# 何處へ

## Part 7

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彼《か》れ――黑塚《くろづか》白雨《はくう》――は九｜時《じ》に目《め》を醒《さ》ました。下女《げぢよ》の紙箒《はたき》の音《おと》が部屋《へや》の兩隣《りやうどなり》で騷々《さう〴〵》しく聞《きこ》える。電車《でんしや》の音《おと》がギイ〳〵耳《みゝ》に響《ひゞ》く。彼《か》れは今《いま》までうつら〳〵［＃「うつら〳〵」に傍点］淺《あさ》い夢《ゆめ》を見《み》てゐたのだ――草山《くさやま》が赤《あか》い鉢卷《はちまき》して逆立《さかだち》して踊《をど》つてる。喇叭《ラツパ》や太皷《たいこ》で囃《はや》し立《た》てる。自分《じぶん》も手拭《てぬぐひ》を頭《あたま》に載《の》せ褄《つま》を取《と》つて踊《をど》らうとする。場所《ばしよ》は何《なん》でも七八｜年前《ねんまへ》に住《す》んでた西方寺《さいはうじ》の一｜室《しつ》らしい――彼《か》れはその夢《ゆめ》を考《かんが》へて厭《い》やな氣《き》がした。社《しや》には素面《すめん》でカツポレを踊《をど》る人《ひと》があるが、自分《じぶん》は何《なに》かの拍子《ひやうし》で、一度《いちど》琉球節《りうきうぶし》を唄《うた》つたため、今《いま》思《おも》ひ出《だ》しても冷汗《ひやあせ》が出《で》る。何《なん》だつてあんな夢《ゆめ》を見《み》たことか…… 彼《か》れは身體《からだ》を伸《のば》して新聞《しんぶん》を取《と》り、又《また》寢床《ねどこ》へずり込《こ》んで、それを開《ひら》いた。朝日《あさひ》が障子《しやうじ》の破目《やれめ》を通《とほ》つて、新聞《しんぶん》に圓《まる》く映《うつ》り、鮮《あざや》かに光《ひか》つた。彼《か》れは一｜通《とほ》り讀《よ》んで了《しま》うと、むく〳〵と起《お》き、小走《こばし》りで洗面場《せんめんば》へ行《い》つた。五｜分間《ふんかん》計《ばか》り冷水《れいすゐ》摩擦《まさつ》に餘念《よねん》がない。これは十｜年《ねん》も前《まへ》に身心《しん〳〵》鍛鍊《たんれん》のために初《はじ》めたので、今《いま》はその必要《ひつえう》を感《かん》じてるのではないが、只《たゞ》習慣《しふくわん》で止《や》められぬのだ。この寒《さむ》いのに醉興《すゐきよう》なと、人《ひと》も云《い》へば自分《じぶん》にも思《おも》ふ。しかし苦學《くがく》時代《じだい》の名殘《なごり》がまだ消《き》ゑてしまはぬ。

彼《か》れは朝食《あさめし》を濟《す》ますと、元町《もとまち》の停留場《ていりうば》から電車《でんしや》に乗つた。

車掌《しやしやう》が回數券《くわいすうけん》に鋏《はさみ》を入《い》れるまでは氣《き》が落付《おちつ》かなんだが、お茶《ちや》の水《みづ》を渡《わた》る時《とき》、その車中《しやちう》の役目《やくめ》が濟《す》み一安心《ひとあんしん》した。そして目《め》を閉《と》じ手《て》を拱《こまね》いた。彼《か》れはかねて往復《わうふく》の乗車《じやうしや》時間《じかん》を利用《りよう》して獨逸語《どいつご》を硏究《けんきう》するつもりで、今日《けふ》は懷中《くわいちう》にヂヤーマンコースを潜《ひそ》ませてゐるが、容易《ようゐ》に取出《とりだ》さうともしない。數寄屋橋《すきやばし》まで二十｜分間《ぷんかん》、此頃《このごろ》の例《れい》により取留《とりと》めもない空想《くうさう》に耽《ふけ》つた。空想《くうさう》と云《い》つても翠帳《すゐちやう》紅閨《こうけい》が浮《うか》んで來《く》るのでもなく、天外《てんぐわい》無窮《むきう》の境《きやう》に思《おも》ひ及《およ》ぶのでもなく、彼《か》れの顏《かほ》の乾涸《ひから》びてゐる如《ごと》く、その空想《くうさう》も乾涸《ひから》びてゐる。

朝《あさ》讀《よ》んだ社《しや》の新聞《しんぶん》の記事《きじ》が斷片的《きれ〴〵》に頭《あたま》に浮《うか》び、空想《くうさう》がそれに附随《ふずゐ》して飛《と》び廻《まは》る――。自分《じぶん》が力《ちから》を籠《こ》めて書《か》いた或派《あるは》の議員《ぎゐん》買收《ばいしう》の記事《きじ》が悉《こと〴〵》く抹殺《まつさつ》され、今朝《けさ》の新聞《しんぶん》には一｜行《ぎやう》も出《で》てゐない。そして下《くだ》らない記事《きじ》はどつさり［＃「どつさり」に傍点］出《で》てゐる。電車《でんしや》會社《ぐわいしや》の重役《ぢうやく》の手前《てまへ》勝手《かつて》の意見《いけん》が、さも尤《もつと》もらしく長々《なが〳〵》と出《で》てゐる。あれを書《か》いたのは佐々良《さゝら》に違《ちが》ひない。彼奴《きやつ》何《なに》か魂膽《こんたん》があつて書《か》いたのだらう。怪《け》しからん奴《やつ》だ。常《つね》に新聞《しんぶん》を自分《じぶん》の利益機關《りえきゝくわん》のやうに用《もち》ひる。どう思《おも》つても怪《け》しからん。それで洒蛙々々《しやあ〳〵》として更《さら》に心《こゝろ》にも顏《かほ》にも疚《やま》しい風《ふう》はない。……紙面《しめん》の賑《にぎは》ひと云《い》ふ大憲法《だいけんぱふ》の下《もと》には、針《はり》程《ほど》のことも仰山《ぎやうさん》に吹聽《ふゐちやう》して、人《ひと》に迷惑《めいわく》を掛《か》け、讀者《どくしや》に虛僞《きよぎ》を傳《つた》へ、やうやく下宿《げしゆく》料《れう》に足《た》るか足《た》らぬの報酬《はうしう》を貰《もら》ふ。情《なさけ》ない商賣《しやうばい》、怪《け》しからん職業《しよくげふ》だ。たま〳〵正義《せいぎ》と思《おも》つて破邪《はじや》の筆《ふで》を揮《ふる》ふと抹殺《まつさつ》される―― 彼《か》れの空想《くうさう》は一｜轉《てん》して今日《けふ》の晝飯《ひるめし》を考《かんが》へた。蕎麥《そば》、五目鮨《ごもくずし》、餡《あん》パンが早速《さつそく》頭《あたま》に浮《うか》ぶ。どれもどれも度々《たび〳〵》の事《こと》で鼻《はな》についてる。偶《たま》にや變《かは》つた者《もの》が慾《ほ》しい。――遂《つひ》に「大新《たいしん》の天麩羅《てんぷら》」と腹《はら》の蟲《むし》が叫《さけ》んで、彼《か》れは我《われ》知《し》らず袂《たもと》から蟇口《がまぐち》を出《だ》して見《み》た。銀貨《ぎんくわ》が六十｜錢《せん》ばかりある。入社《にふしや》以來《いらい》三｜年《ねん》月給《げつきう》は居据《ゐすわ》りで、天《てん》ドンは十三｜錢《せん》から十八｜錢《せん》になつた。どうかしなくちやならん正義《せいぎ》呼《よば》はりもないもんだ。 「曲《まが》りますから御注意《ごちうい》を」と、車掌《しやしやう》が大聲《おほごゑ》で機械的《きかいてき》に云《い》つた。電車《でんしや》が激《はげ》しく動搖《どうえう》する。立《た》つてる乗客《じやうかく》が靴《くつ》の踵《かゝと》で彼《か》れの爪先《つまさき》を踏《ふ》んだ。彼《か》れは角《かど》立《た》つた目《め》で恨《うら》めしさうに相手《あひて》の後姿《うしろすがた》を見上《みあ》げた。電車《でんしや》が落付《おちつ》くと、彼《か》れは又《また》目《め》を閉《と》ぢる。

