# 刺靑

## Part 5

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此《こ》の男《をとこ》は幇間《ほうかん》の三平《さんぺい》と云《い》つて、もとは兜町《かぶとちやう》の相場師《さうばし》ですが、其《そ》の時分《じぶん》から今《いま》の商賣《しやうばい》がやつて見《み》たくて溜《たま》らず、たうとう四五｜年前《ねんまへ》に柳橋《やなぎばし》の太鼓持《たいこも》ちの弟子入《でしいり》をして、一《ひ》と風《ふう》變《かは》つたコツのある氣象《きしやう》から、めきめき贔屓《ひいき》を拵《こしら》へ、今《いま》では仲間《なかま》のうちでも相應《さうおう》な好《い》い株《かぶ》になつて居《ゐ》ます。 「櫻井《さくらゐ》（と云《い》ふのは此《こ》の男《をとこ》の姓《せい》です。）の奴《やつ》も呑氣《のんき》な者《もの》だ。なあに相場《さうば》なんぞをやつて居《ゐ》るより、あの方《はう》が性《しやう》に合《あ》つて、いくら好《い》いか知《し》れやしない。今《いま》ぢや大分《だいぶ》見入《みい》りもあるやうだし、結句《けつく》奴《やつこ》さんは仕合《しあは》せさ。」 などと、昔《むかし》の彼《かれ》を知《し》つて居《ゐ》るものは、時々《とき／″＼》こんな取沙汰《とりさた》をします。日淸戰爭《につしんせんさう》の時分《じぶん》には、海運橋《かいうんばし》の近處《きんじよ》に可《か》なりの仲買店《なかがひてん》を構《かま》へ、事務員《じむゐん》の四五｜人《にん》も使《つか》つて、榊原《さかきばら》の旦那《だんな》などとは朋輩《ほうばい》でしたが、其《そ》の頃《ころ》から、 「彼《あ》の男《をとこ》と遊《あそ》ぶと、座敷《ざしき》が賑《にぎや》かで面白《おもしろ》い。」 と、遊《あそ》び仲間《なかま》の連中《れんぢう》に喜《よろこ》ばれ、酒《さけ》の席《せき》にはなくてならない人物《じんぶつ》でした。唄《うた》が上手《じやうず》で、話《はなし》が上手《じやうず》で、よしや自分《じぶん》がどんなに羽振《はぶ》りの好《い》い時《とき》でも、勿體《もつたい》ぶるなどと云《い》ふ事《こと》は毛頭《まうとう》なく、立派《りつぱ》な旦那株《だんなかぶ》であると云《い》ふ身分《みぶん》を忘《わす》れ、どうかすると立派《りつぱ》な男子《だんし》であると云《い》ふ品威《ひんゐ》をさへ忘《わす》れて、ひたすら友逹《ともだち》や藝者逹《げいしやたち》にやんやと褒《ほ》められたり、可笑《をか》しがられたりするのが、愉快《ゆくわい》で溜《たま》らないのです。華《はな》やかな電燈《でんとう》の下《した》に、醉《ゑひ》の循《まは》つた夷顏《ゑびすがほ》をてかてかさせて、「えへゝゝゝ」と相恰《さうがふ》を崩《くづ》しながら、ぺらぺらと奇警《きけい》な冗談《じようだん》を止《と》め度《ど》なく喋《しやべ》り出《だ》す時《とき》が彼《かれ》の生命《せいめい》で、滅法《めつぱふ》嬉《うれ》しくて溜《たま》らぬと云《い》ふやうに愛嬌《あいけう》のある瞳《ひとみ》を光《ひか》らせ、ぐにやりぐにやりとだらしなく肩《かた》を搖《ゆ》す振《ぶ》る態度《たいど》の罪《つみ》のなさ。まさに道樂《だうらく》の心髓《しんずゐ》に徹《てつ》したもので、さながら歡樂《くわんらく》の權化《ごんげ》かと思《おも》はれます。藝者《げいしや》などにも、どつちがお客《きやく》だか判《わか》らない程《ほど》、御機嫌《ごきげん》を伺《うかゞ》つて、お取《と》り持《も》ちをするので、始《はじ》めのうちは「でれ助《すけ》野郞《やらう》め」と腹《はら》の中《なか》で薄氣味惡《うすきみわる》がつたり、嫌《いや》がつたりしますが、だんだん氣心《きごゝろ》が知《し》れて見《み》れば、別《べつ》にどうしようと云《い》ふ腹《はら》があるのではなく、唯《たゞ》人《ひと》に可笑《をか》しがられるのを樂《たの》しみにするお人好《ひとよし》なのですから、「櫻井《さくらゐ》さん」「櫻井《さくらゐ》さん」と親《した》しんで來《き》ます。然《しか》し一｜方《ぱう》では重寶《ちようはう》がられると同時《どうじ》に、いくらお金《かね》があつても、羽振《はぶり》がよくつても、誰一人《だれひとり》彼《かれ》に媚《こび》を呈《てい》したり、惚《ほ》れたりする者《もの》はありません。「旦那《だんな》」とも「あなた」とも云《い》はず、「櫻井《さくらゐ》さん」「櫻井《さくらゐ》さん」と呼《よ》び掛《か》けて、自然《しぜん》と伴《つ》れのお客《きやく》より一段《いちだん》低《ひく》い人間《にんげん》のやうに取《と》り扱《あつか》ひながら、其《そ》れを失禮《しつれい》だとも思《おも》はないのです。實際《じつさい》彼《かれ》は尊敬《そんけい》の念《ねん》とか、戀慕《れんぼ》の情《じやう》とかを、決《けつ》して人《ひと》に起《おこ》させるやうな人間《にんげん》ではありませんでした。