Part 4
其《そ》の明《あ》くる日《ひ》から、私《わたし》も仙吉《せんきち》も光子《みつこ》の前《まへ》へ出《で》ると猫《ねこ》のやうに大人《おとな》しくなつて跪《ひざまづ》き、たまたま信一《しんいち》が姊《あね》の言葉《ことば》に逆《さから》はうとすると、忽《たちま》ち取《と》つて抑《おさ》へて、何《なん》の會釋《ゑしやく》もなくふん縛《じば》つたり撲《なぐ》つたりするので、さしも傲慢《がうまん》な信一《しんいち》も、だんだん日《ひ》を經《ふ》るに從《したが》つてすつかり姊《あね》の家來《けらい》となり、家《うち》に居《ゐ》ても學校《がくかう》に居《ゐ》る時《とき》と同《おな》じやうに全《まつた》く卑屈《ひくつ》な意氣地《いくぢ》なしと變《かは》つて了《しま》つた。三|人《にん》は何《なに》か新《あたら》しく珍《めづ》らしい遊戲《いうぎ》の方法《はうはふ》でも發見《はつけん》したやうに、嬉々《きゝ》として光子《みつこ》の命令《めいれい》に服從《ふくじゆう》し、「腰掛《こしか》けにおなり。」と云《い》へば直《す》ぐ四つ這《ば》ひになつて背《せ》を向《む》けるし、「吐月峰《はいふき》におなり。」と云《い》へば直《たゞ》ちに畏《かしこ》まつて口《くち》を開《ひら》く。次第《しだい》に光子《みつこ》は增長《ぞうちやう》して三|人《にん》を奴隸《どれい》の如《ごと》く追《お》ひ使《つか》ひ、湯上《ゆあが》りの足《あし》の爪《つめ》を切《き》らせたり、鼻《はな》の穴《あな》の掃除《さうじ》を命《めい》じたり、Urine を飮《の》ませたり、始終《しじゆう》私逹《わたしたち》を側《そば》へ侍《はべ》らせて、長《なが》く此《こ》の國《くに》の女王《ぢよわう》となつた。
西洋館《せいやうくわん》へは其《そ》れ切《き》り一|度《ど》も行《ゆ》かなかつた。彼《あ》の靑大將《あをだいしやう》は果《はた》して本物《ほんもの》だか贋物《にせもの》だか、今《いま》考《かんが》へて見《み》てもよく判《わか》らない。
幇間《ほうかん》
明治《めいぢ》三十七年《さんじふしちねん》の夏《なつ》から、三十八年《さんじふはちねん》の秋《あき》へかけて、世界中《せかいぢゆう》を騷《さわ》がせた日露戰爭《にちろせんさう》が漸《やうや》くポウツマス條約《でうやく》に終《をは》りを吿《つ》げ、國力發展《こくりよくはつてん》の名《な》の下《もと》に、いろいろの企業《きげふ》が續々《ぞく/″\》と勃興《ぼつこう》して、新華族《しんくわぞく》も出來《でき》れば、成金《なりきん》も出來《でき》るし、世間《せけん》一|帶《たい》が何《なん》となくお祭《まつり》のやうに景氣付《けいきづ》いて居《ゐ》た四十年《しゞふねん》の四月《しぐわつ》の半《なか》ば頃《ころ》の事《こと》でした。
丁度《ちやうど》向島《むかふじま》の土手《どて》は、櫻《さくら》が滿開《まんかい》で、靑々《あを/\》と晴《は》れ渡《わた》つた麗《うらゝ》かな日曜日《にちえうび》の午前中《ごぜんちう》から、淺草行《あさくさゆ》きの電車《でんしや》も蒸汽船《じようきせん》も一杯《いつぱい》の人《ひと》を乘《の》せ、群衆《ぐんじゆう》が蟻《あり》のやうにぞろぞろ渡《わた》つて行《ゆ》く吾妻橋《あづまばし》の向《むか》うは、八百松《やほまつ》から、遙《はる》か言問《ことと》ひの艇庫《ていこ》の邊《へん》へ暖《あたゝ》かさうな霞《かすみ》がかかり、對岸《たいがん》の小松宮《こまつのみや》御別邸《ごべつてい》を始《はじ》め、橋場《はしば》、今戶《いまど》、花川戶《はなかはど》の街々《まち/\》まで、もやもやとした藍色《あゐいろ》の光《ひかり》の中《うち》に眠《ねむ》つて、其《そ》の後《うし》ろには公園《こうゑん》の十二階《じふにかい》が、水蒸氣《すゐじようき》の多《おほ》い、咽《む》せ返《かへ》るやうな紺靑《こんじやう》の空《そら》に、朦朧《もうろう》と立《た》つて居《ゐ》ます。
