法螺男爵旅土産

Part 2

Chapter 2 14,258 words Public domain Markdown

拙生《せつせい》は第《だい》一|等《とう》の英國《えいこく》軍艦《ぐんかん》大砲《たいはう》百|門《もん》乗組員《のりくみゐん》四百|人《にん》といふのに乗《の》つて、北《きた》アメリカに向《むか》ひポーツマスを出發《しゆつぱつ》した。セントローレンス川《がは》へ三百リーグといふ所《ところ》に着《つ》くまでは、別《べつ》に話題《おはなし》になるやうな事《こと》も起《おこ》らなかつた。其時《そのとき》に船《ふね》は恐《おそ》ろしい勢《いきほひ》で岩《いは》に突中《つきあた》つた。拙生《せつせい》等《ら》は多分《たぶん》岩《いは》だらうと思《おも》つたが、鉛線《なまり》を下《おろ》して見《み》ても底《そこ》に屆《とゞ》かぬ。三百|尋《ひろ》下《おろ》したが更《さら》に手答《てごたへ》はなかつた。此《この》事件《じけん》を尙《な》ほ重大《ぢうだい》にし、且《か》つ拙生《せつせい》等《ら》の見當《けんたう》のつき兼《か》ねたのは、其《その》震動《しんどう》の烈《はげ》しかつた事《こと》で、船《ふね》は舵《かぢ》を失《うしな》ひ、斜桅《やりだし》を破《やぶ》り、檣《マスト》は悉《ことごと》く頂上《てつぺん》から底《もと》まで折《を》れ、二|本《ほん》は甲板《かんぱん》の上《うへ》に倒《たふ》れた。運惡《うんあし》く大帆索《おほほづな》を卷《ま》きに上《あが》つてゐた水兵《すゐへい》は少《すくな》くとも船《ふね》から三リーグの所《ところ》に跳飛《はねと》ばされたが、壽命《じゆみやう》の强《つよ》い男《をとこ》と見《み》えて、大《おほ》きな鷗《かもめ》の尻尾《しつぽ》に捉《つかま》つて生命《いのち》拾《びろ》ひをした。鷗《かもめ》は何《なに》も彼《か》も心得《こゝろえ》てゐるといつたやうに、件《くだん》の男《をとこ》を連《つ》れて船《ふね》に急《いそ》ぎ、以前《もと》跳飛《はねとば》された所《ところ》に置《お》いて行つた。震動《しんどう》の烈《はげ》しかつた實例《じつれい》を尙《もう》一つ擧《あ》げれば、甲板《デツキ》と甲板《デツキ》の間《あひだ》にゐた水兵《すゐへい》は上《うへ》の床《ゆか》に打付《うちつ》けられた位《くらゐ》、拙生《せつせい》の頭《あたま》の如《ごと》きは垂直《すゐちよく》に胃袋《ゐぶくろ》に押込《おしこ》まれて、舊《もと》の狀態《じやうたい》に歸《かへ》るまでには數《すう》ヶ月《げつ》かゝつた。此《この》理由《えたい》の分《わか》らぬ騷動《さうどう》に拙生《せつせい》等《ら》は且《かつ》は驚《おどろ》き且《かつ》は恐《おそ》れ、呆然《ばうぜん》自失《じしつ》してゐると、大《おほ》きな鯨《くぢら》の尻尾《しつぽ》が現《あら》はれたので、渙然《くわんぜん》として百事《ひやくじ》氷釋《ひやうしやく》した。鯨《くぢら》は水面《すゐめん》十六|尺《しやく》以内《いない》の所《ところ》で日向《ひなた》ぼつこをして眠《ねむ》つてゐたのである。ところを拙生《せつせい》共《ども》の船《ふね》が邪魔《じやま》をしたから腹《はら》を立《た》てたものと見《み》える。拙生《せつせい》共《ども》は通過《とほりす》ぎる途端《とたん》に、舵《かぢ》で其《その》鼻《はな》を引搔《ひつか》いた。そこで彼《かれ》は尾《を》を掉《ふる》つて、船尾《せんび》から後甲板《こうかんばん》一|帶《たい》を打《う》ち、殆《ほと》んど同時《どうじ》に、例《れい》の通《とほ》り下《おろ》してあつた大帆索《おほほづな》の碇《いかり》を把《と》り、口《くち》に啣《くは》へて船《ふね》を引《ひ》いた儘《まゝ》、一|時間《じかん》二十リーグの速力《そくりよく》で、少《すくな》くとも六十リーグ走《はし》つた末《すゑ》、幸《さいは》ひ鎖《くさり》が切《き》れて、拙生《せつせい》共《ども》は一|時《じ》に鯨《くぢら》と鎖《くさり》を失《うしな》つたのである。しかしながら數月《すうげつ》の後《のち》、ヨーロッパへの歸途《かへりみち》、拙生《せつせい》共《ども》は同《おな》じ場所《ばしよ》から數《すう》リーグの所《ところ》で、其《その》鯨《くぢら》の死《し》んで浮《う》いてゐるのを見《み》つけた。身長《たけ》は一|哩《まいる》半《はん》以上《いじやう》、斯《か》うした巨大《おほきい》ものは極《ご》く小部分《せうぶぶん》しか取入《とりい》れる事《こと》が叶《かな》はぬから、拙生《せつせい》等《ら》は短艇《ボート》を下《おろ》し、漸《やうや》くの事《こと》で頭《あたま》を切取《きりと》つたらば、例《れい》の碇《いかり》と鎖《くさり》が四十リーグ許《ばか》り、口中《こうちう》の左側《ひだりがは》、丁度《ちやうど》舌《した》の下《した》で蜷局《とぐろ》を卷《ま》いてゐた。是《これ》には一同《いちどう》大喜悅《おほよろこび》であつた。(多分《たぶん》是《これ》が鯨《くぢら》の死因《しいん》であつたらう。舌《した》の其側《そのがは》は甚《ひど》く腫上《はれあが》つて、焮衝《きんしよう》を起《おこ》してゐた。以上《いじやう》は此《この》航海《かうかい》中《ちう》に起《おこ》つた唯《ゆい》一の土產《みやげ》ばなしである。いや、尙《な》ほ言《い》ひ殘《のこ》した事《こと》が一つある。鯨《くぢら》が船《ふね》を引《ひ》いて走《はし》る途中《とちう》船《ふね》が洩《も》り始《はじ》めて、ポンプが總出《そうで》になつて働《はたら》いても、入《はい》つて來《く》る水《みづ》の方《はう》が多《おほ》かつた。が、仕合《しあは》せな事《こと》には第《だい》一に其《それ》を發見《はつけん》したのは拙生《せつせい》である。直徑《ちよくけい》一|尺《しやく》大《だい》の穴《あな》で、此《この》大《だい》軍艦《ぐんかん》が其《その》勇敢《ゆうかん》なる乗組員《のりくみゐん》諸共《もろとも》、唯《たゞ》拙生《せつせい》の頓智《とんち》によつて沈沒《ちんぼつ》を免《まぬか》れたといつたら、諸君《しよくん》は拙生《せつせい》の得意《とくい》を少《すこ》しは察《さつ》する事《こと》が出來《でき》るであらう。一|言《げん》すれば、拙生《せつせい》は其《その》穴《あな》の上《うへ》に坐《すわ》つたのである。これも拙生《せつせい》の祖先《そせん》が和蘭陀《オランダ》人《じん》から下《くだ》つたといふ事《こと》を御承知《ごしようち》なら、諸君《しよくん》は成《な》ある程《ほど》と感嘆《かんたん》致《いた》すであらう。

