# 何處へ

## Part 1

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Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka

Title: 何處へ (Dokoe) Author: 正宗白鳥 (Hakucho Masamune) Language: Japanese Charactersetencoding: UTF-8 Produced by Sachiko Hill and Kaoru Tanaka. (This file was produced from images generously made available by Kindai Digital Library)

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《...》 shows ruby (short runs of text alongside the base text to indicate pronunciation). Eg. 其《そ》

｜ marks the start of a string of ruby-attached characters. Eg. 十三｜年目《ねんめ》

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何處へ 正宗白鳥著

目次

何處へ （四十一年一月―四月 早稻田文學）…………………一 玉突屋 （同 年一月 太 陽）………………………一三五 六號記事（同 年一月 文章世界）………………………一四三 彼の一日（同 年三月 趣 味）………………………一五九 五月幟 （同 年三月 中央公論）………………………一七三 村 塾 （同 年四月 中央公論）………………………二〇五 空想家 （四十年十 月 太 陽）………………………二二一 株 虹 （同 年十二月 新思潮）………………………二六九 凄い眼 （四十一年八月 太 陽）………………………二九一 世間並 （同 年七月 趣 味）………………………三一一

何處へ

（一）

可愛《かあい》い目元《めもと》をほんのり酒《さけ》に染《そ》めた女《をんな》が高《たか》くさし掛《か》けた傘《かさ》の下《した》に入《はい》つて、菅沼健次《すがぬまけんじ》は敷石傳《しきいしづた》ひに門口《かどぐち》へ來《き》た。 「ぢや明後日《あさつて》、屹度《きつと》ですよ」と、女中《ぢよちう》は笑顏《ゑがほ》で覗《のぞ》き込《こ》み、艶氣《つやけ》を含《ふく》んだ低《ひく》い聲《こゑ》で云《い》つた。 「むゝん」と健次《けんじ》は女《をんな》の顏《かほ》をも見《み》ず、引《ひつ》たくるやうに傘《かさ》を取《と》つて、さつさと急《いそ》ぎ足《あし》で步《ある》き出《だ》したが、五六｜間《けん》も步《あゆ》んで我知《われし》らず振返《ふりかへ》ると、「鳥《とり》」と行書《ぎやうしよ》で書《か》いた濕《しめ》つた軒燈《がすとう》の下《もと》に彼《か》の女《ぢよ》がぼんやり立《た》つてゐる。

健次《けんじ》は何《なん》の譯《わけ》もなく微笑《につこり》する。女《をんな》も微笑《につこり》して、胸《むね》を突出《つきだ》して會釋《ゑしやく》する。 それも一瞬間《またゝくま》で、健次《けんじ》は傘《かさ》を肩《かた》にかけ、側目《わきめ》も振《ふ》らず上野《うへの》の廣小路《ひろこうぢ》へ出《で》て、道《みち》を山下《やました》の方《はう》へ取《と》る。

昨日《きのふ》の天長節《てんちやうせつ》に降《ふ》り通《とほ》した雨《あめ》は、今日《けふ》も一｜日《にち》絕間《たえま》なく、濕《しめ》つぽい夜風《よかぜ》が冷《つめ》たく顏《かほ》に吹《ふ》き當《あた》る。往來《わうらい》の人々《ひと〴〵》は皆《みな》傘《かさ》を斜《なゝ》めに膝《ひざ》を曲《ま》げて、ちよこ〳〵と小股《こまた》に急《いそ》いでゐる。健次《けんじ》も膝《ひざ》から下《した》はびしよ濡《ぬ》れになつたが、敢《あえ》てそれを氣《き》に留《と》めるでもなく、只《たゞ》いゝ氣持《きもち》で、口《くち》の内《うち》で小唄《こうた》か何《なに》か呟《つぶや》いて、沈《しづ》んだ空《そら》へ酒臭《さけくさ》い息《いき》を吐《ふ》きながら、根岸《ねぎし》の近《ちか》くまで來《く》ると、橫合《よこあひ》から底《そこ》の深《ふか》い大《おほ》きな蝙蝠傘《かうもりがさ》が、不意《ふい》に健次《けんじ》の蛇《じや》の目《め》にぶつ付《つ》かる。チエツと舌打《したうち》して避《さ》けやうとする機會《とたん》に、蝙蝠傘《かうもりがさ》の男《をとこ》が聲《こゑ》をかけて、 「やあ君《きみ》」と立留《たちどま》つた。

健次《けんじ》は少《すこ》し驚《おどろ》いて、「やあ君《きみ》か、何處《どこ》へ行《い》つた」 「君《きみ》の家《うち》さ、今夜《こんや》は雨《あめ》だから、屹度《きつと》ゐるだらうと思《おも》つたのに、何處《どこ》を浮《うか》れてた、いい顏《かほ》つきをしてるぢやないか」 「そりや氣《き》の毒《どく》だつたね、これから僕《ぼく》の家《うち》へ行《い》かうぢやないか」 「いや、もう遲《おそ》いからよさう」と、蝙蝠傘《かうもりがさ》の男《をとこ》は長《なが》い身體《からだ》を屈《かゞ》めて、下駄屋《げたや》の時計《とけい》をのぞいて見《み》て、「もう彼此《かれこれ》九｜時《じ》だね」と一寸《ちよつと》考《かんが》え、「實《じつ》は君《きみ》に少《すこ》しお賴《たの》みがあるんだが……此處《こゝ》で話《はな》してもいゝが、どうだ其邊《そこら》の珈琲店《コーヒーてん》へでも寄《よ》つて吳《く》れんか」と、首《くび》をまはして周圍《あたり》を捜《さが》す。 「ぢや、さうしよう、この先《さ》きにいゝ家《うち》がある」と、健次《けんじ》は先《さ》きに立《た》つて、半丁《はんちやう》ばかり泥濘《ぬかるみ》の中《なか》を通《とほ》つて、擦玻璃《すりがらす》に一品亭《いつぴんてい》とある小《ちい》さい西洋料理店《せいやうれうりてん》へ行《い》つた。