千住《せんじゆ》の方《はう》から深《ふか》い霞《かすみ》の底《そこ》をくぐつて來《く》る隅田川《すみだがは》は、小松島《こまつしま》の角《かど》で一《ひ》とうねりうねつてまんまんたる大河《たいが》の形《かたち》を備《そな》へ、兩岸《りやうがん》の春《はる》に醉《よ》つたやうな慵《ものう》げなぬるま水《みづ》を、きらきら日《ひ》に光《ひか》らせながら、一直線《いつちよくせん》に吾妻橋《あづまばし》の下《した》へ出《で》て行《ゆ》きます。川《かは》の面《おもて》は、如何《いか》にもふツくらとして鷹揚《おうやう》な波《なみ》が、のたり/\とだるさうに打《う》ち、蒲團《ふとん》のやうな手觸《てざは》りがするかと思《おも》はれる柔《やはら》かい水《みづ》の上《うへ》に、幾艘《いくさう》のボートや花見舟《はなみぶね》が浮《う》かんで、時々《とき/″\》山谷堀《さんやぼり》の口《くち》を離《はな》れる渡《わた》し船《ぶね》は上《のぼ》り下《くだ》りの船列《せんれつ》を橫《よこ》ぎりつつ、舷《ふなばた》に溢《あふ》れる程《ほど》の人數《にんず》を、絕《た》えず土手《どて》の上《うへ》へ運《はこ》んで居《ゐ》ます。
其《そ》の日《ひ》の朝《あさ》の十時頃《じふじごろ》の事《こと》です。神田川《かんだがは》の口元《くちもと》を出《で》て、龜淸樓《かめせいろう》の石垣《いしがき》の蔭《かげ》から、大川《おほかは》の眞《ま》ん中《なか》へ漕《こ》ぎ出《だ》した一|艘《さう》の花見船《はなみぶね》がありました。紅白《こうはく》だんだらの幔幕《まんまく》に美々《びゞ》しく飾《かざ》つた大傳馬《おほでんま》へ、代地《だいち》の幇間《ほうかん》藝者《げいしや》を乘《の》せて、船《ふね》の中央《ちうあう》には其《そ》の當時《たうじ》兜町《かぶとちやう》で成金《なりきん》の名《な》を響《ひゞ》かせた榊原《さかきばら》と云《い》ふ株屋《かぶや》の旦那《だんな》が、五六人《ごろくにん》の末社《まつしや》を從《したが》へ、船中《せんちう》の男女《だんぢよ》を見廻《みまは》しながら、ぐびりぐびりと大杯《たいはい》を傾《かたむ》けて、其《そ》の太《ふと》つた赭《あか》ら顏《がほ》には、すでに三分《さんぶ》の醉《ゑひ》が循《まは》つて居《ゐ》ます。中流《ちゆうりう》に浮《う》かんだ船《ふね》が、藤堂伯《とうだうはく》の邸《やしき》の塀《へい》と並《なら》んで進《すゝ》む頃《ころ》、幔幕《まんまく》の中《なか》から絃歌《げんか》の聲《こゑ》が涌然《ゆうぜん》と起《おこ》り、陽氣《ようき》な響《ひゞき》は大川《おほかは》の水《みづ》を搖《ゆる》がせて、百|本杭《ぽんぐい》と代地《だいち》の河岸《かし》を襲《おそ》つて來《き》ます。兩國橋《りやうごくばし》の上《うへ》や、本所淺草《ほんじよあさくさ》の河岸通《かしどほ》りの人々《ひと/″\》は、孰《いづ》れも首《くび》を伸《の》ばして、此《こ》の大陽氣《おほやうき》に見惚《みと》れぬ者《もの》はありません。船中《せんちゆう》の樣子《やうす》は手《て》に取《と》るやうに陸《りく》から窺《うかゞ》はれ、時時《ときどき》なまめかしい女《をんな》の言葉《ことば》さへ、河面《かはづら》を吹《ふ》き渡《わた》るそよ風《かぜ》に傳《つた》はつて洩《も》れて來《き》ます。