坐《すわ》つてゐた間《あひだ》はナカ〳〵冷《つめた》かつたが、間《ま》もなく大工《だいく》が修繕《しゆぜん》を加《くは》へて、拙生《せつせい》の務《つとめ》を解《と》いて吳《く》れた。 [#ここから1字下げ] *譯者《やくしや》曰《いは》く、是《これ》は男爵《だんしやく》が次《つぎ》の名高《なだか》い話《はなし》を引合《ひきあひ》に洒落《しやれ》たのであるが、其話《それ》を知《し》らぬ人《ひと》には聊《いさゝ》か樂屋落《がくやおち》の嫌《きらひ》がある。よつて其話《そのはなし》の筋《すぢ》を左《さ》に、 和蘭陀《おらんだ》は海《うみ》を敵《てき》とする國《くに》、海《うみ》より低《ひく》い土地《とち》が多《おほ》いから、堤防《ていばう》を築《きづ》いて水《みづ》を堰止《せきと》める。が、浪《なみ》は屢《しばし》ば此《この》堤防《ていばう》を破《やぶ》つて、人畜《じんちく》を殺《ころ》し家屋《かをく》を流《なが》す。或《ある》夕暮《ゆふぐれ》男《をとこ》の子《こ》が堤防《ていばう》に小穴《こあな》の明《あ》いたのに氣《き》がついた。水《みづ》が滴々《ちよぼり〳〵》と洩《も》つてゐる。彼《かれ》は堤防《ていばう》の大切《だいじ》な事《こと》を聞《き》いて承知《しようち》してゐた。直《す》ぐに家《うち》に走《はし》つて父《ちゝ》に吿《つ》げようかと思《おも》つたが、父《ちゝ》が驅付《かけつ》ける迄《まで》には日《ひ》が暮《く》れる、穴《あな》が見《み》つからなくなるかも知《し》れぬ、或《あるひ》は其間《そのあひだ》に穴《あな》が大《おほ》きくなるかも知《し》れぬ、と思返《おもひかへ》して、其子《そのこ》は其處《そこ》に坐《すわ》つて穴《あな》を押《おさ》へた儘《まゝ》、一夜《ひとよ》を明《あ》かした。朝《あさ》になつて人々《ひと〴〵》が其《それ》と心《こゝろ》づき、直《たゞ》ちに修繕《しゆぜん》を加《くは》へ、一|少年《せうねん》のお蔭《かげ》で一|地方《ちはう》が洪水《こうずい》を免《まぬか》れたといふ。 [#ここで字下げ終わり]

大魚《たいぎよ》の話《はなし》

拙生《せつせい》は或時《あるとき》地中海《ちちうかい》で、奇《ひよん》な事《こと》から一|命《めい》を殞《おと》す所《ところ》であつた。其《それ》は夏《なつ》の日《ひ》の午後《ひるすぎ》で、拙生《せつせい》はマルセーユ附近《ふきん》の心持《こゝろもち》よい海《うみ》で游泳《いうえい》をしてゐた。すると巨大《おほき》な魚《さかな》が大口《おほぐち》を開《あい》て、非常《ひじやう》な速力《そくりよく》で拙生《せつせい》に向《むか》つて來《く》るのを見《み》た。咄嗟《とつさ》の事《こと》で、避《よ》ける間《ま》も如何《どう》する間《ま》もない。拙生《せつせい》は直《たゞ》ちに足《あし》を縮《ちゞ》め手《て》を縮《ちゞ》め首《くび》を縮《ちゞ》め、生《うま》れたての子《こ》のやうに、出來《でき》る丈《だ》け身體《からだ》を小《ちひさ》くして、其儘《そのまゝ》大魚《たいぎよ》の喉《のど》に躍込《をどりこ》み、次《つ》いで胃《ゐ》の腑《ふ》に到着《たうちやく》した。そこで少時《しばらく》は眞暗黑《まつくらやみ》の中《なか》に凝《ぢ》つとしてゐた。暖《あたゝか》くて居心《ゐごゝろ》が好《よ》かつたらうつて?いや、諸君《しよくん》のお察《さつ》しの通《とほ》りだ。しかし拙生《せつせい》は考《かんが》へた――斯《か》う文字《もんじ》通《どほ》りに魚腹《ぎよふく》に葬《はうむ》られて了《しま》つては仕方《しかた》ない、何《ど》うにかして出《で》なければならぬ。それには痛《いた》い目《め》を見《み》せたら、大魚《たいぎよ》も拙生《せつせい》を持餘《もてあま》して竟《つひ》には吐出《はきだ》すであらう。運動《うんどう》する餘地《よち》は充分《じうぶん》あつたから、拙生《せつせい》はデングリカヘシを打《う》つ、トンボガヘリを爲《す》る、高飛《たかとび》幅飛《はゞとび》宙返《ちうがへ》りといふ風《ふう》に一生《いつしやう》懸命《けんめい》で惡戯《いたづら》をした。殊《こと》に英國踊《えいこくをどり》をやりながら足《あし》を早目《はやめ》に踏《ふ》むのが一|番《ばん》利《き》けたと見《み》え、其《それ》を始《はじ》めると間《ま》もなく、彼《かれ》は時々《とき〴〵》拙生《せつせい》を吐出《はきだ》しさうにする。拙生《せつせい》は此處《こゝ》を先途《せんど》と踊跳《をどりは》ねる。竟《つひ》に彼《かれ》は恐《おそ》ろしい聲《こゑ》を立《た》てゝ水中《すゐちう》に直立《ちよくりつ》し、頭《あたま》から肩《かた》へ掛《か》けて身體《からだ》を水面《すゐめん》に露出《あらは》した。其《それ》をイタリヤ商船《しやうせん》の人々《ひと〴〵》が見《み》つけて進《すゝ》み寄《よ》り、數分《すうふん》の後《のち》に、大魚《たいぎよ》は銛《もり》で仕止《しと》められた。魚《さかな》が甲板《かんぱん》の上に引上《ひきあ》げられてから間《ま》もなく、拙生《せつせい》は、一|番《ばん》澤山《たんと》油《あぶら》を取《と》るには何處《どこ》から切《き》つたら可《よ》からうかと、外《そと》で人々《ひと〴〵》の相談《さうだん》してゐる聲《こゑ》を聞付《きゝつ》けた。拙生《せつせい》はイタリヤ語《ご》が解《わか》るから、魚《さかな》を切《き》る拍子《ひやうし》に刄物《はもの》が拙生《せつせい》に當《あた》つては大變《たいへん》と實《じつ》に氣《き》が氣《き》でなかつた。動物《どうぶつ》の胃袋《ゐぶくろ》の廣《ひろ》さは十二三|人《にん》の大男《おほをとこ》を收容《しうよう》するに足《た》る。彼等《かれら》は無論《むろん》端《はし》の方《はう》から切始《きりはじ》めるだらうと思《おも》つて、拙生《せつせい》は胃袋《ゐぶくろ》の眞中《まんなか》に立《た》つてゐたが、拙生《せつせい》の恐怖《おそれ》は間《ま》もなく消失《きえう》せた。彼等《かれら》は下腹《したはら》から切《き》り始《はじ》めた。切口《きりくち》から光線《あかり》が差《さ》すや否《いな》や、拙生《せつせい》は最早《もはや》窒息《ちつそく》しさうだから早《はや》く助《たす》けて吳《く》れと呶鳴《どな》つた。何《なに》しろ魚《さかな》が人間《にんげん》のやうな聲《こゑ》を立《た》てたといふので、彼等《かれら》の驚愕《きやうがく》の性質《せいしつ》及《およ》び程度《ていど》は何程《なにほど》棒大《ぼうだい》に書《か》いても眞相《しんさう》を傳《つた》へる事《こと》が出來《でき》ぬ。そして裸體《はだか》の拙生《せつせい》が直立《ちよくりつ》したなり魚《さかな》の腹部《はら》から步《ある》き出《だ》した時《とき》には、彼等《かれら》の喫驚《きつきやう》は尙《な》ほ一層《ひとしほ》であつた。一|言《げん》すれば拙生《せつせい》は一|部《ぶ》始終《しじう》を唯今《たゞいま》諸君《しよくん》に話《はな》す通《とほ》り彼等《かれら》に話《はな》したのである。彼等《かれら》は呆《あき》れ返《かへ》つて水《みづ》を含《ふく》むだやうに默《だま》つて聽《き》いてゐた。

