# 何處へ

## Part 5

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翌日《よくじつ》桂田《かつらだ》の家《いへ》で晚餐《ばんさん》をかねて小園遊會《せうゑんゆうくわい》が開《ひら》かれ、博士《はかせ》夫妻《ふさい》の親戚《みうち》の靑年《せいねん》男女《なんによ》、箕浦《みのうら》織田《おだ》等《とう》の家族《かぞく》、凡《すべ》て十｜數名《すうめい》が招待《せうたい》された。健次《けんじ》もその一｜人《にん》だが、生憎《あひにく》編輯《へんしふ》締切《しめきり》の當日《たうじつ》なので、原稿《げんかう》の計算《けいさん》やら雜誌《ざつし》の體裁《ていさい》やらの相談《さうだん》を持掛《もちか》けられ、漸《やうや》く夜店《よみせ》商人《しやうにん》が店《みせ》を出《だ》しかけた時分《じぶん》雜誌社《ざつししや》を出《で》て、生温《なまあたゝ》かい空《から》つ風《かぜ》に曝《さら》され、千｜駄木《だぎ》へ向《むか》つた。既《すで》に來濱《らいひん》は揃《そろ》つてるらしく、笑聲《わらひごゑ》も賑《にぎ》やかで、玄關《げんくわん》には奇麗《きれい》な女《をんな》下駄《げた》や、磨《みが》き立《た》てた靴《くつ》が幾《いく》つも並《なら》んでゐる。客間《きやくま》へ通《とほ》されると博士《はかせ》の甥《おひ》に當《あた》る久保田《くぼた》と箕浦《みのうら》とが食卓《しよくたく》を隔《へだ》てゝ博士《はかせ》と向《むか》ひ合《あ》つて、盛《さか》んに話《はなし》をしてゐた。

襖《ふすま》を開《あ》けると三｜人《にん》は一｜緖《しよ》に頭《あたま》を上《あ》げて健次《けんじ》を見《み》た。床《とこ》の間《ま》には大輪《だいりん》の白菊《しらぎく》を生《い》けてあり、鴨居《かもゐ》には嵐《あらし》の跡《あと》の海波《なみ》を寫《うつ》した新《あたら》しい油繪《あぶらゑ》を揭《かゝ》げてゐる。少尉《せうゐ》の軍服《ぐんぷく》を着《つ》けた久保田《くぼた》の顏《かほ》は赤銅色《しやくどういろ》をして、まだ文明《ぶんめい》に疲《つか》れない太古《たいこ》の活氣《くわつき》に漲《みなぎ》つてゐる。箕浦《みのうら》の靑《あを》い寶石《ほうせき》入《いり》の襟留《ピン》は、その磨《みが》き立《た》てた白《しろ》い顏《かほ》黑《くろ》い眼《まなこ》と相照《あひて》らして光《ひか》つてゐる。 「菅沼《すがぬま》さん暫《しば》らくですね、相變《あひかは》らず元氣《げんき》がいゝつてぢやありませんか」と久保田《くぼた》は快活《くわいくわつ》に笑《わら》つた。 「どう致《いた》して、一寸《ちよつと》見渡《みわた》したところ、元氣《げんき》は貴下《あなた》一｜人《にん》で專有《せんいう》してるやうだ」と、健次《けんじ》は久保田《くぼた》の側《そば》に坐《すわ》つた。卓上《たくじやう》にはクユラソーの德利《とくり》が置《お》かれてゐる。 「さあやり玉《たま》へ、貴下《あなた》が來《こ》なくちや、僕《ぼく》の相手《あひて》がない」と、久保田《くぼた》は杯《さかづき》を差《さ》し、「今日《けふ》は散々《さん〴〵》に君《きみ》の噂《うはさ》をしたんですよ、箕浦君《みのうらくん》と叔父《をぢ》とでね、頻《しき》りに貴下《あなた》の攻擊《こうげき》を始《はじ》めるから、僕《ぼく》が一人《ひとり》で辯護《べんご》しましたハツ〳〵〳〵」 「さうですか」と、健次《けんじ》は杯《さかづき》を受《う》けて、箕浦《みのうら》の顏《かほ》を見《み》た。箕浦《みのうら》は少《すこ》し頰《ほゝ》を赤《あか》め、 「僕《ぼく》は攻擊《こうげき》したんぢやないよ」と顏《かほ》を外《そら》して、「久保田《くぼた》さん、今《いま》のお話《はなし》の續《つゞ》きを聞《き》かせて下《くだ》さい、非常《ひじやう》に面白《おもしろ》い、貴下《あなた》の話振《はなしぶ》りがお上手《じやうず》だから、僕《ぼく》には演習《えんしふ》の模樣《もやう》が目《め》に浮《うか》ぶやうです」 「いや、もう止《よ》しませう、それより庭《には》へ行《い》つて、娘子軍《らうしぐん》を襲《おそ》はうぢやありませんか」と、久保田《くぼた》は立《た》ちかゝつた。 「何《なに》を話《はな》したんです、去年《きよねん》は貴下《あなた》の決闘《けつたう》奬勵談《しやうれいだん》を聞《き》かされたが、今年《ことし》はもっと痛快《つうくわい》な新問題《しんもんだい》があるんですか」と、健次《けんじ》が問《と》ふ。 「なあに、僕《ぼく》が大演習《だいえんしふ》に行《い》つたから、今《いま》もその話《はなし》をしたんです。しかし下《くだ》らないさ、演習話《えんしふばなし》なんか。新聞《しんぶん》で見《み》てると面白《おもしろ》さうだが、實際《じつさい》飯事《まゝごと》見《み》たいな者《もの》ですからな、あんな事《こと》をやつたつて、實戰《じつせん》の役《やく》に立《た》ちやしない、先《ま》づ昔《むかし》のお鷹狩《たかゞり》のやうな者《もの》さ」 久保田《くぼた》は緣側《えんがは》を下《お》りて赤鼻緖《あかはなを》の草履《ざうり》を穿《は》き、健次《けんじ》を指招《さしまね》いた。「さあ菅沼《すがぬま》さん被入《いらつ》しやい、貴下《あなた》は我黨《わがたう》の士《し》だから」 「僕《ぼく》は少《すこ》し休《やす》んでから行《ゆ》きます」と、健次《けんじ》は獨《ひと》りでキユラソーを三四｜杯《ぱい》傾《かたむ》けた。博士《はかせ》と箕浦《みのうら》とは哲學上《てつがくじやう》の問題《もんだい》を論《ろん》じ出《だ》した。庭《には》には花行燈《はなあんどん》が二つ三つ點《とぼ》され燈火《あかり》の側《そば》では蓄音器《ちくおんき》で喇叭節《らつぱぶし》か何《なに》かゞ聞《き》こえ、草花《くさばな》の間《あひだ》を黑《くろ》い影《かげ》が動《うご》いてゐる。さして廣《ひろ》い庭《には》でもないが、夜目《よめ》には奧深《おくふか》く、一｜際《きわ》すぐれた樅《もみ》の木《き》は冴《さ》えた空《そら》を摩《ま》してゐる。 「織田《おだ》は來《き》てゐないか」と、四｜方《はう》を見廻《みまは》した揚句《あげく》、箕浦《みのうら》に問《と》うた。 「あゝ仕事《しごと》が忙《いそが》しいと云《い》つて、出《で》て來《こ》ない」 「彼《か》れの妹《いもと》は？」 「來《き》てるよ、君《きみ》の妹《いもと》と一｜緒《しよ》に」 「さうか」 蓄音器《ちくおんき》が止《や》むと、久保田《くぼた》の陽氣《やうき》な太《ふと》い聲《こゑ》が庭《には》一｜杯《ぱい》に廣《ひろ》がり、やがて小兒等《せうにら》の萬歲《ばんざい》の叫《さけ》びと女共《をんなども》の笑《わら》ひ聲《ごゑ》が聞《きこ》える。 「君《きみ》、彼處《あすこ》へ行《い》かうぢやないか」と、健次《けんじ》は箕浦《みのうら》の躊躇《ちうちよ》するのを無理《むり》に手《て》を執《と》り、庭《には》に連《つ》れ出《だ》した。博士《はかせ》は食卓《しよくたく》に肱《ひぢ》をついたまゝ、二人《ふたり》の後姿《うしろすがた》を見送《みおく》つてゐる。

