腕くらべ

Part 3

Chapter 3 20,490 words Public domain Markdown

吉岡さんは會社の江田と一所に駒代の保名が出るすこし前に、待合濱崎のおかみと駒代の家の花助と半玉の花子をつれて東の鶉へ見物に來た。實はこの夏の末駒代が身受の相談に乗らなかつた時、吉岡は腹立ちまぎれに手を切らうと思つたが、さて差當つて駒代に代るべき氣に入つた藝者が見當らないので一|圖《づ》に怒《おこ》つて見たものゝ何《ど》うやら其の始末に困《こま》つてゐるのを、斯《か》う云ふ事には馴れ切つた濱崎のおかみがいろ〳〵に詫を入れたので、吉岡は從前通り駒代の世話をしてやる事になつたのである。然し其の後は餘程足が遠くなつた。仕てやるだけのものを仕てやればそれで旦那の顏にかゝはる事はないと云つたやうに、吉岡は十日目位に江田をつれて飮《の》みに來るばかりなので、駒代が瀨川と内所で逢つてゐる事も又別の旦那をこしらへた事も一向に感付かなかつた。長年遊びつゞけた藝者遊びにもすこし疲《つか》れを覺えたと云ふ氣味《きみ》で、吉岡は三春園を引上《ひきあ》げてからは何といふ事もなく無事平凡な日を送つてゐた。會社からすぐ家へ歸つて早く寢る。そして日曜日なぞには奧さんと子供をつれて動物園にでも行くと云つたやうな、至極眞面目な生活をば別に寂しいともつまらないとも或は又樂しいとも面白いとも、何方とも思はず唯ぼんやりとその日その日を送つてゐたのであるが、今日久しぶり歌舞伎座の鶉へ坐つて滿場悉く解語の花ともいふべき場内の光景を見渡すと、吉岡は目の覺めたやうな新しい心持になつて、世にある快樂は一ツ餘さず貪り取らねば氣がすまないと云ふ樣な猛烈な欲求をば再び胸一ぱいに感じ始めた。吉岡は今日文明の社會に於て酒色の肉樂に對する追究は丁度太古草莾の人間が悍馬に跨つて曠野に猛獸を追ひ其の肉を屠つて舌つゞみを打つたやうな、或は戰國時代の武士が華やかな甲冑をつけて互に血を流しあつたやうなものである。凡てこれ悲壯極りなき人間活力の發揮である。この活力は文明の發逹につれ社會組織の結果として今日では富貴と快樂の追求及び事業に對する奮鬪努力と云ふが如き事に變形した。名譽と富と女とこの三ツは現代人の生命の中心である。それをば殊更に卑しみ、或は憎みまた懼れるのは要するに奮鬪の勇氣なき弱者か、さらずば失敗者の曲解である。云はゞ先づこんな風に考へてゐるので、劇場内の光景がいさゝかでも活動の元氣を起させてくれた事を知ると共に、吉岡はまだななかなか年《とし》を取りはせぬ、まだ自分は若くて働けるなと思う處から自然と深い滿足を感ずるのであつた。

拍子木が鳴つていよ〳〵駒代の踊るべき幕があいた。淸元の太夫が聲を揃へて語《かた》り始める。どこやらでもう手を叩くものがある。お酌が三人自分逹の席へ戾らうと急いで吉岡の坐つてゐる鶉の後を馳過ぎながら、 「保名だわ。ちよいと。」 「駒代姐さんの保名、そりやいゝ事よ。」 「それア當然だわ。瀨川さんがついてゐるんですもの。」 「隨分大變なんだつてね。」 往來《ゆきゝ》の人のざわ〴〵してゐる中から、不意《ふい》と此の話聲が、どういふはづみか明瞭《はつきり》と吉岡の耳に這入つた。吉岡は覺えず聲のした方へ振返つたが、馳過ぎるお酌逹の後姿は摺れちがふ人の中に只その帶と振袖の模樣とを見せたばかり、何家の誰とも見定める事は出來なかつた。

然し吉岡にはふいと耳に這入つた最後の一|語《こと》――隨分大變なんだつてね――これだけでもう十分の上にも十分なのである。面と向つて當付がましく言つたのならいざ知らず、先は無邪氣なお酌がしかも通すがりに何の氣もなく、無論自分がこゝにゐるとは知らず、極めて自然に不用意に口走つた噂咄し、それは十分眞實として聽くべき値打がある。八釜しく云へば此れ卽ち天に口なし人を以て言はしめたものである。吉岡はまづ斯う斷定して然る後駒代がその後の樣子をば一つ〳〵出來得るかぎり細密に思返し始めた。それと同時に吉岡は又、いつも一座の江田が自分より先に既にこの事を知つてゐたか、どうか。知ってゐても自分に氣の毒だと思つて默つてゐたのか、どうか。成らう事なら此の事を知つたのは自分の方が始めてゞあつてほしい。さうでないと如何にも自分が甘《あま》く見えて氣がきかないからと吉岡は日頃花柳通を以て大に自認してゐるだけ、周圍に對しては一倍深く耻辱を感じ、また駒代に對しては一倍烈しく憤怒したのである。

舞臺では右手の淨瑠璃臺の上に居並んだ太夫が聲を揃へて――岩せく水とわが胸にくだけておつる淚にはかたしくそでの片おもひと丁度置淨瑠璃を語り終つた處で、調べ始める皷の音に場内の氣を引き締めていよいよ保名の出《で》。滿場の視線は一齊に向揚幕の方へ注がれる。高い處ではもう手を叩くものがあつた。吉岡は野邊のかげらふ春草を素袍袴にふみしだき狂ひ〳〵てわが前に現れて來る駒代の姿をば、餘りのいま〳〵しさにわざと見まいと廣い天井へ眼を移し、今度はゆる〳〵駒代が落籍の相談を避けた譯合を考へ始めた。考へまいと思つても考へずには居られないのである。今日と云ふ今日まで吉岡には駒代の云ふ事がどうもハツキリ腑に落ちなかつたが、初めて何も彼も明かに解釋がついた。いよ〳〵駒代を捨てべき時が來た。わざと何事も知らぬ顏をして此方も出し拔けに鼻をあかしてやりたいものだ。さりとて今更|舊《もと》の力次へ立戾るのも甚だ氣がきくまい。誰ぞ新橋南北千八百有餘名と數へられたる藝者中駒代がそれと聞いて眞實口惜しがつて泣くやうな女はないか知ら。吉岡は眼のとゞかんかぎり鶉桟敷高土間平土間から、その邊の廊下に立つてゐるものまで藝者らしい姿のものをば一時に見盡さうと思つた。見物は一齊に今しも駒代の保名が本舞臺へ來かゝり戀人をさがす狂亂の振を見詰めてゐる。折から靜に鶉の戶を明けて小聲に、 「どうもおそくなりまして。」と挨拶して入《はい》つて來たのは尾花家の菊千代である。いつも口の惡るい連中から何となく華魁《おいらん》らしい氣のする女だと云はれてゐる厚化粧の菊千代である。

菊千代は今日の演藝會の第二番目に傀儡師のワキを語つたので、高島田に裾模樣の衣裳は襟のあたりへまで金糸の繍を入れた模樣を見せ、日頃の厚化粧を一層濃くさせてゐたので、鶉の戶のあく音にふと何の氣なく振返つた吉岡の眼には、つと首を伸《のば》した菊千代の顏がぱつと場内の燈火を受け羽子板の押繪のやうに見えた。