食物《しよくもつ》で元氣《げんき》をつけて、拙生《せつせい》は再《ふたゝ》び海《うみ》に飛込《とびこ》むで身體《からだ》を淸《きよ》めた。ぬら〳〵して生《なま》ぐさくて氣持《きもち》の惡《わる》かつた事《こと》!それから岸《きし》に游《およ》ぎ着《つ》いたらば、着物《きもの》は以前《もと》置《お》いた所《ところ》にあつた。時計《とけい》を出《だ》して見《み》ると、拙生《せつせい》は少《すくな》くとも四|時間《じかん》半《はん》魚《さかな》の腹《はら》の中《なか》にゐた勘定《かんぢやう》になる。

ヂブラルター包圍《はうゐ》の話《はなし》

先頃《さきごろ》のヂブラルター包圍《はうゐ》の間《あひだ》に拙生《せつせい》はロドニー卿《きやう》引率《いんそつ》の御用船《ごようせん》に乗《の》つて親友《しんいう》エリオット將軍《しやうぐん》に會《あ》ひに行《い》つた。其後《そのご》同《どう》將軍《しやうぐん》はヂブラルターを守《まも》つた功勞《てがら》により、永久《とこしへ》に凋《しぼ》まぬ桂《かつら》の冠《かむり》を得《え》た。拙生《せつせい》は將軍《しやうぐん》に伴《ともな》はれて、守備《しゆび》の情勢《じやうせい》視察《しさつ》並《ならび》に敵軍《てきぐん》の作戰《さくせん》見物《けんぶつ》に出《で》かけた。拙生《せつせい》はロンドンのドルランドで求《もと》めた最上《さいじやう》の望遠鏡《ばうゑんきやう》を携帶《けいたい》してゐた。其《その》力《ちから》を借《か》りて拙生《せつせい》は敵《てき》が拙生《せつせい》等《ら》の立《た》つてゐる所《ところ》を狙《ねら》つて三十六|舊砲《きうはう》を發射《はつしや》しようとしてゐるのを確《たしか》めた。そこで將軍《しやうぐん》に拙生《せつせい》の見《み》た所《ところ》を吿《つ》げると、將軍《しやうぐん》も望遠鏡《ばうゑんきやう》を覗《のぞ》いて、全《まつた》く貴下《きか》の觀察《くわんさつ》通《どほ》りぢやといふ。拙生《せつせい》は將軍《しやうぐん》の許可《きよか》を得《え》て、近傍《きんばう》の砲臺《はうだい》から四十七|臼砲《きうはう》を取寄《とりよ》せるやうに命《めい》じ、長《なが》い間《あひだ》砲術《はうじゆつ》の硏究《けんきう》をしてゐる難有《ありがた》さは、巧《たく》みに据付《すゑつけ》を終《をは》つて狙《ねら》ひを定《さだ》めた。

拙生《せつせい》は眤《ぢ》つと先方《せんぱう》の樣子《やうす》を覗《うかゞ》つてゐたが、敵《てき》が其《その》臼砲《きうはう》の火門《くわもん》に燐寸《マツチ》を置《お》くと同時《どうじ》に、『打《う》て!』と一|聲《せい》信號《あひづ》を發《はつ》した。