箕浦《みのうら》は久保田《くぼた》が四五｜人《にん》の子供《こども》を相手《あひて》に調練《てうれん》の眞似《まね》をしてるのを見《み》て、步《あゆみ》を止《とゞ》め、「あんな騷《さわ》ぎの中《なか》へ行《い》つても面白《おもしろ》くない、何處《どこ》か外《ほか》を散步《さんぽ》しやうぢやないか、君《きみ》に話《はな》したいこともある」 「さうか」と、健次《けんじ》はどうでもいゝと云《い》つた風《ふう》で、箕浦《みのうら》の後《うしろ》について植込《うゑこ》みに添《そ》うて、人氣《ひとけ》ない方《はう》へ向《むか》つた。丈《たけ》長《なが》きコスモスが風《かぜ》に搖《ゆ》られて、淡《あは》く白《しろ》い花瓣《はなびら》が肩《かた》に觸《ふ》れる。箕浦《みのうら》はその一｜輪《りん》を手折《たを》つて、鼻《はな》で嗅《か》いで弄《もてあそ》んだ。 「君《きみ》も此家《こゝ》へ來《き》出《だ》してから、もう五六｜年《ねん》になるね」と、健次《けんじ》は突如《だしぬけ》に聞《き》いた。 「うん、君《きみ》が一｜番《ばん》の古參《こさん》で、織田《おだ》と僕《ぼく》と、皆《み》んなよく來《き》たものだ」 「しかし君《きみ》や織田《おだ》はこの家《うち》に何《なに》か跡《あと》を殘《のこ》してるが、僕《ぼく》は物《もの》を壞《こは》した丈《だけ》で、何《な》んにも貢献《こうけん》してゐないね、この草花《くさばな》も大抵《たいてい》君《きみ》が種《たね》を卸《おろ》したんぢやないか、客間《きやくま》の油繪《あぶらゑ》だつて君《きみ》が周旋《しうせん》して誰《たれ》とかに書《か》かせたのだし、つまり君《きみ》の盡力《じんりよく》でこの家《うち》もこの庭《には》も大分《だいぶ》色艶《いろつや》がついたが、僕《ぼく》の見《み》た所《ところ》ぢや肝心《かんじん》の先生《せんせい》夫婦《ふうふ》は大分《だいぶ》艶氣《つやけ》がなくなつたね、君《きみ》にやさう思《おも》はれんかい」 「だつて二人《ふたり》とも以前《いぜん》と異《ちが》はんぢやないか、今夜《こんや》は妻君《さいくん》もひどくめか［＃「めか」に傍点］して若々《わか〳〵》としてる」 「しかし幾《いく》ら飾《かざ》つてゝも、心《こゝろ》の艶《つや》は失《う》せてる。僕《ぼく》にや二人《ふたり》が奇麗《きれい》なお墓《はか》の中《うち》に埋《うづ》もつてるやうに見《み》える、あれで妻君《さいくん》は獨《ひと》りで藻搔《もが》いてるが、とても拔《ぬ》け出《で》らりやしないよ、君《きみ》なんかにも色《いろ》んなことを云《い》ふだらうが、つまり我々《われ〳〵》の若《わか》い息《いき》を嗅《か》いで、腹《はら》の蟲《むし》を慰《なぐさ》めてるんだ」と、健次《けんじ》は嘲《あざ》けるやうに云《い》つた。 「馬鹿《ばか》な事《こと》を」と、箕浦《みのうら》は淋《さび》しく笑《わら》つて、「先生《せんせい》の家《うち》には何時《いつ》來《き》ても穩《おだ》やかな柔《やは》らかい空氣《くうき》が漂《たゞ》よつてるぢやないか、僕《ぼく》はこんな平穩《へいをん》な生涯《しやうがい》を送《おく》りたいと思《おも》ふ」 「千｜駄木《だぎ》の哲人《てつじん》に對《たい》して、麹町《かうじまち》の哲人《てつじん》になるんか、まあそれもいゝが、君《きみ》は此頃《このごろ》は妻君《さいくん》に可愛《かあい》がられてゐないね、去年《きよねん》は箕浦《みのうら》さんでなくちや夜《よ》も日《ひ》も明《あ》けなかつたけれど、もう厭《あ》いてゐるらしい、寵愛《てうあい》が僕《ぼく》に移《うつ》つてる」 「だが、妻君《さいくん》は我々《われ〳〵》の仲間《なかま》にや、誰《た》れに對《たい》しても親切《しんせつ》だよ、先日《こないだ》も織田《おだ》のことを心配《しんぱい》してたから、僕《ぼく》がよく話《はなし》をして置《お》いた」 「そりや妻君《さいくん》も暇《ひま》だから、人《ひと》の世話《せわ》を燒《や》いてるが寵愛《てうあい》は別《べつ》だね、目付《めつ》きが違《ちが》ふ、言葉《ことば》の味《あぢ》が違《ちが》ふ、一人《ひとり》で焦慮《ぢれ》て一人《ひとり》でペスミスチツクになつてるから面白《おもしろ》い、しかし君《きみ》にや分《わか》るまい、一｜年間《ねんかん》寵兒《てうぢ》であつた癖《くせ》に」 「そりや君《きみ》が主觀的《しゆくわんてき》に見《み》るからさう見《み》えるんだ、妻君《さいくん》は誰《た》れに對《たい》しても平等《びやうどう》で、何時《いつ》も同《おな》じ調子《てうし》ぢやないか」 「君《きみ》にやさう見《み》えるんだね、ぢやそれでもいゝ」と、健次《けんじ》は無愛相《ぶあいさう》に云《い》つて口《くち》を閉《と》ぢた。蟲《むし》の音《ね》が遠《とほ》く近《ちか》く聞《き》こえる。 「菅沼《すがぬま》さん〳〵」と、久保田《くぼた》の呼《よ》ぶ聲《こゑ》がして、健次《けんじ》は振向《ふりむ》いたが、箕浦《みのうら》は首肯《うつむ》いたまゝ草花《くさばな》の周圍《まはり》を步《あゆ》みながら、 「實《じつ》は過日《こなひだ》から君《きみ》に會《あ》ひたかつたのだ、僕《ぼく》の手紙《てがみ》は見《み》て吳《く》れたらう」 「むん見《み》たよ、用《よう》は何《なん》だつたか、もう忘《わす》れてしまつたが」 「僕《ぼく》は近々《ちか〴〵》に慈善《じぜん》音樂會《おんがくくわい》を企《くはだ》てゝるんだが、君《きみ》も賛成《さんせい》して盡力《じんりよく》して吳《く》れ玉《たま》へな、先生《せんせい》も奧《おく》さんも助力《じよりよく》して吳《く》れる筈《はず》だが、君《きみ》も助《たす》けて吳《く》れ玉《たま》へ」 「音樂會《おんがくゝわい》か、僕《ぼく》にや適任《てきにん》でないが、しかし君《きみ》がやるなら助《たす》けてもいゝ」 「是非《ぜひ》賴《たの》むよ、尙《なほ》詳《くは》しいことは後《あと》で話《はな》すがね、僕《ぼく》はその會《くわい》で自分《じぶん》で新作《しんさく》を朗讀《らうどく》するつもりだ」と云《い》つて、箕浦《みのうら》は聲《こゑ》が沈《しづ》んでゐる。 「此頃《このごろ》は頻《しき》りに朗讀《らうどく》が流行《はや》る」と、健次《けんじ》は獨言《ひとりごと》のやうに云《い》つて「君《きみ》は大論文《だいろんぶん》を書《か》いてるさうだが、まだ出來《でき》ないか」 「あゝ、も少《すこ》しになつて完成《くわんせい》しない、それに此頃《このごろ》はいろんな疑問《ぎもん》が湧《わ》いて來《き》て、思想《しさう》が錯亂《さくらん》していかん」 「何故《なぜ》」 「何故《なぜ》つて、考《かんが》へりや考《かんが》へる程《ほど》、自分《じぶん》の立《た》てた理窟《りくつ》が分《わか》らなくなる、織田《おだ》のやうな單純《たんじゆん》な人間《にんげん》は幸福《しあはせ》だね」 「まあ幸《しあはせ》でも不幸《ふかう》でもいゝさ、僕《ぼく》はもう腹《はら》が減《へ》つて來《き》た、彼方《あつち》へ行《い》つて何《なに》か食《く》はうぢやないか、織田《おだ》の妹《いもと》やマダムにも會《あ》ひたくなつた」と、健次《けんじ》は植込《うゑこみ》の中《なか》を橫切《よこぎ》り、黃《きいろ》い花《はな》、白《しろ》い花《はな》を無慈悲《むじひ》に肱《ひぢ》で散《ち》らした。箕浦《みのうら》は相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》て、低《ひく》い聲《こゑ》でわざと平氣《へいき》に、 「君《きみ》は結婚《けつこん》するのか」 「織田《おだ》が頻《しき》りに運動《うんどう》してる、どうなるかね」 「その方《はう》がいゝだらう、定《きま》りがついて」 「何《なに》が定《きま》りがつくもんか、それよりや君《きみ》こそ早《はや》く妻君《さいくん》でも情婦《いろ》でも拵《こしら》へ玉《たま》へな、僕《ぼく》にや女《をんな》て者《もの》あ肉《にく》の塊《かたまり》としてあるから、口先《くちさき》や目《め》つきで慰藉《ゐせき》されたり愛《あい》を濺《そゝ》がれたりする必要《ひつえう》はないが、君《きみ》はさうはいかない。圓滿《ゑんまん》平穩《へいをん》なスヰートホームて奴《やつ》を造《つく》らなくちや、君《きみ》の全身《ぜんしん》が滿足《まんぞく》されまい、僕《ぼく》は君《きみ》の作物《さくぶつ》を讀《よ》む每《ごと》に、凡《すべ》てが妻君《さいくん》を欲《ほつ》する不安《ふあん》の聲《こゑ》を發《はつ》してるやうに感《かん》ずる。織田《おだ》も君《きみ》も僕《ぼく》も學校《がくかう》時代《じだい》に色《いろ》んな夢《ゆめ》を見《み》て、世《よ》の中《なか》へ出《で》ると、皆《みな》失望《しつばう》したり、考《かんが》へも變《かは》つたが、君《きみ》は終始《しゆうし》一｜貫《くわん》してる、君《きみ》の沈鬱症《ちんうつしやう》は戀人《こひゞと》の手《て》で電氣《でんき》を掛《か》けて貰《もら》ひさへすれば直《す》ぐ癒《なほ》る。だから早《はや》くさうし玉《たま》へ、織田《おだ》のやうに食《く》ふに困《こま》るんぢやなし」 「君《きみ》は故意《こい》に不眞面目《ふまじめ》なことを云《い》ふ。惡《わる》い癖《くせ》だ」と、箕浦《みのうら》は少《すこ》し顏《かほ》を赤《あか》らめ、「婦人《ふじん》に對《たい》しても、戀愛《れんあい》に關《くわん》しても、もつと眞面目《まじめ》に深《ふか》い意味《いみ》を見《み》なくちやならんよ」 「さうかねえ」と、健次《けんじ》は冷《ひやゝ》かに云《い》つて「併《しか》し僕《ぼく》自身《じゝん》がさう信《しん》ずれば仕方《しかた》がない、人間《にんげん》は寄生蟲《きせいちう》、女《をんな》は肉《にく》の塊《かたまり》、昔《むかし》から聖人《せいじん》がさう云《い》つてる」 「まさかそんな聖人《せいじん》もあるまい、君《きみ》は己《おの》れを欺《あざむ》いて趣味《しゆみ》や情熱《じやうねつ》を蔑視《べつし》してるんだ」 と、空《そら》を仰《あふ》いで、「見玉《みたま》へ、空《そら》は冴《さ》えて、月《つき》も鮮《あざや》かに出《で》かゝつてる、蟲《むし》でも秋《あき》の氣《き》を感《かん》じて鳴《な》いてる」 「ふゝん」と健次《けんじ》は嘲《あざわら》つたが「しかしね、僕等《ぼくら》寄生蟲《きせいちう》にも血《ち》が流《なが》れてるし腦《なう》が働《はたら》くから、餘計《よけい》なことを考《かんが》へていかん、僕《ぼく》の拳《こぶし》にも力《ちから》がある」と、秋風《しうふう》に長《なが》い髮《かみ》を吹《ふ》かせ、思《おも》ひに沈《しづ》んでる箕浦《みのうら》の手《て》を握《にぎ》つて急《いそ》いで步《あゆ》んだ。

