法螺男爵旅土産

Part 1

Chapter 1 14,595 words Public domain Markdown

Produced by Masaki Shibata

Title: 法螺男爵旅土産 (Horadanshaku tabimiyage) Author: 佐々木邦 (Sasaki Kuni) Language: Japanese

Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka. (This file was produced from images generously made available by Kindai Digital Library)

Notes on the signs in the text

《...》 shows ruby (short runs of text alongside the base text to indicate pronunciation). Eg. 其《そ》

| marks the start of a string of ruby-attached characters. Eg. 十三|年目《ねんめ》

[#...] explains the formatting of the original text. Eg. [#ここから字下げ] -------------------------------------------------------

佐々木 邦譯述

法螺男爵旅土產

東京 内外出版協會

法螺《ほら》男爵《だんしやく》旅《たび》土產《みやげ》 佐々木邦譯

暴風《ばうふう》と胡瓜《きうり》の樹《き》の話《はなし》

拙生《せつせい》の髯《ひげ》が丁年《ていねん》到逹《たうたつ》の宣言《せんげん》をする以前《まへ》、もつと碎《くだ》いて申《まを》せば、最早《もはや》子供《こども》でもなく、さりとて未《いま》だ大人《おとな》でもない頃《ころ》、拙生《せつせい》は世界《せかい》觀光《くわんくわう》の渇望《かつばう》を口癖《くちくせ》のやうに洩《も》らしてゐた。ところが待《ま》てば海路《かいろ》の日和《ひより》とやらで、父《ちゝ》はセイロン島《たう》への航海《かうかい》に拙生《せつせい》の隨伴《おとも》を御許可《おゆるし》になつた。セイロン島《たう》には父《ちゝ》の叔父《をぢ》に當《あた》る人《ひと》が、知事《ちじ》として最早《もう》長《なが》い事《こと》居《ゐ》る。

我等《われら》はホルランド王室《わうしつ》の國書《こくしよ》を奉戴《ほうたい》してアムスターダムに纜《ともづな》を解《と》いた。此《この》航海《かうかい》中《ちゆう》一寸《ちよつと》記載《きさい》の價値《ねうち》あるのは暴風《ばうふう》の起《おこ》つた事《こと》である。それが尋常《じんじやう》一|様《やう》の暴風《ばうふう》でなく、我等《われら》が薪水《しんすゐ》を取込《とりこ》みに碇泊《ていはく》してゐた島《しま》の、高樹《かうじゆ》大木《たいぼく》を根拔《ねこぎ》きにした。啻《たゞ》に根拔《ねこぎ》にしたばかりでない。其中《そのうち》には何噸《なんとん》といふ重量《おもい》のがあつたけれど、其《それ》が風《かぜ》に攫《さら》はれて、果《は》ては宛然《まるで》空中《くうちゆう》に漂《たゞよ》ふ小鳥《ことり》の羽毛《はね》のやうに見《み》えた。少《すくな》くとも海拔《かいばつ》五|哩《まいる》の所《ところ》に逹《たつ》したのであらう。そして暴風《ばうふう》が止《や》むか、止《や》まないに、其木《そのき》が夫《そ》れ〴〵舊《もと》の所《ところ》に垂直《すゐちよく》に落《お》ちて再《ふたゝ》び根《ね》を張《は》るには拙生《せつせい》も一|驚《きやう》を喫《きつ》した。しかし一|番《ばん》大《おほき》い奴《やつ》は空中《くうちゆう》に吹上《ふきあ》げられた時《とき》、其枝《そのえだ》に木訥《ぼくとつ》な百姓《ひやくしやう》の老夫婦《らうふうふ》が乗合《のりあは》せてゐた。乗合《のりあは》せてゐたといふと馬車《ばしや》か何《なん》ぞのやうだが、實《じつ》は胡瓜《きうり》を把《と》つてゐたのである。世界《せかい》も此《この》地方《へん》になると日用《にちよう》の靑物《あをもの》は皆《みな》木《き》に實《な》つてゐる。さて此《この》夫婦《ふうふ》の體量《めかた》が幹《みき》の衡平《かうへい》を失《うしな》はせたから、大木《たいぼく》は平《ひら》たく地上《ちじやう》に落《お》ちて、折《をり》から通合《とほりあは》せた島《しま》の首領《しゆりやう》を即座《そくざ》に壓殺《おしころ》して了《しま》つた。首領《しゆりやう》は大木《たいぼく》が屋根《やね》に落《お》ちて、家《いへ》ぐるみ潰《つぶ》されてはならぬと思《おも》ひ、少時《しばらく》戶外《こぐわい》を徘徊《はいくわい》して、大分《だいぶ》木《き》も降《ふ》り止《や》むだからと、今《いま》し庭園《ていゑん》を通《とほ》つての歸途《かへりみち》に運好《うんよ》く腦天《なうてん》を打《う》たれたのである。此《この》運好《うんよ》くといふ文字《もんじ》は聊《いさゝ》か說明《せつめい》を要《えう》する。といふのは此《この》首領《しゆりやう》といふのは島《しま》一|體《たい》の鼻摘《はなつま》みで、獨身者《ひとりもの》であつたが、其《その》一人《ひとり》の貪慾《どんよく》と壓制《あつせい》の爲《た》めに良民《りやうみん》は殆《ほと》んど食《く》ふや食《く》はずの憂《う》き目《め》を見《み》てゐたのである。

此《この》惡漢《しれもの》の捥取《もぎと》つた財貨《たから》は空《むな》しく倉《くら》の中《なか》で唸《うな》つてゐるのに、奪《うば》はれた貧乏人《びんばふにん》は飢寒《きかん》に泣《な》くといふ有樣《ありさま》であつた。此《この》暴君《ばうくん》の沒落《ぼつらく》は全《まつた》く偶然《ぐうぜん》であつたが、縱令《たとひ》怪我《あやまち》の功名《こうみやう》にもせよ、兎《と》に角《かく》壓制者《あつせいしや》を退治《たいぢ》してくれたのだからと、人民《じんみん》は感恩《かんおん》の表示《しるし》に胡瓜《きうり》取《とり》夫婦《ふうふ》を戴《いたゞ》いて知事《ちじ》にした。

我等《われら》は此《この》暴風中《ばうふうちゆう》に被《かうむ》つた破損《はそん》を修繕《しゆぜん》して、新《しん》知事《ちじ》及《および》令夫人《れいふじん》に別《わかれ》を吿《つ》げ、目的地《もくてきち》に向《むか》つて順風《じゆんぷう》に帆《ほ》を揚《あ》げた。 それから約《やく》六|週間《しうかん》にして我等《われら》はセイロン島《たう》に着《つ》き、其處《そこ》で鄭重《ていちよう》な歡迎《くわんげい》を受《う》けた。次《つぎ》の珍奇《ちんき》な冒險《ばうけん》は多少《たせう》興味《きようみ》を惹《ひ》くであらう。

獅子《しゝ》と鰐《わに》の話《はなし》

セイロン島《たう》に滯在《たいざい》する事《こと》二|週間《しうかん》ばかりの後《のち》、或日《あるひ》拙生《せつせい》は知事《ちじ》の弟《おとうと》に連《つ》れられて、鐵砲打《てつぱううち》に出《で》かけた。

