# 何處へ

## Part 4

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翌日《よくじつ》は日曜《にちえう》であれば、一｜家《か》は遲《をそ》くまで眠《ねむ》り、九｜時頃《じごろ》に茶《ちや》の間《ま》に揃《そろ》つて朝食《あさげ》の膳《ぜん》についた。近來《きんらい》健次《けんじ》が家族《かぞく》と一｜緖《しよ》に食事《しよくじ》をするのは、殆《ほと》んど日曜《にちえう》の朝《あさ》のみである。年齡《とし》の割合《わりあひ》に老人《としより》めいてもゐないが髯《ひげ》には白髮《しらが》の多《おほ》く、上目葢《うはまぶた》のたるんでる父《ちゝ》と、肉付《にくつき》のよく目《め》と口《くち》には品《ひん》のある姉娘《あねむすめ》の千代《ちよ》と、健次《けんじ》によく似《に》て小柄《こがら》で愛嬌《あいけう》のある末娘《すゑむすめ》の光《みつ》とが健次《けんじ》を挾《はさ》んで坐《すわ》り、母《はゝ》は下女《げぢよ》兼帶《けんたい》で甲斐々々《かひ〴〵》しく立働《たちはたら》いてゐる。

父《ちゝ》は出勤《しゆつきん》時刻《じこく》にせかれぬ爲《ため》、役所《やくしよ》の話《はなし》などをして、ゆる〳〵飯《めし》を食《くら》ひ、皆《み》んなの顏《かほ》を見《み》て、獨《ひと》りでほく〳〵喜《よろこ》んでゐたが、もう膳《ぜん》を離《はな》れて煙草《たばこ》を吸《す》ひながら新聞《しんぶん》を讀《よ》んでる健次《けんじ》に向《むか》つて、 「何《なに》か面白《おもしろ》いことがあるかい、何《なん》とか中將《ちうじやう》の姦通《かんつう》事件《じけん》はどうなつた」 「今日《けふ》は何《なに》も出《で》てゐませんよ」 「どうも軍人《ぐんじん》が腐敗《ふはい》しちや困《こま》るな、武士道《ぶしだう》の精神《せいしん》が衰《おとろ》へるとそんなことが出來《でき》て來《く》るんさ、今《いま》の中《うち》に社會《しやくわい》に士氣《しき》を鼓吹《こすゐ》しなければ、日本《にほん》の國家《こくか》も將來《しやうらい》が案《あん》じられるて」 と、父《ちゝ》は鼻水《はなみづ》を膝《ひざ》に落《おと》して、「今《いま》ぢや學校《がくかう》敎育《けういく》も柔弱《にゆうじやく》に傾《かたむ》いてるからよくない、それに家庭《かてい》で小《ちいさ》い時分《じぶん》から武士《ぶし》の魂《たましひ》を叩《たゝ》き込《こ》まんから、堅固《けんご》な人間《にんげん》が出來《でき》ないんだ、東京《とうきやう》でも今《いま》は素町人《すちやうにん》ばかり跋扈《ばつこ》するから、風儀《ふうぎ》が紊《みだ》れるのさ」と、口《くち》には慷慨《こうがい》めいたことを云《い》つたが、顏《かほ》は如何《いか》にも呑氣《のんき》で、此《これ》まで苦勞《くらう》を重《かさ》ねて來《き》た影《かげ》は何處《どこ》にもない。そして素町人《すしやうにん》呼《よば》はりはこの人《ひと》の口癖《くちぐせ》で、自分《じぶん》でもそれが愉快《ゆくわい》でならぬと見《み》える。 「素町人《すちやうにん》でも何《なん》でも早《はや》くお金持《かねもち》になることさ」と、母《はゝ》は橫合《よこあひ》から疳走《かんばし》つた聲《こゑ》を發《はつ》した。 「本當《ほんたう》だわ、お金《かね》がある方《はう》がいゝわ」と、お光《みつ》は一も二もなく母《はゝ》に加勢《かせい》する。 「せめて男爵《だんしやく》にでもなれるといゝけど、昔《むかし》は旗下《はたもと》だつて武士《ぶし》だつて詰《つま》らないわね」 と、姉娘《あねむすめ》は眞面目《まじめ》に感《かん》じた。で、暫《しば》らく父子《おやこ》で、武士《ぶし》の魂《たましひ》だの素町人《すちやうにん》根性《こんじやう》だのと言合《いひあ》つて、果《は》ては無邪氣《むじやき》に笑《わら》つた。

笑《わら》つてしまつて、膳《ぜん》が片付《かたづ》くと、姉娘《あねむすめ》は今迄《いままで》默《だま》つてゐた兄《あに》に向《むか》つて、 「兄《にい》さん、今日《けふ》は上野《うへの》で音樂會《おんがくゝわい》があつて、ソロの上手《じやうづ》な西洋人《せいやうじん》が出《で》るんですつてね、新聞《しんぶん》にや出《で》てゐなくつて」 「さうだね、出《で》てるかも知《し》れんよ」 「兄《にい》さんも聞《き》きに被入《いらつ》しやいな、屹度《きつと》面白《おもしろ》いわ」 「私《わたし》も行《い》きたいと云《い》ふんだらう、兄《にい》さんにお構《かま》ひなしで一人《ひとり》で何處《どこ》へでもお出《い》でなさい」 「そりや一人《ひとり》だつていゝけど、…………」 「切符《きつぷ》を買《か》つて吳《く》れだらう、そりや眞平《まつぴら》御免《ごめん》だ」 「酷《ひど》いわ兄《にい》さんは、自分《じぶん》一人《ひとり》で勝手《かつて》に遊《あそ》んでゝ、何《なに》一《ひと》つ私《わたし》の賴《たの》みを聞《き》いて吳《く》れたことはないんだもの」 「本當《ほんたう》だわ、ねえ姉《ねえ》さん」と、妹娘《いもと》も相槌《あひづち》を打《う》つ。 「織田《おだ》さんとこの兄《にい》さんはそりや、妹《いもと》思《おも》ひよ、平生《ふだん》だつて何《なん》だの彼《か》だのと世話《せわ》を燒《や》いて、お花見《はなみ》にでも音樂會《おんがくくわい》にでも、屹度《きつと》連《つ》れて行《い》くんだわ。だから幾《いく》ら兄《にい》さんが學問《がくもん》が出來《でき》たつて、人間《にんげん》として織田《おだ》さんの方《はう》がえらいのね」 「チエツ、生意氣《なまいき》云《い》つてらあ」と、健次《けんじ》は橫《よこ》を向《む》いて、今日《けふ》は如何《いか》にして暮《く》らすべきかと考《かんが》へてゐる。 「兄《にい》さんは何故《なぜ》音樂《おんがく》が嫌《きら》ひなんだらう、文學士《ぶんがくし》の方《かた》は皆《みな》音樂《おんがく》や芝居《しばゐ》が好《す》きだのに兄《にい》さんばかりは、ちつとも趣味《しゆみ》がないのね、音樂《おんがく》ぐらゐ硏究《けんきう》なさればいゝのに」 「だからお前《まへ》は箕浦《みのうら》の女房《にようぼ》にでもなつて、年中《ねんぢう》キユー〳〵ピン〳〵騷《さわ》げばいゝ、彼奴《あいつ》とお前《まへ》とはよく似合《にあ》つてらあ、おれはもうお前《まへ》のぺちや〳〵音樂《おんがく》だけでうんざり［＃「うんざり」に傍点］してゐる」 姉娘《あね》は少《すこ》し頰《ほゝ》を赤《あか》くして橫《よこ》を向《む》いて、口《くち》を噤《つぐ》んだ。

