# 何處へ

## Part 6

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「二｜本《ほん》歸《がへ》り三つ！」と、ボーイは蟲《むし》の喰《く》つた出《で》つ齒《ぱ》を出《だ》して大聲《おほごゑ》で叫《さけ》んだ。彼《か》れは薄《うす》い座蒲團《ざぶとん》の上《うへ》に几帳面《きてうめん》に坐《すわ》つて、兩方《りやうはう》の袖《そで》を搔《か》き合《あは》せてゐる。年齡《とし》は十五六で、顏《かほ》は靑《あを》くて脹《は》れて、髮《かみ》の毛《け》は薄《うす》い。

背廣《せびろ》を着《き》たでつぷり［＃「でつぷり」に傍点］肥《ふと》つた男《をとこ》は、臺《だい》にすり寄《よ》つて身《み》を屈《かゞ》め、鳥差《とりさ》しが鳥《とり》を狙《ねら》ふやうな態度《たいど》で、キユーを突出《つきだ》した。 「三つ！」と、ボーイは袖口《そでぐち》から細《ほそ》い棒《ぼう》を出《だ》して、ゲーム盤《ばん》を動《うご》かし、橫《よこ》を向《む》いて欠伸《あくび》をした。

向《むか》うの一｜臺《だい》は突手《つきて》もなく、四つの玉《たま》が佗《わび》しげに片隅《かたすみ》に抱《だ》き合《あ》つてゐて、瓦斯《がす》の光《ひかり》は鈍《にぶ》いが、手前《てまへ》の一｜臺《だい》は明《あか》るい光《ひかり》の下《した》に、紅白《こうはく》の玉《たま》が追《おひ》つ追《おは》れつ縱橫《じゆうわう》無盡《むじん》にころがつてゐる、ストーブを後《うしろ》にキユーを逆《ぎやく》に突《つ》いて、帶《おび》を緩《ゆる》くだらし［＃「だらし」に傍点］なくしたまゝ立《た》つてる角帽《かくぼう》の靑年《せいねん》は「又《また》やられさうだな」と呟《つぶ》やいて、相手《あひて》の突振《つきぶり》を見《み》てゐたが、急《きふ》に後《うしろ》を顧《かへり》みて、「中原《なかはら》、後《あと》で君《きみ》と最《もう》一｜度《ど》やらう」と力《りき》んで云《い》つた。柱《はしら》にもたれてワツフルを抓《つま》んでゐた中原《なかはら》は、時計《とけい》を見《み》て、 「もう十二｜時《じ》ぢやないか、明日《あす》にしやう」と落付《おちつ》いた聲《こゑ》で云《い》ふ。 「いや、明日《あす》は芝《しば》へ行《い》つて、あの話《はなし》を定《き》めて來《こ》なくちやならん」 「なに、芝《しば》の方《はう》は急《いそ》がなくてもいゝさ」 「だつて早《はや》く定《き》めなければ氣《き》になつてならん、相手《あひて》が愚圖《ぐづ》だから」 「急勝《せつか》ちだね」と、中原《なかはら》はゲーム盤《ばん》を見《み》て、 「栗山《くりやま》さん、今日《けふ》は全勝《ぜんしよう》ですね」 「へゝゝゝ」と、栗山《くりやま》はキユーを扱《しご》いてゐたが、コツツと音《おと》がして、手玉《てだま》は外《そ》れたので、「こりやどうした」と、禿頭《はげあたま》をつるり［＃「つるり」に傍点］と撫《な》でゝ、厭《いや》な笑《わら》ひをして、ストーブの側《そば》へ來《き》た。 「さあ一キユーで取《と》り切《き》るか」と、角帽《かくぼう》は勢《いきほひ》よく立上《たちあが》り、チヨークをギシ〳〵付《つ》けながら玉臺《たまだい》を見《み》て、チエツと舌打《したうち》して「厭《いや》な玉《たま》だね」と首《くび》を二三｜度《ど》捻《ひね》り、「かう行《い》つてかう來《く》るか」と臺《だい》の上《うへ》に乗《の》り上《あが》つて、邪慳《じやけん》にキユーを出《だ》した。兵子帶《へこおび》がだらり［＃「だらり」に傍点］と垂《た》れる。 「二つ」と、氣拔《きぬ》けのした聲《こゑ》でボーイが呼《よ》ぶ。 「おい五だぜ、確《しつ》かり見《み》とれ、ゲーム取《と》りならゲーム取《と》りらしくするんだぜ」と橫目《よこめ》でぢろりとボーイを見《み》た。 「五つ」とボーイは數《かぞ》へ直《なほ》して、目《め》をぱつちり開《あ》けたが、次第《しだい》に上目葢《うはまぶた》が垂《た》れて來《く》る。生欠伸《なまあくび》が喉《のど》を突《つ》いて來《く》るのを漸《やうや》く嚙《か》み殺《ころ》したが、淚《なみだ》が目《め》に浮《うか》ぶ。

