入れかわった男

第十三章

Chapter 13 4,977 words Public domain Markdown

シーマンの愛想のいい顔に陰りがあった。その日の朝、ミスタ・マンガンが出発したあと、オーバーコートに身をくるみ、主人と二人でテラスを散歩しているときのことだ。彼はいささか唐突に思っていることを相手にぶつけた。 「さっそくわたしが訪ねてきた目的について話そう。君にとっては素晴らしいニュースだ。しかしその前に……」 「決行のときが来たのか?」ドミニーは怪訝そうに訊いた。「しかし、君も知っての通り、わたしはここでまだ足場も固めちゃいないんだよ」 シーマンは冷淡な口調で説明した。「その足場固めについて一言言っておく。ケープタウンで出会ってから、われわれはずいぶんお互いを見てきた。君はわたしがどんな情熱と目的を持って生きているか知っている。息抜きいうのは、身体がひからびてぼろぼろにならない限り、人間には必要なものだが、その息抜きにうち興じているわたしの姿も多少は見ている。だから分っていると思うが、仕事の必要を離れたときのわたしは実は感傷的な男なんだよ」 「それは認めるよ」ドミニーはぼんやりと言った。 「君は大事業に乗り出した。君が本部から指令を受け取ったちょうどそのときに、ドミニーというイギリス人が君のキャンプにやってきた。これはまさしく天の配剤だった。君が練りあげた計画はわれわれ全員の賛成を得た。君は君の最終的な目的を達成するために、実にユニークな立場に置かれることになる。さて、わたしの言うことをよく聞いて、誤解しないようにしてくれ。計画を進める上で肝心なのは情け容赦のなさだ。目的達成に一歩でも近づくことができるなら、ありとあらゆるためらいも慎みも踏みにじる価値がある。しかし目的にとって役に立たない行為は醜いだけだ。わたしは幻滅を感じる」 「いったい何の話だ?」 「わたしは寝ているあいだも片耳だけはそば立てているんだよ」 「それで?」 「今朝早く、君が部屋を出るのを見た。ドミニー夫人を抱えて」 ドミニーの日焼けした顔にかすかな青みがさし、目がぎらりと金属のように光った。一度か二度、急いで呼吸を整えてようやく声を出すことができた。 「それが君と何の関わりがあるのだろう?」 シーマンは相手の腕をつかんだ。 「いいかね、われわれは固く結ばれている。ブラフは通用しない。わたしは君が他人になりすますのを手伝うためにここにいる。財産、地位、人柄といった点に関して。ちなみに君は今、それらを順調に回復しつつある。さらに君がありきたりの色恋にふけることに、わたしは少しも干渉しない。だが、これだけははっきり言っておく。いくら美しいからといって、心を病んでいる夫人を騙したり、かりそめの夫の地位につけこんだりするのは、国家にとってよほど利益になるという場合を除いて、プロシアの貴族が取るべき行いでは断じてない」 ドミニーの怒りは表面にあらわれることなく燃えつきてしまったようだった。彼は相手の言葉にほんのわずかの憤りさえ示さなかった。 「心配しなくていい、シーマン。微妙な立場だが、わたしは名誉を重んじる人間としてふるまう」 「それを聞いてほっとしたよ。今朝のことは、わたしを不安に陥れようとしてわざとやったのだな」 「君の率直な忠告は尊重する。実は昨日の晩、ドミニー夫人が嵐を怖がって、わたしの部屋に入ってきたのだ。安心してくれ。わたしは立場をわきまえ、尊敬と同情を持って彼女に接した」 「ドミニー夫人は奇妙な具合に予定を狂わせるかもしれない」シーマンは考えこむように言った。 「どんなふうにかね?」 「近所の人が共通して彼女に持っている印象があるね。彼女がただ一つのことに取り憑かれているということ、つまり君を憎んでいるということだ。彼女は君がこの家で再び一晩を過ごすことがあれば、君を殺すと誓いを立てた。君は大胆な男だから、当然、そんなことは無視した。しかし次の日の朝、寝間着に血がついていたそうじゃないか」 ドミニーはゆっくり眉毛をつりあげた。 「ずいぶん召使いたちに歓迎されているんだな」思わず嫌味を言った。 「われわれのためにも、君のためにも必要なことだ」そっけない返事が返ってきた。「話をつづけると、正気を失った人というのは、一度思いこむと、実に執念深いものなのだよ。昨日の晩の彼女には少しも君を殺そうという様子がなかった。彼女の愛想のよすぎる態度はわれわれの計画をあやうくしかねない。分かるかね」 「どういうふうに?」 