客《きやく》は一人《ひとり》もゐない。白布《ぬの》で蔽《おほ》うたテーブルの上《うへ》に火鉢《ひばち》を置《お》いて、籐椅子《とういす》が四五｜脚《きやく》周圍《まはり》に不秩序《ふちつじよ》に置《お》かれてある。健次《けんじ》は火鉢《ひばち》の火《ひ》を搔《か》き廻《まは》して、 「君《きみ》は馬鹿《ばか》に寒《さむ》さうぢやないか、さあ當《あた》り給《たま》へ」 と云《い》つて、卷煙草《まきたばこ》に火《ひ》を付《つ》けて、反身《そりみ》で椅子《いす》に寄《よ》りかゝり、頻《しき》りに瞬《まばたき》をしながら仰向《あふむ》いて煙草《たばこ》を吸《す》ふ。

今迄《いまゝで》板《いた》の間《ま》に腰掛《こしか》け、左右《さいう》の袖《そで》を搔《か》き合《あ》はせて居眠《いねむ》りをしてゐた小娘《こむすめ》が、高《たか》い足駄《あしだ》を引摺《ひきず》つて、 「お誂《あつら》へは」と寢呆聲《ねぼけごゑ》で聞《き》く。 「寒《さむ》いから日本酒《にほんしゆ》がいゝだらう、料理《れうり》は何《なに》がいゝ、ビフテキにでもするか」と、骨太《ほねぶと》い手《て》を火鉢《ひばち》の上《うへ》に翳《かざ》しぽかん［＃「ぽかん」に傍点］としてゐる相手《あひて》の顏《かほ》を見《み》て、默諾《もくだく》を得《え》て、健次《けんじ》は小娘《こむすめ》に命《めい》じた。 この丈高《たけたか》き男《をとこ》は織田《おだ》常吉《つねきち》と云《い》ひ、健次《けんじ》が昔《むかし》の同窓《どうそう》の友《とも》で、今《いま》は私立學校《しりつがくかう》に英語《えいご》の敎師《けうし》を勤《つと》め、傍《かたは》ら飜譯《ほんやく》などをしてゐる。年齡《とし》は健次《けんじ》より僅《わづ》か一つ上《うへ》だが、健次《けんじ》の小柄《こがら》で若《わか》く見《み》えるのに反《はん》して、格段《かくだん》に老《ふ》けて見《み》える。丈《たけ》の高《たか》きのみならず、それに釣合《つりあ》ふ程《ほど》に肉付《にくづ》きもよく、見《み》た所《ところ》魁偉《くわいゐ》なる人物《じんぶつ》であるが、何處《どこ》となく身體《からだ》にゆるみ［＃「ゆるみ」に傍点］がある。鹽氣《しほけ》が足《た》らぬ。顏《かほ》は平《ひら》たく目《め》は細《ほそ》く、耳《みゝ》は福々《ふく〴〵》と垂《た》れてゐる。 「君《きみ》は相變《あひかは》らず氣樂《きらく》さうだね、殊《こと》に今日《けふ》は愉快《ゆくわい》な顏《かほ》をしてるぢやないか」と、織田《おだ》は健次《けんじ》を見《み》て、ゆつたりした聲《こゑ》で云《い》ふ。 「はゝゝゝ、そう見《み》えるかな、これで二三日｜打續《ぶつつゞ》けだよ、まあ社《しや》の方《はう》が暇《ひま》つぶしで、遊《あそ》ぶ方《はう》が本職《ほんしよく》のやうな者《もの》だ、しかし本職《ほんしよく》となると、遊《あそ》ぶ方法《はうはふ》に苦心《くしん》する。如何《いか》にして遊《あそ》ぶべきかが、僕《ぼく》の當面《たうめん》の問題《もんだい》である」と、陽氣《ようき》な聲《こゑ》で、一寸《ちよつと》桂田《かつらだ》博士《はかせ》の假聲《こはいろ》を使《つか》ひ、顏《かほ》に愛嬌《あいけう》を湛《たゝ》えて微笑々々《にこ〳〵》する。 「まあ遊《あそ》べる間《うち》は遊《あそ》ぶがいゝやね、しかし今《いま》もね、君《きみ》の母堂《マザー》と話《はな》して來《き》たんだが、健次《けんじ》も此頃《このごろ》は酒好《さけず》きになつて困《こま》ると云《い》つてたよ、祖父《おぢい》さんのやうにならなきやいゝがと云《い》つてゐられた」 「さうか、僕《ぼく》の母方《はゝかた》の祖父《ぢいさん》は、大酒呑《おほざけの》みで終《しまひ》には狂人《きちがひ》になつて死《し》んだんだからね、それに僕《ぼく》の顏《かほ》が次第《しだい》に祖父《ぢいさん》に似《に》て來《く》るさうだから、母《はゝ》は心配《しんぱい》してるだらう」 「何《なに》、さうでもないらしい、只《たゞ》早《はや》く嫁《よめ》を貰《もら》ひたいやうな話《はなし》をしてゐた、僕《ぼく》にもいゝのを見《み》つけて吳《く》れつて、本氣《ほんき》で云《い》つてられたよ、親《おや》は有難《ありがた》いものだね」 「さうかね」と、健次《けんじ》は嘲《あざ》けるやうに云《い》つて、「君《きみ》も精々《せい〴〵》美人《びじん》を捜《さ》がして呉《く》れ賜《たま》へな」 「そんな氣《き》があるんなら周旋《しうせん》しよう、しかし何《なん》だよ」と云《い》ひかけた所《ところ》へ、小娘《こむすめ》が銚子《てうし》を持《も》つて來《く》ると、織田《おだ》はぽかんとして、前《まへ》の話《はなし》の緖《いとぐち》を忘《わす》れてしまひ、健次《けんじ》の矢繼早《やつぎばや》にさす盃《さかづき》を三四｜杯《はい》引受《ひきう》けた。 「で、君《きみ》、僕《ぼく》に用事《ようじ》と言《い》つて何《なん》だい」と、健次《けんじ》は强《つよ》い調子《てうし》で押付《おしつ》けるやうに云《い》ふと、織田《おだ》は「何《なに》、急《きふ》な事《こと》でもないんだがね」と、前《まへ》に自分《じぶん》が賴《たの》みがあると云《い》つた癖《くせ》に、その用談《ようだん》を避《さ》けるやうにして、ビフテキの小《ちい》さい切《き》れをもぐ〳〵させながら、顏《かほ》を顰《しか》め、「非常《ひじやう》に堅《かた》い」と呟《つぶや》き、暫《しばら》く無言《むごん》の後《のち》「僕《ぼく》も弱《よわ》つたぜ、親爺《おやぢ》の病氣《びやうき》がます〳〵よくないんで、入院《にふゐん》させなくちやならんのだ、まだ確定《かくてい》はしないが、どうも胃癌《ゐがん》らしい」 と、フオークとナイフとを持《も》つたまゝ、仰向《あふむ》いて云《い》つたが、顏《かほ》にも言葉《ことば》にも弱《よは》つてる樣子《ようす》は見《み》えず、例《れい》の通《とほ》りポカンとしてゐる。 