吉岡は菊千代と駒代との間の兎角何かにつけて競爭の氣味合になりたがつて居る事をば思ひ返した。現に今日の演藝會についても、立方《たちかた》の駒代が淸元の保名を出すならば、同じ家の菊千代が藝は淸元と云ふ事になつて居るので、それに地を賴めば無事なのを、駒代はそれでは自然踊が引立たないと思ふ處から、莫大な御禮をも惜しまず本職の男の太夫連中をば瀨川一糸から賴んで貰つた。別に菊千代に歌はれるのがいやだとか、又は菊千代の藝がわるいからだとか云ふ譯ではない、駒代は唯只自分の藝を立派に引立たせ、この踊一番で新橋中へ名を賣弘めたいばかり、兎角の事情を顧みてゐる暇がなかつたのである。然し菊千代に取つては之れ甚面白からぬ次第である。駒代の評判を目の前に見るのは如何にも癪にさはつて成らないと思ふ處から、この保名だけはどうしても見たくないと思ふものゝ、日頃贔負客とお茶屋の前に對してさうもならず、わざわざ駒代の旦那の處へお義理の顏出し、何とか一言位はほめなければならぬ心の中、實に腹も立つ、情なくて泣きたくもなる。 〽月夜烏にだまされて、いつそ流して居つゞけは、日の出るまでもそれ なりに、寢やうとすれど寢られねば、寢ぬを恨みの旅の空―― 踊は正に佳境に進んだ。濱崎のおかみと花助は旦那への御世辞「しつかりした好い藝になつたわねえ。何によらず勉强が肝腎だね。何しろちつとも厭な癖がないんだからね。」と頻にほめたゝへるのを聞くと、菊千代は唯溜息をつくばかり、吉岡はもう無暗に腹が立つて來て、無理遣にもこの菊千代を拉し去つて駒代に鼻をあかしてやりたいと思ふ心は次第に烈しくなる。踊は「葉越しの葉ごしの幕の中」と云ふあたり吉岡は菊千代の手をば何といふ事もなく突《つ》と握《にぎ》つてしまつた。

十一 菊尾花

演藝會は三日間大入を取つて目出度く千秋樂になつた其の翌日の事である。新橋の藝者町は年が年中朝早くから家每に聞え出す稽古三味線の音今日ばかりはぱつたり途絕えて、稽古に通ふ女の往來もわけて少い處から、金春通を始め仲通板新道から向側の信樂新道まで祭のあとの町内も同樣何やらひつそりと疲れたやうに見えた。そして時たま忙しさうに步き廻る箱丁《はこや》の姿と顏の賣れた老妓の三四人連立ツて往來《ゆきき》するのが餘所《よそ》目には興行の後片付と云ふよりは新に何か又揉事苦情の起つた知らせのやうに若い藝者達の目を聳《そばだ》たせるのであつた。

苦情と不平は事ある每に必ず此の仲間のつき物。但し政治家のやうに詭計を廻して紛擾を釀させ之を利用して私腹を肥さうと云ふ程惡賢くないのが、まだしも藝者の議員より品格ある處かも知れぬ。されば此日は朝湯の流場《ながしば》、髮結、家每には抱妓《かゝえ》のごろ〴〵してゐる二階なぞ、およそ女の集る處と云へば互に妬み半分の藝評を中心に有るかぎりの影口、仲口、吿口、そしり口、わけてもこゝに尾花家十吉が二階へと日頃おいらん樣《さん》とか支那金魚とか云はれてゐた菊千代が突然身受になつたといふ噂を傳へたものがある。それは髮結さんから歸つて來たお酌の花子で、昨夜まだ演藝會がはねない中ふいと丸髷に結ひに來た菊千代の口からぢかに聞いた話だと云はれたまゝを、その通り居合はす駒代に傳へたのである。評判は忽火のやうに向三軒兩隣、それからそれへと廣まつて行くと共に、いづれも身受のお客はそも誰と詮議に詮議を凝さうにも、當人の菊千代は、昨夜大方歌舞伎座で地方の役を濟ますとそれなり直に髮結へ廻つて丸髷に結ひ、何處へかしけ込んでしまつたものと見えて家は昨日の午後に出たツきり今だに電話も何もかけて來ぬので箱屋のお定さへ居處を知らぬ始末。「あの人の事だもの、日本人ぢやないよ、異人でなければチヤン〳〵坊主にちがひないよ。」と尾花家の二階では詮議のつかぬ口惜しさ。さう云ふ事に衆議一決して或はお參りに、或は湯に或は髮結に出かけた。

駒代は皆の出て行つた後《あと》を幸、簞笥の前に坐つて此の三日間歌舞伎座の舞臺に保名を出した費用――先づ踊の師匠と淸元連中への包金から劇場樂屋のもの大道具の幕引への心附、特別に瀨川一糸の門弟連への謝禮なぞ已に拂つたものまだ拂はぬもの又は立替へになつてゐるらしいものなんぞ、凡てつけ落のないやうに調べて一先づやつとの事で〆高六百何十圓と云ふものをよせ終り帳面を眺めてぼんやり煙草を一服してゐたが、急に何か思出したやうに帳面をば用簞笥の抽斗《ひきだし》へ收めて待合の濱崎へ、おかみさんがおゐでなら此れから鳥渡お禮かた〴〵伺ひますからと電話をかけ女中に風月堂の商品切手を買はせた。

駒代は一昨々夜演藝會の初日の晩、いつもならば濱崎へお寄りになるべき筈の吉岡さんが、自分の出し物の濟むかすまぬ中に急用とやらでお歸りになつてしまつた其の事について、何か譯があるのでは無いかと、駒代は瀨川との關係から何かにつけて疵もつ足。その時から頻に心配してゐながら、然しその夜は吉岡がゐなければ結局瀨川とゆつくり出逢つて、舞臺の出來のよしあしをきゝ、直すべき處はそのやうに手を取つて敎へて貰へる嬉しさに、濱崎へはとう〳〵電話もかけずにしまつた始末。二日目は對月のお客橫濱の骨董屋の旦那で全つぶれ、昨夜三日目の晩は突然思ひもかけない杉島さんと云ふ大連のお客――此の春弘めの當時頻に口說くのを無理に振つてしまつた其の人に呼ばれ、矢張體のいゝ事を云つて逃げるのに骨が折れた爲め今日まで心ならずのび〳〵になつてゐたのである。

濱崎の女將は其の夜吉岡さんは別に怒つた御樣子もなく、江田さんに何かお話しなすつて先へお歸りになつた、全く何か急な御用があつたらしい。江田さんはそれからお前さんも知つての通り後一幕見て獨りでお歸りになつたと云ふ。駒代はまア〳〵よかつたと窃に胸を撫ぜ〳〵歸つて來て、用簞笥の上に安置したお稻荷樣へ途中で買つた金つばを二ツ供へて一心にその御利益を念じた。 その夜は無事お座敷に行つて歸つて來たが、いつものやうに菊千代は泊込みと見えて姿を見せなかつた。その翌日になつても皆がそろ〳〵夕化粧にかゝる時分まで、まだどこからも居處を知らして來ないと云ふので、箱屋のお定は萬が一の事でもありはしないかと心配し出す。身受の話はどうやら逃亡か自由廢業の風說に變じかけて來た。尤もこれまでも度々菊千代はお座敷からいきなり家へは何とも斷らずにお客のいふまゝ箱根伊香保はおろか、京都まで行つてしまつた事さへある位なので、姐さんの十吉は案外驚かず唯菊千代のだらしが無さ加減、他のものゝ手前もあればどうにか爲なければ仕樣がないと愚痴をこぼすばかり。身受がきいて呆れると云つてゐる處へ、ふらりと菊千代は根の拔け切つた大丸髷崩れ放題こわれ放題、眞赤な手柄がよくまだ落ちずにゐると思はれるのを平氣でぐら〳〵させながら、顏は日頃厚化粧の白粉ところ斑《まだら》にはげ落ちて、それなり湯にも這入らぬらしい襟頸薄黑く油ぢみたのも一向に構はず、今起きたと云はぬばかりだらしもない着物の着やう、足袋には赤土のついてるのも其の儘なのに、流石人のいゝ十吉も困《こま》つたものだ、中年者は藝人ばかりではない藝者も矢張り半玉から仕込まなければ到底人前へは出されないとつく〴〵呆きれて小言も出ぬ始末を、此方は一向に感ぜぬらしく、何やら得々とした樣子、仔細あり氣に、 「姐さん、鳥渡お話があるんですよ。」 さては身受の噂は滿更の譃でもないのかと、十吉は早くも推察して二度びつくり。しげ〴〵と菊千代の顏を見直しながら人のゐない奧の間へと立つた。