此方《こつち》の臼砲《きうはう》と先方《むかふ》の臼砲《きうはう》との殆《ほと》んど中途《ちゆうと》ぐらゐの所《ところ》で、雙方《さうはう》の彈丸《たま》は猛烈《まうれつ》な勢《いきほひ》で行當《ゆきあた》つた。結果《けつくわ》は實《じつ》に驚《おどろ》く可《べ》きもので、見《み》る〳〵先方《せんぱう》の砲丸《たま》は恐《おそ》ろしい勢《いきほひ》で退却《あとじさり》を始《はじ》め、發砲《はつぱう》した男《をとこ》の頭《あたま》を跳《は》ね飛《と》ばし、行當《ゆきあた》り次第《しだい》に十|有《いう》餘人《よにん》を殪《たふ》して、對岸《たいがん》アフリカ洲《しう》のバーバリーに逹《たつ》した。バーバリーに屆《とゞ》いた頃《ころ》は、既《すで》に一|列《れつ》に並《なら》むでゐた軍艦《ぐんかん》の檣《マスト》を三|本《ぼん》迄《まで》も貫通《くわんつう》して、大分《だいぶ》力《ちから》が拔《ぬ》けてゐたから、纔《わづ》かに一《いつ》日傭取《ひようとり》の小屋《こや》の屋根《やね》を貫《つらぬ》き、折《をり》から口《くち》を開《あ》いて晝寢《ひるね》をしてゐた其《その》老妻《らうさい》の無《な》け無《な》しの齒《は》を二三|本《ぼん》碎《くだ》いて、竟《つひ》に其《その》喉頭《こうとう》に止《とま》つた。間《ま》もなく亭主《ていしゆ》が歸《かへ》つて來《き》て、丸《たま》を拔取《ぬきと》らうとしたが、迚《とて》も駄目《だめ》なので、㮶杖《こみや》を用《もち》ゐて胃《ゐ》に押落《おしおと》して了《しま》つた。拙生《せつせい》等《ら》の砲彈《はうだん》は實《じつ》に偉大《ゐだい》の功《こう》を奏《さう》した。啻《たゞ》に敵彈《てきだん》を跳返《はねかへ》したのみならず、拙生《せつせい》共《ども》を狙擊《そげき》した臼砲《きうはう》を拂退《はらひの》けて荷倉《にぐら》に落《お》ち込《こ》み、力《ちから》餘《あま》つて船底《ふなぞこ》を貫《つらぬ》いた。船《ふね》は見《み》る間《ま》に浸水《しんすゐ》して、乗組《のりくみ》の西班牙《スペイン》水兵《すゐへい》一千、並《ならび》に多數《たすう》の陸兵《りくへい》と共《とも》に底《そこ》の藻屑《もくづ》となつて了《しま》つた。是《これ》は寔《まこと》に異例《いれい》の功績《こうせき》である。然《しか》りと雖《いへど》も、拙生《せつせい》は一|個《こ》に此《この》勲功《くんこう》を私《わたくし》しない。拙生《せつせい》の判斷《はんだん》が主動《しゆどう》であつたが、僥倖《げうかう》も亦《また》與《あづか》つて力《ちから》がある。後《のち》に聞《き》く所《ところ》によれば、我《わ》が四十九|臼砲《きうはう》を發射《はつしや》した砲手《はうしゆ》は、何《なに》かの考《かんが》へ違《ちが》ひで二|倍《ばい》の火藥《くわやく》を塡《つ》めたといふ。全《まつた》く然《さ》うでゞもなければ、敵彈《てきだん》を彈《はじ》き返《かへ》す等《など》といふ豫想外《よさうぐわい》の成功《せいこう》は决《け》して收《をさ》められるものでない。

此《この》獨得《どくとく》なる勞役《らうえき》の効果《かうくわ》を嘉《よ》みし、將軍《しやうぐん》は將來《しやうらい》拙生《せつせい》を重《おも》く用《もち》ゐたいといふ事《こと》であつたが、拙生《せつせい》は何《なに》も彼《か》も固辭《こじ》して、其《その》夕《ゆふべ》將校《しやうかう》一|同《どう》と共《とも》に晩餐《ばんさん》の食卓《しよくたく》に就《つ》いた時《とき》、唯《たゞ》鄭重《ていちよう》なる感謝《かんしや》の辭《じ》だけを受《う》けた。

海馬《たつのおとしご》の話《はなし》

拙生《せつせい》の有名《いうめい》な石投《いしなげ》は父《ちゝ》から直接《ちよくせつ》に受繼《うけつ》いだものである。是《これ》に就《つ》いて拙生《せつせい》は父《ちゝ》から次《つぎ》の物語《ものがたり》を聞《き》いた事《こと》がある。

父《ちゝ》は例《れい》の石投《いしなげ》をポッケットに入《い》れてハーウイッチの海岸《かいがん》を散步《さんぽ》してゐた。一|哩《まいる》とは行《ゆ》かぬ中《うち》に彼《かれ》は海馬《たつのおとしご》といふ恐《おそ》ろしい動物《どうぶつ》に襲《おそ》はれた。大口《おほぐち》を開《あ》いて勢《いきほひ》猛《まう》に飛《と》びかゝつたといふ。彼《かれ》は一寸《ちよつと》度膽《どぎも》を拔《ぬ》かれたが、直《たゞ》ちに百ヤード許《ばか》り退《しりぞ》き、石《いし》を二個《ふたつ》拾《ひろ》ふ爲《た》めに屈《かゞ》むだ。素《もと》より海岸《かいがん》の事《こと》だから石《いし》は澤山《たくさん》ある。彼《かれ》は石投《いしなげ》に込《こ》めるより早《はや》く動物《どうぶつ》を目蒐《めが》けて投《な》げ付《つ》けた處《ところ》、狙《ねら》ひ違《たが》はず兩方《りやうはう》の眼《まなこ》に中《あた》り、玉《たま》が飛出《とびで》た拍子《ひやうし》に、石《いし》は其《その》跡《あと》に聢乎《かちり》と嵌《はま》り込《こ》むだ。そこで彼《かれ》は其《その》動物《どうぶつ》に跨《またが》つて海《うみ》に乗込《のりこ》む。海馬《たつのおとしご》は眼《まなこ》を失《うしな》ふと同時《どうじ》に其《その》猛惡《まうあく》の性質《せいしつ》を失《うしな》つて、極《きは》めて從順《じうじゆん》になつたといふ。父《ちゝ》は例《れい》の石投絲《いしなげいと》を手綱《たづな》として動物《どうぶつ》の口《くち》に宛行《あてが》ひ、譯《わけ》もなく海《うみ》を渡《わた》り、三|時間《じかん》とは立《た》たぬ中《うち》に、約《やく》三十リーグの對岸《たいがん》に着《つ》いた。ホルランド、ヘルベツルイスの三盃《みつさかづき》の君《きみ》、此《この》海馬《たつのおとしご》を公衆《こうしう》の縦覽《じうらん》に供《きよう》したいとて强《た》つての懇望《こんまう》。そこで父《ちゝ》は七百ダカット即《すなは》ち三千|圓《ゑん》に値賣《ねうり》をして、翌日《よくじつ》御用船《ごようせん》でハーウイツチに歸《かへ》つて來《き》た。