「君の正体が疑われたとする。いや、その可能性が日ごとなくなってきていることは認めるが、もしも疑われるようなことがあれば、ドミニー夫人があっさり敵意をなくしてしまったことは、君が、君の主張する人物とは違うという強力な推定証拠になるだろう」 「なるほどね。その可能性は大いにある。しかし君のニュースとやらはそんなことじゃないだろう」 「そうだ。よろしい、聞きたまえ。またとないチャンスが君に訪れたのだ」 「聞かせてくれ」 「説明しよう。この二、三日ではっきり悟っただろうが、君の背後には金を湯水のように使う組織がある。戦争においても外交においても、ドイツは目的を達成するためなら金に糸目をつけない。昨日は抵当の返済のために、九万ポンドが君の預金口座に振りこまれた。何ヶ月後か何年後か知らないが、遺産を受け継ぐドミニー家の遠い親戚がその恩恵に浴するわけだ。金は回収しない。そんなものは日常的な出費の一項目に過ぎないんだ」 「わたしの立場を固めるためとはいえ、実に気前のいいやり方だ」とドミニーは認めた。 「気前がいいのは、長い目で見れば、それがいちばん安全だからだよ。一文無しで帰国していたら、君に親切な手を差し伸べる人なんか、誰もいなかっただろう。今でこそ完全に消えてしまったが、へたをすれば君への疑いが生まれていたかもしれないのだ。さらに、そのどちらよりも深刻なのは、君が社交界に出られなくなることだ。社交界への進出はわれわれの計画を推し進める上で、絶対必要なことなのだ」 「そろそろわたしが何をするべきか、もう少しはっきりさせる時じゃないか?」 「今朝、その話をするつもりだったんだ、このニュースがなければね。しかし、話のついでに言えば、これだけは約束できる。君はそんじょそこらのスパイのような、あざとい仕事をさせられることはない。われわれは別の目的のために君を必要としている」 「それでニュースというのは?」 「君の念願が聞き入れられたんだよ。皇帝が君との会見を望んでおられる。じきじきに指示を下したいとのことだ」 ドミニーはテラスの上で急に足を止めた。彼は相手と組んでいた腕をはずし、呆然と彼を見つめた。 「皇帝が?わたしはドイツに行くのか?」 「さっそく出発しよう。個人的には、こういうやり方は賢明だとも必要だとも思わない。しかしわたしに相談することなく決められてしまったのだ」 「わたしに言わせれば、これは自殺行為だよ。よりによってドイツに行くだなんて、理由をどう説明するんだ?こっちに、まだ、腰も落ち着けちゃいないのに」 「口実はなんとかなるさ。君の名義で株を買い取った鉱山は、ドイツの資本で運営されているものが多い。そのうちの一つが経営難に陥ったと言っても、誰も不思議には思わない。株主投票が必要な事態をでっちあげるよ。君は悩むことはない。それより、素晴らしいことじゃないか!一日とはいえ、追放の命令が解除されるんだ。もう一度、祖国の空気が吸えるんだぞ」 「それは素晴らしいな」ドミニーは低く言った。 「君には未来を予感させる息吹になるだろう。さあ、行動だ。わたしは行動するのが大好きなんだ!時刻表と運転手の用意をしたまえ」 二人は朝のうちに車でノリッジに向かい、そこからハリッジに行くことになった。ドミニーは旅の服装に着替えてミセス・アンサンクを呼んだ。間もなく彼女が書斎にあらわれた。彼は椅子を差し出したが、彼女は座ろうとしなかった。 「ミセス・アンサンク、どうして十年間も妻の付き添いで満足してきたのか、理由を教えてくれませんか」 ミセス・アンサンクはこの唐突な質問に驚いた。 しばらく間をおいて彼女は答えた。「ドミニー夫人がわたしを必要となさったからです」 「あなたは自分が妻にとって最上の付き添いであると考えますか?」 「他の人は誰も受け入れようとなさいませんでした」 「妻に心をこめて尽くしていますか?」 ミセス・アンサンクは見るからに頑固な、気性の激しい女だったが、明らかにドミニーの一連の質問に当惑させられているようだった。 「そうでなければこんなに長くお屋敷にいるでしょうか」 「わたしには妻があなたを必要とする理由が見いだせない。さらにあなたは、わたしのことを、息子を殺した犯人だと固く信じている人間の一人だ。妻に仕えているのは、キリスト教徒としての振る舞いですか。つまり悪に対して善をもって報いるということですか?」 「いったい何がおっしゃりたいのです、サー・エヴェラード」彼女は荒々しく訊いた。 「こういうことです。わたしは妻に健康を回復させてやるつもりです。