# 何處へ

## Part 2

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大抵《たいてい》の家《いへ》は戶《と》を鎖《とざ》し、暗闇《くらやみ》の森閑《しんかん》とした道《みち》を、健次《けんじ》は雜念《ざつねん》に煩《わづら》はされ、俯首《うつむ》いてコツ〳〵辿《たど》つてゐる。彼《か》れは七歲で先祖《せんぞ》以來《いらい》のこの都《みやこ》へ歸《かへ》つてより二十七｜歲《さい》の今《いま》まで殆《ほと》んど一｜日《にち》もこの道《みち》を踏《ふ》まぬことなく、目《め》を瞶《つぶ》つてゝも、路次《ろじ》の隅々《すみ〴〵》まで間違《まちが》へる氣遣《きづか》ひはない。 そしてこの界隈《かいわい》の見《み》る物《もの》聞《き》く物《もの》に飽《あ》き〳〵してゐる。父《ちゝ》は交番《かうばん》の角《かど》まで來《く》ると肩《かた》の荷《に》が下《お》りるやうな氣《き》がすると云《い》ふが、健次《けんじ》は此處《こゝ》まで歸《かへ》ると、足《あし》が澁《しぶ》つて後《あと》へ引《ひき》かへしたくなる。彼《か》れは今《いま》織田《おだ》に分《わか》れ、その長靴《ながぐつ》の重《おも》い音《ね》の次第《しだい》に消《き》ゆるを聞《き》きながら、「阿片《あへん》を呑《の》みたい」を繰返《くりかへ》した。他人《たにん》が味《うま》さうに吸《す》ふのを見《み》て羨《うらや》ましく、煙草《たばこ》を吸《す》ひ習《なら》つたが、自分《じぶん》には左程《さほど》の甘味《うまみ》もない。阿片々々《あへん〳〵〳〵》、自分《じぶん》が内々《ない〳〵》求《もと》めてた者《もの》はあれだ、阿片《あへん》さへ吸《す》へばこの世《よ》からなる極樂淨土《ごくらくじやうど》へ行《い》けるのだ。アルコールランプに點火《てんくわ》し、長椅子《ながいす》に身《み》を埋《うづ》め、長《なが》い煙管《きせる》で匂《にほ》ひを呼《よ》び、沈睡《ちんすゐ》に陷《おちい》る支那人《しなじん》は、祖先《そせん》の詩人《しじん》が夢想《むそう》した無何有《むかう》の境《さかひ》に遊《あそ》んでゐるのだ。阿片《あへん》を嗅《か》ぎに支那《しな》へ行《ゆ》く。迦南《かなん》の樂土《らくど》は其處《そこ》にありと思《おも》はれる。

敎師《けうし》の職《しよく》は蓄音器《ちくおんき》か鸚鵡《あふむ》の役廻《やくまは》りだと感《かん》じて、否應《いやおう》なしに辭職《じしよく》し、もつと活氣《くわつき》のあり動《うご》きのある役《やく》をと志《こゝろざ》し、現在《げんざい》の職《しよく》を求《もと》めたが、これも此頃《このころ》は厭《いや》で〳〵溜《たま》らぬ。どうせ長《なが》くは續《つゞ》きはしない。いつそ向《むか》うから不勉强《ふべんきよう》の爲め免職《めんしよく》と來《く》ると、新《あら》たなる地《ち》が開《ひら》けさうだが、當分《たうぶん》そんな運《うん》も向《む》ひて來《き》さうでない。だから明日《あす》は桂田《かつらだ》を訪《たづ》ねて「現代《げんだい》の思潮《しちやう》」とか何《なん》とかの問題《もんだい》で、的《てき》の字《じ》づくめの談話《だんわ》を筆記《ひつき》して來《こ》なくちやならん。

雨《あめ》はしよぼ〳〵と飽《あ》きもせずに降《ふ》つてゐる。電燈《でんとう》の輝《かゞや》いてる或《ある》別邸《べつてい》の犬《いぬ》は今夜《こんや》も飽《あ》きもせずに生命《いのち》限《かぎ》り吠《ほ》え立《た》てゝゐる。