鰕《えび》の木《き》の話《はなし》

拙生《せつせい》は父《ちゝ》が海馬《たつのおとしご》に乗《の》つて英國《えいこく》海峽《かいけふ》を橫切《よこぎ》り、ホルランドへ行《い》つた旅《たび》の中《うち》の極《ご》く重要《だいじ》な部分《ところ》を話《はな》し落《おと》した。間違《まちがひ》のないやうに父《ちゝ》の言葉《ことば》を借《か》りてお話《はなし》しよう。父《ちゝ》は此《この》話《はなし》を幾度《いくたび》となく友人《いうじん》に話《はな》し、其《その》都度《つど》拙生《せつせい》は承《うけたまは》つたから、確《たし》かなものである。で、次《つぎ》に拙生《せつせい》とあるは父《ちゝ》の事《こと》である。 ヘルベツルイスに到着《たうちやく》した時《とき》、拙生《せつせい》は呼吸《いき》づかひが苦《くる》しく見《み》えたさうだ。如何《どう》した譯《わけ》かと土地《とち》の人々《ひと〴〵》が訊《き》くから、實《じつ》は拙生《せつせい》のハーウイッチから乗《の》つて參《まゐ》つた動物《どうぶつ》は、泳《およ》いで來《き》たのではないと答《こた》へた。彼等《かれら》の特性《とくせい》として、彼等《かれら》は水面《すゐめん》に浮《うか》ぶ事《こと》も泳《およ》ぐ事《こと》も出來《でき》ぬ。彼等《かれら》は岸《きし》から岸《きし》まで海底《かいてい》の砂《すな》の上《うへ》を千萬《せんまん》の魚類《ぎよるゐ》を愕《おどろ》かして、話《はな》しても虛《うそ》のやうな速力《そくりよく》で走《はし》る。其《その》魚類《ぎよるゐ》の大部分《だいぶぶん》は尻尾《しつぽ》の尖端《さき》に頭《あたま》がついてゐるといふ工合《ぐあひ》で、拙生《せつせい》の懇意《こんい》にしてゐた魚《さかな》とは大分《だいぶ》形狀《けいじやう》を異《こと》にしてゐる。拙生《せつせい》は高《たか》さアルプス山脈《さんみやく》と伯仲《はくちう》の間《あひだ》にある岩脈《がんみやく》を通過《とほりこ》した。此《この》海底《かいてい》山脈《さんみやく》の最高所《さいかうしよ》は水面《すゐめん》から百|尋《ひろ》以上《いじやう》との事《こと》である。山腹《さんぷく》到《いた》る處《ところ》、大樹《たいじゆ》喬木《けうぼく》生《お》ひ茂《しげ》り、鰕《えび》蟹《かに》帆立貝《ほたてがひ》を始《はじ》めとして其他《そのほか》ありとあらゆる海產物《かいさんぶつ》が枝《えだ》を絞《しぼ》つて實《な》つてゐる。其中《そのなか》には唯《たゞ》一個《ひとつ》で、車《くるま》は愚《おろ》か牛車《うしぐるま》にも積《つ》み兼《か》ねるやうな大物《おほもの》がある。漁師《れふし》の手《て》に掛《かゝ》つて魚《うを》市場《いちば》へ出《で》るのは極《きは》めて劣等《れつとう》の種類《しゆるゐ》で、正《まさ》に波落《なみおち》といふ可《べ》き代物《しろもの》である。果樹園《くわじゆゑん》の果物《くだもの》の風《かぜ》に吹《ふ》き落《おと》されたものを風落《かざおち》と呼《よ》び、蟲《むし》に喰《く》ひ落《おと》されたものを蟲落《むしおち》と稱《しよう》するが如《ごと》く、此《この》海產林《かいさんりん》に波《なみ》が中《あた》つて枝《えだ》から振《ふる》ひ落《おと》したものを波落《なみおち》といふ。田螺《たにし》類《るゐ》は蔓木《つるぎ》で、蠣《かき》の木《き》の下《した》に生《は》える。恰《あたか》も蔦《つた》が樫《かし》の木《き》に卷付《まきつ》くやうに蠣《かき》の木《き》に絡《から》むで、田螺《たにし》は零餘子《むかご》のやうに實《な》つてゐる。拙生《せつせい》は處々《ところ〴〵》で破船《はせん》の結果《けつくわ》を見《み》た。其中《そのなか》に水面《すゐめん》から三|尋《ひろ》ばかりの岩山《いはやま》に突當《つきあた》つて沈沒《ちんぼつ》した船《ふね》があつた。沈《しづ》む時《とき》船側《ふなばら》が下《した》になつて、其處《そこ》に生《は》えてゐた鰕《えび》の木《き》を根拔《ねこぎ》にしたと見《み》える。其《それ》は春《はる》で未《ま》だ鰕《えび》が靑《あを》い頃《ころ》であつた。激《はげ》しい震動《しんどう》の爲《た》めに、實《み》は枝《えだ》を離《はな》れて、直《す》ぐ下《した》に生《は》えてゐた蟹《かに》の木《き》の枝《えだ》に落《お》ちた。そこで植物《しよくぶつ》の花粉《かふん》のやうに蟹《かに》の實《み》に結合《けつがう》して、蟹《かに》ともつかず鰕《えび》ともつかぬ一|種《しゆ》異樣《いやう》の魚《さかな》になつた。拙生《せつせい》は參考《さんかう》の爲《た》めに一|疋《ぴき》持《も》つて行《ゆ》かうと思《おも》つたが、荷厄介《にやくかい》になる上《うへ》に、拙生《せつせい》の海中《かいちう》ペガサスは頻《しき》りに急《いそ》ぎ、苟《いやし》くも旅《たび》を後《おく》れさせるやうな事《こと》は絕對的《ぜつたいてき》に拒《こば》むやうに見《み》えたから、不本意《ふほんい》ながら斷念《だんねん》した。且《か》つ當時《たうじ》は殆《ほと》んど旅程《りよてい》の中間《ちゆうかん》に逹《たつ》し、深《ふか》さ五百|尋《ひろ》の一|岩山《がんざん》を走《はし》つてゐて、空氣《くうき》の缺乏《けつぼふ》をソロ〳〵苦《くる》しく感《かん》じ始《はじ》めたから、餘計《よけい》な仕事《しごと》に手間《てま》を取《と》る氣《き》も出《で》なかつた。のみならず拙生《せつせい》の立場《たちば》は何《ど》の方面《はうめん》から見《み》ても甚《はなは》だ不愉快《ふゆくわい》であつた。拙生《せつせい》は幾多《いくた》の大魚《たいぎよ》に出會《であ》つた。其《そ》の開《ひら》いた口《くち》によつて察《さつ》するに、彼等《かれら》は拙生《せつせい》を呑《の》む事《こと》が出來《でき》るばかりでなく、確《たし》かに呑込《のみこ》む積《つも》りと見《み》えた。拙生《せつせい》の|ロ《*》ジナンテは盲目《めくら》であるから、拙生《せつせい》は苦《くる》しい中《なか》にも氣《き》をつけて此《この》種《しゆ》の動物《どうぶつ》を警戒《けいかい》せねばならなかつたのである。 [#ここから1字下げ] ペ《*》ガサスはベラーオホンの乗《の》つた翼《つばさ》のある駿馬《しゆんめ》、ロジナンテはドンキホーテの愛馬《あいば》である。 [#ここで字下げ終わり]

白熊《しろくま》の話《はなし》

我等《われら》はキヤプテン、フイリップ(今《いま》はマルグレーヴ卿《きやう》)の北極《ほくきよく》探險《たんけん》旅行《りよかう》を皆《みな》承知《しようち》してゐる。拙生《せつせい》は士官《しくわん》としてゞなく、私友《しいう》としてキヤプテンに同行《どうかう》した。