先天的《せんてんてき》に人《ひと》から一種《いつしゆ》溫《あたゝ》かい輕蔑《けいべつ》の心《こゝろ》を以《も》つて、若《も》しくは憐愍《れんみん》の情《じやう》を以《も》つて、親《した》しまれ可愛《かあい》がられる性分《しやうぶん》なのです。恐《おそ》らくは乞食《こじき》と雖《いへども》、彼《かれ》にお辭儀《じぎ》をする氣《き》にはなれないでせう。彼《かれ》も亦《また》どんな馬鹿《ばか》にされようと、腹《はら》を立《た》てるではなく、却《かへ》つて其《そ》れを嬉《うれ》しく感《かん》じるのです。金《かね》さへあれば、必《かなら》ず友逹《ともだち》を誘《さそ》つて散財《さんざい》に出《で》かけてはお座敷《ざしき》を務《つと》める。宴會《えんくわい》とか、仲間《なかま》の者《もの》に呼《よ》ばれるとかすれば、どんな商用《しやうよう》を控《ひか》へて居《ゐ》ても、我慢《がまん》がし切《き》れず、すつかりだらしがなくなつて、いそいそと出《で》かけて行《ゆ》きます。 「や、どうも御苦勞樣《ごくらうさま》。」 などと、お開《ひら》きの時《とき》に、よく友逹《ともだち》にからかはれると、彼《かれ》は開《ひら》き直《なほ》つて兩手《りやうて》をつき、 「ええ、どうか手前《てまへ》へも御祝儀《ごしうぎ》をおつかはし下《くだ》さいまし。」 屹度《きつと》かう云《い》ひます。藝者《げいしや》が冗談《じようだん》にお客《きやく》の聲色《こわいろ》を遣《つか》つて、 「あア、よしよし、此《こ》れを持《も》つて行《ゆ》け。」 と紙《かみ》を丸《まる》めて投《な》げてやると、 「へい、此《こ》れはどうも有難《ありがた》うございます。」 と、ピョコピヨコ二三｜度《ど》お辭儀《じぎ》をして、紙包《かみづゝみ》を扇《あふぎ》の上《うへ》に載《の》せ、 「へい、此《こ》れは有難《ありがた》うございます。どうか皆《みな》さんもう少《すこ》し投《な》げてやつておくんなさい。もうたつた二｜錢《せん》がところで宜《よろ》しうございます。親子《おやこ》の者《もの》が助《たす》かります。兎角《とかく》東京《とうきやう》のお客樣方《きやくさまがた》が、弱《よわ》きを扶《たす》け、强《つよ》きを挫《くぢ》き‥‥‥」 と、緣日《えんにち》の手品師《てじなし》の口調《くてう》でべらべら辯《べん》じ立《た》てます。 こんな呑氣《のんき》な男《をとこ》でも、戀《こひ》をする事《こと》はあると見《み》え、時々《とき／″＼》黑人上《くろうとあが》りの者《もの》を女房《にようぼう》とも付《つ》かず引《ひ》き擦《ず》り込《こ》む事《こと》がありますが、惚《ほ》れたとなつたら、彼《かれ》のだらし無《な》さは又《また》一入《ひとしほ》で、女《をんな》の歡心《くわんしん》を買《か》ふためには一生懸命《いつしやうけんめい》お太鼓《たいこ》を叩《たゝ》き、亭主《ていしゆ》らしい權威《けんゐ》なぞは少《すこ》しもありません。何《なん》でも欲《ほ》しいと云《い》ふものは、買《か》ひ放題《はうだい》、 「お前《まへ》さん、かうして下《くだ》さい、ああして下《くだ》さい。」と、頤《あご》でこき使《つか》はれて、ハイハイ云《い》ふ事《こと》を聞《き》いて居《ゐ》る意氣地《いくぢ》のなさ。どうかすると酒癖《さけくせ》の惡《わる》い女《をんな》に、馬鹿野郞《ばかやらう》呼《よ》ばはりをされて、頭《あたま》を擲《なぐ》られて居《ゐ》ることもあります。女《をんな》の居《ゐ》る當座《たうざ》は、茶屋《ちやや》の附《つ》き合《あ》ひも大槪《たいがい》斷《ことわ》つて了《しま》ひ、每晚《まいばん》のやうに友逹《ともだち》や店員《てんゐん》を二階《にかい》座敷《ざしき》に集《あつ》めて、女房《にようぼう》の三味線《しやみせん》で飮《の》めや唄《うた》への大騷《おほさわ》ぎをやります。一度《いちど》彼《かれ》は自分《じぶん》の女《をんな》を友逹《ともだち》に寐取《ねと》られたことがありましたが、其《そ》れでも別《わか》れるのが惜《を》しくつて、いろいろと女《をんな》の機嫌《きげん》氣褄《きづま》を取《と》り、色男《いろをとこ》に反物《たんもの》を買《か》つてやつたり二人《ふたり》を伴《つ》れて芝居《しばゐ》に出《で》かけたり、或《あ》る時《とき》は其《そ》の女《をんな》と其《そ》の男《をとこ》を座敷《ざしき》の上座《じやうざ》へ据《す》ゑて、例《れい》の如《ごと》く自分《じぶん》がお太鼓《たいこ》を叩《たゝ》き、すつかり二人《ふたり》の道具《だうぐ》に使《つかは》れて喜《よろこ》んで居《ゐ》ます。しまひには、時々《とき／″＼》金《かね》を與《あた》へて役者買《やくしやか》ひをさせると云《い》ふ條件《でうけん》の下《もと》に、内《うち》へ引《ひ》き込《こ》んだ藝者《げいしや》なぞもありました。男同士《をとこどうし》の意地張《いぢは》りとか、嫉妬《しつと》の爲《た》めの立腹《りつぷく》とか云《い》ふやうな氣持《きもち》は其《そ》の男《をとこ》には毛程《けほど》もないのです。

