入れかわった男

第十五章

Chapter 15 6,532 words Public domain Markdown

ノーフォーク狩猟の会のいちばん新しい、いちばん人気のある会員、サー・エヴェラード・ドミニー男爵は、ドイツから戻って数ヶ月後のある午後、裏の小山の頂きから屋敷の菜園まで長々と続く森の一角に立っていた。彼の左手には適当な距離を置いて四人の狩猟隊のメンバーが並んでいた。彼の隣にはミドルトンがトネリコの杖をついて立っていて、勢子の近づいてくる音を聞いていた。反対側の隣にはダークグレーのスーツに山高帽という妙に場違いな格好のシーマンが立っていた。年老いた狩猟場管理人は、時が経つとともに心配事などすっかり吹き飛んだのか、低い声でいたって満足そうにおしゃべりをつづけた。 「このあたりはドミニーの旦那様でないとだめなようですなあ」彼は空高く飛んでいたキジが頭上から落ちてくるのを見ながら言った。「先代の旦那様の時のことでした。あるとき、この場所をウェンダミア卿にお任せになったのです。卿はキジを撃たせたらイギリスじゃ指折りの名手でした。ですが、椋鳥の群れみたいに頭の上を飛んでいるっていうのに、午前中かかっても獲物は数羽、弾がかすって落ちたのだけだったんです」 「飛び出して急に右よりに身体をひねるんだろう?」再び見事な腕前で鳥を撃ち落としたドミニーは言った。 「その通りですよ、旦那様。しとめるこつを知っているのは、ドミニー家の方だけですな。あの外国の王子様とかいうお方は、鳥のこたあ随分知っていなさるそうだが、さすがにこのへんは任せられません」 老人は数歩丘をあがって、高いところから森を抜ける勢子の進み具合を観察した。シーマンが振り返り、いかにも感に堪えないような口調で言った。 「君は奇跡だよ。キジ狩りの腕までドミニーをまねたみたいだな」 「覚えているだろう、ハンガリーじゃ、もっと高く飛んでいるのを撃ち落としていた」彼はこともなげに言った。 「わたしは狩りはやらない」とシーマンは言った。「狩猟のことはさっぱり分からん。しかしこれだけは言える。生まれたときからこの土地に住み着いている老人が、君の射撃をうやまうように見て、銃の持ち方まで昔と変わっちゃいないと思っている」 「鳥が身体をひねるなんて、土地の人の迷信にすぎないよ。森の端は土地が傾斜しているんだ。だから実際よりも左の方を飛んでいるように見えるだけなのさ」 シーマンは森の側面をしばらくじっと見ていた。 「公爵夫人が来る。公爵と同じでわたしを嫌っているようだ。お偉い貴婦人なものだから思ったことをずけずけとぶつけてくる。行く前に一言だけ注意しておこう。アイダーシュトルム王女が午後到着するよ」 ドミニーは顔をしかめたが、管理人の叫びに応じてくるりと振り向くと、兎を撃ち殺した。

彼は抗議するように言った。「君は王女の訪問について全部を話してくれたわけじゃなかったのだな」 シーマンは一瞬考えこむような様子だった。 「そうだね。全部は話してなかった。これから気をつけよう」 彼は隣のハンターが獲物を待ちかまえているところへぶらぶらと歩いて行った。そこではミスタ・マンガンがドミニーとはおよそ正反対の射撃の腕を披露していた。数分後、公爵夫人がドミニーの側にやってきた。 「ヘンリーに、もう見ちゃいられないって言ってやったわ。四十発撃って、兎を一匹怪我させただけなんですもの」 「ヘンリーは熱心じゃありませんものね。でも少々手厳しすぎるんじゃありませんか。ついさっき大物の雄キジを持ってくるのを見ましたよ。鳥のことは気にしなくても大丈夫。いずれはみんな獲物となって屋敷に来るんですから」 公爵夫人は革を接ぎ合わせた、ひどくあか抜けた服を着ていた。厚底の靴に脚絆を巻き、小さな帽子をかぶっていた。血色は非常によかったが、なにかむっとしているような感じだった。 「ステファニーが今日来るんですってね」 ドミニーは頷いた。彼はじりじりするくらい射程距離の外を飛んでいる一匹の鳩を見つめているらしかった。 「数日こちらでお過ごしになる予定です。死ぬほど退屈すると思いますけどね」 「どこで彼女とそんなに親しくなったの?」従姉妹が興味津々尋ねた。 「初めてあったのは、カールトンホテルのレストラン。イギリスに着いて二、三日後のことです。わたしを別人と勘違いなさいましてね、ありきたりのお詫びを言って別れたんです。