北緯《ほくゐ》大《おほい》に迫《せま》つた時《とき》、拙生《せつせい》は先《さき》のヂブラルターの冒險《ぼうけん》の節《せつ》紹介《せうかい》した望遠鏡《ぼうゑんきやう》を以《もつ》て周圍《あたり》の風物《ふうぶつ》を瞻望《せんぼう》してゐた。すると拙生《せつせい》は半《はん》リーグばかりの彼方《あなた》に、船《ふね》の檣《マスト》よりも尙《な》ほ高《たか》い氷山《ひやうざん》の上《うへ》で、白熊《しろくま》と白熊《しろくま》の喧嘩《けんくわ》をしてゐるのを見付《みつ》けた。で、拙生《せつせい》は早速《さつそく》銃《じう》を把《と》つて肩《かた》に引《ひ》つ擔《かつ》ぎ、氷《こほり》の山《やま》を登《のぼ》り始《はじ》めた。頂上《ちやうじやう》に逹《たつ》した時《とき》は表面《へうめん》の凹凸《おうとつ》啻《たゞ》ならず、動物《どうぶつ》に近寄《ちかよ》る事《こと》は困難《こんなん》であつたばかりか、言《い》はん方《かた》なく危險《きけん》であつた。時《とき》には底《そこ》も知《し》れぬ隙目《われめ》が道《みち》を妨《さまた》げる。其樣《そん》な場合《ばあひ》には目《め》を瞑《ねむ》つて飛越《とびこ》す外《ほか》に術《すべ》がなかつた。時《とき》には表面《へうめん》が鏡《かゞみ》のやうに滑《なめら》かで、步《ある》くよりは辷《すべ》る方《はう》が多《おほ》かつた。彈丸《たま》の屆《とゞ》く近《ちか》くに來《き》て見《み》ると、熊《くま》は咬合《かみあひ》でなく、巫山戯《ふざけ》合《あ》つてゐたのである。拙生《せつせい》は少時《しばらく》は其《その》毛皮《けがは》の價値《ねうち》を胸算用《むなさんよう》してゐた。各々《おの〳〵》肥《こ》えた雄牛《をうし》位《ぐらゐ》の大《おほき》さである。不幸《ふかう》にして銃《じう》を差出《さしだ》す刹那《せつな》、拙生《せつせい》は右《みぎ》の足《あし》を踏辷《ふみすべ》らせて、仰向樣《あふむけざま》に顚覆《ひつくりかへ》つた。正氣《しやうき》に返《かへ》つた時《とき》には既《すで》に述《の》べたる此《この》怪物《くわいぶつ》の一|疋《ぴき》が、拙生《せつせい》に覆重《おひかさ》なり、拙生《せつせい》のズボンの帶革《バンド》を捉《つか》み、足《あし》は前《まへ》、頭《かしら》は後《うしろ》といふ風《ふう》に、拙生《せつせい》を鞄吊《カバンさ》げに吊《さ》げて行《ゆ》く所《ところ》であつたから、其《その》驚愕《おどろき》は察《さつ》して貰《もら》ひたい。拙生《せつせい》此《この》時《とき》少《すこ》しも騷《さわ》がず、上着《うはぎ》のポッケットから短刀《たんたう》を把《と》るより早《はや》く、拔《ぬ》く手《て》も見《み》せずに熊《くま》の後足《うしろあし》をちよきつと切《き》ると、指《ゆび》が三|本《ぼん》ばらりと落《お》ちた。彼《かれ》は立所《たちどころ》に拙生《せつせい》を放《はな》して、聞《き》くも恐《おそ》ろしく咆《ほ》え猛《たけ》つた。拙生《せつせい》は直《たゞ》ちに銃《じう》を把《と》つて逃《に》げて行《ゆ》く所《ところ》を打《う》つと、丸《たま》は急所《きうしよ》を誤《あやま》たず、さしもの猛獸《まうじう》も即座《そくざ》に殪《たふ》れた。さて銃《じう》の響《ひゞき》が半《はん》哩《まいる》以内《いない》に眠《ねむ》つてゐた白熊《しろくま》を悉《ことごと》く起《おこ》した。今《いま》や彼等《かれら》は擧《こぞ》つて拙生《せつせい》の許《もと》に集《あつま》つた。眞《まこと》に咄嗟《とつさ》の間《あひだ》である。能《よ》く進退《しんたい》谷《きはま》る男《をとこ》だといふかも知《し》れぬが、拙生《せつせい》は全《まつた》く進退《しんたい》谷《きはま》る所《ところ》であつた。しかし恰《あたか》も善《よ》し、此《この》時《とき》拙生《せつせい》の腦細胞《なうさいぼう》に仕合《しあは》せな奇智《きち》が湧上《わきあが》つた。拙生《せつせい》は常人《ひと》が兎《うさぎ》を剝《は》ぐ時間《じかん》の半分《はんぶん》で、死《し》んだ白熊《しろくま》の皮《かは》を剝《は》ぎ、手早《てばや》く其中《そのうち》に身《み》を匿《かく》し、熊《くま》の頭《あたま》から頭巾《づきん》のやうに敵《てき》を覗《のぞ》いた。拙生《せつせい》の計畫《けいくわく》は自家《じか》防衞《ぼうゑい》の上《うへ》に大成功《だいせいこう》であつた。彼等《かれら》は皆《みな》鼻《はな》をクスン〳〵いはせて拙生《せつせい》を嗅《か》ぎ廻《まは》し、明白《あきらか》に拙生《せつせい》を兄弟分《きやうだいぶん》と心得《こゝろえ》てゐる。拙生《せつせい》は又《また》努《つと》めて猫背《ねこぜ》になつて、事《こと》の露顯《ろけん》を防《ふせ》がうとした。然《しか》しながら拙生《せつせい》は此《この》熊《くま》の大部分《だいぶぶん》は拙生《せつせい》よりも小《ちひさ》いといふ事《こと》に氣《き》がついた。彼等《かれら》は拙生《せつせい》を凝視《ぎようし》し、次《つぎ》に拙生《せつせい》に皮《かは》を剝《は》がれた朋輩《ほうばい》の死骸《しがい》を凝視《ぎようし》してから、我等《われら》は極《きは》めて社交的《しやかうてき》に見《み》えた。拙生《せつせい》は巧《たく》みに彼等《かれら》の動作《どうさ》を熊《くま》眞似《まね》小《こ》眞似《まね》する事《こと》が出來《でき》たから、大《おほい》に羽振《はぶり》が利《き》いたのでもあらうが、唸《うな》る事《こと》哮《ほ》える事《こと》相撲《すまふ》を取《と》る事《こと》にかけては、彼等《かれら》は何《ど》うしても拙生《せつせい》の先輩《せんぱい》であつた。時《とき》に拙生《せつせい》は斯《か》くして彼等《かれら》の間《あひだ》に作《つく》つた信用《しんよう》を如何《いか》にして利用《りよう》すべきかと考《かんが》へ始《はじ》めた。