小半時して菊千代は丸髷ぐら〴〵前さがりの裾だらしなく、然《しか》も大手を振つて二階へ上つて來ると、みんなはそれ〴〵お座敷への仕度最中、菊千代はいかにも疲《くたぶ》れたやうに二階の眞中へ足を投出して坐りながら獨言のやうに、 「私も最《も》う今夜きりだわ。」 「姐《ねえ》さん、お目出度いんですつてね。」と半玉が先に聞き初めた。 「えゝ。おかげ樣で。」と誰に云ふのやら分らぬ挨拶。「花ちやん。家がきまつたら遊びにおゐでよ。」 さすが傍《はた》のものも默《だま》つてはゐられなくなつて、 「菊《きイ》ちやん、お前さんほんとうにまアよかつたねえ。引《ひ》くのかい。それとも自前かい…………。」と花助がきゝ始めた。 「引いたつて、つまらないから自前でやるつもりなのよ。」 「あゝそれがいゝよ。勝手づとめで出てゐる位面白い事はないからね。」と駒代も云ひ添へた。 「菊《きイ》ちやん、これは…………。」と花助は親指を見せながら、「O《オー》さんぢやない事…………?」 菊千代はうゝむと駄々兒のやうに頸を振りながら唯だ笑つてゐるので今度は駒代が、 「それぢや矢《ヤ》アさんかい。」 菊千代はやはり笑つてゐる。 「誰だよ。菊ちやん。朋輩のよしみぢやないか。敎へたつていゝぢやないか。」 「だつて氣まりがわるいからさ。ほゝゝゝほ。」 「どうも、御尋常でゐらつしやいますからね。」 「だつて、みんなの知つてる人なんですもの。隨分箒屋さんだからさ今にすぐ知れるわよ。」 出先の茶屋からそろ〳〵御催促の電話に急《せ》き立《た》てられて、駒代はそれなり出て行つた。さすが此度の演藝會に物費を惜しまず保名を出した効目《きゝめ》は空しからず駒代が藝者の控所とも云ふべき箱部屋へ這入ると、居合す藝者衆一同からいづれも、駒ちやん結構だつたね、大したもんだねとの評判。さて宴會は十五六人のお客に藝者は老若大小二十人ばかり、餘興に駒代は浦島を踊つて喝采され、更にお客がたつての所望で又一番。汐酌を踊つて程なく後からかゝつた座敷へ廻つた。

茶屋は濱崎、客は吉岡である。吉岡は鳥渡|他《ほか》から聞いた話だが、お前の家の菊千代が自前になるとやら、私《わし》も何か祝ふからお前も祝つてやるがよいと云つて、駒代が辭退するのを無理遣りに十圓渡して其夜は近頃會社が非常にいそがしいのだからと、酒も深くは呑まず一時間ばかりでお立《たち》になつた。

然し駒代は兎に角に吉岡さんが見えたのでお茶屋への手前もよく此れで演藝會初日の夜の心配もなくなり、快く菊千代への祝物もすました。菊千代は板新道に頃合の空家を見つけて菊尾花と云ふ分看板を出した。そして今まで結つけの同じ髮結さんへ來て時折駒代に逢へば別に以前と變つた樣子もなく相變らず取り留のない事を言つてゐるので、駒代は其後しばらくの間菊千代を身受した旦那が誰あらう自分の旦那の吉岡さんであらうとは全く氣がつかずにゐたのであつた。

一ツ小袖の陽氣はいつか過ぎた。花月が膳には初茸しめぢの香も早や尊からず松茸は松本が椀にも惜氣なく煮込まれ、一トしきり、日比谷公園に人足牽きつけた菊の花もいつの間にやら跡方なく、あたりの落葉|砂埃《すなほこり》にまぢつて舊の廣々した砂利場をば球投の學生と共に駈《かけ》ずり廻る頃となつた。議會が開けて新橋の茶屋々々にはいつもの顏に加へて更に田舎臭い顏やぢゞむさい髯面《ひげづら》が現はれ、引續く丸の内の會社々々の總會に、從つて重役連の宴會も每夜に及べば、まだかと思つた半玉の突然一本になつた噂の種もおのづと增《ふ》える。銀座通には柳の葉|黃《きば》みながらまだ散盡さぬに商店の飾付がらりと變つて赤い旗や靑い旗そこ等中|何處《どこ》といふ事なく日にまし目につき出すと、もう金切聲で叫ぶやうな樂隊の響が覺えず振返る人の步みを急《せわ》しくさせる。號外々々の聲。何かと思へば相撲の苦情が翌日から新聞の紙面を賑しはじめるのである。藝者はそろ〳〵春の仕度の胸算用、お客の見る前も憚らず帶の間から手帳を取出して一度も削つた事のない古鉛筆の丸くなつた先をなめ〳〵手廻しよく春の座敷の日割を書き込む。

駒代はこの時分になつて始めて吉岡さんが其の後ぱつたりお出にならないが、どうなすつたのかと急に氣をもみ出したのである。丁度折から吉岡さんの切廻してゐる保險會社の宴會があつて、每年きまつて呼ばれる藝者は大抵其の夜も呼ばれてゐたのに駒代だけには何とも沙汰がなかつた事を其の翌日聞き知つてさてはと一方ならず胸を惱したがもう何とも仕樣がない。

瀨川の兄《にい》さんは新橋の演藝會がすんでから一週間ほどして水戶から仙臺へといつも一座の立役、團藏張りの凄味と皺枯聲を人氣にしてゐる市山重藏に、もとどん帳役者だけに男女老若何でもやつてのける重寶な笠屋露十郞なぞと旅興行に出かけ歸りはぐつと押詰つてからの事にならう。駒代は瀨川に旅立たれてから俄に心淋しくなつて、今までは忘れるともなく忘れてゐた吉岡の事を始め何から何まで打捨てたまゝになつてゐた商賣の事をばゆつくり思返す暇が出來てきたのである。