健次《けんじ》は睡《ねむ》い目《め》をして元氣《げんき》のない欠伸《あくび》をした。

先々月《せん〳〵げつ》の初《はじ》め、殘暑《ざんしよ》のまだ酷《きび》しい時分《じぶん》、西日《にしび》の當《あた》る桂田《かつらだ》の書齋《しよさい》で、長々《なが〴〵》しい文學論《ぶんがくろん》、獨逸語《どいつご》やラテン語《ご》交《まじ》りの味《あじ》のない只《たゞ》六ケ｜敷《しい》議論《ぎろん》を筆記《ひつき》させられ、浴衣《ゆかた》の着流《きなが》しでありながら、汗《あせ》に漬《つか》つて弱《よは》つたことがあつたが、その時《とき》下座敷《したざしき》から柔《やはら》かいピアノの音《ね》が洩《も》れ聞《きこ》え、博士《はかせ》の頑固《かたくな》な言葉《ことば》を追《お》ひのけては、健次《けんじ》の耳《みゝ》に忍《しの》び込《こ》み、膓《はらわた》まで盪《とろ》かさうとした。そして彼《か》れの筆記《ひつき》はしどろもどろ［＃「しどろもどろ」に傍点］に亂《みだ》れ、聞違《きゝちが》へ書誤《かきあやま》りの夥《おびたゞ》しかつたのを、そのまゝ雜誌《ざつし》に掲《かゝ》げて博士《はかせ》の怒《いか》りに觸《ふ》れたが、あの時《とき》ほど博士《はかせ》が怖《こわ》い顏《かほ》して激《はげ》しい言葉《ことば》を吐《は》いたことはない。で、後々《のち〳〵》までも健次《けんじ》の耳《みゝ》には、その音樂《おんがく》が染《し》みついて、踏飽《ふみあ》いた道《みち》を步《あゆ》んでる時《とき》など、耳《みゝ》の底《そこ》でぴん〳〵鳴《な》り響《ひゞ》いて、心《こゝろ》に異樣《ゐやう》な感《かん》じが起《おこ》る。 ピアノの主《ぬし》の博士《はかせ》夫人《ふじん》も美《うつ》くしい、櫻木《さくらぎ》のお雪《ゆき》も美《うつ》くしい、織田《おだ》の妹《いもと》も醜《みに》くゝはない。紅葉《こうえふ》や綠雨《りよくう》の小說《せうせつ》の主人公《しゆじんこう》の如《ごと》く、女《をんな》が生命《いのち》の凡《すべ》てなら、憧憬《あこが》れたり煩悶《もだへ》たり若《わか》い盛《さか》りの今《いま》時分《じぶん》、さぞ戀《こひ》に忙《いそが》しいことであらうが、 「しかし自分《じぶん》は箕浦《みのうら》ぢやない」と、自分《じぶん》の胸《むね》に答《こた》へた。その聲《こゑ》は他《た》を嘲《あざ》けつた自尊心《じそんしん》から出《で》たのであらうが、絕望《ぜつばう》の調《てう》も交《まじ》つてゐる。で、彼《か》れは煙草《たばこ》を啣《くは》へ袂《たもと》からマツチ箱《はこ》を取出《とりだ》したが、マツチは一｜本《ほん》もないので、舌打《したうち》して箱《はこ》を投《な》げつけ、傘《かさ》を持直《もちなほ》してさつさ［＃「さつさ」に傍点］と步《ある》き出《だ》した。目《め》の前《まへ》には自分《じぶん》の家《いへ》の軒燈《がすとう》が、今《いま》にも消《き》えさうに微《かす》かに光《ひか》つてゐる。

彼《か》れは雨《あめ》にふやけた［＃「ふやけた」に傍点］潜戶《くゞりど》を兩手《りやうて》で開《あ》け、成《なる》べく音《おと》のせぬやうに敷石《しきいし》を傳《つた》ひ、玄關《げんくわん》の隅《すみ》へ傘《かさ》を投《な》げ出《だ》すと、母《はゝ》は雨戶《あまど》を開《あ》けて釣《つり》ランプを差出《さしだ》し、 「おや衣服《きもの》がびしよ濡《ぬ》れぢやないか、この冷《ひ》えるのにそんなに濡《ぬ》れちやつては身體《からだ》に毒《どく》ですよ」 と、氣遣《きづか》はしさうに健次《けんじ》を見詰《みつ》めてゐる。 「今日《けふ》は早《はや》く歸《かへ》る筈《はず》でしたが、又《また》友人《いうじん》に誘《さそ》はれて遲《おそ》くなりました、明日《あす》は屹度《きつと》早《はや》く歸《かへ》ります」 と、言《い》はれぬ前《まへ》に言譯《いひわけ》しながら、足袋《たび》を脫《ぬ》いで、爪先《つまさき》で臺所《だいどころ》へ步《ある》いて行《ゆ》き、足《あし》を濯《そゝ》いだ後《のち》、そつと柄杓《ひしやく》から口《くち》うつしに冷水《れいすゐ》を呑《の》んだ。臺所《だいどころ》には盥《たらひ》を据《す》ゑ、柱《はしら》を傳《つたは》つた雨《あめ》の雫《しづく》がぽたり〳〵落《お》ちてゐる。