角帽《かくぼう》は眉《まゆ》を顰《しか》め、口《くち》を捻《ひね》り、首《くび》を動《うご》かし、襟《えり》を寛《ゆる》くボタンの取《と》れたシヤツの廣《ひろ》く出《で》てるのも關《かま》はず、熱心《ねつしん》に突《つ》いてゐる。栗山《くりやま》は葉卷《はまき》の先《さき》を爪《つめ》でつゝきながら、「玉《たま》は今《いま》時分《じぶん》からよく突《つ》ける、不思議《ふしぎ》なものだ、世間《せけん》がしん［＃「しん」に傍点］として來《く》るとキユーも冴《さ》えて來《く》る」と、ストーブに顏《かほ》がほてつ［＃「ほてつ」に傍点］てゐる。 「ぢや、今夜《こんや》は徹夜《てつや》して突《つ》きますか」と、角帽《かくぼう》はクシヨンの方向《はうかう》を目《め》で計《はか》つてゐる。ボーイは氣遣《きづか》はしさうに栗山《くりやま》の顏《かほ》を見《み》てゐたが栗山《くりやま》は「へゝゝゝ、徹夜《てつや》も面白《おもしろ》いな、明日《あす》は日曜《にちえう》だし」と、惡《わる》くすると徹夜案《てつやあん》が成立《せいりつ》しさうなので、幽《かす》かに溜息《ためいき》をついた。で、坐《すわ》り直《なほ》して、足《あし》の痺《しび》れを撫《さす》り、ぺこ〳〵の腹《はら》に力《ちから》を入《い》れ、「二つ」「三つ」と付元氣《つけげんき》で叫《さけ》んだが、頭《あたま》は次第《しだい》に下《さが》つてぽうつとする、と、身體《からだ》が地《ち》べたからする〳〵［＃「する〳〵」に傍点］と引上《ひきあ》げられるやうな氣《き》になり、そのまゝ遠《とほ》い所《ところ》へ持《も》つて行《ゆ》かれさうになつたが、ガチヤツと音《おと》がしたので目《め》を細《ほそ》く開《あ》けて、「三つ」と夢心地《ゆめごゝち》で叫《さけ》んだ。十二｜時《じ》が打《う》つた。

栗山《くりやま》は火《ひ》の熱《ねつ》で汗《あせ》ばんだ手《て》に白粉《こな》を振《ふ》りかけ、立變《たちかは》つてキユーを執《と》り、「早《はや》い者《もの》だ、もう十二｜時《じ》だ、家《うち》に居《ゐ》りや、とても今《いま》時分《じぶん》まで起《お》きてらりやしない」 「中原《なかはら》、昨夜《ゆうべ》の今《いま》時分《じぶん》はどうだい」と、角帽《かくぼう》は意味《いみ》ありげににやり〳〵と笑《わら》つてゐる。 「フヽン」と、中原《なかはら》はコークスを指先《ゆびさき》で抓《つま》んで、ストーブへ投《な》げ込《こ》み、「お蔭《かげ》で今日《けふ》は二｜時《じ》頃《ごろ》まで寢《ね》てしまつた」 「起《お》きては玉《たま》を突《つ》き、飮《の》んぢや寢《ね》てりや、それで春《はる》は來《く》るんだが、どうもかう玉突屋《たまつきや》にばかり日參《につさん》してゝも困《こま》るよ」 「いゝぢやないか、學問《がくもん》で喰《く》へなきやキユーボーイになるさ、その方《はう》が洒落《しやれ》てるぜ、フツ〳〵〳〵」 「それも呑氣《のんき》でいゝね、しかし何時《いつ》までもこんなことをして遊《あそ》んでもゐられまいよ」 「良心《りやうしん》が咎《とが》めるか、君《きみ》やそんな事《こと》をちよい〳〵考《かんが》へ出《だ》すから酒《さけ》も玉《たま》も上逹《じやうたつ》しないんだよ、」 「さうだね、少《すくな》くとも君《きみ》を對《たい》で負《ま》かす程《ほど》にならなくちや癪《しやく》に觸《さは》らあ」と、ワツフルの殘《のこり》をむしや〳〵平《たひ》らげた。 「勝負有《ゲーム》」とボーイは三｜人《にん》の顏《かほ》を順々《じゆん〴〵》に見《み》たが、北風《きたかぜ》が玻璃窓《ガラスまど》に吹《ふき》つけるので、音《おと》を聞《き》いたゞけで首《くび》をすくめて兩手《りやうて》を前垂《まへだれ》の下《した》へ入《い》れて脊《せな》を丸《まる》くした。 「さあ、も一｜度《ど》」と、角帽《かくぼう》は目《め》を光《ひか》らせて、玉《たま》を並《なら》べる。 ボーイは恨《うら》めしげな顏《かほ》付《つき》をして、「栗山《くりやま》さん、も一ゲーム如何《いかゞ》です」と哀《あは》れな聲《こゑ》で云《い》つた。 「もう遲《おそ》いから止《よ》さうか」と、栗山《くりやま》は迷《まよ》つてゐる。 「一｜時《じ》前《まへ》か」と、ボーイは獨語《ひとりごと》のやうに云《い》つたが、角帽《かくぼう》は帶《おび》を締《し》め直《なほ》して威勢《いせい》よく、「なあに、まだ十二｜時《じ》を十五｜分《ふん》過《す》ぎたばかりさ、十｜分《ぷん》もあればゲームになりますよ」と促《うなが》すので、栗山《くりやま》は時計《とけ》を見《み》て、「今《いま》二十｜分《ぷん》だね、ぢや、やるかな」とキユーを執《と》つて、「どうです、十｜位《ぐらゐ》下《さ》げますかね」 「なあに大丈夫《だいじやうぶ》、今度《こんど》負《ま》けたら玉《たま》はお止《や》めだ」 「いや君《きみ》の止《や》める〳〵も當《あて》にやならんよ」と、中原《なかはら》は腰《こし》を掛《か》けたまゝ足《あし》拍子《びやうし》を取《と》つてゐる。 ボーイはゲーム盤《ばん》を直《なほ》して、「二つ」「三つ」「五つ」と數《かぞ》へ出《だ》したが、少《すこ》し當《あた》りが途切《とぎ》れると、前《まへ》に屈《かゞ》みさうになる。眠《ねむ》りをまぎらしたくも、軍歌《ぐんか》も歌《うた》へず、足《あし》も動《うご》かせず、手《て》も動《うご》かぬ。で、詮方《せんかた》なしに齒《は》を喰《く》ひしばり目《め》を見詰《みつ》め心《こゝろ》を凝《こ》らしてゐると、かつとした目眩《まぶし》い光《ひかり》が前《まへ》に廣《ひろ》がつて、靑《あを》い臺《だい》と白《しろ》い玉《たま》と紅《あか》い玉《たま》とが、浪《なみ》の上《うへ》にでも漂《たゞよ》ふてゐるかの如《ごと》く見《み》える。しかし無意識《むいしき》に「二つ」「三つ」と叫《さけ》んでゐたが、やがて口《くち》も目《め》も緩《ゆる》んで、心《こゝろ》がとろ〳〵になり、自分《じぶん》の故鄉《こきやう》で弟《をとゝ》を連《つ》れて繍眼兒《めじろ》捕《と》りに行《い》つてる氣《き》になつた。枝《えだ》の上《うへ》に綠《みどり》の羽《はね》を重《かさ》ね合《あ》つて、一｜所《ところ》にピー〳〵鳴《な》いてゐる。で、黐竿《もちざほ》を持《も》つて近寄《ちかよ》らうとしたが、身體《からだ》が縛《しば》られてるやうで近《ちか》づけぬ。矢鱈《やたら》に藻搔《もが》いてると、ズドンと音《おと》がして、鳥《とり》は飛《と》んでしまつた。 「おい吉公《きちこう》」と角帽《かくぼう》は怒鳴《どな》つて、「居睡《ゐねむ》りなんかしないでゲームを取《と》れ、今《いま》までよく數《かぞ》へなかつたんだらう、聲《こゑ》がしなかつた」 「いえ、數《かぞ》へてゐたんです」と、出鱈目《でたらめ》に數《かず》を取《と》つて、「十八ゲーム」 「ふゝん、いよ〳〵取切《とりきる》か」と、角帽《かくぼう》は微笑々々《にこ〳〵》して臺《だい》を廻《まは》つてゐる。 「さあ、それが濟《す》んだら、おれが最後《さいご》の一｜擊《げき》を與《あた》へて歸《かへ》ることにしよう、もうそろそろ眠《ねむ》くなつた」と、中原《なかはら》は欠伸《あくび》をした。

