Part 9
[#ここから3字下げ] 荒廢《くわうはい》した山奧《やまおく》の深夜《しんや》。枯燥《こさう》せる雜草《ざつさう》、灌木《くわんぼく》、落葉《らくえふ》、石《いし》ころなどが、處《ところ》嫌《きら》はず亂雜《らんざつ》に群《むらが》り、背後《はいご》は一帶《いつたい》の竹藪《たけやぶ》に掩《おほ》はる。舞臺《ぶたい》の中央《ちうあう》に太《ふと》き老杉《らうさん》の幹《みき》一|本《ぽん》高《たか》く聳《そび》え、こんもり[#「こんもり」に傍点]した枝《えだ》を傘《かさ》の如《ごと》く擴《ひろ》げる。能《あた》ふ限《かぎ》り舞臺面《ぶたいめん》の上下《じやうげ》を高《たか》くして、曇《くも》りたる冬《ふゆ》の夜《よ》の空《そら》を充分《じうぶん》に見《み》せ、幽鬱《いううつ》な、暗澹《あんたん》たる薄光《はくくわう》を以《もつ》て四邊《しへん》をつつむ。
信西《しんぜい》、年《とし》の頃《ころ》七十|餘歲《よさい》、編笠《あみがさ》を戴《いたゞ》き、黑《くろ》き法衣《ほふえ》を纏《まと》うて杉《すぎ》の根《ね》かたに腰《こし》をかけ、兩手《りやうて》に膝頭《ひざがしら》を抱《いだ》いてうつむいて居《ゐ》る。其《そ》の向《むか》つて右《みぎ》に師光《もろみつ》、淸實《きよざね》、左《ひだり》に師淸《もろきよ》、成景《なりかげ》、物《もの》の具《ぐ》に身《み》を固《かた》めて蹲踞《うづくま》る。此《こ》の主從《しゆじゆう》五|人《にん》は、始終《しじう》何物《なにもの》かを憚《はゞか》るやうな低《ひく》い調子《てうし》で、囁《さゝや》くが如《ごと》くに語《かた》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (信西《しんぜい》)(ぢつと地面《ぢめん》を視詰《みつ》めた儘《まゝ》、皺嗄《しわが》れた聲《こゑ》。)師光《もろみつ》、師淸《もろきよ》、成景《なりかげ》、淸實《きよざね》、皆《みんな》其處《そこ》に居《を》るか。 (郞黨《らうだう》四|人《にん》)はい、此處《こゝ》に控《ひか》へて居《を》ります。 (信西《しんぜい》)わしは先刻《さつき》から眼《まなこ》をつぶつて居《を》る。もう世《よ》の中《なか》の物《もの》を見《み》る氣力《きりよく》も失《う》せて了《しま》うた、――どうぢや、空《そら》は曇《くも》つて居《を》るか。星《ほし》が一《ひと》つも見《み》えずなつて居《を》るか。 (師光《もろみつ》)(他《た》の三|人《にん》の郞黨《らうだう》と共《とも》に空《そら》を仰《あふ》ぎながら、)隈《くま》なく曇《くも》つて居《を》ります。 (信西《しんぜい》)星《ほし》が一《ひと》つも見《み》えぬと申《まを》すのぢやな。 (師光《もろみつ》)左樣《さやう》でござります。 (師淸《もろきよ》)我《わ》が君《きみ》、何故《なにゆゑ》そのやうに空《そら》の星《ほし》を氣《き》になされまする。 (信西《しんぜい》)あの忌《い》まはしい星《ほし》が見《み》える間《あひだ》は、わしは眼《まなこ》を開《ひら》く勇氣《ゆうき》がないわ。(と云《い》ひつつ、笠《かさ》を脫《ぬ》ぎ、眼《め》をしばだたきながら、恐《おそ》る恐《おそ》る上下左右《じやうげさいう》を見廻《みまは》す。)もう大分《だいぶ》夜《よ》が更《ふ》けたやうぢやな。曇《くも》つて居《ゐ》ても、空《そら》には月《つき》があると見《み》えて雲《くも》が鉛《なまり》のやうに光《ひか》つて居《ゐ》る。 (成景《なりかげ》)月《つき》の光《ひかり》が雲《くも》を射徹《いとほ》して、私《わたくし》の額《ひたひ》を冷《ひやゝ》かに照《て》らして居《を》ります。そこいら中《ぢゆう》の草木《さうもく》の色《いろ》が、謎《なぞ》の世界《せかい》のもののやうに見《み》えて居《を》ります。 (淸實《きよざね》)これが秋《あき》の夜《よ》であつたら、溪川《たにがは》の水《みづ》に月《つき》が映《うつ》つて、妻《つま》戀《こ》ふる鹿《しか》の聲《こゑ》も聞《きこ》えるでござりませうに、冬枯《ふゆが》れ時《どき》の眞夜中《まよなか》では、山《やま》も草木《くさき》も死《し》んだやうでござります。 (信西《しんぜい》)(身《み》を戰《おのゝ》かせ恐《おそ》ろしげに、)みんな暫《しばら》く默《だま》つて見《み》てくれ。さうして、靜《しづか》に耳《みゝ》を澄《す》ましてあの物音《ものおと》を聽《き》いてみてくれ。お前逹《まへたち》にはあの物音《ものおと》が聞《きこ》えないか。あの何處《どこ》やらで、がさがさと云《い》ふ物《もの》の音《おと》が‥‥‥‥‥ (師光《もろみつ》)あれは大方《おほかた》、夜風《よかぜ》がうしろの竹藪《たけやぶ》にあたる音《おと》でござりませう。 (信西《しんぜい》)わしには、何《なん》となく人《ひと》の足音《あしおと》のやうに聞《きこ》えるが‥‥‥‥‥ (師淸《もろきよ》)こんな夜更《よふけ》に、この山奧《やまおく》へ參《まゐ》る者《もの》はござりますまい。 (信西《しんぜい》)いや、さうも云《い》はれないのぢや。いつ何時《なんどき》わしの命《いのち》を奪《と》りに來《く》る者《もの》があるかも知《し》れないのぢや。この信西《しんぜい》の首《かうべ》が欲《ほ》しさに、どのやうな山《やま》の奧《おく》、野《の》の末《すゑ》までも、草木《くさき》を分《わ》けて尋《たづ》ね歩《ある》く人逹《ひとたち》が多勢《おほぜい》居《ゐ》るのぢや。今頃《いまごろ》京都《みやこ》では、「信西《しんぜい》は何處《どこ》へ逃《に》げた、早《はや》く搜《さが》し出《だ》してあの男《をとこ》の首《くび》を斬《き》れ。」と、源氏《げんじ》の侍共《さむらひども》が騷《さわ》いで居《を》るであらう。 (成景《なりかげ》)それは合點《がてん》の參《まゐ》らぬことでござります。學問《がくもん》と申《まを》し、器量《きりやう》と申《まを》し、今《いま》の朝廷《てうてい》に肩《かた》を列《なら》べる者《もの》もない、御威勢《ごゐせい》のある我《わ》が君《きみ》を、殊《こと》に主上《しゆじやう》の御覺《おおぼ》えの優《すぐ》れてめでたい我《わ》が君《きみ》の御命《おんいのち》を、源氏《げんじ》の侍《さむらひ》が附《つ》け狙《ねら》ふとはどう云《い》う譯《わけ》でござります。 (信西《しんぜい》)お前逹《まへたち》には、其《そ》の仔細《しさい》が解《わか》らぬであらうな。 (成景《なりかげ》)一向《いつかう》合點《がてん》が參《まゐ》りませぬ。 (淸實《きよざね》)私共《わたくしども》は、唯《たゞ》君《きみ》の仰《おほ》せのままに、此處《こゝ》までお供《とも》致《いた》して參《まゐ》つたのでござります。丁度《ちやうど》今日《けふ》の午頃《ひるごろ》のこと、わが君《きみ》には急《きふ》に靑褪《あをざ》めた顏《かほ》をなすつて、「都《みやこ》に居《ゐ》ては命《いのち》が危《あやう》い故《ゆゑ》、一刻《いつこく》も早《はや》くわしを何處《どこ》かの山奧《やまおく》へ伴《つ》れて行《い》つて、隱《かく》してくれい。」と仰《おつ》しやりました。それで私共《わたくしども》は取《と》る物《もの》も取《と》り敢《あ》へず、深《ふか》い仔細《しさい》も承《うけたまは》らずに、君《きみ》をお伴《つ》れ申《まを》して、一《ひ》と先《ま》づ田原《たはら》の奧《おく》の大道寺《だいだうじ》の所領《しよりやう》まで逃《に》げのびたのでござりました。すると君《きみ》には、「いや、まだ此處《こゝ》では安心《あんしん》が出來《でき》ない。もつと人里《ひとざと》を離《はな》れた、もつと寂《さび》しい處《ところ》へ行《ゆ》かねばならぬ。」と仰《おつ》しやつて、たうとうこんな山奧《やまおく》へ參《まゐ》つたのでござります。 (師淸《もろきよ》)あの時《とき》の君《きみ》の御樣子《ごやうす》と申《まを》したら、失禮《しつれい》ながら、まるで御心《おこゝろ》が狂《くる》つたやうで、正氣《しやうき》ある人《ひと》の沙汰《さた》とは覺《おぼ》えぬ程《ほど》でござりました。 (師光《もろみつ》)保元《ほげん》このかた世《よ》には泰平《たいへい》が打《う》ち續《つゞ》いて、源平《げんぺい》の武士《ぶし》は内裏《だいり》を守護《しゆご》し奉《たてまつ》り、朝廷《てうてい》の御威光《ごゐくわう》の至《いた》らぬ隈《くま》もなく、わが君《きみ》の御身《おみ》の上《うへ》は盤石《ばんじやく》のやうに確《たしか》だと思《おも》はれますのに、どのやうな仔細《しさい》があつて、今宵《こよひ》のやうな見苦《みぐる》しい事《こと》をなされまする。 (信西《しんぜい》)お前逹《まへたち》のやうな無學《むがく》な人《ひと》は仕合《しあは》せぢや。わしは昨日《きのふ》迄《まで》自分《じぶん》の學問《がくもん》や才智《さいち》を誇《ほこ》つて居《を》つたが、今《いま》となつて見《み》れば、却《かへ》つて愚《おろか》な人《ひと》が羨《うらやま》しいわ。わしは若《わか》い時分《じぶん》に、唐土《もろこし》の孔子《こうし》の道《みち》を學《まな》んだ。さうして僅《わづか》一年程《いちねんほど》の間《あひだ》に其《そ》の奧儀《あうぎ》を究《きは》めて了《しま》つた。それからわしは老子《らうし》の道《みち》を學《まな》んだ。さうしてまた一年《いちねん》も立《た》つと、其《そ》の奧儀《あうぎ》を究《きは》めることが出來《でき》た。其《そ》の次《つぎ》には佛《ほとけ》の道《みち》を學《まな》んだ。さうして此《こ》れも一年《いちねん》ばかりの間《あひだ》に、殘《のこ》らず學《まな》び盡《つく》して了《しま》つた。最後《さいご》にわしは、此《こ》の宇宙《うちう》の間《あひだ》にある凡《す》べての事柄《ことがら》を、悉《こと/″\》く知《し》らうとした。天文《てんもん》でも、醫術《いじゆつ》でも、陰陽《いんやう》五行《ごぎやう》の道《みち》でも、わしの學《まな》ばない處《ところ》はなかつた。星《ほし》の運行《うんかう》に依《よ》つて、世間《せけん》の有為轉變《うゐてんぺん》を占《うらな》ふことも、人間《にんげん》の相《さう》を觀《み》て、其《そ》の人《ひと》の吉凶禍福《きつきようくわふく》を判《はん》ずる事《こと》も、出來《でき》るやうになつたのぢや。わしの眼《め》には、遠《とほ》い未來《みらい》の事《こと》までも明《あきらか》に見《み》える。世《よ》の中《なか》や人《ひと》の身《み》の上《うへ》に大事件《だいじけん》が起《おこ》る前《まへ》には、必《かなら》ず其《そ》の兆《きざし》が現《あらは》れるものぢやが、わしの眼《め》には其《そ》れがはつきりと見《み》えるやうになつたのぢや。しまひには自分《じぶん》の悲《かな》しい運命《うんめい》迄《まで》が、自分《じぶん》に能《よ》く見《み》えるやうになつて來《き》た。其《そ》れがわしの不仕合《ふしあは》せであつたのぢや。 (師淸《もろきよ》)それでは近頃《ちかごろ》に、何《なに》か其《そ》のやうな恐《おそ》ろしい前兆《ぜんてう》でも現《あらは》れたのでござりまするか。 (信西《しんぜい》)うむ、わしが其《そ》れに氣《き》が附《つ》いたのは、今日《けふ》の午頃《ひるごろ》であつた。院《ゐん》の御所《ごしよ》に伺《うかゞ》ふ途中《とちゆう》でふと空《そら》を仰《あふ》ぐと、天《てん》の中央《なかば》に懸《かゝ》つた日輪《にちりん》が、白《しろ》い暈《かさ》を被《かぶ》つて居《ゐ》た。あれは「白虹《はくこう》日《ひ》を貫《つらぬ》く。」と云《い》うて、時《とき》を移《うつ》さず朝敵《てうてき》が都《みやこ》に起《おこ》り、國難《こくなん》を釀《かも》す前兆《ぜんてう》なのぢや。また時《とき》ならぬ眞晝《まひる》の空《そら》に、大伯星《たいはくせい》がきらきらと光《ひか》つて居《ゐ》るのを見《み》た。それは「大伯《たいはく》經天《けいてん》に侵《をか》す。」と云《い》うて、今夜《こんや》の中《うち》に朝廷《てうてい》の忠臣《ちゆうしん》が、君《きみ》に代《かは》り參《まゐ》らせて命《いのち》を落《おと》す證據《しようこ》なのぢや。 (成景《なりかげ》)其《そ》の忠臣《ちゆうしん》と仰《おつ》しやるのは、誰方《どなた》の事《こと》でござりませう。 (信西《しんぜい》)其《そ》れはわしの事《こと》であらう。――わしは其《そ》れに就《つ》いて、いろいろと思《おも》ひ合《あ》はす事《こと》がある。