父《ちゝ》は健次《けんじ》の卷煙草《まきたばこ》を取《と》つて火《ひ》をつけ、二人《ふたり》の話《はなし》を面白《おもしろ》さうに聞《き》いて、微笑々々《にこ〳〵》してゐたが、二人《ふたり》が默《だま》つてしまうと、 「どうもおれには分《わか》らない、學問《がくもん》をした男《をとこ》が、音曲《おんぎよく》に夢中《むちう》になるなんて餘程《よほど》變《へん》だ、健次《けんじ》にはおれが昔《むかし》から武士《ぶし》の精神《せいしん》を敎《をし》へ込《こ》んでるから、そんな柔弱《にうじやく》な氣風《きふう》に染《そ》まないんだらう」と、自分《じぶん》で首肯《うなづ》いてゐる。 「そんな武士《ぶし》の精神《せいしん》なんか下《くだ》らないわ、お父《とつ》さんは何《なん》ぞといふと兄《にい》さんの贔負《ひいき》ばかりして厭《いや》になつちまう」 「はゝゝゝ、そんな事《こと》を云《い》ふ者《もの》ぢやない。兄《にい》さんは菅沼家《すがぬまけ》には大事《だいじ》な寶《たから》だ、うんと勉强《べんきやう》して立派《りつぱ》な人間《にんげん》になつて貰《もら》はにや、おれが御先祖《ごせんぞ》に申譯《まをしわけ》がないぢやないか、だから傍《はた》から邪魔《じやま》をしないで、思《おも》ふ存分《ぞんぶん》にやらせなくちや…………今《いま》の間《うち》貧乏《びんぼふ》がつらからうと、それが何《なん》だ、貧乏《びんぼふ》を苦《く》にして見苦《みぐる》しい根性《こんじやう》になるのは、それが素町人《すちやうにん》だ。度々《たび〳〵》話《はな》して聞《きか》せたが、菅沼家《すがぬまけ》は代々《だい〴〵》高潔《かうけつ》な考《かんがへ》を以《もつ》て忠孝《ちうかう》と武勇《ぶゆう》を勵《はげ》んだ家柄《いへがら》で、系圖《けいづ》に少《すこ》しの疵《きず》もないんだ。だから健次《けんじ》もよく心得《こゝろえ》て、名譽《めいよ》を世界《せかい》に傳《つた》へるやうにせねばならん」 健次《けんじ》は平生《ふだん》父《ちゝ》から小言《こゞと》を聞《き》くことなく、他人《たにん》の前《まへ》でゞも自分《じぶん》の自慢《じまん》をされるのを厭《いや》に感《かん》じてゐたので、今《いま》も自分《じぶん》が大英雄《だいえいいう》にでもなるやうに期待《きた》する口振《くちぶり》を聞《き》くと、急《きふ》に不快《ふくわい》になり、新聞《しんぶん》を押《おし》のけて、ふいと自分《じぶん》の部屋《へや》へ逃《に》げた。 「お父《とつ》さんは兄《にい》さんばかり大事《だいじ》にするから我儘《わがまゝ》になるんだわ、學士《がくし》にまでなつてゝ、親《おや》や妹《いもと》の世話《せわ》が出來《でき》なくちや駄目《だめ》ですよ、お父《とつ》さんももうお役所《やくしよ》なんか止《よ》して大威張《おほゐばり》で兄《にい》さんに養《やし》なつてお貰《もら》ひなさればいゝのに、………本當《ほんたう》につまらないわ、外《そと》へ出《で》てはお酒《さけ》を飮《の》んで、何《なに》か話《はなし》でもすると、惡口《あくこう》ばかり云《い》つて、あれぢや何時《いつ》まで立《た》つても立派《りつぱ》な人間《にんげん》になれやしないわ、え、そりやなれないに定《きま》つてるわ」と、姉娘《あね》はさも口惜《くや》しさうに云《い》ふ。

父《ちゝ》はハツ〳〵と笑《わら》つて、「まあ默《だま》つて見《み》て居《を》れ、お前逹《まへたち》にや分《わか》るまいが、おれにや健次《けんじ》の氣象《きしやう》はよく分《わか》つてる、今《いま》に何《なに》か爲出《しで》かすに違《ちが》ひないからよく見《み》て居《を》れ、男《をとこ》の腹《はら》の中《なか》は女《をんな》にや知《し》れんものだ、學士《がくし》になつた位《くらゐ》で、ハイカラでもつけたり、妹《いもと》に花簪《はなかんざし》なんか買《か》つてやつて喜《よろこ》んでるやうな健次《けんじ》ぢやない」 「お父《とつ》さんは兄《にい》さんを買被《かひかぶ》つてるんですよ、だから老人《としより》には何《なに》にも分《わか》らないんだわ、今《いま》に後悔《こうくわい》することが屹度《きつと》あると私《わたし》思《おも》ふわ」 「ハヽヽヽヽ、下《くだ》らないことを云《い》ふもんぢやない、お前《まへ》らは今《いま》に健次《けんじ》の妹《いもと》だと云《い》はれて名譽《めいよ》に思《おも》ふ時《とき》が來《く》る」 「私《わたし》、ちつとも兄《にい》さんなんか當《あて》にしちやゐないわ、何《なん》であんな人《ひと》」 と、新聞《しんぶん》を引寄《ひきよ》せて續《つゞ》き物《もの》に目《め》をつけ、熱心《ねつしん》に讀《よ》み出《だ》した。妹娘《いもと》は緣側《えんがは》へ出《で》て猫《ねこ》の頭《あたま》を撫《な》でながら唱歌《しようか》を唄《うた》つてゐる。

健次《けんじ》は障子《しやうじ》を締《し》め切《き》り、机《つくゑ》に向《むか》つて正座《せいざ》し、「革命家《かくめいか》の自傳《じでん》」を開《ひら》いた。心《こゝろ》を凝《こ》らし素早《すばや》く走《はし》り讀《よ》みしてゐたが、著者《ちよしや》が貴族《きぞく》の家《いへ》に生《うま》れ幼時《えうじ》より宮中《きうちう》に出入《しゆつにふ》する叙述《じよじゆつ》を讀《よ》み終《をは》ると、書物《しよもつ》を伏《ふ》せて仰向《あふむ》けに寢《ね》た。自分《じぶん》とは緣《えん》の遠《とほ》い境遇《けうぐう》の異《ことな》つた人《ひと》の閱歷《えつれき》が如何程《いかほど》の興味《きようみ》があらうぞと失望《しつぼう》した。そして机《つくゑ》から書物《しよもつ》を引下《ひきおろ》して、只《たゞ》氣《き》まぐれに處々《ところ〴〵》拔《ぬ》き讀《よみ》すると、農夫《のうふ》に伍《ご》して革命《かくめい》を說《と》いたり、國《くに》を脫走《だつそう》して他國《たこく》に流浪《るらう》するあたり、さも面白《おもしろ》さうに書《か》いてあるが、最早《もはや》健次《けんじ》にはそれが光《ひかり》のない艶《つや》の失《う》せた文字《もじ》と見《み》え、少時《せうじ》父《ちゝ》から彰義隊《しやうぎたい》や白虎隊《びやくこたい》の話《はなし》を聞《き》いた時《とき》ほどにも、胸《むね》も躍《をど》らず血《ち》も湧《わ》かず目《め》を瞑《つぶ》つて心《こゝろ》の動《うご》くに任《まか》せてゐると、自分《じぶん》の左右《さいう》前後《ぜんご》には火花《ひばな》も散《ち》らず、鯨波《ときのこゑ》も聞《きこ》えず、只《たゞ》銀座《ぎんざ》には埃《ほこり》が立《た》つて、うぢよ〳〵と人《ひと》の步《ある》いてる樣《さま》が頭《あたま》の中《なか》に浮《うか》んで來《く》る。 で、彼《か》れは緣側《えんがは》の障子《しやうじ》を開《あ》けて、庭《には》を見《み》ると、父《ちゝ》は日曜《にちえう》每《ごと》の役目《やくめ》を怠《をこた》らず、草履《ざうり》を穿《は》いて掃除《さうじ》をしてゐる。昨日《きのふ》と同《おな》じく空《そら》は冴《さ》え風《かぜ》もなく、日《ひ》は生温《なまあたゝ》かく照《て》つて、竹箒《たけはうき》持つた老人《らうじん》の影《かげ》のみが緩《ゆる》く動《うご》いてゐる。健次《けんじ》は欠伸《あくび》をして、又《また》書物《しよもつ》を枕《まくら》に寢《ね》ころび、兩手《りやうて》を投《な》げ出《だ》して、うと〳〵してゐたが、暫《しばら》くすると妹共《いもとゞも》の騷《さわ》ぐ音《おと》がして、終《しま》ひには英語《えいご》の朗讀《らうどく》が聞《きこ》える、學校《がくかう》の懇親會《こんしんくわい》で、織田《おだ》の妹《いもと》と二人《ふたり》で朗讀《らうどく》するといふ英文《えいぶん》の對話《たいわ》を暗誦《あんしよう》してゐるのであらう、太《ふと》くて甘《あま》つたれた聲《こゑ》で、如何《いか》にも陽氣《やうき》さうに讀《よ》んでゐる。

