# 雲形紋章

## 第二十三章

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同じ日の午後、ブランダマー卿はみずからカランにおもむき、長年フォーデング一族の事務弁護士を務めているミスタ・マーテレットを事務所に訪ね、一時間ほど主任と私室に引きこもった。

事務弁護士が事務所として使っている建物は町外れのみすぼらしい一軒家だった。正面には今でも松明の火消しが取り付けられていて、渦巻き模様のある、摩滅した鉄製ドアの上にはランプをぶら下げるブラケットが突きだしていた。薄汚れた場所だったが、ミスタ・マーテレットはこの州の有名な素封家を顧客に持っており、噂によると重要な家庭問題はカリスベリでよりこちらのほうで扱われることが多いらしい。ブランダマー卿は薄汚れた窓を背にして座った。 「遺言補足書の趣旨はよく理解できました」と事務弁護士は言った。「明日にでも草案をお送りしましょう」 「いや、いや、これはごく短いものだ。今片付けてしまおう」と依頼人は言った。「思い立ったが吉日だよ。ここには連署する証人もいる。きみのところの主席書記は信頼できる人間だろう？」 「ミスタ・シンプキンは勤続三十年です」事務弁護士は謙遜するように言った。「その信頼すべき人柄は、いままで疑われたことがありません」 ブランダマー卿がミスタ・マーテレットの事務所を出たとき陽はだいぶ落ちていた。自分の長い影を前方の歩道に見ながら、彼は曲がりくねる通りを市場のほうへ歩いていった。家々の屋根の上には、夕日を受けてバラ色に輝く聖セパルカ大聖堂の巨大な塔が間近く聳えていた。カランはなんと朽ち果てた町なのだろう！通りにはなんと人影のないことか！確かに通りは奇妙なくらいがらんとしていた。こんなにさびしい様子は見たことがなかった。墓場のような沈黙があたりを支配している。彼は時計を取り出した。この小さな町の住人はお茶を飲んでいるのだろう、と彼は思い、明るい気持ちで、しかも生まれてこのかた味わったことのないような心の安らぎを感じながら歩きつづけた。

通りの角を曲がると、突然大勢の人だかりが目に飛びこんできた。群衆は彼と大聖堂が見下ろす市場のあいだを埋めつくしていた。何か事件が起きて町中から人が集まってきたものらしい。近くによると、町の住人全員がそこに集められたような混雑だった。とりわけ人目を引いたのは尊大ぶった参事会員パーキンで、その横にはミセス・パーキンと、背の高い、撫で肩のミスタ・ヌートが立っていた。よく太った非国教徒の牧師、ひょうきんな丸顔のカトリックの司祭もいた。豚肉屋のジョウリフはワイシャツにエプロンといういでたちで道の真ん中に立ち、ジョウリフの妻と娘たちも店の前の階段に群がって市場のほうに首を伸ばしていた。郵便局長と局員と二人の配達員が郵便局から出て来ていた。ローズ・アンド・ストーレイ服地店の若い店員は男も女も全員大きな光り輝くウインドウの前にたむろしていた。その中には共同経営者の一人ミスタ・ストーレイの金髪の巻き毛もきらめいていた。もう少し先の方を見ると、修復工事に雇われていた石工や人夫の一団がおり、そのそばには教会事務員ジャナウエイが杖に寄りかかって立っていた。 そこにいる多くの人々はブランダマー卿の知り合いで、ほかにも一般人が大挙して押し寄せていたのだが、誰も彼に気づく者はなかった。