其《そ》の代《かは》り、また非常《ひじやう》に飽《あ》きつぽい質《たち》で、惚《ほ》れて惚《ほ》れて惚《ほ》れ拔《ぬ》いて、執拗《しつこ》い程《ほど》ちやほやするかと思《おも》へば、直《ぢ》きに餘熱《ほとぼり》がさめて了《しま》ひ、何人《なんにん》となく女房《にようぼう》を取《と》り換《か》へます。元《もと》より彼《かれ》に惚《ほ》れてゐる女《をんな》はありませんから、脈《みやく》のある間《あひだ》に精々《せい／″＼》搾《しぼ》つて置《お》いて、好《い》い時分《じぶん》に向《むか》うから出《で》て行《ゆ》きます。かう云《い》ふ鹽梅《あんばい》で、店員《てんゐん》などにも一向《いつかう》威信《ゐしん》がなく、時々《とき／″＼》は大穴《おほあな》も開《あ》けられるし、商賣《しやうばい》の方《はう》も疎《おろそ》かになつて、間《ま》もなく店《みせ》は潰《つぶ》れて了《しま》ひました。

其《そ》の後《ご》、彼《かれ》は直屋《ぢきや》になつたり、客引《きゃくひき》になつたりして、人《ひと》の顏《かほ》さへ見《み》れば、 「今《いま》に御覽《ごらん》なさい。一｜番《ばん》盛《も》り返《かへ》して見《み》せますから。」 などと放言《はうげん》して居《ゐ》ました。一寸《ちよつと》おあいそも好《よ》し、相應《さうおう》に目先《めさき》の利《き》く所《ところ》もあつて、たまには儲《まう》け口《ぐち》もありましたが、いつも女《をんな》にしてやられ、年中《ねんぢう》ぴいぴいして居《ゐ》ます。其《そ》のうちにたうとう借金《しやつきん》で首《くび》が廻《まは》らなくなり、 「當分《たうぶん》私《わたし》を使《つか》つて見《み》てくれ。」 かう云《い》つて、昔《むかし》の友逹《ともだち》の榊原《さかきばら》の店《みせ》へ轉《ころ》げ込《こ》みました。

一介《いつかい》の店員《てんゐん》と迄《まで》零落《れいらく》しても、身《み》に沁《し》み込《こ》んだ藝者遊《げいしやあそ》びの味《あぢ》は、しみじみ忘《わす》れる事《こと》が出來《でき》ません。時々《とき／″＼》彼《かれ》は忙《いそが》しさうに人々《ひと／″＼》の立《た》ち働《はたら》いて居《ゐ》る帳場《ちやうば》の机《つくゑ》に向《むか》つて、なまめかしい女《をんな》の聲《こゑ》や陽氣《やうき》な三味線《しやみせん》の音色《ねいろ》を想《おも》ひ出《だ》し、口《くち》の中《なか》で端唄《はうた》を歌《うた》ひながら、晝間《ひるま》から浮《う》かれて居《ゐ》ることがあります。しまひには辛抱《しんばう》が仕切《しき》れなくなり、何《なん》とか彼《か》とか體《てい》の好《よ》い口《くち》を利《き》いては其《そ》れから其《そ》れへとちびちびした金《かね》を借《か》り倒《たふ》し、主人《しゆじん》の眼《め》を掠《かす》めて遊《あそ》びに行《ゆ》きます。 「彼奴《あいつ》もあれで可愛《かあい》い奴《やつ》さ。」 と、始《はじ》めの二三度《にさんど》は淸《きよ》く金《かね》を出《だ》してやつた連中《れんぢう》も、あまり度重《たびかさ》なるので、遂《つひ》には腹《はら》を立《た》て、 「櫻井《さくらゐ》にも呆《あき》れたものだ。ああずぼら［＃「ずぼら」に傍点］ぢやあ手《て》が附《つ》けられない。あんな質《たち》の惡《わる》い奴《やつ》ぢやなかつたんだが、今度《こんど》無心《むしん》に來《き》やがつたら、うんと怒《おこ》り付《つ》けてやらう。」 かう思《おも》つては見《み》るものの、さて本人《ほんにん》に顏《かほ》を合《あ》はせると、何處《どこ》となく哀《あは》れつぽい處《ところ》があつて、とても强《つよ》い言《こと》は云《い》へなくなり、 「また此《こ》の次《つ》ぎに埋《う》め合《あ》はせをするから、今日《けふ》は見逃《みのが》して貰《もら》ひたいね。」 ぐらゐの所《ところ》で追拂《おつぱら》はうとするのですが、 「まあ賴《たの》むからさう云《い》はないで、借《か》してくれ給《たま》へ。ナニ直《ぢ》き返《かへ》すから好《い》いぢやないか。後生《ごしやう》お願《ねが》ひ！全《まつた》く後生《ごしやう》お願《ねが》ひなんだ。」 と、うるさく附《つ》き纏《まと》つて賴《たの》むので、大槪《たいがい》の者《もの》は根負《こんま》けをして了《しま》ひます。

主人《しゆじん》の榊原《さかきばら》も見《み》るに見《み》かね、 「時々《とき／″＼》己《おれ》が伴《つ》れて行《い》つてやるから、あんまり人《ひと》に迷惑《めいわく》を掛《か》けないやうにしたらどうだ。」 かう云《い》つて、三度《さんど》に一度《いちど》は馴染《なじみ》の待合《まちあひ》へ供《とも》をさせると、其《そ》の時《とき》ばかりは別人《べつじん》のやうにイソイソ立《た》ち働《はたら》いて、忠勤《ちうきん》を抽《ぬき》んでます。商賣上《しやうばいじやう》の心配事《しんぱいごと》で氣《き》がくさくさする時《とき》は、此《こ》の男《をとこ》と酒《さけ》でも飮《の》みながら、罪《つみ》のない顏《かほ》を見《み》て居《ゐ》るのが、何《なに》より藥《くすり》なので、主人《しゆじん》も繁《し》げ繁《し》げ供《とも》に伴《つ》れて行《ゆ》きます。しまひには店員《てんゐん》としてよりも其《そ》の方《はう》の勤《つとめ》が主《おも》になつて、晝間《ひるま》は一｜日《にち》店《みせ》にごろごろしながら、 「僕《ぼく》は榊原商店《さかきばらしやうてん》の内藝者《うちげいしや》さね。」 などと冗談《じやうだん》を云《い》つて、彼《かれ》は得々《とく／＼》たるものです。