昔《むかし》、まだわしが通憲《みちのり》と云《い》ふ俗人《ぞくじん》であつた時分《じぶん》、熊野權現《くまのごんげん》へ參詣《さんけい》に行《ゆ》く路《みち》すがら、或《あ》る占者《うらなひしや》がわしの相《さう》を觀《み》て云《い》うた言葉《ことば》があつた。「あなたは諸道《しよだう》に優《すぐ》れた人《ひと》ぢやが、倂《しか》し、氣《き》の毒《どく》な事《こと》には行《ゆ》く末《すゑ》首《かうべ》を劍《つるぎ》にかけられて、屍骸《しかばね》を野原《のはら》に曝《さら》す相《さう》がある。萬一《まんいち》出家《しゆつけ》でもしたならば、其《そ》の禍《わざはひ》を免《まぬか》れる事《こと》もあるであらうが、其《そ》れも七十を越《こ》す迄《まで》生《い》きて居《ゐ》たらば危《あやう》からう。」と其《そ》の占者《うらなひしや》が云《い》うたのぢや。わしは其《そ》の時《とき》早速《さつそく》鏡《かゞみ》の前《まへ》で、自分《じぶん》の顏《かほ》をつくづくと眺《なが》めた。すると恐《おそ》ろしい事《こと》には、其《そ》の占者《うらなひしや》の云《い》うた通《とほ》り、劍難《けんなん》の相《さう》が現《あらは》れて居《ゐ》た。それからわしは此《こ》のやうに頭《あたま》を圓《まろ》めて、名《な》も信西《しんぜい》と改《あらた》めたのぢやが、七十の坂《さか》はもう四五|年前《ねんまへ》に越《こ》して了《しま》うた。それや此《こ》れやを考《かんが》へ合《あ》はせると、今度《こんど》はどうしても、わしの命《いのち》は助《たす》からないのであらう。………しかし、わしのやうに自分《じぶん》の運命《うんめい》が、あまりハツキリ見《み》えすぎると、人《ひと》は臆病《おくびやう》にならずには居《ゐ》られぬものぢや。見《み》す見《み》す判《わか》つて居《ゐ》ながら、どうかして其《そ》の運命《うんめい》に打《う》ち克《か》たう、打《う》ち克《か》たうとしたくなるのぢや。わしは七十の坂《さか》を越《こ》してからと云《い》ふもの、一日《いちじつ》として安《やす》い心《こゝろ》はなかつたのぢや。 (淸實《きよざね》)それでは其《そ》の朝敵《てうてき》と仰《おつ》しやるのは誰《だれ》の事《こと》でござります。 (信西《しんぜい》)云《い》はずと知《し》れた信賴《のぶより》と義朝《よしとも》ぢや。あの二人《ふたり》は日頃《ひごろ》から、恐《おそ》れ多《おほ》くも主上《しゆじやう》や院《ゐん》を始《はじ》め、わしや淸盛《きよもり》などに大分《だいぶ》怨《うらみ》を抱《いだ》いて居《ゐ》た。丁度《ちやうど》今《いま》淸盛《きよもり》が熊野《くまの》へ參詣《さんけい》に行《い》つた留守《るす》を幸《さいは》ひ、信賴《のぶより》の奴《やつ》が愚者《おろかもの》の義朝《よしとも》と語《かた》らうて、謀叛《むほん》を起《おこ》すのであらう。きつと今頃《いまごろ》はあの二人《ふたり》が、主上《しゆじやう》や院《ゐん》を御所《ごしよ》へ押《お》し込《こ》め奉《たてまつ》り、わしや淸盛《きよもり》の邸《やしき》を燒打《やきうち》にして居《ゐ》る時分《じぶん》ぢや。さうして、あわよくば思《おも》ふが儘《まゝ》の高位《かうゐ》高官《かうくわん》に上《のぼ》り、二人《ふたり》して天下《てんか》の政治《せいぢ》を勝手《かつて》に料理《れうり》しようとするのであらう。 (師光《もろみつ》)何《なん》と仰《おつ》しやります。其《そ》れが眞實《まこと》なら、容易《ようい》ならぬ事《こと》ではござりませぬか。 (信西《しんぜい》)まこととも、まこととも、お前逹《まへたち》は物《もの》を眼《め》の前《まへ》に見《み》せられぬ間《あひだ》は、其《そ》の眞實《まこと》を信《しん》ずることが出來《でき》ぬかな。――さうぢや、あの信賴《のぶより》の事《こと》に就《つ》いても想《おも》ひ出《だ》す事《こと》があるわ。いつであつたか彼《あ》の男《をとこ》が、近衞大將《このゑたいしやう》の位《くらゐ》を所望《しよまう》した折《をり》、院《ゐん》には如何《いかゞ》したものであらうと、わしに御尋《おたづ》ね遊《あそ》ばした事《こと》があつた。わしは其《そ》の時《とき》、「どうしてどうして、あのやうな男《をとこ》を近衞大將《このゑたいしやう》になさつてはなりませぬ。そんな事《こと》をなされると、彼《あれ》は今《いま》に增長《ぞうちやう》して謀叛《むほん》でも起《おこ》し兼《か》ねない人物《じんぶつ》でござります」と、唐土《もろこし》の安祿山《あんろくざん》の例《ためし》を引《ひ》いてお止《と》め申《まを》したことがあった。今《いま》思《おも》へば其《そ》れが矢張《やはり》中《あた》つたのぢや。わしの判斷《はんだん》は、今迄《いままで》一度《いちど》も外《はづ》れた事《こと》はないのぢや。 (師光《もろみつ》)たとへ京都《みやこ》は、一旦《いつたん》右衞門督《うゑもんのかみ》(信賴《のぶより》)や左馬頭《さまのかみ》(義朝《よしとも》)の手《て》に落《お》ちても、昔《むかし》から朝敵《てうてき》の榮《さか》えた例《ためし》はござりませぬ。紀州《きしう》に赴《おもむ》かれた大貳殿《だいにどの》(淸盛《きよもり》)が變《へん》を聞《き》いて引返《ひきかへ》されたら、不敵《ふてき》の輩《やから》も瞬《またゝ》くうちに滅《ほろ》ぼされるでござりませう。 (信西《しんぜい》)さうであらう。お前《まへ》の今《いま》云《い》うた事《こと》は、やがて眞實《まこと》となるであらう。淸盛《きよもり》が戾《もど》って來《き》たら忽《たちま》ち滅《ほろ》ぼされて、あの二人《ふたり》の首《くび》は獄門《ごくもん》に曝《さら》されるであらう。だが明日《あす》をも知《し》れぬ自分《じぶん》の運命《うんめい》に心付《こゝろづ》かず、勇《いさ》ましく働《はたら》いて居《ゐ》る愚《おろか》な義朝《よしとも》は、わしより仕合《しあは》せであるかも知《し》れぬ。わしは今《いま》、自分《じぶん》で自分《じぶん》の運命《うんめい》に詛《のろ》はれて、手《て》も足《あし》も出《で》ずに居《ゐ》るのぢやから。 (師淸《もろきよ》)しかし、今日《けふ》こそ我《わ》が君《きみ》の學問《がくもん》の效果《きゝめ》が現《あらは》れたのでござりませう。