巨大《おほき》な湖《みづうみ》が拙生《せつせい》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。其《その》岸《きし》近《ちか》く來《く》ると、何《なに》か背後《うしろ》にガサ〳〵する音《おと》が聞《きこ》えたと思《おも》つて、振返《ふりかへ》つて見《み》ると、拙生《せつせい》は殆《ほと》んど石化《せきくわ》して了《しま》つた。蓋《けだ》し此《この》場合《ばあひ》恐《おそ》らくは石化《せきくわ》せぬ人《ひと》はなからうと思《おも》ふ。と申《まを》すは一|疋《ぴき》の獅子《しゝ》が目《め》に付《つ》いたのである。明白《あきらか》に當方《たうはう》を目差《めざ》して、拙生《せつせい》の蚊《か》の脛《すね》のやうな體軀《からだ》を以《もつ》て食慾《しよくよく》を滿《み》たさうとして進《すゝ》むでまゐる。それも當方《たうはう》の承諾《しようだく》を求《もと》めずに遂行《すゐかう》しようといふのだから、恐《おそ》れ入《い》らざるを得《え》ない。此《この》進退維谷《ヂレンムマ》に際《さい》して如何《いか》に處决《しよけつ》す可《べ》きか?拙生《せつせい》は全然《まつたく》考慮《かうりよ》の餘地《よち》がなかつた。拙生《せつせい》の鐵砲《てつぱう》には白鳥彈《はくてうだま》が込《こ》めてあるばかり、其《それ》より大《おほき》い彈丸《たま》は生憎《あいにく》にも何《なん》にも持合《もちあは》せがない。しかし白鳥彈《はくてうだま》で此《この》動物《どうぶつ》を殪《たふ》し得《え》ようとは思《おも》はなかつたが、兎《と》に角《かく》砲聲《おと》で驚《おどろ》かせ、尙《な》ほ多少《たせう》怪我《けが》をさせてやれる位《くらゐ》の見込《みこみ》はあつたから、先方《せんぱう》が然《しか》る可《べ》き距離《きより》に來《く》るのも待《ま》たず、拙生《せつせい》は火葢《ひぶた》を切《き》つて了《しま》つた。砲聲《おと》は却《かへ》つて動物《どうぶつ》の憤怒《いかり》を增《ま》した。彼《かれ》は今《いま》や急《きふ》に步《あし》を早《はや》めた。全速力《ぜんそくりよく》で近寄《ちかよ》つて來《く》るやうに見《み》えた。拙生《せつせい》は逃《に》げようと思《おも》つたが、其《それ》は却《かへ》つて心痛《しんつう》を增《ま》したに過《す》ぎぬ。といふのは振返《ふりかへ》り樣《さま》、拙生《せつせい》は拙生《せつせい》を呑込《のみこ》むために大口《おほぐち》を開《あ》いた鰐《わに》と危《あや》うく鉢合《はちあは》せをする所《ところ》であつた。前《まへ》に述《の》べた通《とほ》り右手《みぎて》は湖水《こすゐ》である。左手《ひだりて》は絕壁《きりぎし》である。落《お》ちれば下《した》は猛獸《まうじう》の巢窟《さうくつ》だと後《あと》から聞《き》いて承知《しようち》した。短言《たんげん》すれば、獅子《しゝ》は最早《もはや》後脚《あとあし》で立上《たちあが》り、今《いま》にも掴蒐《つかみかゝ》りさうにしてゐるから、最早《もはや》生命《いのち》は無《な》いものと觀念《くわんねん》して、拙生《せつせい》は恐懼《きようく》の餘《あま》り、無意識的《むいしきてき》に其《その》場《ば》に平伏《つツぷ》した。後《あと》から察《さつ》するに、獅子《しゝ》は直《たゞ》ちに飛蒐《とびかゝ》つたに相違《さうゐ》ない。拙生《せつせい》は姑《しばら》くの間《あひだ》言語《げんご》に述《の》べがたき心情《こゝろもち》で刻々《こく〳〵》猛獸《まうじう》の牙《きば》か爪《つめ》が身體《からだ》の何處《どこ》にか當《あた》るだらうと待《ま》つてゐた。數秒《すうべう》の間《あひだ》尙《な》ほ腹這《はらばひ》のまゝ待《ま》つと、熱烈《ねつれつ》且《か》つ異樣《いやう》な叫音《さけび》を聞《き》いた。曾《かつ》て拙生《せつせい》の耳《みゝ》を煩《わづら》はした音響《おんきやう》の中《うち》に、之《これ》に似寄《によ》つたものは一つもない、と其《その》時《とき》は恐《おそ》ろしくて無我《むが》夢中《むちゆう》だつたが、後《あと》から然《さ》う思《おも》つた。しかし事情《じじやう》を見《み》れば、其《それ》も道理《だうり》で、聲《こゑ》の出所《でどころ》が分《わか》れば、諸君《しよくん》も夫《そ》れ然《しか》り豈《あに》夫《そ》れ然《しか》らざらんやと合點《がつてん》の行《ゆ》く事《こと》であらうと存《ぞん》ずる。拙生《せつせい》は尙《な》ほ少々《せう〳〵》聞耳《きゝみゝ》を立《た》てゝ、死《し》ぬか生《い》きるかと頭《あたま》を擡《もちあ》げて、周圍《あたり》を見廻《みまは》すと、獅子《しゝ》は拙生《せつせい》に飛付《とびつ》く方《はう》に氣《き》を取《と》られた餘勢《よせい》で、拙生《せつせい》が倒《たふ》れた刹那《せつな》、既《すで》に申《まを》した通《とほ》り廣《ひろ》く開《あ》いた鰐《わに》の口《くち》に飛込《とびこ》むだのである。前者《ぜんしや》の頭《かしら》は後者《こうしや》の喉《のど》に嵌《はま》り、此《これ》は其《それ》を吐出《はきだ》さう、彼《かれ》は其《それ》を拔取《ぬきと》らうで、轉々《てん〳〵》悶々《もん〳〵》してゐる。之《これ》を見《み》た拙生《せつせい》の歡喜《よろこび》は寔《まこと》に何《なん》に例《たと》へやうもなかつた。運好《うんよ》く拙生《せつせい》は腰《こし》に付《つ》けた獵刀《れふたう》を思出《おもひだ》して、名刀《めいたう》の難有《ありがた》さ、唯《たゞ》一擊《ひとうち》で獅子《しゝ》の頭《くび》を落《おと》した。血《ち》が颯《さつ》と迸《ほとばし》つて、首《くび》のない死骸《しがい》が、足元《あしもと》に蹣跚《ぐたり》と倒《たふ》れた時《とき》の心地《こゝろもち》の惡《わる》さ!次《つぎ》に拙生《せつせい》は獵銃《れふじう》の臺尻《だいじり》で、獅子《しゝ》の頭《あたま》を鰐《わに》の喉《のど》に突込《つきこ》み突込《つきこ》み、到頭《たうとう》窒息《ちつそく》させて鰐《わに》も殺《ころ》して了《しま》つた。彼《かれ》は呑下《のみくだ》す事《こと》も出來《でき》ず、吐《は》き出《だ》す事《こと》も叶《かな》はなかつたのである。