夢《ゆめ》に踊《をど》つてた草山《くさやま》の現實《げんじつ》の顏《かほ》が憎々《にく〳〵》しく浮上《うきあが》つて來《く》る。――あの野郞《やらう》、社長《しやちやう》にお謟《べつ》かつて、狡《づる》いことをしてやがる。俳優《やくしや》の投票《とうひやう》、小說《せうせつ》の懸賞《けんしやう》募集《ぼしふ》、皆《みな》彼奴《あいつ》の差金《さしがね》だ。體《てい》よく社長《しやちやう》を說《と》いて、社《しや》の發展《はつてん》の爲《ため》だと、お爲《ため》ごかしに自身《じしん》の勢力《せいりやく》擴張《ゝわくちやう》をやつてる。出勤《しゆつきん》時間《じかん》だつて少《ちつ》とも守《まも》つてゐない。朝《あさ》は遲《おそ》く出《で》て晚《ばん》は早《はや》く歸《かへ》る。よく注意《ちうい》して見《み》てるに、おれの三｜分《ぶん》の一の仕事《しごと》さへして居《を》らん。それに世間《せけん》からは、やれ何《なに》新聞《しんぶん》の敏腕家《びんわんか》だの、新進《しん〳〵》小說家《せうせつか》で御座《ござ》るの、劇通《げきつう》で候《さふらふ》のと、出放題《ではうだい》な稱賛《しやうさん》をしてゐる。何《なん》だい彼《あ》れが、碌《ろく》そつぽに語學《ごがく》も出來《でき》ねば、文章《ぶんしやう》だつておれの目《め》から見《み》ると些《ちつ》とも甘《うま》くはない。腕前《うでまへ》と云《い》へば新聞《しんぶん》を甘《うま》く利用《りよう》しては本屋《ほんや》の提灯《ちやうちん》持《もち》をして、そのお禮《れい》に拙《まづ》い小說《せうせつ》を賣込《うりこ》む位《くらゐ》だ。何《なん》でも役者《やくしや》からの付屆《つけとゞけ》もありや、御馳走《ごちさう》にもなつてるらしい。昨夜《ゆふべ》だつて大坂《おほさか》役者《やくしや》に百尺《ひゃくせき》へ招待《せうだい》されたさうだ………おれは新聞《しんぶん》へ入《はい》つてから、役德《やくとく》と云《い》やあ、あれと此《こ》れと、招待《せうだい》も三｜度《ど》しきや受《う》けてやしない―― 空想《くうさう》はふら〳〵と一｜轉《てん》する。「今日《けふ》は何《なに》を書《か》かう」、輪轉機《りんてんき》すら一｜臺《だい》もない小新聞《せうしんぶん》だから、彼《か》れの如《ごと》き政治《せいぢ》智識《ちしき》の乏《とぼ》しい者《もの》も、一｜週《しう》に一｜度《ど》は論說《ろんせつ》を割付《わりつ》けられてあるので、今日《けふ》がその當番《たうばん》だ。彼《か》れはその問題《もんだい》を捜《さが》して、增稅案《ざうぜいあん》、移民《ゐみん》會社《くわいしや》取締《とりしまり》、對《たい》朝鮮《てうせん》政策《せいさく》、どれも六ケ｜敷《し》い。國民《こくみん》の驕奢《きやうしや》を攻擊《こうげき》するか、それとも惡小說《あくせうせつ》の流行《りうかう》を罵倒《ばたふ》するか、どちらが手易《たやす》いだらうか、小說論《せうせつろん》にしても、どう論《ろん》じたら早《はや》く書《か》け手數《てすう》が掛《かゝ》らないだらう………と考《かんが》へたが、別《べつ》に妙案《めうあん》の纏《まと》まりもせず、又《また》强《し》いて纏《まと》めやうともせぬ間《うち》、 「數寄屋橋《すきやばし》」 彼《か》れは詮方《せんかた》なく空想《くうさう》を拂《はら》つて電車《でんしや》を下《お》りた。ノソ〳〵と二三｜町《ちやう》步《ある》いて社《しや》へ行《ゆ》くと、下駄箱《げたばこ》の側《そば》で草山《くさやま》に出《でつ》くはした。 「やあ、今日《けふ》は馬鹿《ばか》に早《はや》いぢやないか」と、草山《くさやま》の方《はう》から聲《こゑ》を掛《か》ける。黑塚《くろづか》は「それや此方《こちつ》の言分《いひぶん》だ」と、忌々《いま〳〵》しく思《おも》つたが、、口《くち》では尋常《じんじやう》に、 「君《きみ》こそ早《はや》いぢやないか、僕《ぼく》は何時《いつ》も今《いま》時分《じぶん》に來《く》る」 「さうか、女房《にようぼ》のない者《もの》あ異《ちが》つたものだね」と、草山《くさやま》は晴々《はれ〴〵》した聲《こゑ》で云《い》つて二｜階《かい》へ上《あが》つた。黑塚《くろづか》は後《あと》から付《つ》いて行《ゆ》く。