船《ふね》が横網河岸《よこあみがし》へかかつたと思《おも》ふ時分《じぶん》に、忽《たちま》ち舳《へさき》へ異形《いぎやう》なろくろ[#「ろくろ」に傍点]首《くび》の變裝人物《へんさうじんぶつ》が現《あら》はれ、三味線《しやみせん》に連《つ》れて滑稽《こつけい》極《きは》まる道化踊《だうけをどり》を始《はじ》めました。女《をんな》の目鼻《めはな》を描《ゑが》いた大《おほ》きい風船玉《ふうせんだま》へ、恐《おそ》ろしく細長《ほそなが》い紙袋《かみぶくろ》の頸《くび》をつけて、其《そ》れを頭《あたま》からすつぽり被《かぶ》つたものと思《おも》はれます。本人《ほんにん》の顏《かほ》は皆目《かいもく》袋《ふくろ》の中《なか》へ隱《かく》れて、身《み》にはけばけばしい友禪《いうぜん》の振袖《ふりそで》を着《き》、足《あし》に白足袋《しろたび》を穿《は》いては居《ゐ》るものの、折々《をり/\》かざす踊《をど》りの手振《てぶ》りに、緋《ひ》の袖口《そでぐち》から男《をとこ》らしい頑丈《ぐわんぢやう》な手頸《てくび》が露《あら》はれて、節《ふし》くれ立《たつ》た褐色《かつしよく》の五|本《ほん》の指《ゆび》が殊《こと》に目立《めだ》ちます。風船玉《ふうせんだま》の女《をんな》の首《くび》は、風《かぜ》のまにまにふわふわと飛《と》んで、岸《きし》近《ぢか》い家《いへ》の軒《のき》を窺《うかゞ》つたり、擦《す》れ違《ちが》ひさまに向《むか》うの船《ふね》の船頭《せんどう》の頭《あたま》を掠《かす》めたり、其度每《そのたびごと》に陸上《りくじやう》では目《め》を欹《そばだ》て、見物人《けんぶつにん》は手《て》を打《う》つて笑《わら》ひどよめきます。 あれあれと云《い》ふうちに、船《ふね》は厩橋《うまやばし》の方《はう》へ進《すゝ》んで來《き》ました。橋《はし》の上《うへ》には眞黑《まつくろ》に人《ひと》がたかり、黃色《きいろ》い顏《かほ》がずらりと列《なら》んで、眼下《がんか》に迫《せま》つて來《く》る船中《せんちゆう》の模樣《もやう》を眺《なが》めて居《ゐ》ます。だんだん近《ちか》づくに隨《したが》ひ、ろくろ[#「ろくろ」に傍点]首《くび》の目鼻《めはな》はありありと空中《くうちゆう》に描《ゑが》き出《いだ》され、泣《な》いて居《ゐ》るやうな、笑《わら》つて居《ゐ》るやうな、眠《ねむ》つて居《ゐ》るやうな、何《なん》とも云《い》へぬ飄逸《へういつ》な表情《へうじやう》に、見物人《けんぶつにん》は又《また》可笑《をか》しさに誘《さそ》はれます。兎角《とかく》するうち、舳《へさき》が橋《はし》の蔭《かげ》へ入《はい》ると、首《くび》は水嵩《みかさ》の增《ま》した水面《すゐめん》から、見物人《けんぶつにん》の顏《かほ》近《ちか》くするすると欄杆《らんかん》に輕《かる》く擦《こす》れて、其《そ》のまま船《ふね》に曳《ひ》かれて折《を》れかがまり、橋桁《はしげた》の底《そこ》をなよなよと這《は》つて、今度《こんど》は向《むか》う側《がは》の靑空《あをそら》へ、ふわり、と浮《うか》び上《あが》りました。