榊原《さかきばら》は堅儀《かたぎ》の家《いへ》から貰《もら》つた細君《さいくん》もあれば、十五六《じふごろく》の娘《むすめ》を頭《かしら》に二三人《にさんにん》の子供《こども》もありましたが、上《かみ》さん始《はじ》め、女中逹《ぢよちうたち》まで皆《みな》櫻井《さくらゐ》を可愛《かあい》がつて、「櫻井《さくらゐ》さん、御馳走《ごちそう》がありますから臺所《だいどころ》で一｜杯《ぱい》おやんなさいな。」と奧《おく》へ呼《よ》び寄《よ》せては、面白《おもしろ》い洒落《しやれ》でも聞《き》かうとします。 「お前《まへ》さんのやうに呑氣《のんき》だつたら、貧乏《びんばふ》しても苦《く》にはなるまいね。一生《いつしやう》笑《わら》つて暮《くら》せれば、其《そ》れが一｜番《ばん》仕合《しあは》せだとも。」 お上《かみ》さんにかう云《い》はれると、彼《かれ》は得意《とくい》になつて、 「全《まつた》くです。だから私《わツし》なんざあ、昔《むかし》からつひぞ腹《はら》と云《い》ふものを立《た》てたことがありません。それと云《い》ふのが矢張《やつぱり》道樂《だうらく》をしたお蔭《かげ》でございますね。‥‥‥‥」 などと、其《そ》れから一｜時間《じかん》ぐらゐは、のべつに喋《しやべ》ります。

時《とき》には又《また》小聲《こごゑ》で、錆《さび》のある喉《のど》を聞《き》かせます。端唄《はうた》、常磐津《ときわづ》、淸元《きよもと》、なんでも一《ひ》と通《とほ》りは心得《こゝろえ》て居《い》て自分《じぶん》で自分《じぶん》の美音《びおん》に醉《よ》ひながら、口三味線《くちじやみせん》でさも嬉《うれ》しさうに歌《うた》ひ出《だ》す時《とき》は、誰《だれ》もしみじみと聞《き》かされます。いつも流行唄《はやりうた》を眞先《まつさき》に覺《おぼ》えて來《き》ては、 「お孃《ぢやう》さん、面白《おもしろ》い唄《うた》を敎《をし》へませうか。」 と、早速《さつそく》奧《おく》へ披露《ひらう》します。歌舞伎座《かぶきざ》の狂言《きやうげん》なども、出《だ》し物《もの》の變《かは》る度《たび》に二三度《にさんど》立《た》ち見《み》に出《で》かけ、直《ぢ》きに芝翫《しくわん》や八百藏《やをざう》の聲色《こわいろ》を覺《おぼ》えて來《き》ます。どうかすると、便所《べんじよ》の中《なか》や、往來《わうらい》のまんなかで、眼《め》をむき出《だ》したり、首《くび》を振《ふ》つたり、一生懸命《いつしやうけんめい》聲色《こわいろ》の稽古《けいこ》に浮身《うきみ》を窶《やつ》して居《ゐ》ることもありますが、手持無沙汰《てもちぶさた》の時《とき》は、始終《しじゆう》口《くち》の先《さき》で小唄《こうた》を歌《うた》ふとか、物眞似《ものまね》をやるとか、何《なに》かしら一人《ひとり》で浮《う》かれて居《ゐ》なければ、氣《き》が濟《す》まないのです。

子供《こども》の折《をり》から、彼《かれ》は音曲《おんぎよく》や落語《らくご》に非常《ひじやう》な趣味《しゆみ》を持《も》つて居《ゐ》ました。何《なん》でも生《うま》れは芝《しば》の愛宕下邊《あたごしたへん》で、小學校時代《せうがくかうじだい》には神童《しんどう》と云《い》はれた程《ほど》學問《がくもん》も出來《でき》れば、物覺《ものおぼ》えも良《よ》かつたのですが、幇間的《ほうかんてき》の氣質《きしつ》は旣《すで》に其《そ》の頃《ころ》備《そな》はつて居《ゐ》たものと見《み》え、級中《きふちう》の主席《しゆせき》を占《し》めて居《ゐ》るにも拘《かゝは》らず、まるで家來《けらい》のやうに友逹《ともだち》から扱《あつか》はれて喜《よろこ》んで居《ゐ》ました。さうして親父《おやぢ》にせびつては每晚《まいばん》のやうに寄席《よせ》へ伴《つ》れて行《い》つて貰《もら》ひます。彼《かれ》は落語家《らくごか》に對《たい》して、一種《いつしゆ》の同情《どうじやう》、寧《むし》ろ憧憬《どうけい》の念《ねん》をさへ抱《いだ》いて居《ゐ》ました。先《ま》づぞろりとした風采《ふうさい》で高座《かうざ》へ上《あが》り、ぴたりとお客樣《きやくさま》へお辭儀《じぎ》をして、さて、 「ええ每度《まいど》伺《うかゞ》ひまするが、兎角《とかく》此《こ》の、殿方《とのがた》のお失策《しくじり》は酒《さけ》と女《をんな》でげして、取《と》り分《わ》け御婦人《ごふじん》の勢力《せいりよく》と申《まを》したら大《たい》したものでげす。我《わ》が國《くに》は天《あま》の窟戶《いはと》の始《はじ》まりから、『女《をんな》ならでは夜《よ》の明《あ》けぬ國《くに》』などと申《まを》しまする。‥‥‥‥」 と喋《しやべ》り出《だ》す舌先《したさき》の旨味《うまみ》、何《なん》となく情愛《じやうあい》のある話振《はなしぶ》りは、喋《しやべ》つて居《ゐ》る當人《たうにん》も、嘸《さぞ》好《い》い氣持《きもち》だらうと思《おも》はれます。さうして、一言一句《いちごんいつく》に女子供《をんなこども》を可笑《をか》しがらせ、時々《とき／″＼》愛嬌《あいけう》たつぷりの眼《め》つきで、お客《きやく》の方《はう》を一順《いちじゆん》見廻《みまは》して居《ゐ》る。其處《そこ》に何《なん》とも云《い》はれない人懷《ひとなつ》ツこい所《ところ》があつて、『人間《にんげん》社會《しやくわい》の溫《あたゝ》か味《み》。』と云《い》ふやうなものを、彼《かれ》はかう云《い》ふ時《とき》に最《もつと》も强《つよ》く感《かん》じます。 「あ、こりや、こりや。」 と、陽氣《やうき》な三味線《しやみせん》に乘《の》つて、都々逸《どゞいつ》、三下《さんさが》り、大津繪《おほつゑ》などを、粹《いき》な節廻《ふしまは》しで歌《うた》はれると、子供《こども》ながらも體内《たいない》に漠然《ばくぜん》と潛《ひそ》んで居《ゐ》る放蕩《はうたう》の血《ち》が湧《わ》き上《あが》つて、人生《じんせい》の樂《たの》しさ、歡《よろこ》ばしさを暗示《あんし》されたやうな氣《き》になります。學校《がくかう》の往《ゆ》き復《かへ》りには、よく淸元《きよもと》の師匠《ししやう》の家《いへ》の窓下《まどした》に彳《たゝず》んで、うつとりと聞《き》き惚《ほ》れて居《ゐ》ました。夜《よる》机《つくゑ》に向《むか》つて居《ゐ》る時《とき》でも、新内《しんない》の流《なが》しが聞《きこ》えると勉强《べんきやう》が手《て》に付《つ》かず、忽《たちま》ち本《ほん》を伏《ふ》せて醉《よ》つたやうになつて了《しま》ひます。二十《はたち》の時《とき》、始《はじ》めて人《ひと》に誘《さそ》はれて藝者《げいしや》を揚《あ》げましたが、綺麗《きれい》な女《をんな》がずらりと眼《め》の前《まへ》に並《なら》んで、平生《へいぜい》憧《あこが》れてゐたお座附《ざつき》の三味線《しやみせん》を引《ひ》き出《だ》すと、彼《かれ》は杯《さかづき》を手《て》にしながら、感極《かんきは》まつて、淚《なみだ》を眼《め》に一杯《いつぱい》溜《た》めてゐました。さう云《い》ふ風《ふう》ですから、藝事《げいごと》の上手《じやうづ》なのも無理《むり》はありません。