健次《けんじ》は心《こゝろ》がむしやくしやして、俄《にわ》かに起上《おきあが》り、帽子《ぼうし》を被《かぶ》り出仕度《でしたく》をして、玄關《げんくわん》まで出《で》かけたが、又《また》引返《ひきか》へして何氣《なにげ》なく妹《いもと》の部屋《へや》へ侵入《しんにふ》すると、妹《いもと》は彼《か》れを見上《みあ》げて、ぱつたり朗讀《らうどく》を止《や》めた。 「おい、一寸《ちよつと》見《み》せろ」と、健次《けんじ》は妹《いもと》の手《て》から洋紙《やうし》を取上《とりあ》げて見《み》ると、「二人《ふたり》の不幸《ふかう》なる娘《むすめ》」と題《だい》して、その會話《くわいわ》が書《か》いてある。 「今《いま》お稽古《けいこ》してるんだから、兄《にい》さんは彼室《あちら》へ行《い》つてゐらつしやい」と、妹《いもと》は健次《けんじ》の手《て》から洋紙《やうし》を奪《うば》ひ返《かへ》した。 「おれが茲《こゝ》で直《なほ》してやるから、讀《よ》んで見《み》ろ」と、健次《けんじ》は帽子《ぼうし》を被《かぶ》つたなり坐《すわ》り込《こ》んだ。 「兄《にい》さんは直《す》ぐ冷《ひや》かすから厭《いや》だけど」と否《いな》んだが、漸《やうや》く納得《なつとく》して、自分《じぶん》の分《ぶん》だけを拾《ひろ》つて讀《よ》んだ。筋《すぢ》は幼馴染《おさななじみ》の二｜少女《せいぢよ》が、一人《ひとり》は東北《とうほく》一人《ひとり》は九｜州《しう》と十｜年《ねん》も離《はな》れてゐた後《のち》、或《ある》所《ところ》で思《おも》ひがけなく巡《めぐ》り合《あ》ひ、その間《あひだ》の境涯《けうがい》の辛酸《しんさん》を語《かた》り合《あ》ふ哀《あは》れな物語《ものがたり》。發音《はつおん》の法則《はふそく》は滅茶々々《めちや〳〵》だがよく暗記《あんき》してゐて、目《め》を細《ほそ》め言葉《ことば》の調子《てうし》も哀《あは》れげに、表情《へうじやう》澤山《たくさん》で朗讀《らうどく》し、「この次《つぎ》には二人《ふたり》とも、もつと幸福《しあはせ》な人間《にんげん》に生《うま》れて來《き》ませう」と、淚《なみだ》で別《わか》れる所《ところ》で、會話《くわいわ》が終《をは》ると、 「上手《じやうづ》でせう」と、千代《ちよ》は兄《あに》を見《み》て、息《いき》をついた。中々《なか〳〵》得意《とくい》らしい。 「うん甘《うま》い、よく覺《おぼ》えられたね」 「もつとお稽古《けいこ》しなければ不安心《ふあんしん》だわ、織田《おだ》さんに負《ま》けちや厭《いや》だから」 「あの女《ひと》も稽古《けいこ》してるんか」 「え、そりやしてるわ、外《ほか》の人《ひと》も一｜生懸命《しやうけんめい》ですもの、私《わたし》今日《けふ》も午後《おひる》から織田《おだ》さんとこへ行《い》つてよ」 「病人《びやうにん》のある家《うち》へ行《い》つたつて駄目《だめ》ぢやないか、まさかあの家《うち》で、芝居《しばゐ》の眞似《まね》なんかも出來《でき》まいし」 「一｜緖《しよ》に外《ほか》の家《うち》へ行《い》くんだわ」 「箕浦《みのうら》の家《うち》へでも行《い》くんだらう」 「行《い》つたつていゝでせう、惡《わる》くつて」と、わざと拗《すね》て見《み》せる。 「惡《わる》いと云《い》やあしないよ、每日《まいにち》でも遊《あそ》びに行《ゆ》くがいゝ、あの男《をとこ》なら親切《しんせつ》に發音《はつおん》も直《なほ》して吳《く》れるし、音樂《おんがく》の議論《ぎろん》ぐらゐ聞《き》かせて吳《く》れらあ、…………それからお前《まへ》、織田《おだ》へ行《ゆ》くんなら、これを持《も》つてつて吳《く》れ」と、健次《けんじ》は今《いま》思《おも》ひ出《だ》した如《ごと》く、書齋《しよさい》から紙入《かみいれ》を持《も》つて來《き》て、紙幣《さつ》を反古紙《ほごがみ》にくるんで妹《いもと》に渡《わた》し、「これだけ織田《おだ》にやるんだ」 妹《いもと》は不審《ふしん》さうに兄《あに》を見《み》て、「これをどうするの、織田《おだ》さんの兄《にい》さんに貸《か》すのですか」 「何《なん》でもいゝから、只《たゞ》持《も》つてけばいゝんだ」 「だつて私《わたし》が持《も》つて行《ゆ》くのは變《へん》だわ、それに兄《にい》さんはよく織田《おだ》さんにお金《かね》を貸《か》すのね、何故《なぜ》織田《おだ》さんばかり好《す》きなんだらう、あの家《うち》よりやいくら私《わたし》の家《うち》の方《はう》が貧乏《びんぼふ》だか知《し》れやしないのに、本當《ほんと》に兄《にい》さんは變《へん》な人《ひと》ね」と、妹《いもと》は反古包《ほごづゝみ》をひねくつて、その金目《かねめ》まで覘《のぞ》いて見《み》てゐたが、 「お前《まへ》にやるよりや、織田《おだ》にやつた方《はう》が、いくらやり榮《ばえ》がするか知《し》れやしない」と、健次《けんじ》は無邪氣《むじやき》に笑《わら》つて、當《あて》もなく戶外《そと》へ出《で》た。妹《いもと》は坐《すわ》つたきり目《め》を据《す》ゑて、「兄《にい》さんは何故《なぜ》だらう、お鶴《つる》さんに心《こゝろ》があるから、あんなに織田《おだ》さんを大事《だいじ》にするのぢやないか知《し》らん、さう云《い》へば思《おも》ひ當《あた》ることが幾《いく》らもある、屹度《きつと》さうだ、戀《こひ》で煩悶《はんもん》してるんだわ」と、自分《じぶん》の身《み》に引《ひき》くらべて想像《さうぞう》に耽《ふけ》つてゐた。

（十）

健次《けんじ》は短《みじ》かい秋《あき》の一｜日《にち》を持餘《もてあま》した。上野《うへの》の公園《こうゑん》をぶらつき、或《あるひ》は珈琲店《こーひーてん》へ入《はい》り、或《あるひ》はビアーホールへ入《はい》り、それから社《しや》の同僚《どうりやう》を訪《たづ》ねて、氣乗《きの》りのせぬ話《はなし》に相槌《あひづち》を打《う》つて、漸《やうや》く二三｜時間《じかん》を空費《くうひ》し、その宅《たく》を出《で》て、湯島《ゆしま》天神《てんじん》の境内《けいだい》を通《とほ》り拔《ぬ》けて歸路《きろ》に就《つ》いた。特筆《とくひつ》すべき事件《じけん》は少《すこ》しもない。忙《いそが》しい人《ひと》は仕事《しごと》に心《こゝろ》を奪《うば》はれて時《とき》の立《た》つを忘《わす》れ、歡樂《くわんらく》に耽《ふけ》れる人《ひと》も月日《つきひ》の無《な》い世界《せかい》に遊《あそ》ぶのであるが、此頃《このごろ》の健次《けんじ》は絕《た》えず刻々《こく〳〵》の時《とき》と戰《たゝか》つてゐる。酒《さけ》を飮《の》むのも、散步《さんぽ》をするのも、氣㷔《きえん》を吐《は》くのも、或《あるひ》は午睡《ひるね》をするのも、只《たゞ》持扱《もちあつか》つてる時間《じかん》を費《つひや》すの爲《ため》のみで、外《ほか》に何《なに》も意味《いみ》はない。そして一｜月《つき》二｜月《つき》を取留《とりと》めもなく過《すご》しては、後《あと》から振返《ふりかへ》つて、下《くだ》らなく費《つひや》した歲月《さいげつ》の早《はや》く流《なが》るゝに驚《おどろ》く。