そのために専門家をここに呼びます。そして何よりしばらく転地療養させようと思う。あなたがそばにいないほうがはるかに妻の回復に期待が持てる、わたしはそう思うのですよ」 「まさかわたしを追い出そうというのですか?」 「そうです。まだドミニー夫人には話していませんが、いずれ遠からず妻もわたしの意向に同意してくれるでしょう。あなたの経済的な将来は保証します。毎年三百ポンドの金を支給しましょう」 女は初めて気弱な態度を示し、震えはじめた。その目に奇妙な怯えが浮かんだ。 「ここを離れるわけにはいかないのです、サー・エヴェラード。ここにいなければならないのです!」 「なぜです?」 「ドミニー夫人はわたしなしではやっていけません」彼女はむっつりといった。 「それは妻が決めることです。聞くところによると、あなたは妻に、息子さんの幽霊が出るという、くだらない噂を積極的に吹きこんでいる。それにわたしに対する理不尽な憎しみをあおり立ててきた」 「理不尽ですって?」女は叫んだ。「あなたにそんなことが言えるのですか?両手を血に染めて帰ってきたくせに。あなたさえ邪魔しなければ奥様が愛していたはずの男の血に。それをよくも理不尽だなどと」 「言うべきことは以上です、ミセス・アンサンク。大事な用があって、二、三日ここを離れなければなりません。帰り次第、今言った方向で改めていきます」女の顔の奇妙な変化を見つめながら彼は言い添えた。「そのあいだのことですが、今朝ハリソン先生に手紙を書きました。午後からこちらに来てもらい、わたしが戻るまでドミニー夫人を直接お世話いただくことになっています」 彼女は相手を見ながらじっと立ちつくしていた。それから少しだけ近づくと、彼の顔を覗きこむように身を乗り出した。 「十一年あれば人は変わるもの。でも弱虫が治ったというのは聞いたことがない」 「これ以上話はありません。これからすぐ妻に会いに行きます」 車の警笛が鳴りはじめるころ、ようやくドミニーは妻の部屋に入ることを許された。彼女は暖かい紅色のゆるやかなガウンをまとい、彼が来るのを今か今かと待っていたようだった。強い憎しみは白い顔からも、異様なほど穏やかな瞳の奥からも消えていた。彼女は彼に向かって手を差し伸べ、軽く眉をひそめた。子供のような失望が彼女の態度にうかがわれた。 「お出かけになるの?」 「すぐ出かけなければならないんだ。君に会うため一時間待ったよ」 彼女は顔をしかめた。 「ミセス・アンサンクのせいよ。わざとわたしの持ち物を隠したのだと思うわ。会いたくてたまらなかったのに」 「ミセス・アンサンクのことで話がある。彼女に出ていってもらって、誰かもっと若い、親切な人に付き添ってもらうというのは嫌かい?」 それは彼女には考えることもできないことのようだった。 「ミセス・アンサンクは決して出ていかないわ。彼女はあの声を聞くためにここにいるのよ。一晩中耳をすませて待っていることもあるわ。声が聞こえると、ほっとするの」 「君は?」 「わたしは怖い。だってそんなに強くないもの」 「ミセス・アンサンクは好きじゃないんだね」彼は心配そうに尋ねた。 「ええ」困惑しながら彼女は答えた。「彼女は怖くてたまらない。でも、そんなことしても無駄よ、エヴェラード。絶対出ていこうとしないわ」 「わたしが戻ってきたら分かるさ」 彼女は相手の腕を取って、自分の両手を握り合わせた。 「あなたが行ってしまうなんて、残念だわ。早く戻ってきてね。そうしてくれるでしょう――あなた?」 ドミニーの爪が、握り締めた手の肉に食いこんだ。 「三日以内に戻ってくる」彼は約束した。 「あのね」彼女はこっそり秘密をささやくように言った。「最近、わたし、気持ちが変わったの。昨日そのことを話したけど、理由は教えなかったわね。もうわたしのことを怖がらないで。わたし、分かったのよ」 「何が分かったんだい?」彼はかすれた声で尋ねた。

彼女は声をひそめ、耳打ちするように言った。「わたし、わかったの。あなたの首に短剣を突きつけて、急に殺す気がなくなったあの瞬間に。あなたはときどきあの人そっくりだわ。でもあなたはエヴェラードじゃない。わたしの夫じゃないのよ。別人なのね」 ドミニーははっと息をのんだ。二人は連れだってドアの方へ歩いた。ミセス・アンサンクがやせ細った、酷薄な顔を、勝ち誇ったように輝かせ、目をぎらぎらさせながら立っていた。彼女の唇はまるでひとりでに動くかのように、女主人の言葉をくり返していた。 「別人!」