脊柱《せきちう》の傷《きず》は直《たゞ》ちに人《ひと》を殺《ころ》すといふ。是《これ》は豫《か》ねて老軍醫《らうぐんい》から聞《き》いた事《こと》である。で、拙生《せつせい》は一つ此《この》說《せつ》を試驗《しけん》して見《み》る氣《き》になつて、再《ふたゝ》び短刀《たんたう》に手《て》を掛《か》け、遊《あそ》び戯《たはむ》れる風《ふり》をしながら、一|番《ばん》大《おほ》きな奴《やつ》の首筋《くびすぢ》をぐさりと刺《さ》した。――尤《もつと》も仕損《しそん》じた日《ひ》には、彼《かれ》は直《たゞ》ちに飛《と》び掛《かゝ》つて、拙生《せつせい》も微塵《みぢん》に裂《さ》くだらうとしか思《おも》へぬから、いや拙生《せつせい》の心痛《しんつう》は實《じつ》に一|通《とほ》りや二|通《とほ》りでなかつた。が彼《かれ》が少《すこ》しも音《おと》を立《た》てずに拙生《せつせい》の足下《あしもと》に殪《たふ》れた時《とき》は實《じつ》に嬉《うれ》しかつた。そこで拙生《せつせい》は味《あぢ》を占《し》めて、同《おな》じ方法《はうはふ》によつて一|疋《ぴき》殘《のこ》らず殺《ころ》す決心《けつしん》をして、些細《ささい》の困難《こんなん》もなく成功《せいこう》した。彼等《かれら》は同輩《どうはい》が拙生《せつせい》の手《て》の觸《さは》る每《ごと》に殪《たふ》れても、一|向《かう》に原因《げんいん》も結果《けつくわ》も疑《うたが》はなかつた。敵《てき》が悉《こと〴〵》く拙生《せつせい》の前《まへ》に殪《たふ》れた時《とき》、拙生《せつせい》は第《だい》二の|サ《*》ムソンになつたやうな心持《こゝろもち》がした。

其《それ》から後《さき》の事《こと》を簡單《かんたん》に辻褄《つぢつま》つければ、拙生《せつせい》は船《ふね》に戾《もど》つて船員《せんゐん》の三|分《ぶん》の一を借《か》り、手傳《てつだ》つて貰《もら》つて革《かは》を剝《は》ぎ、腿《ハム》を甲板《かんぱん》に搬《はこ》むだ。何分《なにぶん》大人數《おほにんずう》の事《こと》であるから、此《この》仕事《しごと》は三十|分《ぷん》ばかりで片付《かたづ》いた。他《ほか》の部分《ぶぶん》は悉皆《すつかり》海《うみ》に棄《す》てゝ了《しま》つたが、然《しか》る可《べ》き仕舞《しまひ》をつければ腿《ハム》同樣《どうやう》食料《しよくれう》になつた事《こと》拙生《せつせい》の毫《がう》も疑《うたがひ》を容《い》れぬ所《ところ》である。 [#ここから1字下げ] サ《*》ムソンは舊約《きうやく》全書《ぜんしよ》の人物《じんぶつ》、剛力《がうりき》の名《な》あり。 [#ここで字下げ終わり]

捕虜《ほりよ》を救《すく》ひたる話《はなし》

拙生《せつせい》はヂブラルターから歸《かへ》つて、英國《えいこく》に行《ゆ》く爲《た》めにフランスを通《とほ》つた。外國人《ぐわいこくじん》の事《こと》であるから、所謂《いはゆる》旅《たび》の耻《はぢ》は搔《か》き棄《す》てゞ、別段《べつだん》の不都合《ふつがふ》にも出合《であは》なかつた。カレーの港《みなと》で拙生《せつせい》は、戰爭《せんさう》で捕虜《ほりよ》になつた英國《えいこく》水兵《すゐへい》を乗《の》せて到着《たうちやく》したばかりの船《ふね》を見《み》た。拙生《せつせい》は直《たゞ》ちに此《この》勇敢《ゆうかん》なる軍人《ぐんじん》に自由《じいう》を與《あた》へてやりたいといふ義俠心《ぎけふしん》を起《おこ》し、次《つぎ》の如《ごと》くにして美事《みごと》成功《せいこう》した。

先《ま》づ長《なが》さ四十ヤード幅《はゞ》十四ヤードといふ大《おほ》きな翼《つばさ》を一|對《つゐ》拵《こしら》へて、拙生《せつせい》は萬象《ばんしやう》未《いま》だ夢《ゆめ》から覺《さ》めぬ朝《あさ》ぼらけ、否《いな》、甲板上《かんぱんじやう》の番兵《ばんぺい》までが眠《ねむ》つてゐる頃《ころ》に、大空《おほぞら》高《たか》く舞《ま》ひ上《あが》つた。次《つぎ》に船《ふね》の上《うへ》に舞《ま》ひ下《さが》つて、鉤《かぎ》を使《つか》つて例《れい》の石投《いしなげ》の絲《いと》を三|本《ぼん》檣《マスト》の頂點《ちやうてん》に結付《むすびつ》け、船體《せんたい》を水面《すゐめん》數《すう》ヤードの所《ところ》に引上《ひきあ》げてドーバーを指《さ》して海峽《かいけふ》を舞《ま》ひ始《はじ》め、三十|分《ぷん》にして無事《ぶじ》到着《たうちやく》した。最早《もはや》此上《このうへ》は翼《つばさ》の用《よう》もないから、其《それ》は其儘《そのまゝ》ドーバーの城主《じやうしゆ》に獻上《けんじやう》した。今《いま》まで彼《か》の地《ち》の博物館《はくぶつくわん》に參考品《さんかうひん》として殘《のこ》つてゐる。ドーバーへ行《い》つたら是非《ぜひ》見《み》て來《き》給《たま》へ。

捕虜《ほりよ》及《およ》び其《それ》を護送《ごさう》してゐた佛國《ふつこく》軍人《ぐんじん》は、ドーバーへ着《つ》いてから二|時間《じかん》に垂《なんな》んとする迄《まで》目《め》を覺《さ》まさなかつた。英人《えいじん》は事情《じじやう》を知《し》るや否《いな》や、直《たゞ》ちに佛人《ふつじん》と地位《ちゐ》を替《か》へ、且《か》つ捕獲《ほかく》された物品《ぶつぴん》を取戾《とりもど》した。彼等《かれら》は寛大《くわんだい》であるから進《すゝ》むで報復的《はうふくてき》に新捕虜《しんほりよ》の所有物《しよいうぶつ》を掠《かす》めるやうな事《こと》はしなかつた。

