刺靑

Part 6

Chapter 6 20,244 words Public domain Markdown

其《そ》の頃《ころ》私《わたし》は或《あ》る氣紛《きまぐ》れな考《かんがへ》から、今迄《いままで》自分《じぶん》の身《み》のまはりを裹《つゝ》んで居《ゐ》た賑《にぎや》かな雰圍氣《ふんゐき》を遠《とほ》ざかつて、いろいろの關係《くわんけい》で交際《かうさい》を續《つゞ》けて居《ゐ》た男《をとこ》や女《をんな》の圈内《けんない》から、ひそかに逃《のが》れ出《で》ようと思《おも》ひ、方方《はうばう》と適當《てきたう》な隱《かく》れ家《が》を搜《さが》し求《もと》めた揚句《あげく》、淺草《あさくさ》の松葉町《まつばちやう》邊《へん》に眞言宗《しんごんしう》の寺《てら》のあるのを見付《みつ》けて、やうやう其處《そこ》の庫裡《くり》の一《ひ》と間《ま》を借《か》り受《う》けることになつた。

新堀《しんぼり》の溝《どぶ》へついて、菊屋橋《きくやばし》から門跡《もんぜき》の裏手《うらて》を眞直《まつす》ぐに行《い》つたところ、十二|階《かい》の下《した》の方《はう》の、うるさく入《い》り組《く》んだ obscene な町《まち》の中《なか》に其《そ》の寺《てら》はあつた。ごみ溜《た》めの箱《はこ》を覆《くつがへ》した如《ごと》く、彼《あ》の邊《へん》一|帶《たい》にひろがつて居《ゐ》る貧民窟《ひんみんくつ》の片側《かたがは》に、黃橙色《だい/″\いろ》の土塀《どべい》の壁《かべ》が長《なが》く續《つゞ》いて、如何《いか》にも落《お》ち着《つ》いた、重々《おも/\》しい寂《さび》しい感《かん》じを與《あた》へる構《かま》へであつた。

私《わたし》は最初《さいしよ》から、澁谷《しぶや》だの大久保《おほくぼ》だのと云《い》ふ郊外《かうぐわい》へ隱遁《いんとん》するよりも、却《かへ》つて市内《しない》の何處《どこ》かに人《ひと》の心付《こゝろづ》かない、不思議《ふしぎ》なさびれた所《ところ》があるであらうと思《おも》つてゐた。丁度《ちやうど》瀨《せ》の早《はや》い溪川《たにがは》のところどころに、澱《よど》んだ淵《ふち》が出來《でき》るやうに、下町《したまち》の雜踏《ざつたう》する巷《ちまた》と巷《ちまた》の間《あはひ》に狹《はさ》まりながら、極《きは》めて特殊《とくしゆ》の場合《ばあひ》か、特殊《とくしゆ》の人《ひと》でなければめつた[#「めつた」に傍点]に通行《つうかう》しないやうな閑靜《かんせい》な一|廓《くわく》が、なければなるまいと思《おも》つてゐた。

同時《どうじ》に又《また》こんな事《こと》も考《かんが》へて見《み》た。―― 己《おれ》は隨分《ずゐぶん》旅行好《りよかうず》きで、京都《きやうと》仙臺《せんだい》はおろか、北海道《ほくかいだう》から九|州《しう》までも步《ある》いて來《き》た。けれども未《ま》だ此《こ》の東京《とうきやう》の町《まち》の中《なか》に、人形町《にんぎやうちやう》で生《うま》れて二十|年《ねん》來《らい》永住《えいぢう》してゐる東京《とうきやう》の町《まち》の中《なか》に、一|度《ど》も足《あし》を踏《ふ》み入《い》れた事《こと》のないと云《い》ふ通《とほ》りが、屹度《きつと》あるに違《ちが》ひない。いや、思《おも》つたより澤山《たくさん》あるに違《ちが》ひない。―― さうして大都會《だいとくわい》の下町《したまち》に、蜂《はち》の巢《す》の如《ごと》く交錯《かうさく》してゐる大小無數《だいせうむすう》の街路《がいろ》のうち、私《わたし》が通《とほ》つた事《こと》のある所《ところ》と、ない所《ところ》では、孰方《どつち》が多《おほ》いかちよいと判《わか》らなくなつて來た。

何《なん》でも十一二歲《じふいちにさい》の頃《ころ》であつたらう。父《ちゝ》と一|緖《しよ》に深川《ふかがは》の八|幡樣《まんさま》へ行《い》つた時《とき》、 「これから渡《わた》しを渡《わた》つて、冬木《ふゆぎ》の米市《こめいち》で名代《なだい》のそばを御馳走《ごちそう》してやるかな。」 かう云《い》つて、父《ちゝ》は私《わたし》を境内《けいだい》の社殿《しやでん》の後《うし》ろの方《はう》へ連《つ》れて行《い》つた事《こと》がある。其處《そこ》には小網町《こあみちやう》や小舟町《こぶなちやう》邊《へん》の堀割《ほりわり》と全《まつた》く趣《おもむき》の違《ちが》つた、幅《はゞ》の狹《せま》い、岸《きし》の低《ひく》い、水《みづ》の一|杯《ぱい》にふくれ上《あが》つてゐる川《かは》が、細《こま》かく建《た》て込《こ》んでゐる兩岸《りやうがん》の家々《いへ/\》の、軒《のき》と軒《のき》とを押《お》し分《わ》けるやうに、どんよりと物憂《ものう》く流《なが》れて居《ゐ》た。小《ちひ》さな渡《わた》し船《ぶね》は、川幅《かはゝば》よりも長《なが》さうな荷足《にた》りや傳馬《てんま》が、幾艘《いくさう》も縱《たて》に列《なら》んでゐる間《あひだ》を縫《ぬ》ひながら、二《ふ》た竿《さを》三竿《みさを》ばかりちよろちよろと水底《みなそこ》を衝《つ》いて往復《わうふく》して居《ゐ》た。

私《わたし》は其《そ》の時《とき》まで、度々《たび/″\》八幡樣《はちまんさま》へお參《まゐ》りをしたが、未《いま》だ嘗《かつ》て境内《けいだい》の裏手《うらて》がどんなになつてゐるか、考《かんが》へて見《み》たことはなかつた。いつも正面《しやうめん》の鳥居《とりゐ》の方《はう》から社殿《しやでん》を拜《おが》むだけで、恐《おそ》らくパノラマの繪《ゑ》のやうに、表《おもて》ばかりで裏《うら》のない、行《ゆ》き止《どま》りの景色《けしき》のやうに自然《しぜん》と考《かんが》へてゐたのであらう。現在《げんざい》眼《め》の前《まへ》にこんな川《かは》や渡《わた》し場《ば》が見《み》えて、其《そ》の先《さき》に廣《ひろ》い地面《ぢめん》が果《は》てしもなく續《つゞ》いてゐる謎《なぞ》のやうな光景《くわうけい》を見《み》ると、何《なん》となく京都《きやうと》や大阪《おほさか》よりももつと東京《とうきやう》をかけ離《はな》れた、夢《ゆめ》の中《なか》で屢々《しば/″\》出逢《であ》ふことのある世界《せかい》の如《ごと》く思《おも》はれた。 それから私《わたし》は、淺草《あさくさ》の觀音堂《くわんおんだう》の眞《ま》うしろにはどんな町《まち》があつたか想像《さうざう》して見《み》たが、仲店《なかみせ》の通《とほ》りから宏大《こうだい》な朱塗《しゆぬり》のお堂《だう》の甍《いらか》を望《のぞ》んだ時《とき》の有樣《ありさま》ばかりが明瞭《めいりやう》に描《ゑが》かれ、其《そ》の外《ほか》の點《てん》はとん[#「とん」に傍点]と頭《あたま》に浮《うか》ばなかつた。だんだん大人《おとな》になつて、世間《せけん》が廣《ひろ》くなるに隨《したが》ひ、知人《ちじん》の家《いへ》を訪《たづ》ねたり、花見遊山《はなみゆさん》に出《で》かけたり、隨分《ずゐぶん》東京市中《とうきやうしちう》は隈《くま》なく步《ある》いたやうであるが、いまだに子供《こども》の時分《じぶん》經驗《けいけん》したやうな不思議《ふしぎ》な別世界《べつせかい》へ、ハタリと行《ゆ》き逢《あ》ふことが度々《たび/″\》あつた。 さう云《い》ふ別世界《べつせかい》こそ、身《み》を匿《かく》すには究竟《くつきやう》であらうと思《おも》つて、此處彼處《こゝかしこ》といろいろに搜《さが》し求《もと》めて見《み》れば見《み》る程《ほど》、今迄《いまゝで》通《とほ》つたことのない區域《くゐき》が至《いた》る處《ところ》に發見《はつけん》された。淺草橋《あさくさばし》と和泉橋《いづみばし》は幾度《いくど》も渡《わた》つて置《お》きながら、其《そ》の間《あひだ》にある左衞門橋《さゑもんばし》を渡《わた》つたことがない。二長町《にちやうまち》の市村座《いちむらざ》へ行《ゆ》くのに、いつも電車通《でんしやどほ》りからそばやの角《かど》を右《みぎ》へ曲《まが》つたが、あの芝居《しばゐ》の前《まへ》を眞直《まつす》ぐに、柳盛座《りうせいざ》の方《はう》へ出《で》る二三町《にさんちやう》ばかりの地面《ぢめん》は、一度《いちど》も踏《ふ》んだ覺《おぼ》えはなかつた。昔《むかし》の永代橋《えいたいばし》の右岸《うがん》の袂《たもと》から、左《ひだり》の方《はう》の河岸《かし》はどんな具合《ぐあひ》になつて居《ゐ》たか、どうも好《よ》く判《わか》らなかつた。其《そ》の外《ほか》八丁堀《はつちやうぼり》、越前堀《ゑちぜんぼり》、三味線堀《しやみせんぼり》、山谷堀《さんやぼり》の界隈《かいわい》には、まだまだ知《し》らない所《ところ》が澤山《たくさん》あるらしかつた。