草山《くさやま》は黑塚《くろづか》よりも三つ歲上《としうへ》だが、學校《がくかう》も同《おな》じくクラスも同《おな》じく、共《とも》に苦學生《くがくせい》で、半年《はんとし》ばかりは一｜緖《しよ》に本鄉《ほんがう》のお寺《てら》で自炊《じすゐ》したこともある。黑塚《くろづか》の入社《にふしや》も草山《くさやま》の周旋《しうせん》によるのだ。しかし今《いま》は二人《ふたり》の生活《くらし》はその着物《きもの》の結城紬《ゆうきつむぎ》と瓦斯織《がすおり》と異《ちが》つてる位《くらゐ》異《ちが》つてゐる。一人《ひとり》は既《すで》に一｜家《か》を構《かま》へ女房《にようぼ》もあり子《こ》の二人《ふたり》もあり、多少《たせう》の借金《しやくきん》もある。一人《ひとり》は自炊《じすゐ》から下宿屋《げしゆくや》に移《うつ》つた位《くらゐ》で、さしたる變化《へんくわ》もない。入社《にふしや》と同時《どうじ》に今《いま》の下宿屋《げしゆくや》に轉《てん》じたので、もう彼此《かれこれ》四｜年《ねん》同《おな》じ部屋《へや》に居《ゐ》る。せめて宿《やど》でも變《かは》つたらばと思《おも》つてゐるが、思《おも》うばかりで斷行《だんかう》はしない。 そして草山《くさやま》は屡々《しば〳〵》、 「君《きみ》、何《なに》か書《か》かんか、僕《ぼく》が周旋《しうせん》しよう、君《きみ》は原書《げんしよ》が讀《よ》めるんだから、その中《なか》に面白《おもしろ》い話《はなし》が見《み》つかるだらう、何《なん》なら、僕《ぼく》に話《はな》して吳《く》れんか、翻案《ほんあん》の材料《ざいれう》に」 と云《い》つて、多少《たせう》生活《くらし》の補助《ほじよ》を計《はか》つてやるが、黑塚《くろづか》は何時《いつ》も淋《さび》しく笑《わら》つて、首《くび》と手《て》とを橫《よこ》に振《ふ》る。 「僕《ぼく》はとても書《か》けりやしない。それにどうも忙《いそが》しくつて、何《なに》をする暇《ひま》もない」と云《い》つて最後《さいご》は「君《きみ》は餘暇《よか》があるから結構《けつこう》だ」と、褒《ほ》めるのか羨《うらや》ましいのか冷《ひや》かすのか、この男《をとこ》獨得《どく〳〵》の調子《てうし》で云《い》ふ。これが彼《か》れのお定《きま》りの返事《へんじ》だ。そして腹《はら》の中《うち》では「何《なに》彼等《あれら》に利用《りよう》されて溜《たま》るもんか」と、竊《ひそ》かに反抗《はんかう》してゐる。

彼《か》れは編輯室《へんしうしつ》に入《はい》ると、ストーブの側《そば》で煙草《たばこ》を一｜本《ぽん》吸《す》ふ。「給使《きうじ》、お茶《ちや》と原稿紙《げんかうし》」と呼《よ》ぶ。その聲《こゑ》は高《たか》く力《ちから》がある。軍曹《ぐんさう》が新兵《しんぺい》にでも命令《めいれい》する口調《くてう》だ。草山《くさやま》は椅子《いす》に反身《そりみ》になり諸新聞《しよしんぶん》の綴込《とぢこ》みを見《み》てゐたが、 「開《ひら》けない奴等《やつら》だ。何《なん》だつてこんな眞似《まね》をするんだらう」と、鼻《はな》で笑《わら》つて、新聞《しんぶん》を下《した》に置《お》き、「君《きみ》讀《よ》んだかい、綾瀨《あやせ》と櫻井《さくらゐ》の喧噪《けんくわ》を」と黑塚《くろづか》の顏《かほ》を見《み》た。 「ふん、大變《たいへん》面白《おもしろ》い、綾瀨《あやせ》に同情《どうじやう》する、眞劍《しんけん》だから活氣《くわつき》がある」 「兩方《りやうはう》とも眞劍《しんけん》さ、だから可笑《おか》しい、あの連中《れんぢう》は朝《あさ》から拔身《ぬきみ》で構《かま》へてるんだね」と、草山《くさやま》は無斷《むだん》で黑塚《くろづか》の煙草《たばこ》を一｜本《ぽん》奪《と》つて火《ひ》を借《か》り、「綾瀨《あやせ》も西方寺《さいはうじ》時代《じだい》にはよく來《き》たものだが、この頃《ごろ》はちつとも姿《すがた》を見《み》せん、君《きみ》は遇《あ》うかい。」 「いや滅多《めつた》に會《あ》はん、眞面目《まじめ》に勉强《べんきやう》してるやうだよ、あの男《をとこ》は狡《づる》い所《ところ》がないからいい」と、黑塚《くろづか》は心《こゝろ》の中《なか》では、多少《たせう》草山《くさやま》に當《あて》こすつたつもりであつたが、草山《くさやま》は氣《き》つかぬ風《ふう》で、 「馬鹿《ばか》正直《しやうぢき》で損《そん》ばかりしてると、人樣《ひとさま》に同情《どうじやう》して貰《もら》へるんだが」と笑《わら》ひ〳〵云《い》つた。黑塚《くろづか》は不快《ふくわい》な顏《かほ》をして席《せき》についた。彼《か》れの机《つくゑ》は窓際《まどぎは》に沿《そ》うて孤立《こりつ》してゐる。硯《すゞり》の塵《ちり》を吹《ふ》き墨《すみ》を磨《す》り、凡《およ》そ二十｜分《ぷん》も、考《かんが》へてゐると編輯長《へんしうちや》が來《き》たので、 「問題《もんだい》はありませんか、緊要《きんえう》な問題《もんだい》がなければ、小說《せうせつ》の禁止《きんし》について論《ろん》じて見《み》ようと思《おも》ひます、少《すこ》し考《かんが》へもありますから」と後《うしろ》を顧《かへり》みた。 「ぢや、それを書《か》き玉《たま》へ」と、編輯長《へんしうちやう》は卒氣《そつけ》ない返事《へんじ》をする。