御身《おんみ》の上《うへ》にふりかかる禍《わざはひ》を未然《みぜん》に防《ふせ》がれて、此《こ》の山奧《やまおく》に姿《すがた》を隱《かく》され、朝敵《てうてき》に一泡《ひとあわ》吹《ふ》かせてやつたのは、快《こゝろよ》いことでござります。嘸《さぞ》今頃《いまごろ》は、血眼《ちまなこ》になつて御行衞《おんゆくゑ》を搜《さが》し求《もと》めて居《を》りませう。 (成景《なりかげ》)もう此處《こゝ》まで落《お》ちのびた上《うへ》は、よもや敵《かたき》の目《め》に止《とま》ることはござりますまい。大貳殿《だいにどの》の戾《もど》られるまで、暫《しばら》く此處《こゝ》に御辛抱《ごしんばう》なされれば大丈夫《だいぢやうぶ》でござります。 (信西《しんぜい》)お前逹《まへたち》はさう思《おも》つて居《ゐ》るのか。わしの日頃《ひごろ》の學問《がくもん》が役《やく》に立《た》つたと云《い》ふのか。あの執念深《しふねんぶか》い信賴《のぶより》と云《い》ふ男《をとこ》が、一《ひ》と通《とほ》りの事《こと》でわしを搜《さが》す事《こと》を思《おも》ひ切《き》ると思《おも》ふのか。ああ、どうかしてわしも其《そ》のやうな氣持《きもち》になりたい。どうせ殺《ころ》されるにしても、殺《ころ》される間際《まぎは》まで其《そ》の氣持《きもち》で居《ゐ》たいものぢや。あの信賴《のぶより》は、草《くさ》を分《わ》けても此《こ》の信西《しんぜい》を搜《さが》し出《だ》さずには措《お》かぬ男《をとこ》ぢや。今頃《いまごろ》源氏《げんじ》の郞黨共《らうだうども》は、手《て》に手《て》に炬松《たいまつ》を持《も》つて、京都《みやこ》の八方《はつぱう》へ放《はな》たれたであらう。先刻《さつき》まで忍《しの》んで居《ゐ》た大道寺《だいだうじ》の所領《しよりやう》へも來《き》たであらう。ふとしたら、もう此《こ》の山《やま》の周圍《ぐるり》を取《と》り卷《ま》いて、そろそろと登《のぼ》つて來《く》るかも知《し》れぬ。一町《いつちやう》、二町《にちやう》、三町《さんちやう》、と、だんだん近《ちか》くなつて、此《こ》の後《うしろ》の竹藪《たけやぶ》に忍《しの》び込《こ》んだかも知《し》れぬ。ああ、わしはとても助《たす》からないのぢや。わしは死《し》ぬのぢや。殺《ころ》されるのぢや。あの二人《ふたり》の首《くび》が獄門《ごくもん》に掛《か》けられぬ前《まへ》に、先《ま》づわしの首《くび》が鴨河原《かもがはら》へ曝《さら》されるのぢや。………わしは其《そ》れをよく知《し》つて居《ゐ》る。わしには其《そ》れが能《よ》く判《わか》つて居《ゐ》る。………判《わか》つて居《ゐ》る事《こと》が何《なん》にならう。何《なん》の爲《た》めにならう。………ああ、わしはどうしても助《たす》からない。………どうしても……… (師光《もろみつ》)わが君《きみ》、如何《いかゞ》なされました。御心《おこゝろ》を確《たしか》になさりませい。天下《てんが》に響《ひゞ》いた少納言《せうなごん》信西《しんぜい》と云《い》ふお名前《なまへ》に恥《は》ぢぬやうに。 (信西《しんぜい》)お前《まへ》はわしを卑怯《ひけふ》だと思《おも》ふのぢやな。わしは運命《うんめい》の前《まへ》にお辭儀《じぎ》をするのが嫌《いや》なのぢや。卑怯《ひけふ》だと云《い》はれても構《かま》はないのぢや。ひろいひろい天下《てんか》に一人《ひとり》位《ぐらゐ》は、あの愚《おろか》な義朝《よしとも》の勇氣《ゆうき》よりも、此《こ》の信西《しんぜい》の臆病《おくびやう》の方《はう》が貴《たうと》いものぢやと云《い》ふ事《こと》を知《し》つてくれる者《もの》があらう。わしは唐土《もろこし》にも天竺《てんぢく》にも、肩《かた》を列《なら》べる者《もの》のない學者《がくしや》なのぢや。久壽《きうじゆ》の昔《むかし》那智山《なちざん》で觀世音菩薩《ぐわんぜおんぼさつ》の化身《けしん》ぢやと云《い》はれた事《こと》もあるのぢや。――しかし其《そ》れも、みんな過《す》ぎ去《さ》つた事《こと》になつた。此《こ》の日本《につぽん》の國《くに》に、自分《じぶん》を蹴落《けおと》すものはないと思《おも》つて居《ゐ》たのは昨日《きのふ》のことであつた。わしは、あの文盲《もんまう》な、そうして勇猛《ゆうまう》な、東夷《あづまゑびす》の義朝《よしとも》に蹴落《けおと》されたのぢや。「老《お》いて此《こ》の世《よ》を存《ながら》ふれば、辱《はづかしめ》を受《う》くること多《おほ》し」と云《い》ふが、其《そ》の通《とほ》りであつた。此《こ》れ程《ほど》年《とし》をとりながら、わしは何故《なぜ》君《きみ》の爲《た》め國《くに》の爲《た》めに、命《いのち》を捨《す》てる氣《き》にならないのであらう。――おお、また一入《ひとしほ》と寒《さむ》くなつて來《き》たな。命《いのち》の火《ひ》の消《き》えかかつて居《ゐ》るわしの體《からだ》は、この寒《さむ》さに堪《た》へられさうにも覺《おぼ》えぬわ。 (淸實《きよざね》)お傷《いた》はしう存《ぞん》じます。 (師光《もろみつ》)わが君《きみ》、何故《なぜ》其《そ》のやうな弱々《よわ/\》しいことを仰《おつ》しやります。日頃《ひごろ》の御氣象《ごきしやう》にも似合《にあ》はぬことでござります。氣《き》をしツかりとお持《も》ちなされい。愚者《おろかもの》の、東夷《あづまゑびす》の、左馬頭《さまのかみ》のやうな――天《てん》を恐《おそ》れず、神《かみ》を憚《はゞか》らぬ左馬頭《さまのかみ》のやうな强《つよ》い心《こゝろ》をお持《も》ちなされい。力《ちから》をこめて、運命《うんめい》の網《あみ》を突《つ》き破《やぶ》つておしまひなされい。(曇《くも》りたる空《そら》、次第次第《しだいしだい》に晴《は》れ渡《わた》り、拭《ぬぐ》ふが如《ごと》くに冴《さ》えて星《ほし》五《いつ》つ六《む》つきらきらと輝《かゞや》き、月光《げつくわう》普《あまね》く地上《ちじやう》を照《てら》らす。但《たゞ》し、月《つき》は舞臺面《ぶたいめん》に現《あらは》さざること。)おお、いつの間《ま》にか空《そら》が晴《は》れて參《まゐ》りました。さあ我《わ》が君《きみ》、恐《おそ》れることはござりませぬ。