松葉町《まつばちやう》のお寺《てら》の近傍《きんばう》は、其《そ》のうちでも一|番《ばん》奇妙《きめう》な町《まち》であつた。六區《ろくく》と吉原《よしはら》を鼻先《はなさき》に控《ひか》へて、ちよいと橫丁《よこちやう》を一《ひと》つ曲《まが》つた所《ところ》に、淋《さび》しい、廢《すた》れたやうな區域《くゐき》を作《つく》つてゐるのが非常《ひじやう》に私《わたし》の氣《き》に入《い》つて了《しま》つた。今迄《いまゝで》自分《じぶん》の無《む》二の親友《しんいう》であつた派手《はで》な贅澤《ぜいたく》なさうして平凡《へいぼん》な「東京《とうきやう》」と云《い》ふ奴《やつ》を、置いてき堀[#「置いてき堀」に傍点]にして、靜《しづ》かに其《そ》の騷擾《さうぜう》を傍觀《ばうくわん》しながら、こつそり身《み》を隱《かく》して居《ゐ》られるのが、愉快《ゆくわい》でならなかつた。

隱遁《いんとん》をした目的《もくてき》は、別段《べつだん》勉强《べんきやう》をする爲《た》めではない。其《そ》の頃《ころ》私《わたし》の神經《しんけい》は、刄《は》の擦《す》り切《き》つたやすり[#「やすり」に傍点]のやうに、銳敏《えいびん》な角々《かど/\》がすつかり鈍《にぶ》つて、餘程《よほど》色彩《しきさい》の濃《こ》い、あくどい物《もの》に出逢《であ》はなければ、何《なん》の感興《かんきよう》も湧《わ》かなかつた。微細《びさい》な感受性《かんじゆせい》の働《はたら》きを要求《えうきう》する第《だい》一|流《りう》の藝術《げいじゆつ》だとか、第《だい》一|流《りう》の料理《れうり》だとかを翫味《ぐわんみ》するのが、不可能《ふかのう》になつてゐた。下町《したまち》の粹《すゐ》と云《い》はれる茶屋《ちやゝ》の板前《いたまへ》に感心《かんしん》して見《み》たり、仁左衞門《にざゑもん》や雁治朗《がんぢらう》の伎巧《ぎかう》を賞美《しやうび》したり、凡《す》べて在《あ》り來《きた》りの都會《とくわい》の歡樂《くわんらく》を受《う》け入《い》れるには、あまり心《こゝろ》が荒《すさ》んでゐた。惰力《だりよく》の爲《た》めに面白《おもしろ》くもない懶惰《らんだ》な生活《せいくわつ》を、每日《まいにち》每日《/\》繰《く》り返《かへ》して居《ゐ》るのが、堪《た》へられなくなつて、全然《ぜん/″\》舊套《きうたう》を擺脫《ひだつ》した、物好《ものず》きな、アーティフィシヤルな mode of life を見出《みいだ》して見《み》たかつたのである。

普通《ふつう》の刺戟《しげき》に馴《な》れて了《しま》つた神經《しんけい》を顫《ふる》ひ戰《おのゝ》かすやうな、何《なに》か不思議《ふしぎ》な、奇怪《きくわい》な事《こと》はないであらうか。現實《げんじつ》をかけ離《はな》れた野蠻《やばん》な荒唐《くわうたう》な夢幻的《むげんてき》な空氣《くうき》の中《なか》に、棲息《せいそく》することは出來《でき》ないであらうか。かう思《おも》つて、私《わたし》の魂《たましひ》は遠《とほ》くバビロンやアツシリアの古代《こだい》の傳說《でんせつ》の世界《せかい》にさ迷《まよ》つたり、コナン、ドイルや淚香《るゐかう》の探偵小說《たんていせうせつ》を想像《さうざう》したり、光線《くわうせん》の熾烈《しきれつ》な熱帶地方《ねつたいちはう》の焦土《せうど》と綠野《りよくや》を戀《こ》ひ慕《した》つたり、腕白《わんぱく》な少年時代《せうねんじだい》のエクセントリツクな惡戲《あくぎ》に憧《あこが》れたりした。

賑《にぎや》かな世間《せけん》から不意《ふい》に韜晦《たうくわい》して、行動《かうどう》を唯《たゞ》徒《いたづ》らに祕密《ひみつ》にして見《み》るだけでも、すでに一|種《しゆ》のミステリアスな、ロマンチツクな色彩《しきさい》を自分《じぶん》の生活《せいくわつ》に賦與《ふよ》することが出來《でき》ると思《おも》つた。私《わたし》は祕密《みひつ》と云《い》ふ物《もの》の面白《おもしろ》さを、子供《こども》の時分《じぶん》からしみじみと味《あぢ》はつて居《ゐ》た。かくれんぼ、寶《たから》さがし、お茶坊主《ちやばうず》のやうな遊戲《いうぎ》――殊《こと》に其《そ》れが闇《やみ》の晚《ばん》、うす暗《ぐら》い物置小屋《ものおきごや》や、觀音開《くわんのんびら》きの前《まへ》などで行《おこな》はれる時《とき》の面白味《おもしろみ》は、主《しゆ》として其《そ》の間《あひだ》に「祕密《ひみつ》」と云《い》ふ不思議《ふしぎ》な氣分《きぶん》が、潛《ひそ》んで居《ゐ》るせゐ[#「せゐ」に傍点]であつたに違《ちが》ひない。

私《わたし》はもう一|度《ど》、幼年時代《えうねんじだい》の隱《かく》れん坊《ぼ》のやうな氣持《きもち》を經驗《けいけん》して見《み》たさに、わざと人《ひと》の氣《き》の付《つ》かない、下町《したまち》の曖昧《あいまい》なところに身《み》を隱《かく》したのであつた。其《そ》のお寺《てら》の宗旨《しうし》が「祕密《ひみつ》」とか、「禁厭《まじなひ》」とか、「呪咀《じゆそ》」とか云《い》ふものに緣《えん》の深《ふか》い眞言《しんごん》であることも、私《わたし》の好奇心《かうきしん》を誘《いざな》うて、妄想《まうさう》を育《はぐく》ませるには恰好《かつかう》であつた。部屋《へや》は新《あたら》しく建《た》て增《ま》した庫裡《くり》の一|部《ぶ》で、南《みなみ》を向《む》いた八|疊敷《でふじ》きの、日《ひ》に燒《や》けて少《すこ》し茶色《ちやいろ》がかつてゐる疊《たゝみ》が、却《かへ》つて見《み》た眼《め》には安《やす》らかな、暖《あたゝか》い感《かん》じを與《あた》へた。晝過《ひるす》ぎになると和《なご》やかな秋《あき》の日《ひ》が、幻燈《げんとう》の如《ごと》くあかあかと椽側《えんがは》の障子《しやうじ》に燃《も》えて、室内《しつない》は大《おほ》きな雪洞《ぼんぼり》のやうに明《あか》るかつた。 それから私《わたし》は、今迄《いまゝで》親《した》しんで居《ゐ》た哲學《てつがく》や藝術《げいじゆつ》に關《くわん》する書類《しよるゐ》を、一|切《さい》戶棚《とだな》へ片附《かたづ》けて了《しま》つて、魔術《まじゆつ》だの、催眠術《さいみんじゆつ》だの、探偵小說《たんていせうせつ》だの、化學《くわがく》だの、解剖學《かいばうがく》だのの奇怪《きくわい》な說話《せつわ》と挿繪《さしゑ》に富《と》んでゐる書物《しよもつ》を、さながら土用干《どようぼし》の如《ごと》く部屋中《へやぢう》へ置《お》き散《ち》らして、寐《ね》ころびながら、手《て》あたり次第《しだい》に繰《く》りひろげては耽讀《たんどく》した。其《そ》の中《うち》には、コナン、ドイルの The Sign of Four. や、ド、キンシイの Murder as one of the Fine Arts. や、アラビアン、ナイトのやうなお伽噺《とぎばなし》から、仏蘭西物《フランスもの》の不思議《ふしぎ》な Sexuology の本《ほん》なども交《まじ》つてゐた。

此處《ここ》の住職《ぢうしよく》が祕藏《ひざう》してゐた地獄《ぢごく》極樂《ごくらく》の圖《づ》を始《はじ》め、須彌山圖《しゆみせんづ》だの涅槃像《ねはんざう》だの、いろいろの古《ふる》い佛畫《ぶつぐわ》を强《し》ひて懇望《こんまう》して、丁度《ちやうど》學校《がくかう》の敎員室《けうゐんしつ》にかかつてゐる地圖《ちづ》のやうに、所嫌《ところきら》はず部屋《へや》の四|壁《へき》へぶら下《さ》げて見《み》た。床《とこ》の間《ま》の香爐《かうろ》からは、始終《しじゆう》紫色《むらさきいろ》の香《かう》の煙《けむり》が、眞直《まつす》ぐに靜《しづ》かに立《た》ち昇《のぼ》つて、明《あか》るい暖《あたゝか》い室内《しつない》を焚《た》きしめて居《ゐ》た。私《わたし》は時々《とき/″\》菊屋橋《きくやばし》際《ぎは》の舖《みせ》へ行《い》つて、白檀《びやくだん》や沈香《ちんかう》を買《か》つて來《き》ては、其《そ》れを燻《く》べた。