夜番《よばん》の拍子木《へうしぎ》が地《ち》の底《そこ》からのやうに幽《かす》かに聞《きこ》える。 ボーイは百｜年《ねん》も千｜年《ねん》も「二つ」「三つ」と繰返《くりかへ》し〳〵叫《さけ》ばねば、打倒《ぶつたふ》れて熟眠《じゆくすゐ》は出來《でき》ぬ運《うん》を脊負《せおつ》てるやうに感《かん》じて、淚聲《なみだごゑ》で「當《あた》りゲーム」

六號記事

私《わたし》は例《れい》の如《ごと》く膳《ぜん》の側《そば》に新聞《しんぶん》を引寄《ひきよ》せ、朝餐《あさめし》を食《た》べながら目《め》を通《とほ》してゐたが、ふと三｜面《めん》の隅《すみ》に津坂《つさか》金《きん》一（木版業《もくはんげふ》）が二｜階《かい》から落《お》ちて即死《そくし》したとある塵屑《ごみくず》扱《あつか》ひの六｜號《がう》記事《きじ》の一つを讀《よ》んで、久《ひさ》しく忘《わす》れてゐたこの男《をとこ》の事《こと》を思《おも》ひ出《だ》し、急《きふ》に氣分《きぶん》が欝《ふさ》いで、肝心《かんじん》な食事《しよくじ》を不味《まづ》くしてしまつた。私《わたし》のやうな淚《なみだ》脆《もろ》い人間《にんげん》は、知人《ちじん》の死去《しきよ》や病氣《びやうき》の報《ほう》を聞《き》いた丈《だけ》で、直《す》ぐに世《よ》の中《なか》を心細《こゝろぼそ》く手賴《たよ》りなく感《かん》ずるのだが、左程《さほど》深《ふか》い交際《つきあひ》をしたのでもなく、只《たゞ》偶然《ぐうぜん》知《し》り合《あ》ひになり、二三カ｜月《げつ》の間《あひだ》時々《とき〴〵》往來《わうらい》して、再《ふたゝ》び緣《えん》のない道路《だうろ》の人《ひと》となつた津坂《つさか》の死《し》は、却《かへつ》て懇意《こんい》な友人《いうじん》の死《し》よりも身《み》に染《し》みて、人《ひと》はかくて逝《ゆ》くかとの感《かん》に打《う》たれる。彼《か》れのデツプリ肥《ふと》つた赭顏《あからがほ》も、多少《たせう》上方《かみがた》訛《なまり》の殘《のこ》れるゆつたり［＃「ゆつたり」に傍点］した語調《ごてう》も、私《わたし》の目《め》の奧《おく》耳《みゝ》の中《なか》に深《ふか》く止《とゞ》まつてゐて、今《いま》もはつきりと思《おも》ひ浮《うか》べられるが、それは最早《もはや》死人《しにん》の影《かげ》に過《す》ぎぬのだ。