その日の晩、今度はカールトン・ハウス・テラスで会いました。ターニロフの友人だったんですよ。それからはしょっちゅう会いました。町にいたのはほんのわずかな期間だったけど」 「そう」公爵夫人は考えこんだ。「それもまたあなたがあらかじめ用意していたみたいな、驚くべき話の一つね。いったいドイツの大使とどうやってあれほど親しくなったのかしら?」 ドミニーは大らかに微笑んだ。 「別にそれほど意外なことじゃないでしょう。鉱山事業の共同経営者ミスタ・シーマンが大使のところへ連れて行ってくれたんです。大使は政治家としても、狩猟家としても東アフリカにとても関心をお持ちなんです。われわれとの会話が面白かったのでしょう、ある程度親しくおつき合いするようになりました。わたしもそのことを誇りに思っています。王子に対してはこの上ない尊敬と親しみを感じていますよ」 「わたしもよ。あの方は魅力的だと思うわ。ヘンリーは馬鹿か悪党か、どっちかだって言うけれど」 「ヘンリーは偏見に目がくらんでいるんですよ」ドミニーはちょっといらいらした。「ドイツ人は悪魔としか宴を張らないと思っているんですから」 「そんなに怒らないで」彼女は彼のコートの袖に軽く手を触れて懇願した。「わたしは王子を高く評価しているのよ。ドイツ人じゃ、あの人だけだわ、この人こそ紳士だとわたしが直感したのは。あら、何をにやにや笑っているの?」 ドミニーは真剣な顔を彼女に向けた。「にやにやなんかしていませんよ」 「笑っていたわ」 「ちょっと変なことを考えただけです。あなたは油断も隙もありませんね、キャロライン」 「わたしはめったに間違わないの。ステファニーの話に戻るけど」 「何でしょう?」 「彼女がカールトンのレストランであなたを誰と見間違えたか知っている?」 「教えてください」彼ははぐらかすように答えた。 「レオポルド・フォン・ラガシュタイン男爵」キャロラインは無表情に言った。「フォン・ラガシュタインはハンガリーで彼女の愛人だったの。夫を決闘で殺してしまい、皇帝がかんかんになって、彼を東アフリカに追放してしまったのよ」 ドミニーは狩猟ステッキを拾いあげ、銃をミドルトンに渡した。勢子が森を抜けて出てきた。 「ああ、そう言えば思い出した。彼女はわたしのことをレオポルドと呼んでいた」 「どうして彼女をここに呼ぶ必要があるのか、わたしにはどうしても分からない」相手はだだっ子のように言った。「また――レオポルドなんて呼ばれるかもしれないじゃない」 「そうしたら、知らん振りしてやりますよ。でも真面目な話、彼女はターニロフ王女の従姉妹だし、二人はとっても親しい間柄なんです。王女は狩りが大嫌いだから、二人一緒にいたら退屈しないだろうと思ったんです」 「とんでもないわ!ステファニーはあなたを独り占めしようとするわよ。それが狙いなんだから」 「つまり、本気でわたしをそっくりさんの代用品にしようと思っているってことですか」ドミニーはわざとぎょっとして見せた。 「あら、そうだとしても不思議はないわ!それにあの人はすこぶるつきの美人ですからね。わたしは不満ではち切れそうよ、エヴェラード。もう一人、嫌らしい小男もいるじゃない。シーマン。あなたも知っているでしょう、ヘンリーがあの人を見ただけで血相を変えること。彼と一緒に食事をするなんて、うちの主人、夢にも思ってなかったと思うわ」 「それは本当に残念だなあ。でも大使はシーマンに大変興味を感じていらっしゃるんです。彼が幹事を務める友好促進同盟のせいでね。彼を招待してくれと、大使から特に希望があったんです」 「でもヘンリーにとっては気詰まりな状況だわ。ロバーツ卿を別にすれば、ヘンリーは実質的に国民兵役運動の主導者ですからね。ドイツは大嫌いだし、ドイツ人を見ると誰彼かまわず不信感を抱くのよ。なのに、こんな小さなハウスパーティーで顔をつき合わせるのがドイツ大使と、ヘンリーが一生懸命もり立てている機運を必死になって眠らせようとしている男なんですもの」 「それじゃどうしようもありませんね」ドミニーは笑った。「でもそんなヘンリーでもターニロフは好いていますよ。それに時には敵と相まみえるのもいい刺激になります」 「もちろん主人はターニロフが好きよ。彼が憎んでいるのは、ターニロフが代表しているものなの。でもそんなことはみんな許してあげるわ、ステファニーさえ来なければ。