマンは右隣の女性に言った。「よろしければ、みなさんイギリスの女性が、ドイツの主婦よりもずっと自由に振る舞っていらっしゃる理由など、教えていただけませんか」 ステファニーが微かに震える声で主人にささやいた。「あとであなたをびっくりさせるものを渡すわ」 ドミニーの客は晩餐のあと、いつの間にかそれぞれ自分が好む気晴らしへと移っていった。ブリッジのテーブルが二つ出され、ターニロフと閣僚はビリヤードに興じた。シーマンは居間の古いグランドピアノにむかい、誰もが唖然とする指の運びで黄色い鍵盤から風変わりな曲を奏でて見せた。ステファニーと主人はゆっくりと広間と絵画陳列室を抜けていった。しばらくはドミニーが同伴者の注意をあれこれの絵に向けさせ、それをめぐって話が交わされていた。しかし他の客に聞かれるおそれのないところへ来ると、ステファニーの指は相手の腕を強く握り締めた。 「二人きりでお話したいわ。誰にも立ち聞きされずに」 ドミニーはためらうように後ろを振り返った。 「お客さんは遊びに夢中よ。それにわたしも客の一人なんですからね。ちゃんとお相手していただかなければ」彼女は少しいらいらして言った。 ドミニーは書斎のドアを開け、電灯を二つつけた。彼女は薪が燃える暖炉のほうへ進み、室内の暗い陰に視線を走らせた。そして再び主人の顔を見つめた。 「一回、灯りを全部つけてちょうだい。他に誰もいないことを確かめたいの」 ドミニーは命令に従った。本でいっぱいの棚が並ぶいちばん奥の角が照らし出された。彼女は頷いた。 「この灯り以外は全部消していいわ。安楽椅子を持ってきてちょうだい。いいえ、この長椅子にする。横にお座りなさいな」 「真面目な話ですか?」彼は不安そうに尋ねた。 「真面目だけれど、素晴らしい話よ。聞いてくれる、レオポルド?」彼女は目をあげた。
彼女は長椅子の端で身体を半ば丸めるようにし、長い指で軽く頭を支え、茶色い目で相手をじっと見つめた。真剣だが優しい気持ちがにじみ出していた。ドミニーの顔は彼女の目の訴えを見て、さらに強ばったように思えた。 「レオポルド、わたしは数週間前にイギリスを離れたの。獣みたいなあなたに二度と会わない決心をして。出ていく前に、あなたの化けの皮をひんむいてやろうかとさえ思ったわ。ペテン師の食わせ者だって。ドイツなんてわたしには意味がない。人間的な義務を考慮しない愛国主義にどうして共鳴できるものですか。故郷に帰って、ロンドンには戻らないつもりだった。わたしの心は傷つき、とても惨めだった」 彼女は言葉を切ったが、相手は何の反応も示さなかった。しかし彼女がいつまでも黙ったままなので、何か言わざるを得なくなった。 「王女、あなたはここにいない人間に向かって話しかけているのですよ。わたしの名前はもうレオポルドではないのです」 彼女は優しさと苦々しさとが奇妙に入りまじった声で笑った。 「心配だわ。新しい人間になって、名前だけじゃなく、人間らしさまでなくしてしまったんじゃないかしら。話をつづけますけど、都合があってわたしはベルリンに何日か滞在し、そのためポツダムの王宮に出向かなければならない羽目になったの。そこで驚くようなことを聞いたわ。ウィルヘルムがあなたのことを話してくれたの。心の傷はまだ癒されていないけど、でも彼はわたしに理解させてくれた」 「こんな話をするのはまずいんじゃありませんか?」彼はうろたえたように言った。
彼女はその言葉を無視した。 「わたしはもう一度好意的に王宮に迎え入れられました。そのことはあなたに感謝します。ウィルヘルムは先頃あなたの訪問を受けてとても感心していたのよ。それとこっちの人間になりすました手口に。アフリカでの仕事も口を極めて賞めていた。追放者として送りこまれただけに、なおさら評価しているようね。皇帝はわたしにこうお尋ねになったわ、レオポルド」彼女は声を落とした。「あなたに対するわたしの気持ちは変わっていないのかと」 ドミニーの顔は相変わらず強ばっていた。彼はあくまで彼女と目を合わせようとしなかった。 「わたしは本当のことを言いました。どんなふうにすべてがはじまったのか。そしてわたしたちの関係はわたしが死ぬまで続かなければならないことも。決闘の話もしました。介添人が説明してくれたことを話したわ。手首が返り、コンラッドがものすごい勢いで突っこみ、文字通りあなたの剣先に飛びこんでいったこと。ウィルヘルムは理解し、許してくれた。そしてあなた宛にこの手紙を書いてくれたの」 彼女はポケットから小さな灰色の封筒を取り出した。封印にはホーエンツォレルン王家の紋章が押されていた。彼女はそれを手渡した。 「レオポルド、読んでみて」 彼は気乗りのしない指で手紙を受け取ったものの、頭を横に振った。 「宛名をご覧なさい」 彼は言われたように見た。のたくるような、奇妙な筆跡で、「サー・エヴェラード男爵へ」とあった。彼は不承不承に封を切り、手紙を取り出した。たった二週間前の日付になっていた。前置きも結びもなく、ただ厚い便せんに二つの文が記されていた。