月《つき》は木《こ》の間《ま》に洩《も》れて、新《あたら》しい光《ひかり》を緣側《えんがは》に投《な》げてゐる。今迄《いままで》庭《には》で戯《たはむ》れてゐた連中《れんちう》も大方《おほかた》は客間《きやくま》に集《あつ》まり、二つの食卓《しよくたく》の上《うへ》には鮨《すし》や柿《かき》や栗《くり》が盛上《もりあ》げられてゐる。健次《けんじ》は緣側《えんがは》に立《た》つて一｜座《ざ》を見渡《みわた》した。片隅《かたすみ》に妻君《さいくん》とお鶴《つる》とお千代《ちよ》とが鼎形《かなゑがた》に坐《すわ》り、鮨《すし》を貪《むさぼ》りながら、何《なに》か話《はな》しては笑《わら》つてゐる。光《ひかり》を正面《まとも》に受《う》けて、妻君《さいくん》の白《しろ》い齒《は》と、紅《くれなゐ》と碧《みどり》の二つの指環《ゆびわ》のちら〳〵動《うご》くのが目《め》を惹《ひ》いた。 「菅沼《すがぬま》さん、此處《こゝ》へ來《き》玉《たま》へ、貴下《あなた》がゐなくちや駄目《だめ》だ」と、久保田《くぼた》が呼《よ》んだ。彼《か》れは顏《かほ》を熟柿《じゆくし》のやうにして、胡坐《あぐら》を搔《か》き、その前《まへ》には博士《はかせ》が三四｜歲《さい》の男《をとこ》の子《こ》を抱《かゝ》へて、獨《ひと》り笑壺《ゑつぼ》に入《い》つてゐる。