私《わたし》が初《はじ》めて津坂《つさか》に會《あ》つたのは、去年《きよねん》の春《はる》の初《はじ》め。まだ尾張町《おはりちやう》の淸元《きよもと》の師匠《しゝやう》の二｜階《かい》を借《か》りて、先《さ》きの見《み》えぬ暮《くら》しをしてゐた時《とき》である。師匠《しゝやう》は藝者《げいしや》上《あが》りの意氣《いき》な女《をんな》。もう四十｜過《す》ぎで顏《かほ》に小皺《こじわ》も見《み》えてゐるが、口先《くちさき》が甘《うま》くて、情人《いろ》の取持《とりもち》ぐらゐ何時《いつ》でもして吳《く》れさうなので、近所《きんじよ》の狼連《おほかみれん》が頻《しき》りに出入《でいり》してゐた。津坂《つさか》もその一人《ひとり》で、目《め》を細《ほそ》くして、柄《がら》にない聲《こゑ》を絞《しぼ》り出《だ》し、「よい初夢《はつゆめ》を三つ蒲團《ぶとん》」だの「辨天《べんてん》さんと添伏《そへぶ》しの」だのと唸《うな》つてるのを、私《わたし》は屡々《しば〳〵》洩聞《もれぎ》きをしてゐた。で、この男《をとこ》が木版屋《もくはんや》の親方《おやかた》で下職《したしよく》を二三｜人《にん》使《つか》つて氣樂《きらく》に暮《くら》してゐること、酒《さけ》の好《す》きなこと、釣魚《つり》の好《す》きなことなど、師匠《しゝやう》から噂《うはさ》に聞《き》いてゐたが、私《わたし》の目《め》には外《ほか》の連中《れんぢう》と異《ちが》つたことなく、挨拶《あいさつ》一つするでもなかつた。然《しか》るに彼《か》れは、或朝《あるあさ》無斷《むだん》で二｜階《かい》へ上《あが》つて來《き》て、階子段《はしごだん》の側《そば》にどつかり坐《すわ》り、もう酒氣《しゆき》を帶《お》びた顏《かほ》に微笑《びせう》を浮《うか》べ、「失禮《しつれい》ですが、一寸《ちよつと》お願《ねが》ひがごあして」といふ。 「何《なん》ですか」と、私《わたし》が振向《ふりむ》くと、 「實《じつ》はね、今《いま》師匠《しゝやう》に聞《き》くと、貴下《あなた》にお願《ねが》ひしたらと申《まを》すんで、失禮《しつれい》ですが突然《だしぬけ》に伺《うかゞ》ひました」 「で、用事《ようじ》は何《なん》です」 「誠《まこと》に御面倒《ごめんだう》で相濟《あひす》みませんが、實《じつ》は私《わたし》の悴《せがれ》が亜米利加《あめりか》へ參《まゐ》つてるのでね、一つ其奴《そい》つに手紙《てがみ》を送《おく》りたいのでごあすが、上書《うはがき》を貴下《あなた》に一｜筆《ふで》書《か》いて頂《いたゞ》きたいと思《おも》ひまして」と、重苦《おもくる》しい調子《てうし》で云《い》ふ。 「承知《しやうち》しました、今《いま》直《す》ぐ書《か》きませう」と、私《わたし》は津坂《つさか》から手紙《てがみ》を受取《うけと》り、封筒《ふうとう》にペンで桑港《サンフランシスコ》何街《なにまち》と書《か》いて、 「貴下《あなた》の子息《むすこ》さんは何《なに》をしに彼地《あつち》へ行《い》つてるのです、矢張《やはり》木版業《もくはんげふ》ですか」 「なあに、只《たゞ》何《なん》てことなしに參《まゐ》つたんですが、此頃《このごろ》は商店《しやうてん》へ入《はい》つて中々お金《かね》が取《と》れるさうです、日本《にほん》で版木《はんぎ》いぢりしてるよりや結構《けつこう》でさあ」 「さうでせうね、貴下《あなた》の商賣《しやうばい》は隨分《ずゐぶん》氣《き》の詰《つ》まる仕事《しごと》でせう」 「えゝ、辛氣《しんき》臭《くさ》い面倒《めんだう》な仕事《しごと》ですよ、だから私《わたし》共《ども》の仲間《なかま》は皆《みな》酒《さけ》を呑《の》むか、何《なん》か道樂《だうらく》をしない奴《やつ》はごあせん、全《まつた》く根《こん》が盡《つ》きますからね」 「しかし貴下《あなた》は道樂《だうらく》が多過《おほす》ぎるぢやありませんか、釣魚《つり》もお好《す》きださうだし、これも甘《うま》いし」と、私《わたし》は自分《じぶん》の喉《のど》を指《さ》した。 「へツ〳〵〳〵」と、津坂《つさか》はツル〳〵した頰《ほゝ》を撫《な》でながら「しかしこれで手間《てま》を怠《なま》けて日限《にちげん》を遲《お》くれるてことはごあせん、仕事《しごと》は仕事《しごと》、道樂《だうらく》は道樂《だうらく》ですからな」と、彼《か》れは重《おも》たい身體《からだ》を持上《もた》げ、幾度《いくど》も謝意《しやい》を述《の》べ、「是非《ぜひ》遊《あそ》びに被入《いらつし》やい、私《わたし》の家《うち》は直《す》ぐこの裏《うら》ですから、何《いづ》れその中《うち》沙魚《はぜ》でもお禮《れい》に持《も》つて參《まゐ》りませう」と、階下《した》へ下《お》りたが、門口《かどぐち》を出《で》ると何《なに》か小聲《こごゑ》で唄《うた》つてるやうであつた。 それから四五｜日後《にちご》、私《わたし》は或《ある》友人《いうじん》から甲州《かふしう》土產《みやげ》に貰《もら》つた水晶《すゐしよう》の印材《いんざい》を捜《さが》し出《だ》し、津坂《つさか》に彫《ほ》らせやうと思《おも》つて訪《たづ》ねて行《ゆ》くと、津坂《つさか》は筒袖《つゝそで》を着《き》て仕事《しごと》をしてゐる。低《ひく》い机《つくゑ》の上《うへ》に凸鏡《レンズ》を置き、細《ほそ》い小刀《こがたな》で微細《こまか》い繪《ゑ》を彫《ほ》つてゐたが、私《わたし》の顏《かほ》を見《み》ると、「やあよく入《い》らしつた」と、急《きふ》に笑顏《ゑがほ》を造《つく》つて振向《ふりむ》き、黑《くろ》い眼鏡《めがね》を外《はづ》して坐《すわ》り直《なほ》した。