對月で花助が無理に取持つた彼《か》の海坊主のやうな骨董商名からして潮門堂の主人は相變らず五日目十日目位に遊びに來る。駒代はもと〳〵花助の手前止むを得ず往生した事とて、其後逃げそこなつてつい二度目三度目となれば、いよ〳〵かの菊千代さんなら知らぬ事、外の藝者では到底辛棒するものはあるまいと思れる始末に、駒代はもう此度こそは、あの位手嚴しく振付れば何程《なんぼ》人のいゝお客でも二度と來はせまいと思切つた仕打度々に及んだのであるが、海坊主は泰然自若いつもニヤ〳〵してゐるばかり。來れば必ず駒代を中心に顏の賣れた藝者大勢呼集め、殊に演藝會の折にはいやでも新橋中こぞつて駒代の評判をしなければならぬやうに土地の老妓を呼集めてよろしく賴むぜと云つたやうなソツのない仕方。瀨川の事は何も彼も打明けぬ先から承知して引幕さへ贈る始末。この客一人あればまこと千人にもまさつて賴母しいだけ、辛さ厭さも並大抵のお客の千百倍。駒代はいつももう今度ぎり、ふる〳〵いやと身顫しながら咽喉元過ぐれば、ついまた稼業の慾、我れとわが身の淺間しさに獨口惜淚をこぼすより仕樣がない。 この口惜し淚――女が齒を喰縛りながら何とも出來ぬ見じめな樣を見るのが潮門堂の主人の面白くてならぬ處なのである。海坊主は自分から色の眞黑なのをよく承知して若い時から女には萬事|强面《こはもて》で通して來た。橫濱には世話をしてゐる待合もあり藝者家もある位なので別に女に不自由する事はない。然し多年遊びつけた習慣で、東京へ出て來る時と云へば何處かの茶屋へ立寄らねば氣がすまぬのである。立寄つた處で女に喜ばれないのは承知の上なので、海坊主はいつともなく女をいやがらせたり困らせたりいぢめたりする事を遊びとするやうになつた。いやがる女を無理やり手込めにするのが面白くつてならないと云ふ厄介な品物となつた。海坊主は茶屋の女將に、誰か相應の女で役者に入れ上げて金がほしくてならないとか、借金で首がまはらないとか云ふものは居ないかといつも物色するのである。 されば駒代が一方に瀨川と云ふ色のあるかぎりこの海坊主を振り切りたいにも振切り兼ねてゐるらしい樣子、海坊主には又とないお誂ひ向の藝者である。海坊主は十二月の聲をきくと、誰しも道に落ちた金でもあらばと血眼になる時節柄と思へば、時分はよしとのそり〳〵對月へ出かけて駒代をかけた。冬の日は短いながらまだ暮れきらぬ。駒代は出入の小間物屋へと板新道を拔けて行く折から圖らず電燈に菊尾花とかいた家を見て自前になつてからついまだ一度も尋ねなかつたと思付き、門口から聲をかけた。内からはお上んなさいよと云ふのを、玉仙まで買物に行くから歸りに寄らうよと、その儘步いて行く向から一挺の幌車、すれちがひに幌の間からチラと見えた橫顏はまさしく吉岡さんらしいのに駒代は振返つて佇む間もなく、車は菊尾花の門口に止つて幌の中から降りる洋服のヅボンの色には見覺えがある。をかしいなと思ひながら、さすがに、まさかに、さうとも疑ひかね、駒代は兎に角樣子を窺ふにしくはないと、おそる〳〵門口へ立戾る途端、使か買物か十四五の女中らしい小娘格子戶がらりと明けて出るのを幸ひ、呼止めて、 「お客樣なの。」 「えゝ。」 「あの方姐さんの旦那…………。」 「えゝ。」 「それぢや又來るわ。姐さんによろしく…………。」 「えゝ。」 小婢《こおんな》は二三間先の酒屋の店口、「お酒五合――いつもの一番いゝのよ。」と云ふ金切聲は殆ど氣も顚倒した駒代の耳にもよく聞えた。

駒代は家へ歸つたがあまりの事に淚も出ない。今日が今日まで知らねばこそ、のめ〳〵と門口を通つたついでに聲もかけた。内では今頃さぞ馬鹿な奴だと腹をかゝえて笑つてゐるだらうと思ふと、實にもう何とも云ひ樣のない心持になつた。

丁度箱屋のお定が對月からお座敷だと知らせたが、對月と云へばお客はどうぜ海坊主と思へばまた更に腹が立つ。駒代は心持が惡いから今夜は自分で仕舞つて休むからと、その儘二階へ上つたが、三十分程すると何かまた思返したらしく、箱屋を呼んでお座敷へ出て行つた。 やがて間もなく燈火がつく時分、駒代は電話口へ花助を呼出した。「私、これから水戶まで行つて來るわ。お定さんにも姐さんにも何とかいゝやうに云つて置いて…………ね、お願いだから、たのんでよ。」とその儘切つてしまいさうなのに花助はあわてながら、 「まア駒ちやん、お前さん、今どこにゐるんだよ、對月さんかい。」 「いゝえ、對月さんは一寸顏を出して宜春さんにゐるのよ。身體の事は宜春さんのおかみさんにお話したのよ。だけれども私から家へ電話をかけてさう云ふと面倒だからさ。明日か明後日の中には歸つて來るわよ。鳥渡兄さんに逢つて話したい事が出來たんだから。よくつて、後生だから、たのんでよ。」 駒代は何と云ふ譯もなく唯無暗に兄さんの顏が見たくなつたのである。この口惜しさ無念さ――腹の中が煑くり返つてしまひさうなのに、誰一人たよるものもない、云慰めてくれるものもない悲しさ心細さ。駒代は瀨川一糸が水戶の興行先へと前後の思慮なく駈けつける氣になつたのである。

十二 小夜時雨

鶺鴒や藪鶯の來る頃にも植込のかげには縞の股引はいた藪蚊の潛むかはり、池の水をば書齋の窓ぎはへと小流のやうに引入れる風流も何の譯はなく、眞菰花さく夏の夕は簾に雨なす螢を眺め、秋は机の頰杖に葦の葉のそよぐ響居ながらにして水鄉のさびしさを知る根岸の閑居。主人倉山南巢は早くも初老の年を越えてより朝夕眺暮らす庭中の草木にも唯呆るゝは月日のたつ事の早さである。

夕立は珠を轉ばす蓮の葉忽ち破るゝと見れば耳立つ風の響葦を戰がせて、葉雞頭より菊の秋、時雨に楓散盡せば早や冬至梅の蕾數へる年の暮。老樹をいたはる寒肥料《かんごゑ》に鼻を蔽ふかはり、大寒の頃は南天藪柑子の實雪中に花より美しく、夜半煎茶煑つめて冬籠樂しむ書棚の上水仙福壽草の花いつか凋めば早くも彼岸となつてまづ菊の根分、草の種蒔、庭好む人の一日はわけても暮れやすく、百花の開落《くわいらく》送迎《おくりむか》へていそがしき眼《まなこ》しばし新樹の梢に休ますれば軈て雨降る每に庭暗く、梅の實熟して落初める朝は夜合《ねぶ》の葉眠る夕となり、柘榴の花燃え凌霄の花地に落る炎天の日盛も、夜ふけては露結ぶ水草のかげに早くも一筋二筋絲のやうなる蟲の聲。

春夏秋冬はまことに俳諧の歳時記一息に讀み下すに異ならず、今年もまた去年の藪鶯いつか植込の奧に笹啼きわたり、池のみぎはに見馴れし鶺鴒の長き尾振り步く頃となつた。南巢は風俗人情日に變り行く世の中なるをこれは每年々々時節をたがへず我が家の庭に訪れ來る小鳥のなつかしさ。そこらの枯枝伐除く花鋏の響にさへ心しつゝ植込の間をくゞりくゞりいつか隣と地境の垣根際へ出る。見ればところ〴〵烏瓜の下つた建仁寺垣の破れ目から隣の庭は一面に日のあたつた明さに、泉水をひかへた母家《おもや》の緣先までもよく見通されるのであつた。