「さうかい、そりや困《こま》つたね」と、健次《けんじ》は少《すこ》しも手《て》を付《つ》けぬ皿《さら》を見詰《みつ》めたなりで、氣《き》のない聲《こゑ》で云《い》ひ、心《こゝろ》でも左程《さほど》同情《どうじやう》してる風《ふう》はない。織田《おだ》は相手《あひて》に頓着《とんちやく》なく、悠長《いうちやう》な聲《こゑ》で、 「妻《ワイフ》は身《み》が重《おも》いし、母《はゝ》はあの通《とほ》りの無性者《ぶしやうもの》で、一日《いちにち》煙草《たばこ》ばかり吸《す》つてゝ役《やく》にや立《た》たず、妹《いもと》は學校《がつかう》へ行《い》つたきりで、遲《おそ》くまで歸《かへ》つて來《こ》んから、何《なに》もかも僕《ぼく》一人《ひとり》でやらなくちやならんのでね、本當《ほんたう》に困《こま》るよ、それでこの四五｜日《にち》は學校《がつかう》も缺勤《けつきん》ばかりしてる」 「ぢや妹《いもと》を學校《がつかう》へやつて、君《きみ》は缺勤《けつきん》して家《うち》の世話《せわ》をしてるんだね、しかし病人《びやうにん》の看護《かんご》なんか君《きみ》の適任《てきにん》ぢやないね」 「だつて仕方《しかた》がないさ、どうも一｜家《か》の主人《しゆじん》となると面倒《めんだう》なものだ、今《いま》に君《きみ》も結婚《けつこん》すると困《こま》るぜ、何《なん》だのかだのと、そりや五月蠅《うるさ》くつてね、それに子供《こども》なんか出來《でき》なきやいゝんだが」 「そいつあ當然《あたりまへ》だから仕方《しかた》がないさ、しかし僕《ぼく》だつたら、家《うち》が五月蠅《うるさ》けりや一｜日《にち》外《そと》へ出《で》てゐらあ、女房《にようばう》の產《さん》の世話《せわ》から借金《しやくきん》の言譯《いひわけ》まで亭主《ていしゆ》がしなくつたつていゝ」 「さうもいかんよ、君《きみ》、それに僕《ぼく》の月給《げつきう》が安《やす》いから、平生《ふだん》だつて内職《ないしよく》をしなくちや引足《ひきた》らんのに、病人《びやうにん》が出來《でき》ちや災難《さいなん》だ、だから此頃《このごろ》は酒《さけ》どころぢやない、煙草《たばこ》も止《や》めてしまつた」と、少《すこ》し萎《しほ》れた。その樣子《やうす》を見《み》ると、健次《けんじ》は急《きふ》に不憫《ふびん》になり、 「だが君《きみ》は感心《かんしん》だよ、家庭《かてい》のために犧牲《ぎせい》になるから」と云《い》つて、後《うしろ》を見《み》て「もう一｜本《ぽん》」と叫《さけ》んだ。 「僕《ぼく》はもういゝよ、遲《おそ》くなると家《うち》で心配《しんぱい》するから、そろ〳〵歸《かへ》らなくちや」 「まあいゝさ、久振《ひさしぶ》りだから、も少《すこ》し話《はなし》をしやうぢやないか」と、健次《けんじ》は少《すこ》しも手《て》を付《つ》けぬ皿《さら》を押《をし》のけ、煙草《たばこ》を啣《くは》へたまゝ腕組《うでぐみ》して、半《なか》ば目《め》を閉《と》ぢ、降《ふ》りしきる雨《あめ》の音《おと》やら、幽《かす》かに響《ひゞ》く車《くるま》の掛聲《かけごゑ》やら、前《まへ》を通《とほ》つてる按摩《あんま》の震《ふる》え聲《ごゑ》に耳《みゝ》を傾《かたむ》け、森《しん》とした淋《さみ》しい空氣《くうき》に心《こゝろ》が吸込《すひこ》まれ、快活《くわいくわつ》な色《いろ》も顏《かほ》から失《う》せかゝつて來《き》たが、コトンと銚子《てうし》の音《おと》がするので、振返《ふりかへ》つてパツと目《め》を開《あ》けた。惡夢《あくむ》から醒《さ》めたやうに、銳《するど》く四圍《あたり》を見《み》まはし、やがて眉《まゆ》をぴりゝとさせ、二｜本《ほん》の指《ゆび》で熱《あつ》さうに銚子《てうし》の首《くび》を持《も》つて、 「さあ受《う》け玉《たま》へ」と、無雜作《むざうさ》に相手《あひて》の盃《さかづき》へどぶ〳〵と注《つ》ぎ、「そして肝心《かんじん》の用事《ようじ》は何《なん》だい」と問《と》ふと、織田《おだ》は言憎《いひに》さうに暫《しばら》く口籠《くごも》り、 「少《すこ》し無理《むり》なお願《ねが》ひだがね」と、盃《さかづき》を持《も》つては置《お》き〳〵して、「又《また》原稿《げんかう》の事《こと》さ」と、氣《き》の毒《どく》さうに云《い》ふ。 「うん原稿《げんかう》の周旋《しうせん》か、僕《ぼく》が引受《ひきう》けてどうかしやう」と、健次《けんじ》は快《こゝろよ》く首《うな》づく。織田《おだ》はやうやく安心《あんしん》したらしく、甘《うま》そうに盃《さかづき》を呑《の》み干《ほ》して健次《けんじ》に差《さ》し、 「實際《じつさい》忙《いそが》しい間《あひだ》に書《か》いたので、よくはなからうがね、それでも毆《なぐ》り書《が》きぢやないんだ、會話《くわいわ》にや格別《かくべつ》苦心《くしん》して、一｜機軸《きぢく》を出《だ》したつもりだから、まあ讀《よ》んで吳《く》れ賜《たま》へ、物《もの》はゴルキーの小說《せうせつ》だ」 「さうか、いゝだらう」と、健次《けんじ》は輕《かる》く答《こた》へて、物《もの》が何《なん》であれ、譯筆《やくひつ》が何《なん》であれ、そんな事《こと》は身《み》を入《い》れて聞《き》かうともせぬ。 「それからね、少《すこ》し無理《むり》だが原稿料《げんかうれう》を早《はや》く貰《もら》つて吳《く》れまいか、月初《つきはじ》めから一｜文無《もんな》しだから、それに……」 と、健次《けんじ》の煙草《たばこ》を一｜本《ほん》取《と》つて、指先《ゆびさ》きで揉《も》みながら、何《なに》をか訴《うつた》へんとする。