彼《か》れは激烈《げきれつ》な刺激《しげき》に五｜體《たい》の血《ち》を湧立《わきた》たさねば、日《ひ》に〳〵自分《じぶん》の腐《くさ》り行《ゆ》くを感《かん》じ、靑春《せいしゆん》の身《み》で只《たゞ》時間《じかん》の蟲《むし》に喰《く》はれつゝ生命《いのち》を維《つな》いでゐる現狀《げんじやう》を溜《たま》らなく思《おも》つた。そして空想《くうさう》を逞《たくま》うして色々《いろ〳〵》の刺激物《しげきぶつ》を考《かんが》へた。普通《ふつう》の麻醉劑《ますゐざい》は何《なん》の効目《きゝめ》もない、酒《さけ》なら燒酎《せうちう》かウヰスキーを更《さら》にコンデンスした物《もの》、煙草《たばこ》なら阿片《あへん》、戀《こひ》なら櫻木《さくらぎ》のお雪《ゆき》や織田《おだ》のお鶴《つる》のやうな女《をんな》と、甘《あま》つたるい言葉《ことば》を交換《かは》したのでは微醉《ほろよひ》もする氣遣《きづかひ》はない。正義《せいぎ》も公道《こうだう》も問題《もんだい》ぢやない。自分《じぶん》を微温《びおん》の世界《せかい》から救《すく》ひ出《だ》して、筋肉《きんにく》に熱血《ねつけつ》を迸《ほとばし》らすか、膓《はらわた》まで蕩《と》ろかす者《もの》、それが自分《じぶん》の唯《ゆゐ》一の救世主《きうせいしゆ》だ。革命軍《かくめいぐん》に加《くは》つて爆裂彈《ばくれつだん》に粉碎《ふんさい》されやうとも、山賊《さんぞく》に組《くみ》して縛首《しばりくび》の刑《けい》に合《あ》はうとも、結果《けつくわ》が何《なん》であれ、名義《めいぎ》が何《なん》であれ、自分《じぶん》を刺激《しげき》する最初《さいしよ》の者《もの》に身《み》を投《な》げて、長《なが》くても短《みじ》かくても、或《あるひ》は即刻《そくこく》に倒《たを》れてしまつてもよい。そしてこんな刺激物《しげき》が自然《しぜん》に自分《じぶん》の前《まへ》に現《あら》はれねば、自分《じぶん》から進《すゝ》んで近《ちか》づいて行《ゆ》く。渦《うづ》が捲《ま》き込《こ》んで吳《く》れねば、自分《じぶん》で渦《うづ》の中《なか》へ飛《と》び込《こ》む。鐵藏《てつざう》がゐなければ自分《じぶん》で鐵藏《てつざう》になつて喧嘩《かんくわ》を吹《ふつ》かけて行《ゆ》く。戰爭《せんそう》も革命《かくめい》も北極《ほくきよく》探檢《たんけん》も人間《にんげん》の怠屈《たいくつ》醒《さ》ましの仕事《しごと》だ。平坦《へいたん》の道《みち》には倦《う》むが、險崖《けんがい》を攀上《よぢのぼ》つてゐれば、時《とき》をも忘《わす》れ欠伸《あくび》の出《で》る暇《ひま》もない。 「よし渦《うづ》へ入《はい》るか崖《がけ》を上《あ》がるか」と、彼《かれ》はステツキを持《も》つた手《て》に力《ちから》を入《い》れたが、その手《て》は直《す》ぐ弛《ゆる》んでしまう。社會《しやくわい》のため主義《しゆぎ》のため理想《りさう》のためと思《おも》へばこそ眞面目《まじめ》で險崖《がけ》上《のぼ》りも出來《でき》るが、初《はじ》めから怠屈《たいくつ》醒《さ》ましと知《し》つて荊棘《いばら》の中《なか》へ足《あし》を踏込《ふみこ》めるものか。理由《りいう》もないのに獨《ひと》りで血眼《ちまなこ》になつて大道《だいだう》を馳《は》せ廻《まは》れるものか。何故《なぜ》每日《まひにち》の出來事《できごと》、四｜方《はう》の境遇《けうぐう》、何《なに》一つ自分《じぶん》を刺激《しげき》し誘惑《いうわく》し虜《とりこ》にする者《もの》がないのであらう。只《たゞ》日々《ひゞ》世界《せかい》の色《いろ》は褪《あ》せ行《ゆ》き、幾萬《いくまん》の人間《にんげん》の響動《どよめき》は葦《あし》や尾花《をばな》の戰《そよ》ぐと同《おな》じく無意義《むいぎ》に聞《きこ》えるやうになつた。自分《じぶん》の心《こゝろ》が老《お》いたのか、地球《ちきう》其《それ》自身《じしん》が老《お》い果《は》てゝ、何等《なんら》の淸新《せいしん》の氣《き》も宿《やど》さなくなつたのであらうか。

彼《か》れは目《め》を移《うつ》して道《みち》の左右《さいう》を見《み》た。夕日《ゆうひ》は電信柱《でんしんばしら》の影《かげ》を金物屋《かなものや》の壁《かべ》に印《いん》してゐる。壁《かべ》の隅《すみ》には薄墨《うすゞみ》で「法樂《はふらく》加持《かぢ》」と書《か》いた大福寺《だいふくじ》の廣吿《くわうこく》が貼《は》りつけられ、その片端《かたはし》が剝《は》げかゝりふら〳〵［＃「ふら〳〵」に傍点］動《うご》いてゐる。牛乳《ぎうにう》配逹《はいたつ》と點燈夫《てんとうふ》とが前後《ぜんご》して走《はし》つてる後《あと》から、白《しろ》い帽子《ぼうし》を戴《いたゞ》き裾《すそ》の廣《ひろ》い黑衣《こくい》を着《つ》け、腰《こし》に長《なが》い珠數《じゆず》を垂《た》れた天主敎《てんしゆけう》の尼《あま》が二人《ふたり》、口《くち》も閉《と》ぢ側見《わきみ》もせず、靴《くつ》は土《つち》を踏《ふ》まぬが如《ごと》く、閑雅《しとやか》に音《おと》をも立《た》てず步《あゆ》んで來《く》る。深《ふか》く澄《す》んだ空《そら》を煙突《えんとつ》の黑煙《こくえん》が搔亂《かきみだ》し、その側《そば》を一｜列《れつ》の鳥《とり》が橫切《よこぎ》つた。晝間《ひるま》の温《あたゝ》かさも急《きふ》に薄《うす》らいで、健次《けんじ》は肌寒《はださむ》く感《かん》じた。