南巢はこの地境へ步み來《き》て隣の家をば植込越しに垣間見する時、母屋のつくり、柴折門、池にのぞんだ松の枝振、人情本の繪に見る通りの有樣にいつも心を奪はれしたゝか藪蚊に頰をさゝれ始めて我に返るを常とする。隣は元吉原妓樓の寮で今は久しく空家になつてゐるのであるが、南巢の家は三代程前から引つゞき此方の古家に住んでゐる事とて、主人は自然に子供の折から年寄つた人逹の話や何かを聞き傳へ近隣一帶の事情には精通してゐる。現に南巢はまだ母のふところに抱かれてゐた時分であつた。御維新前から引つゞいた隣の寮で或年大雪の晩久しく出養生してゐた華魁が死んだ事をば子供ながら聞き知つて何となく悲しい氣がした事をばよく覺えてゐる。されば今も猶一株の松の老木、古池のほとりから緣先近くまで見事に枝をのばしてゐるのを見ると、南巢は幾歲になつても浦里や三千歲の淨瑠璃をば單に作者の綴つた狂言綺語だと云ひ捨てゝしまう氣にはなれない。また世の風俗人情がいかほど西洋らしく變つて來ても、短夜にきく鐘の聲、秋の夜に見る銀河の流れ風土固有の天然草木に變りなき間は男女が義理人情の底には今も猶淨瑠璃できくやうな昔のまゝなる哀愁があらねばならぬと思つてゐる。南巢はかゝる性情と併せて其境遇からもおのづと將來文墨の人たるべく生れて來たのであつた。曾祖父は醫を業とした傍國學に通じ、祖父もまた同じく醫の業をついだ傍ら狂歌師として其の名を知られた。で父の秀庵が家督をついだ頃には既に多少の恒產もあり三代もつゞいた醫者として世が世ならば家門いよ〳〵榮えべき筈のところ、維新となつて漢法醫はすつかり廢《すた》つてしまつた處から、父は自然々々に醫者をよすともなく止してしまつて、日頃道樂に習ひ覺えた篆刻をばいつともなく專門の業とするやうになり、其名の秀庵を秀齋と改めた。秀齋は又詩を賦し書にも拙くなかつた處から、次第に朝野の紳士と交遊し一時東都の翰墨場裏に其名を知られたのである。それやこれやで、醫者をしてゐる時よりも案外に收入が多く、別に蓄財の道を講ずるといふ程の苦心もなく、いつか子孫をして長く世路の艱難を知らしめざる程の財產をつくつて幸福に世を去つた。其の時南巢は丁度二十五歲で旣に馬琴風の小說一二篇を新聞に投書してゐた。父なき後は其の知古中に新聞社の社長や主筆になつてゐるものも尠くなかつたので以來南巢は操觚の人となつたのである。然し南巢は紅葉眉山等硯友社の一派にもさしたる關係なく、又透谷秋骨孤蝶等の新文學も知らず、逍遙不倒等前期の早稻田派とも全く交遊する機會なく、唯先祖代々住み古した根岸の家の土藏にしまつてある和漢の書籍と江戶時代の随筆雜著の類から獨り感興を得て、或時は近松、或時は西鶴、或時は京傳三馬の形式に傚ひ、飽まで戲作者たる傳來の卑下した精神の下に、丁寧沈着に飽く事なく二十幾年物語の筆を把つて來たのであつた。然し時勢はいよ〳〵變じて、殊に大正改元以來、文學繪畫の傾向演劇俗曲の趨勢は日常一般の風俗と共に生來あまり物に熱中せぬ南巢をも流石に憤慨せしむべき事が多くなつて來たので、彼は始めてこれでは成らぬと氣がついたらしく、婦女童幼を悅ばす續物の執筆に一生を終へゞきではない、丁度晩年の京傳や種彦のなしたやうに、舊時の風俗容儀什器の考證硏究に心を傾け、小說の戲作は新聞社と書肆に對する從來の關係上唯その責任をすますだけの事にしてしまつた。 かくて今、南巢の身に取つて根岸の古家と古庭は何物にも換へがたい寶物となつた。近隣は追々に開けて吳竹の根岸らしい趣は全くなくなるにつけ、南巢はわが家の既に處々蟲の喰つた緣側も、こゝには天明の昔、曾祖父が池邊の梅花を眺めて國風を吟じ、繼いで祖父は傾きかゝつたこの土庇にさす仲秋の月を見て狂歌を咏じたかと思へば、たとへ如何程無駄な經費を要しても、又いか程住ひにくいにしても此の古家と古庭とは昔のまゝに保存して置きたい心持になる。出入の大工は折々の雨漏其の他の修繕に來る度、いつそお建て替へになつた方が長い中にはお德になりますと云ふのであるが、南巢は唯笑ふのみで三年程前に土臺《どだい》の根つぎをした時も殆ど自分が大工になつたやうに目を放さず監督したのであつた。されば庭中の一木一草も皆これ祖先の詩興を動した形見とて、土藏の中の書籍什器調度の類と同じく尊い寶物として、植木屋の心なき鋏に切り折られる事を恐れて主人自ら春秋の手入を怠らないのである。 かくの如き愛惜の情は獨り我家のみならず、垣を越えて隣の庭にまで及ぼしてゐるのである。隣りは吉原の妓樓が潰れた後久しく空家になつたまゝ誰も買手が無かつた。すると誰が云出すともなくこゝで死んだ華魁が雪女郞になつて化けて出るとか、或は狐狸がわるさをするとか色々の風說が立つていよ〳〵買手がつかなくなる。然し昔から隣合になつた倉山の家では女子供を初として誰も不思議がるものはない。南巢の父秀齋老人は月のよい晩なぞ、我が家の庭を步み盡して、垣根の破れから構はず隣の空庭に入込み池の廻りを徘徊しながら、少時不識月。呼作白玉盤。又疑瑤臺鏡。飛在白雲端。なぞと大きな聲で詩を吟ずる。依賴された篆刻の催促を受け返事に困るやうな時には、父はいつもそつと我家を拔出して隣の庭へ隱れてしまふ。すると取次の女中や細君が挨拶に困つて家中をさがした末、これもいつか隣りへと入り込む始末。父は遂に池のほとりなる松の大木をばあの儘長く手入せずに捨てゝ置いては折角の枝振も大《だい》なしになつて、此末誰が買取るにしても勿體ないと自分の庭へ植木屋の來る時、仕事のついでに其の古葉をふるはせるやら、又|暴風雨《あらし》で柴折門が倒れかゝつたのを、あれは今時の職人にはいかほど金を出しても出來ぬ仕事だと、捨て置くに忍びず、内所《ないしよ》で修繕をしたりしてゐたが、やがて座敷の雨戶を明けて内へ上り込み、昔華魁がこゝで病を養ひ文をかき香を焚いてゐたかと思へば氣のせいか寂しい中に何となく艷しい心持のする家造《やづく》りだと、獨で悅び我家から酒など運ばせて獨酌する事さへ度々で、買手のない妓樓の寮はまるで秀齋翁の別莊も同樣の有樣になつてしまつた。然し化物屋敷だといふ風說は相變らず傳へられてゐたが、倉山の家へ出入するものは主人に導かれて一度ならず隣の空家へ連れられて行く處から、いつか馴れて怪まず、兎角する中にさう云ふ來客の中から是非にと望む買手さへ現はれるやうになつた。それは瀨川菊如といふ歌舞伎役者であつた。卽ち今の瀨川一糸の養父で、鐵筆の大家なる倉山秀齋先生とも交遊のあつた程故、役者に似氣なく文筆の嗜み淺からず、妓樓の寮を住居として家業の憂さを歌俳諧さては茶の湯の風流に慰め、長閑にその晩年を送盡した。菊如の歿後、後添ひの妻は年も大分ちがつてゐたので、出端のいゝ下町に住ひたいと云つて一周忌をすましてから軈て築地へ引越した。寮はこゝに再び元の空家になつたが、然し瀨川の家では別に賣拂ふ譯でもなく植木屋一人を番人にして春や秋折々遊びに來る別莊にしてゐた。

南巢の父秀齋は菊如の歿する數年前既に亡き人の數に入つたのであるが、隣家との交際は南巢の代になつて更に親密の度を加へた。南巢は夙に劇評家としても其の名を知られてゐたので、菊如なき後其の養子一糸は每日のやうに南巢の家に遊びに來る。南巢もその頃は内々劇壇に野心があつたので大に之を歡迎したのであつた。