健次《けんじ》は長火鉢《ながひばち》の前《まへ》へ戾《もど》つて、着物《きもの》を脫《ぬ》いで母《はゝ》の手《て》から搔卷《かいまき》を取《と》り、酒氣《しゆき》の名殘《なごり》で温《あたゝ》かい肌《はだへ》にふはりと纏《まと》ひ、菊《きく》を染《そ》め出《だ》した八ツ橋《はし》の略帶《しごき》を柔《やはらか》く締《し》めて胡座《あぐら》を搔《か》き、「皆《み》なもう寢《ね》たんですか」と、隣室《となり》の父《ちゝ》の高鼾《たかいびき》を聞《き》いてゐる。 「あ、もう二｜時間《じかん》も前《まへ》から寢《ね》てらあね、それにお父《とつ》さんは風邪氣《かぜけ》だといつてね、お夕飯《ゆうはん》が濟《す》むと直《す》ぐにお休《やす》みさ」と母《はゝ》は戶締《とじま》りをして火鉢《ひばち》の側《わき》に戾《もど》り、「お前《まへ》、織田《おだ》さんがお出《いで》だよ、何《なに》か用事《ようじ》がおありのやうで、大分《だいぶ》待《ま》つてゐなすつたがね」 「いや、織田《おだ》にや途中《とちう》で會《あ》ひました、親爺《おやぢ》が病氣《びやうき》だとか云《い》つてた」 「さうだつてねえ、餘程《よほど》お惡《わる》いんだつてねえ」と眉《まゆ》を顰《ひそ》め、「織田《おだ》さんも大抵《たいてい》ぢやあるまいよ、稼人《かせぎて》はあの方《かた》一人《ひとり》で、それで病人《びやうにん》なんか出來《でき》てはね、……でも感心《かんしん》な人《ひと》さ、一｜生懸命《しやうけんめい》に働《はたら》いてゐなさる」 「何《なに》、あの男《をとこ》は他人《たにん》が思《おも》ふ程《ほど》苦《く》にしちやゐないさ、呑氣《のんき》な人間《にんげん》ですもの」 「さうでもあるまいよ、厄介者《やくかいもの》が多《おほ》いんだから、浮《うは》の空《そら》ぢやゐられないさ、お前《まへ》だつて今《いま》の間《うち》はどんなにしてゝもよからうがね、もうそろ〳〵先々《さき〴〵》の事《こと》も考《かんが》へなければね、お父《とつ》さんも口《くち》ばかりは元氣《げんき》がよくても、何時《いつ》までもお役所《やくしよ》通《がよ》ひも出來《でき》まいし織田《おだ》さんのやうにお前《まへ》が家《うち》の心棒《しんばう》になつてお吳《く》れでなくちや」と、何《なに》につけてもお定《きま》りの御敎訓《ごけうくん》が始《はじ》まりかけたので、 「ですがね、お母《つか》さん、織田《おだ》の大木《たいぼく》なら心棒《しんばう》にでも大黑柱《だいこくばしら》にでもなるでせうが、私《わたし》のやうな痩《や》せつぽちぢやお役《やく》に立《た》ちませんよ」と、健次《けんじ》は如何《いか》にも無邪氣《むじやき》さうに笑《わら》つた。母《はゝ》も釣込《つりこ》まれて靑《あを》い顏《かほ》に笑《わら》ひを浮《うか》べ、 「馬鹿《ばか》お云《い》ひでない」と云《い》つたが、話《はなし》は甘《うま》く外《そ》れて、「そう云《い》へばねお前《まへ》、家《うち》の冑《かぶと》は大變《たいへん》いゝ物《もの》で世間《せけん》に類《るい》が少《すくな》いんだとさ、今日《けふ》古物《こぶつ》陳列會《ちんれつくわい》とかへ出《だ》すとね、誰《たれ》だか目《め》の利《き》く方《かた》が見《み》て、大變《たいへん》褒《ほ》めてゐなすつたつて、だからお父《とつ》さんも、あれ程《ほど》世間《せけん》へ出《だ》すのを厭《いや》がつてた癖《くせ》に、今日《けふ》は歸《かへ》るとその話《はなし》ばかりして、大喜《おほよろこ》びで被入《いらつし》やるんだよ、賣《う》つたらば大變《たいへん》なお金《かね》になるんだらうね、あんな薄汚《うすきたな》い冑《かぶと》だけど」 「さうでせう、今《いま》は物好《ものず》きな人間《にんげん》が多《おほ》いから、……買手《かひて》があつたら早《はや》く賣《う》つたらいいでせう」 「でもね、お父《とつ》さんは饑《う》え死《じに》しても、先祖《せんぞ》の寶《たから》だから人手《ひとで》にや渡《わた》さないつて、獨《ひと》りで力《りき》んでるんだから」 「まあお父《とつ》さんはあれが生命《いのち》よりも大事《だいじ》なんだからいゝさ」と、欠伸《あくび》をして、「今《いま》にお父《とつ》さんの望《のぞ》みが屆《とゞ》いて、馬《うま》でも買《か》つたら、あの甲《かぶと》や鎧《よろひ》を着《き》て刀《かたな》を差《さ》して、この汚《きたな》い家《うち》から手綱《たづな》を執《と》つて妖怪《ばけもの》退治《たいぢ》にでも出《で》て行《ゆ》くでせう、さうなるとお父《とつ》さん萬歲《ばんざい》だが、何年《なんねん》先《さ》きのことかなあ」 老母《らうば》は險《けん》のある目《め》で健次《けんじ》を見《み》て、「お父《とつ》さんやお前《まへ》は何故《なぜ》さう呑氣《のんき》なんだらう、私《わたし》一人《ひとり》にやきもき［＃「やきもき」に傍点］させといてさ」と、長煙管《ながきせる》をポンと邪慳《じやけん》に叩《たゝ》くので、健次《けんじ》は片膝《かたひざ》立《た》てて逃仕度《にげじたく》をし、 「呑氣《のんき》な者《もの》ですか、お父《とつ》さんは馬《うま》を買《か》ひたくつて、腰辨當《こしべんたう》で齷齪《あくせく》してるんだし、私《わたし》だつて、胸《むね》に苦勞《くろう》の絕《た》えたことはありやしない」と、眞面目《まじめ》か戯言《じやうだん》か分《わか》らぬ云《い》ひやうをしたが、急《きふ》に生眞面目《きまじめ》になり、「一昨日《おとつひ》の晚《ばん》にね、お母《つか》さん、私《わたし》は廣小路《ひろこうじ》でお父《とつ》さんに會《あ》つたんですよ、向《むか》うでは氣《き》が付《つ》かなかつたやうだが、私《わたし》が後《あと》から見《み》てると、あの蝙蝠傘《かうもりがさ》を突《つ》いて、馬丁《べつとう》と何《なん》だか話《はなし》をしてる。話《はなし》の筋《すぢ》は分《わか》らなかつたが、柳《やなぎ》の木《き》に軍人《ぐんじん》の誰《た》れかの馬《うま》が繋《つな》いであつて、お父《とつ》さんがその馬《うま》から目《め》を離《はな》さずに見惚《みと》れてるんです。凡《およ》そ十｜分間《ぷんかん》もして、お父《とつ》さんは名殘惜《なごろお》しさうに振《ふ》り返《かへ》り〳〵して歸《かへ》つて行《い》つたが、私《わたし》はそれをぢつと見《み》てゝね、その時《とき》ばかりはお父《とつ》さんに早《はや》く馬《うま》を買《か》つて上《あ》げたいと思《おも》ひました」と云《い》つて、立上《たちあが》つた。