彼《か》れは筆《ふで》を嚙《か》んで一二｜行《ぎやう》書《か》いたが、次《つぎ》の句《く》が出《で》て來《こ》んので、原稿紙《げんかうし》を丸《まる》めて反古籠《ほごかご》へ投《な》げ込《こ》み、案《あん》を立《た》て直《なほ》した。机《つくゑ》の左右《さいう》では草山《くさやま》や佐々良《さゝら》、それに編輯長《へんしうちやう》も加《くは》はつて競馬《けいば》談《だん》株式《かぶしき》の話《はなし》。

彼《か》れはつい［＃「つい」に傍点］四邊《あたり》の話《はなし》に氣《き》を取《と》られ、筆《ふで》が更《さら》に墓取《はかど》らぬ間《うち》、時計《とけい》は一｜回轉《くわいてん》する。「何《なん》でおればかり急《いそ》がしんだらう」「社長《しやちやう》はこの寒《さむ》さに競馬《けいば》に行《い》つてる」と、云《い》ふやうな考《かんが》へが、四邊《あたり》の話聲《はなしごゑ》に和《わ》して頭《あたま》に浮《うか》ぶ。 「黑塚《くろづか》君《くん》、もう三十｜分《ぷん》ですよ」と、編輯長《へんしうちやう》が急《せ》き立《た》てる。

彼《か》れは慌《あは》てゝ何《なに》が何《なに》やら分《わか》らぬながらに文字《もんじ》を臚列《ろれつ》し、一｜段《だん》半《はん》程《ほど》書《か》きなぐつた。これで一｜日中《にちゞう》の大役《たいやく》が終《をは》り、二三｜時間《じかん》は手《て》が隙《す》く。で、ストーブに近《ちか》よつて、冷《つめ》たくなつた天《てん》ドンを食《く》つた。働《はたら》いて食《く》ふ甘《うま》さを感《かん》じた。飯《めし》一粒《ひとつぶ》も殘《のこ》さない。 ストーブの向《むか》うの薄汚《うすぎたな》い新聞《しんぶん》臺《だい》には女《をんな》記者《きしや》が居《ゐ》る。何時《いつ》もの通《とほ》り地方《ちはう》新聞《しんぶん》の切拔《きりぬき》をしてゐる。彼《か》れは何時《いつ》もの通《とほ》り「哀《あは》れなる女《をんな》よ」と思《おも》つた。もう結婚《けつこん》期《き》を過《す》ぎて顏《かほ》に艶《つや》がなく目《め》にも力《ちから》がないと思《おも》ひながら、その赤《あか》い房《ふさ》のついた可愛《かあい》らしい鋏《はさみ》の動《うご》くのを見《み》てゐた。 「この方《かた》が御面會《ごめんくわい》」と、突如《だしぬけ》に給使《きうじ》が名刺《めいし》を出《だ》した。彼《か》れは言葉《ことば》少《すく》なに腮《あご》で指圖《さしづ》した。しかし椅子《いす》から立上《たちあが》るには少《すこ》し間《あひだ》があつた。女《をんな》記者《きしや》は切拔《きりぬき》を持《も》つて無心《むしん》に彼《か》れを見《み》て席《せき》を轉《てん》ずる。彼《か》れも無心《むしん》に見《み》て應接所《おうせつじよ》へ行《ゆ》く。

來客《らいきやく》は頰髯《ほゝひげ》の見事《みごと》に生《は》へた男《をとこ》。彼《か》れを見《み》ると面相《めんさう》を軟《やはら》げ、吸《す》ひかけの卷煙草《まきたばこ》を火鉢《ひばち》に突込《つきこ》み、 「どうも御多忙《ごたばう》の所《ところ》を」と恭《うや〳〵》しく腰《こし》を屈《かゞ》め、「何《なに》新聞《しんぶん》の鶴見《つるみ》さんが貴下《あなた》にお願《ねが》い申《まを》せといふことで」 「はあ、何《なん》の御用《ごよう》で」 「實《じつ》は今日《けふ》の新聞《しんぶん》に私《わたし》の學校《がくかう》の事《こと》が出《で》て居《を》りますが、あれは事實《じゞつ》相違《さうゐ》で御座《ござ》いましてな」と、ぼつ〳〵その理由《りいう》を說《と》き出《だ》した。 「ハア〳〵」と、黑塚《くろづか》は身《み》を入《い》れて聞《き》いてもゐなかつたが、相手《あひて》が口《くち》を閉《と》ぢるのも待《ま》たず、「しかし貴下《あなた》のお望《のぞ》み通《どほ》りの正誤《せいご》も出《だ》せん、貴下《あなた》の方《はう》で新聞紙《しんぶんし》條例《でうれい》によつて、取消《とりけし》でもお出《だ》しなれば格別《かくべつ》」と、目《め》を据《す》ゑて嚴然《げんぜん》として云《い》ふ。彼《か》れの顏《かほ》にも活氣《くわつき》があつた。 「ですが取消《とりけし》だけではどうも」と、髯《ひげ》は容易《ようゐ》に納得《なつとく》しない。二三｜度《ど》押問答《おしもんだう》の後《のち》、黑塚《くろづか》は、 「この新聞《しんぶん》は徹頭《てつとう》徹尾《てつび》責任《せきにん》を以《も》つて書《か》いてるんですから、輕々《かろ〴〵》しく正誤《せいご》も出《だ》せません」と斷言《だんげん》して、「少《すこ》し用事《ようじ》が殘《のこ》つてますから、これで」と、輕《かる》く會釋《ゑしやく》して應接所《おうせつじよ》を出《で》た。