久保田《くぼた》の聲《こゑ》を聞《き》いて、妻君《さいくん》もお鶴《つる》も箸《はし》を置《お》いて健次《けんじ》を見上《みあ》げた。健次《けんじ》は目禮《もくれい》して 「お鶴《つる》さんにも暫《しば》らくだね」と、柿《かき》の皮《かは》を入《い》れた盆《ぼん》を跨《また》いで、三｜人《にん》の側《そば》へ割込《わりこ》む、 「箕浦《みのうら》君《きみ》來玉《きたま》へ、便《つい》でに鮨《すし》でも抓《つま》んで來《き》て吳《く》れ」と、通路《かよひぢ》を塞《ふさ》がれて、ぐず〳〵してる箕浦《みのうら》を指招《さしまね》いた。 「兄《にい》さん、久保田《くぼた》さんが呼《よ》んで被入《いらつ》しやるぢやありませんか、彼處《あすこ》へ被入《いらつ》しやらなくちや惡《わる》いでせう」と、千代《ちよ》は兄《あに》をこの平和《へいわ》な群《むれ》から追出《おひだ》さうとする。 「後《あと》で行《い》くから、お前《まへ》は酒《さけ》でも取《と》つて來《き》て吳《く》れ」 「彼處《あちら》で召上《めしあが》ればいゝに」と、千代《ちよ》は不承《ふしやう》々々《〴〵》に立《た》つて行《い》つた。 お鶴《つる》は片袖《かたそで》を抱《いだ》くやうにして袴《はかま》の上《うへ》に置《お》き、半《なかば》は口《くち》を開《あ》いて、澄《す》ました顏《かほ》で正面《しやうめん》を見《み》てゐたが健次《けんじ》が壓制的《あつせいてき》にその側《そば》へ箕浦《みのうら》を引据《ひきす》ゑると、 「兄《あに》がよろしく」と會釋《ゑしやく》した。 「お鶴《つる》さんも今日《けふ》は淑女《しゆくぢよ》然《ぜん》としてるね、それより箕浦君《みのうらくん》に酌《しやく》をして、うんと飮《の》まして下《くだ》さい、今日《けふ》はこの人《ひと》も憂愁《いうしう》の雲《くも》に鎖《とざ》されてるから」と、健次《けんじ》は妹《いもと》の手《て》から銚子《てうし》を奪《うば》つて、お鶴《つる》の前《まへ》に置《お》き、箕浦《みのうら》の手《て》に盃《さかづき》を持《も》たせ、 「さあ飮《の》み玉《たま》へ、君《きみ》のライフはこれで幸福《しあはせ》になる、君《きみ》の不安《ふあん》の念《ねん》も消《き》えてしまう」 「僕《ぼく》は飮《の》みたくない」と、箕浦《みのうら》は不快《ふくわい》な顏《かほ》をして、盃《さかづき》を下《した》へ置《お》いた。 「飮《の》みたくなくても、僕《ぼく》が勸《すゝ》めるんだから飮《の》んでもいゝだらう」 「菅沼《すがぬま》さんはほんとに壓制的《あつせいてき》ね」と、妻君《さいくん》は眉《まゆ》を顰《ひそ》めて、口元《くちもと》で笑《わら》つた。 「ぢや仕方《しかた》がない、僕《ぼく》が飮《の》まう、さあ注《つ》いで下《くだ》さい」 お鶴《つる》は伸《の》び上《あが》つて、不格好《ぶかくかう》な手付《てつき》で二三｜度《ど》酌《しやく》をした。 「兄《にい》さん、あまり召上《めしあが》つちやいけなくつてよ、今夜《こんや》ね、お父《とつ》さんが話《はな》したいことがあるから、早《はや》く連《つ》れて歸《かへ》つて吳《く》れつて、私《わたし》云《い》ひつかつたのよ」と、千代《ちよ》は兄《あに》の顏《かほ》をのぞき込《こ》んで小聲《こゞゑ》で云《い》つた。

健次《けんじ》はそれには答《こた》へず、盃《さかづき》に嚙《かじ》りついてガブ呑《のみ》を續《つゞ》けてゐた。一｜座《ざ》は皆《みな》食《く》つたり飮《の》んだりして腹《はら》を脹《ふく》らせ顏《かほ》を赤《あか》らめ、次第《しだい》に賑《にぎ》やかになる。久保田《くぼた》の蠻音《ばんおん》はますます高《たか》く、女共《をんなども》の笑聲《わらひごゑ》を壓倒《あつたう》して響《ひゞ》いてゐた。すると幹事役《かんじやく》の書生《しよせい》が閾《しきひ》の外《そと》に立《た》ち、羽織《はおり》の紐《ひも》をひねくつて餘興《よきよう》の報告《はうこく》をした。

第《だい》一、菅沼《すがぬま》令孃《れいじやう》と織田《おだ》令孃《れいじやう》の英語《えいご》朗讀《らうどく》。來客《らいきやく》は座《ざ》を改《あらた》めて拍手《はくしゆ》した。健次《けんじ》はそれと見《み》るや直《たゞ》ちに小皿《こざら》に盛《も》つた鮨《すし》を持《も》つて、書生《しよせい》部屋《べや》へ逃《に》げ込《こ》み、肱枕《ひぢまくら》で橫《よこ》になり、手掴《てつか》みで食《く》ひながら、室《しつ》を見廻《みまは》してゐた。笠《かさ》なしの小洋燈《ランプ》の光《ひかり》が細《ほそ》く照《て》らし、片隅《かたすみ》には小《ちい》さい本箱《ほんばこ》と赤毛布《あかけつと》でくるんだ夜具《やぐ》があるのみで、裝飾《そうしよく》は外《ほか》に何《な》んにもないが、只《たゞ》机《つくゑ》の側《そば》の壁《かべ》に新聞《しんぶん》附錄《ふろく》と思《おも》はれる美人《びじん》の石版摺《せきばんずり》が張《は》りつけられてある。朝夕《あさゆふ》その持主《もちぬし》の無聊《ぶれう》を慰《なぐさ》めてゐるのであらう。

健次《けんじ》は酒氣《しゆき》を發《はつ》して、うと〳〵してゐた。客間《きやくま》では拍手《はくしゆ》相《あひ》ついで、尺《しやく》八の音《ね》が消《き》えるとピアノの音《ね》が聞《きこ》える。 「兄《にい》さん被入《いらつ》しやい、もう歸《かへ》るんですよ」と、千代《ちよ》は戶《と》を開《あ》けて聲《こゑ》高《たか》く呼《よ》んだが、返事《へんじ》がないので側《そば》へ寄《よ》つて搖《ゆ》り起《おこ》した。それでも返事《へんじ》がない。 「仕樣《しやう》がないね」と呟《つぶや》いて去《さ》つた。後《あと》で健次《けんじ》は目《め》をパツチリ開《あ》けた。妹《いもと》の締切《しめき》らなかつた戶《と》がギイ〳〵と幽《かす》かな音《おと》を立《た》てゝ動《うご》いてゐる。久保田《くぼた》の詩吟《しぎん》とドダンバタンの音《おと》が流《なが》れ込《こ》む。 「オヽ騷々《さう〴〵》しい」と呟《つぶや》いて、妻君《さいくん》は手燭《てしよく》を以《もつ》て二｜階《かい》から下《お》りて、何氣《なにげ》なく書生《しよせい》部屋《べや》の戶口《とぐち》を覘《のぞ》いて「あら菅沼《すがぬま》さん、此處《こゝ》にゐるのですか、どうなすつて」 「又《また》千代《ちよ》なんかの金切聲《かなきりごゑ》を聞《き》かされちやならんと思《おも》つて逃《に》げて來《き》たんですが、寢《ね》ると立《た》つのが面倒《めんだう》臭《くさ》くつて」と、健次《けんじ》は大儀《たいぎ》さうに坐《すわ》つた。 「隨分《ずゐぶん》無性《ぶしやう》だわね」と、妻君《さいくん》は手燭《てしよく》を吹《ふ》き消《け》して廊下《らうか》へ置《お》いた。 「奧《おく》さん貴下《あなた》の演奏《えんそう》も濟《す》んだんですか」 「貴下《あなた》聞《き》かなかつたの」と、妻君《さいくん》は指先《ゆびさき》で柱《はしら》を叩《たゝ》きながら、雪《ゆき》のやうな腕《かひな》を露《あら》はしてゐる。薄光《うすひか》りに土耳古《とるこ》模樣《もやう》の帶《をび》がぼんやり［＃「ぼんやり」に傍点］浮《うか》んでゐる。帶留《をびとめ》の金具《かなぐ》が光《ひか》つてゐる。何《な》んだつてあゝ何時《いつ》までも若《わか》いんだらうと健次《けんじ》は思《おも》つた。 「さうですか、私《わたし》がうと〳〵［＃「うと〳〵」に傍点］してる間《うち》に、何《なん》だかいゝ音《ね》がしたと思《おも》つた、まだ皆《み》んなゐるんですか」 「子供《こども》連《づ》れは歸《かへ》つたけれど、貴下《あなた》の連中《れんぢう》は皆《みな》ゐますよ、さあ被入《いらつ》しやいな、これから面白《おもしろ》い話《はなし》があるんだから」 「先生《せんせい》や箕浦《みのうら》の話《はなし》も黴《かび》が生《は》へてるからな」と、健次《けんじ》はひよろ〳〵と立上《たちあが》つた。緩《ゆる》んだ帶《をび》を不確《ふたしか》な手《て》で引締《ひきし》め前《まへ》を搔合《かきあは》せて、戶口《とぐち》を出《で》た。オヽデコロンの香《にほ》ひが鼻《はな》を突《つ》いた。酒臭《さけくさ》い息《いき》は妻君《さいくん》の顏《かほ》を無遠慮《ぶゑんりよ》に撫《な》でる。薄暗《うすくら》い廊下《らうか》を無言《むげん》で緩《ゆる》く步《ある》いた。 この夏《なつ》ピアノを洩《も》れ聞《き》きして心《こゝろ》に妄想《もうさう》を描《ゑが》いた時《とき》が心《こゝろ》に浮《うか》ぶ。小說《せうせつ》の話《はなし》に何《なに》か感《かん》じて妻君《さいくん》が「人間《にんげん》は獨身《どくしん》の間《うち》ですよ」と云《い》つて、露氣《つゆけ》のある目《め》を向《む》けたことを思《おも》ひ出《だ》す。お鶴《つる》や千代《ちよ》の前《まへ》ですら、美《び》に誇《ほこ》つてる樣子《やうす》が思《おも》ひやられて傷々《いた〳〵》しくなる。と、直《す》ぐ博士《はかせ》の灰《はい》のやうな面《おもて》が目《め》につく。