獵犬《れうけん》トレイの話《はなし》

拙生《せつせい》は船長《せんちやう》ハミルトンと共《とも》に東《ひがし》印度《いんど》諸島《しよたう》へ航海中《かうかいちう》、トレイといふ愛犬《あいけん》を連《つ》れてゐた。彼《かれ》は嗅犬《ポインター》で决《けつ》して拙生《せつせい》を欺《あざむ》いた事《こと》がないから、下世話《げせわ》で申《まを》す土《つち》一|升《しよう》金《かね》一|升《しよう》、體重《めかた》丈《だ》けを貴金《きん》で拂《はら》ふからといはれても、手放《てばな》し難《がた》い尤物《いうぶつ》であつた。或日《あるひ》我等《われら》の觀察《くわんさつ》によれば陸地《りくち》から少《すくな》くとも三百リーグの所《ところ》で、トレイは獲物《えもの》を嗅付《かぎつ》けた。拙生《せつせい》は驚愕《きやうがく》の餘《あま》り、殆《ほと》んど一|時間《じかん》といふもの、彼《かれ》の樣子《やうす》を見守《みまも》つて、船長《せんちやう》並《ならび》に乗組《のりくみ》の船員《せんゐん》に拙生《せつせい》の愛犬《あいけん》が獲物《えもの》を嗅付《かぎつ》けた以上《いじやう》は、既《すで》に陸地《りくち》は近《ちか》いのだらうと、事《こと》の次第《しだい》を話《はな》して聞《き》かせた。此《この》話《はなし》は一|同《どう》の大笑《おほわらひ》を買《か》つたが、笑《わら》はれたからといつて、拙生《せつせい》のトレイに對《たい》する信用《しんよう》は秋毫《しうがう》も變《かは》らぬ。押問答《おしもんだふ》の末《すゑ》、拙生《せつせい》は此《この》船《ふね》の船員《せんゐん》全體《ぜんたい》の眼《まなこ》よりもトレイの鼻《はな》に信用《しんよう》を置《お》くと大膽《だいたん》に言放《いひはな》ち、尙《な》ほ進《すゝ》むでは、若《も》し半時間《はんじかん》の中《うち》に獲物《えもの》が見付《みつ》からぬやうなら、拙生《せつせい》は船賃《ふなちん》丈《だ》けの金額《きんがく》、即《すなは》ち百ギニイを進呈《しんてい》すると申出《まをしで》た。船長《せんちやう》は人《ひと》の好《い》い男《をとこ》で、唯《たゞ》笑《わら》ふばかりで本氣《ほんき》にしない。そして船醫《せんい》のクローホート君《くん》に賴《たの》むで拙生《せつせい》の脈《みやく》を見《み》させた。クローホート君《くん》は賴《たの》まれなくても職分《しよくぶん》上《じやう》是非《ぜひ》一|應《おう》診察《しんさつ》せねばならぬといふ意氣込《いきごみ》で、拙生《せつせい》の脈《みやく》を計《はか》つたが、拙生《せつせい》の健康《けんかう》に異狀《いじやう》のない事《こと》を明言《めいげん》した。次《つぎ》の會話《くわいわ》が船長《せんちやう》と船醫《せんい》の間《あひだ》に行《おこな》はれた。低《ひく》い聲《こゑ》で而《しか》も少々《せう〳〵》離《はな》れてゐたが、拙生《せつせい》には聞取《きゝと》る事《こと》が出來《でき》た。 『精神《せいしん》に異狀《いじやう》があるのでせう。私《わし》は本氣《ほんき》で此樣《こん》な賭《かけ》をする氣《き》になれない。』『いゝえ私《わたし》の見立《みたて》では頭《あたま》は健全《たしか》なものです。矢張《やは》り此船《こゝ》の船員《せんゐん》の判斷《はんだん》よりは犬《いぬ》の嗅覺《きうかく》に重《おも》きを置《お》いてゐるのでせう。賭《かけ》を行《や》るといふなら行《や》つた方《はう》が宜《い》いぢやありませんか。先方《せんぱう》が負《ま》けるに定《きま》つてゐます。又《また》負《ま》けるのが當然《たうぜん》です。』『いや先方《せんぱう》が負《ま》けるに定《きま》つてゐるから、私《わたし》は二の足《あし》を踏《ふ》むのです。斯《か》う結果《さき》が目《め》に見《み》えて居《ゐ》ちや賭《かけ》になりませんからな。兎《と》に角《かく》後《あと》で金《かね》を返《かへ》す事《こと》にして一|番《ばん》驚《おどろ》かしてやらう。』 此樣《こん》な談話《はなし》の中《うち》にも、獵犬《れふけん》は同《おな》じ姿勢《しせい》をしてゐるから、拙生《せつせい》は尙更《なほさら》氣《き》が强《つよ》くなつて、再《ふたゝ》び賭《かけ》を促《うなが》すと、今度《こんど》は先方《せんぱう》も應《おう》じた。『宜《よろ》しい。』『宜《い》いとも。』が雙方《さうはう》の間《あひだ》に交換《かうくわん》されるかされないに、艫《とも》に繫《つな》いだ短艇《ボート》に乗《の》つて釣《つり》をしてゐた水夫共《すゐふども》が、巨大《おほき》な鯊《ふか》を銛《もり》に掛《か》けた。引上《ひきあ》げて油《あぶら》を取《と》る積《つも》りで切開《きりひら》くと、どうも驚《おどろ》く、此《この》動物《どうぶつ》の胃袋《ゐぶくろ》の中《なか》に生《い》きてる鷓鴣《しやこ》が六|對《つがひ》までゐた。

彼等《かれら》の胃《ゐ》の腑《ふ》の中《なか》に餘程《よほど》長《なが》い間《あひだ》ゐたと見《み》える。一|羽《は》の牝鳥《めんどり》は卵《たまご》を四個《よつ》抱《だ》いてゐた。尙《な》ほ一つの卵《たまご》は鯊《ふか》を開《ひら》いた時《とき》には丁度《ちやうど》孵《かへ》る所《ところ》であつた。雛鳥《ひなどり》は其《それ》から數分《すうふん》前《まへ》に生《うま》れた猫《ねこ》の子《こ》と一|緖《しよ》にして育《そだ》てた。親猫《おやねこ》は自分《じぶん》の四つ足《あし》の子《こ》と同樣《どうやう》に、別《わ》け隔《へだ》てなく此《この》鳥《とり》の子《こ》を可愛《かはゆ》がつたが、其《それ》が舞上《まひあが》つてナカ〳〵歸《かへ》つて來《こ》ない時《とき》には、見《み》る目《め》も氣《き》の毒《どく》のやうに心配《しんぱい》さうであつた。他《ほか》の牝鳥《めんどり》も絕《た》えず一|羽《は》以上《いじやう》は巢《す》について、船長《せんちやう》の食卓《しよくたく》には鷓鴣《しやこ》の絕《た》える事《こと》がなかつた。拙生《せつせい》はトレイのお蔭《かげ》で美事《みごと》百ギニー儲《まう》けたから、其《そ》のお禮《れい》として彼《かれ》には每日《まいにち》骨《ほね》を振舞《ふるま》ひ、時《とき》には鳥《とり》を總身《まるごと》遣《や》る事《こと》にした。

月《つき》世界《せかい》旅行《りよかう》談《だん》