彼《か》れは足《あし》と心《こゝろ》を疲《つか》らせて、兎《と》に角《かく》家《うち》へ歸《かへ》つた。妹《いもと》は他所行《よそゆき》の大切《たいせつ》な紋羽二重《もんはぶたへ》の羽織《はおり》を着《き》たまゝ、茶《ちや》の間《ま》のランプを點火《つけ》てゐた。 「あら、兄《にい》さんお歸《かへ》り、私《わたし》も今《いま》歸《かへ》つたところよ」と、マツチを火鉢《ひばち》へ棄《す》てゝ、艶艶《つやつや》しい顏《かほ》を見《み》せた。 「織田《おだ》は何《なに》をしてた」 「勉强《べんきやう》してるわ、でね、お金《かね》を渡《わた》すと、何《なん》だか極《きま》り惡《わる》さうに受取《うけと》つて、兄《にい》さんにお禮《れい》を云《い》つてたわ」 「さうか」と、健次《けんじ》は所在《しよざい》なさに、火鉢《ひばち》の前《まへ》に片膝《かたひざ》立《た》てゝ坐《すわ》り、火箸《ひばし》をいぢつてる。妹《いもと》はその側《そば》で羽織《はおり》を脫《ぬ》いで疊《たゝ》みながら、ちよい〳〵兄《あに》の顏《かほ》を見上《みあ》げては、 「織田《おだ》さんは二三｜日《にち》中《うち》に兄《にい》さんに遇《あ》ひたいと云《い》つてましたよ、是非《ぜひ》話《はなし》を定《き》めることがあるんだつてね、兄《にい》さんも知《し》つてるでせう、どんな話《はなし》だか、私《わたし》も織田《おだ》さんの言振《いひぶ》りで荒方《あらかた》推察《すゐさつ》してるけど。」 「さうか」と、健次《けんじ》は氣《き》に留《と》めぬ風《ふう》なので、妹《いもと》はわざと調戯《からか》ふ氣《き》で、 「當《あ》てゝ見《み》ませうか、屹度《きつと》あの事《こと》だわ」と莞爾《につこり》した。 「あの事《こと》つて鶴《つる》さんの緣談《えんだん》だらう」と健次《けんじ》が小憎《こにく》らしい程《ほど》平氣《へいき》なので、妹《いもと》は、 「兄《にい》さんはよく御存《ごぞん》じね、同意《どうい》するんでせう、兄《にい》さんも、」 「どうかねえ」 「どうかねえつて、それでいゝぢやありませんか、其《そ》の事《こと》で私《わたし》兄《にい》さんに話《はなし》があつてよ」と云《い》ひかけた所《ところ》へ、母《はゝ》が勝手《かつて》から入《はい》つて來《き》たので口《くち》を噤《つぐ》み、羽織《はおり》を簞笥《たんす》へ收《おさ》めた。 「さあ御飯《ごはん》だ〳〵」と、母《はゝ》は膳立《ぜんだ》てして、汁《しる》のこぼれてる鍋《なべ》を火鉢《ひばち》に掛《か》けた。

健次《けんじ》は「まだ飯《めし》は欲《ほ》しくない」と云《い》つて、自分《じぶん》の居室《ゐま》へ入《はい》ると、妹《いもと》は後《うしろ》から駈《か》けて來《き》て、ランプを點火《つけ》た。平生《ふだん》に似《に》ず親切《しんせつ》に煙草盆《たばこぼん》まで掃除《さうじ》して持《も》つて來《き》た。 で、健次《けんじ》が机《つくゑ》に肱《ひぢ》を突《つ》いて煙草《たばこ》を吹《ふ》かし、相手《あひて》にする風《ふう》はないのに、その傍《そば》に坐《すわ》り、 「でね、兄《にい》さん」と口《くち》を切《き》る。「今《いま》の話《はなし》、兄《にい》さんも考《かんが》へてるんでせう、どうなさるの」 「何《なん》だい織田《おだ》の事《こと》か、それを聞《き》いて何《なん》にする」と、健次《けんじ》は不審《ふしん》さうに妹《いもと》の顏《かほ》を顧《かへり》みた。 「何《なに》つて事《こと》はないけど」と、目《め》を外《はづ》して「私《わたし》、今日《けふ》織田《おだ》さんからも、お鶴《つる》さんからも色《いろ》んな事《こと》を聞《き》いたのよ」 「何《なに》を？」 「織田《おだ》さんの方《はう》ぢや、もうちやんと一人《ひとり》で定《き》めてるんだわ、それに向《むか》うでは、兄《にい》さんも家《うち》のお母《つか》さんもお父《とつ》さんも、屹度《きつと》承知《しやうち》することゝ思《おも》つてるらしいのよ、お鶴《つる》さんも兄《にい》さんから聞《き》いたのか、今日《けふ》は樣子《やうす》が變《かは》つてるし、明日《あす》お稽古《けいこ》に私《わたし》の家《うち》へ被入《いらつし》やいと云《い》つても、何時《いつ》も來《き》たがる癖《くせ》に厭《いや》だつて云《い》ふんですもの、」 「おい、下《くだ》らない話《はなし》は止《よ》せ、」 と、机《つくゑ》に向《むか》つて、經濟書《けいざいしよ》を開《ひら》いて、ぼんやり讀《よ》んでゐたが、妹《いもと》は尙《な》ほ側《そば》に坐《すわ》つてゐて、 「だつて兄《にい》さんも早《はや》く結婚《けつこん》なすつた方《はう》がいゝでせう、家《うち》の爲《ため》から云《い》つても、兄《にい》さんの身《み》が定《きま》つて、お父《とつ》さんの責任《せきにん》を輕《かる》くしなくつちや仕樣《しやう》がないですもの、それが一｜番《ばん》の孝行《かう〳〵》だと思《おも》ふわ、それにお鶴《つる》さんは一｜家《か》の主婦《しゆふ》として缺點《けつてん》がないんだから、私《わたし》からも兄《にい》さんに勸《すゝ》めたい位《くらゐ》よ」 「お前《まへ》どうかしたのか、酷《ひど》く今日《けふ》は眞面目《まじめ》臭《くさ》つた事《こと》を並《なら》べるね」と、健次《けんじ》は笑《わら》つて、「お前《まへ》はよくお鶴《つる》さんの惡口《あくこう》を云《い》つて、あれぢや家《うち》は持《も》てないなんて云《い》つてたぢやないか、急《きふ》に變節《へんせつ》したね、御馳走《ごちそう》にでもなつたんかい」 「あら酷《ひど》いわ、私《わたし》織田《おだ》さんとこで少《ちつ》とも御馳走《ごちそう》なんかになりやしないわ」 「でも御馳走《ごちそう》になつた顏付《かほつき》をしてるぢやないか。箕浦《みのうら》の家《うち》へも寄《よ》つたのか」 「えゝ」と妹《いもと》は曖昧《あいまい》な返事《へんじ》をする。 「お鶴《つる》さんと二人《ふたり》で朗讀《らうどく》でもして騷《さわ》いだのか」 「えゝ、兄《にい》さんによろしくと云《い》つてたわ」 「お鶴《つる》さんと一｜緖《しよ》に行《ゆ》くと、あの男《をとこ》が優待《いうたい》するだらう」 と、健次《けんじ》は何氣《なにげ》なく云《い》つたが、妹《いもと》の耳《みゝ》にはそれが銳《するど》く響《ひゞ》いて、急《きふ》に考《かんが》へ込《こ》んだ。健次《けんじ》は箕浦《みのうら》から屢屢《しば〴〵》戀愛論《れんあいろん》を聞《き》かされたのだが、先日《せんじつ》或《ある》雜誌《ざつし》に載《の》つた彼《か》れの叙情的《じよじやうてき》の美文《びぶん》を讀《よ》んだ時《とき》、それが彼《かれ》自身《じしん》の事《こと》を書《か》いてるので、相手《あひて》は織田《おだ》の妹《いもと》だと感付《かんづ》いた。そして自分《じぶん》の妹《いもと》の竊《ひそ》かに箕浦《みのうら》を思《おも》つてるのが可笑《おかし》くもあり、可愛《かあい》さうでもあつた。しかしそれを妹《いもと》に知《し》らせる氣《き》でもなかつたのだ。で、 「學校《がくかう》の懇親會《こんしんくわい》は何日《いつ》あるんだ」と、聞《き》きたくもないことを、わざと柔《やさ》しい聲《こゑ》で問《と》うた。妹《いもと》は碌《ろく》に答《こた》へもせず、暫《しばら》くして浮《う》かぬ面《かほ》を上《あ》げて、 「兄《にい》さんは結婚《けつこん》する氣《き》ぢやないんですか」と、さも妹《いもと》の身《み》の上《うへ》にも重要《ぢうえう》問題《もんだい》ででもある如《ごと》く感《かん》じてゐる。 「お前《まへ》はおれを織田《おだ》の妹《いもと》と結婚《けつこん》させたいのか、それが何《なに》かお前《まへ》の利益《りゑき》になるんか、變《へん》だね」と、健次《けんじ》はお轉婆《てんば》の妹《いもと》の生眞面目《きまじめ》な態度《たいど》を怪《あやし》んだ。 「私《わたし》の利益《りゑき》なんて酷《ひど》いわ、兄《にい》さんの爲《ため》を思《おも》つてるから聞《き》いて見《み》てるのに」と、袂《たもと》の先《さき》をひねくつて言葉《ことば》もはき〳〵しない。 「有難《ありがた》う、しかしおれは近々《きん〳〵》下宿屋《げしゆくや》へでも行《い》つちまうんだ」 「本當《ほんたう》に？」と、妹《いもと》は目《め》を丸《まる》くして「何故《なぜ》下宿屋《げしゆくや》なんかへ」 「何故《なぜ》でもないさ、もうお前方《まへがた》のお喋舌《しやべり》も聞飽《きゝあ》いたから、」 妹《いもと》は兄《あに》の氣心《きごゝろ》を知兼《しりか》ねて、只《たゞ》「變《へん》な人《ひと》だわ、お鶴《つる》さんを好《す》いてやしないのか知《し》らん、それとも表面《うはべ》ばかりあんなに澄《す》ましてるのではなからうか」と思《おも》つてゐたが末娘《すゑむすめ》のお光《みつ》が「姉《ねい》さん、早《はや》く被入《いらつし》やい、御飯《ごはん》だよ」と、駈《か》けて來《き》て、引張《ひつぱ》つて茶《ちや》の間《ま》へ行《い》つた。