彼《か》れは自分《じぶん》が妻君《さいくん》の寵兒《ていじ》である、自分《じぶん》は勝利者《しやうりしや》であると思《おも》つた。で、幼稚《えうち》な空想《くうさう》放縦《はうじう》な妄念《もうねん》が錯亂《さくらん》して湧《わ》き上《あが》つた。 しかし廊下《らうか》傳《つた》ひは僅《わづ》かに一｜分間《ぷんかん》、火花《ひばな》の如《ごと》く消《き》えては浮《うか》ぶ空想《くうさう》も僅《わづ》かに一｜分間《ぷんかん》に過《す》ぎなかつた。障子《しやうじ》を開《あ》けると、殘肴《ざんこう》を圍《かこ》んで四｜人《にん》がばら〳〵に坐《すわ》つてゐる。 「今日《けふ》は何《なん》だか蒸暑《むしあつ》いのね」と、妻君《さいくん》はぽーつと紅《あか》らんだ顏《かほ》を顰《しか》めた。 「菅沼《すがぬま》さんは何處《どこ》へ雲《くも》がくれしてたのです、皆《み》んな一つづゝ隱藝《かくしげい》を出《だ》したのだから、貴下《あなた》も一つやらなくちやならん、箕浦《みのうら》さんもバイヲリンを彈《ひ》いたのですよ」と、久保田《くぼた》は健次《けんじ》の手《て》を握《にぎ》つて「否《いや》だと云《い》へばこの手《て》を放《はな》さない」と、笑《わら》ひながら、グツと力《ちから》を入《い》れて握《にぎ》り締《し》めた。 「ぢや何時《いつ》までも握《にぎ》つて玉《たま》へ」 「さあお演《や》んなさい、謹聽《きんちやう》する」 「何《なに》をやります、貴下《あなた》の好《す》きな决闘《けつたう》ですか」 「ハヽヽヽ决闘《けつたう》も面白《おもしろ》いが、一つ都々《どゞ》一でも端唄《はうた》でも」 「唄《うた》へるの菅沼《すがぬま》さん、貴下《あなた》は何時《いつ》も無藝《むげい》ね」と、妻君《さいくん》は添口《そへぐち》した。 「何《なに》、唄《うた》位《くらゐ》唄《うた》へなくはない」と、健次《けんじ》は自己流《じこりう》に「秋《あき》の夜《よ》」を胴間聲《どうまごゑ》を張《は》り上《あ》げて唄《うた》つて、巧《うま》くとも拙《まづ》くとも何《ど》うでもよいと云《い》ふ風《ふう》だ。 「巧《うま》い感心《かんしん》々々《〳〵〳〵》」と、久保田《くぼた》は怒鳴《どな》つて兩手《りやうて》を亂打《らんだ》し「さあ祝杯《しゆくはい》を献《けん》じよう………それから、一つ僕《ぼく》の愛國《あいこく》の唄《うた》を聞《き》かせます。謹聽《きんちやう》し玉《たま》へ」と、胸《むね》を突出《つきだ》し、兩手《りやうて》を膝《ひざ》に置《お》き、目《め》を細《ほそ》くして土佐節《とさぶし》を唄《うた》つた。「死《し》ねや死《し》ね〳〵五十｜年《ねん》の命《いのち》、何《なん》の惜《をし》かろ國《くに》のため」と、强《つよ》い響《びゞ》きが締切《しめき》つた座敷《ざしき》の中《なか》に擴《ひろ》がり、響《ひゞ》きと共《とも》に、壁《かべ》に映《うつ》つた角張《かくば》つた肩《かた》が動搖《どうえう》する。

唄《うた》ひ終《をは》ると太《ふと》い息《いき》を吐《つ》いて、「どうだ緖君《しよくん》甘《うま》いでせう、こんな小《ちい》さな部屋《へや》ぢや調和《てうわ》しないが、荒海《あらうみ》の波《なみ》の音《おと》を聞《き》いて唄《うた》ふと、百｜萬《まん》の蒙古勢《もうこぜい》でも退治《たいぢ》する氣《き》になる。つまり愛國《あいこく》の精神《せいしん》を唄《うた》つたのです、なあにヴアイオリンやピヤノは駄目《だめ》だ」と怒鳴《どな》り、ぐつたり［＃「ぐつたり」に傍点］首《くび》を垂《た》れて、「我々《われ〳〵》靑年《せいねん》は太平洋《たいへいやう》の波《なみ》の音《おと》を三｜味線《みせん》にして、この唄《うた》を唄《うた》はにやならん、それに不服《ふふく》な奴《やつ》がありや、僕《ぼく》が相手《あひて》になつて决闘《けつとう》する」と云《い》つて、又《また》飛上《とびあが》るやうな聲《こゑ》で笑《わら》ひ、健次《けんじ》に凭《もた》れかゝつて、 「貴下《あなた》は我黨《わがとう》の士《し》だ、國家《こくか》のために自愛《じあい》して吳《く》れ玉《たま》へ、僕《ぼく》は戰爭《せんそう》に行《い》つて死《し》ぬるんです、國家《こくか》のために死《し》ぬるんです、今《いま》二｜年《ねん》日露《にちろ》戰爭《せんそう》が遲《おそ》かつたら、僕《ぼく》は遼東《れうとう》の野《や》に屍《かばね》を曝《さら》すのだつたが、無念《むねん》だ」と、叫《さけ》んで、健次《けんじ》の肩《かた》から辷《すべ》り落《お》ちると、そのまゝ逞《たくま》しい握拳《にぎりこぶし》を投出《なげだ》して、大《だい》の字《じ》なりに寢《ね》て、正體《しやうたい》がなくなつた。

博士《はかせ》は最初《さいしよ》からあまり［＃「あまり」に傍点］口數《くちかず》を利《き》かず、只《たゞ》座中《ざちう》の話《はなし》を聞《き》いて微笑《にこ》々々《〳〵》してゐる。酒《さけ》も二三｜杯《ばい》は付合《つきあ》ひに飮《の》んだが紅味《あかみ》は何處《どこ》にも見《み》えぬ。お鶴《つる》と千代《ちよ》とは遠慮《ゑんりよ》して人形《にんぎやう》のやうに並《なら》んでゐる。箕浦《みのうら》は夢見《ゆめみ》る如《ごと》くうつとり［＃「うつとり」に傍点］してゐる。一｜時《じ》の騷《さわ》ぎが大嵐《おほあらし》の跡《あと》のやうに靜《しづ》まり、只《たゞ》久保田《くぼた》の荒《あら》い鼻息《はないき》に名殘《なごり》を留《とゞ》めてゐる。

暫《しばら》くは互《たが》ひに打《うち》見守《みまも》つたのみで、誰《た》れも口《くち》を利《き》かぬ。疲勞《ひらう》の色《いろ》が人々《ひと〴〵》の顏《かほ》に現《あら》はれかけた。 「もう歸《かへ》らうか」と、健次《けんじ》は箕浦《みのうら》を見《み》て小《ちひさ》い聲《こゑ》で云《い》つた。 「あゝ、もう遲《おそ》くなつたね」と、箕浦《みのうら》は金鎖《きんぐさり》の小《ちひ》さい時計《とけい》を出《だ》して見《み》た。 「まだ早《はや》いぢやありませんか」と、妻君《さいくん》は慌《あわ》てゝ引留《ひきと》めて、お愛相《あいさう》に茶《ちや》を注《つ》いで廻《まは》つた。健次《けんじ》は立《た》ちかけて又《また》坐《すわ》つた。外《ほか》の連中《れんちう》も容易《ようい》に立《た》ちさうでない。で、お鶴《つる》と千代《ちよ》とが久保田《くぼた》の寢姿《ねすがた》を見《み》て、何《なに》やら耳語《さゝや》いてる間《あひだ》、健次《けんじ》は膝《ひざ》を崩《くづ》して煙草《たばこ》を吸《す》ひながら、妻君《さいくん》の顏《かほ》を見詰《みつ》めた、妻君《さいくん》は淋《さび》しく笑《わら》つた。健次《けんじ》は何《なに》か云《い》はんとしたが、口《くち》も心《こゝろ》も疲《つか》れてしまつたのか、そのまゝ口《くち》を噤《つぐ》んだ。