然し養母が築地へ引移つてから二人の交際は次第に疎くなつた。一糸は道が遠いので亡父の舊邸へ來る事も殆ど稀に、又南巢は年々文學演劇の興味に乏しくなつて、朝夕隣の古庭を垣間見するのも獨り窃に昔なつかしい思ひに耽らうが爲で、今は別に若手の役者に逢つて話をしたいと云ふ氣も出なくなつた。 さうかうする中住む人なき隣の庭は年と共にます〳〵森閑として落葉のみ堆高《うづたか》く、夏秋の刈込時になつてもついぞ鋏の音のした事なく、秋は百舌鳥冬は鴇の聲のみ氣たゝましく聞えるばかり、丁度南巢が子供の折恐る〳〵父の後について步いて見た時と全く變りがないやうになつた。南巢は怠らず我が家の庭の手入をしながら朝な夕なこの樣《さま》を垣間見《かいまみ》て、大方《おほかた》瀨川の家では養母を始め當主の一糸も妓樓の古い寮なんぞには何の興味も持たぬ處から、立ち腐され同樣に買手のつき次第賣拂ふ氣に相違ないと想像した。

南巢は劇壇の野心を全く去つてしまつたものゝ猶新聞社との關係から時折劇評だけは書かなければならないので、たま〳〵一糸の出てゐる芝居へ行當る時、樂屋の部屋をたづねて久振咄もしたい、それとなく隣の寮の處分をも聞いて見たい。折好くば一步進んで、同じ人出に渡すとしても、成らう事なら幾分か物の分つた人に賣拂ふがよい。兎に角あの古庭の松、あの柴折門は父が生前そつと人知れず手入れまでした位のものだからと、懇意づくに忠吿もしてやりたいと思ふのであつたが、又考直していやいやそんな餘計な差出口をしたとて何の役に立たう。近頃は歷とした華族方でも、仙臺の伊逹樣を始め、さして困りもせぬのに御家代々の寶物を惜し氣もなく賣飛して、お金にする事が流行る世の中だからと其のまゝ默して、唯朝夕の垣間見にのみ、今日は新しい買手が來はせまいか、明日は池の松が取拂はれはせまいかと心を惱しながら月日を過してゐるのであつた。

窓の外なる枯荷《かれはす》にばら〴〵ツと音する夜の雨。南巢は取りちらした書物を片づけ机のまはりの紙きれを始末してもう寢やうかと銀のべの長煙管に煙草一服する折から、雨の響に何心もなく耳傾くる途端、ついぞ聞いた事のない三味線の音《ね》の聞えるらしいのに、更に耳をそばだてた。

近處に三味線の音は元より珍しいと云ふではない。南巢が不審に思つたのは三味線の曲である。仇つぽい女の聲で薗八節らしいものを語つてゐたからである。聲曲の嗜ある南巢は丸窓の戶を明けて見て更に驚いた。今まで空家だとのみ思込んでゐた隣の寮に灯影が見え、哀れ深い薗八の一段鳥部山はそこから時雨そぼ降る庭越しに分けてもしめやかな音〆を聞かせてゐるのであつた。 あまりの不思議に南巢はこの時ばかりは眞實隣の屋敷には幽靈が出るのかも知れぬといふやうな心持になつた。淸元か長唄ならば如何に寂しい時雨の夜でもさういふ氣のする氣遣はないのであるが、淨瑠璃の中でも一番陰氣な哀ツぽい聲調で夢か現《うつゝ》のやうに心中物のみ語つて聞かせる薗八節。どうしてもあの寮で死んだ遊女の亡靈が浮ばれぬまゝに今宵時雨の夜深《よふけ》娑婆の恨を人知れず訴へるものとしか思はれない。 「あなた。お茶がはいりました。」と靜に書齋の襖を明ける妻の聲に南巢は振返つて突如《だしぬけ》に、 「お千代。成程怪しいな。」 「何です。」 「いよ〳〵幽靈だよ…………。」 「いやですよ。あなた。」 「お聞きよ。そら、お隣りの空屋敷で薗八を語つてゐるぢやないか。」 妻のお千代は俄に安心した顏付、「いけませんよ。もうおどかしても駄目で御座います。あなたよりも私の方がよく知つてゐるんですから。」 南巢は日頃臆病なお千代が忽ちいつもと違つた平氣な樣子に合點が行かず、「お前、知つてゐるのか。あの幽靈を。」 「知つてますとも。あなた、まだ御覽なさらないの。」 「まだ見ない。」 「さうねえ。二十四五位でせうか。若く見えるけれどもつと取つてゐるかも知れません。下ぶくれの色の淺黑い、あなたなんぞが御覽になつたらきつとお褒《ほ》めになりますよ。それア仇ツぽい意氣な年增です。」云ひながら耳を傾けて、「聲も錆《さび》のあるいゝ聲ですわねえ。彈語《ひきがた》りでせうか。」 お千代は全くの素人《しろうと》であるが、然し薗八河東一中萩江節のやうなものに掛けてはなまなかの藝者よりもずつとしつかりしてゐる。それは一時非常に豪奢な暮しをした文人畫の大家何某先生の家に生れ小さい時から畫家文人役者藝人衆との應接に馴らされてゐたので、倉山の家にとついでからもうかれこれ二十年に近く、子供も二人あつて年は三十五といふのに銀杏返に結つて買物にでも行く折には今だに時々藝者に見ちがへられる。氣性もそのやうに若々しく物に頓着しない極《ご》く鷹揚な處が、夫南巢の極内氣な性質と相反して却てそれが琴瑟相和する所以となつてゐる。 「お千代、お前どうして、そんなに委しい事を知つてゐるんだい。窺《のぞ》きに行つたのか。」 「いゝえ。ちやんと知つてゐる譯がありますの。たゞぢや敎へません。」と笑つたが、やがて座をすゝめて、今日の夕方表へ買物に行つた歸りがけ、後《うしろ》から馳けて來た二臺の車がふと隣の門前で梶棒を卸したので、不思議な事もあるものだと何心なく立止つて振返ると、やがて幌の中から瀨川一糸とつゞいて藝者風の意氣な年增の下りるのを見た。「一番ようござんすわ。内所《ないしよ》で別莊へ連れて來れば誰にも知れなくつて…………ほゝゝほ。」 「さうさ。うまい事を考へたな。濱村屋もこの頃は大變な人氣だつて云ふからね。はゝゝゝゝは。」 「藝者衆でせうか、それとも何處《どこ》かのお妾さんでせうか。」 「大分小降りになつたやうだ。雪洞をつけてくれ。一ツのぞいて來やう。」 「まア、御苦勞ですねえ。」と云つたが、お千代は直樣立つて緣側の押入から雪洞を取出して灯をつけた。 「子供はもう寢たらうな。」 「えゝ、とうに臥《ふ》せりました。」 「さうか。ぢやお前も一所に來ないか。提灯持は先だよ。」 「あなた、好鹽梅《いゝあんばい》に止《や》んでますよ。」と庭下駄はいて先づ沓脫石《くつぬぎ》の上に下《お》り立つたお千代は、雪洞持つ片手を差翳《さしかざ》して足下を照しながら、「何だか芝居のお腰元見たやうですね。ほゝゝほ。」 「燈火《あかり》をつけて夜庭へ出るのは何となくいゝものさ。差詰め私《わし》の役は源氏十二段の御曹子とでも云ふ處だな。しかし、夫婦揃つて隣の垣間見と來ちやア、とんだ岡燒沙汰だ。はゝゝゝゝは。」 「聞えますよ。そんな大きな聲でお笑ひなすつちや。」 「かわいさうに、まだ蟋蟀が大分死なずに鳴いてゐるな。お千代、そつちは通れない。柘榴《ざくろ》の下はいつでも水溜りだ。そつちの百日紅の下を拔けるがいゝ。」 二人は飛石づたひに軈て植込の中へ潛《くゞ》り入つた。お千代は雪洞の光を片袖に蔽ひかくして息をこらしたが、薗八の一段がふと途絕えた後は唯だ緣側の障子に薄く灯影の殘るばかり、寮は寂々として話聲も笑聲も何にも聞えないのであつた。