斯《か》くして拙生《せつせい》が二|强敵《きやうてき》を平《たひら》げると間《ま》もなく、同伴《つれ》の男《をとこ》が拙生《せつせい》を探《さが》しに來《き》た。拙生《せつせい》が彼《かれ》の後《あと》を追《お》はぬに心付《こゝろづ》いて、さては道《みち》を踏違《ふみちが》へたか、それとも何《なに》か變事《まちがひ》が起《おこ》つたかと、早速《さつそく》引返《ひきかへ》して來《き》たとの事《こと》。 お互《たがひ》に成功《せいこう》を祝《しゆく》した後《のち》、拙生《せつせい》は鰐《わに》の身長《たけ》を量《はか》つて見《み》たら、丁度《きつかり》四十|尺《しやく》あつた。

深雪《みゆき》と高塔《かうたふ》の話《はなし》

拙生《せつせい》は冬《ふゆ》の最中《さなか》にロシヤの旅《たび》を思立《おもひた》つた。旅人《たびゞと》は口《くち》を揃《そろ》へて、ドイツ北部《ほくぶ》ポーランド、コーアランド、リボニヤ等《など》の道路《だうろ》險惡《けんあく》を言《い》ふが、拙生《せつせい》は嚴寒《げんかん》なれば雪《ゆき》と氷《こほり》で却《かへ》つて道《みち》が容易《らく》だらうと考《かんが》へたのである。拙生《せつせい》は馬《うま》で出掛《でか》けた。これが最《さい》簡便《かんべん》の旅行《りよこう》法《はふ》だと思《おも》つたので。其《その》中《うち》に夜陰《やいん》と暗黑《あんこく》が追着《おひつ》いた。村《むら》は一個《ひとつ》も見《み》えぬ。地《ち》は一|面《めん》に雪《ゆき》が降積《ふりつ》むでゐる。拙生《せつせい》は道《みち》は全《まつた》く不案内《ふあんない》である。

拙生《せつせい》は草臥《くたび》れて馬《うま》から下《お》りて、雪《ゆき》の上《うへ》に現《あら》はれてゐた尖《とが》つた木《き》の幹《みき》のやうなものに馬《うま》を繋《つな》いだ。護身《ごしん》の爲《た》めにピストルを腕《うで》の下《した》に置《お》いて一|睡《すゐ》を貪《むさぼ》つた。能《よ》く眠《ねむ》つたものと見《み》えて、覺《さ》めた時《とき》には最早《もはや》日《ひ》が昇《のぼ》つてゐた。しかし氣《き》が付《つ》いて見《み》ると、拙生《せつせい》は村《むら》の中央《まんなか》の敎會堂《けうくわいだう》の墓地《ぼち》に寢《ね》てゐる。是《これ》には何《なん》とも言《い》ひやうなく喫驚《びつくり》した。そして尙《な》ほ拙生《せつせい》の馬《うま》が見《み》えぬ。間《ま》もなく何處《どこ》か上《うへ》の方《はう》で、奴《やつ》の嘶《いなゝ》く聲《こゑ》がした。思《おも》はず見上《みあ》げると、更《さら》に仰天《ぎやうてん》した事《こと》には、會堂《くわいだう》の高塔《かうたふ》の上《うへ》の風見《かざみ》に拙生《せつせい》の馬《うま》が手綱《たづな》で繋《つな》いである。事態《じたい》は直《たゞ》ちに闡明《せんめい》した。所謂《いはゆる》大陸《たいりく》氣候《きこう》の激變《げきへん》で、雪《ゆき》が解《と》けるに從《したが》つて、拙生《せつせい》は熟睡《じゆくすゐ》の儘《まゝ》徐々《じり〳〵》と此《この》會堂《くわいだう》の墓地《ぼち》まで下《お》りて來《き》たのである。昨夜《さくや》暗黑《くらやみ》紛《まぎ》れに木《き》の幹《みき》と見《み》て馬《うま》を繋《つな》いだのは實《じつ》は會堂《くわいだう》の高塔《かうたふ》の風見《かざみ》であつた。

斯《か》う次第《しだい》が分《わか》れば面倒《めんだう》も何《なに》もない。拙生《せつせい》は直樣《すぐさま》ピストルを取出《とりだ》して、狙《ねら》ひ定《さだ》めて引金《ひきがね》を引《ひ》き、美事《みごと》手綱《たづな》を二つに絕《た》ち、恙《つゝが》なく馬《うま》を下《おろ》して時《とき》を移《うつ》さず旅《たび》を續《つゞ》けた。(流石《さすが》の男爵《だんしやく》も此處《こゝ》では大《おほ》手稃《てぬかり》をしてゐる。長《なが》い間《あひだ》馬《うま》を餓《う》えさせたのだから、飼葉《かひば》を命《めい》じた位《くらゐ》の事《こと》は言《い》つて置《お》く筈《はず》だと思《おも》ふ。)

馬具《ばぐ》に入《はい》つた狼《おほかみ》

馬《うま》は拙生《せつせい》を乗《の》せて能《よ》く走《はし》る。ロシヤ内地《ないち》に入《はい》つてから拙生《せつせい》は騎馬《きば》旅行《りよかう》は何《ど》うやら冬季《とうき》の流行《りうかう》でないと合點《がてん》した。そこで常例《じやうれい》に從《したが》つて其《その》國《くに》の習慣《しふくわん》を採用《さいよう》し、單《たん》馬橇《ばそり》を求《もと》め、ペテスブルヒを目《め》がけて韋駄天《ゐだてん》驅《が》りに進《すゝ》むだ。イーストランドであつたか、ヂャゲマンランドであつたか、精《くは》しくは思出《おもひだ》せないが、兎《と》に角《かく》寂《さび》しい森《もり》の唯《たゞ》中《なか》だつたと記憶《きおく》する。拙生《せつせい》は恐《おそ》ろしい狼《おほかみ》の嚴冬《げんとう》の餓《うゑ》に驅《か》られて、全速力《ぜんそくりよく》で追《お》つて來《く》るのに氣《き》がついた。と思《おも》ふ間《ま》に狼《おほかみ》は追着《おひつ》いたから、到底《たうてい》遁《のが》れる術《すべ》はない。拙生《せつせい》は唯《たゞ》機械的《きかいてき》に橇《そり》の中《なか》に平伏《へいふく》して、無上《むしやう》に馬《うま》を走《はし》らせた。ところが間《ま》もなく拙生《せつせい》の願《ねが》つた事《こと》で、而《しか》も此際《このさい》到底《とても》出來《でき》ない相談《さうだん》だと諦《あきら》めてゐた一|事《じ》が起《おこ》つた。と申《まを》すは、狼《おほかみ》は拙生《せつせい》には毫《すこし》も目《め》を吳《く》れず、頭《あたま》の上《うへ》を跳越《はねこ》して、狂亂《きやうらん》のやうに馬《うま》の尻《しり》に獅嚙付《しがみつ》き、直《たゞ》ちに憐《あは》れむ可《べ》き動物《どうぶつ》の臀部《でんぶ》を搔毟《かきむし》つて肉《にく》を貪《むさぼ》り始《はじ》めた。拙生《せつせい》は自分《じぶん》丈《だ》けは安全《あんぜん》、最早《もはや》見《み》つかる氣遣《きづかひ》なしと、窃《ひそか》に頭《あたま》を擡《もた》げて樣子《やうす》を覗《うかが》つたが、既《すで》に狼《おほかみ》が馬《うま》の腹部《ふくぶ》まで喰込《くひこ》むでゐるのには何《なん》とも名狀《めいじやう》し難《がた》い恐《おそ》ろしい心持《こゝろもち》がした。頭《あたま》の方《はう》まで喰貫《くひつらぬ》いたのは其《それ》から良《やゝ》少時《しばらく》の事《こと》で、時分《じぶん》は好《よ》しと拙生《せつせい》は鞭《むち》の柄《え》で懸命《けんめい》に狼《おほかみ》を突《つ》いた。此《この》思《おもひ》がけない背面《はいめん》攻擊《こうげき》に狼《おほかみ》は膽《きも》を潰《つぶ》して馬《うま》の死骸《しがい》を筒拔《つゝぬ》け、到頭《たうとう》馬具《ばぐ》の中《なか》に四合《しつくり》篏《はま》つて了《しま》つた。同時《どうじ》に馬《うま》は摚乎《ばたり》と倒《たふ》れる。さあ拙生《せつせい》は必死《ひつし》になつて鞭《むち》を揮《ふる》ひ、打《う》つわ〳〵。竟《つひ》に拙生《せつせい》と狼《おほかみ》は期《き》せずして恙《つゝが》なくベテスブルヒに乗込《のりこ》むだ。や、都人士《とじんし》の驚《おどろ》いたの驚《おどろ》かないのつて!