群衆にはひどく奇妙な特徴があった。全員が市場のほうを見つめ、どの顔も渡り鳥の一群を見ているように上をむいていたのだ。広場に人はおらず、誰もそこに足を踏み入れようとはしなかった。いや、それどころかほとんどの人は反対の方向に逃げださんばかりに身構えている。にもかかわらず全員が魔法にかかったように聖堂が見下ろす市場のほうをむき、上を見上げているのだ。叫んだり笑ったりおしゃべりする声はなかった。ただ大勢の人が声を潜めて興奮したようにつぶやきをもらすだけだった。 たった一人動いていたのは荷馬車の御者で、馬と馬車を移動させ市場から離れようとしているのだが、我を忘れた群衆が道を空けてくれないのでなかなか前に進めないでいたのだ。ブランダマー卿は男に話しかけ、何が起きているのかと尋ねた。御者は茫然としたように一瞬目を見開き、質問者が誰か分かると、あわててこう言った。 「この先に行っちゃいけません、御前様！絶対行っちゃいけません。塔が崩れてきているんですよ」 ほかの全員を縛り付けていた魔法がブランダマー卿にも降りかかった。目は恐るべき磁力で市場を見下ろす巨大な塔に引きつけられた。幅の広い段壁を持つ控え壁、透かし彫りと垂直様式の狭間飾りが施された鐘楼の二つの窓、狭間胸壁、天を突く小尖塔の群れ、これらが夕日を受けて柔らかく淡紅色に光っていた。ヴィニコウム修道院長が完成した建物をはじめて見て、よきかなと神をたたえたあの日にも勝るとも劣らぬ美しさ、見事さだった。 しかしこの静かな秋の夕暮れ、塔はその壮麗な外見にもかかわらず、何か恐ろしい異変に見舞われていた。コクマル烏はそのことに気づき、狂ったように鳴きながら、大群をなして住み慣れた巣のまわりを旋回し、沈みかけている日の光のなかに羽をひらめかせ、群れの形を変えつづけた。市場にもっとも近い西の側面を見ると、いくつもの石の継ぎ目から白い粉が流れだし、墓地にむかって、まるでスイスの大滝の水しぶきのように降り注いでいた。それはまさに死に際の苦しみに悶える巨人の汗だった。崩壊しつつある石造建築から漆喰がすりつぶされて流れ出したのだ。ブランダマー卿にはそれが砂時計のなかを流れ落ちる砂のように見えた。 そのとき群衆は一斉にうめき声をあげた。胸壁の下の、角に取り付けられていたガーゴイルの一つ、三世紀のあいだ身体を突き出し、墓地をにやにやと見下ろしていた悪魔の彫像の一つが壁から剥がれ落ち、下の墓地に粉々に砕け散ったのである。束の間の沈黙があり、それからまた傍観者たちのささやきが始まった。誰もが短く、一息にしゃべった。まるで言い切ってしまう前に最後の崩壊が起こるのではないかと恐れているかのようだった。教区委員のジョウリフは何かを待ち受けるような沈黙を差しはさみながら「われらがただなかに下されし天罰」などとつぶやいた。主任司祭はジョウリフが黙っているあいだ、反論するかのように「シロアムの櫓たふれて、壓し殺されし十三人」（註 ルカ伝から）などと言った。ミス・ジョウリフがときどき来てもらっている家政婦の老婆は両手を握りしめ、「ああ！何ていうことでしょう！何ていうことでしょう！」と言い、カトリックの司祭は低い声で何やら祈りを唱え、その合間に十字を切った。そのそばに立っていたブランダマー卿は、「ゆけよかし」とか「百合のごとく輝ける」とか臨終の祈りのことばを二言三言聞いた。それはヴィニコウム修道院長の塔が、その影のもとに暮らす人々の胸の中に、かけがえのないものとして生きていることを示していた。 そのあいだも白い粉が絶え間なく手負いの建築物の側面から吹き出していた。砂時計の砂は急速に流れ落ちていく。