あの女、本当に癇に障りだしたわ。いつもあなた方二人の感傷的な過去を、謎かけみたいにほのめかしたりして。それもあなたが追放された愛人に似ているっていう、それだけの理由で。カールトンホテルであの日顔をつき合わすまで会ったことなんてないのに!」 「彼女のことはまったく知りませんでしたよ」 「三ヶ月のうちに過去を作りあげてしまったとしたら、手の早さにかけては、あなた、ただ者じゃないわね」キャロラインは疑わしそうに言った。「よくものこのこ来られるものね。厚かましいにもほどがある。特にここは独身同然の男の家なんだから」 彼らは次の狩猟場に着き、会話はひとまず中断された。マガモの一群が森の池から追い立てられ、しばらく誰もが忙しかった。ミドルトンは相変わらず感心しながら主人を見ていた。 「高く飛びあがったカモを撃ち落とす腕は先代に引けを取りませんな、旦那様。キジのあとにカモが出てくると、弾がなかなか当たりません。信じられないくらいすばしこいですから」 「アフリカに行く前もあんなに上手だったと思う?」キャロラインが訊いた。 ミドルトンは帽子に手をやり、後ろに立っているシーマンを振り返った。 「こちらの旦那様にも今朝早く申しあげたんですがね、あの頃よりうまくなっていますよ、公爵夫人。前より冷静で、銃の動きにぶれがありません。ですが、旦那様の射撃はどこに行ったって見分けられまさあ」 シーマンの目に感嘆の光りがともった。勢子が森から出てきて、撃ち手たちは獲物が集められるあいだ、雑談に花を咲かせた。清々しい風と狩りの喜びがターニロフの顔からいつもの青白い色を吹き払い、彼は気さくで饒舌ですらあった。彼はザクセンに広大な地所を持っていて、公爵に自分の狩りのやり方を説明していた。ミドルトンは角枠の時計に目をやった。 「まだあと一時間は充分陽がありますよ、旦那様。ウズラ狩りになさいますか、それとも林のなかをさらってみますか」 「ひとつ提案なんですが」ターニロフが遠慮がちに言った。「ほとんどのキジがあの沼の向こうの陰鬱な森に逃げこんだんですよ」 一瞬、奇妙な沈黙があった。ドミニーは振り向いて、問題の森のほうを見ていた。まるでその不気味な黒さと密度に見とれているようだった。ミドルトンは持っていた獲物を落とし、ぶつぶつと独り言をいった。 ドミニーが落ち着いて答えた。「あれはブラック・ウッドと呼ばれているんです。あそこに逃げこんだキジは、ここは禁漁区だと主張しているんじゃないでしょうか。どう思う、ミドルトン?」 老人はゆっくり頭をめぐらし、主人を見た。どういうわけか、彼の赤銅色の顔から、色という色がことごとくかき消されてしまったように見えた。目は地方の農民にありがちな、魑魅魍魎に対する漠然とした恐れに満たされていた。彼は震える声で言った。昔の恐怖がまた舞い戻ってきたのだ。 「勢子たちをあそこに送りこみはしないでしょうね、旦那様」彼は口ごもった。「行きたいやつなどおりはしませんが」 「この土地のタブーに触れてしまったのかな?」公爵が訊いた。 「旦那様がお話になるでしょうが、このあたりだけの話じゃありません、公爵様。ノーフォークにブラック・ウッドを通り抜けようという勢子は一人もいませんよ。純金をやると言ったって駄目です。やあ、お前たち」 彼は少し離れて指示を待っている勢子の方を振り向いた。勢子は十二人おり、ほとんどががっちりした体格をしていた。粗末なスモックにズボンという姿で、太い棍棒を手にしていた。 ミドルトンは彼らに話しかけた。「こちらの紳士のお一人が、金貨を一人一枚出すから、ブラック・ウッドでかりたてをやるやつはいないかとおっしゃっている。――連中の顔をよく見てやってくださいよ、公爵様――どうだ、お前たち」 誰の目にも明らかだった。提案は彼らの頬から健康な日焼けを奪ってしまった。彼らは居心地悪そうに棍棒をいじくり回した。そのうちの一人が帽子に手をやり、ドミニーに語りかけた。 「わたしはあれを聞いただけじゃなくて、この目で見たんですよ。あそこに近づくくらいなら、農家をやめます」 キャロラインが突然ドミニーの腕を取った。その声にはいたたまれない気持ちがこもっていた。 「ヘンリーったら馬鹿ねえ!エヴェラード、わたしが悪かったわ。ごめんなさいね。うっかりしたの。すぐ彼の口を塞ぐべきだった。主人たら忘れっぽいのよ」 ドミニーの腕は彼女の指の圧力に一瞬、反応した。