野豚《のぶた》と猪《ゐのしゝ》の話《はなし》

僥倖《げうかう》は屢《しばし》ば人間《にんげん》の錯誤《まちがひ》を正《たゞ》す。之《これ》に就《つ》いては拙生《せつせい》に特別《とくべつ》な實例《じつれい》がある。拙生《せつせい》は森《もり》の奧《おく》で野豚《のぶた》の牝牡《めすをす》を見《み》つけた。牝《めす》は牡《をす》の直《す》ぐ後《あと》に跟《つ》いて走《はし》つて行《ゆ》く。拙生《せつせい》の彈丸《たま》は外《そ》れたけれど、唯《たゞ》前方《まへ》の奴《やつ》が逃去《にげさ》つたばかりで、牝《めす》は地《ち》から生《は》えたやうに、凝《ぢ》つとして立《た》つてゐる。事《こと》の次第《しだい》を調《しら》べて見《み》ると、後《あと》の奴《やつ》は年寄《としより》で盲目《めくら》で、引《ひ》いて步《ある》いて貰《もら》ふ爲《た》めに息子《むすこ》の尻尾《しつぽ》に促《つかま》つてゐたのである。拙生《せつせい》の丸《たま》は二|疋《ひき》の間《あひだ》を通貫《とほりぬ》け、盲豚《めくらぶた》が啣《くは》へてゐた其《その》導《みちび》きの綱《つな》を絕《た》ち切《き》つて了《しま》つた。そして案内者《あんないしや》が一|向《かう》引《ひ》いてくれぬものだから、彼女《かのぢよ》は當然《たうぜん》默《だま》つて立止《たちとま》つてゐた。そこで拙生《せつせい》は千切《ちぎ》れた豚《ぶた》の尻尾《しつぽ》を把《と》り、年寄《としより》の豚《ぶた》を家《うち》まで引《ひ》いて歸《かへ》つた。拙生《せつせい》に於《おい》ても何《なん》の面倒《めんだう》なく、豚《ぶた》の方《はう》でも素《もと》より盲目《めくら》の事《こと》であるから拒《こば》みもせず恐《おそ》れもせず。

野豚《のぶた》も恐《おそ》ろしいが、尙《な》ほ猛惡《まうあく》で危險《きけん》なのは猪《ゐのしゝ》である。其《その》猪《ゐのしゝ》の一|疋《ぴき》に或日《あるひ》拙生《せつせい》は運惡《うんわる》く森《もり》の中《なか》で行當《ゆきあた》つた。攻守《こうしゆ》共《とも》に武具《えもの》としては寸鐵《すんてつ》をも帶《お》びてゐない。狂《くる》へる動物《どうぶつ》が拙生《せつせい》に橫打擊《よこなぐり》を喫《くら》はせようと狙《ねら》つた刹那《せつな》、拙生《せつせい》は樫《かし》の木《き》の後《うしろ》に姿《すがた》を匿《かく》した。すると先生《せんせい》外《はづ》しを喫《く》つて、餘勢《よせい》直《たゞ》ちに止《とゞま》り難《がた》く、樫《かし》の幹《みき》に牙《きば》を突通《つきとほ》し、打擊《だげき》を繰返《くりかへ》す事《こと》も叶《かな》はず退《しりぞ》く事《こと》もならず、唯《たゞ》地團太《ぢだんだ》を踏《ふ》むでゐた。『占《し》めた〳〵、拙生《せつせい》にも量見《りやうけん》があるぞ!』と拙生《せつせい》は矢庭《やには》に石《いし》を拾《ひろ》つて、何《ど》んな事《こと》があつても逃《に》げられぬやう、拙生《せつせい》が近《ちか》くの村《むら》から戾《もど》る迄《まで》待《ま》つてゐるやうに、敵《てき》の牙《きば》を折釘《をりくぎ》のやうに打曲《うちま》げた。それから拙生《せつせい》は悠然《いうぜん》と村《むら》に歸《かへ》り、繩《なは》と車《くるま》を借《か》りて引返《ひつかへ》し、美事《みごと》先生《せんせい》を生捕《いけどり》にして家《うち》に戾《もど》つた。