天氣《てんき》の好《い》い日《ひ》、きらきらとした眞晝《まひる》の光線《くわうせん》が一|杯《ぱい》に障子《しやうじ》へあたる時《とき》の室内《しつない》は、眼《め》の醒《さ》めるやうな壯觀《さうくわん》を呈《てい》した。絢爛《けんらん》な色彩《しきさい》の古畫《こぐわ》の諸拂《しよぶつ》、羅漢《らかん》、比丘《びく》、比丘尼《びくに》、優婆塞《うばそく》、優婆夷《うばい》、象《ざう》、獅子《しし》、麒麟《きりん》などが四|壁《へき》の紙幅《しふく》の内《うち》から、ゆたかな光《ひかり》の中《なか》に泳《およ》ぎ出《だ》す。疊《たゝみ》の上《うへ》に投《な》げ出《だ》された無數《むすう》の書物《しよもつ》からは、慘殺《ざんさつ》、麻醉《ますゐ》、魔藥《まやく》、妖女《えうぢよ》、宗敎《しうけう》――種々雜多《しゆ/″\ざつた》の傀儡《くわいらい》が、香《かう》の煙《けむり》に溶《と》け込《こ》んで、濛々《もう/\》と立《た》ち罩《こ》める中《なか》に、二疊《にでふ》ばかりの緋《ひ》の毛氈《まうせん》を敷《し》き、どんよりとした蠻人《ばんじん》のやうな瞳《ひとみ》を据《す》ゑて、寐《ね》ころんだ儘《まゝ》、私《わたし》は每日每日《まいにちまいにち》幻覺《げんかく》を胸《むね》に描《ゑが》いた。

夜《よる》の九|時頃《じごろ》、寺《てら》の者《もの》が大槪《たいがい》寐靜《ねしづま》つて了《しま》ふと、ヰスキーの角罎《かくびん》を呷《あほ》つて醉《よひ》を買《か》つた後《のち》、勝手《かつて》に椽側《えんがは》の雨戶《あまど》を引《ひ》き外《はづ》し、墓地《ぼち》の生垣《いけがき》を乘《の》り越《こ》えて散步《さんぽ》に出《で》かけた。成《な》る可《べ》く人目《ひとめ》にかからぬやうに、每晚《まいばん》服裝《ふくさう》を取《と》り換《か》へて、公園《こうゑん》の雜沓《ざつたう》の中《なか》を潛《くゞ》つて步《ある》いたり、古道具屋《ふるだうぐや》や古本屋《ふるほんや》の店先《みせさき》を漁《あさ》り廻《まは》つたりした。頰冠《ほゝかぶ》りに唐桟《たうざん》の絆纏《はんてん》を引掛《ひつか》け、綺麗《きれい》に硏《みが》いた素足《すあし》へ爪紅《つまべに》をさして雪駄《せつた》を穿《は》くこともあつた。金緣《きんぶち》の色眼鏡《いろめがね》に二重廻《にぢゆうまは》しの襟《えり》を立《た》てて出《で》ることもあつた。着《つ》け髭《ひげ》、ほくろ、痣《あざ》と、いろいろに面體《めんてい》を換《か》へるのを面白《おもしろ》がつたが、或《あ》る晚《ばん》、三味線堀《しやみせんぼり》の古着屋《ふるぎや》で、藍色地《あゐぢ》に大小《だいせう》あられの小紋《こもん》を白《しろ》く散《ち》らした女物《をんなもの》の袷《あはせ》が眼《め》に付《つ》いてから、急《きふ》にそれが着《き》て見《み》たくて溜《たま》らなくなつた。

一體《いつたい》私《わたし》は衣服《いふく》反物《たんもの》に對《たい》して、單《たん》に色合《いろあひ》が好《い》いとか、柄《がら》が粹《いき》だとかいふ以外《いぐわい》に、もつと深《ふか》く銳《するど》い愛着心《あいちやくしん》を持《も》つて居《ゐ》た。女物《をんなもの》に限《かぎ》らず、凡《す》べて美《うつく》しい絹物《きぬもの》を見《み》たり、觸《ふ》れたりする時《とき》は、何《なん》となく顫《ふる》へ付《つ》きたくなつて、丁度《ちやうど》戀人《こひびと》の肌《はだ》の色《いろ》を眺《なが》めるやうな、快感《くわいかん》の高潮《かうてう》に逹《たつ》することが屢々《しば/\》であつた。殊《こと》に私《わたし》の大好《だいす》きなお召《めし》や縮緬《ちりめん》を、世間《せけん》憚《はゞから》らず、恣《ほしいまゝ》に着飾《きかざ》ることの出來《でき》る女《をんな》の境遇《きやうぐう》を、嫉《ねた》ましく思《おも》ふことさへあつた。 あの古着屋《ふるぎや》の店《みせ》に、だらりと生々《なま/\》しく下《さが》つて居《ゐ》る小紋縮緬《こもんちりめん》の袷《あはせ》――あのしつとりとした、重《おも》い冷《つ》めたい布《きれ》が、粘《ねば》つくやうに肉體《にくたい》を包《つゝ》む時《とき》の心好《こゝろよ》さを思《おも》ふと、私《わたし》は思《おも》はず戰慄《せんりつ》した。彼《あ》の着物《きもの》を着《き》て、女《をんな》の姿《すがた》で往來《わうらい》を步《ある》いて見《み》たい。‥‥かう思《おも》つて、私《わたし》は一も二もなく其《そ》れを買《か》ふ氣《き》になり、ついでに友禪《いうぜん》の長襦袢《ながじゆばん》や、黑縮緬《くろちりめん》の羽織《はおり》迄《まで》も取《と》りそろへた。

大柄《おほがら》の女《をんな》が着《き》たものと見《み》えて、小男《こをとこ》の私《わたし》には寸法《すんぱふ》も打《う》つてつけであつた。夜《よ》が更《ふ》けて、がらんとした寺中《てらぢゆう》がひツそりした時分《じぶん》、私《わたし》はひそかに鏡臺《きやうだい》に向《むか》つて化粧《けしやう》を始《はじ》めた。黃色《きいろ》い生地《きぢ》の鼻柱《はなばしら》へ、先《ま》づべツとりと練《ね》りおしろいをなすり着《つ》けた瞬間《しゆんかん》の容貌《ようばう》は、少《すこ》しグロテスクに見《み》えたが、濃《こ》い白《しろ》い粘液《ねんえき》を平手《ひらて》で顏中《かほぢう》へ萬遍《まんべん》なく押《お》し擴《ひろ》げると、思《おも》つたよりものり[#「のり」に傍点]が好《よ》く、甘《あま》い匂《にほひ》のひやひやとした露《つゆ》が、毛孔《けあな》へ沁《し》み入《い》る皮膚《ひふ》のよろこびは、格別《かくべつ》であつた。紅《べに》やとのこ[#「とのこ」に傍点]を塗《ぬ》るに隨《したが》つて、石膏《せきかう》の如《ごと》く唯《たゞ》徒《いたづ》らに眞白《まつしろ》であつた私《わたし》の顏《かほ》が、潑溂《はつらつ》とした生色《せいしよく》ある女《をんな》の相《さう》に變《かは》つて行《ゆ》く面白《おもしろ》さ。文士《ぶんし》や畫家《ぐわか》の藝術《げいじゆつ》よりも、俳優《はいいう》や藝者《げいしや》や一|般《ぱん》の女《をんな》が、日常《にちじやう》自分《じぶん》の體《からだ》の肉《にく》を材料《ざいれう》として試《こゝろ》みてゐる化粧《けしやう》の技巧《ぎかう》の方《はう》が、遙《はるか》かに興味《きようみ》の多《おほ》いことを知《し》つた。

長襦袢《ながじゆばん》、半襟《はんえり》、腰卷《こしまき》、それからチユツチユツと鳴《な》る紅絹裏《もみうら》の袂《たもと》――私《わたし》の肉體《にくたい》は、凡《す》べて普通《ふつう》の女《をんな》の皮膚《ひふ》が味《あぢ》はふと同等《どうとう》の觸感《しよくかん》を與《あた》へられ、襟足《えりあし》から手頸《てくび》までも白《しろ》く塗《ぬ》つて、銀杏返《いてふがへ》しの鬘《かつら》の上《うへ》にお高祖頭巾《こそづきん》を冠《かむ》り、思《おも》ひ切《き》つて往來《わうらい》の夜道《よみち》へ紛《まぎ》れ込《こ》んで見《み》た。

雨曇《あまぐも》りのしたうす暗《ぐら》い晚《ばん》であつた。千束町《せんぞくまち》、淸住町《きよすみちやう》、龍泉寺町《りうせんじまち》――あの邊《へん》一|帶《たい》の溝《どぶ》の多《おほ》い、淋《さび》しい街《まち》を暫《しばら》くさまよつて見《み》たが、交番《かうばん》の巡査《じゆんさ》も、通行人《つうかうにん》も、一|向《かう》氣《き》が付《つ》かないやうであつた。甘皮《あまかは》を一|枚《まい》張《は》つたやうにばさばさ乾《かわ》いてゐる顏《かほ》の上《うへ》を、夜風《よかぜ》が冷《ひやゝ》かに撫《な》でて行《ゆ》く。口邊《こうへん》を覆《おほ》うて居《ゐ》る頭巾《づきん》の布《きれ》が、息《いき》の爲《た》めに熱《あつ》く濕《うるほ》つて、步《ある》く度《たび》に長《なが》い縮緬《ちりめん》の腰卷《こしまき》の裾《すそ》は、ぢやれるやうに脚《あし》へ縺《もつ》れる。みぞおち[#「みぞおち」に傍点]から肋骨《あばら》の邊《へん》を堅《かた》く緊《し》め着《つ》けてゐる厚板《あついた》の丸帶《まるおび》と、骨盤《こつばん》の上《うへ》を括《くゝ》つてゐる扱帶《しごき》の加減《かげん》で、私《わたし》の體《からだ》の血管《けつくわん》には、自然《しぜん》と女《をんな》のやうな血《ち》が流《なが》れ始《はじ》め、男《をとこ》らしい氣分《きぶん》や姿勢《しせい》はだんだんと失《なくな》つて行《ゆ》くやうであつた。