それと見《み》て健次《けんじ》は頭《あたま》から打消《うちけ》し、 「よし〳〵、それも僕《ぼく》が受合《うけあ》つた、引替《ひきか》へに貰《もら》つてやらう」 と話《はなし》を轉《てん》じ、「で、君《きみ》は此頃《このごろ》箕浦《みのうら》に會《あ》つたか」と何時《いつ》も長々《なが〴〵》と聞《き》かされる無味《むみ》の生活談《せいくわつだん》や金錢論《きんせんろん》は避《さ》けやうとする。 「むん昨日《さくじつ》見舞《みま》ひに來《き》て吳《く》れたがね、會《あ》ふと例《れい》の通《とほ》り大《おほ》きな人生問題《じんせいもんだい》を論《ろん》じてる。讀書《どくしよ》も盛《さかん》にやつてるやうだし、此頃《このごろ》は長《なが》い論文《ろんぶん》も書《か》いてるさうだ、いづれ君《きみ》の所《ところ》へでも持込《もちこ》むだらう、しかしね、僕《ぼく》が云《い》ふんだが、箕浦《みのうら》なんかは己惚《うぬぼれ》が過《す》ぎる、人生《じんせい》がどうの宇宙《うちう》がかうのと、人間《にんげん》が誤託《ごたく》を並《なら》べるのは、身《み》の程《ほど》知《し》らずの極《きよく》だ、獨身《どくしん》で親爺《おやぢ》の脛《すね》でも嚙《かじ》つてる間《うち》は、そんな事《こと》を道樂《どうらく》にしてゐられやうがね、家庭《かてい》でも造《くつ》つて、一人前《いちにんまへ》の人間《にんげん》になると、そんな事《こと》は馬鹿々々《ばか〴〵》しくて問題《もんだい》にもならんさ」 と、多少《たせう》の活氣《くわつき》を帶《お》びて論《ろん》ずる。健次《けんじ》は微紅《うすくれなゐ》の艶々《つや〳〵》した頰《ほう》に靨《えくぼ》を見《み》せ、切《き》れの長《なが》い目尻《めじり》に皺《しわ》を寄《よ》せ、 「はゝゝゝ、珍《めづ》らしく君《きみ》の名論《めいろん》を聞《き》くね、しかし箕浦《みのうら》はコツ〳〵根氣《こんき》よく學問《がくもん》を續《つゞ》けてるし、文章《ぶんしやう》も上手《じやうず》になつたぢやないか、感心《かんしん》だよ」 「今《いま》に肺病《はいびやう》か惱病《なうびやう》になるのが落《お》ちだ」と、織田《おだ》は澄《すま》してゐる。 「いや博士《はかせ》ぐらゐにやなれらあ」と、健次《けんじ》は皮肉《ひにく》に云《い》つて、「だが箕浦《みのうら》は君《きみ》の妹《いもと》に惚《ほ》れてるよ」と、少《すこ》し乗出《のりだ》して、聲《こゑ》を低《ひく》くする。 「馬鹿《ばか》なことを」と、織田《おだ》は締《しま》りのない大口《おほぐち》を開《あ》けて、ハツ〳〵と笑《わら》ふ。 「うんにや惚《ほ》れてる、君《きみ》の目《め》にやどうだか、僕《ぼく》には一｜目《もく》瞭然《れうぜん》よ」 「さうか知《し》らん」 「さうだとも、それにね君《きみ》の妹《シスター》のラブしてる男《をとこ》がある」 「え、本當《ほんたう》かい君《きみ》、虛言《うそ》だらう、君《きみ》はよく色《いろ》んなことを云《い》つて、僕《ぼく》を調戯《からか》ふからいかんよ、若《も》し本當《ほんたう》なら相手《あひて》が誰《た》れだか聞《き》かせて吳《く》れ玉《たま》へ、僕《ぼく》も一｜家《か》の主人《しゆじん》だから、妹《あれ》の身《み》の上《うへ》についても責任《せきにん》があるんだもの、間違《まちが》ひのないやうに警戒《けいかい》しなくちやならん」 「いくら警戒《けいかい》したつて駄目《だめ》さ、歲頃《としごろ》の女《をんな》が色氣《いろけ》づくのは當然《たうぜん》ぢやないか、で、若《も》し相手《あひて》が分《わか》つたらどうする、妹《シスター》を柱《はしら》にでも縛《しば》りつけるかい」 「君《きみ》、そんな馬鹿《ばか》な眞似《まね》をする者《もの》か、僕《ぼく》は何《なに》さ、向《むか》うが相當《さうたう》の男《をとこ》だつたら正式《せいしき》の結婚《けつこん》さすし、不相當《ふさうたう》の男《をとこ》だつたら思《おも》ひ切《き》らせる」 「成程《なるほど》譯《わけ》の分《わか》つた兄樣《にいさま》だ、何處《どこ》の親《おや》だつてそれと同樣《どうやう》の事《こと》を申《まを》します」 「だつて主人《しゆじん》の義務《ぎむ》としてそれが當然《たうぜん》ぢやないか、君《きみ》ならどうする」 「僕《ぼく》なら放任《はうにん》しとかあ」 「馬鹿《ばか》な、君《きみ》も箕浦流《みのうらりう》の空論家《くうろんか》だね」 「ふゝん、僕《ぼく》と箕浦《みのうら》とは一｜荷《か》にならんぜ、向《むか》ふ樣《さま》は本《ほん》をどつさり抱《だ》いてるから貫目《かんめ》があらあね」 「君《きみ》は氣樂《きらく》な事《こと》ばかり云《い》つてるが、僕《ぼく》は何時《いつ》も確信《かくしん》してる、人間《にんげん》は要《えう》するに僕《ぼく》のやうにならにや虛言《うそ》だ、遲《おそ》かれ疾《はや》かれ君《きみ》なども同《おな》じ道《みち》へ落《お》ちて來《く》るんだ」 健次《けんじ》はぞつと寒氣《さむけ》がして、思《おも》はず手《て》を火鉢《ひばち》に翳《かざ》し、織田《おだ》の顏《かほ》を見詰《みつ》め、「お互《たが》ひに君《きみ》の道連《みちづ》れになつて、テク〳〵步《ある》きで、電信柱《でんしんばしら》でも數《かぞ》へて行《ゆ》くんだね、大通《おほどほ》りの左側《ひだりがは》を步《ある》いてりや、自然《しぜん》に日本橋《にほんばし》に出《で》られる」 「君《きみ》、戯言《じやうだん》は止《よ》して、今《いま》の話《はな》しの相手《あひて》は誰《た》れだい、一｜體《たい》向《むか》うの男《をとこ》は妹《いもと》を思《おも》つてるんかい」 「さあ、どうだかね、よく知《し》らんよ」 「誰《たれ》だらう」と、頰杖《ほゝづゑ》ついて、眞面目《まじめ》に考《かんが》へてゐる。