家《いへ》は廣《ひろ》くはないが日當《ひあた》りがよく、主人《しゆじん》が潔癖《けつぺき》と見《み》えて諸道具《しよだうぐ》はキチンと整頓《せいとん》し、塵《ちり》一｜本《ぽん》もないやうに拭掃除《ふきそうぢ》が行屆《ゆきとゞ》いてゐる。如何《いか》にも居心地《ゐこゝち》のよい家《うち》だ。片隅《かたすみ》には弟子《でし》が二人《ふたり》、默《だま》つて一｜心《しん》に仕事《しごと》をし、次《つぎ》の室《ま》には妻君《さいくん》と女《をんな》の子《こ》の笑《わら》ひ聲《ごゑ》がしてゐる。成程《なるほど》唸《うな》る時《とき》は唸《うな》り、飮《の》む時《とき》は飮《の》んでも、仕事《しごと》には身《み》を入《い》れると云《い》つたが、この男《をとこ》腹《はら》に締《しま》りのある、しつかり者《もの》であらう。この仕事《しごと》場《ば》を見《み》たゞけでも、だらし［＃「だらし」に傍点］ない趣《おもむき》は少《すこ》しも見《み》えず、版木《はんぎ》は几帳面《きちやうめん》に積重《つみかさ》ねられ、鋸《のこぎり》も錐《きり》も取散《とりち》らされてはゐない。机《つくゑ》の側《そば》の柱《はしら》には鯉《こひ》の形《かたち》の花瓶《はないけ》を釣《つ》るし、一｜莖《くき》の水仙《すゐせん》を挿《さ》してゐる。 「今日《けふ》はお忙《いそが》しさうですね、」と、私《わたし》は彫刻《ほり》を賴《たの》んだ後《あと》で云《い》つた。 「何《なに》、さうでもごあせん、此頃《このごろ》は木版《もくはん》も流行《はやら》なくなつて、暇《ひま》で困《こま》つてる位《くらゐ》でさあ、まあ、ゆつくり［＃「ゆつくり」に傍点］話《はな》して入《い》らつしやい、貴下《あなた》にお尋《たづ》ねしたいこともあるんですよ」と津坂《つさか》は充血《じうけつ》した目《め》をこすり〳〵、稽古《けいこ》に來《く》る時《とき》とは打《う》つて變《かは》つて眞面目《まじめ》な顏《かほ》で云《い》ふ。 「ぢや、も少《すこ》し遊《あそ》んで行《い》きますから、私《わたし》に遠慮《ゑんりよ》なく仕事《しごと》をして下《くだ》さい、話《はなし》は仕事《しごと》をしてゝも出來《でき》る」 「いや、私《わたし》やね、道具《だうぐ》を持《も》つと、ちやんと彫《ほ》り上《あ》げるまで口《くち》一つ利《き》けん位《くらゐ》でしたよ、こんなやくざな［＃「やくざ」に傍点］腕《うで》でも、さあ仕事《しごと》だとなると、魂《たましひ》が凝《こ》るんですね、所《ところ》が此頃《このごろ》は變《へん》ですよ、仕事《しごと》に取《とり》かゝると、平生《ふだん》思《おも》ひもつかんことがごた〴〵と考《かんが》へられます、もう二十｜年《ねん》もこの仕事《しごと》をやつてゝ、こんな事《こと》は一｜度《ど》もなかつたのですがね、どうも不思議《ふしぎ》だ」と考《かんが》へ込《こ》む。 「腦《なう》が惡《わる》いんぢやないですか、あまり酒《さけ》を飮《の》み過《す》ぎて」 「なあに、私《わたし》の身體《からだ》は酒《さけ》位《ぐらゐ》で弱《よは》るやうなのぢやない」 と云《い》つて、例《れい》の重苦《おもくる》しい聲《こゑ》で笑《わら》ふ。それから前夜《ぜんや》の勸工場《くわんこうば》の火事《くわじ》の面白《おもしろ》かつたことを手眞似《てまね》付《つ》きで話《はな》し、又《また》市區《しく》改正《かいせい》で通《とほ》りの鞄屋《かばんや》も立退《たちの》かねばならんので、この近所《きんじよ》の家屋敷《いへやしき》を買《か》つて新築《しんちく》するさうだから、自分《じぶん》の家《いへ》も高《たか》く賣付《うりつ》けてやるなどゝ氣燄《きえん》を吐《は》いた。その態度《たいど》、話振《はなしぶ》りが少《すこ》しも隔意《へだて》なく、初《はじ》めて訪問《はうもん》した私《わたし》に對《たい》しても、さながら長《なが》い間《あひだ》の知己《ちき》のやうであるので、私《わたし》は悅《うれ》しくなり、思《おも》はず長座《ちやうざ》をした。そして彼《か》れの身《み》の上《うへ》を聞《き》くと、大阪《おほさか》生《うま》れで、少《ちさ》い時《とき》から酒屋《さかや》に奉公《ほうこう》してゐたが、身體《からだ》が肥《ふと》つてる爲《せい》か、飛廻《とびまは》るのが厭《いや》で、遂《つひ》にこの商賣《しやうばい》を習《なら》ふことゝなつたさうだ。 「さやう、初《はじ》めて三｜文判《もんばん》を彫《ほ》り出《だ》したのが、二十《はたち》の歲《とし》ですから、丁度《てうど》二十五｜年《ねん》これで御飯《ごはん》を頂《いたゞ》いてます、しかし木版《もくはん》なんか、もう駄目《だめ》ですな、何《なに》かうん［＃「うん」に傍点］と儲《もう》かる確《たし》かな商賣《しやうばい》はごあせんか、先日《こなひだ》も、或方《あるかた》が、これから寫眞版《しやしんばん》なんかゞ進步《しんぽ》すると、木版《もくはん》のやうな不完全《ふくわんぜん》な者《もの》は無《なく》なつてしまふと仰有《おつしや》るので、心細《こゝろぼそ》くなりましたよ、現《げん》に私《わつし》のお受合《うけあひ》してる新聞《しんぶん》や雜誌《ざつし》の仕事《しごと》が、大分《だいぶん》寫眞版《しやしんばん》に踏《ふん》だくられてしまふんですからね、本當《ほんたう》に心細《こゝろぼそ》うごあすよ、私《わつし》が家内《かない》を貰《もら》つて一｜本立《ぽんだち》になつた時《とき》、親方《おやかた》が貴樣《きさま》はそれ丈《だけ》腕《うで》が利《き》けば、大丈夫《だいじやうぶ》一｜生《しやう》飯櫃《めしびつ》に放《はな》れつこはないつて受合《うけあ》つて吳《く》れたんですが、どうもね、世《よ》が變《かは》りや仕方《しかた》がごあせんや、」と云《い》つて下職《したじよく》を顧《かへり》み、「だから彼奴等《あいつら》にも云《い》つて聞《き》かすんです、こんな手賴《たよ》りにならん稼業《かげふ》は若《わか》い間《うち》に早《はや》く見限《みかぎ》つて、何《なに》か氣《き》の利《き》いた確《たし》かな仕事《しごと》をしろつてね」と、これが淸元《きよもと》を唸《うな》つてる男《をとこ》とは思《おも》へぬ程《ほど》生眞面目《きまじめ》で、腹《はら》の底《そこ》から感《かん》じてゐるやうだ。下職《したしよく》の一人《ひとり》は大《おほ》きな眼鏡《めがね》越《ごし》でこつそり［＃「こつそり」に傍点］此方《こちら》を見《み》て、口《くち》の邊《あたり》で笑《わら》つてゐる。私《わたし》も親方《おやかた》の愚痴《ぐち》を寧《むし》ろ可笑《をか》しく感《かん》じたが、多少《たせう》慰《なぐさ》めてやる氣《き》で、「でも木版《もくはん》は日本《にほん》特有《とくいう》の美術《びじゆつ》だから、廢《すた》れる氣遣《きづか》ひはないでせう、西洋《せいやう》でも此頃《このごろ》は日本《にほん》の木版《もくはん》には感心《かんしん》してるんだから」 「さうですかな」と、尙《なほ》多少《たせう》不安心《ふあんしん》らしい。