雄鹿《をじか》と櫻《さくら》の木《き》の話《はなし》

諸君《しよくん》は獵師《れふし》の守《まもり》本尊《ほんぞん》セント・ハバートと森《もり》の中《なか》で彼《かれ》に現《あら》はれたる角《つの》と角《つの》の間《あひだ》に十字架《じふじか》を立《た》てた雄鹿《をじか》の物語《ものがたり》を定《さだ》めて御承知《ごしようち》であらう。それは兎《と》に角《かく》拙生《せつせい》は自《みづか》ら目擊《もくげき》した珍話《ちんわ》を紹介《せうかい》致《いた》さう。或日《あるひ》悉《ことごと》く彈丸《たま》を使盡《つかひつく》した揚句《あげく》に、はからずも拙生《せつせい》の面前《めんぜん》に立派《りつぱ》な雄鹿《をじか》が現《あら》はれた。恰《あたか》も拙生《せつせい》の彈丸《たま》袋《ぶくろ》を取調《とりしら》べて其《その》無一物《むいつぶつ》を承知《しようち》してゐるやうに、安心《あんしん》して拙生《せつせい》を打目戍《うちまも》つてゐる。拙生《せつせい》は直《たゞ》ちに火藥《くわやく》を込《こ》め、泥棒《どろぼう》を捕《つかま》へて繩《なは》を綯《な》ふやうに、急《いそ》いで櫻坊《さくらんばう》を捥《も》ぎ取《と》り、一|掴《つか》みを丸《たま》に代《か》へた。さて狙《ねら》ひ定《さだ》めて打放《うちはな》すと、其《それ》が鹿《しか》の額《ひたひ》、角《つの》と角《つの》との間《あひだ》に命中《めいちう》し、彼《かれ》は度膽《どぎも》を拔《ぬ》かれて蹣跚《よろめ》いたが、其儘《そのまゝ》疾風《しつぷう》のやうに走去《はしりさ》つた。一二|年《ねん》の後《のち》拙生《せつせい》は其《その》森《もり》で狩《かり》をしてゐると、角《つの》と角《つの》の間《あひだ》に十|尺《しやく》以上《いじやう》の櫻《さくら》の木《き》の生《は》えた立派《りつぱ》な雄鹿《をじか》に出會《であ》つた。拙生《せつせい》は忽《たちま》ち先年《せんねん》の冒險《ばうけん》を想起《おもひおこ》し、これなん先《さき》に取逃《とりに》がしたる我《わが》獲物《えもの》なれ、此處《こゝ》で會《あ》つたが百年目《ひやくねんめ》、と唯《たゞ》一|發《ぱつ》で打倒《うちたふ》し、一|擧《きよ》して腰肉《にく》と櫻漿《チエリーソース》に有付《ありつ》いた。木《き》は能《よ》く繁茂《はんも》して、櫻坊《さくらんばう》が鈴實《すゞなり》になつてゐた。そして世《よ》の常《つね》の木《こ》の實《み》よりも遙《はる》かに味《あぢ》が佳《よ》かつた。

熊《くま》と狼《おほかみ》の話《はなし》

日《ひ》の光《ひかり》と拙生《せつせい》の火藥《くわやく》が、ポーランドの森《もり》の中《なか》で盡《つ》きて了《しま》つた。拙生《せつせい》は家路《いへぢ》に急《いそ》ぐ途《みち》すがら、恐《おそ》ろしい熊《くま》に跟《つ》けられた。彼《かれ》は疾走《ひたはし》つて、大口《おほぐち》を開《あ》いて、今《いま》にも拙生《せつせい》に躍《をど》り蒐《かゝ》らうとする。ポッケットの中《なか》を隈《くま》なく探《さが》して見《み》たが、素《もと》より火藥《くわやく》も彈丸《たま》もない。唯《たゞ》大切《たいせつ》の火打石《ひうちいし》が二個《ふたつ》あるばかり。進退《しんたい》谷《きはま》つて拙生《せつせい》は其《その》一個《ひとつ》を力委《ちからまか》せに怪物《くわいぶつ》の口《くち》に投込《なげこ》むと、其《それ》が喉《のど》に下《お》りた。苦《くる》しかつたと見《み》えて彼《かれ》は一寸《ちよいと》橫《よこ》を向《む》いたから、此《この》機《き》を利用《りよう》して拙生《せつせい》は第《だい》二の火打石《ひうちいし》を再《ふたゝ》び猛獸《まうじう》の口《くち》に投《とう》じたが、實《じつ》に驚《おどろ》く可《べ》き大成功《だいせいこう》であつた。第《だい》二の火打石《ひうちいし》は飛込《とびこ》みさま、第《だい》一の奴《やつ》に胃袋《ゐぶくろ》の中《なか》で命中《めいちう》し、直《たゞ》ちに火《ひ》を發《はつ》して、熊《くま》は即座《そくざ》に破裂《はれつ》して了《しま》つた。斯《か》くて事《こと》もなく難《なん》を免《まぬか》れたが、いや、思出《おもひだ》しても慄然《ぞつと》とする。拙生《せつせい》は再《ふたゝ》び無手《むて》で熊《くま》と戰《たゝか》ふ勇氣《ゆうき》はない。

何《ど》うも何《なに》かの因緣《いんねん》と見《み》える猛惡《まうあく》凶暴《きようぼう》の動物《けだもの》は恰《あた》かも本能《ほんのう》によつて其《それ》を承知《しようち》してゐるやうに、拙生《せつせい》が武器《えもの》を持《も》たぬ時《とき》に限《かぎ》つて襲《おそ》つて來《く》る。此《この》傳《でん》で或日《あるひ》拙生《せつせい》は見《み》るから獰惡《どうあく》な相《さう》をした狼《おほかみ》に襲《おそ》はれた。餘《あま》り急《きふ》で既《すで》に餘《あま》り近《ちか》く來《き》てゐるから拙生《せつせい》は唯《たゞ》機械的《きかいてき》本能《ほんのう》に從《したが》ひ、拙生《せつせい》の拳《こぶし》を相手《あいて》の裂《さ》けた口《くち》に突込《つきこ》む外《ほか》道《みち》がなかつた。安全《あんぜん》の爲《た》め拙生《せつせい》は無暗《むやみ》と突込《つきこ》むで、竟《つひ》に拙生《せつせい》の腕《うで》が狼《おほかみ》の肩《かた》の邊《あたり》まで入《はい》つた。しかし如何《いか》にして狼《おほかみ》から離《はな》れようか?斯《か》う間《ま》の拔《ぬ》けた姿勢《しせい》をして、何時《いつ》までも狼《おほかみ》と顏《かほ》を見交《みかは》してゐるのは甚《はなは》だ不愉快《ふゆくわい》でならなかつた。さりとて若《も》し腕《うで》を引拔《ひつこぬ》けば彼《かれ》は憤怒《ふんぬ》舊《きう》に倍《ばい》して飛蒐《とびかゝ》つて來《く》るだらう。是《これ》は其《その》凄《すご》い眼《まなこ》に明白《あきらか》に讀《よ》まれる。短言《たんげん》すれば拙生《せつせい》は狼《おほかみ》の尻尾《しつぽ》を捉《とら》へ、靴下《くつした》を脫《ぬ》ぐやうに、力委《ちからまか》せに裏返《うらがへ》しにして、漸《やうや》く猛獸《まうじう》と緣《えん》を切《き》り、地面《ぢめん》に叩《たゝ》き付《つ》けて、其儘《そのまゝ》歸《かへ》つて來《き》た。