健次《けんじ》は人差指《ひとさしゆび》でテーブルを打《う》ちながら、「先《さき》あ左程《さほど》にも思《おも》やせぬ」と小聲《こごゑ》で唄《うた》つてゐたが、急《きふ》に何《なに》をか感《かん》じて、額《ひたひ》に皺《しわ》を寄《よ》せ、邪慳《じやけん》に煙草《たばこ》の吸口《すゐくち》を嚙《か》み出《だ》した。

織田《おだ》は思《おも》ひ飽《あぐ》んで面《おもて》を上《あ》げ、「君《きみ》は不斷《のべつ》に煙草《たばこ》を吸《す》つてる、毒《どく》だよ」 「毒《どく》だつていゝさ」と、健次《けんじ》は吸殻《すゐがら》を吐《は》き出《だ》し、「僕《ぼく》は阿片《あへん》を吸《す》つて見《み》たくてならん、あれを吸《す》ふと、身體《からだ》がとろけちやつて、金鵄勳章《きんしくんしよう》も壽命《じゆめい》も入《い》らなくなるさうだ、阿片《あへん》だ〳〵あれに限《かぎ》る」 と、獨《ひと》りで合點《がてん》してゐる。それが戯語《じやうだん》とも思《おも》へず、眞《しん》から感《かん》じてるやうなので、織田《おだ》は細《ほそ》い目《め》を丸《まる》くして、 「よくそんな下《くだ》らぬ事《こと》を眞面目《まじめ》で考《かんが》へてるね、阿片《あへん》でなくつたつて快味《くわいみ》を感《かん》ずる者《もの》は幾《いく》らもあるぢやないか」 「さうかね、僕《ぼく》はこれ程《ほど》煙草《たばこ》を吸すつてゝも、眞《しん》に味《うま》いと思《おも》つたことは一｜度《ど》もないよ、酒《さけ》だつてさうだ、ビフテキだつてさうだ、一寸《ちよつと》舌《した》の先《さき》で甘《うま》いと思《おも》つても、染々《しみ〴〵》と五｜體《たい》がとろける程《ほど》快味《くわいみ》を感《かん》じたことがない。どうも物足《ものた》らんね、それで何時《いつ》も思《おも》ふんだ、何處《どこ》か世界《せかい》の隅《すみ》つこに最上《さいじやう》の珍味《ちんみ》が潜《ひそ》んでるに違《ちが》ひない、僕《ぼく》はそいつを捜《さが》し出《だ》したい、で、今《いま》もそれを考《かんが》へてたんだが、或《あるひ》はその珍味《ちんみ》が阿片《あへん》ぢやないか知《し》らん、阿片《あへん》を吸《す》ひ出《だ》すと、何《なん》にも代《か》へられんちうぢやないか」 「馬鹿《ばか》な」と、織田《おだ》は一口《ひとくち》に斥《しりぞ》けて、「まだ甘《うま》い料理《れうり》を食《く》はんから、そんな事《こと》が云《い》つてられるんだ、櫻木《さくらぎ》の鳥《とり》なんか食《た》べてて、甘《うま》い物《もの》がないなんて廣言《かうげん》する權利《けんり》はないよ」と、天麩羅《てんぷら》鰻《うなぎ》椀盛《わんもり》などの名代《なだい》の家《いへ》を數《かぞ》へ上《あ》げ、諄々《じゆん〳〵》とその說明《せつめい》をし、「近々《ちか〴〵》長編《ちやうへん》を譯《やく》して仕舞《しま》つたら、藏田屋《くらたや》でも奢《おご》るよ」 健次《けんじ》は苦笑《にがわらひ》して、「何《いづ》れ御馳走《ごちそう》にならうよ」と立上《たちあが》り、「もう十｜時《じ》だ、行《い》かうか」と、勘定《かんぢやう》を濟《す》ませて外《そと》へ出《で》た。雨《あめ》は稍々《やゝ》小降《こぶ》りになつたが、道《みち》は暗《くら》く風《かぜ》は冷《つめ》たく、健次《けんじ》は來《く》る時《とき》の元氣《げんき》に引變《ひきか》へ、傘《かさ》を兩手《りやうて》で持《も》つて、ぶる〳〵と慄《ふる》へたが、織田《おだ》は前《まへ》と同《おな》じく泰然自若《たいぜんじじやく》、急《せ》かず騷《さわ》がず、長靴《ながぐつ》を踏占《ふみし》め〳〵電車道《でんしやみち》へ向《むか》ふ。