それから彼は勢子の方を向いた。 「誰もブラック・ウッドに行けなんて頼まないさ。ハントの刈り株畑の裏手に回ってくれ。キジを根本に誘いこんで、それから庭園の方に追い出すんだ。われわれは庭園の柵にそって立っている。それでどうだろう、ミドルトン?」 管理人は帽子に手を触れ、きびきびと歩き出した。 「わたしも一緒に行ってきます。フラーの曲がり角のところで、鳥どもは急に向きを変えますからな。側面から追い立てることができるかどうかやってみますよ。撃ち手の立ち位置はご存じでしょう、旦那様」 ドミニーは頷いた。勢子は誰も彼も、いつにないほど急いで目的地に移動した。彼らはブラック・ウッドに背を向けていた。ターニロフが主人に近づいてきた。 「ひょっとしてわたしがまずいことでも言ってしまったのかな?」 ドミニーは首を横に振った。 「お尋ねになって当然の質問をなさっただけですよ、王子。隠す理由もないのでお話しましょう。あの森の近くで悲劇が起きたのです。わたしがイギリスを何年も離れることになった悲劇が」 「それは申し訳なかった――」 ドミニーは王子を遮るように言った。「別にその話を避ける気はありません。わたしはあそこである晩、うらみを持つ男に襲われました。取っ組み合いの争いになり、わたしはいささか尋常じゃない格好で家に帰りました。わたしを見て妻はすっかり怯え、それ以来病気になってしまったのです。それはともかく、先ほどのような迷信が生まれ、わたしがずっと疑いの目で見られるようになったのは、わたしと争った男がそのときから行方不明になっているからなんですよ」 ターニロフはあまりにも物語に惹きつけられ、同時に、主人の語り方に謎めいたものを感じたものだから、つい謝ることを忘れてしまった。 「そのときから行方不明!」 「争いがどう決着したのか、わたしははっきり覚えていないのです。襲ってきた男が気を失って地面に倒れたのをそのまま残してきたと思うのですが」 「それではブラック・ウッドに出没するというのは彼の幽霊なのかね?」 ドミニーは忌まわしい思いを振り払うように身体をぶるっと震わせた。

彼は歩きながら、説明した。「王子、そもそもあの森は不快な場所なのです。中心部にさえ泥沼が幾つもあり、はまりこんだら、それまでです。ありとあらゆる害獣が跋扈し、藪のなかには汚らしい昆虫や鳥がいます。あの場所の性格が迷信を助長したのでしょう。今では誰もが固く信じています」 「地元の人はあそこに幽霊がいると思いこんでいるんだね?」 「それだけじゃありません。もう何年も人が入りこんだことのない森の奥には、超自然的な悪霊が住み着いていて、夜だけそこから出てきては、わたしの屋敷の窓辺で叫び声をあげるとまで言っています」 「見た人はいるのかね?」 「村の人が一人か二人。他にはいないはずです」 ターニロフは質問をつづけようとしたが、公爵が彼の肘に触れて、彼を一方の側に引き寄せた。まるで沼地からわき起こる霧に注意を引こうとしているかのようだった。 「王子、その話はドミニー夫人の狂乱とわかちがたく結びついているんですよ。お分かりいただけるでしょう」 指の先まで外交家である王子は、はっとした様子だった。しかし唇のかすかな笑みは絶やさなかった。 「自分の軽率を深く恥じます。サー・エヴェラード、アフリカで散弾銃狩りをしたときの話を聞かせてくれる約束でしたね。向こうにウズラのような鳥はいるんだろうか」 ドミニーは笑った。 「もう十分もすればミドルトンがウズラを追い立ててくるでしょうが、それが撃てるなら東アフリカのどんな鳥もしとめられますよ、おもちゃのパチンコでね。ヘンリー、もう少し左に立ったほうがいい。ターニロフは門のそば、スティルウェルは左の隅、マンガンがその次、それからエディの順だ。わたしは向こうの樫の木立のほうに立つよ。一緒に行きましょうか、キャロライン」 歩き出すとき、従姉妹は彼の腕を取り、強く握った。 「エヴェラード、お見事だったわ。あなたはちっとも取り乱さなかった。単純で、賢明な策だったわね、全部を打ち明けてしまうのは。ほとんど淡々と喋っていたじゃない。他人の話でもしているんじゃないかと思ったくらいよ」 主人は謎めいた微笑みを浮かべた。 「そんな印象をお持ちになったとは、不思議だな。実は喋りながらわたしも同じように思ったのです。ちょっとしゃがんでもらってもいいですか。合図の笛を鳴らしますから」