私《わたし》は仕事《しごと》の邪魔《じやま》を恐《おそ》れて、强《し》いて引留《ひきと》められるのを辭《じ》して歸《かへ》りかけると、津坂《つさか》は跛足《びつこ》引《ひ》くやうにして、送《おく》つて來《き》て、「近々《ちか〴〵》に釣魚《つり》に行《い》つてどつさり［＃「どつさり」に傍点］釣《つ》つて來《き》ますから、その時《とき》やお宅《たく》へ押《おし》かけて一｜盃《ぱい》やりませう」と約束《やくそく》した。 その後《ご》四五｜日《にち》心待《こゝろま》ちにしてゐた甲斐《かひ》もなく、彼《か》れは更《さら》に顏《かほ》を見《み》せず、稽古《けいこ》にも來《こ》ぬらしい。無聊《ぶれう》で友懷《ともなつ》かしい私《わたし》は、遂《つひ》に待切《まちき》れずして、或《ある》晚《ばん》此方《こちら》から訪《たづ》ねて見《み》たが、生憎《あひにく》彼《か》れが無斷《むだん》で何處《どこ》かへ出《で》て行《い》つた後《あと》で、妻君《さいくん》は「お宅《たく》へお稽古《けいこ》にでも行《い》つたことゝ思《おも》つてゐました」と云《い》つて、氣遣《きづか》つてる樣子《やうす》。