（二）

健次《けんじ》の家《うち》は御行《ごぎやう》の松《まつ》を右手《みぎて》に見《み》て、暗闇《くらやみ》には危險《きけん》な道《みち》を一｜丁《ちやう》ばかり入《はい》つた曲《まが》り角《かど》にある。土藏付《どぞうつき》で、狭《せま》いながらも庭《には》もあり周圍《しうゐ》を高《たか》い板塀《いたべい》で取《とり》かこみ、可成《かな》りの物持《ものも》の住宅《じうたく》と見《み》られるが、その實《じつ》屋根《やね》も壞《こは》れ柱《はしら》も傾《かたむ》き、大雨《おほあめ》には臺所《だいどころ》で傘《かさ》をさゝねばならぬ有樣《ありさま》。本當《ほんたう》なら隅《すみ》から隅《すみ》まで大修繕《だいしうぜん》を施《ほどこ》さねばならぬので、近所《きんじよ》の差配《さはい》なども見兼《みか》ねて、賴《たの》まれもせぬに家屋敷《いへやしき》を檢分《けんぶん》して、「早《はや》く手《て》をお入《い》れなさらなくちや御損《ごそん》ですぜ、何《なん》なら私《わたくし》がお引受《ひきう》けして、見積《みつも》りを立《た》てゝ見《み》ませう」と注意《ちゆうい》するが、健次《けんじ》の父《ちゝ》は「近々《きん〳〵》どうかしよう」と云《い》つて、別《べつ》に心《こゝろ》に掛《か》ける風《ふう》はない。健次《けんじ》は早《はや》くから「こんな陰氣《いんき》な古《ふる》びた家《いへ》はうり拂《はら》つて、山《やま》の手《て》へでも引越《ひつこ》した方《はう》がよからう」と勸《すゝ》め、母《はゝ》は全然《ぜんぜん》同意《どうい》して、せめて此家《こゝ》を修繕《しうぜん》して他人《ひと》に貸《か》し、自分逹《じぶんたち》は小《こ》ぢんまりした借家《しやくや》に住《す》まつた方《はう》が幾《いく》らいゝか知《し》れぬ。第《だい》一こんな廣《ひろ》い家《うち》にゐては、世間《せけん》から有福《いうふく》に見《み》られて、何《なに》かと取上《とりあげ》られる金高《きんだか》も多《おほ》くて不輕濟《ふけいざい》ではあるしと說《と》くが、穩《おだ》やかな父《ちゝ》もこればかりは頑《ぐわん》として聞入《きゝい》れぬ。おれは此家《こゝ》で息《いき》を引取《ひきと》るつもりで越《こ》して來《き》たのだから、决《けつ》して他《ほか》へは移轉《いてん》せぬ。それに借家《しやくや》は厭《いや》だと云《い》ふ。彼《か》れには借家住《しやくやずま》ひは不見識《ふけんしき》だという氣《き》があるのだ。

菅沼家《すがぬまけ》は微祿《びろく》ではあつたが、旗本《はたもと》の家柄《いへがら》。健次《けんじ》の父《ちゝ》は十四五の頃《ころ》、維新《いしん》の渦中《くわちう》に浮沈《ふちん》して、多少《たせう》の辛苦《しんく》を甞《な》めた。その後《のち》も生活《せいくわつ》には惱《なや》んで、遂《つひ》に四｜國《こく》九｜州《しう》の郵便局《いうびんきよく》にも二三｜年《ねん》づゝ勤《つと》め、今《いま》は多少《たせう》榮逹《えいたつ》して會計檢査院《くわいけいけんさゐん》に奉職《ほうしよく》してゐるが、五十五｜歲《さい》の老朽《らうきう》で、地位《ちゐ》も安固《あんこ》ではなく、長官《ちやうくわん》のお慈悲《じひ》の下《もと》に脈《みやく》をつないでゐる。俸給《はうきふ》も左程《さほど》多《おほ》くはない。それに健次《けんじ》の下《した》に女《をんな》の子《こ》が二人《ふたり》、支出《しゝゆつ》は容易《ようい》ではないが、彼《か》れはあまりくよ〳〵［＃「くよ〳〵」に傍点］苦《く》に病《や》む風《ふう》はなく、每晚《まいばん》の晚酌《ばんしやく》二｜合《がふ》に陶然《たうぜん》として太平樂《たいへいらく》を並《なら》べる、健次《けんじ》は一人前《いちにんまへ》の男《をとこ》になつたし、娘《むすめ》は二人《ふたり》とも容色《きりやう》はよし、おれはまだ〳〵お墓《はか》へ入《はい》る心配《しんぱい》はなし、これからがおれの世《よ》の中《なか》だ、健次《けんじ》に嫁《よめ》を貰《もら》つてやり、姉娘《あねむすめ》でも片付《かたづ》けたら、おれは第《だい》一に役所《やくしよ》を止《や》めて隱居《いんきよ》をする。恩給《おんきふ》も下《さが》るし心掛《こゝろがゝ》りはないから、うんと好《す》きな事《こと》をして遊《あそ》べるんだが、おれは物見遊山《ものみゆさん》はせん、差詰《さしづめ》馬術《ばじゆつ》の稽古《けいこ》がしたいな。全體《ぜんたい》子供《こども》の時《とき》から馬《うま》が好《す》きで、馬術《ばじゆつ》の逹人《たつじん》になるつもりだつたが、世《よ》が變《かは》つて算盤《そろばん》ばかり持《も》つて來《き》た。しかしこれからやる。自分《じぶん》の慾《よく》といつては外《ほか》に何《なに》もないが、一つ馬《うま》だけは買《か》つて見《み》たいと、この老人《らうじん》は馬《うま》の話《はなし》になると夢中《むちう》になつて來《く》る。