（十一）

四五｜日《にち》はかくて過《す》ぎた。目《め》を醒《さ》ますと、屋根《やね》には霜《しも》を置《お》いて朝日《あさひ》がキラ〳〵と照《て》つてることもある、雲《くも》の低《ひく》く垂《た》れてることもある。培養《ばいやう》せぬ菊《きく》は蟲《むし》に喰《く》はれて自然《しぜん》に萎《しほ》れて行《ゆ》く。父子《ふし》は前後《ぜんご》して出勤《しゆつきん》する。健次《けんじ》は每日《まいにち》同《おな》じやうなことを考《かんが》へて、一｜日《にち》の仕事《しごと》を濟《す》ませて歸《かへ》ると、相《あひ》も變《へん》らず母《はゝ》は窶《やつ》れた顏《かほ》をして待《ま》つてゐる。一｜家《か》には何《なん》の波瀾《はらん》もない。母《はゝ》は年中《ねんぢう》廢屋《あばらや》に燻《くす》ぶつてゐるのだから、偶《たま》に戶外《そと》へ出《で》るか、異《かは》つた人《ひと》が訪《たづ》ねて來《く》ると、見《み》たり聞《き》いたりした何《なん》でもない事《こと》を、物珍《ものめづ》らしさうに誇張《こちやう》して問《と》はず語《がた》りをするのを樂《たのし》みにしてゐる。妹《いもと》の千代《ちよ》は思《おも》ひ出《だ》しては朗讀《らうどく》の稽古《けいこ》をしてゐるが、平生《ふだん》ほどお喋舌《しやべ》りもせず、多少《たせう》鬱《ふさ》いでる風《ふう》も見《み》える。織田《おだ》は忙《いそがし》いので手紙《てがみ》を送《おく》つたきり訪《たづ》ねて來《こ》ない。先月《せんげつ》から赤痢《せきり》が流行《りうかう》して、根岸《ねぎし》近傍《きんばう》にも大分《だいぶ》患者《くわんじや》があるやうだが、菅沼《すがぬま》の一｜家《か》は數年《すうねん》來《らい》風邪《ふうじや》以上《いじやう》の病人《びやうにん》はない。で、父《ちゝ》は家族《かぞく》が皆《みな》健全《けんぜん》で目出度《めでたい》々々々と一人《ひとり》で喜《よろこ》んで、自分《じぶん》が少《すこ》し風邪氣《かぜけ》があらうと腹加減《はらかげん》がよくなからうと、痩我慢《やせがまん》を出《だ》して出勤《しゆつきん》してゐる。しかし今度《こんど》の寒《さむ》さ當《あた》りは我慢《がまん》し切《き》れなかつたと見《み》え、或日《あるひ》役所《やくしよ》を早退《はやび》けにして歸《かへ》り、お定《きま》りの晚酌《ばんしやく》も止《よ》して、行火《あんか》へもぐり込《こ》んでしまつた。

健次《けんじ》は父《ちゝ》の代《かは》りに海苔《のり》を肴《さかな》に一｜本《ぽん》ガブ呑《の》みにして、書齋《しよさい》へ入《はい》つたが、寢《ね》るには早《はや》し、ランプと睨《にらめ》つくらをしてゐた。すると、その朝《あさ》桂田《かつらだ》夫人《ふじん》の筆《ふで》で晚餐會《ばんさんくわい》招待《せうたい》のハガキの來《き》たことから、桂田《かつらだ》に借《か》りた「東西《とうざい》倫理《りんり》思潮《してう》」を、本箱《ほんばこ》の上《うへ》に置《お》いたまゝ手《て》にも取《と》らず、談話《だんわ》筆記《ひつき》に行《ゆ》くのも忘《わす》れてゐたことを思《おも》ひ出《だ》し、それを取出《とりだ》して飛《と》び〳〵に讀《よ》みかけた。

西風《にしかぜ》がカタ〳〵と雨戶《あまど》に當《あた》り、隣家《となり》の柿《かき》の葉《は》の散《ち》る音《おと》も幽《かす》かに聞《きこ》える。父《ちゝ》は時々《とき〴〵》呻吟《うめい》てゐる。

次第《しだい》に健次《けんじ》の目《め》は書物《しよもつ》を離《はな》れ、銳《するど》い神經《しんけい》は風《かぜ》の音《おと》と父《ちゝ》の呻吟《うめき》とに煩《わづら》はされ、火鉢《ひばち》へ俯首《うつむ》いて眉《まゆ》を顰《ひそ》め、煙草《たばこ》の吸口《すゐくち》を嚙《か》んでゐると、門《かど》の戶《と》がそつと開《あ》いた。それが木枯《こがら》しで自然《しぜん》に開《あ》いたやうで、健次《けんじ》は思《おも》はず薄氣味《うすきみ》惡《わる》く感《かん》じた。忍《しの》びやかに敷石《しきいし》に音《おと》がする。誰《た》れかが來《き》たらしく、やがて低《ひく》い聲《こゑ》で母《はゝ》との話聲《はなしごゑ》がする。 「あゝ織田《おだ》だな」と、健次《けんじ》は離《はな》れ島《じま》に人《ひと》の訪《たづ》ねた如《ごと》く、救助《きうじよ》の舟《ふね》でも來《き》た如《ごと》く望《のぞ》みを掛《か》けて待《ま》つてゐた。