母《はゝ》は呆《あき》れた風《ふう》で見上《みあ》げて、「直《す》ぐお寢《やす》みかい」 「いや少《すこ》し勉强《べんきやう》してから寢《ね》ませう、明日《あす》は八｜時《じ》に起《おこ》して下《くだ》さい」 と、書齋《しよさい》に入《はい》ると、母《はゝ》は追馳《おつか》けて來《き》て、マツチを擦《す》つて手《て》づからランプを點火《とぼ》し、「お前《まへ》、二｜圓《ゑん》ばかり持《も》つてゐないかい、千代《ちよ》の月謝《げつしや》だの何《なん》だので、私《わたし》の手元《てもと》に大變《たいへん》不自由《ふじゆう》してるから」 と、低《ひく》い聲《こゑ》で歎願《たんがん》する。健次《けんじ》は無言《むごん》で、蟇口《がまぐち》からぐちや〳〵の札《ふだ》を手渡《てわたし》して机《つくゑ》に向《むか》つた。

書齋《しよさい》は土藏《どぞう》側《わき》の八｜疊《じやう》の室《ま》、家中《かちう》で最《もつと》も醜《みにく》くない部屋《へや》だが、それでも疊《たゝみ》は茶色《ちやいろ》をして所々《ところ〴〵》擦《す》りむけ、壁《かべ》には斑點《しみ》が出來《でき》てゐる。小形《こがた》の本箱《ほんばこ》が二つ並《なら》んで、健次《けんじ》が中學《ちうがく》時代《じだい》からの敎課書《けうくわしよ》や愛讀書《あいどくしよ》が、ぎつしり詰込《つめこ》まれ、プルタークの英雄傳《えいゆうでん》樗牛《ちよぎう》全集《ぜんしふ》透谷《とうこく》全集《ぜんしふ》などの背皮《せがわ》の金字《きんじ》が微《かす》かに見《み》える、しかし此等《これら》の書物《しよもつ》は微曇《うすくも》りの玻璃戶《がらすど》から引出《ひきだ》されたことなく、机《つくゑ》の上《うへ》には新《あたら》しい經濟書《けいざいしよ》が置《お》かれてゐる。

健次《けんじ》は二三の郵便物《いうびんぶつ》を手《て》に取《と》つたが、一つは箕浦《みのうら》からで、二三｜日中《にちちう》に會談《くわいだん》したい、云《い》ひたい事《こと》が山《やま》ほどあると書《か》き、尙《なほ》それだけでは飽氣《あつけ》ないと見《み》え、今月《こんげつ》の諸雜誌《しよざつし》を讀《よ》み、何《いづ》れも輕浮《けいふ》なる文字《もじ》の多《おほ》きを悲《かな》しむ、我々《われ〳〵》は滔々《たう〳〵》たる弊風《へいふう》に感染《かんせん》せず、徒《いたづ》らに虛名《きよめい》を求《もと》めずして眞面目《まじめ》なる硏究《けんきう》を續《つゞ》けたしと書《か》き添《そ》えてある。又《また》一つは織田《おだ》の妹《いもと》からの手紙《てがみ》で、「秋《あき》の日《ひ》」だの「望《のぞみ》の夜《よ》」だのゝ五六｜首《しゆ》の歌《うた》を認《したゝ》めて、雜誌《ざつし》へ出《だ》して吳《く》れと切望《せつぼう》してゐる。健次《けんじ》は二つの手紙《てがみ》を抽斗《ひきだし》へ入《い》れ、書物《しよもつ》を擴《ひろ》げて二三｜枚《まい》讀《よ》んでゐたが、やがて投《な》げ出《だ》して濃《こ》い眉《まゆ》をぴりゝとさせた。「箕浦《みのうら》の所謂《いはゆる》眞面目《まじめ》なる硏究《けんきう》は五｜年前《ねんぜん》に過《す》ぎ去《さ》つたのだ」と、兩手《りやうて》で頭《あたま》を抱《だ》いて目《め》を瞑《つぶ》つた。すると歸宅《きたく》の途中《とちう》と同《おな》じい雜念《ざつねん》が湧《わ》き上《あが》つて留《と》め度《ど》がない。天井《てんじやう》には鼠《ねづみ》が暴《あば》れまはつて、時々《とき〴〵》チユツ〳〵と鳴聲《なきごゑ》がする。一｜家《か》四｜人《にん》はすや〳〵と眠《ねむ》つてゐるが、每夜《まいよ》その寢息《ねいき》を聞《き》くぐらゐ彼《か》れに取《と》つて厭《いや》な氣《き》のすることはない。人中《ひとなか》へ出《で》てる時《とき》には心《こゝろ》が動搖《どうえう》して紛《まぎ》れてゐるが、獨《ひと》り默然《もくねん》と靜《しづ》かな部屋《へや》に坐《すは》つてゐると、心《こゝろ》が自分《じぶん》の一｜身《しん》の上《うへ》に凝《こ》り固《かた》まつて、その日常《にちじやう》の行爲《かうゐ》の下《くだ》らないこと、將來《しやうらい》の賴《たの》むに足《た》らぬこと、假面《かめん》を脫《ぬ》いだ自己《じこ》がまざ〳〵と浮《うか》び、終《しまひ》には自分《じぶん》の肉體《にくたい》までも醜《みにく》く淺間《あさま》しく思《おも》はれて溜《たま》らなくなる。その時《とき》こんな下《くだ》らない人間《にんげん》を手賴《たよ》りにしてゐる家族《かぞく》の寢息《ねいき》が忍《しの》びやかに聞《きこ》えると、急《きふ》に憐《あは》れに心細《こゝろぼそ》く、果《は》ては萎《しほ》れてしまう。

健次《けんじ》は昨夜《さくや》と同《おな》じ考《かんがへ》を經驗《けいけん》し、心細《こゝろぼそ》くなつて萎《しほ》れて、遂《つひ》にぶつ倒《たふ》れて、睡《ねむ》る氣《き》ではなくても自然《しぜん》に眠《ねむ》つてしまう。