草山《くさやま》はもう帽子《ぼうし》を被《かぶ》つて編輯室《へんしうしつ》の戶口《とぐち》に立《た》つてゐたが、 「黑塚君《くろづかくん》、君《きみ》を捜《さが》してたんだ、一寸《ちよつと》話《はな》したいことがある」と柔《やさ》しく云《い》つて、應接所《おうせつじよ》へ連《つ》れて行《い》つた。黑塚《くろづか》はポカンとして髯男《ひげをとこ》の座《すは》つてた椅子《いす》に腰掛《こしか》けた。 「別《べつ》に急《いそ》いだ話《はなし》ぢやないんだが、君《きみ》どうだね、三｜面《めん》へ來《き》て吳《く》れちや、實《じつ》は三｜面《めん》も少《すこ》し改良《かいりやう》するので、君《きみ》に助《たす》けて貰《もら》うと至極《しごく》都合《つがふ》がいゝんだ」 黑塚《くろづか》は不思議《ふしぎ》さうにヂロ〳〵相手《あひて》を見《み》て、「だつて僕《ぼく》は二｜面《めん》の方《はう》がいゝ、政治《せいぢ》や敎育《けういく》に關係《かんけい》した方《はう》が興味《きようみ》が多《おほ》い」と、自分《じぶん》でも信《しん》ぜぬことを云《い》ふ。 「しかし、編輯《へんしう》をやつてゝは政界《せいかい》のこともよくは分《わか》るまいし、君《きみ》の素養《そやう》から云《い》つても三｜面《めん》の方《はう》が適《てき》してるぢやないか、相互《おたがひ》のためだ、一《ひと》つうん［＃「うん」に傍点］と云《い》つて吳《く》れ玉《たま》へ……尤《もつと》も今《いま》が今《いま》返事《へんじ》をしなくてもいゝがね」と、草山《くさやま》は杖《つえ》で床《ゆか》を叩《たゝ》きながら、少《すこ》し俯首《うつむ》いて云《い》ふ。

黑塚《くろづか》は、相互《おたがひ》の爲《ため》と云《い》ふ言葉《ことば》を不快《ふくわい》に感《かん》じ、「でも僕《ぼく》にや今《いま》の受持《うけもち》がいゝ、少《すこ》し抱負《はうふ》もあるから」と云《い》つて、腹《はら》では何《なん》でこんな男《をとこ》の下《した》に使《つか》はれるものかと力《りき》んだ。 「さうだらう」と輕《かる》く首背《うなづ》いて、「けれどね、實《じつ》は何《なん》だよ、主筆《しゆひつ》もそれを望《その》んでるんだよ」 「主筆《しゆひつ》が」と、黑塚《くろづか》は目《め》を尖《とが》らせ、「何《なに》か僕《ぼく》に落度《おちど》があるんかい、」 「何《なに》、さうでもあるまい」と、あやふや［＃「あやふや」に傍点］に云《い》つて、强《し》いて笑顏《えがほ》を造《つく》り、「まあ、何時《いつ》かゆつくり［＃「ゆっくり」に傍点］話《はな》さう、どうだいビールでも呑《の》みに行《ゆ》かんか」とお愛相《あいそ》に云《い》つた。 「いや、僕《ぼく》はまだ仕事《しごと》が殘《のこ》つてる、君《きみ》のやうに早《はや》く歸《かへ》れるといゝけれど」 と、黑塚《くろづか》は編輯室《へんしうしつ》へ歸《かへ》り、机上《きじやう》に堆積《たいせき》せる外交《ぐわいかう》記者《きしや》の齎《もた》らした議會《ぎくわい》の記事《きじ》を添削《てんさく》した。粗末《そまつ》な原稿紙《げんかうし》の曖昧《あいまい》な筆蹟《ひつせき》を辿《たど》つて「國家《こくか》十｜年《ねん》の大計《たいけい》」だの、「満面《まんめん》朱《しゆ》を濺《そゝ》いで演壇《えんだん》へ上《のぼ》り」だのと元氣《げんき》のいゝ文句《もんく》を見《み》てる中《うち》に瓦斯《がす》がつく。

彼《か》れは硯箱《すゞりばこ》を仕舞《しま》ふと同時《どうじ》に、草山《くさやま》の言葉《ことば》が急《きふ》に毒氣《どくき》を帶《お》びて浮《うか》んで來《く》る。「彼奴《あいつ》の中傷《ちうしやう》だらう」「あんな奴《やつ》の下《した》に使《つか》はれてなるもんか」と反抗心《はんかうしん》を起《おこ》してゐた。

社員《しやゐん》は一人《ひとり》減《へ》り二人《ふたり》減《へ》る。

彼《か》れは暫《しば》らく机《つくゑ》を離《はな》れない。反抗心《はんかうしん》は次第《しだい》にゆるんで［＃「ゆるんで」に傍点］手賴《たよ》りない氣《き》になる。 「そうだ、今日《けふ》は綾瀨《あやせ》を尋《たづ》ねよう、彼《か》れは我黨《わがたう》の士《し》だ、僕《ぼく》に同感《どうかん》して吳《く》れるに違《ちが》ひない、草山《くさやま》のやうな俗物《ぞくぶつ》ぢやない」と立上《たちあが》り、今《いま》刷上《すりあが》つた初版《しよはん》の新聞《しんぶん》を取《と》つて、自分《じぶん》の書《か》いた慷慨的《かうがいてき》論文《ろんぶん》を讀《よ》み〳〵階下《した》へ下《お》りた。下駄箱《げたばこ》の前《まへ》に社長《しやちやう》が立《た》つてゐて、使方《つかひかた》が草履《ざうり》を出《だ》してゐる。競馬《けいば》に負《ま》けたのか、社長《しやちやう》の顏《かほ》は苦虫《にがむし》嚙潰《かみつぶ》したやうだ。「何《なに》か云《い》はれるか」と、彼《か》れは胸騷《むなさわ》ぎをさせ、恭《うや〳〵》しく會釋《ゑしやく》して、コソ〳〵戶外《そと》へ出《で》た。

五六｜間《けん》前《さき》には、女《をんな》記者《きしや》が白《しろ》い肩掛《シヨール》を纏《まと》うて步《あゆ》んでゐる。彼《か》れも同《おな》じ道《みち》を取《と》つた。埃《ほこり》臭《くさ》い風《かぜ》が萎《しな》びた路傍《ろばう》の柳《やなぎ》を吹《ふ》いた。