然し翌る朝。雨後の空一段鮮に晴れ渡つて濕《しめ》つた土と苔の生えた鱗葺の軒からは盛に蒸發氣《ゆげ》の立昇る小春日和、南巢は梅の根本や立石の裾に支那水仙の球を植ゑてゐたその姿をば、今度は向から垣間見《かいまみ》て、垣根越しに瀨川一糸が、 「先生々々。相變らずお丹精ですね。」と呼びかけた。南巢は土まみれの手に冠つてゐた古帽子を取りながら、聲する方に進み、 「さつぱり掛けちがつてお目にかゝりませんでしたな。いつから此方《こつち》にお居でなんです。ちつとも知りませんでした。」 「いえ、昨日から一寸遊びがてら宿りに來たんで、まだ御挨拶にも伺ひません。」 「久振り、おはなしに入《い》らつしやい。家内もしよつちうお噂をしてゐます。お構ひ申しませんからお二人連れで、…………。」と南巢は少し聲をひそめ、 「實は昨夜しみ〴〵身につまされました。いゝ音〆でしたな。」 「聞えましたか。それぢやもう神妙に申上げてしまひませう。」 「是非拜見したいね。」 其の時緣側の方で、「兄《にい》さん、何處《どこ》にゐるの。」と呼ぶ聲がした。 「先生後でゆつくりお話《はなし》しませう。實はちつと御意見も伺つて見たい事があるんですよ。」と瀨川はそのまゝ垣根際を離れて、「何だい。こゝにゐるよ。」と云ひながら聲する方へ步いて行つた。

十三 歸りみち

翌《あく》る日《ひ》一日置いて其の次の日、大方薗八を彈いた女が歸つた後と覺しく、瀨川は一人ふらりと南巢の家へ遊びに來た。そして問はれるまゝにいろいろな事を話す。 「あれですか、あれは新橋です。御存じでせう。駒代ツて云ふんです。」 「尾花家の駒代か……どうも聞いた事のある聲柄だと思つた。踊は度々見たが、薗八をやるとはたのもしい。」 「この頃二三段稽古したんださうです。」 「瀨川君、此度《こんど》は大分長つゞきがするやうだね。お噂は去年の暮からちよい〳〵聞いてゐるんだが君も女房を持つ氣になつたかね。」 「もうそろ〳〵持つて見やうかと思つてゐるんですが、然しお袋のゐる中はとてもまとまりませんよ。」 「さうかね、然し君、女房になつて其の家の姑に從つて行けないやうな女ならまづ亭主にも從はない女だよ。其の邊は色戀を離れてよく考へないといけない。」 「それア私も考へてます。然し家ぢやお袋がまだ若いんですから、今年やつと五十一になつたのですから、どうも、うまく折合がつかなさうなんですよ。實は二三度駒代を家へ連れて行つた事があるんですがね。お袋の云ふには柔順《おとな》しさうで結構だけれど、藝人の女房にはもう少し愛嬌があつて働きがなければ身上《しんしやう》の相談なんか、私の居る中はいゝけれど後々何かにつけてお前が困るだらうツてかう云ふんです。それも尤ですが、其の實は新橋の藝者でまだ抱への身體でせう。それが氣に入らないんですよ。何しろ家のお袋と來たら何とか云ひましたね先生――掛取や京の女のおそろしい組ですからね。丸式《まるしき》のことゝ來たら到底《とても》お話にやならないんです。」 「さうかも知れないな。」 「地體死んだ親爺がわるいんですよ。江戶ツ兒の面汚しでさ。先の養母《おふくろ》の死んだ後何もわざ〳〵上方から引張つて來ないだつて、東京《こつち》にだつて女はいくらもありまさ。」 「それアさうさね。然し君、生野暮《きやぼ》の素人《しらうと》でないだけがまだしも仕合だよ。成田屋の家見たやうに物の分らない素人《しらうと》の女ばつかり殘つた日にやア御難だ。折角藝道の名家も後が大《だい》なしだ。」 「上方の女と來たら商賣人もあんまり當てにや成りませんよ。一體女ツてえものは何故《なぜ》みんなしみつたれ[#「しみつたれ」に傍点]なんでせう。つまらない事をいやに何時《いつ》までも恩にかけたがるもんですね。」 「女子と小人養ひがたしかね。」 「全くですね、實は駒代を女房にしやうかと思つたのも、あんまり色《いろ》んな事を恩にきせて煩《うるさ》くつて仕樣がないからなんですよ。」 「惚れて女房にしやうと云ふのぢや無いのかね。これア少し話がちがつて來た。」 「別にいやな事はありません。もと〳〵我慢して勤めたお客といふ譯ぢやなし、此方《こつち》からお座敷をつけて呼んでやつた事もある位なんですがね、さうかと云つて實のところを白狀すれば是が非でも女房にしなければならないといふ程|逆上《のぼ》せてゐる譯でもありません。」 「はゝゝは。そいつは心細いな。」 「何も彼も打明けてしまへばまアそんなものなんですが、然し私だつて一生獨りで暮らすときめた譯ぢやなし、頃合のがあつたら好加減な處で納まらうかと思つてゐるんです。先方《さき》ぢや去年の暮に私《わたし》の爲めに大事な旦那をしくじつたばかりか、その旦那が面當に朋輩の菊千代つて云ふのに手をつけて、間もなく自前にしてやつたと云ふんで、其の仕返に例へ三日でもいゝから私の家へ這入《はい》らなければ承知が出來ない。私に捨てられればモルヒネを飮むつて云ふ騷ぎなんで、私も其時は始末にこまつて親爺の十三囘忌でも濟んだらと、こう逃げたんです。」 「後生の障りだな、色男にはなりたくない。」 「先生までがそんな事を仰有つちや困《こま》りますなア。私だつて薄情な事はしたかアありません。だから家へ連れて行つてもお袋の手前都合がわるし、外のお茶屋で逢へば商賣にさわるだらうしと、いろ〳〵氣を廻した末、内《うち》の寮が明いて居るので、こゝでゆつくり逢つてやる事にしてゐるんです。」 「靜かでいゝやね。時に瀨川さん實はとうからお聞き申さうと思つてゐたんだが、寮は矢ツ張あゝして別莊にして置くのかね。」 「今の處では別に差當つて買手もありませんし、まアあのまゝにして置くより仕樣がありますまい。お袋もうつかり賣るなぞと云つて惡い周旋屋の手なんぞに引掛ると大變だと云つてゐます。」 「まア當分あゝしてお置きなさい。賣らうと思へばいつでも賣れるんだから。其の中に是非と云つて好んで望むやうな買手が出るまであゝして置く方が結句德ですよ。周旋屋の手にかゝれば地坪がいくらいくらと勘定するばかりで、寮なんぞは破屋《こはれや》も同樣、何んの値打もありやアしないが、見る人が見れば建具でも床柱でも襖の紙でも一々骨董の値打があるんだから、まア當分あゝしてお置きなさい。年數が經つに從つてます〳〵値打が出て來ます。」 「御迷惑でなければ、實は先生にお任せしたいんです。いつかもお袋がもし芝居か何かでお目にかゝつたら、御懇意づくにお賴みしてくれと云つてゐたんですが、つい私も忘れてしまひましてね。」 「さうですか。それなら私にお任せ下さい、決して惡いやうには計らひません。」 南巢はもう駒代の事なぞは其方《そつち》のけにして、庭の柴折戶や池の松の見事なこと抔を熱心に語り出した。