彼《かれ》を本職《ほんしよく》の幇間《たいこもち》にさせたのは、全《まつた》く榊原《さかきばら》の旦那《だんな》の思《おも》ひ附《つ》きでした。 「お前《まへ》もいつまで内《うち》にごろごろして居《ゐ》ても仕方《しかた》があるめえ。一《ひと》つ己《おれ》が世話《せわ》をしてやるから、幇間《たいこもち》になつたらどうだ。只《たゞ》で茶屋酒《ちややざけ》を飮《の》んで其《そ》の上《うへ》祝儀《しうぎ》が貰《もら》へりやあ、此《こ》れ程《ほど》結構《けつこう》な商賣《しやうばい》はなからうぜ。お前《まへ》のやうな怠《なま》け者《もの》の掃《は》け場《ば》には持《も》つて來《こ》いだ。」 かう云《い》はれて、彼《かれ》も早速《さつそく》其《そ》の氣《き》になり、旦那《だんな》の膽煎《きもい》りで到頭《たうとう》柳橋《やなぎばし》の太鼓持《たいこも》ちに弟子入《でしい》りをしました。三平《さんぺい》と云《い》ふ名《な》は、其《そ》の時《とき》師匠《ししやう》から貰《もら》つたのです。 「櫻井《さくらゐ》が太鼓持《たいこも》ちになつたつて？成《な》る程《ほど》人間《にんげん》に廢《すた》りはないもんだ。」 と、兜町《かぶとちやう》の連中《れんちう》も、噂《うはさ》を聞《き》き傳《つた》へて肩《かた》を入《い》れてやります。新參《しんざん》とは云《い》ひながら、藝《げい》は出來《でき》るし、お座敷《ざしき》は巧《うま》し、何《なに》しろ幇間《たいこもち》にならぬ前《まへ》から頓狂者《とんきやうもの》の噂《うはさ》の高《たか》い男《をとこ》の事故《ことゆゑ》、またたく間《ま》に賣《う》り出《だ》して了《しま》ひました。

或《あ》る時《とき》の事《こと》でした。榊原《さかきばら》の旦那《だんな》が、待合《まちあひ》の二階《にかい》で五六人《ごろくにん》の藝者《げいしや》をつかまへ、催眠術《さいみんじゆつ》の稽古《けいこ》だと云《い》つて、片《かた》つ端《ぱし》からかけて見《み》ましたが、一人《ひとり》の雛妓《おしやく》が少《すこ》しばかりかかつただけで、他《ほか》の者《もの》はどうしてもうまく眠《ねむ》りません。すると其《そ》の席《せき》に居《ゐ》た三平《さんぺい》が急《きふ》に恐毛《おぞけ》を慄《ふる》ひ出《だ》し、 「旦那《だんな》、私《わツし》やあ催眠術《さいみんじゆつ》が大嫌《だいきら》ひなんだから、もうお止《よ》しなさい。何《なん》だか人《ひと》のかけられるのを見《み》てさへ、頭《あたま》が變《へん》になるんです。」 かう云《い》つた樣子《やうす》が、恐《おそろ》しがつて居《ゐ》るやうなものの、如何《いか》にもかけて貰《もら》ひたさうなのです。 「いい事《こと》を聞《き》いた。そんならお前《まへ》を一《ひと》つかけてやらう、そら、もうかかつたぞ。そうら、だんだん眠《ねむ》くなつて來《き》たぞ。」 かう云《い》つて、旦那《だんな》が睨《にら》み付《つ》けると、 「ああ、眞平《まつぴら》、眞平《まつぴら》。そいつばかりはいけません。」 と、顏色《かほいろ》を變《か》へて、逃《に》げ出《だ》さうとするのを、旦那《だんな》が後《うし》ろから追《お》ひかけて、三平《さんぺい》の顏《かほ》を掌《てのひら》で二三度《にさんど》撫《な》で廻《まは》し、 「そら、もう今度《こんど》こそかかつた、もう駄目《だめ》だ。逃《に》げたつてどうしたつて助《たす》からない。」 さう云《い》つて居《ゐ》るうちに、三平《さんぺい》の項《うなじ》はぐたりとなり、其處《そこ》へ倒《たふ》れてしまひました。