友禪《いうぜん》の袖《そで》の蔭《かげ》から、お白粉《しろい》を塗《ぬ》つた手《て》をつき出《だ》して見《み》ると、强《つよ》い頑丈《ぐわんぢやう》な線《せん》が闇《やみ》の中《なか》に消《き》えて、白《しろ》くふつくらと柔《やはら》かに浮《う》き出《で》て居《ゐ》る。私《わたし》は自分《じぶん》で自分《じぶん》の手《て》の美《うつく》しさに惚《ほ》れ惚《ぼ》れとした。此《こ》のやうな美《うつく》しい手《て》を、實際《じつさい》に持《も》つてゐる女《をんな》と云《い》ふ者《もの》が、羨《うらやま》しく感《かん》じられた。芝居《しばゐ》の辨天小僧《べんてんこぞう》のやうに、かう云《い》ふ姿《すがた》をして、さまざまの罪《つみ》を犯《をか》したならば、どんなに面白《おもしろ》いであらう‥‥探偵小說《たんていせうせつ》や、犯罪小說《はんざいせうせつ》の讀者《どくしや》を始終《しじゆう》喜《よろこ》ばせる「祕密《ひみつ》」「疑惑《ぎわく》」の氣分《きぶん》に髣髴《はうふつ》とした心持《こゝろもち》で、私《わたし》は次第《しだい》に人通《ひとゞほ》りの多《おほ》い、公園《こうゑん》の六|區《く》の方《はう》へ步《あゆ》みを運《はこ》んだ。さうして、殺人《さつじん》とか、强盜《がうたう》とか、何《なに》か非常《ひじやう》な殘忍《ざんにん》な惡事《あくじ》を働《はたら》いた人間《にんげん》のやうに、自分《じぶん》を思《おも》ひ込《こ》むことが出來《でき》た。

十二階《じふにかい》の前《まへ》から、池《いけ》の汀《みぎは》について、オペラ館《くわん》の四《よ》つ角《かど》へ出《で》ると、イルミネーシヨンとアーク燈《とう》の光《ひかり》が厚化粧《あつげしやう》をした私《わたし》の顏《かほ》にきらきらと照《て》つて、着物《きもの》の色合《いろあひ》や縞目《しまめ》が、はツきりと讀《よ》める。常磐座《ときわざ》の前《まへ》へ來《き》た時《とき》、衝《つ》き當《あた》りの寫眞屋《しやしんや》の玄關《げんくわん》の大鏡《おほかゞみ》へ、ぞろぞろ雜沓《ざつたう》する群衆《ぐんしう》の中《なか》に交《まじ》つて、立派《りつぱ》に女《をんな》と化《ば》け終《をほ》せた私《わたし》の姿《すがた》が映《うつ》つて居《ゐ》た。 こツてり塗《ぬ》り付《つ》けたお白粉《しろい》の下《した》に「男《をとこ》」と云《い》ふ祕密《ひみつ》が悉《こと/″\》く隱《かく》されて、眼《め》つきも口《くち》つきも女《をんな》のやうに動《うご》き、女《をんな》のやうに笑《わら》はうとする。甘《あま》いへんなう[#「へんなう」に傍点]の匂《にほひ》と、囁《さゝや》くやうな衣摺《きぬず》れの音《おと》を立《た》てて、私《わたし》の前後《ぜんご》を擦《す》れ違《ちが》ふ幾人《いくにん》の女《をんな》の群《むれ》も、皆《みな》私《わたし》を同類《どうるゐ》と認《みと》めて怪《あや》しまない。さうして其《そ》の女逹《をんなたち》の中《なか》には、私《わたし》の優雅《いうが》な顏《かほ》の作《つく》りと、古風《こふう》な衣裝《いしやう》の好《この》みとを、羨《うらやま》しさうに見《み》てゐる者《もの》もある。 いつも見馴《みな》れて居《ゐ》る公園《こうゑん》の夜《よる》の騷擾《さうぜう》も、「祕密《ひみつ》」を持《も》つて居《ゐ》る私《わたし》の眼《め》には、凡《す》べてが新《あたら》しかつた。何處《どこ》へ行《い》つても、何《なに》を見《み》ても、始《はじ》めて接《せつ》する物《もの》のやうに、珍《めづら》しく、奇妙《きめう》であつた。人間《にんげん》の瞳《ひとみ》を欺《あざむ》き、電燈《でんとう》の光《ひかり》を欺《あざむ》いて、濃艶《のうえん》な脂粉《しふん》とちりめんの衣裝《いしやう》の下《した》に自分《じぶん》を潛《ひそ》ませながら、「祕密《ひみつ》」の帷《まく》を一|枚《まい》隔《へだ》てて眺《なが》める爲《た》めに、恐《おそ》らく平凡《へいぼん》な現實《げんじつ》が、夢《ゆめ》のやうな不思議《ふしぎ》な彩色《さいしき》を施《ほどこ》されるのであらう。 それから私《わたし》は每晚《まいばん》のやうに此《こ》の假裝《かさう》をつづけて、時《とき》とすると、宮戶座《みやとざ》の立《た》ち見《み》や、活動寫眞《くわつどうしやしん》の見物《けんぶつ》の間《あひだ》へ、平氣《へいき》で割《わ》つて入《はい》るやうになつた。寺《てら》へ歸《かへ》るのは十二時《じふにじ》近《ちか》くであつたが、座敷《ざしき》に上《あが》ると早速《さつそく》空氣《くうき》ランプをつけて、疲《つか》れた體《からだ》の衣裝《いしやう》も解《と》かず、毛氈《まうせん》の上《うへ》へぐつたり嫌《いや》らしく寢崩《ねくづ》れた儘《まゝ》、殘《のこ》り惜《を》しさうに絢爛《けんらん》な着物《きもの》の色《いろ》を眺《なが》めたり、袖口《そでくち》をちやらちやらと振《ふ》つて見《み》たりした。剝《は》げかかつたお白粉《しろい》が、肌理《きめ》の粗《あら》いたるんだ頰《ほゝ》の皮《かは》へ滲《し》み着《つ》いて居《ゐ》るのを、鏡《かゞみ》に映《うつ》して凝視《ぎようし》して居《ゐ》ると、廢頽《はいたい》した快感《くわいかん》が古《ふる》い葡萄酒《ぶだうしゆ》の醉《ゑひ》のやうに魂《たましひ》をそそつた。地獄《ぢごく》極樂《ごくらく》の圖《づ》を背景《はいけい》にして、けばけばしい長襦袢《ながじゆばん》のまま、遊女《いうぢよ》の如《ごと》くなよなよと蒲團《ふとん》の上《うへ》へ腹這《はらば》つて、例《れい》の奇怪《きくわい》な書物《しよもつ》のページを夜更《よふ》くる迄《まで》飜《ひるがへ》すこともあつた。次第《しだい》に扮裝《ふんさう》も巧《うま》くなり、大膽《だいたん》にもなつて、物好《ものず》きな聯想《れんさう》を釀《かも》させる爲《た》めに、匕首《あひくち》だの麻醉藥《ますゐやく》だのを、帶《おび》の間《あひだ》へ挿《はさ》んでは外出《ぐわいしつ》した。犯罪《はんざい》を行《おこな》はずに、犯罪《はんざい》に附隨《ふずゐ》して居《ゐ》る美《うつく》しいロマンチックの匂《にほひ》だけを、充分《じうぶん》に嗅《か》いで見《み》たかつたのである。 さうして一|週間《しゆうかん》ばかり過《す》ぎた或《あ》る晚《ばん》の事《こと》、私《わたし》は圖《はか》らずも不思議《ふしぎ》な因緣《いんねん》から、もツと奇怪《きくわい》な、もツと物好《ものず》きな、さうしてもツと神祕《しんぴ》な事件《じけん》の端緖《たんちよ》に出會《しゆつくわい》した。

其《そ》の晚《ばん》私《わたし》は、いつもよりも多量《たりやう》にヰスキーを貪《むさぼ》つて、三友館《さんいうくわん》の二階《にかい》の貴賓席《きひんせき》に上《あが》り込《こ》んで居《ゐ》た。何《なん》でももう十時《じふじ》近《ちか》くであつたらう。恐《おそ》ろしく混《こ》んでゐる場内《ぢやうない》は、霧《きり》のやうな濁《にご》つた空氣《くうき》に充《み》たされて、黑《くろ》く、もくもくとかたまつて蠢動《しゆんどう》してゐる群衆《ぐんしゆう》の生溫《なまあたゝ》かい人《ひと》いきれが、顏《かほ》のお白粉《しろい》を腐《くさ》らせるやうに漂《たゞよ》つて居《ゐ》た。闇中《あんちゆう》にシヤキシヤキ軋《きし》みながら眼《め》まぐるしく開展《かいてん》して行《ゆ》く映畫《えいぐわ》の光線《くわうせん》の、グリグリと瞳《ひとみ》を刺《さ》す度《たび》每《ごと》に、私《わたし》の醉《よ》つた頭《あたま》は破《わ》れるやうに痛《いた》んだ。時々《とき/″\》映畫《えいぐわ》が消《き》えて、ぱツと電燈《でんとう》がつくと、溪底《たにそこ》から沸《わ》き上《あが》る雲《くも》のやうに、階下《かいか》の群衆《ぐんしゆう》の頭《あたま》の上《うへ》を浮動《ふどう》して居《ゐ》る烟草《たばこ》の烟《けむり》の間《あひだ》を透《す》かして、私《わたし》は眼深《まぶか》いお高祖頭巾《こそづきん》の蔭《かげ》から、場内《ぢやうない》に溢《あふ》れて居《ゐ》る人々《ひと/″\》の顏《かほ》を見廻《みまは》した。さうして私《わたし》の舊式《きうしき》な頭巾《づきん》の姿《すがた》を珍《めづら》しさうに窺《うかゞ》つて居《ゐ》る男《をとこ》や、粹《いき》な着附《きつ》けの色合《いろあひ》を物欲《ものほ》しさうに盜《ぬす》み視《み》てゐる女《をんな》の多《おほ》いのを、心《こゝろ》ひそかに得意《とくい》として居《ゐ》た。見物《けんぶつ》の女《をんな》のうちで、いでたちの異樣《いやう》な點《てん》から、樣子《やうす》の婀娜《あだ》つぽい點《てん》から、乃至《ないし》器量《きりやう》の點《てん》からも、私《わたし》ほど人《ひと》の眼《め》に着《つ》いた者《もの》はないらしかつた。