瀨川は明い中に南巢の家を辭し、今夜は築地の家へ歸つてゆつくり寢て、明日から新富座の初日へ出勤するつもりであつたが、久振りの話につひ長居して、小春の日のいつか暮れ掛けて來たのに驚き、立ち掛けやうとした折から、晩飯の膳を出されて、すぐにも歸られず、食後|又《また》一時《ひとしきり》四方山の話に夜も八時過ぎ、寒山竹の茂つた南巢の家の潛門《くゞりもん》を出たのである。往來は眞暗《まつくら》で風は冷《つめた》く、上野の森に月がかゝつて、通過る汽車の響と汽笛の聲が云ひ知れぬ程物寂しく聞きなされた。瀨川は南巢の家の玄關を出る時までは今夜は築地の家まで歸るのも道が遠いからいつそ空家の寮で唯《たつ》た一人夜明しをするのも面白からうと思つてゐたがそんな氣は忽ち何處へやら、今は息を切らすほど早足に電車通へ出た。そして箕輪から來る電車を待つ間も、瀨川はこんな眞暗な場末に住む人の氣が知れない。南巢さんのやうな文學者とか又畫家とか云ふ人逹ならばいざ知らずわざ〳〵こんな出端の惡い處へ引込んで茶の湯なんぞに凝つてゐた親爺の菊如は餘程變つた人間だつたなと考へる氣もなく一糸は自分と養父菊如との性質や藝風つゞいて世の中一帶の樣子も今とはちがつてゐた事などを比較しはじめた。

一糸は瀨川の家に養はれた役者として今でも女形を勤めてゐるのであるが、一時女形は女のすべき筈のもので、これを男がするのは女歌舞伎御禁止の爲めに止むを得ず生じた江戶時代の野蠻な遺風であると云つたやうな議論が盛に新聞や雜誌に出た頃には、只譯もなく女形がいやで、昔氣質の養父とは度々衝突して、いつそ役者なんぞは止してしまはうかと考へた事もあり、又新派の組合に加入して洋行でもして見やうかと思つた事さへあるが、然しそれもこれも要するに根柢のない一時の野心、新聞かぶれの出來心に過ぎないので、演劇に對する世間の議論が下火になれば、忽ちそんな事は忘れるともなく忘れてしまつて一糸は矢張子供の時から習ひ覺えた女形の役者として、每月彼方《あつち》此方《こつち》の興行にいそがしく、自分では別にさしたる苦心をしたといふでもなく、舞臺の年功をつむ中、いつか世間から一廉の役者らしく取扱はれ、自分もどうやら其の氣になりかけて來た時、丁度一時世間を熱狂させた女優の流行も漸く衰へ、日本の芝居には矢張女形は男でなければならぬやうな議論がちよい〳〵聞え出すのに、又譯もなく氣が强くなり、急に自分の女形たる事に値打以上の値打があるやうに思ひなして、自然興行每の役不足にだん〳〵奧役を困らせるやうになつて來るのであつた。 「や、瀨川さん。何方《どちら》のお歸りです。」 電車に乗ると、入口の隅の方に腰をかけてゐた三十前後の眼鏡をかけ、セルの袴をはいた書生風の男が、茶天鵞絨の中折帽を一寸|脫《と》つて挨拶した。 「おや、山井さん。吉原のお歸りですか。」と瀨川は笑ひながら、丁度席が明いてゐたので其の傍へ腰を卸した。 「はゝゝゝは。さう見えれば結構です。新富の初日は明日でしたね。」 「どうぞお遊びに…………。」 「是非伺ひます。」と山井は二重廻の袖の下に四五册抱えてゐた雜誌の一部を取出して、「まだお送りしませんでしたが、これがあの……いつかお話した雜誌です。」 山井は二重廻のかくしから手帳を出して瀨川の番地を書き留めた。山井は所謂新しい藝術家なので、雅號も戲名も何もない、唯本名の山井《やまゐ》要《かなめ》で知られてゐる。もと〳〵中學校を卒業したばかりで別に何一つこれといつて專門の學術を修めたといふのではないが、生れつき器用な性なので、中學時代から靑年雜誌に新體詩や短歌を投書してゐる中、いつの間にか哲學や審美學の用語を覺え、相應の學者らしく人生や藝術の問題を喋々と論ずるやうになつた。中學を出てから二三の仲間と或華族の馬鹿息子をだまして金を出させ新しい藝術雜誌を經營して短歌のみならず續々脚本や小說なぞをも發表し、三四年にして忽ち一廉の藝術家になりすましてしまつたのである。山井はまた劇壇にも滿々たる野心を抱き、既に作り得た文壇の名聲を賣物にして女優を集め、自分も又役者になつて飜譯劇を演じた事も再三に及んだが、これは忽ち女優との醜聞を新聞に素破拔かれた事や又は芝居の小屋主を始め鬘師や衣裳方道具方なぞへの諸勘定を拂はぬ爲め其の社會の鼻つまみとなつて誰も相手にせぬ處から自然おやめになつて、元の文學專門に立返る事となつた。

然し山井は今年三十一歲になつても二十代の書生と同樣家もなく妻子もなく下宿屋を諸所方々食ひ倒して步く藝術家なので、傍《はた》から見れば行末はどうなるかと思ふやうな事をも一向平氣で爲通《しとほ》してゐる。山井の倒すのは下宿屋ばかりでない。出版商からは原稿料を前借して其のまゝ本は書かず、書いて出版すれば直ぐに其の原稿を他の本屋に持つて行つて二重賣りをする。友逹の書いたものは懇意づくに一言の交渉もなく自分の賣る原稿の紙數を增さんが爲めに之を一所にして賣り飛ばす事も度々で、西洋料理屋も倒す、煙草屋も倒す、呉服屋も倒す。待合は新橋赤坂芳町柳橋から山の手邊まで倒せるだけ倒して步く處から、一度迷惑をかけられた藝者やお茶屋の女中は芝居の連中見物なぞで山井先生の顏を見ると、前の貸を催促するよりも、うつかり口《くち》をきいて又其の後《あと》倒しに來られては大變だと向から逃げる位。誰が云出したともなく陰《かげ》では皆山井の事をば出雲《いづも》倒州《たうしう》さんといふのである。これはいつも倒す[#「いつも倒す」に傍点]と云ふ事をば芝居の作者の名前らしくもぢつたのである。

然し世間は狹いやうで又廣い。冷酷なやうで又極めて寛容な處もある。役者や藝者の中でもまだ山井の事をばそれ程無信用な危險な人間とは氣のつかないものもある。一二度倒されても畫工《ゑかき》や文士《ぶんし》は仕方がないと善意に解して、却て氣の毒がるものもある。又は何も彼《か》も承知の上で、内々は用心しながら唯物好きにさういふ下等な人間と知合になり、自分逹には到底《とても》眞似さへ出來ないやうな陋劣な咄を聞いて面白がらうといふ、其の爲めには野太鼓同樣|飮《の》ませてやる人もないではない。瀨川一糸もかういふ人の一人である。顏を見ると直ぐに裸體畫を表紙にした雜誌VENUS《ヰイナス》を賣付けられて、忽ち悅《えつ》に入り、 「山井さん。近頃は活動もさつぱり面白いのが有りませんね。もういつかのやうな會員組織の封切はないでせうか。」 「ありますよ。尤もこん度のは私が幹事をしてゐるんぢやないんです。」と山井は急に思出したらしく瀨川の顏を見て、「あなた。新橋の尾花家の忰を知つておゐでゞせう。その男が世話人なんです。」 「尾花家の忰――知りませんよ。先年死んだ市川雷七なら知つてますが、まだ外に兄弟があるんですか。」 「雷《らい》七の弟ですよ。矢張尾花家の實の息子なんですが、――親爺とは今ぢや久しく義絕同樣になつてゐるんださうです。まだ若いんですが、二十二三でせうが、惡い事にかけちや實に天才ですね。とても僕なんざ足下にも寄りつけないです。」 山井は吳山老人の二番目の忰のことをば長々と語り出した。

十四 あさくさ