雨滴《あまだれ》は同《おな》じ音《おと》を繰返《くりかへ》し、鼠《ねづみ》も倦《う》みもせずに騷《さわ》いでゐる。

（四）

翌朝《よくちやう》目《め》の醒《さ》めた頃《ころ》は、目伏《まぶ》しい日光《につくわう》がカツと照《て》り渡《わた》り、半身《はんしん》を蒲團《ふとん》の上《うへ》に持上《もちあ》げると頭《あたま》がぐら〳〵する。健次《けんじ》は手《て》を伸《のば》して緣側《えんがは》の障子《しやうじ》を開《あ》けた。莖《くき》の細《ほそ》い花《はな》の小《ちい》さい黃白《くわうはく》の野菊《のぎく》の間《あひだ》に突立《つツた》つた物干竿《ものほしざほ》には、シヤツや足袋《たび》がぶら下《さが》つて、水氣《みづけ》が盛《さか》んに舞《ま》ひ上《のぼ》つてゐる、父《ちゝ》も妹《いもと》も出掛《でか》けたと見《み》え、家内《かない》はひつそりして只《たゞ》母《はゝ》の洗濯《せんたく》の音《おと》が聞《きこ》える。

健次《けんじ》は勇《いさ》ましく跳《は》ね起《お》きて、直樣《すぐさま》身仕度《みじたく》をし、獨《ひと》りで食事《しよくじ》をしてゐると、母《はゝ》は濡《ぬ》れ手《て》を拭《ぬぐ》ひ〳〵茶《ちや》の間《ま》へ入《はい》り、 「今日《けふ》は直《す》ぐに社《しや》へお出《い》でかい」 「いえ、一寸《ちよつと》桂田《かつらだ》の家《うち》へ寄《よ》つて行《い》きます」 「え、先生《せんせい》のお宅《たく》へ、ぢや先生《せんせい》にも奥樣《おくさま》にもよろしく云《い》つてお吳《く》れよ、ほんとに暫《しば》らく御無沙汰《ごぶさた》して申譯《まをしわけ》がないんだが、變《へん》にお思《おも》ひなさらぬやうにね、お前《まへ》も先生《せんせい》や奥樣《おくさま》の御機嫌《ごきげん》を損《そこ》ねんやうに氣《き》をおつけよ、これまでだつてお世話《せわ》にばかりなつたのだし、これからもどうせあの方《かた》にお手賴《たよ》り申《まを》さにやならんのだしね、だからお前《まへ》麁相《そさう》の事《こと》を云《い》つちやならないよ」 と、柔《やさ》しく幼兒《おさなご》にでも說聞《ときき》かすやうに云《い》ふ。