暫《しばら》くして織田《おだ》は「ヤア」と、例《れい》の頓間《とんま》な聲《こゑ》をして入《はい》つて來《き》て、火鉢《ひばち》を隔《へだ》てゝ坐《すわ》つた。新調《しんてう》と思《おも》はれる綿入《わたいれ》を着《き》て、髯《ひげ》も剃《そ》つて、髮《かみ》も奇麗《きれい》に分《わ》け、愉快《ゆくわい》さうな顏付《かほつき》をしてゐる。 「非常《ひじやう》に遲《おそ》く來《き》たね」 「遲《おそ》くなくちや君《きみ》がゐないかと思《おも》つて、」と、織田《おだ》は珍《めづ》らしく敷島《しきしま》を袂《たもと》から出《だ》して火《ひ》を付《つ》け、 「僕《ぼく》は今日《けふ》非常《ひじやう》に愉快《ゆくわい》だ」 「愉快《ゆくわい》だつて、君《きみ》からそんな言葉《ことば》を聞《き》くのは不思議《ふしぎ》だ、親爺《おやぢ》の病氣《びやうき》でもよくなつたのか」 「いや、親爺《おやぢ》は變《かは》らないがね、今日《けふ》僕《ぼく》は桂田《かつらだ》さんの紹介《せうかい》で新職業《しんしよくげふ》に有《あり》ついたんだ、神田《かんだ》の本屋《ほんや》で辭書《じしよ》の編纂《へんさん》だが、報酬《ほうしう》も非常《ひじやう》にいゝんだよ」 「さうか、面倒《めんだう》臭《くさ》い厭《いや》な仕事《しごと》だね、辛抱《しんばう》出來《でき》るかい」 「面倒《めんだう》臭《くさ》いなんて云《い》つた日《ひ》にや、いゝ仕事《しごと》はありやしないぜ、報酬《ほうしう》さへよけりや、僕《ぼく》は何《なん》でもやる、それにね君《きみ》、僕《ぼく》は長編《ちやうへん》を昨日《きのふ》譯《やく》してしまつたよ、あの金《かね》が入《はい》ると、借金《しやくきん》を殘《のこ》らず拂《はら》へるし、醫者《ゐしや》の方《はう》も奇麗《きれい》に片付《かたづ》くから一｜安心《あんしん》だ、君《きみ》にも一｜杯《ぱい》奢《おご》らあ」 織田《おだ》は平素《ふだん》健次《けんじ》を無《む》二の親友《しんいう》と思《おも》ひ、互《たが》ひに喜憂《きいう》を分《わか》つつもりでゐるので、今日《けふ》も吉報《きつぽう》を傳《つた》へに來《き》たのだ。 「そりや結構《けつかう》だ」と、健次《けんじ》は口先《くちさき》では云《い》つたが、心《こゝろ》ではこの魁偉《くわいゝ》なる人間《にんげん》が、信州《しんしう》訛《なまり》の拔《ぬ》けぬ頭《あたま》の眞中《まんなか》の禿《は》げた老母《らうぼ》と、頰《ほゝ》の赤《あか》いよく肥《ふと》つた妻君《さいくん》のために、年中《ねんぢう》專念《せんねん》一｜意《い》脇目《わきめ》も振《ふ》らず稼《かせ》いでゐる樣《さま》を憐憫《みじめ》に感《かん》じた。 「僕《ぼく》も二三｜年《ねん》踠《あが》き通《とほ》しだつたが、これからは少《すこ》しは樂《らく》になるだらう、隨分《ずゐぶん》君《きみ》にも迷惑《めいわく》を掛《か》けたがね、もう大丈夫《だいじやうぶ》だ。節儉《せつけん》すりや月末《つきずゑ》の拂《はら》ひに困《こま》ることはない、何《なに》しろ學校《がくかう》の月給《げつきふ》は三十｜圓《ゑん》だから遣切《やりき》れなかつたが、辭書《じしよ》からは六十｜圓《ゑん》づゝ吳《く》れるんだよ、丁度《てうど》倍《ばい》だからね、それに内職《ないしよく》に飜譯《ほんやく》を續《つゞ》けてやつてけば、小使錢《こづかひせん》は取《と》れるし」と、織田《おだ》は自分《じぶん》の現狀《げんじやう》を想《おも》つて悅《うれ》しくてならぬ風《ふう》だ。で、尙《なほ》世帶話《しよたいばなし》を續《つゞ》けて、「家賃《やちん》は收入《しうにふ》の五｜分《ぶん》の一を超過《てうくわ》してはならぬ」とか、「消費《せうひ》組合《くみあひ》に入《はい》れば幾《いく》ら宛《づゝ》經濟《けいざい》になる」とか。終《しまひ》には將來《しやうらい》の家計《かけい》の豫算《よさん》計畫《けいくわく》を細《こま》かく說《と》き出《だ》した。

妹共《いもとども》はもう寢《ね》たのか、家《うち》の内《うち》は靜《しづ》かだが、隣家《となり》から赤兒《あかご》の泣聲《なきごゑ》が洩《も》れ聞《きこ》え、柿《かき》の葉《は》もカサ〳〵と音《おと》を立《た》てゝゐる。健次《けんじ》は火箸《ひばし》で炭籠《すみかご》を引寄《ひきよ》せどつさり添炭《そへすみ》した。最早《もはや》酒《さけ》の氣《け》もなくなつて寒《さむ》い。せめて織田《おだ》が何時《いつ》ものやうに苦痛《くつう》を訴《うつた》へるのなら、聞《き》いても多少《たせう》張合《はりあひ》もあるが、大得意《だいとくい》で生活《せいくわつ》の勝利《しやうり》を談《だん》ずるのだから健次《けんじ》は聞《き》いてゐても眠《ねむ》くなるばかり、 「それでね、父《ちゝ》の病氣《びやうき》がどうかなり次第《しだい》、もつといゝ家《うち》へ轉宅《てんたく》して新《あたら》しい生活《せいくわつ》を初《はじ》めるつもりだ、それについて妹《いもと》だけ持《も》て餘《あま》し者《もの》だが、あれに對《たい》する責任《せきにん》さへ免《まぬか》れりや、僕《ぼく》の重荷《おもに》は卸《お》りてしまうんだよ」と、織田《おだ》は抑揚《よくやう》緩急《くわんきふ》のない調子《てうし》で云《い》つて相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》て答《こたへ》を促《うなが》した。

健次《けんじ》は五月蠅《うるさ》い奴《やつ》だと思《おも》つて、何《なに》か云《い》はうとした所《ところ》へ、母《はゝ》が茶盆《ちやぼん》と菓子皿《くわしざら》を持《も》つて來《き》た。「今《いま》織田《おだ》さんに頂《いたゞ》いたんだよ」と、母《はゝ》は茶《ちや》を注《つ》いで、中腰《ちうごし》で二つ三つ世間《せけん》話《ばなし》をして行《い》つた。皿《さら》にはチヨコレート、クリームが黃《きいろ》い紙《かみ》に包《つゝ》まれて並《なら》んでゐる。健次《けんじ》はそれを手《て》に取《と》つて、端《はじ》を前齒《まへば》で嚙《か》んだが、厭《いや》な顏《かほ》をして、喰餘《くひあま》しを机《つくゑ》の端《はじ》へ置《お》き、 「もう君《きみ》、緣談《えんだん》は止《よ》さうぢやないか、僕《ぼく》はもう聞《き》きたくない」と、命令的《めいれいてき》に云《い》ふ。織田《おだ》は壓《をさ》へ付《つ》けられて暫《しば》らく默《だま》つてゐた。 「だが、君《きみ》の爲《ため》にも結婚《けつこん》する方《はう》がいゝと思《おも》ふ、今《いま》も母堂《マザー》に話《はな》すと母堂《マザー》も賛成《さんせい》して、さうなると結構《けつかう》だと云《い》つてる、それに何《なん》だよ」と、四圍《あたり》を憚《はゞか》つて聲《こゑ》を低《ひく》くし、「君《きみ》のシスターについても僕《ぼく》は考《かんが》へてる、今度《こんど》の事《こと》は四五｜日《にち》前《まへ》に鶴《つる》にもよく話《はな》したんだがね、その時《とき》彼女《あれ》に聞《き》くと、お千代《ちよ》さんは箕浦《みのうら》を思《おも》つてるんださうだ、それだと丁度《てうど》いゝぢやないか、シスターを箕浦《みのうら》へやつちまつては、何《なん》なら僕《ぼく》が周旋《しうせん》する。」 「だつて君《きみ》は箕浦《みのうら》は嫌《きら》ひだと云《い》つてたぢやないか」 「しかし君《きみ》のシスターが好《す》いてりや仕方《しかた》がないさ、君《きみ》も早《はや》く妹《いもと》を片付《かたづ》けて、定《きま》りをつけて、活動《くわつどう》し玉《たま》へ、君《きみ》は我々《われ〳〵》とは異《ちが》つて才《さい》があるんだから幾《いく》らでも發展《はつてん》出來《でき》る」 「うまく煽動《おだて》るね、煽動《おだて》たつて駄目《だめ》だよ、僕《ぼく》に發展《はつてん》の道《みち》がある位《くらゐ》なら、君等《きみら》に云《い》はれなくても疾《とつ》くに發展《はつてん》してる」と、健次《けんじ》は肱枕《ひぢまくら》で橫《よこ》になつた。 「箕浦《みのうら》の自惚家《うぬぼれや》でも君《きみ》にや感心《かんしん》してるよ、二三｜日前《にちまへ》にも見舞《みま》ひだつてやつて來《き》て、何時《いつ》か君《きみ》は異彩《ゐさい》を放《はな》つだらうと云《い》つてた、實《じつ》はその時《とき》妹《いもと》を君《きみ》におつ付《つ》けたいと彼男《あれ》にも明《あか》したのだ」 「箕浦《みのうら》は何《なん》と云《い》つてた」 「彼男《あれ》かね」と、織田《おだ》は云《い》ひかけて躊躇《ちうちよ》して、「別《べつ》に何《なに》も云《い》やしない、丁度《てうど》いゝだらうと云《い》つてた」 「さうでもなからう、しかし君《きみ》は色《いろ》んな事《こと》をするね、千代《ちよ》にも何《なに》か話《はな》したね」 「いや碌《ろく》に話《はな》しもしないが、妻《さい》や妹《いもと》を通《とほ》して多少《たせう》聞《き》いたことはある」 「そうか、彼女《あいつ》が此間《こなひだ》、君《きみ》の家《うち》から歸《かへ》ると、僕《ぼく》に向《むか》つて頻《しき》りに結婚《けつこん》を勸《すゝ》めるから、變《へん》だなと思《おも》つたが今《いま》分《わか》つた、彼女《あいつ》も歲《とし》が歲《とし》だけに生意氣《なまいき》な事《こと》を考《かんが》へてやがらあ」と、舌打《したうち》して起上《おきあが》つた、健次《けんじ》は腹《はら》の中《うち》で、「妹《いもと》は箕浦《みのうら》に對《たい》する競爭者《けうさうしや》のお鶴《つる》を自分《じぶん》に當《あて》がつて、箕浦《みのうら》を一人《ひとり》占《じ》めにしやうと思《おも》つてるんだらう」と、妹《いもと》の腹《はら》の底《そこ》まで小憎《こにくらし》く感《かん》じた。あんな男《をとこ》を珍重《ちんてう》して戀《こひ》とか何《なん》とか云《い》つてるのを蟲唾《むしづ》の出《で》る程《ほど》厭《いや》に感《かん》じた。