一｜座《ざ》はそれ〴〵に異《ことな》つたことを思《おも》つて、化石《くわせき》のやうに坐《すわ》つてゐる。健次《けんじ》は張詰《はりつ》めた氣《き》が弛《ゆる》んで誰《た》れかに縋《すが》りついて、自分《じぶん》の本音《ほんね》を吐《ふ》いて泣《な》いて見《み》たくなつた。「世界《せかい》に取殘《とりのこ》された淋《さび》しい人《ひと》が一人《ひとり》ある」と、自分《じぶん》が賴《たよ》りなく厭《いや》になると、妻君《さいくん》の顏《かほ》も同《おな》じ思《おもひ》を現《あら》はしてるやうに見《み》える。で、無意識《むいしき》に殘《のこり》の酒《さけ》を飮《の》んで目《め》を轉《てん》ずると、煙草《たばこ》の煙《けむ》に卷《ま》かれた鴨居《かもゐ》の額《がく》の海波《なみ》が朧《おぼろ》げに凄《すご》い色《いろ》を見《み》せ、床《とこ》の間《ま》には菊《きく》の花片《はなびら》が何時《いつ》の間《ま》にか散《ち》つてゐて、燈火《ともしび》の薄《うす》い光《ひかり》に漂《たゞよ》うてゐる。戶外《そと》は暫《しば》らくは寂《しん》としてゐる。 「どうした、大變《たいへん》靜《しづ》かだね」と、博士《はかせ》は沈默《ちんもく》を破《やぶ》つて、力《ちから》のない目《め》を見張《みは》つた。

人々《ひと〴〵》の異《ちが》つた思《おも》ひもぱつと消《き》えて、互《たが》ひに目《め》と目《め》で歸《かへ》りを促《うな》がし、一｜同《どう》に挨拶《あいさつ》して座敷《ざしき》を出《で》た。健次《けんじ》も後《あと》から續《つ》いて行《い》つた。妻君《さいくん》と博士《はかせ》とは玄關《げんくわん》に立《た》つて、若《わか》い男女《だんぢよ》の影《かげ》を見送《みおく》つてゐた。

戶外《そと》へ出《で》ると、健次《けんじ》は四辻《よつゝじ》に立留《たちど》まり、箕浦《みのうら》に向《むか》つて、 「君《きみ》はこれから歸《かへ》るんか、何時《なんじ》だらう」 「もう九｜時《じ》だよ、歸《かへ》らなくちや仕方《しかた》がないぢやないか」 「しかし僕《ぼく》あ物足《ものた》らん、このまゝ歸《かへ》つちや寢《ね》られりやしない」 「ぢや何處《どこ》へ行く」 「兎《と》に角《かく》君《きみ》はお鶴《つる》さんを送《おく》つて行《い》くんだから此處《こゝ》で分《わか》れよう」 「そうか」と、箕浦《みのうら》は千代《ちよ》に目禮《もくれい》し、「ぢや菅沼君《すがぬまくん》近日《きんじつ》訪問《はうもん》するよ」と云《い》つて、お鶴《つる》と並《なら》んで曲角《まがりかど》を曲《まが》つた。

健次《けんじ》は箕浦《みのうら》を忘《わす》れお鶴《つる》を忘《わす》れ久保田《くぼた》を忘《わす》れ、桂田《かつらだ》夫妻《ふさい》があの騷《さわ》ぎの後《あと》で悄然《しよんぼり》差向《さしむか》ひでゐる樣《さま》をのみくつきり［＃「くつきり」に傍点］思《おも》ひ浮《うか》べ、夢《ゆめ》のやうに薄暗《うすぐら》く彼《か》の家《うち》を遮《さへぎ》つてる立樹《たちぎ》を顧《かへり》みてゐると、 「いいお月夜《つきよ》ね」と、千代《ちよ》は空《そら》を仰《あふ》いで詠歎《えいたん》の聲《こゑ》を發《はつ》して、「兄《にい》さん何《なに》を考《かんが》へて？」 「おれは最少《もすこ》し散步《さんぽ》して歸《かへ》るから、お前《まへ》は先《さ》きに歸《かへ》れ」 「だつてお父《とつ》さんは兄《にい》さんを待《ま》つて被入《いらつ》しやるんですよ、早《はや》く歸《かへ》らにやいけないわ」 「今日《けふ》に限《かぎ》つて親爺《おやぢ》は何《なん》の用《よう》があるんだらう、病氣《びやうき》でも惡《わる》いんか」と、健次《けんじ》は今朝《けさ》も朝寢《あさね》をして父《ちゝ》の病床《びやうせう》を見舞《みま》はずして、社《しや》へ行《い》つたことを思《おも》ひ出《だ》した。この二三｜日《にち》は父《ちゝ》と染々《しみ〴〵》話《はな》したことはない。 「別《べつ》に惡《わる》くもないの、今日《けふ》はお晝《ひる》から起《おき》てる位《くらゐ》ですもの」 「さうか、ぢやおれに何《なん》の用《よう》があるか、お前《まへ》知《し》らないか」 「何《なん》ですか、よく知《し》らないわ、…………だけど、今日《けふ》お隣《とな》りの緖岡《もろをか》さんがお見舞《みま》ひに被入《いらつ》しやるとお父《とつ》さんは何《なん》だか心細《こゝろぼそ》いことを話《はな》してたやうだわ、兄《にい》さんのことも云《い》つて」 「おれのことを？」 「えゝ、……お父《とつ》さんは一｜生《しやう》苦勞《くらう》したばかりで、ちつとも取得《とりえ》のない人間《にんげん》で終《をは》るんだけど、兄《にい》さんを立派《りつぱ》に育《そだ》て上《あ》げたのが大事業《だいじげふ》だと云《い》つてね、自分《じぶん》は今《いま》死《し》んでも殘《のこ》り惜《をし》くはない、魂《たましひ》は子供《こども》の頭《あたま》に傳《つた》はつてる、健次《けんじ》は男《をとこ》らしい大《おほ》きな考《かんが》へを持《も》つてるから何時《いつ》かはえらい［＃「えらい」に傍点］學者《がくしや》とか政治家《せいぢか》とかになると云《い》つてたわ、」 「諸岡《もろをか》の隱居《ゐんきよ》にそんなことを話《はな》したのか、親爺《おやじ》の十八｜番《ばん》だ、話《はなし》の種《たね》が盡《つ》きるとおれのことを持出《もちだ》す、聞《き》く奴《やつ》も聞《き》く奴《やつ》だね」 「でも平生《ふだん》とは話振《はなしぶ》りが異《ちが》つて、何《なん》だか憐《あは》れつぽさうだから、私《わたし》可笑《をかし》かつたわ、それでね、諸岡《もろをか》さんがお突合《つきあひ》に兄《にい》さんを褒《ほ》めるとさも悅《うれ》しさうだつたわ、病氣《びやうき》になつてからは、馬《うま》の話《はなし》は立消《たちぎ》えになつて、私逹《わたしたち》にまで、どうかすると、兄《にい》さんの話《はなし》ばかりしたがるんだから變《へん》だわ」と云《い》つて、間《あひだ》を置《お》いて小聲《こゞゑ》で、「あんな風《ふう》だとお父《とつ》さんももう老耄《おひぼれ》ちやつたのね、今夜《こんや》あたり屹度《きつと》兄《にい》さんに遺言《ゆゐごん》でもするんだわ」と云《い》つて無邪氣《むじやき》に笑《わら》つた。