初《はじ》めは誰《だれ》も居《ゐ》なかつた筈《はず》の貴賓席《きひんせき》の私《わたし》の側《そば》の椅子《いす》が、いつの間《ま》に塞《ふさ》がつたのか能《よ》くは知《し》らないが、二三度目《にさんどめ》に再《ふたゝ》び電燈《でんとう》がともされた時《とき》、私《わたし》の左隣《ひだりとなり》に二人《ふたり》の男女《だんぢよ》が腰《こし》をかけて居《ゐ》るのに氣《き》が附《つ》いた。

女《をんな》は二十二三《にじふにさん》と見《み》えるが、其《そ》の實《じつ》六七にもなるであらう。髮《かみ》を三《み》つ輪《わ》に結《ゆ》つて、總身《そうしん》をお召《め》しの空色《そらいろ》のマントに包《つゝ》み、くツきりと水《みづ》のしたたるやうな鮮《あざや》かな美貌《びばう》ばかりを、此《こ》れ見《み》よがしに露《あら》はして居《ゐ》る。藝者《げいしや》とも令孃《れいぢやう》とも判斷《はんだん》のつき兼《か》ねる所《ところ》はあるが、連《つ》れの紳士《しんし》の態度《たいど》から推《お》して、決《けつ》して堅儀《かたぎ》の細君《さいくん》ではないらしい。 「‥‥Arrested at last.‥‥」 と、女《をんな》は小聲《こごゑ》で、フイルムの上《うへ》に現《あらは》れた說明書《せつめいが》きを讀《よ》み上《あ》げて、土耳古卷《トルコまき》の M.C.C. の薰《かほ》りの高《たか》い烟《けむり》を私《わたし》の顏《かほ》に吹《ふ》き付《つ》けながら、指《ゆび》に篏《は》めて居《ゐ》る寶石《はうせき》よりも銳《するど》く輝《かゞや》く大《おほ》きい瞳《ひとみ》を、闇《やみ》の中《なか》できらりと私《わたし》の方《はう》へ注《そゝ》いだ。 あでやかな姿《すがた》に似合《にあ》はぬ、太棹《ふとざを》の師匠《ししやう》のやうな皺嗄《しわが》れた聲《こゑ》、――其《そ》の聲《こゑ》は紛《まぎ》れもない、私《わたし》が二三年前《にさんねんまへ》に上海《シヤンハイ》へ旅行《りよかう》する航海《かうかい》の途中《とちう》、ふとした事《こと》から汽船《きせん》の中《なか》で暫《しばら》く關係《くわんけい》を結《むす》んで居《ゐ》たT女《ぢよ》であつた。

女《をんな》は其《そ》の頃《ころ》から、商賣人《しやうばいにん》とも素人《しろうと》とも區別《くべつ》のつかない素振《そぶり》や服裝《ふくさう》を持《も》つて居《ゐ》たやうに覺《おぼ》えて居《ゐ》る。船中《せんちう》に同伴《どうはん》して居《ゐ》た男《をとこ》と、今夜《こんや》の男《をとこ》とはまるで風采《ふうさい》も容貌《ようばう》も變《かは》つてゐるが、多分《たぶん》は此《こ》の二人《ふたり》の男《をとこ》の間《あひだ》を連結《れんけつ》する無數《むすう》の男《をとこ》が、T女《ぢよ》の過去《くわこ》の生涯《しやうがい》を鎖《くさり》のやうに貫《つらぬ》いて居《ゐ》るのであらう。兎《と》も角《かく》も其《そ》の婦人《ふじん》が、始終《しじゆう》一人《ひとり》の男《をとこ》から他《た》の男《をとこ》へと、胡蝶《こてふ》のやうに飛《と》んで步《ある》く種類《しゆるゐ》の女《をんな》であることは確《たし》かであつた。二年前《にねんまへ》に船《ふね》で馴染《なじみ》になつた時《とき》、二人《ふたり》はいろいろの事情《じじやう》から本當《ほんたう》の姓名《せいめい》も名乘《なの》り合《あ》はず、境遇《きやうぐう》も住所《ぢうしよ》も知《し》らせずにゐるうちに上海《シヤンハイ》へ着《つ》いた。さうして私《わたし》は自分《じぶん》に戀《こ》ひ憧《こが》れてゐる女《をんな》を、好《い》い加減《かげん》に欺《あざむ》き、こツそり跡《あと》をくらまして了《しま》つた。以來《いらい》太平洋上《たいへいやうじやう》の夢《ゆめ》の中《なか》なる女《をんな》とばかり思《おも》つて居《ゐ》た其《そ》の人《ひと》の姿《すがた》を、こんな處《ところ》で見《み》ようとは全《まつた》く意外《いぐわい》である。彼《あ》の時分《じぶん》やや小太《こぶと》りに肥《こ》えて居《ゐ》た女《をんな》は、神々《かう/″\》しい迄《まで》に痩《や》せてすツきりとして、睫毛《まつげ》の長《なが》い、潤味《うるみ》を持《も》つた圓《まる》い眼《まなこ》が、拭《ぬぐ》ふが如《ごと》くに冴《さ》え返《かへ》り、男《をとこ》を男《をとこ》とも思《おも》はぬやうな凜々《りゝ》しい權威《けんゐ》さへ具《そな》へてゐる。觸《ふ》るるものに紅《くれなゐ》の血《ち》が濁染《にじ》むかと疑《うたが》はれた生々《なま/\》しい唇《くちびる》と、耳朶《みゝたぶ》の隱《かく》れさうな長《なが》い生《は》え際《ぎは》ばかりは昔《むかし》に變《かは》らないが、鼻《はな》は以前《いぜん》よりも少《すこ》し嶮《けは》しい位《くらゐ》に高《たか》く見《み》えた。

女《をんな》は果《はた》して私《わたし》に氣《き》が付《つ》いて居《ゐ》るのであらうか。どうも判然《はんぜん》と確《たしか》めることが出來《でき》なかつた。明《あか》りがつくと連《つ》れの男《をとこ》にひそひそ戲《たはむ》れて居《ゐ》る樣子《やうす》は、傍《そば》に居《ゐ》る私《わたし》を普通《ふつう》の女《をんな》と蔑《さげす》んで、別段《べつだん》心《こゝろ》にかけて居ないやうでもあつた。實際《じつさい》其《そ》の女《をんな》の隣《となり》に居《ゐ》ると、私《わたし》は今迄《いままで》得意《とくい》であつた自分《じぶん》の扮裝《ふんさう》を卑《いや》しまない譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。表情《へうじやう》の自由《じいう》な、如何《いか》にも生《い》き生《い》きとした妖女《えうぢよ》の魅力《みりよく》に氣壓《けお》されて、技巧《ぎかう》を盡《つく》した化粧《けしやう》も着附《きつ》けも、醜《みにく》く淺《あさ》ましい化物《ばけもの》のやうな氣《き》がした。女《をんな》らしいと云《い》ふ點《てん》からも、美《うつく》しい器量《きりやう》からも、私《わたし》は到底《たうてい》彼《か》の女《をんな》の競爭者《きやうさうしや》ではなく、月《つき》の前《まへ》の星《ほし》のやうに果敢《はか》なく萎《しを》れて了《しま》ふのであつた。