五月幟

（一）

「穗浪《ほなみ》村《むら》は人家《じんか》三百｜戶《こ》」と、小學《せうがく》の敎師《けうし》は二十｜年《ねん》も前《まへ》から兒童《じどう》に敎《をし》へてゐる。この三百｜戶《こ》の八九｜分《ぶ》は漁業《ぎよげふ》か農業《のうげふ》、或《あるひ》は漁農《ぎよのう》兼帯《けんたい》で生活《くらし》を立《た》てゝゐるが、百八十｜番地《ばんち》の「瀨戶《せと》吉松《きちまつ》」の一｜家《か》は、母《はゝ》は巫女《みこ》、息子《むすこ》は畵工《ぐわこう》。村《むら》に不似合《ふにあひ》な最《もつと》も風變《ふうがは》りの仕事《しごと》をしてゐる。で、海《うみ》が荒《あ》れて不漁《ふれう》が續《つゞ》いたり、暴風雨《ぼうふうゝ》や蟲害《ちうがい》で麥《むぎ》や稻《いね》の充實《みのり》が惡《わる》いと商人《しやうにん》も大工《だいく》も石屋《いしや》も疊屋《たゝみや》も、或《あるひ》は僧侶《そうりよ》神主《かんぬし》、皆《みな》その影響《えいけう》を受《う》けるのだが、殊《こと》に吉松《きちまつ》一｜家《か》は酷《ひど》い。 しかし今歲《ことし》は漁《れう》がよかつた。鯛《たい》も捕《と》れた、鰆《さはら》も捕《と》れた、漁夫《れうし》は沖《おき》で釣《つ》つた魚《うを》を賣《う》つて、岡山《をかやま》や牛窓《うしまど》から縮緬《ちりめん》の兵兒帶《へこおび》、疊付《たゝみつき》の下駄《げた》、洋銀《やうぎん》の簪《かんざし》やら派手《はで》な手拭《てぬぐひ》やら、土產物《みやげもの》をどつさり［＃「どつさり」に傍点］買込《かひこ》み、尙《なほ》魚籠《どうまる》には兩手《りやうて》で掬《すく》い切《き》れぬ程《ほど》の銀貨《ぎんくわ》や銅貨《どうくわ》を殘《のこ》して歸《かへ》つて來《き》た。明後日《あさつて》は舊歷《きうれき》五｜月《ぐわつ》の節句《せつく》であれば、遠海《えんかい》へ出稼《でかせぎ》に行《い》つてる舟《ふね》も、よく〳〵不漁《ふれう》でない限《かぎ》りは、久振《ひさしぶ》りに陸《くが》の鹽辛《しほから》くない飯《めし》を食《く》ひに歸《かへ》り、濱邊《はまべ》には珍《めづ》らしく百｜艘《そう》近《ちか》くの小舟《こぶね》親船《おやぶね》が並《なら》んでゐる。そして吉松《きちまつ》は諸方《しよはう》から幟《のぼり》の揮毫《きがう》を賴《たの》まれて、近年《きんねん》に無《な》く多忙《たばう》である。

彼《か》れは日限《にちげん》に迫《せ》まられ、五六｜日《にち》戶外《そと》へ出《で》ず、夜《よる》も行燈《あんどん》の側《そば》で書《か》いてゐたが、いよ々々今《いま》一《ひと》つで描《か》き終《をは》れるのだ。圖題《づだい》は鎧姿《よろひすがた》の淸正《きよまさ》で、略々《ほぼ》形《かたち》だけ出來《でき》上《あが》つてゐる。彼《か》れは禿筆《ちびふで》の先《さき》で淸正《きよまさ》の髯《ひげ》を細《こまか》く描《か》きながら、疲《つか》れた肩《かた》を左《ひだり》の手《て》で揉《も》んだり、墨《すみ》の染《し》みた下唇《したくちびる》を噛《か》んで、細《ほそ》長《なが》い布《ぬの》を見上《みあ》げ見下《みおろ》してゐる。一｜筆《ふで》每《ごと》に凛々《りゝ》しい姿《すがた》の浮《う》き上《あが》るのを見《み》るにつけて、もつと奇麗《きれい》な繪具《ゑのぐ》が欲《ほ》しくてならぬ。あの草摺《くさずり》もその臑當《すねあて》も他《ほか》の色《いろ》で彩《いろど》つて見《み》たい。何時《いつ》ぞや大福寺《だいふくじ》で蟲干《むしぼし》のあつた時《とき》、佛樣《ほとけさま》の繪《ゑ》を二三｜幅《ぷく》見《み》せて貰《もら》つたが、どれも懷《なつ》かしい繪具《ゑのぐ》を用《もち》ひてあつて、見《み》てゐて何《なん》といふ事《こと》なしにいゝ氣持《きもち》がして、その前《まへ》を離《はな》れたくなかつた。あんな繪具《ゑのぐ》は何《なん》で拵《こしら》へるのか知《し》らんが、自分《じぶん》も一｜年《ねん》に一｜度《ど》でも、立派《りつぱ》な繪具《ゑのぐ》で絹地《きぬぢ》へ書《か》いて見《み》たいな。