先祖《せんぞ》に馬術《ばじゆつ》の名人《めいじん》があつたとかで、その秘傳《ひでん》の卷物《まきもの》が桐《きり》の箱《はこ》に入《はい》つて、土藏《どぞう》に保存《ほぞん》されてゐる。これと一｜領《れう》の甲冑《かつちう》と一｜口《ふり》の無銘《むめい》の刀劍《とうけん》とが一｜家《か》の寶物《はうもつ》、老人《ろうじん》の自慢《じまん》の種《たね》だ。冑《よろひ》は疎《まば》らに星《ほし》のついてる古色蒼然《こしよくさうぜん》たる者《もの》で、鎌倉時代《かまくらじだい》の作《さく》、刀《かたな》は國弘《くにひろ》の作《さく》だらうと云《い》ふ。そして老人《らうじん》は每年《まいねん》元日《ぐわんじつ》には此等《これら》の寶物《はうもつ》を床《とこ》の間《ま》に飾《かざ》り、家族《かぞく》を集《あつ》めて禮拜《れいはい》し、三方《みかた》ケ｜原《はら》合戰《かつせん》以來《いらい》の祖先《そせん》の武勇《ぶいう》を談《だん》じ、この冑《よろひ》や刀《かたな》に籠《こも》つてる精神《せいしん》を忘《わす》れてはならぬと說《と》き聞《き》かせ、獨《ひと》りで喜《よろこ》んでゐる。

健次《けんじ》は少年時代《せうねんじだい》に此等《これら》の武具《ぶぐ》に興味《きやうみ》を感《かん》じて、父《ちゝ》の留守中《るすちう》竊《ひそ》かに土藏《どざう》へ忍《しの》び込《こ》み、漆《うるし》の剝《は》げた鎧櫃《よろひびつ》を開《あ》けて、昔《むかし》の戰爭《せんさう》を連想《れんそう》し、或《あるひ》は兩腕《りやううで》に力瘤《ちからこぶ》を出《だ》して冑《よろひ》を持《もち》まはつて悅《うれ》しがつてゐた。殊《こと》に刀《かたな》が大好《だいす》きで、恐々《おそる〳〵》拔《ぬ》きはなち、齒《は》を喰締《くひしば》り瞳《ひとみ》を据《す》ゑて、その冴《さ》えた光《ひかり》を見詰《みつ》めては感《かん》に打《う》たれることが多《おほ》い。刀《かたな》は武士《ぶし》の魂《たましひ》だとは父《ちゝ》からも屢屢《しば〴〵》敎《をし》へられ、自分《じぶん》でもこの家傳《かでん》の寶刀《ほうたう》を見《み》る每《ごと》に、義《ぎ》の爲《ため》には死《し》を厭《いと》はぬ、如何《いか》なる苦痛《くつう》をも忍《しの》ぶ、辱《はづか》しめらるれば死《し》すなどの感《かん》じが、その明晃々《めいくわう〳〵》たる切尖《きつさき》から彼《か》れの膓《はらわた》に染《し》み込《こ》むやうであつた。性質《せいしつ》は父《ちゝ》とは餘程《よほど》違《ちが》つて疳《かん》が强《つよ》く、母《はゝ》の故鄉《こきやう》、彼《か》れの生地《しやうち》たる丸龜《まるがめ》の尋常小學《じんじようせうがく》に學《まな》んだ頃《ころ》も、試驗《しけん》の成績《せいせき》が他《ひと》に劣《おと》ると口惜《くや》しくて夜《よ》も眠《ねむ》れぬといふ程《ほど》であつたが、東京《とうきやう》の學校《がくかう》へ通《かよ》ふことゝなつては、殊《こと》にこの考《かんがへ》がひどい。その爲《ため》に學課《がくくわ》の復習《ふくしふ》を勵《はげ》むのみならず、身體《からだ》の訓練《くんれん》をもつとめた。痩《やせ》つぽちと嘲《あざけ》られるのも無念《むねん》である、年嵩《としかさ》の學生《がくせい》に腕《うで》づくで意地《いぢ》められるのもつらし、腕力《わんりよく》を養《やしな》ひ筋肉《きんにく》も發逹《はつたつ》させねばならぬと、寒中《かんちう》シヤツ一｜枚《まい》で木刀《ぼくたう》を揮《ふる》つたこともある。力試《ちからだめ》しだといつて二人《ふたり》の妹《いもと》を笊《ざる》に入《い》れて擔《にな》ひ、引《ひつ》くりかへつて傷《きづ》をつけたこともある、母《はゝ》からは惡戯《いたづら》が過《す》ぎると叱《しか》られたが、彼《か》れには惡戯《いたづら》でも慰《なぐさ》みでもないのだ。幼《おさな》い心《こゝろ》にも自分《じぶん》の脆弱《ぜいじやく》な體質《たいしつ》が情《なさけ》なく、行《ゆ》く先々《さき〴〵》が案《あん》じられてゐたので、外目《よそめ》には滑稽《こつけい》とも見《み》える體格《たいかく》修養《しうやう》も、自分《じぶん》には最《もつと》も眞面目《まじめ》な行爲《かうゐ》であつたのだ。しかし生來《しやうらい》の體質《たいしつ》は變《かは》りやうがない。それで度々《たび〳〵》母《はゝ》に向《むか》つて、 「何故《なぜ》僕《ぼく》をこんな小《ちつ》ぽけな身體《からだ》に生《う》みつけたんです」 と詰《なじ》り、淚《なみだ》をこぼしたことさへあつた。その癖《くせ》友逹《ともだち》の間《あひだ》へ出《で》ると、「痩《や》せてゝもおれは强《つよ》いぞ」と力《りき》んで、喧嘩《けんくわ》をしかけられて逃《に》げることはない。或日《あるひ》も餓鬼大將《がきだいしやう》に嬲《なぶ》られた時《とき》、ナイフで切《き》りつけて、相手《あひて》を驚《おどろ》かしたこともある。

