Part 7
其《そ》の後《ご》暫《しばら》く、私《わたし》は、彼《あ》の晚《ばん》女《をんな》に見《み》せられた不思議《ふしぎ》な街の《まち》光景《くわうけい》を忘《わす》れることが出來《でき》なかつた。燈火《とうくわ》のかんかんともつて[#「ともつて」に傍点]ゐる賑《にぎや》かな狹《せま》い小路《こうぢ》の突《つ》き當《あた》りに見《み》えた印形屋《いんぎやうや》の看板《かんばん》が、頭《あたま》にはツきりと印象《いんしやう》されて居《ゐ》た。何《なん》とかして、あの町《まち》の在《あ》りかを搜《さが》し出《だ》さうと苦心《くしん》した揚句《あげく》、私《わたし》は漸《やうや》く一|策《さく》を案《あん》じ出《だ》した。
長《なが》い月日《つきひ》の間《あひだ》、每夜《まいよ》のやうに相乘《あひの》りをして引《ひ》き擦《ず》り廻《まは》されて居《ゐ》るうちに、雷門《かみなりもん》で俥《くるま》がくるくると一《ひと》つ所《ところ》を廻《まは》る度數《どすう》や、右《みぎ》に折《を》れ左《ひだり》に曲《まが》る囘數《くわいすう》まで、自《おのづか》ら一|定《てい》して來《き》て、私《わたし》はいつともなく其《そ》の鹽梅《あんばい》を覺《おぼ》え込《こ》んでしまつた。或《あ》る朝《あさ》、私《わたし》は雷門《かみなりもん》の角《かど》へ立《た》つて眼《め》をつぶりながら二三度《にさんど》ぐるぐると體《からだ》を廻《まは》した後《のち》、此《こ》の位《くらゐ》だと思《おも》ふ時分《じぶん》に、俥《くるま》と同《おな》じ位《くらゐ》の速度《そくど》で一方《いつぱう》へ駈《か》け出《だ》して見《み》た。唯《たゞ》好《い》い加減《かげん》に時間《じかん》を見《み》はからつて、彼方此方《あつちこつち》の橫丁《よこちやう》を折《を》れ曲《まが》るより外《ほか》の方法《はうはふ》はなかつたが、丁度《ちやうど》此《こ》の邊《へん》と思《おも》ふ所《ところ》に、豫想《よさう》の如《ごと》く、橋《はし》もあれば、電車通《でんしやどほ》りもあつて、確《たし》かに此《こ》の道《みち》に相違《さうゐ》ないと思《おも》はれた。
道《みち》は最初《さいしよ》雷門《かみなりもん》から公園《こうゑん》の外廓《ぐわいくわく》を廻《めぐ》つて千束町《せんぞくまち》に出《い》で、龍泉寺町《りうせんじまち》の細《ほそ》い通《とほ》りを上野《うへの》の方《はう》へ進《すゝ》んで行《い》つたが、車坂下《くるまざかした》で更《さら》に左《ひだり》へ折《を》れ、お徒町《かちまち》の往來《わうらい》を七八|町《ちやう》も行《ゆ》くと、やがて又《また》左《ひだり》へ曲《まが》り始《はじ》める。私《わたし》は其處《そこ》でハタリと此《こ》の間《あひだ》の小路《こうぢ》にぶつかつた。
成《な》る程《ほど》正面《しやうめん》に印形屋《いんぎやうや》の看板《かんばん》が見《み》える。
其《そ》れを望《のぞ》みながら、祕密《ひみつ》の潛《ひそ》んでゐる巖穴《がんけつ》の奧《おく》を究《きは》めでもするやうに、つかつかと進《すゝ》んで行《い》つたが、つきあたりの通《とほ》りへ出《で》ると、思《おも》ひがけなくも、其處《そこ》は每晚《まいばん》夜店《よみせ》の出《で》る下谷竹町《したやたけちやう》の往來《わうらい》の續《つゞ》きであつた。いつぞや小紋《こもん》の縮緬《ちりめん》を買《か》つた古着屋《ふるぎや》の店《みせ》も、つい[#「つい」に傍点]五六|間《けん》先《さき》に見《み》えて居《ゐ》る。不思議《ふしぎ》な小路《こうぢ》は、三味線堀《しやみせんぼり》と仲《なか》お徒町《かちまち》の通《とほ》りを橫《よこ》に繫《つな》いで居《ゐ》る街路《がいろ》であつたが、どうも私《わたし》は今迄《いままで》其處《そこ》を通《とほ》つた覺《おぼ》えがなかつた。散々《さん/″\》私《わたし》を惱《なや》ませた精美堂《せいびだう》の看板《かんばん》の前《まへ》に立《た》つて、私《わたし》は暫《しばら》く彳《たゝず》んで居《ゐ》た。燦爛《さんらん》とした星《ほし》の空《そら》を戴《いたゞ》いて夢《ゆめ》のやうな神祕《しんぴ》な空氣《くうき》に蔽《おほ》はれながら、赤《あか》い燈火《とうくわ》を湛《たゝ》へて居《ゐ》る夜《よる》の趣《おもむき》とは全《まつた》く異《ことな》り、秋《あき》の日《ひ》にかんかん照《て》り付《つ》けられて乾涸《ひか》らびて居《ゐ》る貧相《ひんさう》な家並《やなみ》を見《み》ると、何《なん》だか一時《いちじ》にがつかりして興《きよう》が覺《さ》めて了《しま》つた。