彼《か》れの左右《さいう》には墨《すみ》を溶《と》かした飯《めし》茶碗《ぢやわん》と、小《ちい》さい朱硯《しゆすゞり》と、臙脂《べこ》と藍《あひ》を兩緣《りやうふち》に塗《ぬ》つた小皿《こざら》があるばかり。筆《ふで》も小學《せうがく》生徒《せいと》の手習《てならひ》用《よう》の一｜本《ぽん》二｜錢《せん》か三｜錢《せん》のを毛《け》が擦《す》り切《き》れるまで使《つか》つてゐる。で、道具《だうぐ》には不平《ふへい》を抱《いだ》いてゐるが、好《す》きな仕事《しごと》ではあり、第《だい》一｜金《かね》が取《と》れるのだから、自然《しぜん》に勵《はげ》みもついて、身體《からだ》の怠《だる》いのも我慢《がまん》して、筆《ふで》を運《はこ》ばせた。家《いへ》は二室《ふたま》だが、只《たゞ》閾《しきゐ》で區切《くぎ》つてあるのみで襖《ふすま》も障子《しやうじ》もない。上等《じやうとう》の室《ま》には床板《ゆかいた》の上《うへ》に薄緣《うすべり》を敷《し》き詰《つ》め、次《つぎ》の室《ま》には座蒲團《ざぶとん》代《がは》りに一｜枚《まい》の蓆《むしろ》を敷《し》いてある。繪布《ゑぬの》の裾《すそ》は蓆《むしろ》の室《ま》へ挾出《はみだ》され巫女《みこ》婆《ばあ》さんの膝《ひざ》に觸《ふ》れてゐる。婆《ばあ》さんは片袖《かたそで》をまくり上《あ》げ、肥《ふと》つた腕《かひな》を露《あら》はして臼《うす》を挽《ひ》いてゐる。居眠《ゐねむり》をし通《どほ》して、朝《あさ》から掛《かゝ》つてゝ、まだ一｜升《しやう》足《た》らずの粉《こな》が挽《ひ》け切《き》らぬ。 「吉《きち》よ、汝《われ》やまだ書《か》いてしまはんか」 と、婆《ばあ》さんは附木《つけぎ》で粉《こな》を搔寄《かきよ》せては張籠《はりかご》に移《う》つしてゐる。 「も少《すこ》しで書《か》いて仕舞《しま》わあ、お母《かあ》はまだ挽《ひ》いて仕舞《しま》はんのか」 「お母《かあ》も、もう一握《ひとにぎ》りでえゝんぢやがの、汝《われ》お腹《なか》が減《へ》つたら、お晝飯《ひる》にしやうか、太陽樣《こんにちさま》もそろ〳〵隣《とな》りの牛小屋《うしごや》へ當《あた》りだした」 「さうかな、もう正午《おひる》過《すぎ》か、そないになるたあ思《おも》はなんだ」 「どりやお茶《ちや》でも沸《わか》さう」 と、婆《ばあ》さんは片手《かたて》で膝《ひざ》を壓《おさ》へ、「うんとしよ」と伸《の》び上《あが》り、凸凹《でこぼこ》の多《おほ》い庭《には》へ下《お》りて、柴《しば》を一攫《ひとつかみ》を壓折《へしを》つて茶釜《ちやがま》の下《した》へ投《な》げ込《こ》み、附木《つけぎ》で火《ひ》を點《つ》けた。黑烟《くろけむり》が渦《うづ》を卷《ま》いて繪布《ゑぬの》の上《うへ》を這《は》ひ、低《ひく》い軒下《のきした》へ流《なが》れ出《で》る。吉松《きちまつ》は靑《あを》い顏《かほ》を顰《しか》め、勢《いきほひ》のない咳《せき》を出《だ》した。目《め》を細《ほそ》くして戶外《そと》を見《み》た。門口《かどぐち》には五月雨《つゆ》の用意《ようい》に柴《しば》や木片《こつぱ》を堆高《うづたか》く積《つ》んである。空《そら》は見《み》えぬが、日《ひ》は鮮《あざや》かに石《いし》ころ道《みち》を照《て》らし、帽子《ぼうし》代《がは》りに頰冠《ほゝかぶ》りして肥桶《こえたご》擔《にな》つた男《をとこ》が、腰《こし》を振《ふ》つて通《とほ》つてゐる。二三｜人《にん》首《くび》を抱《だ》き合《あ》ひ、得意氣《とくいげ》に卷煙草《まきたばこ》を吹《ふ》き、ゲラゲラ笑《わら》つて村《むら》の若《わか》い衆《しゆ》が練《ね》つて行《ゆ》く。「吉《きち》マよ」「チビ松《まつ》」と聲《こゑ》を掛《か》けて行《ゆ》く者《もの》もある。尻《しり》端折《はしを》り藁《わら》草履《ざうり》を穿《は》いた水汲《みづくみ》女《をんな》が小《ちい》さい桶《をけ》を荷《にな》つて二人《ふたり》三｜人《にん》續《つゞ》いて通《とほ》つた。井戶水《ゐどみづ》は鹽氣《しほけ》があり、山蔭《やまかげ》の泉《いづみ》のみが一｜村《そん》の飮料水《いんれうすゐ》となるので、盆《ぼん》と節句《せつく》には泉《いづみ》が乾《か》れると云《い》ふが、急《きふ》に家族《かぞく》の殖《ふ》えた此頃《このごろ》、女房《かみさん》や娘《むすめ》は水汲《みづくみ》が一｜日《にち》の大役《たいやく》なのだ。

吉松《きちまつ》はその水汲《みづくみ》の一人《ひとり》の後姿《うしろすがた》を見《み》て、お竹《たけ》ぢやないかと思《おも》つた。顏《かほ》をも見《み》せず、すた〳〵と行《い》つてしまつたが、その眞紅《しんく》の襷《たすき》、脹《ふく》らかな白《しろ》い脛《はぎ》、どうも彼女《あれ》らしい。で、彼《か》れは少《すこ》し伸《の》び上《あが》つてにつたり［＃「につたり」に傍点］笑《わら》つた。これを書《か》いてしまつたら彼女《あれ》に遇《あ》へる。磯《いそ》の屋《や》では節句《せつく》を當《あ》て込《こ》んで、岡山《をかやま》からうん［＃「うん」に傍点］と小間物《こまもの》を仕入《しい》れて來《き》たそうだから、彼女《あれ》に簪《かんざし》でも櫛《くし》でも買《か》つてやる。目顏《めかほ》で呼《よ》び出《だ》して泉《いづみ》の側《そば》の藪《やぶ》へ行《ゆ》くのだ。

二三｜年前《ねんまへ》から目星《めぼし》をつけてたお竹《たけ》と、睦《むつま》じい言葉《ことば》を交《か》はすやうになつたのは去年《きよねん》の秋《あき》。忘《わす》れもしない、彼女《あれ》が藪下《やぶしも》の川《かは》で洗濯《せんたく》をしてゐた。澄《す》んだ水《みづ》がちよろ〳〵と草《くさ》の中《なか》から流《なが》れて來《く》る。お竹《たけ》は絞《しぼ》りの手拭《てぬぐひ》を姉樣《ねえさん》被《かぶ》りにし、幅《はゞ》の廣《ひろ》い滑《なめ》らかな石《いし》の上《うへ》に少《すこ》し屈《かゞ》んで立《た》ち、足《あし》の甲《かふ》まで水《みづ》に浸《ひた》し、兩足《りやうあし》で調子《てうし》よく汚《よご》れ物《もの》を踏《ふ》んでゐた。周圍《まわり》に人《ひと》の聲《こゑ》もしない。只《たゞ》烏《からす》が寺《てら》の屋根《やね》に鳴《な》いてゐるばかり。その時《とき》此處《こゝ》を繪《ゑ》に書《か》きたいと思《おも》つた。その姿《すがた》もその顏《かほ》も、この村《むら》にや比《くら》べる女《をんな》はありやしない。それで「私《わし》の女房《にようぼ》になるか」と云《い》ふと、首《くび》を橫《よこ》に振《ふ》らなかつた。あんな別嬪《べつぴん》が私《わし》の女房《にようぼ》になるんだぞ、村《むら》の小若連《こわかれん》の集會《よりあひ》に行《ゆ》くと、吉《きち》の野郞《やらう》は二十歲《はたち》になつて、まだ衒妻《げんさい》一人《ひとり》よう拵《こさ》へぬ、意氣地《いくぢ》なし奴《め》といつて、皆《み》んなして冷《ひや》かしやがるが、どうだ羨《うらや》ましからう。