面白半分《おもしろはんぶん》にいろいろの暗示《あんし》を與《あた》へると、どんな事《こと》でもやります。「悲《かな》しいだらう。」と云《い》へば、顏《かほ》をしかめてさめざめと泣《な》く。「口惜《くや》しからう。」と云《い》へば、眞赤《まつか》になつて怒《おこ》り出《だ》す。お酒《さけ》だと云《い》つて、水《みづ》を飮《の》ませたり、三味線《しやみせん》だと云《い》つて、箒木《はうき》を抱《だ》かせたり、其《そ》の度《たび》每《ごと》に女逹《をんなたち》はきやツきやツと笑《わら》ひ轉《ころ》げます。やがて旦那《だんな》は三平《さんぺい》の鼻先《はなさき》でぬツと自分《じぶん》の臀《しり》をまくり、 「三平《さんぺい》、此《こ》の麝香《じやかう》はいい匂《にほひ》がするだらう。」 かう云《い》つて、素晴《すば》らしい音《おと》を放《はな》ちました。 「成《な》る程《ほど》、此《こ》れは結構《けつこう》な香《かう》でげすな。おお好《い》い匂《にほひ》だ、まるで胸《むね》がすうツとします。」 と、三平《さんぺい》は、さも氣持《きもち》が好《よ》ささうに、匂《にほひ》を嗅《か》いで小鼻《こばな》をひくひくさせます。 「さあ、もう好《い》い加減《かげん》で堪忍《かんにん》してやらう。」 旦那《だんな》が耳元《みゝもと》でぴたツと手《て》を叩《たゝ》くと、彼《かれ》は眼《め》を丸《まる》くして、きよろきよろとあたりを見廻《みまは》し、 「到頭《たうとう》かけられちやつた。どうもあんな恐《おそ》ろしいものはごはせんよ。何《なに》か私《わツし》やあ可笑《をか》しな事《こと》でもやりましたかね。」 かう云《い》つて、漸《やうや》く我《われ》に復《かへ》つた樣子《やうす》です。 すると、いたづら好《づ》きの梅吉《うめきち》と云《い》ふ藝者《げいしや》がにじり出《だ》して、 「三平《さんぺい》さんなら、妾《わたし》にだつてかけられるわ。そら、もうかかつた！ほうら、だんだん眠《ねむ》くなつて來《き》てよ。」 と、座敷中《ざしきぢう》を逃《に》げて步《ある》く三平《さんぺい》を追《お》ひ廻《まは》して、襟首《えりくび》へ飛《と》び付《つ》くや否《いな》や、 「ほら、もう駄目駄目《だめだめ》。さあ、もうすつかりかかつちまつた。」 かう云《い》ひながら、顏《かほ》を撫《な》でると、再《ふたゝ》びぐたりとなつて、あんぐり口《くち》を開《あ》いたまま、女《をんな》の肩《かた》へだらしなく凭《もた》れて了《しま》ひます。

今度《こんど》は梅吉《うめきち》が、觀音樣《くわんのんさま》だと云《い》つて自分《じぶん》を拜《おが》ませたり、大地震《おほぢしん》だと云《い》つて恐《こは》がらせたり、其《そ》の度《たび》每《ごと》に表情《へうじやう》の盛《さかん》な三平《さんぺい》の顏《かほ》が、千變萬化《せんぺんばんくわ》する可笑《をか》しさと云《い》つたらありません。 それからと云《い》ふものは、榊原《さかきばら》の旦那《だんな》と梅吉《うめきち》に一《ひ》と睨《にら》みされれば、直《す》ぐにかけられて、ぐたりと倒《たふ》れます。ある晚《ばん》、梅吉《うめきち》がお座敷《ざしき》の歸《かへ》りに柳橋《やなぎばし》の袂《たもと》で擦《す》れちがひさま、 「三平《さんぺい》さん、そら！」 と云《い》つて睨《にら》みつけると、 「ウム」 と云《い》つたなり、往來《わうらい》のまん中《なか》へ仰《の》け反《ぞ》つて了《しま》ひました。

彼《かれ》は此《こ》れ程《ほど》までにしても、人《ひと》に可笑《をか》しがられたいのが病《やまひ》なんです。然《しか》しなかなか加減《かげん》がうまいのと、あまり圖々《づう／″＼》しいのとで、人《ひと》は狂言《きやうげん》にやつて居《ゐ》るのだとは思《おも》ひませんでした。

誰《だれ》云《い》ふとなく、三平《さんぺい》さんは梅《うめ》ちやんに惚《ほ》れて居《ゐ》るのだと云《い》ふ噂《うはさ》が立《た》ちました。其《そ》れでなければ、ああ易々《やす／＼》と催眠術《さいみんじゆつ》にかけられる筈《はず》はないと云《い》ふのです。全《まつた》くのところ、三平《さんぺい》は梅吉《うめきち》のやうなお轉婆《てんば》な、男《をとこ》を男《をとこ》とも思《おも》はぬやうな勝氣《かちき》な女《をんな》が好《す》きなのでした。始《はじ》めて催眠術《さいみんじゆつ》にかけられて、散々《さん／″＼》な目《め》に會《あ》はされた晚《ばん》から、彼《かれ》はすつかり梅吉《うめきち》の氣象《きしやう》に惚《ほ》れ込《こ》んで了《しま》ひ、機《をり》があつたらどうかしてと、ちよいちよいほのめかして見《み》るのですが、先方《せんぱう》ではまるで馬鹿《ばか》にし切《き》つて、てんで相手《あひて》にしてくれません。機嫌《きげん》の好《い》い時《とき》を窺《うかが》つて、二言三言《ふたことみこと》からかひかけると、直《す》ぐに梅吉《うめきち》は腕白盛《わんぱくざか》りの子供《こども》のやうな無邪氣《むじやき》な眼《め》つきをして、 「そんな言《こと》を云《い》ふと、又《また》かけて上《あ》げるよ。」 と、睨《にら》みつけます。睨《にら》まれれば、大事《だいじ》な口說《くど》きは其方除《そつちの》けにして早速《さつそく》ぐにやりと打倒《ぶつたふ》れます。