駒形堂《こまがただう》の前《まへ》まで來《く》ると、もう吾妻橋《あづまばし》の通行人《つうかうにん》が遙《はる》かに此《こ》れを認《みと》めて、さながら凱旋《がいせん》の軍隊《ぐんたい》を勸迎《くわんげい》するやうに待《ま》ち構《かま》へて居《ゐ》る樣子《やうす》が、船《ふね》の中《なか》からもよく見《み》えます。
其處《そこ》でも厩橋《うまやばし》と同《おな》じやうな滑稽《こつけい》を演《えん》じて人《ひと》を笑《わら》はせ、いよいよ向島《むかうじま》にかかりました。一|丁《ちやう》ふえた三味線《しやみせん》の音《ね》は益々《ます/\》景氣《けいき》づき、丁度《ちやうど》牛《うし》が馬鹿囃《ばかばや》しの響《ひゞき》に促《うなが》されて、花車《だし》を挽《ひ》くやうに、船《ふね》も陽氣《やうき》な音曲《おんぎよく》の力《ちから》に押《お》されて、徐々《しづ/\》と水上《すゐじやう》を進《すゝ》むやうに思《おも》はれます。大川《おほかは》狹《せま》しと漕《こ》ぎ出《だ》した幾艘《いくさう》の花見船《はなみぶね》や、赤《あか》や青《あを》の小旗《こばた》を振《ふ》つてボートの聲援《せいゑん》をして居《ゐ》る學生逹《がくせいたち》を始《はじ》め、兩岸《りやうがん》の群衆《ぐんじゆう》は唯《たゞ》あつけ[#「あつけ」に傍点]に取《と》られて、此《こ》の奇態《きたい》な道化船《だうけぶね》の進路《しんろ》を見送《みおく》ります。ろくろ[#「ろくろ」に傍点]首《くび》の踊《をどり》はますます宛轉滑脫《ゑんてんかつだつ》となり、風船玉《ふうせんだま》は川風《かはかぜ》に煽《あほ》られつつ、忽《たちま》ち蒸汽船《じようきせん》の白煙《しろけむり》を潛《くゞ》り拔《ぬ》け、忽《たちま》ち高《たか》く舞《ま》ひ上《あが》つて待乳山《まつちやま》を眼下《がんか》に見《み》、見物人《けんぶつにん》に媚《こ》ぶるが如《ごと》き痴態《ちたい》を作《つく》つて、河上《かじやう》の人氣《にんき》を一身《いつしん》に集《あつ》めて居《ゐ》ます。言問《ことと》ひの近所《きんじよ》で土手《どて》に遠《とほ》ざかつて、更《さら》に川上《かはかみ》へ上《のぼ》つて行《ゆ》くのですが、それでも中《なか》の植半《うゑはん》から大倉氏《おほくらし》の別莊《べつさう》のあたりを徘徊《はいくわい》する堤上《ていじやう》の人々《ひと/″\》は、遙《はる》かに川筋《かはすぢ》の空《そら》に方《あた》り、人魂《ひとだま》のやうなろくろ[#「ろくろ」に傍点]首《くび》の頭《あたま》を望《のぞ》んで、「何《なん》だらう」「何《なん》だらう」と云《い》ひながら、一|樣《やう》に其《そ》の行《ゆ》くへを見守《みまも》るのです。
傍若無人《ばうじやくぶじん》の振舞《ふるまひ》に散々《さん/″\》土手《どて》を騷《さわ》がせた船《ふね》は、やがて花月《くわげつ》華壇《くわだん》の棧橋《さんばし》に纜《ともづな》を結《むす》んで、どやどやと一隊《いつたい》が庭《には》の芝生《しばふ》へ押《お》し上《あが》りました。 「よう御苦勞《ごくらう》御苦勞《ごくらう》。」 と、一行《いつかう》の旦那《だんな》や藝者逹《げいしやたち》に取《と》り卷《ま》かれ、拍手喝采《はくしゆかつさい》のうちに、ろくろ[#「ろくろ」に傍点]首《くび》の男《をとこ》は、すつぽり紙袋《かみぶくろ》を脫《ぬ》いで、燃《も》え立《た》つやうな紅《あか》い半襟《はんえり》の隙《ひま》から、淺黑《あさぐろ》い坊主頭《ばうずあたま》の愛嬌《あいけう》たつぷりの顏《かほ》を始《はじ》めて現《あらは》しました。