あの空《そら》の星《ほし》を、あの忌《い》まはしい空《そら》の星《ほし》を、額《ひたひ》を上《あ》げて、胸《むね》を張《は》つて、つくづくと御覽《ごらん》なされい。 (信西《しんぜい》)(靜《しづか》に、おづおづと頭《かうべ》を上《あ》げて、空《そら》を仰《あふ》ぐ。)あの星《ほし》が其《そ》れぢや。あれ、彼處《あすこ》に、銳《するど》い月《つき》の光《ひかり》にもめげずに瞬《またゝ》いて居《ゐ》るあの星《ほし》が、わしの運命《うんめい》を詛《のろ》ふのぢや。(風《かぜ》吹《ふ》き來《きた》りて竹藪《たけやぶ》をざわざわと鳴《な》らす。)あれはやつぱり風《かぜ》の音《おと》か、此《こ》の次《つぎ》に竹藪《たけやぶ》が鳴《な》る時《とき》は、源氏《げんじ》の討手《うつて》が現《あらは》れるであらう。 (成景《なりかげ》)私共《わたくしども》は先刻《さつき》からのお言葉《ことば》を、まだ疑《うたが》うて居《を》りますが、若《も》しも源氏《げんじ》の討手《うつて》が參《まゐ》らうなら、腕《うで》の限《かぎ》り斬《き》つて斬《き》りまくり、我《わ》が君《きみ》に指《ゆび》でもささせぬ覺悟《かくご》でござります。 (信西《しんぜい》)ふむ、まだお前逹《まへたち》は、わしの言葉《ことば》が信《しん》じられぬと云《い》ふのぢやな。 (淸實《きよざね》)誰《だれ》も、誰《だれ》も、君《きみ》の御判斷《ごはんだん》の中《あた》らぬことを願《ねが》うて居《を》ります。 (信西《しんぜい》)討手《うつて》の影《かげ》が見《み》えてから、始《はじ》めて眞實《まこと》と悟《さと》つたとて何《なん》にならう。たとへお前逹《まへたち》四人《よにん》が力《ちから》の限《かぎ》り刄向《はむか》うても、名《な》に負《お》ふ源氏《げんじ》の荒武者《あらむしや》が十騎《じつき》も二十騎《にじつき》も押《お》し寄《よ》せたら手《て》もない事《こと》ぢや。あの星《ほし》を見《み》るがよい。あの星《ほし》を。あれが何《なに》よりの證據《しようこ》なのぢや。あの星《ほし》の光《ひかり》が消《き》えるか、わしの命《いのち》が消《き》えるか、二《ふた》つに一《ひと》つぢや。 (師淸《もろきよ》)それでは兎《と》も角《かく》も、お心《こゝろ》の休《やす》まるやうに、今《いま》少《すこ》し山《やま》の奧《おく》か、それとも亦《また》、南都《なんと》の方《はう》へ落《お》ちのびませうか。 (信西《しんぜい》)頭《あたま》の上《うへ》にあの星《ほし》が睨《にら》んで居《ゐ》る間《あひだ》は、何處《いづこ》へ行《い》つても同《おな》じ事《こと》ぢや。わしにはあの星《ほし》を空《そら》から射落《いおと》す力《ちから》はない。あの星《ほし》を、頭《あたま》の上《うへ》から引《ひ》きずり下《お》ろす力《ちから》がないのぢや。どうかして、あの星《ほし》の見《み》えない處《ところ》へ行《ゆ》きたいものぢや。(ふと、何《なに》かを見付《みつ》けたやうに、下手《しもて》の方《はう》を見《み》やりて頷《うなづ》く。)うむ、彼處《あすこ》に材木《ざいもく》と鍬《くわ》とが置《お》いてある。大方《おほかた》樵夫《きこり》が遺《わす》れて行《い》つたのであらう。お前逹《まへたち》、あれを此處《こゝ》へ持《も》つて來《き》てくれ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 郞黨等《らうだうら》、下手《しもて》から新《あたら》しく挽《ひ》きたる四|分《ぶ》板《いた》四五|枚《まい》と鍬《くわ》とを運《はこ》び來《きた》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (師光《もろみつ》)わが君《きみ》、これを如何《どう》なされるのでござります。 (信西《しんぜい》)星《ほし》の見《み》えない處《ところ》へ身《み》を隱《かく》すのぢや。此《こ》の杉《すぎ》の木蔭《こかげ》に穴《あな》を掘《ほ》つて、土《つち》の中《なか》に身《み》を埋《うづ》め、竹《たけ》の節《ふし》で氣息《いき》を通《かよ》はせれば、生《い》きて居《ゐ》られるであらう。あの星《ほし》の光《ひかり》が消《き》えるまで、わしはさうして生《い》きながらへ、運命《うんめい》の力《ちから》に克《か》つて見《み》せるのぢや。………時《とき》のたたないうちに、早《はや》く其處《そこ》を堀《ほ》つてくれい。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 郞黨等《らうだうら》、杉《すぎ》の木蔭《こかげ》を穿《うが》ち、穴《あな》の中《なか》を板《いた》にてかこひ、後《うしろ》の竹藪《たけやぶ》から竹《たけ》の幹《みき》を切《き》つて來《く》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (師光《もろみつ》)仰《おほ》せの通《とほ》りにしつらへました。 (信西《しんぜい》)いろいろと大儀《たいぎ》であつたなう。お前逹《まへたち》の心《こゝろ》づくしは、死《し》ぬるまで過分《くわぶん》に思《おも》うて忘《わす》れぬであらう。それでは、わしは此《こ》の穴《あな》に身《み》を埋《うづ》めて、世《よ》の中《なか》の靜《しづ》まるのを待《ま》つとしよう。再《ふたゝ》び日《ひ》の目《め》が見《み》られたらば、お前逹《まへたち》にも厚《あつ》く禮《れい》をするつもりぢや。お前逹《まへたち》も人目《ひとめ》にかからぬうち、早《はや》く此處《こゝ》を立《た》ち退《の》いて、何處《いづこ》の山里《やまざと》へなりと身《み》を落《お》ち着《つ》けたがよい。もしまたわしの體《からだ》に萬一《まんいち》の事《こと》があつたなら、京都《みやこ》に殘《のこ》して置《お》いた妻子共《つまこども》の面倒《めんだう》を見《み》てやつてくれるやうに、くれぐれも賴《たの》んで置《お》くぞ。 (師淸《もろきよ》)仰《おほ》せまでもないことでござります。我《わ》が君《きみ》にもどのやうな事《こと》があらうとも、命《いのち》の綱《つな》をしつかと摑《つか》むで放《はな》さぬやうになされませい。 (師光《もろみつ》)君《きみ》にお願《ねが》ひがござります。