千代《ちよ》は止切《とぎ》れ〴〵に家庭《うち》の話《はなし》をしかけて、「兄《にい》さんどうなさるの」「兄《にい》さんが何《なん》とか今《いま》の中《うち》に極《きま》りをつけなくちや」と、此頃《このごろ》に珍《めづ》らしく大人《おとな》びた口《くち》を利《き》いたが、健次《けんじ》は只《たゞ》厭《い》やな氣《き》がして、あまり相手《あひて》にしなかつた。

（十四）

それから二三｜日《にち》して、父《ちゝ》は寢床《とこ》を離《はな》れ、綿入《わたいれ》の重《かさ》ね着《ぎ》に襟卷《ゑりまき》で身《み》を固《かた》め、トボ〳〵と出勤《しゆつきん》するやうになつたが、家《うち》の者《もの》にも目《め》につく程《ほど》窶《やつ》れて、以前《いぜん》の元氣《げんき》は急《きふ》に失《う》せたやうだ。そして每晚《まいばん》健次《けんじ》の歸《かへ》るまでは目《め》を合《あ》はさず、絕《た》えず氣《き》に掛《か》けて待《ま》つてる樣《やう》になり、たま〳〵顏《かほ》を見《み》ると、十｜年《ねん》も別《わか》れた子《こ》にでも會《あ》つたかのやうに、一｜分間《ぷんかん》でも長《なが》く側《そば》に置《お》きたがり、何《なに》とか話《はなし》をしかける。それが我子《わがこ》の氣分《きぶん》を害《そこ》ねぬやうに如何《いか》にも遠慮勝《ゑんりよがち》の態度《たいど》である。健次《けんじ》には父《ちゝ》の心根《こゝろね》がよく見《み》え透《す》き、自分《じぶん》が家《うち》にゐなければ心元《こゝろもと》ながつてゐることを知《し》つてゐるが、それが却《かへつ》て不快《ふくわい》で溜《たま》らず、大抵《たいてい》は外《はづ》してしまう。

次《つぎ》の日曜《にちえう》には朝餐《あさめし》が濟《す》むと、父《ちゝ》は健次《けんじ》の意《い》を迎《むか》へてか、彼《か》れが雜誌《ざつし》に書《か》いた「社會《しやくわい》と文學《ぶんがく》」と題《だい》する間《ま》に合《あは》せの平凡《へいぼん》な議論《ぎろん》に對《たい》し、馬鹿《ばか》褒《ほ》めをした上《うへ》、自說《じせつ》をも吐《は》きかけたので、健次《けんじ》は苦笑《くせう》した。「人《ひと》に褒《ほ》められたくて書《か》くやうな頓間《とんま》な眞似《まね》をするものか、幇間《たいこもち》ぢやあるまいし」と、自分《じぶん》が詮方《せんかた》なく爲《し》てることが、何《なん》だか他人《たにん》から褒《ほ》めて貰《もら》ひたさに勤《つと》めてると思《おも》はれるのが不愉快《ふゆくわい》だ。自分《じぶん》は名譽《めいよ》の接待《せつたい》に與《あづか》りたくはない。 で、彼《かれ》は父《ちゝ》の前《まへ》をそこ〳〵に逃《に》げ出《だ》した。足《あし》は行場所《ゆきばしよ》に迷《まよ》つて、遂《つひ》に麹町《かうじまち》に向《むか》ふ。織田《おだ》の住《す》んでる町《まち》まで來《き》て、訪《と》はうか訪《と》ふまいかと躊躇《ちうちよ》してゐると、前《まへ》の三｜階《がい》建《だて》の二｜階《かい》の窓《まど》には、色《いろ》の黑《くろ》い耳《みゝ》に輪《わ》を嵌《は》めた女《をんな》と、靑《あを》い腹掛《はらかけ》をした辮髮《べんぱつ》の男《をとこ》とが頭《あたま》を並《なら》べて、聲高《こわだか》に分《わか》らぬ言葉《ことば》で饒舌《しやべつ》てゐる。路次《ろじ》を隔《へだ》てゝ隣《となり》の洋服店《やうふくてん》から、脊《せい》の高《たか》い色《いろ》の白《しろ》い毛皮《けがは》をぐる〳〵卷《まき》つけた西洋《せいやう》婦人《ふじん》が犬《いぬ》を連《つ》れて出《で》て來《き》た。二人《ふたり》の支那人《しなじん》はそれを見《み》ては面白《おもしろ》さうに笑《わら》つた。その邊《へん》に散《ちら》ばつてた子供《こども》等《ら》は婦人《ふじん》の前《まへ》に集《あつ》まつた。婦人《ふじん》は口笛《くちぶゑ》を吹《ふ》いたり、何《なに》か早口《はやくち》に云《い》つて、犬《いぬ》を綾《あや》してゐたが、やがて店《みせ》から肥滿《ひまん》の男《をとこ》が出《で》て來《く》ると、一｜緖《しよ》に勇《いさ》ましく去《さ》つた。支那人《しなじん》も引込《ひきこ》んでしまう。健次《けんじ》は無心《むしん》に見《み》てゐたが、町《まち》が元《もと》のやうに淋《さび》しくつて、埃《ほこり》を含《ふく》んだ風《かぜ》が顏《かほ》に吹《ふ》きつけると、身震《みぶる》ひして路次《ろじ》を入《はい》つた。すると向《むか》うから織田《おだ》が大《おほ》きな身體《からだ》を縮《ちゞ》めて、例《れい》の壞手《ふところで》でノソリ〳〵やつて來《き》て、 「大層《たいそう》寒《さむ》さうな顏《かほ》をしてるね」と、微笑《にこ》々々《〳〵》顏《かほ》で云《い》ふ。 「何處《どこ》へ行《ゆ》くんだい」 「一寸《ちよつと》買物《かひもの》に、今《いま》箕浦《みのうら》が來《き》てるから御馳走《ごちさう》しようと思《おも》つて…………君《きみ》もいゝとこへ來《き》た、まあ上《あが》つてゐ玉《たま》へ、直《す》ぐ歸《かへ》つて來《く》る」 健次《けんじ》は何時《いつ》ものやうに緣側《えんがは》から上《あが》つた。座敷《ざしき》の眞中《まんなか》に箕浦《みのうら》が坐《すわ》つてゐて、瀬戶物《せともの》の火鉢《ひばち》には藁灰《わらばい》の中《なか》に、どつさり［＃「どつさり」に傍点］火《ひ》が盛《も》つてある。この前《まへ》來《き》た時《とき》よりも部屋《へや》の樣子《やうす》が明《あか》るさうだ、織田《おだ》の母《はゝ》が茶《ちや》を持《も》つて來《き》て、手短《てみぢ》かに挨拶《あいさつ》をして引込《ひきこん》だきり、妻君《さいくん》の顏《かほ》も見《み》えねば病父《びやうふ》の聲《こゑ》もしない。 「靜《しづ》かだね」と、健次《けんじ》は平生《ふだん》よりは低《ひく》い聲《こゑ》をして、「君《きみ》は此頃《このごろ》此家《こゝ》へよく來《く》るさうだね、織田《おだ》と話《はなし》が合《あ》ふかい」と、箕浦《みのうら》の向《むか》うに腰《こし》を据《す》ゑて、そのテカ〳〵光《ひか》つてる顏《かほ》を見《み》た。 「いや、滅多《めつた》に來《こ》んのだが、今日《けふ》は織田《おだ》が端書《はがき》で僕《ぼく》を呼《よ》びつけたのだ」 「さうか、織田《おだ》が君《きみ》に會《あ》ひたがるのは不思議《ふしぎ》だね、何《なん》の用事《ようじ》だらう」 「別《べつ》に用事《ようじ》ていふ程《ほど》でもない」と、箕浦《みのうら》は澄《す》ましてゐる。 「織田《おだ》も多少《たせう》得意《とくい》になつてるだらう」 「どうだか、餘程《よほど》忙《いそが》しそうだよ」 「しかし今日《けふ》は御馳走《ごちそう》するちうんだから珍《めづ》らしい、」 「そうだ」と、箕浦《みのうら》の返事《へんじ》の空々《そら〴〵》しいのが目《め》につく。