遂《つひ》に彼《かれ》は溜《たま》らなくなつて、榊原《さかきばら》の旦那《だんな》に思《おも》ひのたけを打《う》ち明《あ》け、 「まことに商賣柄《しやうばいがら》にも似合《にあ》はない、いやはや意氣地《いくぢ》のない次第《しだい》ですが、たつた一《ひ》と晚《ばん》でようがすから、どうか一《ひと》つ旦那《だんな》の威光《ゐくわう》でうんと云《い》はせておくんなさい。」 と、賴《たの》みました。 「よし來《き》た、萬事《ばんじ》己《おれ》が呑《の》み込《こ》んだから、親船《おやふね》に載《の》つた氣《き》で居《ゐ》るがいい。」 と、旦那《だんな》は又《また》三平《さんぺい》を玩具《おもちや》にしてやらうと云《い》ふ魂膽《こんたん》があるものですから、直《す》ぐに引《ひ》き受《う》け、其《そ》の日《ひ》の夕方《ゆふがた》早速《さつそく》行《ゆ》きつけの待合《まちあひ》へ梅吉《うめきち》を呼《よ》んで三平《さんぺい》の話《はなし》をした末《すゑ》に、 「ちつと罪《つみ》なやうだが、今夜《こんや》お前《まへ》から彼奴《あいつ》を此處《こゝ》へ呼《よ》んで、精精《せいぜい》口先《くちさき》の嬉《うれ》しがらせを聞《き》かせた上《うへ》、肝心《かんじん》の處《ところ》は催眠術《さいみんじゆつ》で欺《だま》してやるがいい。己《おれ》は蔭《かげ》で樣子《やうす》を見《み》て居《ゐ》るから、奴《やつ》を素裸《すつぱだか》にさせて勝手《かつて》な藝當《げいたう》をやらせて御覽《ごらん》。」 こんな相談《さうだん》を始《はじ》めました。 「なんぼ何《なん》でも、それぢやあんまり可哀相《かあいさう》だわ。」 と、流石《さすが》の梅吉《うめきち》も一應《いちおう》躊躇《ちゆうちよ》したものの、後《あと》で露顯《ろけん》したところで、腹《はら》を立《た》てるやうな男《をとこ》ではなし、面白《おもしろ》いからやつて見《み》ろ。と云《い》ふ氣《き》になりました。 さて、夜《よる》になると、梅吉《うめきち》の手紙《てがみ》を持《も》つて、車夫《しやふ》が三平《さんぺい》の處《ところ》へ迎《むか》へに行《ゆ》きました。「今夜《こんや》はあたし一人《ひとり》だから、是非《せひ》遊《あそ》びに來《き》てくれろ。」と云《い》ふ文面《ぶんめん》に、三平《さんぺい》はぞくぞく嬉《よろこ》び、てツきり旦那《だんな》が口《くち》を利《き》いていくらか掴《つか》ましたに相違《さうゐ》ないと、平生《へいぜい》よりは大《おほい》に身《み》じまひを整《とゝの》へ、ぞろりとした色男《いろをとこ》氣取《きどり》で待合《まちあひ》へ出《で》かけました。 「さあさあ、もつとずツと此方《こつち》へ。ほんとに三平《さんぺい》さん、今夜《こんや》は妾《あたし》だけなんだから、窮屈《きうくつ》な思《おも》ひをしないで、ゆつくりくつろいでおくんなさいな。」 と、梅吉《うめきち》は、座布團《ざぶとん》をすすめるやら、お酌《しやく》をするやら、下《した》にも置《お》かないやうにします。三平《さんぺい》は少《すこ》し煙《けむ》に卷《ま》かれて、柄《がら》にもなくおどおどして居《ゐ》ましたが、だんだん醉《よひ》が循《まは》つて來《く》ると、魂《たましひ》が落《お》ち着《つ》き、 「だが梅《うめ》ちやんのやうな男勝《をとこまさ》りの女《をんな》は、私《わツし》や大好《だいす》きサ。」 などと、そろそろ水《みづ》を向《む》け始《はじ》めます。旦那《だんな》を始《はじ》め二三人《にさんにん》の藝者《げいしや》が、中二階《ちうにかい》の掃き出し［＃「掃き出し」に傍点］から欄間《らんま》を通《とほ》して、見《み》て居《ゐ》ようとは夢《ゆめ》にも知《し》りません。梅吉《うめきち》は吹《ふ》き出《だ》したくなるのをぢつと堪《こら》へて、散々《さん／″＼》出放題《ではうだい》のお上手《じやうづ》を列《なら》べ立《た》てます。 「ねえ、三平《さんぺい》さん。そんなに妾《わたし》に惚《ほ》れて居《ゐ》るのなら、何《なに》か證據《しようこ》が見《み》せて貰《もら》ひたいわ。」 「證據《しようこ》と云《い》つて、どうも困《こま》りますね。全《まつた》く胸《むね》の中《なか》を斷《た》ち割《わ》つて御覽《ごらん》に入《い》れたいくらゐさ。」 「それぢや、催眠術《さいみんじゆつ》にかけて、正直《しやうぢき》な所《ところ》を白狀《はくじやう》させてよ。まあ、妾《あたし》を安心《あんしん》させる爲《た》めだと思《おも》つて、かかつて見《み》て下《くだ》さいよ。」 こんな言《こと》を、梅吉《うめきち》は云《い》ひ出《だ》しました。 「いや、もうあればかりは眞平《まつぴら》です。」 と、三平《さんぺい》も今夜《こんや》こそは、そんな事《こと》で胡麻化《ごまくわ》されてはならないと云《い》ふ決心《けつしん》で、場合《ばあひ》に由《よ》つたら、 「實《じつ》はあの催眠術《さいみんじゆつ》も、お前《まへ》さんに惚《ほ》れた弱味《よわみ》の狂言《きやうげん》ですよ。」 かう打《う》ち明《あ》けるつもりでしたが、 「そら！もうかかつちまつた。そうら。」 と、忽《たちま》ち梅吉《うめきち》の凛《りん》とした、凉《すゞ》しい目元《めもと》で睨《にら》められると、又《また》女《をんな》に馬鹿《ばか》にされたいと云《い》ふ欲望《よくばう》の方《はう》が先《さき》へ立《た》つて、此《こ》の大事《だいじ》の瀨戶際《せとぎは》に又々《また／＼》ぐたりとうなだれて了《しま》ひました。 「梅《うめ》ちやんの爲《た》めならば、命《いのち》でも投《な》げ出《だ》します。」とか、「梅《うめ》ちやんが死《し》ねと云《い》へば、今《いま》でも死《し》にます。」とか、尋《たづ》ねられるままに、彼《かれ》はいろいろと口走《くちばし》ります。 もう眠《ねむ》って居《ゐ》るから大丈夫《だいじやうぶ》と、隙見《すきみ》をして居《ゐ》た旦那《だんな》も藝者《げいしや》も座敷《ざしき》へ入《はい》つて來《き》て、ずらりと三平《さんぺい》の周圍《まはり》を取《と》り卷《ま》き、梅吉《うめきち》のいたづらを、橫腹《よこはら》を叩《たゝ》いて袂《たもと》を嚙《か》んで、見《み》て居《ゐ》ます。