濛々《もう/\》と立《た》ち罩《こ》めた場内《ぢやうない》の汚《よご》れた空氣《くうき》の中《なか》に、曇《くも》りのない鮮明《せんめい》な輪廓《りんくわく》をくツきりと浮《うか》ばせて、マントの蔭《かげ》からしなやかな手《て》をちらちらと、魚《さかな》のやうに游《およ》がせてゐるあでやかさ。男《をとこ》と對談《たいだん》する間《あひだ》にも、時々《とき/″\》夢《ゆめ》のやうな瞳《ひとみ》を上《あ》げて、天井《てんじやう》を仰《あふ》いだり、眉根《まゆね》を寄《よ》せて群衆《ぐんしゆう》を見下《みお》ろしたり、眞白《まつしろ》な齒列《はならび》を見《み》せて微笑《ほゝゑ》むだり、其《そ》の度毎《たびごと》に全《まつた》く別種《べつしゆ》の表情《へうじやう》が、溢《あふ》れんばかりに湛《たゝ》へられる。如何《いか》なる意味《いみ》をも鮮《あざや》かに表《あら》はし得《う》る黑《くろ》い大《おほ》きい瞳《ひとみ》は、場内《ぢやうない》の二《ふた》つの寶石《はうせき》のやうに、遠《とほ》い階下《かいか》の隅《すみ》からも認《みと》められる。顏面《がんめん》の凡《す》べての道具《だうぐ》が、單《たん》に物《もの》を見《み》たり、嗅《か》いだり、聞《き》いたり、語《かた》つたりする機關《きくわん》としては、あまりに餘情《よじやう》に富《と》み過《す》ぎて、人間《にんげん》の顏《かほ》と云《い》ふよりも、男《をとこ》の心《こゝろ》を誘惑《いうわく》する甘味《あまみ》ある餌食《ゑじき》であつた。 もう場内《ぢやうない》の視線《しせん》は、一《ひと》つも私《わたし》の方《はう》に注《そゝ》がれては居《ゐ》なかつた。愚《おろ》かにも、私《わたし》は自分《じぶん》の人氣《にんき》を奪《うば》ひ去《さ》つた其《そ》の女《をんな》の美貌《びばう》に對《たい》して、嫉妬《しつと》と憤怒《ふんぬ》を感《かん》じ始《はじ》めた。嘗《かつ》ては自分《じぶん》が弄《もてあそ》んで恣《ほしいまゝ》に棄《す》ててしまつた女《をんな》の容貌《ようばう》の魅力《みりよく》に、忽《たちま》ち光《ひかり》を消《け》されて、蹈《ふ》み付《つ》けられて行《ゆ》く口惜《くちを》しさ。事《こと》に依《よ》ると、女《をんな》は私《わたし》を認《みと》めて居《ゐ》ながら、わざと皮肉《ひにく》な復讎《ふくしう》をして居《ゐ》るのではないであらうか。‥‥ 私《わたし》は、美貌《びばう》を羨《うらや》む嫉妬《しつと》の情《じやう》が、胸《むね》の中《うち》で次第次第《しだいしだい》に戀慕《れんぼ》の情《じやう》に變《かは》つて行《ゆ》くのを覺《おぼ》えた。女《をんな》としての競爭《きやうさう》に敗《やぶ》れた私《わたし》は、今《いま》一度《いちど》、男《をとこ》として彼《あ》の女《をんな》を征服《せいふく》して勝《か》ち誇《ほこ》つてやりたい。かう思《おも》ふと、抑《おさ》へ難《がた》い欲望《よくばう》に驅《か》られて、しなやかな女《をんな》の體《からだ》を、いきなりむづと鷲摑《わしづかみ》にして搖《ゆ》す振《ぶ》つて見《み》たくもなつた。 [#ここから1字下げ] 君《きみ》は予《よ》の誰《たれ》なるかを知《し》り給《たま》ふや。今夜《こんや》久《ひさ》し振《ぶり》に君《きみ》を見《み》て、 予《よ》は再《ふたゝ》び君《きみ》を戀《こ》ひし始《はじ》めたり。今《いま》一度《いちど》、予《よ》と握手《あくしゆ》し給《たま》ふお心《こゝろ》はなきか、明晚《みやうばん》も此《こ》の席《せき》に來《き》て、予《よ》を待《ま》ち給《たま》ふお心《こゝろ》はなきか、予《よ》は予《よ》の住所《ぢうしよ》を何人《なんびと》にも吿《つ》げ知《し》らする事《こと》を好《この》まねば、唯《たゞ》願《ねが》はくは明日《みやうにち》の今頃《いまごろ》、此《こ》の席《せき》に來《き》て予《よ》を待《ま》ち給《たま》へ。 [#ここで字下げ終わり] 闇《やみ》に紛《まぎ》れて私《わたし》は帶《おび》の間《あひだ》から半紙《はんし》と鉛筆《えんぴつ》を取《と》り出《だ》し、こんな走《はし》り書《が》きをしたものを、ひそかに女《をんな》の袂《たもと》へ投《な》げ込《こ》んだ。さうして、又《また》ぢツと先方《せんぱう》の樣子《やうす》を窺《うかゞ》つてゐた。

十一時《じふいちじ》頃《ごろ》、活動寫眞《くわつどうしやしん》の終《をは》るまでは女《をんな》は靜《しづ》かに見物《けんぶつ》してゐた。觀客《くわんかく》が總立《そうだ》ちになつて、どやどやと場外《ぢやうぐわい》へ崩《くづ》れ出《だ》す混雜《こんざつ》の際《さい》、女《をんな》はもう一|度《ど》私《わたし》の耳元《みゝもと》で、 「‥‥Arrested at last.‥‥」 と囁《さゝや》きながら、前《まへ》よりも自信《じしん》のある、大膽《だいたん》な凝視《ぎようし》を、私《わたし》の顏《かほ》へ暫《しばら》く注《そゝ》いで、やがて男《をとこ》と一|緒《しよ》に人《ひと》ごみの中《なか》へ隱《かく》れてしまつた。 「‥‥Arrested at last.‥‥」 女《をんな》はいつの間《ま》にか、自分《じぶん》を見付《みつ》け出《だ》して居《ゐ》たのだ。かう思《おも》つて私《わたし》は竦然《しようぜん》とした。 それにしても明日《あす》の晚《ばん》、素直《すなほ》に來《き》てくれるであらうか。大分《だいぶ》昔《むかし》よりは年功《ねんこう》を經《へ》てゐるらしい相手《あひて》の力量《りきりやう》を測《はか》らずに、あのやうな眞似《まね》をして、却《かへ》つて弱點《じやくてん》を握《にぎ》られはしまいか、いろいろの不安《ふあん》と疑惧《ぎぐ》に狹《さしはさ》まれながら私《わたし》は寺《てら》へ歸《かへ》つた。 いつものやうに上衣《うはぎ》を脫《ぬ》いで、長襦袢《ながじゆばん》一|枚《まい》にならうとする時《とき》、ぱらりと頭巾《づきん》の裏《うら》から四|角《かく》にたたんだ小《ち》ひさい洋紙《やうし》の切《き》れが落《お》ちた。 「Mr. S. K.」 と書《か》き續《つゞ》けたインキの痕《あと》をすかして見《み》ると、玉甲斐絹《たまがひき》のやうに光《ひか》つてゐる。正《まさ》しく彼《か》の女《をんな》の手《て》であつた。見物中《けんぶつちう》、一二|度《ど》小用《こよう》に立《た》つたやうであつたが、早《はや》くも其《そ》の間《あひだ》に、返事《へんじ》をしたためて、人知《ひとし》れず私《わたし》の襟元《えりもと》へさし込《こ》んだものと見《み》える。 [#ここから1字下げ] 思《おも》ひがけなき所《ところ》にて、思《おも》ひがけなき君《きみ》の姿《すがた》を見申候《みまをしさふらふ》。たとへ裝《よそほ》ひを變《か》へ給《たま》ふとも、三年《さんねん》此《こ》のかた夢寐《むび》にも忘《わす》れぬ御面影《おんおもかげ》を、いかで見逃《みのが》し候《さふらふ》べき。妾《わらは》は初《はじ》めより頭巾《づきん》の女《をんな》の君《きみ》なる事《こと》を承知仕候《しようちつかまつりさふらふ》。それにつけても相變《あひかは》らず物好《ものず》きなる君《きみ》にておはせしことの可笑《をか》しさよ。妾《わらは》に會《あ》はんと仰《おほ》せらるるも、多分《たぶん》は此《こ》の物好《ものず》きのおん興《きよう》じにやと心許《こゝろもと》なく存《ぞん》じ候《さふら》へども、あまりの嬉《うれ》しさに兎角《とかく》の分別《ふんべつ》も出《い》でず、唯々《たゞ/\》仰《おほ》せに從《したが》ひ明夜《みやうや》は必《かなら》ず御待《おま》ち申《まを》す可《べ》く候《さふらふ》。ただし、妾《わらは》に少々《せう/\》戶合《つがふ》もあり、考《かんが》へも有之候《これありさふら》へば、九|時《じ》より九|時半《じはん》までの間《あひだ》に雷門《かみなりもん》までお出《い》で下《くだ》されまじくや、其處《そこ》にて當方《たうはう》より差《さ》し向《む》けたるお迎《むか》ひの車夫《しやふ》が、必《かなら》ず君《きみ》を見《み》つけ出《だ》して拙宅《せつたく》へ御案内《ごあんない》致《いた》す可《べ》く候《さふらふ》。君《きみ》の御住所《ごぢうしよ》を祕《ひ》し給《たま》ふと同樣《どうやう》に、妾《わらは》も今《いま》の在《あ》り家《か》を御知《おし》らせ致《いた》さぬ所存《しよぞん》にて、車上《しやじやう》の君《きみ》に眼隱《めかく》しをしてお連《つ》れ申《まを》すやう取《と》りはからはせ置《お》き候《さふらふ》間《あひだ》、右《みぎ》御許《おゆる》し下《くだ》され度《たく》、若《も》し此《こ》の一|事《じ》を御承引《ごしよういん》下《くだ》され候《さふら》はずば、妾《わらは》は永遠《えいゑん》に君《きみ》を見《み》ることかなはず、此《こ》れに過《す》ぎたる悲《かな》しみは無之候《これなくさふらふ》。 [#ここで字下げ終わり] 私《わたし》は此《こ》の手紙《てがみ》を讀《よ》んで行《ゆ》くうちに、自分《じぶん》がいつの間《ま》にか、探偵小說中《たんていせうせつちう》の人物《じんぶつ》となり終《をほ》せて居《ゐ》るのを感《かん》じた。不思議《ふしぎ》な好奇心《かうきしん》と恐怖《きやうふ》とが、頭《あたま》の中《なか》で渦《うづ》を卷《ま》いた。女《をんな》が自分《じぶん》の性癖《せいへき》を呑《の》み込《こ》んで居《ゐ》て、わざとこんな眞似《まね》をするのかと思《おも》はれた。