抑《おさ》へ難《がた》い好奇心《かうきしん》に驅《か》られ、犬《いぬ》が路上《ろじやう》の匂《にほひ》を嗅《か》ぎつつ自分《じぶん》の棲《す》み家《か》へ歸《かへ》るやうに、私《わたし》は又《また》其處《そこ》から見當《けんたう》をつけて走《はし》り出《だ》した。
道《みち》は再《ふたゝ》び淺草區《あさくさく》へ入つて、小島町《こじまちやう》から右《みぎ》へ右《みぎ》へと進《すゝ》み、菅橋《すがばし》の近所《きんじよ》で電車通《でんしやどほ》りを越《こ》え、代地河岸《だいちがし》を柳橋《やなぎばし》の方《はう》へ曲《まが》つて、遂《つひ》に兩國《りやうごく》の廣小路《ひろこうぢ》へ出《で》た。女《をんな》が如何《いか》に方角《はうがく》を悟《さと》らせまいとして、大迂廻《だいうくわい》をやつて居《ゐ》たかが察《さつ》せられる。藥硏堀《やげんぼり》、久松町《ひさまつちやう》、濱町《はまちやう》と來《き》て、蠣濱橋《かきはまばし》を渡《わた》つたところで、急《きふ》に其《そ》の先《さき》が判《わか》らなくなつた。
何《なん》でも女《をんな》の家《いへ》は、此《こ》の邊《へん》の路次《ろじ》にあるらしかつた。一時間《いちじかん》ばかりかかつて、私《わたし》は其《そ》の近所《きんじよ》の狹《せま》い橫町《よこちやう》を幾度《いくど》も出《で》つ入《い》りつした。
丁度《ちやうど》道了權現《だうれうごんげん》の向《むか》ひ側《がは》の、ぎつしり列《なら》んだ家《いへ》と家《いへ》との庇間《ひあはひ》を分《わ》けて、殆《ほと》んど眼《め》につかないやうな、極《きは》めて細《ほそ》い、ささやかな小路《こみち》のあるのを見《み》つけ出《だ》した時《とき》、私《わたし》は直覺的《ちよくかくてき》に女《をんな》の家《いへ》が其《そ》の奧《おく》に潛《ひそ》んで居《ゐ》ることを知《し》つた。中《なか》へ入《はい》つて行《ゆ》くと右側《みぎがは》の二三軒目《にさんげんめ》の、見事《みごと》な洗《あら》ひ出《だ》しの板塀《いたべい》に圍《かこ》まれた二階《にかい》の欄杆《らんかん》から、松《まつ》の葉《は》越《ご》しに女《をんな》は死人《しにん》のやうな顏《かほ》をして、ぢつと此方《こつち》を見下《みお》ろして居《ゐ》た。
思《おも》はず嘲《あざ》けるやうな瞳《ひとみ》を擧《あ》げて、二階《にかい》を仰《あふ》ぎ視《み》ると、寧《むし》ろ空惚《そらとぼ》けて別人《べつじん》を裝《よそほ》ふものの如《ごと》く、女《をんな》はにこりともせずに私《わたし》の姿《すがた》を眺《なが》めて居《ゐ》たが、別人《べつじん》を裝《よそほ》うても怪《あや》しまれぬくらゐ、其《そ》の容貌《ようばう》は夜《よる》の感《かん》じと異《ことな》つて居《ゐ》た。たツた一度《いちど》、男《をとこ》の乞《こ》ひを許《ゆる》して、眼《め》かくしの布《きれ》を弛《ゆる》めたばかりに、祕密《ひみつ》を發《あば》かれた悔恨《くわいこん》、失意《しつい》の情《じやう》が見《み》る見《み》る色《いろ》に表《あらは》れて、やがて靜《しづ》かに障子《しやうじ》の蔭《かげ》へ隱《かく》れて了《しま》つた。
女《をんな》は芳野《よしの》と云《い》ふ其《そ》の界隈《かいわい》での物持《ものも》ちの後家《ごけ》であつた。あの印形屋《いんぎやうや》の看板《かんばん》と同《おな》じやうに、凡《す》べての謎《なぞ》は解《と》かれて了《しま》つた。私《わたし》は其《そ》れきり其《そ》の女《をんな》を捨《す》てた。
二三日《にさんにち》過《す》ぎてから、急《きふ》に私《わたし》は寺《てら》を引《ひ》き拂《はら》つて田端《たばた》の方《はう》へ移轉《いてん》した。私《わたし》の心《こゝろ》はだんだん「祕密《ひみつ》」などと云《い》ふ手《て》ぬるい淡《あは》い快感《くわいかん》に滿足《まんぞく》しなくなつて、もツと色彩《しきさい》の濃《こ》い、血《ち》だらけな歡樂《くわんらく》を求《もと》めるやうに傾《かたむ》いて行《い》つた。
戲曲 象
[#ここから3字下げ] 登《とう》 場《ぢやう》 者《しや》 享保《きやうほ》十三年《じふさんねん》廣南國《くわうなんこく》より幕府《ばくふ》へ獻《けん》じたる雄象《をざう》一|匹《ぴき》。及《およ》び當時《たうじ》江戶《えど》の民衆《みんしう》。