忌《い》まはしいことながら、萬々一《まん/\いち》、これが長《なが》いお別《わか》れとならぬとも限《かぎ》りませぬ。何卒《なにとぞ》其《そ》の時《とき》は世《よ》の物笑《ものわらひ》とならぬやう、天晴《あつぱ》れの御最後《ごさいご》をお願《ねが》ひ申《まを》して置《お》きます。また其《そ》の時《とき》に私共《わたくしども》が亡《な》き後《あと》の君《きみ》の御囘向《ごゑかう》を葬《とぶら》ふことが出來《でき》ますやうに、唯今《たゞいま》此《こ》の場《ば》で髻《もとゞり》を切《き》りたう存《ぞん》じます。師淸《もろきよ》も、成景《なりかげ》も、淸實《きよざね》も、別《べつ》に異存《いぞん》はなからうな。 (師淸《もろきよ》、成景《なりかげ》、淸實《きよざね》)決《けつ》して異存《いぞん》はない。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 四人《よにん》、一度《いちど》に髻《もとゞり》を切《き》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (師光《もろみつ》)かうなつた上《うへ》は、われわれ四人《よにん》に、何卒《なにとぞ》法名《はふみやう》をお授《さづ》け下《くだ》さいまし。 (信西《しんぜい》)うむ、ようこそ申《まを》してくれた。――師光《もろみつ》……… (師光《もろみつ》)はい。 (信西《しんぜい》)信西《しんぜい》の一字《いちじ》を取《と》つて、お前《まへ》の法名《はふみやう》は西光《さいくわう》と稱《とな》へるがよい。 (師光《もろみつ》)忝《かたじけ》なう存《ぞん》じます。 (信西《しんぜい》)師淸《もろきよ》、お前《まへ》の法名《はふみやう》は西淸《さいせい》。 (師淸《もろきよ》)はい。 (信西《しんぜい》)成景《なりかげ》は西景《さいけい》、淸實《きよざね》は西實《さいじつ》と稱《とな》へるがよい。 (師淸《もろきよ》、成景《なりかげ》、淸實《きよざね》)忝《かたじけ》なう存《ぞん》じます。 (師光《もろみつ》)いつまで居《ゐ》てもお名殘《なごり》は盡《つ》きませぬ、それではこれで一同《いちどう》お暇《いとま》を願《ねが》ひます。 (信西《しんぜい》)うむ、(と云《い》ひつつ、つかつかと穴《あな》の端《はた》に進《すゝ》み、そこに彳《たゝず》みて無言《むごん》の儘《まゝ》暫《しばら》く空《そら》の星《ほし》を凝視《ぎようし》し、力《ちから》なげにうなだれる………)星《ほし》はまだ光《ひか》つて居《ゐ》る。………わしは此《こ》の穴《あな》の中《なか》で、息氣《いき》のつづく限《かぎ》り念佛《ねんぶつ》を稱《とな》へて居《ゐ》よう。……… [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 信西《しんぜい》穴《あな》の中《なか》に入《い》る。郞黨等《らうだうら》、竹《たけ》の幹《みき》の一端《いつたん》を土中《どちゆう》に入《い》れ、一端《いつたん》を地上《ちじやう》に露出《ろしゆつ》せしめ、穴《あな》の上《うへ》を板《いた》にて蔽《おほ》ひ塞《ふさ》ぎ、更《さら》に其《そ》の上《うへ》へ土《つち》を盛《も》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (師光)それではお暇《いとま》を申《まを》します。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 郞黨《らうだう》四|人《にん》、穴《あな》の中《なか》に向《むか》ひて叩頭《こうとう》す。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (信西《しんぜい》の聲《こゑ》)(穴《あな》の中《なか》より、)師光《もろみつ》、師光《もろみつ》。 (師光《もろみつ》)はい。(這《は》ひ寄《よ》りて、竹《たけ》の端《はし》に耳《みゝ》をつける。) (信西《しんぜい》の聲《こゑ》)星《ほし》はまだ光《ひか》つて居《を》るか。 (師光《もろみつ》)はい、未《いまだ》に光《ひかり》は衰《おとろ》へませぬ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 四人《よにん》、立《た》ち上《あが》りて下手《しもて》へ歩《あゆ》み行《ゆ》く。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (淸實《きよざね》)いまだに討手《うつて》は來《こ》ないやうだ。己《おれ》はどうも君《きみ》の仰《おつ》しやつた事《こと》が、ほんたうとは思《おも》はれない。 (成景《なりかげ》)己《おれ》も半信半疑《はんしんはんぎ》で居《ゐ》る。 (師淸《もろきよ》)もしも仰《おつ》しやつた事《こと》が中《あた》らないとすれば、こんな騷《さわ》ぎをしたのは馬鹿々々《ばか/\》しい。師光《もろみつ》、お前《まへ》は何《なん》でまた髻《もとゞり》を切《き》るの、長《なが》のお別《わか》れだのと、不吉《ふきつ》なことを云《い》ひ出《だ》したのだ。 (師光《もろみつ》)己《おれ》の觀《み》た處《ところ》では、君《きみ》のお命《いのち》はもうないものにきまつて居《ゐ》るのだ。たとへ世《よ》の中《なか》が亂《みだ》れようが亂《みだ》れまいが、人間《にんげん》があんなことを考《かんが》へたり、喋《しやべ》つたりすると云《い》ふのは、もう直《ぢ》き死《し》ぬる前兆《ぜんてう》にきまつて居《ゐ》るものだ。 (成景《なりかげ》)いやな事《こと》を云《い》ふではないか。 (師光《もろみつ》)いやな事《こと》でも、其《そ》れは本當《ほんたう》の事《こと》だ。 (淸實《きよざね》)さうして見《み》ると、事《こと》に依《よ》つたら、本當《ほんたう》に世《よ》の中《なか》が亂《みだ》れ出《だ》したのかも知《し》れない。今《いま》まで君《きみ》の仰《おつ》しやつたことで、中《あた》らないかつたことはなかつたからなう。 (師淸《もろきよ》)さうだとすると、こんな處《ところ》にぐづぐづしては居《ゐ》られない。早《はや》く何處《どこ》かへ落《お》ちのびよう。 (成景《なりかげ》)しかし己《おれ》はどうしてもまだ半信半疑《はんしんはんぎ》だ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 四人《よにん》下手《しもて》へ退場《たいぢやう》。山中《さんちゆう》に隻影《せきえい》なく、月光《げつくわう》霜《しも》の如《ごと》くに地上《ちじやう》を照《て》らして寂寞《せきばく》として居《ゐ》る。唯《たゞ》信西《しんぜい》の穴《あな》の中《なか》にて唱《とな》ふる不斷《ふだん》の念佛《ねんぶつ》の聲《こゑ》、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》と微《かすか》に聞《きこ》ゆ。