明《あ》くる日《ひ》の晚《ばん》は素晴《すば》らしい大雨《たいう》であつた。私《わたし》はすつかり服裝《ふくさう》を改《あらた》めて、對《つひ》の大島《おほしま》の上《うへ》にゴム引《びき》の外套《ぐわいたう》を纏《まと》ひ、ざぶん、ざぶんと、甲斐絹張《かひきば》りの洋傘《かうもり》に、瀧《たき》の如《ごと》く叩《たゝ》きつける雨《あめ》の中《なか》を戶外《おもて》へ出《で》た。新堀《しんぼり》の溝《どぶ》が往來《わうらい》一|圓《ゑん》に溢《あふ》れてゐるので、私《わたし》は足袋《たび》を懷《ふところ》へ入《い》れたが、びしよびしよに濡《ぬ》れた素足《すあし》が、家列《やなみ》のランプに照《て》らされてぴかぴか光《ひか》つて居《ゐ》た。夥《おびたゞ》しい雨量《うりやう》が、天《てん》からざあざあと直瀉《ちよくしや》する喧囂《けんがう》の響《ひゞき》の中《なか》に、何《なに》も彼《か》も打《う》ち消《け》されて、不斷《ふだん》賑《にぎや》かな廣小路《ひろこうぢ》の通《とほ》りも大槪《たいがい》雨戶《あまど》を締《し》め切《き》り、二三|人《にん》の臀端折《しりはしを》りの男《をとこ》が、敗走《はいそう》した兵士《へいし》のやうに駈《か》け出《だ》して行《ゆ》く。電車《でんしや》が時々《とき/″\》レールの上《うへ》に溜《た》まつた水《みづ》をほどばしらせて通《とほ》る外《ほか》は、ところどころの電柱《でんちう》や廣吿《くわうこく》のあかりが、濛々《もう/\》たる雨《あめ》の空中《くうちう》をぼんやり照《て》らしてゐるばかりであつた。

外套《ぐわいたう》から、手首《てくび》から、肘《ひぢ》の邊《へん》まで水《みづ》だらけになつて、漸《やうや》く雷門《かみなりもん》へ來《き》た私《わたし》は、雨中《うちう》にしよんぼり立《た》ち止《どま》りながら、アーク燈《とう》の光《ひかり》を透《す》かして、四邊《あたり》を見廻《みまは》したが、一《ひと》つも人影《ひとかげ》は見《み》えない。何處《どこ》かの暗《くら》い隅《すみ》に隱《かく》れて、何者《なにもの》かが私《わたし》の樣子《やうす》を窺《うかゞ》つてゐるのかも知《し》れない。かう思《おも》つて暫《しばら》く彳《たゝず》んで居《ゐ》ると、やがて吾妻橋《あづまばし》の方《はう》の暗闇《くらやみ》から、赤《あか》い提灯《ちやうちん》の火《ひ》が一《ひと》つ動《うご》き出《だ》して、がらがらがらと街鐵《がいてつ》の敷《き》き石《いし》の上《うへ》を駛走《しつそう》して來《き》た舊式《きうしき》な相乘《あひの》りの俥《くるま》が、ぴたりと私《わたし》の前《まへ》で止《と》まつた。 「旦那《だんな》、お乘《の》んなすつて下《くだ》さい」 深《ふか》い饅頭笠《まんぢゆうがさ》の雨合羽《あまがつぱ》を着《き》た車夫《しやふ》の聲《こゑ》が、車軸《しやじく》を流《なが》す雨《あめ》の響《ひゞき》の中《なか》に消《き》えたかと思《おも》うと、男《をとこ》はいきなり私《わたし》の後《うしろ》へ廻《まは》つて、羽二重《はぶたへ》の布《きれ》を素早《すばや》く私《わたし》の兩眼《りやうがん》の上《うへ》へ二《ふ》た廻《まは》り程《ほど》卷《ま》きつけて、蟀谷《こめかみ》の皮《かは》がよぢれる程《ほど》强《つよ》く緊《し》め上《あ》げた。 「さあ、お召《め》しなさい」 かう云《い》つて、男《をとこ》のざらざらした手《て》が、私《わたし》を摑《つか》んで、惶《あはたゞ》しく俥《くるま》の上《うへ》へ乘《の》せた。 しめつぽい匂《にほひ》のする幌《ほろ》の上《うへ》へ、ぱらぱらと雨《あめ》の注《そゝ》ぐ音《おと》がする。疑《うたがひ》もなく私《わたし》の隣《となり》には女《をんな》が一人《ひとり》乘《の》つて居《ゐ》る。お白粉《しろい》の薰《かほり》と暖《あたゝか》い體溫《たいをん》が、幌《ほろ》の中《なか》へ蒸《む》すやうに罩《こも》つてゐた。

轅《かぢ》を上《あ》げた俥《くるま》は、方向《はうかう》を晦《くら》ます爲《た》めに、一《ひと》つ所《ところ》をくるくると二三|度《ど》廻《まは》つて走《はし》り出《だ》したが、右《みぎ》へ曲《まが》り、左《ひだ》りへ折《を》れ、どうかすると Labyrinth の中《なか》をうろついて居《ゐ》るやうであつた。時々《とき/″\》電車通《でんしやどほ》りへ出《で》たり、小《ち》ひさな橋《はし》を渡《わた》つたりした。

長《なが》い間《あひだ》、さうして俥《くるま》に搖《ゆ》られて居《ゐ》た。隣《となり》に列《なら》んでゐる女《をんな》は勿論《もちろん》T女《ぢよ》であらうが、默《だま》つて身《み》じろぎもせずに腰《こし》かけてゐる。多分《たぶん》私《わたし》の眼隱《めかく》しが嚴格《げんかく》に守《まも》られるか否《いな》かを監督《かんとく》する爲《た》めに同乘《どうじよう》して居《ゐ》るものらしい。しかし、私《わたし》は他人《たにん》の監督《かんとく》がなくても、決《けつ》して此《こ》の眼《め》かくしを取《と》り外《はづ》す氣《き》はなかつた。海《うみ》の上《うへ》で知《し》り合《あ》ひになつた夢《ゆめ》のやうな女《をんな》、大雨《たいう》の晚《ばん》の幌《ほろ》の中《なか》、夜《よる》の都會《とくわい》の祕密《ひみつ》、盲目《まうもく》、沈默《ちんもく》――凡《す》べての物《もの》が一《ひと》つになつて、渾然《こんぜん》たるミステリーの靄《もや》の裡《うち》に私《わたし》を投《な》げ込《こ》んで了《しま》つて居《ゐ》る。 やがて女《をんな》は固《かた》く結《むす》んだ私《わたし》の唇《くちびる》を分《わ》けて、口《くち》の中《なか》へ卷烟草《まきたばこ》を挿《さ》し込《こ》んだ。さうしてマツチを擦《す》つて、火《ひ》をつけてくれた。

一|時間《じかん》程《ほど》立《た》つて漸《やうや》く俥《くるま》は停《と》まつた。再《ふたゝ》びざらざらした男《をとこ》の手《て》が私《わたし》を導《みちび》きながら、狹《せま》さうな路次《ろじ》を二三|間《げん》行《ゆ》くと、裏木戶《うらきど》のやうなものをギーと開《あ》けて、家《いへ》の中《なか》へつれて行《い》つた。

眼《め》を塞《ふさ》がれながら一人《ひとり》座敷《ざしき》に取殘《とりのこ》されて、暫《しばら》く坐《すわ》つてゐると、間《ま》もなく襖《ふすま》の開《あ》く音《おと》がして、女《をんな》は無言《むごん》の儘《まゝ》、人魚《にんぎよ》のやうに體《たい》を崩《くづ》して擦《す》り寄《よ》りつつ、私《わたし》の膝《ひざ》の上《うへ》へ仰向《あふむ》きに上半身《じやうはんしん》を凭《もた》せかけた。さうして、兩腕《りやううで》を私《わたし》の項《うなぢ》に廻《まは》して羽二重《はぶたへ》の結《むす》び目《め》をはらりと解《と》いた。