石工頭がブランダマー卿を見て、近づいてきた。 「昨日の晩の大風のせいですよ」と彼は言った。「今朝来てみたら、危ない状態になっていることが分かりましてね。ミスタ・ウエストレイは昼から塔にあがって打つ手がないかと調べていたんですが、二十分前にいきなり鐘楼に入ってきて『外に出ろ、みんな。急げ、もうだめだ』っていうんですよ。土台が弛んできているのです。ほら、外壁の基部が動いて北側の墓地の墓を押し上げているでしょう」彼は塔の土台におされてめくれあがった、ぐちゃぐちゃの芝生と墓石、そして墓地の地面を指さした。 「ミスタ・ウエストレイはどこだね」ブランダマー卿は訊いた。「ちょっと話があるといってくれ」 彼はまわりを見回し建築家を探した。群衆の中にその姿が見つからないのでおかしいと思った。まわりに立っている人々はブランダマー卿のことばを聞いていた。カランの人々はフォーディングの領主をまるで全知全能であるかのごとく見なしていた。アヤロンの谷でヨシュアが太陽の運行を止めたように、塔にむかって、動きを止めよ、倒れるな、と命令することはできなくても、きっと大惨事を回避する名案を建築家に授けることができるはずだ。建築家はどこにいるのだ？彼らはいらいらと尋ねた。ブランダマー卿が呼んでいるのにどうしておそばにいないのだ？どこに行った？次の瞬間ウエストレイの名前はすべての人の口にのぼった。 ちょうどそのとき塔から声が聞こえてきた。鐘楼の鎧窓から、その高みにもかかわらず、コクマル烏のやかましい鳴き声を通して、はっきりと一語一語が明瞭に聞こえてきた。ウエストレイの声だった。 「鐘楼に閉じこめられた」とそれは叫んだ。「ドアがふさがっている。頼む！金梃を持ってきてドアを壊してくれ！」 そのことばには絶望がこもっていて、聞く者に恐怖の戦慄を与えた。群衆は顔を見合わせた。石工頭は額の汗をぬぐった。彼は妻と子供のことを考えていた。するとカトリックの司祭が進み出た。 「わたしが行こう」と彼は言った。「わたしに家族はないから」 ブランダマー卿は何か他のことに気を取られていたようだったが、ふと司祭のことばを聞いて我に返った。 「何を言うんだ」と彼は言った。「わたしの方が若いし、あそこの階段を登りなれている。梃をよこしたまえ」 大工の一人がばつが悪そうに梃を渡した。ブランダマー卿はそれを受け取ると大聖堂の方へ急いで駆けていった。

石工頭がその背中に呼びかけた。 「御前様、開いてるドアは一つだけです――オルガンのそばの小さいやつです」 「ああ、知っている」ブランダマー卿は叫び、聖堂の角を曲がって姿を消した。

数分後、彼は鐘楼のドアをこじ開けた。自分の方にむかってドアを引き開け、その後ろで階段の上に立ち、ウエストレイが下に逃げられるように道を空けた。ブランダマー卿はドアの後ろに隠れていたから、二人の男は目を合わせることがなかった。ウエストレイは助けてくれた相手に礼を言いながらも、すっかり動転していた。 「全速力で走れ！まだ助かった訳じゃないぞ」ブランダマー卿が言ったのはそれだけだった。

若者は脇目もふらずに階段を駆け下りた。ブランダマー卿はドアを前に押し、急ぎもせず、慌てもせず、いつもの修復工事の視察から帰るかのように階段を下りた。 ウエストレイは聖堂の中を駆け抜けたあと、歩道に横たわる漆喰の山と石の残骸の間を縫って進まなければならなかった。南袖廊のアーチの上から壁の表面が剥がれ落ち、落下の際に床をぶち抜いて地下納骨所にめりこんでいた。頭の上では黒い稲妻に似た、あの不吉な割れ目が、洞穴のような大きさに広がっていた。聖堂は不気味な声、奇怪なうめき声、うなり声に満ち、あたかも亡くなったすべての僧侶の魂がヴィニコウム修道院長の塔の崩壊を泣き悲しんでいるかのようだった。石が砕け、木材が折れる、鈍く重々しい、うなるような物音がしたが、建築家の耳にはそれを圧するようにアーチの叫び声が聞こえていた。「アーチは決して眠らない。決して。彼らはわれわれの上に背負いきれないほどの重荷を載せた。われわれはその重量を分散する。アーチは決して眠らない」 外では市場の人々が固唾をのんで見守っていた。手負いの塔は側面から相変わらず白い粉を吹き出していた。六時だった。十五分おきの鐘が鳴り、一時間おきの鐘が鳴った。最後の鐘が鳴り終わるよりも先にウエストレイが広場に走りこんできたが、人々はブランダマー卿の安全が確認されるまで歓声を上げるのを待った。鐘が「バーモンジー」を鳴らしはじめ、無数の輝かしい晴れた夕方と同じように澄んだ朗らかな音が響きわたった。 とたんにその調べは途切れた。耳障りな音が入り乱れ、テイラー・ジョンが低く唸り、ビータ・マリアが甲高い悲鳴をあげた。大砲のような轟音、地を揺るがす振動が走ったかと思うと、白い埃が濛々と立ち昇って、崩れ落ちた塔の残骸を野次馬たちの目から隠した。