健次《けんじ》は「えゝ」と氣《き》のない返事《へんじ》をして茶漬《ちやづけ》を搔《か》き込《こ》み、「ね、お母《つか》さん、私《わたし》は當分《たうぶん》社《しや》の近《ちか》くへ下宿《げしく》したいと思《おも》ひます、家《うち》からぢや社《しや》へ遠《おほ》くつて、此頃《このごろ》のやうに忙《いそがし》くちや、少《すこ》し不便《ふべん》でもあるし、それに年内《ねんない》に著作《かきもの》をしたいんです」と、平生《ふだん》よりも落付《おちつ》いて穩《おだや》かに云《い》ふ。 「えツ、下宿《げしく》するつて」と、母《はゝ》は襷《たすき》のまゝ、長火鉢《ながひばち》に寄《よ》りかゝつたなり、健次《けんじ》の顏《かほ》を見《み》て驚《おどろ》いてゐる。「だつてお前《まへ》。下宿《げしく》すりや物《もの》がかゝる計《ばか》りぢやないか」 「何《なに》、下宿料《げしくれう》なんか廉《やす》いものでさあ、それに私《わたし》に少《すこ》し考《かんが》へがあるから、さう云《い》ふことに定《き》めさせて下《くだ》さい」 「まあお父《とつ》さんに聞《き》いて御覽《ごらん》な、私《わたし》にやお前《まへ》の云《い》ふことが分《わか》らないよ、學校《がくかう》へ通《かよ》つてる時《とき》とは異《ちが》つて、もう一｜家《か》の主人《しゆじん》となる身分《みぶん》でさ、家《うち》を出《で》て下宿《げしく》するて一｜體《たい》どうしたんでせう」と、向《む》きになつて責《せ》める。 「その代《かは》り暮《くれ》にや少《すこ》し金《かね》を造《つく》つて、妹《いもと》に春衣《はるぎ》位《ぐらゐ》買《か》つてやります」と、健次《けんじ》は宥《なだ》めるやうに云《い》つたが、母《はゝ》は胕《ふ》に落《お》ちぬらしく、額《ひたひ》に靑筋《あをすぢ》を立《た》てゝ少《すこ》し慳貪《けんどん》に、 「春衣《はるぎ》どころぢやないよ、暮《くれ》にはお前《まへ》を當《あて》にしてるんだから、一人《ひとり》で浮々《うき〳〵》遊《あそ》んでられちや困《こま》らあね、それに下宿《げしく》なんかして、無駄《むだ》なお錢《あし》を使《つか》ふつていふ方《はう》があるもんぢやない、まあお父《とつ》さんを御覽《ごらん》なさい、今朝《けさ》も加減《かげん》が惡《わる》いのに早《はや》くから出《で》て被入《いらつ》しやつたのに、お前《まへ》は每日《まいにち》々々《〳〵》お酒《さけ》を呑《の》んぢや遲《おそ》く歸《かへ》るしさ、三十｜近《ちか》くもなつて、何故《なぜ》かう考《かんが》へがないんだらう」と、鐵瓶《てつびん》をこすり〳〵、目《め》に皺《しは》を寄《よ》せてゐる。 「私《わたし》だつて考《かんが》へてるさ」と、健次《けんじ》は小聲《こごゑ》で云《い》つて、母《はゝ》を相手《あひて》に理窟《りくつ》を云《い》ふ氣《き》もなかつたが、自分《じぶん》に似《に》てると云《い》はれる母《はゝ》の顏《かほ》の、年齡《とし》よりも老《ふ》けて、淋《さび》しく沈《しづ》んだ間《うち》に、神經《しんけい》の銳《するど》く動《うご》くを見《み》て、何《なん》となく氣《き》の毒《どく》になり、 「ですがねお母《つか》さん、私《わたし》は家《うち》へ歸《かへ》ると氣《き》が滅入《めい》つて仕方《しかた》がないんです、一｜時間《じかん》もぢつとして書物《しよもつ》を見《み》ちやゐられんのです、何《なん》だかかう穴《あな》の中《なか》へでも入《はい》つてるやうで、氣《き》が落付《おちつ》かなくなるし、黴臭《かびくさ》い臭《にほ》ひがして息《いき》がつまります、お父《とつ》さんは住《す》み馴《な》れてるから、此家《ここ》が一｜番《ばん》いゝと云《い》ふんだけど、私《わたし》にや一｜日《にち》居《を》りや一｜日《にち》壽命《じゆめう》が縮《ちゞ》まる氣《き》がする。去年《きよねん》まではさうでもなかつたが、此頃《このごろ》は殊《こと》にひどいんです、だから下宿《げしく》でもしたら、少《すこ》しは氣分《きぶん》が直《なほ》るかと思《おも》つて、昨夜《ゆうべ》獨《ひと》りで定《き》めたんです」と、健次《けんじ》は今《いま》も鬱陶《うつたう》しい毒氣《どくき》が壁《かべ》の隅《すみ》から噴《ふ》き出《で》て、自分《じぶん》を壓迫《あつぱく》する如《ごと》く感《かん》じた。 「それがお前《まへ》の我儘《わがまゝ》だよ」と、一口《ひとくち》にはね付《つ》けて、「家《うち》が汚《きたな》くつて厭《いや》なら厭《いや》で、お前《まへ》が自分《じぶん》で修繕《しうぜん》でもする氣《き》にならなくちや」 「だつてこんな家《いへ》を手入《てい》れしたつて駄目《だめ》さ、しかしお父《とつ》さんが好《す》きなんだから仕方《しかた》がない、私《わたし》だけ何處《どこ》かへ逃《に》げ出《だ》すんさ」 と、健次《けんじ》は母《はゝ》に何《なに》を云《い》つても無駄《むだ》だ、自分《じぶん》で無言《むごん》實行《じつこう》すればよいと思《おも》つて口《くち》を噤《つぐ》み、母《はゝ》が何《なに》か云《い》ひかけるのを冷《ひやゝ》かに見《み》て、新聞《しんぶん》をポツケツトに捻込《ねじこ》み、中折《なかをれ》を被《かぶ》つて急《いそ》いで戶外《そと》へ出《で》た。ステツキを小脇《こわき》に挿《はさ》み、新聞《しんぶん》を出《だ》して、「模範的《もはんてき》學生《がくせい》」や「醜業婦《しふげふふ》」の記事《きじ》、經濟論《けいざいろん》から運動界《うんどうかい》の消息《せうそく》まで、何物《なにもの》をか捜《さが》し求《もと》むる如《ごと》く、殘《のこ》る隈《くま》なく目《め》を通《とほ》し、漸《やうや》く讀《よ》み終《をは》つた時分《じぶん》、彼《か》れは千｜駄木《だぎ》の桂田家《かつらだけ》の玄關《げんかん》に立《た》つてゐた。