歲《とし》を取《と》るに從《したが》つて、戶外遊戯《こぐわいいうぎ》は止《や》めて、勉强部屋《べんきやうべや》に閉籠《とぢこも》り、課業外《くわげふぐわい》の雜書《ざつしよ》をも渉獵《あさ》るやうになり、最早《もはや》體質《たいしつ》の苦勞《くろう》はしなくなつた。で、中學《ちうがく》から高等學校《かうとうがくかう》と順序《じゆんじよ》を踏《ふ》んで進《すゝ》んだが、一｜家《か》の財政《ざいせい》からいふと、それだけでも容易《ようい》ではなく、とても大學《だいがく》を卒業《そつげふ》する望《のぞみ》はなかつた。しかるに健次《けんじ》が他《た》の學生《がくせい》と對當《たいたう》の交際《かうさい》もして、別《べつ》に見《み》すぼらしくもなく、文科《ぶんくわ》の英文學《えいぶんがく》を終《を》へることの出來《でき》たのは、一に桂田《かつらだ》文學博士《ぶんがくはかせ》の助力《じよりよく》に依《よ》るのだ。桂田家《かつらだけ》と菅沼家《すがぬまけ》とは昔《むかし》から緣故《えんこ》の深《ふか》い上《うへ》、博士《はかせ》が健次《けんじ》の學才《がくさい》を認《みと》めたためである。

大學《だいがく》三｜年《ねん》の生活《せいくわつ》、健次《けんじ》の頭腦《あたま》は非常《ひじやう》に變化《へんくわ》を來《きた》した。元《もと》法科《はふくわ》へ入《はい》りたい氣《き》もあつたのを、桂田《かつらだ》との關係《かんけい》から文科《ぶんくわ》と定《きま》つたので、入學後《にふがくご》も心《こゝろ》は迷《まよ》ふ。自分《じぶん》の素質《そしつ》から云《いつ》ても學者《がくしや》で安《やす》んじてゐられさうぢやない。多量《たれう》の書物《しよもつ》を讀《よ》んで一｜生《せう》を終《おは》る、下《くだ》らないぢやないか、それよりも政治家《せいぢか》にでも實業家《じつげふか》にでもなつて、自分《じぶん》の考《かんがへ》が具體的《ぐたいてき》に目《め》の前《まへ》に現《あら》はれるを見《み》、生《い》きた人間《にんげん》生《い》きた事件《じけん》の動搖《どうえう》起伏《きふく》に接《せつ》する方《はう》が面白《おもしろ》くはないかと思《おも》ふこともあつたが、さりとて斷《だん》じて一を去《さ》つて他《た》に就《つ》く氣《き》にもなれぬ。それに課業《くわげふ》として學《まな》ぶ哲學《てつがく》の問題《もんだい》、外國《ぐわいこく》の詩歌《しか》小說《せうせつ》、新刊《しんかん》の雜誌《ざつし》雜著《ざつちよ》、皆《みな》過敏《くわびん》な神經《しんけい》を刺激《しげき》して、妄想《もうそう》は留《と》め度《ど》がない。制服《せいふく》制帽《せいぼう》を着《つ》け、博士《はかせ》夫人《ふじん》恩賜《おんし》の紅梅《こうばい》を散《ち》らした水色《みづいろ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を抱《いだ》き、兩手《りやうて》をポツケツトに入《い》れ、大學《だいがく》の裏門《うらもん》から上野《うへの》を拔《ぬ》けて、根岸《ねぎし》の古屋《ふるや》へ歸《かへ》る間《あひだ》、彼《か》れは妄想《もうそう》の道《みち》を辿《たど》つてゐたのだ。單調《たんてう》の道《みち》には飽《あ》いてしまつた。しかし彼《か》れは一｜度《ど》も泣言《なきごと》を云《い》つたことはない。人生《じんせい》の寂寞《せきばく》とかを文章《ぶんしよう》にして雜誌《ざつし》へ寄稿《きかう》したこともない。同窓《どうそう》の瞑想家《めいそうか》からは淺薄《せんぱく》と云《い》はれる程《ほど》あつて、飛花落葉《ひくわらくえふ》に對《たい》して、深沈《しめやか》な感《かん》に耽《ふけ》り、自然《しぜん》の默示《もくし》に打《う》たれるでもなく、友人《いうじん》にでも遇《あ》へば、急《きふ》に沈《しづ》んだ心《こゝろ》も浮立《うきた》つて快活《くわいくわつ》に談笑《だんせう》し警句《けいく》百｜出《しゆつ》諧謔《かいぎやく》縱橫《じうわう》。クラスの集會《しふくわい》に缺席《けつせき》すると、「菅沼《すがぬま》はどうした」と、衆口《しうこう》一｜致《ち》して遺憾《ゐかん》の聲《こゑ》を發《はつ》する程《ほど》であつた。テニスもやる、玉突《たまつき》もやる、彼《か》れはクラスの快男子《くわいだんし》として通《とほ》つてゐた。そして二｜年目《ねんめ》の試驗前《しけんぜん》、制服《せいふく》を囚衣《しうい》の如《ごと》く感《かん》じ、引脫《ひきぬ》いで自由《じいう》の身《み》とならんとしたが、博士《はかせ》夫妻《ふさい》の强硬《きやうかう》な反對《はんたい》に會《あ》ひ、その時《とき》は恩人《おんじん》に背《そむ》く程《ほど》の勇氣《いうき》もなく、ぐづ〳〵で卒業《そつげふ》まで我慢《がまん》したものゝ、成績《せいせき》は圖拔《づぬ》けてよくはなく、博士《はかせ》夫妻《ふさい》の期待《きたい》に背《そむ》いた。彼《か》れの弱《よは》い身體《からだ》は長年月《ちやうねんげつ》の學校《がくかう》生活《せいくわつ》に倦《う》み疲《つか》れ、最早《もはや》席順《せきじゆん》の高下《かうげ》を爭《あらそ》ふの根氣《こんき》もなく、虛榮心《きよえいしん》も失《う》せ、他《た》の連中《れんぢう》が卒業試驗《そつげふしけん》の準備《じゆんび》に夜《よ》を徹《てつ》してる間《ま》に、獨《ひと》り球戯場《たまや》にゲームを爭《あらそ》ひ、或《あるひ》は牛屋《ぎうや》の二｜階《かい》で女中《ぢよちう》に圍繞《ゐぎよう》されてゐた。櫻木《さくらぎ》に出入《しつにふ》し始《はじ》めたのも此頃《このころ》からである。卒業後《そつげふご》は博士《はかせ》の推薦《すゐせん》で、中學《ちうがく》敎師《けうし》となつたが、これは三月《みつき》ばかりで辭職《じしよく》、今日《けふ》まで一｜年《ねん》あまり雜誌《ざつし》記者《きしや》を勤《つと》めてゐる。

（三）