三平《さんぺい》は此《こ》の樣子《やうす》を見《み》て、吃驚《びつくり》しましたが、今更《いまさら》止《や》める譯《わけ》にも行《ゆ》きません。寧《むし》ろ彼《かれ》に取《と》つては、惚《ほ》れた女《をんな》にこんな殘酷《ざんこく》な眞似《まね》をさせられるのが愉快《ゆくわい》なのですから、どんな恥《はづ》かしい事《こと》でも、云《い》ひ附《つ》け通《どほ》りにやります。 「此處《こゝ》はお前《まへ》さんと妾《あたし》と二人《ふたり》限《ぎ》りだから、遠慮《ゑんりよ》しないでもいいわ。さあ、羽織《はおり》をお脫《ぬ》ぎなさい。」 かう云《い》はれると、裏地《うらぢ》に夜櫻《よざくら》の模樣《もやう》のある黑縮緬《くろちりめん》の無雙羽織《むさうばおり》をするすると脫《ぬ》ぎます。それから藍色《あゐいろ》の牡丹《ぼたん》くづしの繻珍《しゆつちん》の帶《おび》を解《と》かれ、赤大名《あかだいみやう》のお召《めし》を脫《ぬ》がされ、背中《せなか》へ雷神《らいじん》を描《ゑが》いて裾《すそ》へ赤《あか》く稻妻《いなづま》を染《そ》め出《だ》した白縮緬《しろちりめん》の長襦袢《ながじゆばん》一《ひと》つになり、折角《せつかく》めかし込《こ》んで來《き》た衣裳《いしやう》を一枚《いちまい》一枚《いちまい》剝《は》がされて、到頭《たうとう》裸《はだか》にされて了《しま》ひました。それでも三平《さんぺい》には、梅吉《うめきち》の酷《むご》い言葉《ことば》が嬉《うれ》しくつて嬉《うれ》しくつて溜《たま》りません。果《は》ては女《をんな》の與《あた》へる暗示《あんし》のままに、云《い》ふに忍《しの》びないやうな事《こと》をします。

散々《さん／″＼》弄《もてあそ》んだ末《すゑ》に、梅吉《うめきち》は充分《じゆうぶん》三平《さんぺい》を睡《ねむ》らせて、皆《みんな》と一緖《いつしよ》に其處《そこ》を引《ひ》き上《あ》げて了《しま》ひました。

翌《あ》くる日《ひ》の朝《あさ》、梅吉《うめきち》に呼《よ》び醒《さ》まされると、三平《さんぺい》はふと眼《め》を開《あ》いて、枕許《まくらもと》に坐《すわ》つてゐる寢衣姿《ねまきすがた》の女《をんな》の顏《かほ》を惚《ほ》れ惚《ぼ》れと見上《みあ》げました。三平《さんぺい》を欺《だま》すやうに、わざと女《をんな》の枕《まくら》や衣類《いるゐ》が其《そ》の邊《へん》に散《ち》らばつて居《ゐ》ました。 「妾《あたし》は今《いま》起《お》きて顏《かほ》を洗《あら》つて來《き》た所《ところ》なの。ほんとにお前《まへ》さんはよく寐《ね》て居《ゐ》るのね。だからきつと後生《ごしやう》がいいんだわ。」 と、梅吉《うめきち》は何喰《なにく》はぬ顏《かほ》をしてゐます。 「梅《うめ》ちやんにこんなに可愛《かあい》がつて貰《もら》へりやあ、後生《ごしやう》よしに違《ちが》ひありやせん。日頃《ひごろ》の念《ねん》が屆《とゞ》いて、私《わツし》やあ全《まつた》く嬉《うれ》しうがす。」 かう云《い》つて、三平《さんぺい》はピヨコピヨコお辭儀《じぎ》をしましたが、俄《にはか》にそはそはと起《お》き上《あか》つて着物《きもの》を着換《きか》へ、 「世間《せけん》の口《くち》がうるさうがすから、今日《けふ》の所《ところ》はちつとも早《はや》く失禮《しつれい》しやす。何卒《どうぞ》末長《すゑなが》くね。へツ、此《こ》の色男《いろをとこ》め！」 と、自分《じぶん》の頭《あたま》を輕《かる》く叩《たゝ》いて、出《で》て行《ゆ》きました。

「三平《さんぺい》、此《こ》の間《あひだ》の首尾《しゆび》はどうだつたい。」 と、それから二三日《にさんにち》過《す》ぎて、榊原《さかきばら》の旦那《だんな》が尋《たづ》ねました。 「や、どうもお蔭樣《かげさま》で有難《ありがた》うがす。なあにぶつかつて見《み》りやあまるでたわい［＃「たわい」に傍点］はありませんや。氣丈《きぢやう》だの、勝氣《かちき》だのと云《い》つたつて、女《をんな》は矢張《やつぱり》女《をんな》でげす。からツきし、だらしも何《なに》もあつた話《はなし》ぢやありません。」 と、恐悅至極《きやうえつしごく》の體《て》たらくに、 「お前《はめ》もなかなか色男《いろをとこ》だな。」 かう云《い》つて冷《ひや》かすと、 「えへゝゝゝ」 と、三平《さんぺい》は、卑《いや》しい、Professional な笑《わら》ひ方《かた》をして、扇子《せんす》でぽんと額《ひたひ》を打《う》ちました。

祕密