私《わたし》はあんまり懇意《こんい》でもない家《うち》へ、度々《たび〴〵》遊《あそ》びに行《ゆ》くのを變《へん》だと思《おも》つて、それ切《き》り足《あし》を向《む》けず、殆《ほと》んど忘《わす》れかけた頃《ころ》、師匠《しゝやう》が私《わたし》に向《むか》つて、 「木版屋《もくはんや》の親方《おやかた》は腦病《なうびやう》とか何《なん》とかで、通《とほ》りで倒《たほ》れたんですつてね」と平氣《へいき》で云《い》ふ。私《わたし》は吃驚《びつくり》して「ぢや腦充血《なうじうけつ》ですか、酒《さけ》が過《す》ぎたんだらう、そして生命《いのち》はあつたんですね」と問《と》ふと、 「何《なん》でもね、くら〳〵つと眩暈《めまい》がして轉《ころ》んだんださうですよ、それでも家《うち》の近《ちか》くだつたから助《たす》かつたんですわ、まだ少《すこ》しは性根《しやうね》があつたのか、無我《むが》夢中《むちう》で四つ這《ば》ひをして、やつとこさで家《うち》の閾側《しきゐぎは》まで歸《かへ》れたのですつてね、隨分《ずゐぶん》可笑《をかし》かつたでせうよ、あの肥《ふと》つた男《をとこ》が眞晝中《まつぴるなか》に大通《おほどほ》りを匍《は》つて步《ある》いたと云《い》ふんですから」と、師匠《しゝやう》は笑《わら》ひ出《だ》した。 「それでも、もうよくなつたんですか」 「えゝ、根《ね》があの通《とほ》り丈夫《じやうぶ》なんですもの」 と、話《はなし》はこれだけで濟《す》んだ。で、私《わたし》は一寸《ちよつと》門口《かどぐち》まで見舞《みま》ひに行《い》つたが、遠慮《ゑんりよ》して病人《びやうにん》には遇《あ》はなかつた。 それから二十日《はつか》あまり、窓《まど》へ差込《さしこ》む春《はる》の日《ひ》もめつきり［＃「めつきり」に傍点］温《あたゝ》かくなり、一｜冬《ふゆ》着通《きとほ》しの襟垢《ゑりあか》の染《し》みついた下着《したぎ》を脫《ぬ》ぎ、身《み》の輕《かる》くのび〳〵［＃「のび〳〵」に傍点］とした時分《じぶん》、思《おも》ひがけなく津坂《つさか》が入《はい》つて來《き》た。相變《あひかは》らず肥《ふと》つてゐるし、顏《かほ》も赭《あか》いが、前《まへ》ほど勢《いきほひ》がなく、唇《くちびる》が黑《くろ》く朽《く》ちてゐる。 「病氣《びやうき》はどうです」と、私《わたし》は欄干《てすり》に干《ほ》してる座蒲團《ざぶとん》を取《と》つて津坂《つさか》に敷《し》かせた。 「へゝゝゝ、どうも弱《よわ》つちまひました」と、彼《か》れは口《くち》を利《き》くのが、如何《いか》にも怠《だ》るさうだ。 「一｜體《たい》何處《どこ》が惡《わる》いんです」 「何處《どこ》と云《い》つて餘程《よほど》變《へん》ですよ、醫者《いしや》は鼻《はな》が病氣《やまひ》の元《もと》だらうつて、切開《せつかい》して吳《く》れたんですが、矢張《やはり》りよくなりません、何《なん》でもかう頭《あたま》の端《はし》の方《はう》が風《かぜ》に吹《ふ》き飛《と》ばされさうになるんでね、一｜日《にち》氣《き》になります」と左《ひだり》の手《て》で頭《あたま》を撫《な》でまはす。 「なあに養生《やうじやう》してりや癒《なほ》るさ、酒《さけ》を止《や》めて釣魚《つり》をしたり唄《うた》を歌《うた》つて遊《あそ》んでたらいゝでせう」 「醫者《いしや》は寢酒《ねざけ》の少《すこ》し位《ぐらゐ》はいゝつて云《いふ》んですが、何《なん》だか恐《おそ》ろしくて、盃《さかづき》を見《み》ると身震《みぶる》ひがして一｜滴《しづく》も飮《の》む氣《き》になりません、どうも妙《めう》な者《もの》です、飮《の》み過《す》ぎや食《く》ひ過《す》ぎで身體《からだ》に障《さは》るなんて、ついぞ思《おも》つたことはなかつたんですがね、二十日《はつか》も酒《さけ》を絕《た》つたのは今度《こんど》が初《はじ》めですよ、それで氣晴《きば》らしに釣魚《つり》にでも行《い》けと勸《すゝ》められるんで、二三｜日《にち》前《まへ》に小僧《こぞう》と一緖《いつしよ》に行《い》きましたが、廣《ひろ》い海《うみ》に蒼《あを》い波《なみ》が動《うご》いてるのを見《み》ると、自分《じぶん》もその中《なか》へ吸《す》ひ込《こ》まれさうで恐《こは》くてなりません」 「ひどく臆病《おくびやう》になつたんですね」と、私《わたし》は大《おほ》きな男《をとこ》の悄然《しよげ》た樣子《やうす》を憫然《みじめ》に感《かん》じた。 「皆《み》んながさう申《まを》して笑ひます、何處《どこ》か身體《からだ》の楔《くさび》が弛《ゆる》んだんですかね、それで夜《よる》も碌々《ろく〳〵》寢《ね》つかれませんから、色《いろ》んなことを考《かんが》へますが、つまり今《いま》の稼業《かげふ》が惡《わる》いんでさあ、坐《すわ》つてゝ細《こま》かしい仕事《しごと》を二十｜年《ねん》も三十｜年《ねん》も續《つゞ》けてたから、こんな病氣《びやうき》に取《とつ》つかれたんだ、つまり木版《もくはん》に取殺《とりころ》されたのです、それもどつさり子供《こども》に殘《のこ》す程《ほど》の身代《しんだい》でも出來《でき》ることか、商賣《しやうばい》は衰微《すゐび》して、この先《さき》糊口《くちすぎ》さへ六ケ｜敷《し》いんですからね、昨日《きのふ》も氣晴《きばら》しに銀座《ぎんざ》から丸《まる》の内《うち》の方《はう》へ步《ある》いて見《み》ましたが、世間《せけん》には木版《もくはん》稼業《かげふ》よりやいゝ商賣《しやうばい》が幾《いく》つもころがつてる、何故《なぜ》自分《じぶん》は酒屋《さかや》奉公《ほうかう》を止《や》めた時《とき》、呉服屋《ごふくや》の丁稚《でつち》にでもならなかつたのだらう、何故《なぜ》銀行《ぎんかう》の給仕《きふじ》にでもならなかつたのだらう、さうすれば何時《いつ》までも五｜體《たい》が丈夫《じやうぶ》で、仕事《しごと》も衰微《すゐび》すりやしないのに、よくも〳〵人間《にんげん》の撰《え》り屑《くづ》の木版屋《もくはんや》なんかになつたことかと、つく〴〵厭《いや》になりました」 「そんなに欝《ふさ》がなくてもいゝでせう、酒《さけ》が飮《の》めなけりや、唄《うた》でも唸《うな》つて陽氣《やうき》にやるさ、腦病《なうびやう》位《ぐらゐ》直《なほ》つてしまふ」 「唸《うな》つても五｜體《たい》に惡《わる》かあないでせうか」 「惡《わる》いものか、却《かへ》つて藥《くすり》になりますよ」 「さうですかね、どうも惡《わる》いやうな氣《き》がしてならん」 「そんな事《こと》はないさ、第《だい》一｜好《す》きな者《もの》を何《なに》もかも封《ふう》じてしまつちや生甲斐《いきがひ》がないでせう」 「さうも思《おも》ふんですが、どうも恐《こは》うごあしてね、口《くち》に唾《つばき》が出《で》ても盃《さかづき》を執《と》る氣《き》になれません」と、津坂《つさか》はだるく［＃「だるく」に傍点］目葢《まぶた》を垂《た》れ手《て》を拱《こまね》いてゐたが、暫《しばら》くして頭《あたま》を持上《もた》げ、 「御面倒《ごめんだう》ですが、一つ亜米利加《あめりか》の忰《せがれ》にやる手紙《てがみ》を書《か》いて頂《いたゞ》けますまいか、私《わたし》が書《か》くといゝんですが、手《て》が震《ふる》へて書《か》けませんから」 「よろしい、今《いま》でも書《か》いて上《あ》げますが、何《なん》と云《い》つてやるんです、病氣《びやうき》のことですか」 「え、病氣《びやうき》も知《し》らせてやりたいんですが、忰《あれ》が何《なに》か仕事《しごと》を定《き》める時《とき》にや、先《さ》きの確《たし》かな何時《いつ》までも繁盛《はんじやう》するやうな仕事《しごと》を撰《えら》べと、御面倒《ごめんだう》ですが一｜筆《ふで》書添《かきそへ》て下《くだ》さいまし」 「それで貴下《あなた》が御病氣《ごびやうき》でも心配《しんぱい》するにや及《およ》ばん、歸《かへ》るにも及《およ》ばんと書《か》いてやるんですね」 「左樣《さやう》、どうせ彼《か》れが私《わたし》の後繼者《あとゝり》だから、私《わたし》が死《し》ねば歸《かへ》らなくちやなりませんが」と云《い》つて、急《きふ》に厭氣《いやき》が差《さ》したか、眉《まゆ》を顰《ひそ》めて首《かぶり》を振《ふ》り、「なにまだ大丈夫《だいじやうぶ》ですよ、だから心配《しんぱい》するな、しつかり稼《かせ》げとお書《か》き下《くだ》さい」 で、私《わたし》は洋紙《やうし》へペンで書《か》きかけると、津坂《つさか》は少《すこ》し伸上《のびあが》つて、目《め》をペン先《さき》に配《くば》り、取留《とりと》めなく用向《ようむ》きを述《の》べ立《た》てる。 やがて認《したゝ》め終《をは》り、吸取紙《すゐとりがみ》で墨汁《いんき》の潤《うる》みを乾《かは》かせて、私《わたし》は念《ねん》のために讀《よ》んで聞《き》かせた。 「拜啓《はいけい》、當地《たうち》は春暖《しゆんだん》の好《こう》時節《じせつ》、櫻《さくら》も咲《さ》きかけ申《まを》し候《そろ》、母《はゝ》も無事《ぶじ》妹《いもと》も無事《ぶじ》御安心《ごあんしん》相成《あひな》るべく、父《ちゝ》は先月《せんげつ》來《らい》腦病《なうびやう》にて仕事《しごと》も休《やす》み居《を》り候《そろ》が、ほんの輕症《けいしやう》なれば、別《べつ》に御配慮《ごはいりよ》にも及《およ》び申《まを》さず候《そろ》、扨《さ》て先日《せんじつ》御申越《おんまをしこし》の事件《じけん》……」云々《うんぬん》と、宛名《あてな》まで讀《よ》み終《をは》り、 「これでいゝんですか」と聞《き》いた。 「えゝ結構《けつこう》です、どうも有難《ありがた》う御座《ござ》います」 と、津坂《つさか》は頭《かしら》を二三｜度《ど》下《さ》げたが、私《わつし》が手紙《てがみ》を封筒《ふうとう》に入《い》れかけるのを見《み》て、さも言憎《いひにく》さうに、「甚《はなは》だ御面倒《ごめんだう》で申兼《まをしか》ねますが、私《わつし》の病氣《びやうき》のことを、もつと、何《なん》とか色艶《いろつや》をつけて書《か》いて頂《いたゞ》けますまいか」と云《い》ふ。