織田《おだ》は健次《けんじ》の目付《めつき》の銳《するど》くなるを見《み》て、「何《なに》を考《かんが》へてるんだ」と聞《き》く。 「君《きみ》も餘計《よけい》な世話《せわ》を燒《や》くね、自分《じぶん》の事《こと》だけで飽《あ》き足《た》らなくて」 「餘計《よけい》な世話《せわ》ぢやない、友情《いうじやう》から考《かんが》へたんだ、一｜家《か》の幸福《しあはせ》のために僕《ぼく》の云《い》つた通《とほ》りにし玉《たま》へ、どうせ通《とほ》る道《みち》なら早《はや》く通《とほ》つた方《はう》がいゝぢやないか」 「いゝ仕事《しごと》に有付《ありつ》いたと思《おも》つて馬鹿《ばか》に大家《たいか》めいた事《こと》を云《い》ふね、しかし僕《ぼく》は君《きみ》や箕浦《みのうら》とは異《ちが》つて何處《どこ》へ行《い》くんか方角《はうがく》が取《と》れんから仕方《しかた》ないさ、」 「ぢや僕《ぼく》の說《せつ》は用《もち》ひないんか、それで君《きみ》はどうするんだい、責任《せきにん》の重《おも》い身體《からだ》で」 「さあどうするかね」と、他人事《ひとごと》のやうに云《い》つたが、急《きふ》に鬱陶《うつとう》しい色《いろ》を呈《てい》した。 「君《きみ》は學生《がくせい》時代《じだい》と同《おな》じやうな氣《き》でゐるが、よく家族《かぞく》の事《こと》を思《おも》はんで浮々《うか〳〵》してられるね、目《め》の前《まへ》に君《きみ》の責任《せきにん》がころがつてるぢやないか」と織田《おだ》は眞面目《まじめ》な口調《くてう》を止《や》めぬ。 「だから僕《ぼく》は家《うち》が厭《いや》だよ」と、健次《けんじ》は又《また》橫《よこ》になつて目《め》を閉《と》ぢて、「君《きみ》とも長《なが》い間《あひだ》交際《つきあつ》てるが、福音《ふくゐん》も聞《き》かせて吳《く》れんね、」と、云《い》つたきり、口《くち》を利《き》かなくなつた。 で、織田《おだ》が母《はゝ》と話《はな》して歸《かへ》つた後《のち》、健次《けんじ》は冷《つめ》たい蒲團《ふとん》の中《なか》へもぐり込《こ》んで、「彼奴《あいつ》も馬鹿《ばか》野郎《やらう》だ」と呟《つぶや》いた。しかしこれは他人《たにん》の間《なか》で氣㷔《きえん》を吐《は》いてる時《とき》に叫《さけ》ぶとは異《ことな》つて、滅入《めい》つた絕望《ぜつばう》の聲《こゑ》だ。

（十二）

翌日《よくじつ》は妹《いもと》娘《むすめ》寵愛《てうあい》の子猫《こねこ》が、晚餐《ばんさん》の總菜用《さうざいよう》の魚《うを》を啣《くは》へて緣《えん》の下《した》へ逃《に》げ込《こ》んだので、一｜家《か》は大騷《おほさわ》ぎ。父《ちゝ》は褞袍《どてら》を着《き》たまゝ寢室《ねま》を出《で》て來《く》る。母《はゝ》は靑筋《あをすじ》立《たて》ゝ怒鳴《どな》り立《た》てる。暫《しば》らくして何《なに》食《く》はぬ顏《かほ》の猫《ねこ》は鈴《すゞ》を鳴《な》らして長火鉢《ながひばち》の側《そば》へ歸《かへ》り、目《め》を細《ほそ》くして口《くち》べた［＃「べた」に傍点］を甜《な》めずつてゐると、皆《み》んなに頭《あたま》を打《ぶ》たれた。母《はゝ》の愚痴《ぐち》が靜《しづ》まると、家族《かぞく》は煮豆《にまめ》で晚餐《ばんめし》を食《く》つた。

健次《けんじ》はかねて賴《たの》んで置《お》いた或《ある》社員《しやゐん》の知《しら》せで、日暮《ひぐれ》前《まへ》に月島《つきしま》の或《ある》下宿屋《げしゆくや》の空間《あきま》を檢分《けんぶん》した。廊下《らうか》に立《た》つと、安房《あは》上總《かづさ》の山々《やま〳〵》が夢《ゆめ》のやうに、ぼんやり［＃「ぼんやり」に傍点］水煙《みづけむり》の向《むか》うに浮《うか》び、强《つよ》い風《かぜ》が絕《た》え間《ま》なく寄《よ》せて來《く》る。隣室《となり》の話聲《はなしごゑ》も風《かぜ》に浚《さら》はれ波《なみ》の音《おと》に沒《ぼつ》して聞《きこ》えぬ。彼《か》れは幼《をさな》い頃《ころ》讚岐《さぬき》の濱《はま》で恣《ほしひ》まゝに鹽風《しほかぜ》を浴《あ》びて遊《あそ》んだことを朧氣《おぼろげ》に思《おも》ひ出《だ》した。その瞬間《しゆんかん》「新生涯《しんしやうがい》を此處《こゝ》で始《はじ》める、根岸《ねぎし》の古屋《ふるや》を去《さ》つて腹《はら》一｜杯《ぱい》鹽氣《しほけ》を吸《す》はう」と决《けつ》し、二三｜日《にち》中《うち》に返事《へんじ》をすると約束《やくそく》した。で、家《うち》へ歸《かへ》ると、母《はゝ》や妹《いもと》に聞《きか》された一｜日《にち》中《ぢう》の大事件《だいじけん》は猫《ねこ》と魚《うを》の話《はなし》であつた。

（十三）