暫《しばら》くして、上手《かみて》、下手《しもて》、後《うしろ》の竹藪《たけやぶ》などの處々《ところ/″\》より、甲冑《かつちう》に身《み》を固《かた》めたる兵士《へいし》五六|人《にん》、手《て》に手《て》に炬松《たいまつ》を持《も》ちて、一人《ひとり》又《また》は二人《ふたり》づつ現《あらは》れる。出雲前司光泰《いづものぜんじみつやす》が、郞黨《らうだう》を率《ひき》ゐて出《で》て來《き》たのである。兵士等《へいしら》、盜賊《たうぞく》の如《ごと》く足音《あしおと》をしのばせ、互《たがひ》に耳《みゝ》うちをして、ひそひそと囁《さゝや》き合《あ》ふ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (光泰《みつやす》)人聲《ひとごゑ》の聞《きこ》えたのは、たしかに此《こ》の邊《へん》であつたらしいが。……… (郞黨《らうだう》の一)はい、此《こ》の邊《へん》でござりました。まだ聞《きこ》えて居《を》るやうでござります。 (郞黨《らうだう》の二)あの聲《こゑ》は、何《なに》を喋《しやべ》つて居《ゐ》るのだらう。 (郞黨《らうだう》の三)あれは念佛《ねんぶつ》を唱《とな》へて居《ゐ》るらしい。 (光泰《みつやす》)あの藪《やぶ》の中《なか》ではないか。 (郞黨《らうだう》の四)藪《やぶ》の中《なか》はすつかり搜《さが》して見《み》ましたが、何《なに》も居《を》りませぬ。 (郞黨《らうだう》の五)可笑《をか》しいな。 (郞黨《らうだう》の六)可笑《をか》しいな。 (郞黨《らうだう》の一)まるで地《ち》の底《そこ》から聞《きこ》えるやうだな。 (郞黨《らうだう》の二)さうだ、これは不思議《ふしぎ》だ。己逹《おれたち》の足《あし》の下《した》で聲《こゑ》がするのだ。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 兵士等《へいしら》頻《しきり》に耳《みゝ》をかしげ、地面《ぢめん》を眺《なが》めつつ杉《すぎ》の木蔭《こかげ》に集《あつま》る。念佛《ねんぶつ》の音《おと》ハツタリ止《や》む。光泰《みつやす》、竹《たけ》の先《さき》を指《ゆびさ》し示《しめ》し、目《め》くばせにて掘《ほ》れと命《めい》ず。兵士等《へいしら》心得《こゝろえ》て忽《たちま》ち穴《あな》を發《あば》く。信西《しんぜい》、自《みづか》ら懷劍《くわいけん》を脇腹《わきばら》につき立《た》てたれど未《いま》だ死《し》に切《き》れず、滿身《まんしん》鮮血《せんけつ》に染《そ》み、肩息《かたいき》になりて摑《つか》み出《いだ》さる。兵士等《へいしら》炬松《たいまつ》を信西《しんぜい》の面上《めんじやう》に打《う》ち振《ふ》る。 [#ここで字下げ終わり] [#ここから改行天付き、折り返して2字下げ] (光泰《みつやす》)己《おれ》は信西《しんぜい》法師《ほふし》の顏《かほ》を知《し》らぬが、誰《だれ》か知《し》つた者《もの》はないか。 (郞黨《らうだう》の一)誰《だれ》も存《ぞん》じませぬ。 (光泰《みつやす》)しかし、此《こ》の坊主《ばうず》が信西《しんぜい》に相違《さうゐ》あるまい。 (郞黨《らうだう》の二)まだ氣息《いき》があるやうでございます。訊《たづ》ねたら返辭《へんじ》をするかも知《し》れませぬ。 (光泰《みつやす》)(信西《しんぜい》の顏《かほ》を凝視《ぎようし》して、)こら、お前《まへ》は信西《しんぜい》法師《ほふし》であらうな。右衞門督殿《うゑもんのかみどの》の命《めい》をうけて、出雲前司光泰《いづものぜんじみつやす》がお前《まへ》を召《め》し捕《と》りに來《き》たのだぞ。お前《まへ》は世間《せけん》の評判《ひやうばん》にも似合《にあ》はぬたわけた憶病者《おくびやうもの》だな、命《いのち》が惜《を》しさに、穴《あな》の中《なか》に埋《うづ》まつて居《ゐ》るとは、何《なん》と云《い》ふ卑怯《ひけふ》な奴《やつ》だ。 (信西《しんぜい》)(光泰《みつやす》の言葉《ことば》を解《かい》せざるものの如《ごと》く、眼瞼《まぶた》をはためかせて囈語《げいご》のやうに、)星《ほし》はまだ光《ひか》つて居《を》るか。……… [#ここで字下げ終わり] [#ここから3字下げ] 光泰《みつやす》心付《こゝろづ》きてふと天《そら》を見《み》る。夜《よる》ほのぼのとあけかかりて、白《しら》み初《そ》めたる空《そら》に明星《みやうじやう》明滅《めいめつ》す。遠《とほ》き山里《やまざと》に鷄鳴《けいめい》を聞《き》き、冬《ふゆ》の佛曉《ふつげう》の覺束《おぼつか》なき薄明《うすあかり》のうちに幕《まく》を垂《た》れる。 [#ここで字下げ終わり]
┃刺《し》 靑《せい》 ………………………一―一六 刺┃麒《き》 麟《りん》 ………………………一―四二 靑┃少《せう》 年《ねん》………………………一―一○二 目┃幇《ほう》 間《かん》………………………一―五二 次┃祕《ひ》 密《みつ》 ………………………一―六○ ┃象《ざう》 ………………………一―四八 信《しん》 西《ぜい》………………………一―四○
明治四十四年十二月五日印刷 明治四十四年十二月十日發行 定價金壹圓
著作者 谷崎潤一郞 東京市京橋區築地二丁目十五番地 發行者 籾山仁三郞 東京市麹町區飯田町五丁目十三番地 印刷者 小松周助 東京市芝區愛宕町三丁目二番地 印刷所 東洋印刷株式會社