同《おな》じく交際《かうさい》の深《ふか》い友人《いうじん》であれど、健次《けんじ》は織田《おだ》に對《たい》すると、常《つね》に弱者《じやくしや》を庇《かば》うと云《い》ふやうな態度《たいど》を執《と》り、箕浦《みのうら》に對《たい》すると、何《なん》となく壓《おさ》えつけるやうな態度《たいど》を執《と》つてゐる。そして箕浦《みのうら》は彼《か》れの態度《たいど》を左程《さほど》厭《いや》がりもせず、寧《むし》ろ自《みづ》から一｜步《ぽ》讓《ゆづ》つて滿足《まんぞく》してゐる。自分《じぶん》の意見《いけん》の批評《ひゝやう》も先《ま》づ彼《か》れに求《もと》め、いろ〳〵の感想《かんさう》もその前《まへ》で吐露《とろ》する。しかし今日《けふ》は多《おほ》く語《かた》らぬ。何《なん》となく隔《へだ》てを置《お》いて、何時《いつ》ものやうに詩的《してき》の話《はなし》もせねば、人生觀《じんせいくわん》染《じ》みたことも云《い》はぬ。

健次《けんじ》も奧《おく》の病人《びやうにん》に憚《はゞか》つて、元氣《げんき》のいゝ口《くち》も利《き》かず、暫《しば》らく默《だま》つてゐた。去年《きよねん》のまゝで薄黑《うすくろ》くなつてる蚊帳《かや》の釣手《つりて》が、隙間《すきま》洩《も》る風《かぜ》に緩《ゆる》く動《うご》いてゐる。箕浦《みのうら》の呼吸《こきふ》の音《おと》もよく聞《きこ》える。で、互《たが》ひに睨《にら》み合《あ》つてると、次第《しだひ》に緣《えん》もない他人《たにん》臭《くさ》い色《いろ》が相手《あひて》の顏《かほ》に讀《よ》める。 「此奴《こいつ》どうかしてるわい」と、健次《けんじ》は冷笑《れいしやう》を洩《もら》して、皮肉《ひにく》の一つも云《い》つてやらうかと思《おも》ふてると、溝板《どぶいた》に重《おも》い足音《あしおと》がして、やがて織田《おだ》は歸《かへ》つて來《き》た。 「馬鹿《ばか》に畏《かしこ》まつてるね、どうしたい」と、大人《おとな》振《ぶ》つた音聲《こわね》で云《い》つて、目尻《めじり》を下《さ》げてジロ〴〵二人《ふたり》の顏《かほ》を見《み》た。織田《おだ》はこの前《まへ》とは打《う》つて變《か》はり、心《こゝろ》に餘裕《よゆう》が出來《でき》たのか、後《うしろ》に病人《びやうにん》のゐるのも忘《わす》れてるやうだ。平生《ふだん》なら箕浦《みのうら》が喋舌《しやべ》るのを默聽《もくちやう》するのだが、今日《けふ》は自分《じぶん》から話題《わだい》を持出《もちだ》して氣㷔《きえん》も吐《は》く。 「だが、仕事《しごと》は勤《つと》まるかい」と、健次《けんじ》は話《はなし》半《なか》ばに聞《き》くと、 「勤《つと》まるとも、それに彼店《あすこ》の主人《しゆじん》が僕《ぼく》の家《うち》の事情《じゞやう》を聞《き》いて、同情《どうじやう》して吳《く》れてるしね」と、ます〳〵得意《とくい》で、仕事《しごと》の話《はなし》まで持出《もちだ》して、「僕《ぼく》ももう四五｜年《ねん》したら、基礎《きそ》が堅《かた》くなるよ、目算《もくさん》もちやんと立《た》つてる」 「生意氣《なまいき》な口《くち》を利《き》きやがる」と、健次《けんじ》は腹《はら》で思《おも》つた。

妻君《さいくん》は大《おほ》きな腹《はら》をして、靑《あを》い顔《かほ》に髮《かみ》の毛《け》を亂《みだ》したまゝ、刺身《さしみ》に麥酒《びーる》を運《はこ》んで來《き》た。健次《けんじ》はこの寒《さむ》いのにと思《おも》つたが、一二｜杯《はい》煽《あふ》つて、低《ひく》い聲《こゑ》で、 「君《きみ》、お鶴《つる》さんはゐないか」 「あゝ朝《あさ》からゐない」 「妹《いもと》でもゐないと、君《きみ》の家《うち》は萎《しな》びてるね、」 「なあに、今《いま》に僕《ぼく》の後繼者《こうけいしや》が生《うま》れるから、大《おほひ》に光彩《くわうさい》を放《はな》つさ、……君《きみ》も早《はや》く後繼者《こうけいしや》を作《つく》り玉《たま》へ、空論《くうろん》を吐《は》かないで、」 「四五日｜會《あ》はん間《ま》に大層《たいそう》先輩《せんぱい》になつたね、箕浦《みのうら》君《きみ》も敎訓《けうくん》を聞《き》きに來《く》るんかね、この人《ひと》に」 「まあ、さうだ」と、箕浦《みのうら》は麥酒《びーる》で濡《ぬ》れた手《て》をハンケチで拭《ぬぐ》ひながら、「君《きみ》と話《はな》すこともあるんだが」と言淀《いひよど》んだ。 「何《なに》を、音樂《おんがく》會《くわい》の事《こと》か、」 「いや、それ計《ばか》りぢやない」 「ぢや話《はな》し玉《たま》へ」 「まあゆつくり［＃「ゆつくり」に傍点］でもいゝ」 「茲《こゝ》でいゝぢやないか」 「歸《かへ》り途《みち》に話《はな》さう」 「因循《ゐんじゆん》だね」と、健次《けんじ》はもう微醉《ほろゑひ》に目《め》を染《そ》めて、思《おも》はず聲《こゑ》の高《たか》くなるに氣《き》づいて一寸《ちよつと》後《うしろ》を顧《かへり》み、「僕《ぼく》はもう直《す》ぐに歸《かへ》るんだから、今《いま》話《はな》し玉《たま》へ、どうせ君《きみ》はお鶴《つる》さんの歸《かへ》るまでゐるんだらうから」と小聲《こごゑ》で云《い》つて笑《わら》つた。

箕浦《みのうら》は「そんなこと」と云《い》つたばかりで默《だま》つてしまつた。織田《おだ》は無神經《むしんけい》な顏《かほ》で絕《た》えず微笑《びしやう》してゐたが、「今日《けふ》は僕《ぼく》が話《はなし》があつて來《き》て貰《もら》つたんだ」 「例《れい》の事《こと》でかい」 「うん」 「でどう極《きま》つた、君《きみ》の重荷《おもに》はどうなつた」 「君《きみ》は僕《ぼく》の說《せつ》を用《もち》ゐんから仕方《しかた》がないさ、僕《ぼく》も考《かんが》へ直《なほ》さなくちや」 「さうか、君《きみ》も何時《いつ》の間《ま》にか、箕浦《みのうら》君《くん》と意氣《いき》投合《とうがふ》するやうになつたんだね」 と云《い》つたが、健次《けんじ》は腹《はら》の中《なか》で、「織田《おだ》の奴《やつ》、とうとう箕浦《みのうら》に妹《いもと》でも賣付《うりつ》けるんだらう」と思《おも》ふと、不思議《ふしぎ》に氣《き》がむしやくしやして、麥酒《びーる》を二三｜杯《ばい》グイ呑《の》みにして、急《きふ》に立上《たちあが》り「さあ歸《かへ》らう」と、二人《ふたり》が引留《ひきと》める間《ま》もなく緣側《えんがは》を下《お》りた。 「氣《き》まぐれな男《をとこ》だなあ、何《なに》を考《かんが》へ出《だ》したのだらう」と、織田《おだ》は壞手《ふところで》のまゝ暫《しばら》く閾《しきゐ》の上《うへ》に立《た》つてゐた。

健次《けんじ》の足《あし》は行場所《ゆきばしよ》に迷《まよ》つた末《すゑ》、遂《つひ》に千｜駄木《だぎ》へ向《むか》つた。

玉突屋