（五）

博士《はかせ》はフロツクコートを着《き》て椅子《いす》に腰掛《こしか》け、新着《しんちやく》の外國《ぐわいこく》雜誌《ざつし》を讀《よ》んでゐたが健次《けんじ》を見《み》ると、 「さあ掛《か》け玉《たま》へ、今日《けふ》は筆記《ひつき》に來《き》たのかね、約束《やくそく》をして置《お》いたんだが、急《きふ》に用事《ようじ》が出來《でき》てね、これから文部省《もんぶしやう》へ行《い》かにやならんから、又《また》明日《あす》か明後日《あさつて》に來《き》て吳《く》れ玉《たま》へ、しかしまだ少《すこ》し間《ま》があるから、まあ腰《こし》をお掛《か》け、今《いま》もこの雜誌《ざつし》を讀《よ》んでゝね、西洋《あちら》の學者《がくしや》の硏究心《けんきうしん》に感服《かんぷく》してたんだ」と鈍《にぶ》い目《め》を向《む》けた。 「さうでせうね、どうしても西洋《あちら》の學者《がくしや》は違《ちが》つてるでせう」と、健次《けんじ》は相槌《あひづち》を打《う》つて、來《く》る度《たび》に嵩張《かさば》つてる書棚《しよだな》を顧《かへり》みた。 「どうです、此頃《このごろ》は何《なに》を硏究《けんきう》してるかね」と、博士《はかせ》はお定《きま》まりの問《とひ》を發《はつ》する。 「何《なに》もやつちやゐません」 「そりやいかん、社《しや》の方《はう》も怠《なま》けるといふぢやないか、それについて君《きみ》に忠吿《ちうこく》しやうと思《おも》つてたんだが、實《じつ》は先日《せんじつ》編輯長《へんしうちやう》が來《き》てね、君《きみ》が此頃《このごろ》は怠《なま》けて困《こま》るといふ話《はなし》だ、一｜體《たい》私《わたし》は靑年《せいねん》が新聞《しんぶん》や雜誌《ざつし》に關係《かんけい》することは初《はじ》めから好《この》まないから、君《きみ》にも懇々《こん〳〵》注意《ちうい》したので、矢張《やはり》眞面目《まじめ》に敎育《けういく》事業《じげふ》に從事《じうじ》するやうに望《のぞ》んだんだが、君《きみ》が是非《ぜひ》やりたいつて、矢《や》も楯《たて》も溜《たま》らん有樣《ありさま》だから紹介《せうかい》はしたけれど、竊《ひそ》かに氣《き》づかつてた、雜誌《ざつし》記者《きしや》なんか私立《しりつ》學校《がくかう》出《で》の者《もの》位《くらゐ》が適任《てきにん》で、君《きみ》などは不適任《ふてきにん》なんだからね、しかし編輯長《へんしうちやう》の話《はなし》によると、初《はじ》めの間《うち》は大變《たいへん》熱心《ねつしん》に働《はたら》いて隨分《ずゐぶん》役《やく》に立《た》つといふから、多少《たせう》安心《あんしん》もした譯《わけ》だが、さう早《はや》く厭《いや》になつちや困《こま》るね」 「そりや初《はじめ》の間《うち》は珍《めづ》らしくつて譯《わけ》もなく面白《おもしろ》いから、氣乗《きの》りがして働《はたら》けるんです、知《し》らん人《ひと》と懇意《こんい》になつたり、有名《いうめい》な博士《はかせ》なんかに會《あ》ふのを悅《うれ》しがつたんですけど、今《いま》ぢやもう好奇心《こうきしん》がなくなりました、戀《こひ》女房《によぼう》だつて一｜年《ねん》も添《そ》つてりや鼻《はな》につきますからね」 「君《きみ》は年々《ねん〳〵》眞面目《まじめ》でなくなる、學校《がくかう》時代《じだい》とは人間《にんげん》が違《ちが》つてしまつた」と、博士《はかせ》は締《しま》りのない顏《かほ》を顰《しか》め、小《ちい》さい耳朶《みゝたぼ》を搔《か》きながら、「君《きみ》に比《くら》べると箕浦《みのうら》は感心《かんしん》だ、以前《いぜん》は遲鈍《ちどん》な男《をとこ》だと思《おも》つてたが、此頃《このごろ》は忠實《ちうじつ》に勉强《べんきやう》してる、度々《たび〳〵》私《わたし》の所《ところ》へ質問《しつもん》を持《も》つて來《く》るが、中々《なか〳〵》硏究心《けんきうしん》に富《と》んでる」 「さうでせう、箕浦《みのうら》君《くん》には僕《ぼく》も感心《かんしん》してます。あの人《ひと》は書物《しよもつ》を積《つ》み重《かさ》ねりや天國《てんごく》へ屆《とゞ》くと思《おも》つて、迷《まよ》はないで書物《しよもつ》の塔《たう》を築《きづ》いてるんですからね、しかし私《わたし》には紙《かみ》の踏臺《ふみだい》は險呑《けんのん》でなりません」と、健次《けんじ》は唇《くちびる》のあたりに微笑《びせう》を湛《たゝ》へ、パツチリした澄《す》んだ目《め》には、博士《はかせ》の胸《むね》の底《そこ》の紙魚《しみ》の跡《あと》まで映《うつ》つてゐる。