發行所 東京市京橋區築地二丁目十五番地 京都市上京區麩屋町丸太町通下ル 籾山書店 振替貯金 東京二四一七番 大阪一三八六番
Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)
刺靑
原文 軌《きし》み(p. 3) 訂正 軋《きし》み 原文 なよやなか體(p. 14) 訂正 なよやかな體 原文 血死期(p. 7) 訂正 知死期
麒麟
原文 小鳥《こどり》(p. 13) 訂正 小鳥《ことり》 原文 あの男《をとこ》の項《うなじ》に(p. 14) 訂正 あの男《をとこ》の項《うなじ》は 原文 驚《おどろ》きの眼《め》の(p. 14) 訂正 驚《おどろ》きの眼《め》を 原文 立派は相貌(p. 15) 訂正 立派な相貌 原文 先生《せんせん》(p. 18) 訂正 先生《せんせい》 原文 久《さ》しく(p. 24) 訂正 久《ひさ》しく 原文 相閱《あひせめ》いで居《ゐ》た(p. 27) 訂正 相鬩《あひせめ》いで居《ゐ》た 原文 逆《さから》ふことが出來《ていき》なかつた。(p. 28) 訂正 逆《さから》ふことが出來《でき》なかつた。
原文 步搖《ぶえう》(p. 28) 訂正 步搖《ほえう》 原文 笄《かうがひ》(p. 29) 訂正 笄《かうがい》 原文 知《し》つて思《ゐ》るが(p. 31) 訂正 知《し》つて居《ゐ》るが 原文 凝《こ》つたものでつた(p. 33) 訂正 凝《こ》つたものであつた 原文 頭《かしら》を以《も》て(p. 34) 訂正 頭《かしら》を以《もつ》て 原文 體《からだ》を括《くゝ》りを(p. 35) 訂正 體《からだ》の括《くゝ》りを 原文 かく云《い》ひ終《おは》るや。(p. 36) 訂正 かく云《い》ひ終《おは》るや、 原文 潛《ひそ》むて居《ゐ》た(p. 39) 訂正 潛《ひそ》むで居《ゐ》た 原文 お前《まへ》を惜《にく》むで(p. 41) 訂正 お前《まへ》を憎《にく》むで
少年
原文 水《みつ》(p. 11) 訂正 水《みづ》 原文 如める(p. 30) 訂正 始める 原文 栲問(p. 31) 訂正 拷問 原文 血死期(p. 37) 訂正 知死期 原文 腎端折《しりぱしよ》り(p. 51) 訂正 臀端折《しりぱしよ》り 原文 堪《たま》らねやうに(p. 53) 訂正 堪《たま》らぬやうに 原文 喞《ふく》んでは(p. 56) 訂正 啣《ふく》んでは 原文 夢中《むちやう》になつて(p. 73) 訂正 夢中《むちゆう》になつて 原文 上氣《ぼ》せた(p. 77) 訂正 上氣《のぼ》せた 原文 䡄《きし》んで(p. 80) 訂正 軋《きし》んで 原文 鏗然《けんぜん》(p. 85) 訂正 鏗然《かうぜん》 原文 優長(p. 87) 訂正 悠長 原文 朧朦と(p. 93) 訂正 朦朧と 原文 額の眞中へを(p. 97) 訂正 額の眞中へ 原文 溫飩粉(p. 99) 訂正 饂飩粉
幇間
原文 船頭《せんどう》を頭(p. 7) 訂正 船頭《せんどう》の頭 原文 旦那《だんな》も藝者《げいしや》を(p. 12) 訂正 旦那《だんな》も藝者《げいしや》も 原文 駈《か》け廻《まは》るのですか(p. 12) 訂正 駈《か》け廻《まは》るのですが 原文 芝生《しばぶ》(p. 14) 訂正 芝生《しばふ》 原文 贔負(p. 15) 訂正 贔屓 原文 『女《をんな》ならでは夜《よ》の明《あ》けぬ國《くに》』なかと(p. 31) 訂正 『女《をんな》ならでは夜《よ》の明《あ》けぬ國《くに》』などと 原文 千變萬化《せんぺんばんぐわ》(p. 39) 訂正 千變萬化《せんぺんばんくわ》 原文 商賣抦(p. 42) 訂正 商賣柄 原文 瀨戶際《せどぎは》(p. 47) 訂正 瀨戶際《せとぎは》
祕密
原文 土塀《とべい》(p. 4) 訂正 土塀《どべい》 原文 川幅《かはねば》(p. 7) 訂正 川幅《かはゝば》 原文 其《その》の外(p. 9) 訂正 其《そ》の外 原文 八丁堀《はちつやうぼり》(p. 9) 訂正 八丁堀《はつちやうぼり》 原文 賞美《じやうび》(p. 11) 訂正 賞美《しやうび》 原文 [りっしんべんに頼]惰(p. 11) 訂正 懶惰 原文 蹈晦(p. 12) 訂正 韜晦 原文 仏蘭西物《ふランスもの》(p. 14) 訂正 仏蘭西物《フランスもの》 原文 唐綫(pp. 16-17) 訂正 唐桟 原文 剝《は》げかたつた(p. 25) 訂正 剝《は》げかかつた 原文 軌《きし》みながら(p. 26) 訂正 軋《きし》みながら 原文 竦然《そつぜん》(p. 36) 訂正 竦然《しようぜん》 原文 びしよびよし(p. 40) 訂正 びしよびしよ 原文 直潟(p. 40) 訂正 直瀉
象
原文 手前共《てまへども》の娘《むすめ》の(p. 16) 訂正 手前共《てまへども》の娘《むすめ》が 原文 (後《うしろ》の方《はう》にて)、(p. 21) 訂正 (後《うしろ》の方《はう》にて、) 原文 忝《かたじけ》さ(p. 26) 訂正 忝《かたじけな》さ 原文 出《で》で來《きた》り(p. 31) 訂正 出《い》で來《きた》り 原文 (屋臺《やたい》に附《つ》き添《そ》ふ若《わか》い衆《しう》に對《むか》ひ)、(p. 39) 訂正 (屋臺《やたい》に附《つ》き添《そ》ふ若《わか》い衆《しう》に對《むか》ひ、) 原文 若衆の二(p. 40) 訂正 若い衆の二 原文 こざいますものか(p. 41) 訂正 ございますものか 原文 見合《みあ》せ(p. 47) 訂正 見合《みあは》せ 鄭大成のルビには「ていだいせい」と「ていたいせい」が混在しているが、そのままにした。
信西
原文 大導寺(p. 10) 訂正 大道寺 原文 咀《のろ》はれて(p. 19) 訂正 詛《のろ》はれて 原文 御辛抱《ごしんばう》なされれば(p. 20) 訂正 御辛抱《ごしんばう》なされば 原文 咀《のろ》ふ(p. 25) 訂正 詛《のろ》ふ
文字に関する補足
本テキスト中「節」の字であらわされている字は原文では「癤」のやまいだれの中の字。
本テキスト中「隙」の字であらわされている字は原文では右上の「小」が「少」。