男爵《だんしやく》の駿馬《しゆんめ》の話《はなし》

所《ところ》はリスアニヤに於《お》ける伯爵《はくしやく》ブルゾボスキイの別莊《べつさう》。拙生《せつせい》は應接間《おうせつま》で貴婦人《きふじん》連《れん》と茶《ちや》を飮《の》むでゐた。紳士《しんし》連《れん》は養馬所《やうばじよ》から來《き》たばかりの良種《りやうしゆ》の若馬《わかうま》を見《み》に下《お》りて行《い》つた。すると突然《とつぜん》あれよ〳〵と喧《けたゝま》しい聲《こゑ》が聞《きこ》えた。拙生《せつせい》は階段《かいだん》を驅下《かけお》りて出《で》て見《み》ると、馬《うま》は荒狂《あれくる》つて、人《ひと》を乗《の》せる所《どころ》か、寄《よ》せつけさうにもない。勇膽《ゆうたん》の騎手《きしゆ》まで血《ち》の氣《け》を失《うしな》つて、手《て》を出《だ》せずにゐる。失望《しつばう》は總《すべ》ての人《ひと》の顏色《がんしよく》に讀《よ》まれた。其時《そのとき》拙生《せつせい》少《すこ》しも騷《さわ》がず、飜然《ひらりと》駻馬《かんば》に跨《またが》つて、先《ま》づ其《その》荒膽《あらぎも》を挫《ひし》ぎ、拙生《せつせい》練逹《れんたつ》の曲乗《きょくのり》を試《こゝろ》みながら、さしもの氣性者《きしやうもの》を溫和《をんわ》從順《じうじゆん》に慣《な》らし込《こ》むだ。尙《な》ほ貴婦人《きふじん》連《れん》に合點《がてん》行《ゆ》かせ、無益《むえき》の恐怖《おそれ》を一|掃《さう》するやうに、拙生《せつせい》は開放《あけはな》つた食堂《しよくだう》の窓《まど》から、一|鞭《むち》加《くは》へて室内《しつない》に乗込《のりこ》み、其中《そのなか》を何遍《なんべん》となく或《あるひ》は並足《なみあし》或《あるひ》は駈足《かけあし》或《あるひ》は高足《たかあし》で乗廻《のりまは》し、最後《さいご》に食卓《しよくたく》の上《うへ》に乗上《のりあが》り、一|間《けん》と二|間《けん》の長方形《ちやうはうけい》の上《うへ》で、今迄《いままで》の曲藝《きよくげい》を更《さら》に小規模《せうきぼ》に繰返《くりか》へさせた。さあ、貴婦人《きふじん》連《れん》がやんやと喝采《かつさい》するのしないのつて!馬《うま》は眞《まこと》に巧者《こうしや》なもので、コップ一つ覆《くつが》へさなかつた。是《これ》が爲《た》めに拙生《せつせい》の聲價《せいか》頓《とみ》に上騰《じやうたう》し、殊《こと》に伯爵《はくしやく》は驚嘆《きやうたん》して、常例《いつも》の鄭重《ていちよう》な態度《たいど》で、此《この》若《わか》い馬《うま》を貴下《きか》に贈呈《ぞうてい》する、何卒《なにとぞ》御笑納《ごせうなふ》あつて、近々《きん〳〵》發足《はつそく》す可きミウニッヒ伯《はく》の率《ひき》ゐるトルコ遠征軍《ゑんせいぐん》に投《とう》じ、願《ねがは》くは撼天《かんてん》動地《どうち》の功名《こうみやう》手柄《てがら》を立《た》て給《たま》へ、と强《た》つての懇情《こんじやう》。そこで拙生《せつせい》は一|隊《たい》の騎兵《きへい》を從《したが》へ、幾度《いくたび》か遠征《ゑんせい》に上《のぼ》り、兵《へい》を操《あやつ》る事《こと》縦橫《じうわう》無礙《むげ》、人《ひと》を殺《ころ》す事《こと》草《くさ》の如《ごと》く、遂《と》げたる勲功《くんこう》は當然《たうぜん》拙生《せつせい》の計算《けいさん》に入《い》る可《べ》きものであるが、勇敢《ゆうかん》なる部下《ぶか》の努力《どりよく》も亦《また》决《けつ》して閑却《かんきやく》すべからざるものと信《しん》ずる。殊《こと》に拙生《せつせい》が先頭《せんとう》に立《た》つて、土耳古《とるこ》軍《ぐん》をオクザコーに追込《おひこ》むだ時《とき》の如《ごと》きは、いやはや顏《かほ》の溫《ほて》るやうな激戰《げきせん》であつた。

拙生《せつせい》のリスアニアンは駿馬《しゆんめ》の事《こと》であるから、追擊《つゐげき》に際《さい》しては拙生《せつせい》が何時《いつ》も先登《せんとう》である。其日《そのひ》も然《さ》うで、敵《てき》が後門《うしろもん》から逃《に》げるのを見《み》て、拙生《せつせい》は部下《ぶか》を集《あつ》める爲《た》めに、市場《いちば》に止《とゞま》るのを策《さく》の得《え》たものと思《おも》つた。そこで拙生《せつせい》は止《とゞま》つたが、市場《いちば》には騎兵《きへい》の影《かげ》も見《み》えぬ。彼等《かれら》は他《た》の町《まち》を走《はし》つてゐるのであらうか?何《なに》か事變《じへん》が起《おこ》つたのか?兎《と》に角《かく》遠《とほ》くは離《はな》れてゐまい、その中《うち》に拙生《せつせい》の許《もと》に追着《おひつ》くだらう、と思《おも》ひながら、拙生《せつせい》は喘《あへ》ぐリスアニアンを市場《いちば》の泉《いづみ》に水《みづ》のませた。彼《かれ》は法外《はふぐわい》に飮《の》む、泉《いづみ》を飮干《のみほ》さねば止《や》まぬといふ勢《いきほひ》で飮《の》む。しかし最早《もはや》部下《ぶか》の者《もの》が見《み》えさうなものと振返《ふりかへ》つた時《とき》には其《それ》も道理《だうり》だと思《おも》つた。拙生《せつせい》の馬《うま》の胴《どう》から後方《うしろ》―即《すなは》ち尻《しり》と後脚《あとあし》が、恰《あたか》も銳利《えいり》なる刄物《はもの》で切取《きりと》られたやうに紛失《ふんしつ》してゐる。飮《の》むだ水《みづ》は直《す》ぐに後方《うしろ》へ拔《ぬ》ける。是《これ》では何程《いくら》飮《の》むでも身《み》の養《やしな》ひにならぬ。何《ど》うして此樣《こん》な事《こと》になつたかは、彼《かれ》を伴《ともな》つて市《し》の正門《せいもん》に戾《もど》る迄《まで》は全《まつた》く五|里《り》霧中《むちう》であつた。此處《こゝ》で拙生《せつせい》は思當《おもひあた》つた―先《さき》に逃《に》げる敵《てき》を追《お》ひながら無暗《むやみ》と此《この》門《もん》に突入《とつにふ》した時《とき》、敵《てき》は拙生《せつせい》の知《し》らぬ間《ま》に扉《とびら》を下《おろ》したものと見《み》える。其《その》扉《とびら》といふのは、底《そこ》に大釘《おほくぎ》が列《れつ》を爲《な》して植《う》ゑてあつて、萬《まん》一の時《とき》には上《うへ》から下《おろ》して敵《てき》の侵入《しんにふ》を防《ふせ》ぐ仕掛《しかけ》になつてゐる。彼《あ》の際《さい》敵《てき》が拙生《せつせい》を入《い》れまいとして急《きふ》に下《おろ》した刹那《せつな》、馬《うま》の臀部《でんぶ》を切去《きりさ》つたので、現《げん》に門外《もんそと》には拙生《せつせい》の愛馬《あいば》の胴《どう》から下《した》が、ピクリ〳〵してゐた。拙生《せつせい》は早速《さつそく》獸醫《じうい》を呼《よ》むで、未《ま》だ溫《あたゝか》い中《うち》に兩方《りやうはう》を繼合《つぎあは》せて貰《もら》ひ、纔《わづか》に償《つぐな》ひ難《がた》い損失《そんしつ》を免《まぬか》れた。彼《かれ》は手近《てぢか》にあつた桂《かつら》の木《き》の小枝《こえだ》と新芽《しんめ》で繼目《つぎめ》を縫《ぬ》つてくれた。傷《きず》は間《ま》もなく療《なほ》つたが、同時《どうじ》に桂《かつら》の小枝《こえだ》が馬《うま》の身體《からだ》に根《ね》を張《は》り、枝《えだ》を伸《の》ばし、追々《おひ〳〵》葉《は》が繁《しげ》り花《はな》が咲《さ》き、お蔭《かげ》を以《もつ》て拙生《せつせい》は其《その》後《のち》の遠征《ゑんせい》は暑《あつ》さ知《し》らずであつた。