博士《はかせ》はます〳〵苦《にが》い顏《かほ》をして、「どうも君《きみ》は眞面目《まじめ》でない、今《いま》から讀書《どくしよ》を卑《いや》しむやうぢや、人間《にんげん》は發逹《はつたつ》の見込《みこみ》がないと斷言《だんげん》出來《でき》る、これから國家《こくか》に盡《つ》くさうといふ靑年《せいねん》が、こんな浮薄《ふはく》な根性《こんじやう》を持《も》つてゝどうします、碌《ろく》に讀書《どくしよ》もせんで書物《しよもつ》を輕《かろ》んじたり、人間《にんげん》の義務《ぎむ》を滿足《まんぞく》に盡《つく》しもしないで、世《よ》の中《なか》を攻擊《こうげき》したり、大間違《おほまちが》ひの話《はなし》ぢやないか、しかしこれも今《いま》の雜誌《ざつし》や文學《ぶんがく》が作《つく》つた惡結果《あくけつくわ》の一つだらう。どうも輕佻《けいちよう》だ、浮薄《ふはく》だ。過渡期《くわとき》には免《まぬ》かれんことだが、武士道《ぶしだう》の精神《せいしん》も衰《おとろ》へるし、新《しん》倫理《りんり》觀《くわん》が靑年《せいねん》の間《あひだ》に缺乏《けつぼう》してゐるから、こんな歎《なげ》かはしい現象《げんしやう》が起《おこ》る。して見《み》ると私《わたし》なども進《すゝ》んで積極的《せききよくてき》に救濟策《きうさいさく》を講《かう》ぜねばなるまい、元來《ぐわんらい》通俗的《つうぞくてき》の片々《へん〳〵》たる議論《ぎろん》を世間《せけん》に發表《はつぺう》することは好《この》ましからんので、成《なる》べくは精力《せいりよく》を自分《じぶん》の事業《じげふ》に集中《しふちう》して、自分《じぶん》の新哲學《しんてつがく》を組織《そしき》したいのであるが、今《いま》の靑年《せいねん》の通弊《つうへい》を見《み》ると、どうも社會《しやくわい》の爲《ため》國家《こくか》の爲《ため》に默々《もく〳〵》に附《ふ》してゐられん、私《わたし》も當面《たうめん》の問題《もんだい》について飽《あく》まで意見《いけん》を發表《はつぺう》しなければなるまい」と、演說調《えんぜつてう》で云《い》つた、それが如何《いか》にも眞面目《まじめ》で心底《しんそこ》から憂世《ゆうせい》の情《じやう》が溢《あふ》れてゐるので、健次《けんじ》は氣《き》の毒《どく》になり、 「ぢや私《わたし》の雜誌《ざつし》へも、そのお考《かんが》へを書《か》いて頂《いたゞ》けますまいか、私共《わたしども》は人生《じんせい》の經驗《けいけん》にも乏《とぼ》しいんですから、先生方《せんせいがた》の御意見《ごいけん》を伺《うかゞ》ふと非常《ひじやう》に爲《ため》になります」と、穩《おだや》かに殊勝《しうしよ》らしく云《い》ふと、博士《はかせ》は顏《かほ》を軟《やはら》げて頻《しき》りに首肯《うなづ》き、 「つまり何《なに》さ、君《きみ》などはまだ〳〵讀書《どくしよ》が足《た》らんし世間《せけん》で苦勞《くろう》をしないから、空論《くうろん》に迷《まよ》はされるんさ」と時計《とけい》を見《み》て、「ぢや二三｜日中《にちちう》に筆記《ひつき》に來《き》て下《くだ》さい、少《すこ》し纏《まとま》つた考《かんがへ》を述《の》べやう、それには私《わたし》が十｜年《ねん》程《ほど》前《まへ》に書《か》いた「東西《とうざい》倫理《りんり》思潮《しちよう》」を參考《さんかう》にするから、君《きみ》も一｜應《おう》目《め》を通《とほ》して貰《もら》ひたい、多少《たせう》今《いま》とは考《かんがへ》が違《ちが》はんでもないが、大體《だいたい》はあれでいい」 と、ひよつくり立《た》つて書架《しよか》を捜《さが》し出《だ》した。博士《はかせ》は漸《やうや》く四十を過《す》ぎたばかり、敎授《けうじゆ》の中《なか》でも幅《はゞ》の利《き》く方《はう》ではなけれど、有名《いうめい》な讀書家《どくしよか》で、語學《ごがく》は英獨佛《えいどくふつ》に熟逹《じくたつ》してゐる。一｜生《しやう》學問《がくもん》しに生《うま》れて來《き》た人《ひと》といふべく、遊戯《ゆうぎ》と云《い》へば五｜目《もく》並《なら》べすら知《し》らぬ。眼《め》の艶氣《つやけ》がなく力《ちから》もなく、ドンヨリしてゐるのは、多年《たねん》の讀書《どくしよ》に疲勞《ひろう》した結果《けつくわ》かとも思《おも》はれる程《ほど》で、卒業後《そつげふご》も地位《ちゐ》を爭《あらそ》はず榮華《えいぐわ》を望《のぞ》まず、親讓《おやゆづ》りの可成《かなり》の財產《ざいさん》あれば生活《せいくわつ》の上《うへ》に憂《うれ》ひはなく、只《たゞ》書籍《しよせき》の中《なか》に身《み》を埋《うづ》め、結婚《けつこん》も三十五六の時《とき》、親戚《しんせき》の强固《きようこ》なる勸吿《かんこく》で漸《やうや》く决行《けつかう》した位《くらゐ》。日常《にちじやう》自分《じぶん》の學問《がくもん》で凡《すべ》ての社會《しやくわい》を指導《しだう》し得《う》らると確信《かくしん》し、靑年《せいねん》にも親切《しんせつ》である温和《をんわ》な良紳士《りやうしんし》だ。

健次《けんじ》は今《いま》書架《しよか》の前《まへ》に立《た》つた、胴《どう》の長《なが》く足《あし》の短《みぢ》かい博士《はかせ》の後姿《うしろすがた》を見《み》て、その十｜年《ねん》一｜日《じつ》の如《ごと》く迷《まよ》ふことなく書物《しよもつ》に耽溺《たんでき》する一｜生《しやう》を羨《うらや》ましく又《また》不思議《ふしぎ》に思《おも》つてゐると、博士《はかせ》は厚《あつ》さ一｜寸《すん》程《ほど》の假綴《かりとぢ》の四六｜版《ばん》を引出《ひきだ》して、指先《ゆびさき》で表紙《へうし》の埃《ちり》を彈《はじ》きながら机《つくゑ》の上《うへ》に置《お》き、 「この中《なか》の要點《えうてん》は一々｜原書《げんしよ》から直接《ちよくせつ》に引照《いんせう》したのだから、自分《じぶん》でも確《たし》かだと信《しん》じてる、兎《と》に角《かく》一｜應《おう》讀《よ》んで下《くだ》さい、君《きみ》も必《かなら》ず益《えき》する所《ところ》があるに違《ちが》ひない」と、所々《ところ〳〵》開《あ》けては二三｜行《ぎやう》小聲《こゞゑ》で讀《よ》み、頻《しき》りに首肯《うなづい》てゐる。 かくて博士《はかせ》は十｜年前《ねんぜん》の己《おの》れを回顧《くわいこ》し、健次《けんじ》は博士《はかせ》の舊著《きうちよ》を無理强《むりじ》いに讀《よ》まされる苦痛《くつう》を豫想《よさう》して、暫《しば》らく無言《むごん》でゐる。錆《さ》びた日光《につくわう》はカーテンの間《あひだ》から洩《も》れて、靑《あを》い机《つくゑ》の上《うへ》に細《ほそ》く一｜線《せん》を劃《かく》してゐる。昨日《きのふ》に變《かわ》つてポカ〳〵と温《あたゝ》かく、健次《けんじ》は締《し》め切《き》つた居間《ゐま》に息《いき》の詰《つま》るやうに感《かん》じた。 「貴下《あなた》、まだお出掛《でか》けになりませんの」と、妻君《さいくん》が不意《ふい》に戶《と》を開《あ》けて、半身《はんしん》を現《あら》はしたので、博士《はかせ》は漸《やうや》く氣《き》がつき、「ぢや二三｜日《にち》内《ない》に」と、健次《けんじ》に云棄《いひす》てゝ、手袋《てぶくろ》を握《にぎ》つたまゝ階下《した》へ下《お》りた。

（六）