部屋《へや》は八|疊《でふ》位《ぐらゐ》もあらう。普請《ふしん》と云《い》ひ、裝飾《さうしよく》と云《い》ひ、なかなか立派《りつぱ》で、木柄《きがら》なども選《えら》んではあるが、丁度《ちやうど》此《こ》の女《をんな》の身分《みぶん》が分《わか》らぬと同樣《どうやう》に、待合《まちあひ》とも、妾宅《せふたく》とも、上流《じやうりう》の堅儀《かたぎ》な住居《すまゐ》とも見極《みきは》めがつかない、一|方《ぱう》の椽側《えんがは》の外《そと》にはこんもりとした植《う》ゑ込《こ》みがあつて、其《そ》の向《むか》うは板塀《いたべい》に圍《かこ》はれてゐる。唯《たゞ》此《こ》れだけの眼界《がんかい》では、此《こ》の家《いへ》が東京《とうきやう》のどの邊《へん》にあたるのか、大凡《おほよそ》の見當《けんたう》すら判《わか》らなかつた。 「よく來《き》て下《くだ》さいましたね。」 かう云《い》ひながら、女《をんな》は座敷《ざしき》の中央《ちうわう》の、四|角《かく》な紫檀《したん》の机《つくゑ》へ身《み》を凭《よ》せかけて、白《しろ》い兩腕《りやううで》を二|匹《ひき》の生《い》き物《もの》のやうに、だらりと卓上《たくじやう》に這《は》はせた。襟《えり》のかかつた澁《しぶ》い縞《しま》お召《めし》に腹合《はらあは》せ帶《おび》をしめて、銀杏返《いてふがへ》しに結《ゆ》つて居《ゐ》る風情《ふぜい》の、昨夜《ゆふべ》と恐《おそ》ろしく趣《おもむき》が變《かは》つてゐるのに、私《わたし》は先《ま》づ驚《おどろ》かされた。 「あなたは、今夜《こんや》あたしがこんな風《ふう》をして居《ゐ》るのを可笑《をか》しいと思《おも》つて居《ゐ》らツしやるんでせう。それでも人《ひと》に身分《みぶん》を知《し》らせないやうにするには、かうやつて每日《まいにち》身《み》なりを換《か》へるより外《ほか》に仕方《しかた》がありませんからね。」 卓上《たくじやう》に伏《ふ》せてある洋盃《コツプ》を起《おこ》して、葡萄酒《ぶだうしゆ》を注《つ》ぎながら、こんな事《こと》を云《い》ふ女《をんな》の素振《そぶ》りは、思《おも》つたよりもしとやかに打《う》ち萎《しを》れて居《ゐ》た。 「でも好《よ》く覺《おぼ》えて居《ゐ》て下《くだ》さいましたね、上海《シヤンハイ》でお別《わか》れしてから、いろいろの男《をとこ》と苦勞《くらう》もして見《み》ましたが、妙《めう》にあなたの事《こと》を忘《わす》れることが出來《でき》ませんでした。もう今度《こんど》こそは私《わたし》を棄《す》てないで下《くだ》さいまし。身分《みぶん》も境遇《きやうぐう》も判《わか》らない、夢《ゆめ》のやうな女《をんな》だと思《おも》つて、いつまでもお附《つ》き合《あ》ひなすつて下《くだ》さい。」 女《をんな》の語《かた》る一言一句《いちごんいちく》が、遠《とほ》い國《くに》の歌《うた》のしらべのやうに、哀韻《あいゐん》を含《ふく》んで私《わたし》の胸《むね》に響《ひゞ》いた。昨夜《ゆふべ》のやうな派手《はで》な勝氣《かちき》な悧發《りはつ》な女《をんな》が、どうしてかう云《い》ふ憂鬱《いううつ》な、殊勝《しゆしよう》な姿《すがた》を見《み》せることが出來《でき》るのであらう。さながら萬事《ばんじ》を打《う》ち捨《す》てて、私《わたし》の前《まへ》に魂《たましひ》を投《な》げ出《だ》してゐるやうであつた。 「夢《ゆめ》の中《なか》の女《をんな》」「祕密《ひみつ》の女《をんな》」朦朧《もうろう》とした、現實《げんじつ》とも幻覺《げんかく》とも區別《くべつ》の付《つ》かない love adventure の面白《おもしろ》さに、私《わたし》は其《そ》れから每晚《まいばん》のやうに女《をんな》の許《もと》に通《かよ》ひ、夜半《よなか》の二時《にじ》頃迄《ごろまで》遊《あそ》んでは、また眼《め》かくしをして雷門《かみなりもん》まで送《おく》り返《かへ》された。一《ひ》と月《つき》も二《ふ》た月《つき》も、お互《たがひ》に所《ところ》を知《し》らず、名《な》を知《し》らずに會見《くわいけん》してゐた。女《をんな》の境遇《きやうぐう》や住宅《ぢうたく》を搜《さぐ》り出《だ》さうと云《い》ふ氣《き》は少《すこ》しもなかつたが、だんだん時日《じじつ》が立《た》つに從《したが》ひ、私《わたし》は妙《めう》な好奇心《かうきしん》から自分《じぶん》を乘《の》せた俥《くるま》が、果《はた》して東京《とうきやう》の何方《どつち》の方面《はうめん》に二人《ふたり》を運《はこ》んで行《ゆ》くのか、自分《じぶん》の今《いま》眼《め》を塞《ふさ》がれて通《とほ》つて居《ゐ》る處《ところ》は、淺草《あさくさ》から、何《ど》の邊《へん》に方《あたつ》て居《ゐ》るのか、唯《たゞ》其《そ》れだけを是非共《ぜひとも》知《し》つて見《み》たくなつた。三十分《さんじつぷん》も一時間《いちじかん》も、時《とき》とすると一時間半《いちじかんはん》もがらがらと市街《しがい》を走《はし》つてから、轅《かぢ》を下《お》ろす女《をんな》の家《いへ》は、案外《あんぐわい》雷門《かみなりもん》の近《ちか》くにあるのかも知《し》れない。私《わたし》は每夜《まいよ》俥《くるま》に搖《ゆ》す振《ぶ》られながら、此處《こゝ》か彼處《あすこ》かと心《こゝろ》の中《なか》に憶測《おくそく》を廻《めぐ》らす事《こと》を禁《きん》じ得《え》なかつた。

或《あ》る晚《ばん》、私《わたし》はたうとう溜《たま》らなくなつて、 「一寸《ちよつと》でも好《い》いから、此《こ》の眼《め》かくしを取《と》つてくれ。」 と俥《くるま》の上《うへ》で女《をんな》にせがんだ。 「いけません、いけません」 と、女《をんな》は惶《あは》てて、私《わたし》の兩手《りやうて》をしツかり押《おさ》へて、其《そ》の上《うへ》へ顏《かほ》を押《お》しあてた。 「何卒《どうぞ》そんな我儘《わがまゝ》を云《い》はないで下《くだ》さい。此處《こゝ》の往來《わうらい》はあたしの祕密《ひみつ》です。此《こ》の祕密《ひみつ》を知《し》られれば、あたしはあなたに捨《す》てられるかも知《し》れません。」 「どうして私《わたし》に捨《す》てられるのだ。」 「さうなれば、あたしはもう『夢《ゆめ》の中《なか》の女《をんな》』ではありません。あなたは私《わたし》を戀《こ》ひして居《ゐ》るよりも、『夢《ゆめ》の中《なか》の女《をんな》』を戀《こひ》して居《ゐ》るのですもの。」 いろいろに言葉《ことば》を盡《つく》して賴《たの》んだが、私《わたし》は何《なん》と云《い》つても聞《き》き入《い》れなかつた。 「仕方《しかた》がない。そんなら見《み》せて上《あ》げませう。‥‥其《そ》の代《かは》り一寸《ちよつと》ですよ。」 女《をんな》は嘆息《たんそく》するやうに云《い》つて、力《ちから》なく眼《め》かくしの布《ぬの》を取《と》りながら、 「此處《こゝ》が何處《どこ》だか判《わか》りますか。」 と、心許《こゝろもと》ない顏《かほ》つきをした。

美《うつく》しく晴《は》れ渡《わた》つた空《そら》の地色《ぢいろ》は、妙《めう》に黑《くろ》ずんで星《ほし》が一|面《めん》にきらきらと輝《かゞや》き、白《しろ》い霞《かすみ》のやうな天《あま》の川《がは》が果《は》てから果《は》てへ流《なが》れてゐる。狹《せま》い道路《だうろ》の兩側《りやうがは》には商店《しやうてん》が軒《のき》を列《なら》べて、燈火《とうくわ》の光《ひかり》が賑《にぎや》かに町《まち》を照《て》らしてゐた。

不思議《ふしぎ》な事《こと》には、可《か》なり繁華《はんくわ》な通《とほ》りであるらしいのに、私《わたし》は其《そ》れが何處《どこ》の街《まち》であるか、さつぱり見當《けんたう》が付《つ》かなかつた。俥《くるま》はどんどん其《そ》の通《とほ》りを走《はし》つて、やがて一二町《いちにちやう》先《さき》の突《つ》き當《あた》りの正面《しやうめん》に精美堂《せいびだう》と大《おほ》きく書《か》いた印形屋《いんぎやうや》の看板《かんばん》が見《み》え出《だ》した。

私《わたし》が看板《かんばん》の橫《よこ》に書《か》いてある細《こまか》い文字《もんじ》の町名《ちやうめい》番地《ばんち》を、俥《くるま》の上《うへ》で遠《とほ》くから覗《のぞ》き込《こ》むやうにすると、女《をんな》は忽《たちま》ち氣《き》が付《つ》いたか、 「あれツ」 と云《い》つて、再《ふたゝ》び私《わたし》の眼《め》を塞《ふさ》いで了《しま》つた。

賑《にぎや》かな商店《しやうてん》の多《おほ》い小路《こうぢ》で、突《つ》きあたりに印形屋《いんぎやうや》の看板《かんばん》の見《み》える街《まち》――どう考《かんが》へて見《み》ても、私《わたし》は今迄《いままで》通《とほ》つたことのない往來《わうらい》の一《ひと》つに違《ちが》ひないと思《おも》つた。子供時代《こどもじだい》に經驗《けいけん》したやうな謎《なぞ》の世界《せかい》の感《かん》じに、再《ふたゝ》び私《わたし》は誘《いざな》はれた。 「あなた、彼《あ》の看板《かんばん》の字《じ》が讀《よ》めましたか。」 「いや、讀《よ》めなかつた。一|體《たい》此處《こゝ》は何處《どこ》なのだか私《わたし》にはまるで判《わか》らない。私《わたし》はお前《まへ》の生活《せいくわつ》に就《つ》いては、三年前《さんねんまへ》の太平洋《たいへいやう》の波《なみ》の上《うへ》の事《こと》ばかりしか知《し》らないのだ。私《わたし》はお前《まへ》に誘惑《いうわく》されて、何《なん》だか遠《とほ》い海《うみ》の向《むか》うの、幻《まぼろ》しの國《くに》へ伴《つ》れて來《こ》られたやうに思《おも》はれる。」 私《わたし》が斯《か》う答《こた》へると、女《をんな》はしみじみとした悲《かな》しい聲《こゑ》で、こんな事《こと》を云《い》つた。 「後生《ごしやう》だからいつまでもさう云《い》ふ氣持《きもち》で居《ゐ》て下《くだ》さい。幻《まぼろ》しの國《くに》に住《す》む、夢《ゆめ》の中《なか》の女《をんな》だと思《おも》つて居《ゐ》て下《くだ》さい。もう二|度《ど》と再《ふたゝ》び、今夜《こんや》のやうな我《わ》が儘《まゝ》を云《い》はないで下《くだ》さい。」 女《をんな》の眼《め》からは、淚《なみだ》が流《なが》れて居《ゐ》るらしかつた。