トルコ豆《まめ》と月《つき》の話《はなし》

拙生《せつせい》と雖《いへど》も連戰《れんせん》連勝《れんしよう》といふ譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。或時《あるとき》は衆寡《しうくわ》敵《てき》せず生擒《せいきん》の憂目《うきめ》に遭《あ》ひ、殊《こと》に不遇《ふぐう》な事《こと》には奴隷《どれい》に賣《う》られた。尤《もつと》も捕虜《ほりよ》の賣買《ばい〳〵》はトルコの習慣《しふくわん》である。(男爵《だんしやく》は後《のち》に皇帝《サルタン》の寵愛《ちようあい》を被《かうむ》つた)此《この》屈辱《くつじよく》の狀態《じやうたい》に於《おい》て、拙生《せつせい》每日《まいにち》の勞役《らうえき》は、身體《からだ》に骨《ほね》の折《を》れる事《こと》でなく、寧《むし》ろ單調《たんてう》退屈《たいくつ》の仕事《しごと》であつた。其《それ》は每朝《まいあさ》皇帝《サルタン》の蜜蜂《みつばち》を牧場《まきば》に追《お》ひ、一|日《にち》見守《もり》をして、日《ひ》の暮《く》れる迄《まで》に再《ふたゝ》び箱巢《はこす》に追戾《おひもど》す事《こと》であつた。或《ある》夕暮《ゆふぐれ》、拙生《せつせい》は蜜蜂《みつばち》を一|疋《ぴき》見失《みうしな》つたが、氣《き》がつけば二|疋《ひき》の熊《くま》が蜜《みつ》を取《と》る爲《た》めに其蜂《そのはち》を潰《つぶ》さうとしてゐる。拙生《せつせい》は銀《ぎん》の手斧《てをの》の外《ほか》に何《なに》も武器《えもの》を持《も》たなかつた。此《この》銀《ぎん》の手斧《てをの》は皇帝《サルタン》の庭師《にはし》又《また》は農夫《のうふ》の表章《しるし》なので。拙生《せつせい》は熊《くま》を目蒐《めが》けて件《くだん》の手斧《てをの》を投《な》げた。唯《たゞ》追剝《おひはぎ》を追拂《おつぱら》つて、蜂《はち》さへ助《たす》ければ可《い》いといふ思惑《おもはく》だつたので。が、拙生《せつせい》の腕《うで》の運《うん》の惡《わる》い振《ふ》り加減《かげん》で、斧《をの》は飛《と》むで止《とゞま》らず、上《うへ》へ上《うへ》へと昇《のぼ》つて行《い》つて、竟《つひ》には月《つき》に逹《たつ》した。さあ奈何《どう》して取戾《とりもど》したものか?と其處《そこ》で拙生《せつせい》は肝膽《かんたん》を碎《くだ》いた。斯《か》ういふ事《こと》が胸《むね》に浮《うか》むだ――トルコ豆《まね》といふ奴《やつ》は大層《たいそう》生長《のび》が早《はや》いのみならず、驚《おどろ》く可《べ》き高《たか》さに逹《たす》するといふ。拙生《せつせい》は時《とき》を移《うつ》さず一|本《ぽん》のトルコ豆《まめ》を植《う》ゑた。其《それ》が生長《せいちやう》してから拙生《せつせい》は其《その》梢《こずゑ》を三|日月《かづき》の角《つの》に結付《むすびつ》けた。斯《か》う仕掛《しかけ》が出來《でき》た上《うへ》は、殘《のこ》る所《ところ》は月《つき》まで登《のぼ》つて行《ゆ》くばかりである。そして是《これ》も見事《みごと》に成功《せいこう》した。月《つき》の世界《せかい》は何《なに》も彼《か》も銀色《ぎんいろ》で光《ひか》つてゐるから、同《おな》じ色《いろ》の手斧《てをの》を探《さが》すのはナカ〳〵小面倒《こめんだう》の仕事《しごと》であつた。が、しかし拙生《せつせい》は苦心《くしん》の甲斐《かひ》あつて、竟《つひ》に籾殻《もみがら》や藁屑《わらくづ》の積《つ》むである所《ところ》で大切《たいせつ》の手斧《てをの》を見付《みつ》けた。さて今度《こんど》は月《つき》の世界《せかい》から人間《にんげん》の世界《せかい》へ歸《かへ》るのである。けれど驚《おどろ》いたのは、太陽《たいやう》の光《ひかり》が既《すで》に拙生《せつせい》の豆《まめ》を枯《か》らした事《こと》で、最早《もはや》全《まつた》く拙生《せつせい》を下《おろ》す用《よう》に堪《た》へない。そこで拙生《せつせい》は働《はたら》き始《はじ》め、例《れい》の藁屑《わらくづ》を拾《ひろ》つて出來《でき》る丈《だ》け丈夫《ぢやうぶ》な出來《でき》る丈《だ》け長《なが》い繩《なは》を綯《な》つた。之《これ》を月《つき》の角《つの》に結《むす》び付け、追々《おひ〳〵》下《した》の方《はう》へ辷《すべ》り下《お》りる。拙生《せつせい》は左《ひだり》の手《て》で聢《しか》と繩《なは》を捉《つかま》へ、右《みぎ》の手《て》に手斧《てをの》を持《も》ち、繩《なは》の不用《ふよう》になつた部分《ぶぶん》を切《き》つて下《した》に繋《つな》ぐ。即《すなは》ち一|里《り》降《お》りれば、上《うへ》の方《はう》の一|里《り》は切取《きりと》つて足《あし》の下《した》に繋《つな》ぐといふ安排《あんばい》で、どうやらかうやら大分《だいぶ》下《した》の方《はう》まで來《き》たが、いくら同《おな》じ事《こと》を繰返《くりかへ》しても、何《なに》しろ距離《きより》が距離《きより》だから、容易《ようい》に皇帝《サルタン》の畑《はたけ》へ着《つ》かない。もう五六|里《り》といふ所《ところ》で、繩《なは》がフツリと切《き》れ、拙生《せつせい》は目《め》の廻《まは》るやうな速度《はやさ》で地下《ちか》に落《お》ちて氣絕《きぜつ》した。此處《こゝ》で地下《ちか》に落《お》ちたといふ言葉《ことば》を味《あぢは》つて貰《もら》ひたい。普通《ふつう》なら地上《ちじやう》に落《お》ちたと書《か》くのだが、其《それ》では事實《じじつ》を傳《つた》へ兼《か》ねる。といふのは何《なに》がさて、五六|里《り》上《うへ》から落《お》ちたのだから、身體《からだ》の重味《おもみ》と落《お》ちた勢《いきほひ》で、少《すくな》くとも深《ふか》さ九|尋《ひろ》ばかりの穴《あな》が明《あ》いた。その穴《あな》の底《そこ》で拙生《せつせい》は生氣《しやうき》に返《かへ》つたのであるが、如何《どう》して這上《はひのぼ》つて可《い》いか少時《しばらく》は勘辨《かんべん》に落《お》ちなかつた。しかし拙生《せつせい》は苦《くる》し紛《まぎ》れに爪《つめ》を用《もち》ゐて先《ま》づ坂《さか》を作《つく》り、次《つ》いで段々《だん〳〵》を拵《こしら》へ、實《じつ》に千辛《せんしん》萬苦《ばんく》の後《のち》に、漸《やうや》く這上《はひあが》つて再《ふたゝ》び此《この》世《よ》の光《ひかり》に觸《ふ》れた時《とき》は、まあその嬉《うれ》しかつた事《こと》といつたら!(男爵《だんしやく》の爪《つめ》は當時《たうじ》四十|年《ねん》も切《き》らずに置《お》いた末《すゑ》で充分《じうぶん》伸《の》びてゐた。尤《もつと》も斯《か》ういふ事《こと》があらうと豫期《よき》して然《さ》う伸《の》ばした譯《わけ》でもないといふ。)