エピローグ

同じ日の夕方、英国海軍エニファー中尉はコルベット艦ソウルベイ号でイギリス海峡を渡り中国海ステーションにむかった。彼はブルティール家の次女と婚約していたため、恋人が住む古い町のそばを通るとき、そちらのほうに望遠鏡をむけた。彼は航海日誌に、空気は澄み、船は沿岸から六マイルしか離れていないのにカラン大聖堂の塔が見えなかったと記した。レンズを拭き、他の士官に呼びかけて昔からの航海目標がなくなっていることを確認した。彼らは白いものが濛々と立ちこめているのを見ただけである。それは煙なのかもしれないし、土埃なのかもしれないし、町にかかる霧なのかもしれなかった。あれは霧に違いない、きっと大気の異常現象で塔が見えなくなってるのだと彼らは言った。 エニファー中尉が塔の崩壊の知らせを聞いたのはそれからほんの数ヶ月後のことだった。五年後帰還のために再びイギリス海峡を通ったとき、昔からの航海目標はもう一度くっきりと姿をあらわした。以前よりもやや白っぽく見えたが、しかし昔と変わらぬ塔であった。塔はブランダマー夫人が工事費を全額負担して再建されたのだった。地下室には人命救助の最中に塔の中でみずからの命を失ったホレイシオ・セバスチャン・ファインズ、すなわちブランダマー卿をしのぶ真鍮の銘板がかけられていた。

再建工事はミスタ・エドワード・ウエストレイに委ねられた。ブランダマー卿はその死のほんの数時間前に遺言補足書で彼をブランダマー夫人と共に、幼い跡継ぎの管財人かつ後見人に指定していた。

後記

この翻訳は The Nebuly Coat by John Meade Falkner (Steve Savage Publishers Limited) を底本にしましたが、誤植がいくつかあるため、Project Gutenberg 所収のテキストと照合しながら作業を進めました。

翻訳に当たって以下の本から訳文をお借りしたり、わたしの責任で一部字句を変えて引用しました。ここに記して感謝します。

「テニスン詩集」西前美巳編 岩波文庫 ウェルギリウス「アエネーイス」岡道男・高橋宏幸訳 京都大学学術出版会 旧新約全書 神戸 英国聖書会社 ウェルギリウス「牧歌・農耕詩」河津千代訳 未来社 「キリストにならいて」大沢章・呉茂一訳 岩波文庫 ジョン・ミルトン「失楽園」平井正穂訳 岩波文庫 「ミルトン詩集」才野重雄訳注 篠崎書林 「ホラティウス全集」鈴木一郎訳 玉川大学出版部

また訳出の際、The John Meade Falkner Society から出ているニューズレター（特に２００２年５月ニューズレター９号に掲載された David Rowlands 氏の Bell-ringing in _The Nebuly Coat_ は十九章のピールの記述に誤りがあることを指摘しており、門外漢には非常に参考になります）、および Edward Wilson 氏の Literary Echoes and Sources in John Meade Falkner's _The Nebuly Coat_ (The Review of English Studies, Feb., 1997) を参照し、大いに教えられるところがありました。煩瑣になることを避け、本文にはできるだけ註をつけないようにしましたが、本書に関心のある方は Wilson 氏の論文を一読することをお勧めします。この論文を閲覧させてくださった札幌市立大学の図書館に感謝します。

本書は建築、音楽、宗教に関する作者の蘊蓄を傾けた本で、背景を確認するために多くの本を参考にし、いろいろの人から貴重な情報をいただきました。いちいちお名前は記しませんが、ここに厚くお礼申し上げます。しかし、それにもかかわらず不明の箇所がいくつか残ってしまったのは、ひとえにわたしの力不足のせいです。また専門用語の使い方に不自然なところや間違いがあるかも知れません。ご指摘いただければ訂正していきますので、ご教示の程お願いいたします。