河岸《かし》を換《か》へて又《また》一と遊《あそ》びと、其處《そこ》でも再《ふたゝ》び酒宴《しゆえん》が始《はじ》まり、旦那《だんな》を始《はじ》め大勢《おほぜい》の男女《だんぢよ》は芝生《しばふ》の上《うへ》を入《い》り亂《みだ》れて、踊《をど》り廻《まは》り跳《は》ね廻《まは》り、眼隱《めかく》しやら、鬼《おに》ごツこやら、きやツきやツと云《い》ふ騷《さわ》ぎです。
例《れい》の男《をとこ》は振袖姿《ふりそですがた》のまま、白足袋《しろたび》に紅緖《べにを》の麻裏《あさうら》をつツかけ、しどろもどろの千鳥足《ちどりあし》で、藝者《げいしや》のあとを追《お》ひかけたり、追《お》ひかけられたりして居《ゐ》ます。殊《こと》に其《そ》の男《をとこ》が鬼《おに》になつた時《とき》の騷々《さう/″\》しさ賑《にぎや》かさは一《ひ》と入《しほ》で、もう眼隱《めかく》しの手拭《てぬぐひ》を顏《かほ》へあてられる時分《じぶん》から、旦那《だんな》も藝者《げいしや》も腹《はら》を抱《かゝ》へて手《て》を叩《たゝ》き、肩《かた》をゆす振《ぶ》つて躍《をど》り上《あが》ります。紅《あか》い蹴出《けだ》しの蔭《かげ》から毛脛《けずね》を露《あら》はに、 「菊《きい》ちやん/\。さあ、つかまへた。」 などと、何處《どこ》かに錆《さび》を含《ふく》んだ、藝人《げいにん》らしい甲聲《かんごゑ》を絞《しぼ》つて、女《をんな》の袂《たもと》を掠《かす》めたり、立木《たちき》に頭《あたま》を打《う》ちつけたり、無茶苦茶《むちやくちや》に彼方此方《あつちこつち》へ駈《か》け廻《まは》るのですが、擧動《きよどう》の激《はげ》しく迅速《じんそく》なのにも似《に》ず、何處《どこ》かにおどけた頓間《とんま》な處《ところ》があつて、容易《ようい》に人《ひと》を掴《つか》まへることが出來《でき》ません。
皆《みんな》は可笑《をか》しがつて、くすくすと息《いき》を殺《ころ》しながら、忍《しの》び足《あし》に男《をとこ》の背後《はいご》へ近《ちか》づき、 「ほら、此處《こゝ》に居《ゐ》てよ。」 と、急《きふ》に耳元《みゝもと》でなまめかしい聲《こゑ》を立《た》て、背中《せなか》をぽんと打《う》つて逃《に》げ出《だ》します。 「そら、どうだどうだ。」 と、旦那《だんな》が耳朶《みゝたぼ》を引張《ひつぱ》つて、こづき廻《まは》すと、 「あいた、あいた。」 と、悲鳴《ひめい》を上《あ》げながら、眉《まゆ》を顰《しか》め、わざと仰山《ぎやうさん》な哀《あは》れつぽい表情《へうじやう》をして、身《み》を悶《もだ》えます。其《そ》の顏《かほ》つきがまた何《なん》とも云《い》へぬ可愛氣《かあいげ》があつて、誰《だれ》でも其《そ》の男《をとこ》の頭《あたま》を撲《ぶ》つとか、鼻《はな》の頭《あたま》をつまむとか、一寸《ちよつと》からかつて見《み》たい氣《き》にならない者《もの》はありません。
今度《こんど》は十五六のお轉婆《てんば》な雛妓《おしやく》が、後《うし》ろへ廻《まは》つて兩手《りやうて》で足《あし》を掬《すく》ひ上《あ》げたので、見事《みごと》ころころと芝生《しばふ》の上《うへ》を轉《ころ》がりましたが、どツと云《い》ふ笑《わら》ひ聲《ごゑ》のうちに、再《ふたゝ》びのツそり起《お》き上《あが》り、 「誰《だれ》だい、此《こ》の年寄《としより》をいぢめるのは。」 と、眼《め》を塞《ふさ》がれた儘《まゝ》大口《おほぐち》を開《あ》いて怒鳴《どな》り立《た》て、「由良《ゆら》さん」のやうに兩手《りやうて》を擴《ひろ》げて步《あゆ》み出《だ》します。