私《わたし》は不思議《ふしぎ》に思《おも》つて、「ぢやどう書《か》くんです、病氣《びやうき》が重《おも》いと云《い》つてやるんですか」 「いえ、重《おも》いでもありませんが、忰《せがれ》がこの手紙《てがみ》を讀《よ》めば、親爺《おやぢ》は氣《き》の毒《どく》だ可愛《かあい》さうだと、淚《なみだ》の一｜雫《しづく》位《くらゐ》は落《おと》すやうに書《か》いて頂《いたゞ》きたいと思《おも》ひましてね、」 「だつて、それぢや御子息《ごしそく》が心配《しんぱい》なさるでせう」 「それもさうですね、」と少《すこ》し考《かんが》へて、「しかし、私《わつし》の手賴《たよ》りにするのは彼《か》ればかりで、此頃《このごろ》は每晚《まいばん》のやうに彼《か》れを夢《ゆめ》に見《み》ます、だから私《わつし》が酒《さけ》も飮《の》まずに每日《まいにち》何《なに》か案《あん》じて暮《くら》してる樣子《やうす》を、よく腑《ふ》に落《お》ちるやうに知《し》らせてやつて彼《か》れが私《わつし》の事《こと》を夢《ゆめ》にでも見《み》るやうにさせたいんです、さうでもしないと、世《よ》の中《なか》が心細《こゝろぼそ》くつてなりません」 「隨分《ずゐぶん》六《むづ》ケ《か》敷《しい》御註文《ごちうもん》だが、力《ちから》一｜杯《ぱい》工夫《くふう》して見《み》ませう」 と、私《わたし》は三十｜分間《ぷんかん》も考《かんが》へ、三四｜度《ど》も書直《かきなほ》して、哀《あは》れつぽい文句《もんく》を二つ三つ書《か》き加《くは》へ、認《したゝ》め終《をは》つて讀《よ》んで聞《きか》すと、津坂《つさか》は膝《ひざ》に手《て》を置《お》いて耳《みゝ》を傾《かたむ》け、感《かん》に打《う》たれてか、どんより［＃「どんより」に傍点］した目《め》に淚《なみだ》をさへ浮《うか》べた。 「結構《けつこう》です〳〵」と、彼《か》れは胸《むね》の蟠《わだかまり》が融《と》けた如《ごと》く感《かん》じたらしく、手紙《てがみ》を持《も》つて勇《いさ》ましく二｜階《かい》を下《お》りた。 それから五六｜日《にち》後《のち》、津坂《つさか》は私《わたし》にかの水晶《すゐしやう》の印《いん》を送《おく》り屆《とゞ》けたが、それと共《とも》に、多年《たねん》大切《たいせつ》にした自分《じぶん》の見臺《けんだい》を、師匠《しゝやう》に進呈《しんてい》したさうである。私《わたし》は間《ま》もなく轉宅《てんたく》したから、その後《ご》一｜度《ど》も津坂《つさか》に遇《あ》はぬ。手紙《てがみ》の遣取《やりと》りもせぬ。只《たゞ》遺物《かたみ》の印《いん》は今《いま》も座右《ざいう》にあり、その面影《おもかげ》は今《いま》も私《わたし》の目《め》に殘《のこ》つてゐる。

彼《か》れの一日