彼《か》れはうつとり［＃「うつとり」に傍点］考《かんが》へ込《こ》み、やがて又《また》にやり［＃「にやり」に傍点］と薄氣味《うすきみ》惡《わる》く笑《わら》つて筆《ふで》を執《と》つた。で、漸《やうや》く書《か》き終《をは》つた頃《ころ》、茶釜《ちやがま》がジン〳〵音《おと》を立《た》てる。 「吉《きち》、お茶《ちや》が沸《わ》いたでえ」と、婆《ばあ》さんは棚《たな》から膳《ぜん》と飯櫃《めしびつ》を卸《おろ》してゐる。 「お母《かあ》、初野《はつの》はまだ戾《もど》らんかな」と、吉松《きちまつ》は痺《しび》れた足《あし》を撫《な》で〴〵膳《ぜん》の前《まへ》へ坐《すわ》つた。米《よね》一｜分《ぶ》の黑々《くろ〴〵》とした麥飯《むぎめし》を茶碗《ちやわん》に山盛《やまも》りにし、茶柄杓《ちやびしやく》で茶《ちや》を打《ぶつ》かける。 「彼女《あれ》は今朝《けさ》飛出《とびだ》したきり、まだ戾《もど》つて來《こ》ん、柏餅《かしはもち》を早《はや》う拵《こせ》へて吳《く》れいとせがん［＃「せがん」に傍点］どいて、今《いま》まで何處《どこ》を步《ある》いとるんだらう」 「又《また》皆《みん》なに冷《ひや》かされとるんぢやないか、あの阿房《あほう》に困《こま》るなあ、早《はや》う死腐《しにくさ》れやえゝのに」 「汝《われ》や何《なに》をいふ、阿房《あほう》でも狂人《きちがひ》でも、汝《われ》の眞實《ほんま》の妹《いもと》ぢやないか」と、婆《ばあ》さんは鐵漿《おはぐろ》の斑《まば》らな齒《は》で、漬菜《つけな》をばり〴〵噛《か》みながら、金壺《かなつぼ》眼《まなこ》で吉松《きちまつ》を睨《にら》んだ。 「そがい［＃「そがい」に傍点］云《い》ふても、初野《はつの》が居《を》りやがるんで、物入《ものい》りが多《おほ》うなつて仕樣《しやう》がない」と、吉松《きちまつ》は慳貪《けんどん》に云《い》つた、「それになあお母《かあ》、彼女《あれ》が居《を》ると、私《わし》や嫁《よめ》が取《と》れんぞな、家《うち》は狹《せま》いし、初野《はつの》は大飯《おほめし》を食《くら》うから」 「そがい［＃「そがい」に傍点］な事《こと》心配《しんぱい》せえでもえゝ、汝《われ》や苦勞性《くらうしやう》ぢやから、何《な》んだれ彼《かん》だれ案《あん》じてばかり居《を》るけいど、入《い》らんこつちやがな、嫁《よめ》を取《と》りたけりや、何時《いつ》でも好《す》きな女子《をなご》を連《つ》れて來《こ》いよ、お母《かあ》と初野《はつの》はこの蓆《むしろ》の上《うへ》へでも寢《ね》りやえゝ、それに彼女《あれ》を連《つ》れて御祈禱《ごきとう》に廻《まわ》りや、袋《ふくろ》に一｜杯《ぱい》や二｜杯《はい》のお米《こめ》は、何處《どこ》からでも貰《もら》うて來《こ》られる、汝《われ》一人《ひとり》の世話《せわ》にやならんがな」 「貰《もら》う者《もの》は何《なん》ぼ貰《もら》うてもえゝけど、乞食《こじき》見《み》たいな事《こと》をして下《くだ》んすな、村《むら》の者《もの》は私《わし》の父《とつ》ちやんは狂人《きちがひ》で、お母《かあ》は乞食《こぢき》、妹《いもと》は阿房《あほう》ぢやと云《い》ふて笑《わら》うとるがな」 「笑《わら》うたて構《かま》うもんか、澤山《たんと》お甘《いし》い者《もの》を食《た》べさへすりや、汝《われ》、云《い》ふ事《こと》あないでないか」 「お母《かあ》はようても、私《わし》やつらい［＃「つらい」に傍点］がな」 婆《ばあ》さんは吉松《きちまつ》の憐《あは》れつぽい小言《こゞと》を聞《き》きながら、緩々《ゆる〳〵》食事《しよくじ》を終《をは》ると、汚《よご》れた茶碗や小皿《こざら》を隅《すみ》の方《はう》へ押《お》しのけ、坐《すわ》つたまゝ臼《うす》の側《そば》へにじり［＃「にじり」に傍点］寄《よ》り、口《くち》の内《うち》で眠《ねむ》そうな引臼《ひきうす》唄《うた》を唄《うた》ひ、又《また》粉《こな》を磨《す》り出《だ》した。

吉松《きちまつ》は布《ぬの》の乾《かは》くのを待《ま》つて、それを白木綿《しろもめん》の大風呂敷《おほぶろしき》にくるんで外《そと》へ出《で》た。空《そら》には白《しろ》い雲《くも》が漂《たゞよ》ひ、柔《やさ》しい風《かぜ》が沖《おき》から吹《ふ》いて來《く》る。海邊《うみべ》近《ちか》く太《ふと》い松《まつ》に圍《かこ》まれた住吉《すみよし》神社《ゞんじや》では太皷《たいこ》の音《おと》がして、子供《こども》の喜《よろこ》び騷《さわ》ぐ聲《こゑ》がする。この前《まへ》お詣《まゐ》りした時《とき》は、神社《じんじや》の扉《とびら》は鎖《とざ》され、埃《ほこり》の積《つ》んだ階段《かいだん》に子守《こもり》が二三｜人《にん》腰掛《こしか》けてるばかり。境内《けいだい》は寂寥《ひつそり》としてゐたが、今日《けふ》は馬鹿《ばか》に賑《にぎや》やかだ。今夜《こんや》神前《しんぜん》で大漁《たいれう》祝《いは》ひの集合《よりあひ》があるさうだが、宮《みや》を中心《ちうしん》にして、通《とほ》る路々《みち〳〵》何處《どこ》を見《み》ても景氣《けいき》付《づ》いてゐる。そして吉松《きちまつ》も生々《いき〳〵》した空氣《くうき》に胸《むね》の鼓動《こどう》し、譯《わけ》もなく悅《うれ》しくなつて、大急《おほいそ》ぎに步《ある》き出《だ》した。

（二）