氷《こほ》つた音樂《おんがく》の話《はなし》

間《ま》もなくトルコとの和議《わぎ》が成《な》り、拙生《せつせい》は自由《じいう》の身《み》となつてペテスブルヒを後《あと》にした。拙生《せつせい》は立場《たてば》立場《たてば》で馬《うま》を替《か》へ、大急《おほいそ》ぎの旅《たび》をした。狹《せま》い一|本道《ぽんみち》に差《さ》しかゝつたから、他《ほか》の馬車《ばしや》が此《この》細道《ほそみち》で行當《ゆきあた》らぬやうにと、拙生《せつせい》は御者《ぎよしや》に命《めい》じて合圖《あひづ》のラッパを吹《ふ》かせた。彼《かれ》は一生《いつしやう》懸命《けんめい》に吹《ふ》いた。しかし何程《いくら》力《りき》むでも効《かう》は無《な》い。彼《かれ》は奈何《どう》してもラッパを鳴《な》らす事《こと》が出來《でき》なかつた。何故《なぜ》鳴《な》らぬか、理由《わけ》は分《わか》らなかつたが、兎《と》に角《かく》生憎《あいにく》な事《こと》で、少時《しばらく》すると拙生《せつせい》の馬車《ばしや》は向《むか》ふから來《く》る馬車《ばしや》と行當《ゆきあた》つた。お互《たがひ》に進《すゝ》む事《こと》は無論《むろん》ならぬ。さりとて前述《ぜんじゆつ》の通《とほ》りの細道《ほそみち》だから、車《くるま》を向《む》け返《かへ》す事《こと》は叶《かな》はず、隨《したが》つて退《しりぞ》く事《こと》も出來《でき》なかつた。此《この》時《とき》拙生《せつせい》は馬車《ばしや》から下《お》りて、これでも少《すこ》しは力《ちから》があるから、馬車《ばしや》一|式《しき》を飴屋《あめや》のやうに頭《あたま》に乗《の》せ、高《たか》さ九|尺《しやく》ばかりの生垣《いけがき》を飄《ひよい》と飛《と》び越《こ》して、(馬車《ばしや》の重量《おもさ》から言《い》つても、此《この》藝當《げいたう》は少々《せう〳〵》骨《ほね》が折《お》れた。畑《はたけ》に入《い》り、再《ふたゝ》び飛《と》むで道《みち》を塞《ふさ》げた馬車《ばしや》の向《むか》ふへと出《で》た。次《つぎ》に拙生《せつせい》は馬《うま》を取《と》りに行《い》つた。一|疋《ぴき》を頭《あたま》の上《うへ》に乗《の》せ、一|疋《ぴき》を左《ひだり》の腕《うで》に抱《かゝ》へ、前《まへ》と同《おな》じ方法《はうはふ》で馬車《ばしや》まで持《も》つて行《ゆ》き、喰付《くつつ》けて、旅程《りよてい》最終《さいしう》の宿屋《やどや》に急《いそ》いだ。此《こ》の拙生《せつせい》が腋《わき》の下《した》に抱《かゝ》へた方《はう》の馬《うま》は未《ま》だ四|歲《さい》にならぬ氣《き》の荒《あら》い奴《やつ》で、拙生《せつせい》が再《ふたゝ》び生垣《いけがき》を飛越《とびこ》さうとする時《とき》、其《その》急激《きふげき》の動搖《どうえう》を可厭《いや》がつて、蹴《けつ》たり鼻《はな》を鳴《な》らしたりして荒《あば》れるには拙生《せつせい》も持餘《もてあま》した。しかし拙生《せつせい》は其《その》後脚《あとあし》を捉《つかま》へてポッケットの中《なか》へ入《い》れて了《しま》つた。宿屋《やどや》に着《つ》いてから拙生《せつせい》と御者《ぎよしや》は暫時《ざんじ》休息《きうそく》した。彼《かれ》はラッパを臺所《だいどころ》の火《ひ》の側《かたはら》の釘《くぎ》に吊《つ》るし、拙生《せつせい》は其《その》對側《むかふがは》に坐《すわ》つた。

急《きふ》にテレン〳〵テン〳〵といふ音《おと》が聞《きこ》えた。我等《われら》は周圍《あたり》を見廻《みまは》して、さてこそと先刻《せんこく》御者《ぎよしや》がラッパを鳴《な》らし得《え》なかつた理由《りいう》が讀《よ》めた。彼《かれ》の曲《きよく》はラッパの中《なか》で氷《こほ》つたのだ!其《それ》が今《いま》解《と》けて出《で》て來《き》たのだ!事理《じり》明晰《めいせき》、而《しか》も此《この》御者《ぎよしや》はナカ〳〵の音樂家《ふきて》である。それで奴《やつこ》さんラッパに口《くち》を當《あ》てがひもせずに長《なが》い間《あひだ》一同《みんな》を樂《たのし》ませた。プロシヤ進行曲《マーチ》が出《で》る、『野《の》越《こ》え山《やま》越《こ》え谷《たに》越《こ》えて』が出《で》る、其他《そのほか》種々《いろ〳〵》の曲《きよく》が出《で》て、竟《つひ》に氷釋《ひやうしやく》音樂《おんがく》は終《をはり》を吿《つ》げた。拙生《せつせい》も此處《こゝ》でロシヤ旅行談《りよかうだん》は一|段落《だんらく》とする。

鯨《くぢら》と軍艦《ぐんかん》の話《はなし》