貴殿がアイダーシュトルム家ステファニー王女に結婚を申し出ることは、予が望むところである。二人の婚礼には教会からは祝福が、王宮からは承認が与えられるだろう。 ウィルヘルム
ドミニーは口がきけなくなったように座っていた。彼女は彼を見ていた。 「これでもまだ抵抗する気?」どことなくうらみがましい、皮肉のこもった質問だった。「レオポルド、まさかわたしを愛していないというんじゃないでしょうね。あなたはいろいろな面でとても変わってしまった。もう愛情はなくなったの?」 彼の声は自分の耳にすらがさついて不自然に聞こえた。その言葉には道化者の品のない残忍さがみなぎっていた。 「現実的に無理だということです。考えても見てください!わたしはここの人にそう呼ばれている人間、この先何ヶ月もその振りをしなければならない人間、エドワード・ドミニー、この家の主人、ドミニー夫人の夫なのですよ」 「あなたの評判の奥様はどこにいるの?」ステファニーは顔をしかめて訊いた。 「ここ数ヶ月、療養所にいます。もう回復したも同然です。退院するまでそれほど長くはかからないでしょう」 「退院させないよう求めるべきだわ」 「そんなことをしたら、どんな疑いを招くか考えてみてください」ドミニーは強く訴えた。「それに他の人はみんなわたしを妻帯者だと思っている。どうして皇帝の命令をいいことにあなたと結婚などできるんです?」 彼女は不思議そうに彼を見た。 「命令に従わないというの?あなたがなりすました冷たいイギリス人のようにそこに座っている気なの?わたしの手に涙をこぼしたというのに。その唇で――」 「あなたが話しているのは死んだ人間のことです」ドミニーが相手を遮った。「彼はこの大計画が成功して生き返るまでこの世にいないのです。そのときまであなたの愛人は沈黙を守らねばならないのです」 彼女は怒りを爆発させた。支離滅裂なことを荒々しく口走り、彼の顔を自分の顔に引き寄せた。次の瞬間、彼に打ちかかろうとするかのように拳を握り締めた。彼女はわっとばかりに泣き崩れた。 「そんなに――そんなにつらくあたることはないでしょう、レオポルド。ああ!あなたの任務は大切だわ。最後までやり通さなければならない。でも皇帝は許可してくれたのよ。何か方法があるはずだわ。秘密裏に結婚することができるはず。そうでなくても、せめて口づけ、抱擁くらいは!わたしの心はあなたの愛に飢えているのよ、レオポルド」 彼は立ちあがった。彼女の腕が首にしがみついたままだった。その唇は激しく接吻を求め、目の光りは彼の目に食い入った。 「許してください、ステファニー。そのときが来るまで、たった一度のキスでも名誉を汚すことになるのです。その日まで待ってください。あなたもよくご存じのその日まで」 彼女は腕をほどき、小さく身震いした。傷ついた目はいぶかしそうに彼を見た。 「レオポルド、何があなたをこんなふうに変えてしまったの?何が情熱を干上がらせてしまったの?あなたは別人みたい。顔をよく見せてちょうだい」 彼女は相手の肩に手をかけ、電灯の下へ引っぱっていき、顔を覗きこんだ。暖炉の薪が音を立ててはぜた。閉ざされたドアの外からは、話し声と笑い声がかすかな波音のように聞こえてきた。彼女の呼吸は乱れ、目は相手の顔から仮面を引き剥がそうとしていた。 「他の人に心移りしたのかしら。アフリカに女はいなかった。噂の奥さん、ロザモンド・ドミニーは美しくて、あなたはとても大切しているそうね。あなたが戻ってから健康も回復して、あなたのことを慕っているとか。まさか――」 「それは違います。そんなことはしません」 「じゃ、何を見ているの?言ってご覧なさい」 彼女の目は部屋を出ていった影のごとき存在を追った。彼は再びほっそりした、少女にも似た姿を見たのだった。訴えるような黒い瞳には愛情を求める光りが宿り、唇は震えている。怯えた子供が彼に向かい、強い男に向かい、保護を求めて甘く訴えている。彼は柔らかい指が手にからみつくのを感じ、長い歳月によって無慈悲に押さえつけられていた感情が奇跡のように蘇る甘い陶酔感を味わった。そばにいる女の情熱が急に安っぽい、わざとらしいものに思え、彼を求める彼女の唇が何かおぞましいものに見えた。ドアに背を向けていた彼は、女の口から怒りのこもった失望の叫びが発せられるのを聞き、ようやく歓迎すべき侵入者のあったことを知った。振り返ると入り口にシーマンが立っていた。まさに天の助けだった。 「邪魔してまことに申し訳ない、サー・エヴェラード」丸い、にこやかな顔は本当にすまなそうにしていた。「急いでお知らせすべきだと思ってね。ちょっとよろしいですか」 王女は一言も挨拶せず、後ろを振り返ることもなく、彼らのわきを通り過ぎた。侮辱された女王のような物腰だった。恭しく道を譲ったシーマンの顔にひときわ深い心配の色が浮かんだ。 「何があったんだい?」ドミニーが訊いた。 「ドミニー夫人が戻ってきたんだ」彼は落ち着いて答えた。